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環境考古学から見た北海道の将来
国際日本文化研究センター 教授 安田 喜憲
安田でございます。今日は皆様、雨の中、たいへん
足元の悪いところを多数ご参加いただきまして有難う
ございます。
今日は、先程恒松所長からご紹介ありましたように、
「環境考古学から見た北海道の将来」と言う話をさせ
て頂こうと思います。
アイヌの人々と和人
私の友人に浜名正勝さんという方がいらっしゃいま
すが、「北海道の縄文を考える会」というのを作って
おられます。北海道には縄文文化などあるはずがない
と、皆様長いこと思っておられたふしがあると思いま
す。ところが北海道では、渡島半島を中心として、す
ばらしい縄文時代の遺跡が続々と発見されておりま
す。青森県の三内丸山遺跡は皆様誰でも知っておられ
るわけですが、函館市の南茅部遺跡は北海道の人でも
世界最古の家族を作り命を大切にした縄文人
まだ知らない人がおられます。ところがこの南茅部遺
跡は三内丸山遺跡以上にすばらしいものなのです。
縄文土器というのは世界最古であります。最古の土
北海道に参りますとどうしてもアイヌの人々のこと
器は青森県津軽半島にある大台山元遺跡から出土した
が気になります。アイヌの人々が縄文の子孫であると
土器がいまのところ日本最古の土器である。津軽海峡
いうことは、間違いのない事実です。ところが、ここ
をはさんだ北の日本列島から最古の土器が発見されて
にいらっしゃる皆様をはじめ北海道の多くの方々のご
いる。日本列島で縄文人が最古の土器を作るわけです
先祖は、明治以降に本州から渡ってこられた方ですか
が、土器を作るということはどういうことか。土器を
ら、
「我々は和人であって、アイヌとは違う」
、とそう
作って鍋物を皆で煮炊きして食べるわけですから、移
思っておられるのではありませんか。しかし、中国大
動して暮らしているわけではない。ちゃんと家を造っ
陸に暮らす漢民族との違いでみたら、アイヌも和人も
て、定住をして、そして土器を作って皆で鍋ものをつ
実は全く同じ人種・民族に属することがわかってきま
ついて食べる。そのコアになるのは家族なのです。で
した。
すから世界最古の土器を使った縄文人は、定住生活を
和人は米を食べ、魚を食べる農耕民だ。ところがア
して世界最古の家族を作った人々なのです。
イヌの人々は狩猟採集民であって、農耕をやってはい
世界最古の家族を作ったこの縄文人は、生きとし生
ない。だから和人とは違うのだというのが今までの常
けるものの命に畏敬の念をもった人でもあります。こ
識であったと思います。しかし実は今日始めてここで
の地上にある山も川も海も、そしてそこに暮らす生き
提案いたしますが、東アジアという大きな視点でみれ
物達、全てに尊敬の念を持って、長い間暮らしました。
ば、アイヌも和人も同じであるということです。その
そして命を生み出す女性が大きな力を持った社会で
お話をまずしたいと思います。
す。男性は子供を産めませんが、女性は命を生み出す
ことが出来る。ですから土偶の100パーセントは女性
で、しかも妊婦です。縄文人にとって人生の中でもっ
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寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
とも重要だったのは、命が誕生し、成長し、そして死
た。
ぬ、その命の循環ということが、最も重要だったので
稲作漁撈民が一番大切にしたのは太陽です。太陽は
す。ですから縄文人が崇拝した動物の中には、蛇・セ
東の空から昇り、西の空に沈むのですが、昇るとき太
ミ、あるいは蝶などがあります。これらは脱皮をする
陽は誕生し、沈むとき太陽は死ぬのです。そしてまた
動物です。例えばセミは幼虫からサナギになって成虫
翌朝は新しい太陽が生まれ変わってくるのです。この
になる。何回か脱皮を繰り返すということは、命が生
太陽から始まって、宇宙の生きとし生けるものは、全
まれ変わるシンボルだったのです。この地上にある生
て命の再生と循環を繰り返している。これも縄文人と
きとし生けるものは、全て命の再生と循環を繰り返し
同じ世界観です。そして稲作漁撈民は、やっぱり縄文
ているという世界観を縄文人は持っていたわけです。
人と同じように大規模な殺し合いの戦争をしなかった
命を大切にした縄文人は、人間の命はもちろん、人
のです。例えば雲南省や貴州省の山の中に行きますと
間以外の生きとし生けるものの命をも大切にした。人
美しい棚田を作っている(図-1)。そしてここは、
間以外の、他者の命の輝きを見つめることが出来た縄
イ族の水田、ここはミャオ族の水田、ここはヨー族の
文人にとっては、人を殺すなどということはとんでも
水田というように、それぞれ言語も風習も文化も全然
ないことでありました。縄文人たちは集団で殺し合い
違う人々が隣り合って棚田を作っている。あるとき雨
の戦争をした事がないのです。
一万年以上もの長い間、
が降らず水の危機が起こります。最初は「自分たちの
実に平和で穏やかな時代が続いたのです。縄文は優し
水田に水をよこせ」と大騒ぎになりますが、最後には
い心を持った文明です。
「慈悲の心」あるいは「利他
ちゃんと和解する。殺し合いにまで発展しないのです。
の心」に満ち溢れた優しい穏やかな心に満ち溢れた文
稲作漁撈社会には、村八分があって、封建的な社会
明なのです。この地球上に暮らすのは生きとし生ける
だったと思っていらっしゃるでしょう。しかし村八分
ものと共に暮らすということが最高なんだという価値
というのは「このようなことをしたら村八分になりま
を持った文明だったのです。その生命の輝く文明の伝
すよ」というきびしい掟があるだけで、実際に村八分
統をもっとも後の時代まで継承したのがアイヌの人々
が起こったことはほとんどないのです。稲作漁撈社会
だったのです。
というのは実は大変穏やかで優しい社会なのです。米
を作るには人と人が水で繋がらなければなりません。
稲作漁撈民も同じ世界観を持っていた
自分の田に入ってきた水は自分のところのものであり
ますが、綺麗にして他人に返さなければなりません。
そのあとにやってきたのは稲作漁撈民です。この、
ですから稲作漁撈社会では絶えず他人の幸せを考えな
米を栽培して魚を食べる稲作漁撈民も、実は縄文の人
いと生きていけないのです。だから、どうしてもこの
達と同じ世界観を持っていました。
地球上の生きとし生けるものの命の幸せを考えて生き
まず稲作漁撈社会は、縄文の社会と同じく女性中心
なければならない。自分の欲望を100パーセント全開
なのです。稲作漁撈社会で一番威張っているのはおば
してしまったら、他人に迷惑がかかるから、そこに自
あさんです。今でも雲南省、貴州省などの少数民族の
稲作漁労民の家に行きますと、一番偉いのはおばあさ
んです。初穂と言って、稲の種もみにするような、初
めての稲穂を刈り取るのはおばあさんなのです。おば
あさんが田んぼから翌年の種もみにする最も大事な籾
を取って、かごに入れて、家に持って帰るのです。ヨ
ー族、ハニ族などの少数民族の家には稲籾のベッドが
あります(安田喜憲ほか『文明の風土を問う』麗澤大
学出版会 2004年)
。稲籾の中には稲魂といって魂が
ある。その魂を寝かしておくベッドがあるのです。そ
の隣におばあさんのベッドがあるのですが、おじいさ
んのベッドはないのです。稲作漁撈社会というのは、
実は縄文と同じく女性が頑張った社会なのです。そし
てそこではやっぱり命の再生と循環が重視されまし
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
図-1 貴州省の棚田
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分の欲望を達成しながら、皆と協調して仲良くやって
人が羊と山羊を連れて行くと瞬く間に森がなくなった
いくしかない。これが稲作漁撈社会なのです。
わけです。そして1920年までの、たった300年の間に
縄文から稲作漁撈社会へ繋がっている文明の伝統を
アメリカの森の80パーセントが破壊されたのです(図
一口で言いますと、命を大切にする、命の尊さを見つ
-2)。森が破壊されたということは、森の中にいる
める生命文明であるということです。だから今まで私
幾千幾万の生き物達の命が奪われ、森と水の循環系が
たちは、北海道の縄文の子孫であるアイヌの人と弥生
全部破壊されたということです。
人の子孫である倭人とは、全然違うと思っておりまし
中国も同じです。中国も稲作漁撈民としての我々の
た。ところがそれはまったく同じ世界観に立脚した
ご先祖と非常に近い考えを持った人々が、かつては住
人々だったのです。
んでいました。そのころ中国大陸の90パーセントが森
に覆われていました。中国は森の国だったのです。と
まったく異なった世界観をもつ人々
ころが4,200年前に今の漢民族のご先祖になる畑作牧
畜民が大挙して黄河流域から侵略してくると、瞬く間
私が何故そのことに気づいたかといいますと、この
に中国の森はなくなってきます。そして今、中国の森
世の中には、アイヌの人々や稲作漁撈民とはまったく
は全土の14パーセントしかありません。
違った世界観を持った人が沢山いるからです。そうい
う人々の代表を私は畑作牧畜民と言っております。羊
やヤギを飼って、麦を栽培してパンを食べて、ミルク
を飲んで、バターやチーズを作る人々です。このよう
な人々を畑作牧畜民といいますが、この人々の文明は
メソポタミアから始まります。それから地中海へ、地
中海からヨーロッパへ行き、ヨーロッパからアメリカ
へと畑作牧畜民の文明は拡大しました。そして現代の
世界を支配している文明が実はこの文明なのです。こ
の文明が辿った跡は、どこも禿山です。例えば地中海
を思い出してください。ギリシャ文明が反映したあの
地中海沿岸は、どこもかしこも禿山ですが、ギリシャ
文明が繁栄した時代に、ギリシャは豊かな森に覆われ
図-2 アメリカの森林破壊(安田、2002)
ていたのです。あるいはヨーロッパは17世紀の段階で
はヨーロッパの森の90パーセントが破壊されていたの
です。例えばイギリスでは90パーセント、ドイツでは
和人とアイヌの違いはない
70パ - セント、あるいは皆様がよく知っているアルプ
スの少女ハイジの風景のスイスは17世紀の段階ではほ
そういう視点から見ますと今、世界を支配している
とんど森が消滅していたのです。誰が消滅させたか。
アメリカや中国の漢民族、このような人々の世界観や
羊やヤギが全部喰っちゃったわけです。森がなくなる
価値観は、森と水の循環系を守り続け、生きとし生け
ということは、森の中の生きとし生けるものの命がな
るものとともに暮らしてきたアイヌの人々や稲作漁撈
くなり、そして水の循環系が全部消滅するということ
民とは根本的に異なった世界観を持っていると言える
です。現在あるヨーロッパの森は18世紀以降に植林し
でしょう。「自然はいくら収奪してもいい、自然をい
たものが大半なのです。
くら収奪しても自然は人間に怒ることはない、弱いも
1620年にメイフラワー号に乗ったアングロサクソン
のは強いものに支配されて当たり前だ。弱いものは神
の人達がアメリカへ渡ると、瞬く間にアメリカの森も
の罰を受けて弱いのだ。彼らが野垂れ死にしようと知
破壊されていきます。1620年まではアメリカは森の国
ったことではない」というのが彼らの考えです。
「豊
でした。巨木の国だったのです。巨木の森がアメリカ
かになり金儲けをするためなら、どれだけ森を破壊し
大陸にはいっぱいあった。その森の中でネイティブア
てもかまわない」と言って、彼らは徹底的に森を破壊
メリカンの人々、つまりアメリカインディアンの人々
していったのです。そのアングロサクソンや漢民族と
が暮らしていたのです。しかし、アングロサクソンの
の違いに比べたら、稲作漁撈民の子孫としての和人と
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寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
アイヌの人々の違いなどは微々たるものなのです。
和人とアイヌの人々の世界観と、アングロサクソン
や漢民族の世界観との間にはものすごくおおきなギャ
ップがあるのです。初めて私はそのことに気づきまし
た。今まで我々は和人とアイヌの人々は違うと思った
けれど、実はまったくの同類の人間だったのです。生
きとし生けるものの命に畏敬の念を感じて、自然を守
りながら、美しい大地の中で営々と生きようとする同
類の人間なのだということに気づいたのです。
年縞による過去の情報復元
アイヌと和人は同胞だと申し上げました。実は私は
図-3 秋田県一の目潟をボーリングする
先程、恒松所長からご紹介いただきましたように年縞
というものを研究しております。年縞は日本列島の各
地の湖から見つかっておりますが、北海道からはまだ
完璧なものが見つかっていないのです。ですから、こ
れから北海道の研究をしたいと思っております。図-
3が私たちが最近調査しております秋田県の目潟で
す。なまはげのある男鹿半島にあります。この目潟は
火山の火口湖・マールです。小さな湖ですが水深が深
く45mもあり、すり鉢状の形をしており、殆ど波が立
たないのです。ですから表層の酸素に富んだ水が湖底
まで届かず、湖底が無酸素状態になり、バクテリアと
かベントスのような底生生物が発生できない。どんな
湖でも実は年縞が出来ているのですが、こうしたバク
テリアやベントスなど底生生物が破壊してしまうので
図-4 秋田県一の目潟の年稿
す。目潟は小さな湖なのに水深が深いために、湖底に
まで酸素がとどかず、
底生生物が発生できないために、
見つけましたが、最初これはなんだろうと思いました。
美しい年縞が残ったのです。
縞々の模様がズーッと連続しているのです。この縞模
図-3のように湖に台船を浮かべボーリング機械を
様が1年に1本ずつ出来る年縞だということが判った
設置して、湖底の土を1mずつ取っていくわけです。
のですが、白と黒の縞模様で、白い層は珪藻という藻
しかし1mずつとっていきますが、一本だけでは、次
が春先に繁茂します(図-5)。黒い層は秋から冬に
の1m取るときに堆積物の欠落が起こります。それで
粘土鉱物が堆積します。だから白黒がセットになって
欠落をさけるために深度を変えて2本はぜったい掘ら
年輪と同じものを形成していたのです。白い層が年輪
なければなりません。今回は2本掘ってもうまくカバ
の春材・黒い層が年輪の秋材といっていいと思います。
ーできなかったので、3本掘ったのですが、同じよう
これが目潟の場合は10万年近く連続しているわけで
な地点で我々は3本の土を取って1㎜たりとも堆積物
すが、小学生の君達が生まれたのは上から10本目くら
の欠落のないコアを採取しました。1mのコアチュー
い、君達のお父さんは、30本目くらいで生まれ、おじ
ブはステンレスで出来ておりますが、今はステンレス
いさんは60本目くらいでの生まれです。それぞれ皆様
も高くなりましたが、これを惜しげもなく二つに切る
が生まれたときの年縞がきちんとこの湖には記録され
わけです。ステンレスのコアチューブを二つに切って
ております。これは不思議ですね。人間のDNAもバ
開きますと、図-4のような縞々の模様が見つかった
ーコード状です。この年縞は地球のDNAです。地球
わけです。
は何も物を言いませんが毎年、毎年の歴史をきちんと
我々は1991年にはじめてこの年縞を福井県水月湖で
湖のそこに記録しているのです。
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
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図-5 年縞の詳細(山田和芳氏提供)
図-6 長野県深見池の年縞(福澤、2002)
さらにそれをクローズアップしますと、図−5の右
年か経って白頭山が噴火しているわけです。それで十
のようになります。Aというのが白い層です。珪藻が
和田 a 火山灰と白頭山火山灰の間の年縞を細かく分析
大量に繁茂している層です。電子顕微鏡で見たもので
しました。そうしたら渤海が滅びてから後に白頭山が
す。Bが夏から秋にかけての移行期の層です。Cは秋
大噴火していることが明らかになりました。白頭山の
から冬にかけての層で殆ど珪藻のない粘土鉱物だけの
大噴火によって渤海が滅亡したのではないということ
層になっているのがわかります。ですからこの白黒の
がわかったのです。
層がセットになって年輪と同じものを形成していると
地震が起きますと周辺からいろいろなものが流れ込
いうことがわかったわけです。しかもこの中には花粉
んできます。あるいは大洪水が起きると周辺からいろ
の化石とか、珪藻の化石とか昆虫の化石、中国から飛
いろなものが流れ込んできますから年縞の厚さが変わ
んでくる黄砂なども大量に含まれているわけです。例
るわけです。これをタービダイトと呼んでおりますが、
えば花粉を分析することによって、過去の森の変遷が
このような厚い層が出来るわけです。地震や洪水の記
年単位でわかります。
森は気候と深い関係があります。
録も明らかにできるのです。これは1983年の日本海中
ですからこの花粉を分析することによって、過去の気
部地震の時にできたタービダイトです。これが1964年
候変動を年単位で復元できます。理論的には細かくや
の男鹿北西沖地震。これが1929年の男鹿大地震という
れば季節単位で復元出来るわけです。
風に、地震の記録も年縞には記録されています。それ
珪藻という藻を分析すれば、過去の水位の変動、例
からこの目潟には1915年頃に土木工事をして川の水を
えば日本海の海面の変動あるいは湖の水位の変動が年
一時的に入れたことがあります。それは公文書に残っ
単位で復元できるわけです。
水温の変動もわかります。
ておりますが、それが何年だったかわからないのです。
北朝鮮に白頭山という火山があります。西暦926年
明治から大正期の頃に土木工事があったということは
に渤海という国が突然滅ぶのです。どうして滅びたか
書いてありますが、その土木工事の記録が年縞に記録
というと、この白頭山の火砕流の14C年代を図ってみ
されていたのです。取水用のトンネルを掘ったために
ますと、西暦920年±40年とか50年とかという値が出
周辺の土砂が一気に入り込んで砂層が堆積していた。
ました。このことから、この白頭山の噴火と渤海が滅
その工事の跡がここに記録されていたのです。
亡したことは関係があるのではないかと言われてきま
それから図-6長野県深見池の年縞の分析結果で
した。渤海は東洋のポンペイだと僕等も最初言ってい
す。地震や洪水が起こると周辺から有機物が湖に流入
たのです。ところがこの目潟の年縞を分析してみます
して湖が富栄養化します。図-6は年縞の珪藻を分析
と、この渤海が滅亡したころに2枚の火山灰が見つか
して冨栄養化指数を求めたものです。するとこのよう
りました。十和田 a という火山灰と白頭山の火山灰で
にいくつかピークがあることがわかった。どうしてこ
す。十和田 a 火山灰はいつ噴出したかということが古
のような富栄養化のピークがいくつもあるのだろうと
文書に載っております。西暦915年に十和田湖が大噴
いうことで、この年代を年縞で決めまして、古文書か
火して十和田 a という火山灰が噴出して、それから何
ら洪水や地震の記録を調べてみた。例えば私は1946年
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寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
の生まれですがその年にもピークがある。この年に南
海地震が起きて長野県はこの地震の影響をもろに受け
たために、このようなピークが出来ていることが明ら
かとなった。あるいは1967年から、この深見池周辺で
は護岸工事が始まります。護岸工事が始まると大きな
ピークが3個出来ます。ここがちょうど護岸工事をし
たときです。護岸工事をしたことによって周辺からい
ろいろな有機物が湖底に流れ込んで、このような富栄
養化が起こったのです。3回護岸工事をしているので
すが、その痕跡が見事に年縞に記録されていた。
このように年縞は日本だけではなく、イスラエルの
死海というところにもあります。この研究も我々は行
っております。図-7がイスラエルの死海の年稿です
図-7 イスラエル 死海の年縞
が、実はこの青い年縞がなく厚い堆積層があるところ
が、先ほど申し上げました地震が起こって年縞がかく
ところ日本列島から長江流域にかけてのモンスーンア
乱されたときに形成されたタービダイトです。白と茶
ジアが世界の中で最も早く温暖化の影響を受けるとこ
褐色のセットで年縞が出来ておりますが、地震が起き
ろだということがわかってきました(安田喜憲『文明
たところだけには青い厚いタービダイトが堆積してい
の環境史観』中公叢書 2004年)。ヨーロッパなどは
る。この地震がいつ起こったかといいますと、ローマ
14,500年位前、つまり日本よりも500年くらい遅れて
の記録にフロビウスという人が紀元前31年に巨大な地
温暖化の影響が出るのですが、日本やモンスーンアジ
震があったと言うことを書いております。これを年縞
アの長江流域、こういったところは世界に先駆けて激
から数えていきますと、まさに紀元前31年の巨大な地
しく地球温暖化の影響を受けるのです。地球温暖化の
震に対応するわけです。それから、31本目。ここが紀
影響をもっとも激しく受けましたから、新しい生態系
元0年でイエスがお生まれになった年の年縞です。イ
が出てきます。その新たな生態系に適応するものとし
エスがお生まれになったときの年縞があるのです。イ
て土器が開発されたわけです。
エスがお生まれになった年の年縞の中に含まれている
これから21世紀、地球温暖化が起こりますが、その
花粉や珪藻を分析することによって、その時代の死海
ときにもっとも早く大きな影響を受けるのが日本を含
周辺の環境がどのような状態だったかわかるわけで
めたモンスーンアジアです。それはどうしてかという
す。花粉を分析しますと、当時は深いオリーブやある
と、気候変動を決定しているトリガーといいましょう
いはブドウそしてナツメヤシがたわわに実って美しい
か、引き金が太平洋にあるということが判ってきたか
森が今よりも広く存在したということがわかってきま
らです。海水温が変わるということが地球の気候を劇
した。イエスはこの死海も訪れておられるわけですが、
的に変えていくということが分かり始めてきたので
このイエスがお生まれになって、お歩きになったその
す。
当時の環境を復元することも、もはや出来るようにな
何故最古の土器を縄文人が作ったかというと、まさ
ってきたわけです。
にこの長江流域から日本列島を含めた地域が15,000年
前の地球温暖化のときに、いち早く大きな生態系の変
縄文人が先駆けた理由
化を受けるからです。これからの地球温暖化の時代も
我々も大きな生態系の変化を世界に先駆けて受けるこ
先程申し上げましたように、縄文土器というのは家
とを覚悟しなければなりません。
族を最初に作った証だと申し上げました。では何故、
地球温暖化によって危機に直面したとき、縄文人は
我々日本列島に暮らす人間は、世界最古の土器を作れ
何をしたか。そのとき縄文人は定住して土器を作って
たのか。その謎も年縞を分析することでわかってきま
家族を作ったのです。これはすばらしいことではあり
した。15,000年前に非常な大きな気候変動が起きるの
ませんか。今までは家族がないのです。狩猟し移動し
ですが、その大きな気候変動が起きるのを年縞を使っ
て暮らしていた。そこに地球温暖化で生態系の大変動
て、世界各地のものと比較してみたのです。そうした
が起こったときに、縄文人は家族を作ったのです。21
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
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世紀の地球温暖化の世紀に危機に直面するであろうと
き、我々は何をどんな新しい革命を起こすべきか。縄
文人は家族を作るというすばらしいことを成し遂げ
た。われわれ現代人も後世の人にああ素晴らしいもの
を作ったな、と言われるような革命を21世紀にやって
いかなきゃいけないわけです。
4200年前の気候変動と民族移動
年縞を分析して4,200年前に大きな気候変動があっ
たことも明らかとなりました。図-8は過去1万年前
の気候変動・海面変動を約20年の単位で復元したもの
です。9,000年前に大きな海面の上昇があり、4,200年
図-8 東郷池の年縞から復元した海面変動
前に気候が寒冷化するのです。その4,200年前の気候
(Kato et al.,2003)
の寒冷化によって、東アジアでは民族の大移動が引き
起こされたということがわかりました。4,200年前以
降に北の方から、先程申し上げました漢民族のご先祖
になる畑作牧畜民の人々が大挙して侵入してくるので
す。そうすると長江流域にいた稲作漁撈民が雲南省・
貴州省あるいは台湾に追い出されます。図-9の羽飾
りをつけた人がボートを漕いでいる絵は、弥生時代の
鳥取県淀江町の角田遺跡から出たものですが、追い出
された人々は羽飾りの帽子をかぶっていたのです。同
じように雲南省に逃れた人々も羽飾りの帽子をかぶっ
ていたのです。図-9の左にやはり羽飾りの帽子をか
ぶった人々が船を漕いでいる絵がしめしてあります
が、
これは雲南省の王国の遺跡から出土したものです。
王国は日本の弥生時代と同じころに繁栄した女王国で
図-9 4,200年前の気候変動と民族移動(安田、2008)
した。
篠田謙一氏がDNAを分析した結果(
『日本人にな
です。
った祖先たち』NHKブックス 2007年)
、4,200年前
これから少子化で老人介護してもらう人がいる。そ
以降、中国に拡大してきた漢民族は、お母さんからお
ういう人々を呼ぶときに誰を呼んだら良いかといった
母さんへ遺伝するミトコンドリアDNAのハプロタイ
ら、似たようなDNAを持った人を呼ばなければいけ
プにM8a という特異な遺伝子を持っていることがわ
ないわけです。漢民族の人は多分日本人を介護する気
かったのです。ところが周辺の民族、例えば雲南省の
はないと思いますが、こういう中国の少数民族の人々
少数民族・アイヌの人々は0パーセントだったのです。
や、東南アジアの人々のように類似したDNAを持っ
台湾の少数民族の人々は0パーセントで、沖縄の人も
た人々を日本にお呼びするのが良いのではないかと僕
0パーセントでした。そのような人々がアイヌや我々
は思います。
稲作漁撈民と同じ世界観を持った人間なのです。雲南
彼らは今でも鳥を崇拝しています。そして太陽を崇
省の小数民族は漢民族に追われた人々です。本土日本
拝しています。同じように台湾に逃げていった少数民
人は1.2パーセントちょっと多いわけです。何故多い
族のルカイ族ですが、上品な顔をしていますよね(図
かというと、そのあと中国や朝鮮半島経由で沢山の人
-10)
。ちゃんと鳥の羽の飾りをつけているでしょ。
が日本に来ていますから、混血がありますから、アイ
鳥を崇拝しているわけです。そして、図-11はルカイ
ヌの人よりは多少多いのですが、漢民族は8∼7パー
族の儀式の風景ですが見てください。アイヌの儀式に
セントものM8a という特異な遺伝子を持っていたの
非常によく似ている。アイヌの儀式の風景と同じだと
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寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
きたのか、これから検討しようと思いますが、その時
代にポロト湖周辺でも激しい森の破壊がありました。
特に森の破壊が大きかったのは、明治以降です。明治
以降の和人の開拓によって北海道の森は大規模に破壊
されていったのですが、それでもその森の破壊の程度
は、同じ時代の中国の黄土平原の森の破壊にくらべた
ら、小さなものでした。
黄土高原に漢民族がやってきた4,000年前ころ、黄
土高原は深い森に覆われていました。清代まで深い森
が部分的に残っていました。しかし今や一本の木もな
いのです。遠くに植林されたポプラがあるだけで、殆
ど森のない風景になっている。これに比べたら北海道
図-10 羽飾りをつけた台湾ルカイ族の女性
はまだ豊かな森が残っているわけです。あるいは、ア
メリカもひどかった。アングロサクソンがアメリカに
渡ってからたった300年で、アメリカの森の80パーセ
ントが破壊されたのです。だから倭人がやってきて北
海道の森を破壊したといいますが、その破壊の程度は
アングロサクソンや、漢民族に比べてれば、微々たる
ものです。そこに我々とアングロサクソンや漢民族と
は根本的に違う何かがあると思うのです。
倭人とアイヌの人々は森と水の循環を守り、そして
生きとし生けるものの命に畏敬の念を持ちながら生き
てきた同胞であるということです。その同胞はどこに
いるか。それは台湾の少数民族であったり、あるいは
雲南省や貴州省の少数民族であったり、東南アジアの
人々なのです。こういう人々が我々の同胞なのです。
図-11 ルカイ族の儀礼
M8a というミトコンドリアDNAをもたない人が、
我々の同胞なのです。
言ってもよい。そして彼らは、ムックリといってアイ
ヌの人が使う楽器を使うのです(図-12)
。 言うま
でもなくアイヌの人々が一番崇拝したのはシマフクロ
ウでした。アイヌの人にとって一番大事な神様は、熊
よりもシマフクロウなのです。鳥を崇拝しているので
す。漢民族に追われて雲南省や貴州省に逃れたり台湾
や沖縄さらには東南アジアへ逃れた人々こそ日本列島
に稲作を伝えた稲作漁撈民で、アイヌの人々と同じく
鳥を崇拝し、太陽を崇拝する世界観をもっていたので
す。
そのアイヌの人々が住んでいた時代の環境というの
は、最近、北海道のポロト湖というところの花粉分析
の結果明らかになってきました。アイヌの人々が暮ら
していた1663年には、このポロト湖周辺は深い森に覆
図-12 ムックリを使うルカイ族の人々
われていました。それがわずか4年後の1667年には、
3分の1以下にまで森が破壊されていくのです。これ
は何があったのか判りませんが、伊達藩の人がやって
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
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だけではなく、住むところも追われ、生きる尊厳さえ
市場原理主義による命の世界の破壊
奪われる社会が生まれたのです。「貧しい人間は神の
罰を受けて貧しい、ゆえに彼らは罰せられなければな
現代の文明を支配しているアングロサクソンの人々
らない、罰せられるべきである」、「彼らがいくら野た
が考え出したのが市場原理主義社会です。市場原理主
れ死のうと、ホームレスになろうと知ったことではな
義社会というのは19世紀のイギリスで誕生しました。
い」という市場原理主義の社会がこの日本に現出した
マルサスという人が人口論という本を書きました。彼
のです。
の思想は「貧しい人間は神の罰を受けて貧しい、ゆえ
市場原理主義社会には、もう一つ大きなマイナスの
に彼らは罰せられなければならない、罰せられるべき
側面がありました。それは貧しい人を収奪しようとも、
である」というものです。だから「彼らがいくら野た
自然をいくら収奪しようともかまわない。弱者を収奪
れ死のうと、ホームレスになろうと知ったことではな
することに対して道徳的な倫理規範をこの市場原理主
い」という考えです。これが市場原理主義の原点にあ
義はもたないということです。自然を収奪することに
る格差を肯定する思想です。この市場原理主義の原点
対して、罪悪感を感じる人がまったくいない市場原理
にある考えによって、イギリスの貧しい人・スラム街
主義のもとで、どれだけの自然が破壊されたことか。
の人々は、それまで以上に貧しい状況に追い込まれて
これが市場原理主義の現実なのです。
いきました。
ところが日本の社会は伝統的にはそうではありませ
そこで、その現状を見てエンゲルスやマルクスが「貧
ん。自然を一方的に搾取することは許されませんでし
しい人のために立ち上がらなければいけない」と言っ
た。山菜を取りすぎたら困るから、翌年のためにも残
て、あの社会主義革命を始める思想を作り始めたわけ
しておこうとか、人の幸せの為を考えながら、全部自
です(金子晋右『文明の衝突と地球環境問題』論創社
分が取ってしまうということはやらない。自然を収奪
2008年)。しかし社会主義革命も心の中に恨みを持っ
しすぎるということは神の意思・天の意思に反すると
ているわけです。金持ちを何とかしてやっつけて自分
いうことを、みんなどっかで知っているわけです。
が世界を握ろうという社会です。怨み、怒りから始ま
ところがアングロサクソンの社会はそうではありま
った思想は人類を幸せには出来ないのです。だから社
せん。森を徹底的に破壊しつくした民族ですから、た
会主義社会は潰れてしまいました。そして今や資本主
った300年の間にアメリカの森の80%を破壊できた民
義社会の原点である市場原理が世界を支配したので
族なのですから、世界の森を破壊するなんてのは簡単
す。
なことなのです。そういう人々が作り上げた経済市場
日本には縄文時代以来、この小さな日本列島の中で
原理主義が最高の原理であると言って、そして日本に
お互いがお互いをいたわり合いながら生き続けるとい
導入して、その結果いまや非正規雇用の人々がどれだ
う、優しい文明の伝統があったにも関わらず2,000年
け増えていますか。そして不景気になったら弱者が切
から構造改革が推し進められていきました。そして伝
られて、彼らはホームレスになって、明日から生きて
統的な日本の社会のよさを全部切り捨てて、全てアメ
いく道さえないような時代なってきた。こんなことが
リカ並みにとやってきた。改革しなければ世界に遅れ
アメリカでは常態化しているわけです。我々日本人は、
る、
「改革なくして成長なし」という脅し文句に踊ら
これだけ非正規雇用の人が増え、ホームレスの人が増
されて、日本人は今までの日本の社会が縄文時代以来
えたら可哀想だと思う心をまだどこかの片隅にもって
培ってきたすばらしい伝統をすべて破棄した。たとえ
いる。しかしアメリカでは当たり前のことなのです。
ば日本の会社は終身雇用だった。どんな小さな会社で
もちゃんと終身雇用だった。企業はちゃんと社会的責
格差社会は環境を破壊し汚染する
任を果たしていた。
ところが構造改革の旗手たちは、
「こういう社会は
1970年代にアメリカの教授になられて意気揚々と凱
駄目だ、時代遅れだ。アメリカを見なさい。皆、自由
旋された日本人の教授の第一声は「安田君、日本はス
競争の社会ではないか、このようにしないと日本は遅
ティンキーだね」ということでしたと。スティンキー
れる」と庶民を脅して、構造改革に走っていった。そ
つまり「うんこ臭い」ということです。当時私は広島
の結果、大量の非正規雇用の社員が生まれ、アメリカ
大学に在職していました。まだ水洗トイレも十分では
の金融破綻で景気が悪くなると、簡単に首を切られる
なく、日本はうんこ臭いところだ、はずかしいと思っ
12
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
た。ところが今や、ニューヨークの地下鉄に乗ると、
ました。それでも復活するのに42年かかりました。今
小便臭くてかないません。
ロンドンの地下鉄に乗ると、
やっと180羽くらいになりまして大空を舞っておりま
小便臭くてかないません。何故臭いのか。それはホー
す。今年でしたか、子供も生まれたわけです。野外で
ムレスの人がその地下鉄の中で小便やうんちをするか
放っておいたら、つがいが子供を生んだのです。そこ
らです。市場原理主義をどんどん推し進めて行った結
までいくのに、40年前の豊かな自然を復活するのに40
果、
ほんの一握りの金持ちだけは豊かになりましたが、
年かかっているのです。40年前はどこでもいた大空を
残りの大半の人は極貧の生活に今アメリカ社会は追い
舞うコウノトリを観光バスが何台も連ねて、土・日曜
やられようとしているのです。そんな社会を作っては
日ともなると近畿一円の人がコウノトリを見に来るの
いけないというのが縄文人、そして弥生人の考えなの
です。市長さんは賢いからコウノトリ米を作って、通
です。
常の価格の4倍で売っているわけです。また有機栽培
それで我々日本の社会は伝統的に巨大な貧富の格差
の大豆で豆腐を作っています。これが一丁1,000円も
を生まないように、社会システムをうまく運営してき
します。しかも4丁セットでしか売らないから豆腐を
たわけです。ところが構造改革の名の下に、それらを
買おうと思ったら4,000円もするのです。そのような
全て破壊してしまった結果、このような体たらくな事
豆腐が飛ぶように売れているわけです。いまや本州以
が起こっていると思います。
勿論よい面もありました。
南の人々は、その高度経済成長期以前の豊かな自然と
金持ちにとってはよかったでしょう。あるいは銀行の
人間が生き生きとしていた時代、その時代を何とか復
不良債権が短期間に解決できたというよい面もあった
活しようとしています。そうすると子供や老人が元気
かもしれませんが、
しかし貧しいものが切り捨てられ、
になるのです。これは不思議です。ですから豊岡市の
地方が切り捨てられ、北海道のような地方が構造改革
子供達はうつ病にかかったり、不登校になる子は一人
の余波を受けて非常に苦しい状況におかれているとい
もいないのです。皆元気で自分達で有機栽培の米を作
うことです。
ったりしているわけです。
私はここに21世紀の我々のあるべき、進むべき道が
40年前の自然と人間の関係を復活する
あると思います。北海道は放っておいても良いといえ
ば失礼ですが、たとえば釧路に丹頂鶴がいっぱいいま
このような社会をどうすれば変えることが出来るの
すが、丹頂鶴は開発が進んだらあっという間にいなく
か。21世紀に我々は何をすればいいのか。どうすれば
なっていくわけです。そのいなくなった世界をもう一
この問題を解決して日本人が幸せに暮らすことが出来
度取り戻そうと思うと、豊岡のコウノトリと同じよう
るのか。
に40年以上かかるのです。命はぐくむ世界を復活する
その提案の一つが、命を育む世界を復活するという
ことが、21世紀に我々が心豊かに生きていく一つの知
ことです。40年前の日本に戻れば良いのです。高度経
恵だと思います。そして同時に我々の祖先が、営々と
済成長期以前の日本に我々が勇気を持って戻るので
培ってきた縄文時代以来、そして稲作漁撈社会時代に
す。そして高度経済成長期以前の美しい自然と人間の
培った、この生命文明の伝統と私は言っておりますが、
循環系を取り戻して、その命あふれる世界の中で新し
命をいつくしむ生命文明の伝統(安田喜憲『生命文明
い時代を創造していくのです。命をはぐくむ世界を復
の世紀へ』第三文明社 2008年)をもう一度復活する
活する。これが21世紀、我々に与えられたおおきな課
ということが必要なのです。北海道は明治以降クラー
題だと思います。
ク博士の西洋文明の伝統をひとつの柱にしてきまし
実は北海道は40年前に復活しなくとも良いのです。
た。これはいいことです。しかし、今はそれだけでは
現状を維持するだけでも十分なのですが、本州以南は
もう駄目なのです。
もう環境も悪くなりました。例えば兵庫県の豊岡とい
うところは、コウノトリを復活しようとしているので
市場原理主義の見直しが始まった
す。40年前はどこでもいた鳥です。そのコウノトリを
復活させようと皆が考えました。コウノトリは水田の
ほんの最近まで市場原理主義が最高の経済システム
ドジョウやあるいはカエルを食べます。それらが農薬
だと言われておりました。例えば曲がったキューリは
に汚染されていては駄目ですから、豊岡の街全部を無
スーパーで売れない。よく太ったキューリは流通に乗
農薬にしまして、有機栽培にしてコウノトリを復活し
らないわけです。サイズが大きすぎる。でもキューリ
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
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はがんばって大きくなったのだから、そのキューリこ
海道が輝く時代になると、僕は思います。
そほめられていいはずなのに、何故中くらいのキュー
リしかスーパーで売れないのですか。このような馬鹿
地球温暖化と右肩上がりの危機
なことがまかりとおっている。あるいは日本では森林
資源がいっぱい余っているにもかかわらず、安い外材
そして2番目、右肩上がりの危機という問題です。
をどんどん導入しています。これは安いということだ
やはりこのような縞々の模様はグリーランドにもあり
けです。市場原理の下ただ安いということだけで、日
ます。3,000mの氷をボーリングしますと、氷の中に
本の森林は腐って、なけなしの森のない国から、森林
も縞々の模様が見つかります。氷は冬に出来て夏に解
を日本に輸入しているのです。このようなことがまか
けますから、密度の違いがあって縞々の模様が出来る
り通るような市場原理主義社会は見直さなければなら
のです。年縞と同じようなものが出来るのです。それ
ないのです。
で、この氷の中に含まれている気泡は過去の空気です。
それを見直すことが出来るのは実は日本人をおいて
昔の空気を分析することによって、過去を分析します。
他にいないのです。先進7ケ国の中でこういう市場原
図-13は南極のボストークの氷の分析結果ですが、過
理主義とは違う命の大切さに目覚めた、生命文明の伝
去40万年の気候の変動、CO2濃度の変動がわかって
統に目覚めた国民がいる国は日本しかないのです。中
おります。そうすると地球は約10万年の周期で氷期と
国の漢民族の人は我々とは違うDNAである、と先程
間氷期を繰り返しています。地球の特性は周期性なの
申し上げましたね。彼らもまったく違うアングロサク
です。その温暖な間氷期のCO2濃度は、300ppm 以
ソンと同じ世界です。
「森をいくら破壊してもかまわ
上高くなったことは一度もありません。ところがいま
ない、自分達の金儲けのためなら森林をどんどん収奪
や381.2ppm です。そして今世紀末には1100ppm にな
してなにが悪い」という考えです。それに対して「ち
るといわれます。このような異常な時代に我々は生き
ょっと待て、それほど自分が生きている間に金儲けを
ているわけです。この右肩上がりというのは、地球の
して意味があるのか。むしろ目の前にある森、目の前
リズムとはまったく相反しているということです。C
にある生きとし生けるものの命を守って、子孫に伝え
O2が温暖化ガスであるかどうかは、私はもう少し検
ることのほうが大切ではないか」ということに、国民
討しなければならないと思っておりますが、もし温暖
のほぼ全体が気づいているのが日本なのです。
化ガスであるとすれば、今世紀末には最大6.4度上が
今こそ日本が新しい経済システム、新しい文明のシ
るといわれます。6.4度上がるとどうなるか。例えば
ステムを作らなければならない。アングロサクソンや
1.5度上がれば世界が水不足に直面します。2度上が
漢民族の作ったような市場原理システムはもう破綻し
れば生物の多様性が2分の1に消滅します。さんご礁が
ているのです。これをさらにこれに追随しようとする
絶滅するといわれています。3度温度が上がると、グ
ような考えはもう止めることです。それが出来るのは
リーンランドの氷河が消滅します。ここが怖いのです。
どこか。東京は無理でしょう、市場原理主義で彼らは
3度以上温度が上がったとき、人類の破滅のシナリオ
金儲けしたのですから。市場原理主義で成功しなかっ
が展開していくでしょう。4度近くなれば人類は極め
たところ、つまり市場原理主義のわりを食ったところ、
痛めつけられたところ、そこの人々こそ市場原理主義
の弱さ・悪さを知っているところ、それはどこかとい
うと北海道です。
日本列島の中で北海道・沖縄の人々が一番この市場
原理主義の中で痛めつけられたのです。その悪さを一
番良く知っているわけです。これはひょっとしたら日
本の風土に合わないのではないかと体験的にも感じて
いる。その心を基本にして新しい経済システム、新し
い文明、新しい社会というのを北海道から作るのです。
それは人によっては違ってもいいと思います。僕は命
の輝く文明、生命文明を目指してはどうかと提案して
いるわけですが、その面において21世紀というのは北
14
図-13 過去40万年間のメタンと CO2の変動(安田、2008)
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
がグリーンランドですがフィヨルドは今、氷の海なの
です(図-14)。溶けた氷がフィヨルドを埋め尽くし
ています。図-15の、ガイドがいるとこは1994年まで
氷があったのです。今や200m以上氷河が後退してい
ます。2006年6月の夏に僕が、スェーデン国王とグリ
ーンランドを訪れたときですが、グリーンランドはも
うちょっと寒いかと思ったら夏のような風景が展開し
ていました。もしこのままいけば2050年、一番の危機
は2020年から2030年、ここを境にして食料や水にエネ
ルギーの危機が起こります。そして2050年に、我々は
大量死の時代を迎える可能性があります。
こういう社会をどうすれば止めることが出来るか。
図-14 グリーンランドのフィヨルドを埋めつくす氷河
右肩上がりというのは日本の100歳以上の人口にも表
れています。1965年には100歳以上の人は殆どいなか
ったのです。いまや25,000人近くいるのです。100歳
以上生きてもらうのはいいのですが、人口が右肩上が
りというのは良くないのです。生きている人はだれか。
殆ど女性です。おばあさんの社会です。2001年と2002
年を境にして、非正規雇用、つまりパートタイムの人、
これがいかに急増しているか。非正規雇用の人が急増
している、これは構造改革によってこのような不安定
な社会が今作られつつあるのです。厚生省が予測した
2030年の世帯の変化ですが、独居老人、おばあさんで
すが、717万3千世帯あるのです。独居老人ばかり、
おばあさんばかりの社会。これが2030年に日本では出
現するのです。そのときに何が起こるか。水の危機が
図-15 急速に融解するグリーンランドの氷河
起こるのです。これは間違いありません。2020年から
2030年に、水の危機が起こります。そして日本では、
て大きな影響を受けて、5度以上になったら人類は絶
巨大な台風や災害がやってまいります。そこにはおば
滅すると思います。グリーンランドの氷河が仮に3度
あさんばかりがいて、独居老人がいる、そういうとこ
の上昇で溶けるとします。溶けたらどうなるか。それ
ろに巨大な災害が襲ってこようとしているのが未来の
は深層水の循環が止まると言われています。今は北極
シナリオなのです。
で冷たい氷が北大西洋の水を冷やし、冷やされた水は
4度になって重くなります。酸素をいっぱい含んで深
右肩上がりを拒否した日本人
層水に沈みこんでいくわけです。そして北大太平洋で
上がってきて、また沈んでいくという循環を繰り返し
そういう水の危機に直面する現代に対して、右肩上
ているわけですが、氷がなくなると4度に冷やされな
がりの社会を拒否したのは誰か。それがアイヌであっ
くなり、この深層水の循環が止まり、海がドブのよう
たり稲作漁撈民であったりしたのです。アイヌや稲作
になって、海底が無酸素状態になって、海の生き物が
漁撈民は右肩上がりの社会を拒否しました。その代表
全部死滅して、そこからメタンが出てきて、最悪のシ
が天武天皇です。天武天皇は、685年に式年遷宮を得
ナリオが起こる可能性もあるわけです。
なさいといったのです。どういうことかというと、伊
先程恒松所長からも、ご案内があったように地球温
勢神宮の内宮(図-16)を20年ごとに移し変えるので
暖化の影響をもっとも受けるのは緯度の高いところで
す。そのときに20年前と同じ大きさで、同じ方法で造
す。高緯度地帯がもっとも大きな影響を受けて、そし
りかえなさいと、言ったのです。1300年前にですよ。
てグリーンランドでは急速に氷が溶けています。これ
本来なら、右肩上がりでどんどん大きなものを造れと
寒地土木研究所月報 特集号 2008年度
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いうでしょう。そうではないのです。20年前と同じ大
きさのものを、同じ方法で造れと。それで、伊勢の人
は20年ごとにこれを繰り返してきたのです。その重要
な意味が長いこと判らなかったのです。その20年ごと
に同じ物を作る意味の大切さというものを、この2050
年に我々は大量死を迎えなければならないかもしれな
いときに、初めてその重要性がわかったのです。
アイヌの人の教え、稲作漁撈民の教え、20年ごとに
お社を造るということは、お父さんが式年遷宮をやれ
ば、次は子供、そして次の式年遷宮は孫という風に、
20年ごとにお社を建て替えることをできるということ
はこの美しい地球で生き残ることが出来るということ
です。同じ事を繰り返すことが出来るのです。
図-16 伊勢神宮の内宮
でも今は、100億の金を貯めても子供の時代に森が
なくなって、生きることが出来ないような時代を作っ
てはだめです。そこにストップを掛けなければいけな
いのです。ところが市場原理主義はそうではなく、自
分が生きているときだけ金儲けをすればいいと。トウ
モロコシをエタノールに変えて、自分が車を動かす必
要がある。しかしトウモロコシをエタノールに替えた
ために、アフリカではトウモロコシの値段が高くなっ
て餓死者が出ている。そんなこと知ったことか。これ
が今の世界をリードしている文明の社会なのです。そ
の社会を変えないと駄目なのです。伊勢神宮の人は、
この式年遷宮のために植林をしていますが、このヒノ
。これはどうい
キに2本の線が入っています(図-17)
うことですか、と聞いたら、この木は200年後に切る
図-17 200年後に切るヒノキ
木なのです。つまり今も2050年に現代文明が崩壊する
かもしれない。人類さえどうなるかわからないと話を
しているときに、伊勢の人々は200年先を信じて生き
ているのです。自然を信じ、そして人間を信じて我々
は生きてきた。これがアイヌの人々、
縄文の心であり、
そして弥生の稲作漁撈民の心です。その社会をもう一
度我々は取り戻さなければいけない。自然を信じるこ
とは人間を信じることができるのです。そして200年
先も我々の子孫も営々とこの美しい地球で生き残るこ
とが出来るような、そういう社会を作っていかなけれ
ばならない。これが21世紀に生きる我々に課せられた
大きなテーマだと私は思うのであります。前半の3分
の1しかお話が出来なかったですけど、もっともっと
お話したかったのですが。今日は時間が1時間という
ことでしたので、ちょっと時間がオーバーして本当に
申し訳ございません。私の講演をこれで終わりたいと
思います。どうもご静聴有難うございました。
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