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社会心理学研究 第 30 巻第 3 号
2 0 1 5 年,234–235
書評
社会心理学研究 第 30 巻第 3 号
いる人向け」の構成になっている。ここで紹介されてい
る認知的な道具立てが、個々のトピックでどのように使
S. T. フィスク・S. E. テイラー(著)宮本聡介・唐沢 われているかについてイメージの湧く読者には有用な構
穣・小林知博・原 奈津子(編訳)
『社会的認知研
成だが、そうでなければ Part Ⅱの関心の持てる章から
究―脳から文化まで―』(2013 年,北大路書房)
読んだ方が理解しやすいかもしれない。
Part Ⅱは個別のトピックについて 1 章ずつレビューす
社会的認知研究は、社会心理学において最も研究活動
るという標準的なテキストに近い構成である。取り上げ
が盛んな領域のひとつである。そのため、その全体像は
られているトピックも自己、帰属、ヒューリスティク
見えづらい。社会的認知に関わる研究をしていると、時
ス、社会的推論、態度と態度変容、ステレオタイプ、偏
折「結局、社会的認知って何なの?」という根本的な問
見、感情、行動と、スタンダードなものが並んでいる。
を投げかけられることがある。質問の文脈に応じて「そ
著者ら 2 名で執筆していることの強みで、各章の構成に
れっぽい」答えを返すわけであるが、その文脈を取り
はおおまかな統一感がある。それぞれのトピックについ
払って「社会的認知とは何か」を自問すると、答えを絞
て古典的なアプローチとそれ以降のアプローチの問題意
ることは非常に難しい。本書は、優れた社会的認知のテ
識の変遷がわかるように構成してあり、研究の流れを把
キストであると同時に、この問題についてのフィスクと
握しやすくなっている(ただし、ヒューリスティック
テイラーの回答でもある。
(7 章)など、研究の枠組みが大きく変わっていない領
本書の特徴のひとつが、レビューされている個々の研
域についてはその限りではない)。各章で充実したレ
究の背後に暗黙裡に存在する人間観と対応づけられてい
ビューがなされているが、多くの研究を詳細に紹介する
る点である。編訳者あとがきにも強調されている点であ
というよりは、研究間の関連性を説明することに重点が
るが、1 章「導入」に示された、「一貫性追求者」「素朴
置かれているように感じられる。
科学者」「認知的倹約家」「動機づけられた戦略家」「駆
このように充実した内容となっている本書であるが、
動される行為者」の各モデルは、時代ごとの研究関心を
テキストとして用いる場合には注意が必要であろう。こ
要約した見取り図として機能する。これらのキャッチー
れから初めて社会的認知研究に接する初学者にはハード
なモデルの名前を知る人は多いだろうが、本書では各モ
ルが高い。例えば、2 章では冒頭に純粋な自動過程から
デルの内容だけではなくそれらの背景にある時代的な要
純粋な統制過程まで段階的に示した表が掲載されてい
請やその変遷についても説明があり、流れとして理解し
る。自動過程と統制過程についてのおおまかな知識があ
やすくなっている。このように時代ごとに異なる点に注
れば非常に有用なまとめであり、個別の研究についての
目した人間観に基づいた研究がなされているが、答えよ
理解も深まるが、事前知識がなければ理解が非常に難し
うとする問はひとつである。それは、社会的な対象につ
いだろう。
いての観察可能な刺激と観察可能な反応との間に介在す
では、初学者レベルを突破した読者が、自分の研究
るステップの性質を明らかにするということである。著
テーマについての知識を深めるべく専門知識を得るため
者らはこれが社会心理学全般の主要な目的のひとつであ
に用いる場合はどうだろうか。もちろん、本書の詳細な
り、社会心理学は広い意味では常に認知的であったと論
レビューはそのような用途に応えうる。とはいえ、レ
じている(p. 15)。
ビューの網羅性は、それぞれ個別のトピックの専門書に
2 章以降は、Part Ⅰ「社会的認知の基本的な概念」(2
一歩譲ることになるのは当然のことである。個別の専門
章∼4 章)、Part Ⅱ「社会的認知のトピック―自己から
分野の知識を深化させるだけであれば、専門書やレ
社 会 ま で―」(5 章∼15 章) の 2 部 構 成 と な っ て い る。 ビュー論文を当たるべきだろう。私見ではあるが、本書
特徴的なのは Part Ⅰで、「社会的認知におけるデュアル
の最大の強みは、社会的認知研究全般についての俯瞰的
モード」(2 章)、「注意と符号化」(3 章)、「記憶におけ
な視点を得られることである。個々の研究分野に関する
る表象」(4 章)からなっており、認知心理学から導入
知識量というよりは、個別の理論の見方・考え方を「繋
した概念を社会的対象について適用するための道具立て
ぐ」視点を提供するところに価値がある。その意味で、
について、個別のトピックに先立って説明がなされてい
大学院生など既に断片的に社会的認知に関する知識を持
る。評者の知る限り、この部分に 3 章もの紙幅を割いて
つ者が、その知識を構造化、体系化する手助けとして用
いる類書は例がなく、さらにトピック自体が比較的新し
いる際に最も有効であると思われる。研究活動が活発と
いデュアルモードだけでなく、注意や記憶についても最
なり、多くの研究が生産されていることの副作用とし
新の研究まで引用したレビューとなっており、社会的認
て、社会的認知研究の全体像は非常にわかりにくくなっ
知研究の思考様式を個別のトピックの前に概観できる構
ている。自戒を込めて言えば、個別の研究や理論の論理
成となっている。ただし、Part Ⅰは「ある程度わかって
構成を把握することで力尽きてしまい、他の理論との関
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連性をうまくマッピングできていないことも多い。洪水
のような研究の物量に圧倒され、個別の「ミニ理論」の
関連性を把握できなくなったときに、立ち止まって本書
を紐解けば、研究間を貫く視点のヒントを得られるだろ
う。
とはいえ、本書は引用文献を除いても 400 ページを超
える大著である。原著を精読するのはなかなかの大仕事
であり、「ふと立ち止まって」読むには腰が重くなるの
は、私だけではないだろう(と、思いたい)。本書の
「俯瞰性」は関連するいくつかの章をまとめて読んでこ
そ価値が増大することを考えれば、訳書として本書が刊
行されたことの意義は大きい。
最後に、本書への唯一の不満と期待について述べてお
きたい。本書の副題は「脳から文化まで」であるが、脳
と文化について独立した章が設けられているわけではな
く、各章の中で、社会神経生理学や文化心理学に関する
研究について言及する節が設けられている。脳や文化は
個別のトピックというよりは、社会的認知全般に関連す
る主要な視点と位置づけられているための構成であろ
う。引用されている研究はどれも重要なものであり、説
得力がある。ただ、本書を読む前に副題から期待してい
たのは「脳から文化までを貫く社会的認知の人間観」の
提示であった。残念ながらそれは示されておらず、関連
する脳や文化の研究紹介にとどまっていた。この点が唯
一本書に感じた不満であるが、これを本書の瑕疵と言う
のは少し厳しすぎるだろう。脳・文化・既存の社会的認
知研究を貫くような研究は近年増加しているが、原著の
出版年である 2008 年以降のものが多い。本書は原著第
3 版の訳書であるが、原著は 1984 年に第 1 版が刊行され
て以来、版を重ねるごとにその間の研究潮流を俯瞰した
新たな社会的認知の人間観が追加されている。本書で
は、脳と文化が重要であるという問題提起までがなされ
た。第 4 版も刊行されると信じているが、その際には文
字通り「脳から文化まで」俯瞰したレビューがなされる
ことを期待したい。
村上史朗(奈良大学)
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