新潟水俣病関連情報発信事業への豊高生参加報告記(その2) 2月15日(日) 15:00 水俣病資料館 1つめの見学 →16:00 親水護岸散策① 水俣病資料館 親水護岸散策② 悲劇の湾の埋立を説明する看板 有機水銀の汚泥が沈む水俣湾を埋立てた、 美しい「親水護岸」を散策 満潮時には海水に沈むステップにて 親水護岸散策③ 海に向かって立つ 「水俣病慰霊碑」 モニュメントの鐘の前で。亡くなった方 の鎮魂を祈りながら、打ちました。 この日の最後に、水俣病の原因となる有機水銀を36年間も排水し続けた百間排水溝 を見学しました。ここで、新潟県との交流を示す「お地蔵さま」を見つけ、同じ病気で 苦しんだ方々の思いを感じました。 2月15日(日)(初日) →百間排水口(旧水銀排水場)とそこに立つお地蔵さま 「百間排水口」は、水俣病原点の地です。 この排水口を通じて、1932年から1968(昭 和43)年まで、チッソ水俣工場から排出さ れたメチル水銀化合物により、八代海(不 知火海)一円に水俣病が発生しました。 百間排水口付近に堆積した水銀汚泥の厚さ は4mにも達しました。 百間排水口の水銀排出を説明する看板 左の石碑には、 「阿賀の岸から不知火のお地蔵様 水俣病事件犠牲者へ捧ぐ 鎮魂之聖地 遺恨浄土之地 慟哭永遠之地 …」 と記されています。 このお地蔵様は、同じ有機水銀によ る新潟水俣病が発生した阿賀野川で 採れた石に刻まれています。
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