会 報 ≪第352号≫ 目 次 1 新春会員交流会(第435回月例会併催)の開催報告 2 会員リポート 新長田駅南地区第二種震災復興市街地再開発事業について ~震災20年~復興再開発の成果とこれから《第 1 回》 神戸市住宅都市局新長田南再開発担当部長 中嶋 知之氏 1頁~3頁 4頁~5頁 3 お知らせ(行事案内) 5頁 4 事務局便り 20 年目の 1 月 17 日 6頁~7頁 平成27年2月1日 次代を築くヒューマン・ネットワーク 一般社団法人 兵庫県建築会 平成27年新春会員交流会(第435回月例会併催)の開催報告 日 時 : 平成27年1月8日(木)17時30分~ 会 場 : 神戸東急イン(神戸市中央区) ○恒例の新春会員交流会が、会員・来賓約100 人の出席を仰ぎ盛大に開催されました。 開会に先立ち、司会から配布資料を説明し、 「阪 神・淡路大震災から20年を迎える中、我々の得た 貴重な経験や教訓が風化していくことへの危惧感 から、昨年の12月会報で県、神戸市の協力により 震災の特集を組んだが、要望もあり記念誌として 冊子にした。これをもって当会としての20年の区 切りとし、被災者、被害者へのご供養としたい。」 と報告を行いました。 ○開会宣言の後、まず瀬戸本淳会長が挨拶に立ち、 会員共々に新年を祝いました。また、吉本知之兵庫 県副知事、大町勝まちづくり部長、笠尾卓朗県土 整備部まちづくり局長、小南正雄県土整備部住宅 建築局長、梅谷順子環境部長、木村光利兵庫県芸 術文化協会理事長、浜田有司神戸市住宅都市局建 築技術部長、坂本勝比古神戸芸術工科大学名誉教 授はじめ関係・友好団体代表の出席の謝礼が述べ られ、我々を取 り巻く環境の 変化とそれに 対応する建築 会の役割を力 強く説かれま した。(挨拶要 旨別掲) 挨 拶(要旨) 会長 瀬戸本 淳 明けましておめでとうございます。 兵庫県建築会の皆様におかれましては、益々の ご発展、ご活躍のご様子、 心からお慶び申し上げます。 設立以来、官民協力によ り明日の建築に向かって街 づくり、住まいづくりの研 究と談話により、情報交換 の場として活動を続け、建 築界に大きな功績を残して 来ました。特に阪神・淡路大震災の発生以降、一貫 して兵庫・神戸の復旧・復興や、豊かな交流が広が る地域づくりに多大な貢献をしてまいりました。 近年は、環境共生・地球環境問題をテーマに活 動してまいりました。戦争、公害、原発問題、資源 エネルギー問題、地球温暖化、ヒートアイランド現 象、そして災害、少子高齢化、やがて来る食料危機 等々により、人々の生活の質が低下していくので はないかと危惧されるところです。 人々にとってよ り快適な生活の場と手段を提供することが目的の 建築は、このような住まう環境の変化に積極的に 関わっていくことになります。 そして次の社会をど う形づくっていくのかを問われることになります。 最悪の事態を回避して、これからの明るい社会 を創っていくために、いかに人々の生活の夢を活 性化させるか、人々の多様な生活のあり方、容易に 変化しうる生活のあり方など、今こそみんなで最 善の策を見つけなければならない時期に来ている と思います。たとえ小さくても、ひとつひとつの建 築は複層する文化的プロジェクトです。 日本において、とても貴重な存在である、この建 築会のアーキテクチュアル・ヒューマンネットワー クの連携が、諸問題解決のための手法を生み出す のに大いに役立つことと考えています。 ぜひ皆様と 共にこれからの社会についての考察と構築を共有 して、さらに深めていこうではありませんか。 今後も一層のご支援を賜りますよう心からお願 い申し上げますとともに、会員の皆様のご健勝ご 多幸を祈念いたしまして、新年のご挨拶とさせて いただきます。 ○続いて来賓を代表して吉本兵庫県副知事、浜田 神戸市住宅都市局建築技術部長からご祝辞を頂戴 しました。(祝辞要旨別掲) 大町兵庫県まちづくり部長から「震災から20 年の節目の年となるが、 安全なまちづくりを進める ことが我々の責務であること、そのための耐震改 修工事の協力要請」が述べられ、新年を祝しての乾 杯が行われ懇談がスタートしました。 会場は終始和やかな雰囲気に包まれ、テーブル を移動しあいながらの歓談で、会員、来賓間での新 年を祝う交流が行われました。 ○閉会にあたっては、棚田肇副会長から交流会が 盛会裏に行われたことの謝辞があり、年の初めに 相応しく三々七拍子で1年の活躍を祈念してお開 きとなりました。 1 祝 辞(要旨) 祝 辞(要旨) 神戸市住宅都市局 建築技術部長 浜田 有司 兵庫県副知事 吉本 知之 新年明けましておめでとうございます。 兵庫県建築会新春会員交礼会が盛大に開催され ましたこと心からお祝い申し上げます。 日頃は、井戸県政の推進、 とりわけまちづくりに関し てご理解、ご支援を賜って いますことお礼申し上げま す。 去年の漢字は「税」であ りましたが、知事は「嵐」 と言われました。これは8 月の集中豪雨で大きな被 害を出した土砂災害の発 生を指したもので、午年は荒れる年と言われ、その とおりだった訳ですが、未年はおとなしい羊らしい 年であって欲しいと思います。 『乙未(きのとひつじ)』とは、「乙」は、種か ら芽が出て地上に出ていく様を、「未」は、木の上 に小さな枝が出ている様を表す文字で、 『今まで積 み重なったものが新しいものに生まれ変わる年』 と いう意味があるようです。 阪神・淡路大震災から17日で20年を迎えま すが、内外の暖かい支援を受け、懸命の努力をし て、創造的復興を果たしてきました。乙未は、その ような経験、教訓を踏まえて新しいステージに向 かう年であると考えます。 知事は、年頭の挨拶で、新しいステージ立ったと いうことを踏まえ、世界中で一番安心安全な地域 の実現を目指していきたいと言われています。 そのためには、 先ずは住みたいというまちづくり を進めていかなくてはなりません。 会長が言われた ように、建築会は、産学官の幅広い分野の人が結集 して、 しかも長い歴史の中でノウハウを蓄積されて おり、 これからのまちづくりに無くてはならない存 在であるとともに、 その力を益々発揮していただけ る時代になってきたのではないかと思っています。 県も頑張っていきますので、一緒になって住みよ いまちづくりを進めていきたいので宜しくお願い します。 皆様のこの1年間のご多幸と兵庫県建築会のご 発展、会員の皆様のご繁栄を祈念しまして挨拶と させていただきます。 皆様明けましておめでとうございます。 阪神・淡路大震災から20年となりますが、当時 は3か年復興計画の神戸市分の公営住宅計画等の 担当をしていました。 借 上げ公営住宅の20年間 の期限を迎え、話題になっ ていますが、このようなこ とも含め、もう20年かと いう感慨があります。 前半の10年間は、てん やわんやの中で大規模な事 業展開をしました。後半の 10年は、震災事業の反 動、景気の低迷もあり、厳しい予算となり新規事業 ができないという厳しい状況の中で過ごしてきま した。ようやく、昨年あたりから耐震事業の影響で 前年比200%の事業予算となり、アベノミクス 関連等も重なり引続き堅調に推移しています。 ただ、予算の拡大は、東日本の震災や東京オリン ピックの影響もありますが、一方で不調、不落の問 題が発生しています。 ジェットコースターのような 20年であったといえます。 20年経って、ようやく明るい話、未来に繋がる 事業が出てきており、非常に喜ばしいこととは思っ ています。三宮の再開発、ポートアイランドの医療 産業都市、港湾の活性化等神戸市とっては大事な ことですが、 副知事が言われたように基本は安全、 安心であることを肝に銘じていなければなりませ ん。公共建築物を扱う建築技術部として、安全で誰 もが扱いやすい建物づくりがいずれの時代にあっ ても大事なことと言えます。 新年早々、城崎の火災は古い町並みの密集住宅 で大火となりましたが、神戸市でも同様なものが 残されています。 全面的な建替えは言えませんが、 古いものを残しながら高齢化等の新しい要請に応 えて対処していかねばなりません。 27年も相応の事業費があると思っていますが、 華々しいことも含め、地道な公共建築の安全対策 を展開していきたいと思いますので引続きご協力 をよろしくお願いします。 六甲山牧場 にて 2 会場風景① 山本康一郎兵庫県建築士事務所協会会長、 石田恭一兵庫県建設業協会専務理事、渡邊勝幸参与、小林 利裕兵庫県住宅建築総合センター理事長、川端宏幸兵庫県住 宅供給公社理事長 会場風景⓶ 会場風景③ 梅谷順子兵庫県環境部長、 浜田有司神戸市建築技術部長 乾杯の発声:大町勝兵庫県まちづくり部長 会場風景④ 開会前の交流風景 閉会の挨拶:棚田肇副会長 坂本勝比古 神戸芸術工科大 学名誉教授 高橋伸明 建築士会会長 笠尾卓朗 兵庫県まちづ くり局長 棚田副会長 大町勝兵庫県ま ちづくり部長 小南正雄兵庫県 住宅建築局長 木村光利兵庫県 芸術文化協会理 事長 貝塚史利 兵庫県住宅供給 公社専務理事 石田邦夫副会長 3 会員リポート:新長田駅南地区第二種震災復興市街地再開発事業について ~震災20年~復興再開発の成果とこれから 《第 1 回》 神戸市住宅都市局新長田南再開発担当部長 中嶋知之 当時個人財産への公的資金投入はできないと いう制約があり、一日も早い生活再建のため に市が採り得る手法としては、「公共施設整 備」を伴う事業の中で、生活再建を成し遂げ てもらうということしかなかったと思う。 しかも、住まいも仕事場も失った市民にと っては長期にわたる建築制限は耐え難く、建 築基準法に定める2か月間に、復興の方針を 示す必要があった。 そうして、拙速との批判もあったが、平成 7年1月17日市街地再開発事業の都市計画 決定が行われた。 ―・― しかし、住民も離散し混乱した街中で、2 か月ですべてが計画できるはずもない。地元 の意向、事業の成立性、国等の支援など事業 計画を定めるには検討課題が多く、2段階に わけて計画づくりを行うことになった。 まず、「事業の範囲と道路・公園などの位 置、おおまかな建物のボリューム」などの都 市計画を決め、その後、地元まちづくり協議 会の提案を踏まえて事業計画を決めるという 「2段階都市計画」がはじまった。もちろ ん、2段階目に最初の都市計画を変更するこ とも「あり」として。 事業計画は現在、19.8haで決定され ており、都市計画決定区域全体20.1ha の99%である。ここまでの決定に発災から 約10年かかっている。 現段階(平成26年末)での事業計画なら びに進捗状況は以下のとおりである。 ・事業地区数7地区 ・公共施設(すべて拡幅、新設済) -道路 延長 4,935m -公園 3箇所、19,115㎡ ・ビル計画 -44棟(37棟完成) -住宅約3,000戸(2,856戸 完成―うち分譲1,695戸) ・事業費 約2,710億円 ・事業期間 H8~H29年度 平成7年1月17日に阪神淡路大震災が発 生して20年目にあたる今年、神戸市内で唯 一事業中の新長田駅南地区の復興再開発事業 について、これまでの経過と成果、そして残 された課題や今後の展望について、この誌面 をいただいた機会に整理してみたい。 まず、第1回目として全体の事業概要と進 捗状況をお示しする。 ―・― 新長田駅周辺を襲った震災の被害は甚大な ものであった。今回事業区域となった20h aの被害状況である。 ・死 者 49名 ・全 壊 208棟 21% ・全 焼 530棟 54% ・半 壊 83棟 8% ・一部損壊 171棟 17% 計992棟 右下に大正筋周辺の火災が見える 左手に新長田駅。ケミカルシューズ工場等が全滅 4 トを派遣、合意形成の支援をお願いした。 各まちづくり協議会からは、要した時間は 長短あるが、それぞれのまちの特性に応じた 「まちづくり提案」が出され、これが市の作 成する事業計画案のベースとなっている。 道路ネットワーク、公園の設え、建物の規 模、まちなみ景観、ビル管理運営の方法、床 価格の考え方など多岐にわたり何度にもわた り提案され、これと市の事業計画案をめぐっ て、非常にシビアな協議が各協議会ともおよ そ100回以上は行われている。 震災前から、住民参加、住民主体のまちづ くりを進めてきた神戸ならではの展開だった と言える。 【2段階都市計画について】 都市計画決定をもって、事業用の仮設住宅 や店舗を整備できるようになり、ばらばらに 避難していた権利者が一定まとまって地元へ 戻ることができた。 通常の応急仮設住宅・店舗では抽選により 入居が決められることを考えれば地域まちづ くりには大きな利点である。(今でこそ地域 丸ごと仮設や本設の街をつくるという発想が 採りいれられるようになってきているが20 年前はなかなか許されることではなかった) 従来のコミュニティの単位でまちづくり協 議会を立ち上げてもらい、多くの意見をまと めていくためにまちづくり専門コンサルタン 事務局からのお知らせ ○理事会・役員会の開催 と き 3月5日(木) 会場、時間は別途理事会・役員会開催通知によ りお知らせします。ご予定をお願いします。 ① 第436回月例会 と き 2月12日(木) 12時~ ところ 西村屋和味旬彩 テーマ 「ミミズを飼って地球を救おう」 講 師 前澤 勝義氏 (ひょうご出前環境教室) ② 第437回月例会 と き 3月12日(木)12時~ ところ 神戸東急イン テーマ「神戸 ビエンナーレのテーマ 〝スキ。″について」 講 師 華道家 吉田 泰己氏 (神戸ビエンナーレ総合プロデューサー ①②とも参加者募集中です ○会員リポート 今回から神戸市新長田南地区の再開発について 連載されます。震災20年を経て、最も被害の大 きかった長田地区は、高齢化、人口減少問題に直 面しています。そのまちづくりの課題、施策等に ついて行政第一線からリポートです。注目してい きたいと思います。 5 事 務 局 便 り 20年目の1月17日 この日には似合う、と勝手に決め込んで仰ぎ見て いた。 (調べると20年前はほぼ満月だった。その 日は当然明るい方がいい。) 5時46分黙 祷、その後仏像 を模した雪だる まの前では僧十 数名による読経 が行われ、そし て中での動きは 見えないが、竹 慰霊と復興のモニュメント 灯篭に点灯がさ れたのであろう、人が動き始めようやく中へ入る余 地ができてきた。間をおいて、かき分けながら会場 内へ向かい、1.17の文字を順番に回ってそれぞ れに手を合わせて冥福を祈る。続いて、犠牲者の名 前を記す慰霊と復興のモニュメントへお参りした。 どちらも大変な混雑であった。多くが犠牲者の遺 族、所縁の方々と思われるが、足元の悪いそして寒 い中を黙々と順番を待って祈る姿に頭が下がる。 20年にして初めて1. 17のつどいへの参加で あったが、自身も運よく命拾いした被災者として 20年の節目とし、また「会として20年の震災特 集の編纂をもって区切りとしたい」 と言ったことも あり、 おこがましくも代表を自負して参列させてい ただき、犠牲者への追悼により真の区切りと考え た次第である。 「今日は防災とボランティアの日です。」これは、 毎日ナビが伝える今日は何の日のアナウンス。 1月17日をこのように紹介があった。そんな日あ った?というものもあるが、今日の日は納得でき る。後で調べると、阪神・淡路大震災に因んで内閣 が制定したれっきとした記念日であった。 午前4時45分、1.17のつどいが行われる中 央区の東遊園地に向かって北区の自宅を出発。な んとか雨が上がり、途中、暗闇の坂道を駅へ向かっ て歩く数人を見かけるが、 おそらく目的は同じなの だろう。 20年前のこの日、この時間は人生の中でも格 別であった。当時はポートアイランドに居住し、豊 岡に単身赴任中。休み明けは何時もこの時間に赴 任地へ出発していた。しかし、前日から但馬は大雪 で、今日はゆっくり行こうと決めたものの、5時に 目覚めたことで変更。そのまま起きて5時45分に 自宅を出た。廊下を歩き始めた途端に、空がパアッ とオレンジ色に輝き、「エッ」と思った瞬間、初め て経験する激しい揺れに襲われ、まるで遠心分離 機にかけられたように振り回される。「バキッ」 「パァ-ン」凄まじい破壊音も加わり、一瞬「マン ションが倒れる」と頭を過る。長かったのか短かっ たのか、揺れが収まり大慌てで自宅へ駆け戻った。 そこから先は誰もが経験した如くである。ただ、こ の起床が絶妙の時間で、いつもの時間だと家内は 布団に戻って再度の就寝、もっと遅くの出発であ ったなら二人して箪笥の下敷きとなっていた。 もち ろん打ち所が悪ければ命に係わるところであった と、枕元の箪笥が物語っていた。他にも偶然が生ん だ幸運なことが多々あるが、長くなるので本題に 戻ることとする。 次に向かったのがデザインクリエイティブセン ターで開催されている『加川広重 巨大絵画が繋 ぐ東北と神戸2015』の会場。この日は5時4 6分から開場されていた。広い展示場の壁面一杯 に5.4m×16.4mのメインの絵『フクシマ』 が展示されていた。圧倒するその絵は、怒り、悲し みの表現であろうか。 同様の巨大絵画は、一作目2012年『雪に包ま れる被災地』、二作目2013年『南三陸の黄金』 と製作された。 島田誠氏が仙台で一作目と出会い、その衝撃か ら神戸と繋ぐプロジェクトとして2013年3月 からスタートしたとある。 今回で3回目となるが、 これらの展示プロジェクトを通すミッションは次 のとおり。 『この巨大絵画と出会うことで、まずは震災を そんなことを思い出しながら5時30分に東遊 園地に到着するが、竹灯篭の会場は既に立錐の余 地もない混雑ぶりで、中への進入は諦め、会場を見 渡せる高台で暫 く様子を見させ てもらうことと した。東の空に は遠く三日月が かかり、煌々と した満月よりこ の暗さのほうが 1.17 のつどい会場 6 体験した人々が当時の記憶を鮮明に呼び起こし、 それを次世代へ橋渡ししてゆくこと。~アートの 力は、震災が忘れ去られてゆくことを食い止め、た んなる芸術作品の鑑賞から行動へと駆り立てるだ ろう。今、あなたは何をなすべきなのかを問いか け、困難な状況にコミットする勇気を与えるだろ う。』(加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸プロ ジェクト実行委員会) ないとのことである。次の巨大地震が確実に迫る 中で、次世代への橋渡しは私達の責務と捉えなけ ればならない。 東北には「津波てんでこ」という言葉、言い伝え がある。家族のことを心配せず兎に角逃げろ、てん でバラバラにということであるようだ。また、中学 生が「津波がくるぞ」と訓練のとおり叫びながら逃 げる姿を皆に見せて、 それにつられて皆が逃げるよ うになり、多くの人を救ったことをテレビで見た。 伝承や訓練の大切さを肝に銘じる必要がある。 同じ報道で、 大阪の東南海の津波被害者133, 891人と言われているが、10分以内に高い建 物等に逃げると、8,806人に減じられるとのこ とであった。 記念会 報で神戸市の津波 避難情報版のこと を報告いただいた が、さてどの位の人 が確認できただろ うか。 津波避難情報版(三宮) 1.17、 3.11は毎年やってくるが、経験者はその度に確 実に減っていき、間もなく逆転の時代がくる。経験 者として、職務として、市民としての関わり、しっ かりそれぞれの役割を果たしていかねばならない と考える。 家内が、小2の孫の宿題で、家の人に震災で体験 したことを聞いておくこと、というのがあり、経験 の乏しい母親が、 「おばあちゃんに教えてもらって おいで」と言うので、被災して困ったことを中心に 話しておいた、と言っていた。いい宿題であると思 った反面、親も体験していない家庭が増えている こと、それも被災者である自分の家族ですら、とい う事実に当惑している。 40%の確率は極身近にあった。 その作品を次のとおり紹介する。 2014年『フクシマ』 2013年『南三陸の黄金』 (当日会場内の掲示写真より) 《おわりに》 20年記念会報は、皆様のご協力で少しは『伝 える』 『備える』の役割が果たせたかと考えます。 今まで漠然と迎えた1.17でしたが、20年の重 みが様々に行動させてくれました。 今後も、このことだけは伝えておきたいこと等 ありましたら随時に掲載させていただきますの で是非皆様の経験等ご投稿をお願いします。 2012年『雪に包まれる被災地』 (当日会場内の掲示写真より) この度の1月17日に向かって、二つの記念誌 の取り纏めに関わることができた。 20年の歳月は 意外すぎるくらい早い経過で、我々にとって年齢 的に最後の機会であったかも知れない。既に神戸 市民でもその40%以上の人が震災を経験してい 事務局: 谷 純夫、石井滝実子 電 話: 078-996-2851 FAX : 078-996-2852 Email: [email protected] 7
© Copyright 2024 ExpyDoc