[411]“一石二鳥”?“一石两鸟”? 成語・ことわざ雑記(9)

上野先生と歩こう 中国語遊歩道 『中国のことばと文化Ⅱ』
[411]“一石二鳥”?“一石两鸟”?
成語・ことわざ雑記(9)
(33)“放屎”では汚すぎる?
“矢”が同音の“屎”に通じるということで,吹きだしそうな話があります。「こんなことがあっ
たんですよ」と当時の放送局の内情に詳しい人から聞いた話です。
文化大革命中の当時,毛沢東主席が愛用したというので,“有的放矢”が至る所で使われました。
まと
誰が言いだしたのか,yǒu dì fang shǐ では「的をめがけてクソを投げつける」となってしまう。主席
のありがたいお言葉がこれでは恐れ多いから,“矢”を第 3 声 shǐ ではなく第 1 声 shī に読み替えよ
うというのです。実際にそんなふうに読み替えられたのかどうかは確認し忘れましたが,あの時代,
そんなことがまじめに議論されたことは事実のようですね。
(34)《应用汉语词典》は“一石两鸟”
先に“一石二鸟”は《现代汉语词典》第 6 版(商務印書館 2012 年 6 月)に至ってようやく中国語と
して認知されたという意味のことを記しましたが,これよりも早くこの成語を収録した辞典に《应用汉
语词典》があります。同じ商務印書館から 2000 年 1 月に出ています。編者は同社の辞書研究中心。
《现
汉》ほどの規範性はありませんが,《现汉》で解決できなかったことが,時にこの辞典で解決するこ
とがあって,わたくしは愛用しています。
厳密に言いますと,《应用汉语词典》が収めているのは“一石二鸟”ではなく,“一石两鸟”です。
釈義は《现汉》の“投一块石子儿打到两只鸟,比喻做一件事情,同时达到两个目的”に対して,“比
喻做一件事情能达到两方面的目的”と簡単ですが,趣旨に大きな違いはありません。
(35)中国語らしいのは“一石两鸟”
“一石二鸟”と“一石两鸟”,どちらが正しいとか間違っているとか言うつもりはありませんし,言
う資格もありませんが,成語として,より中国語らしいのは後者,すなわち“一石两鸟”のほうのよ
うに感じられます。
理由は簡単,
“二”は“第一”
“第二”……,或いは“一月”
“二月”……のように順序を数えるのに,
一方の“两”は“一个”
“两个”……,或いは“一点”
“两点”……のように数を数えるのに使われる
のが普通だからです。
「一石二鳥」の「二」は,言うまでもなく順序を言っているのではなく,二羽の
鳥の数を表しているのですから,
“一石二鸟”よりも“一石两鸟”のほうが中国語として落ち着きがよ
いのです。
(36)《现汉》“一石二鸟”は原語に義理立て?
“心无二用”
(一度に二つの事に心を使ってはならない)のように例外もありますが,“一清二楚”
“一干二净”などの形容詞を分離した強調表現や“一穷二白”
(一に貧窮,二に空白;経済的に立ち遅
れ,文化的に白紙に近い状態)などの“二”は,いずれも序数と解すべきものです。
一方,先に挙げた“一举两得”をはじめ,“一刀两断”(一刀両断;きっぱりと関係を断つ),“一身
两役”
(一人二役)
,
“三言两语”
(二言三言)などの“两”は,
“二”に置き換えられることはなさそう
です。
《现汉》が“一石两鸟”ではなく“一石二鸟”にほうを採用したのは,日本産の原語「一石二鳥」
を尊重してのことでしょうか。
2015/7/17
Ⓒ2015
一般財団法人日本中国語検定協会
無断で複製・複写・転載することを禁じます。