アリストテレス生物学における胚に関する考察 ―『動物の発生について』を

アリストテレス生物学における胚に関する考察
―『 動 物 の 発 生 に つ い て 』 を 中 心 に ―
野村雄一
( 哲 学 専 門 /博 士 前 期 課 程 )
Ⅰ
本 稿 で は ア リ ス ト テ レ ス の 『 動 物 の 発 生 に つ い て ( De generatione
a n i m a l i u m )』( 以 下 、 G A ) 1 に お け る 胚 ( κ ύ η μ α , ἔ μ β ρ υ ο ν ) の 身 分 を 明 ら か
に す る こ と を 試 み る 。ア リ ス ト テ レ ス 生 物 学 の 発 生 理 論 に お い て 、胚 は 、
雄 が 提 供 す る 精 液 2( σ π έ ρ μ α ) と 雌 が 提 供 す る 月 経 ( κ α τ α μ ή ν ι α ) か ら 生 じ
るものである。人間は、この胚が変化することによって生じて、胚の変
化後の生物の個体として見なされる状態、すなわち胎児の状態において
は、胚として存在したものは何も残らない。
しかし、アリストテレスの哲学体系においては、青銅や木材のような
質 料 ( ὕλη) は 変 化 を 被 ろ う と も 、 そ の も の と し て は 存 在 し 続 け る 。 例 え
ば 『 自 然 学 ( P h y s i c a )』( 以 下 、 P h y ) の 1 . 7 で 論 じ ら れ て い る よ う に 、 青
銅が像へと加工される場合、青銅はその形態を変えながらも、青銅とし
ては存続する。一見する限りでは、青銅のような質料と胚の間には存在
論的に差異があるように思われる。なぜならば、前者は変化後も存続す
るが、後者に関しては変化後において何も残らないからである。果たし
1
以 下 、 ア リ ス ト テ レ ス の 著 作 に 関 す る 言 及 は す べ て 、 Oxford Classical
Te x t に 基 づ く 。
2 鈴 木( 鈴 木 大 地 , 2 0 1 4 , p . 8 , 「 ア リ ス ト テ レ ス『 動 物 発 生 論 』の 現 代 生 物 学 ・
科 学 哲 学 的 検 討 Ⅰ ― 1 巻 第 1 章 ~ 第 16 章 ― 」 , [筑 波 大 学 大 学 院 人 文 科 学 研 究
科 古 典 古 代 学 研 究 室 .]) が 指 摘 し て い る よ う に 、 σπέρμα と い う 語 に は 2 つ の 観
点 か ら 注 意 を 払 わ な け れ ば な ら な い 。第 1 に 、ア リ ス ト テ レ ス が 想 定 し て い る
σ π έ ρ μ α は 、現 代 で 理 解 さ れ て い る よ う な 、精 液 を 指 示 す る も の で は な い 。σ π έ ρ μ α
と い う 語 は 、「 精 液 」 や 「 種 子 」、「 子 の も と に な る も の 」 を 指 示 す る よ う な 、 広
い 意 味 を 持 つ 語 と し て 理 解 さ れ な け れ ば な ら な い 。第 2 に 、σπέρμα は 、雄 が 固
有 に 出 す も の で は な く 、雌 が 出 す も の で も あ る 。ア リ ス ト テ レ ス は 、雌 が 出 す
月 経 が 精 液 に 相 当 す る も の 、 か つ 、 純 粋 で な い 精 液 で あ る と 理 解 し て い る
( G A . 7 2 7 a 2 , 7 2 8 a 2 8 - 3 1 , 7 3 7 a 1 )。 月 経 の 具 体 的 な 性 質 に 関 し て は 、 後 述 を 参 照
されたい。
56
て、アリストテレスは胚をどのようなものとして措定していたのか。す
なわち、人になる前に存在する胚は青銅のような質料と区別されるもの
であるのか、その存在論的な身分は何であるのかという問題となるだろ
う。
本 稿 の 流 れ は 、次 の 通 り で あ る 。第 1 に 、GA に お い て 胚 は い か に し て
発生するのかを確認する。具体的には、胚が発生する際に、重要な要素
となる 2 つ、雄の精液と雌の月経の本性とそれらが果たす役割を確認す
る 。第 2 に 、F r e e l a n d の 論 文 3 、“ A r i s t o t l e o n b o d i e s , m a t t e r , a n d p o t e n t i a l i t y. ”
を参照した上で、胚の存在論的身分を明らかにする。具体的には、生殖
において胚は、質料として捉えられるものではなく、非存在から生物と
し て の 個 体 に 至 る ま で の 過 程 の 1 つ で あ る 、と い う こ と を 示 す 。第 3 に 、
本稿の重要な論点を整理し、本稿では扱うことができなかった問題を今
後の課題として提示する。
Ⅱ
最初に、胚がどのように発生するのかということを確認する。アリス
トテレスは、胚の発生のための不可欠な要素として、雄の精液と雌の月
経を挙げている。彼によれば、雄の精液と雌の月経は、発生に関してそ
れぞれ異なる役割を担っている。それらの本性と役割は、以下のように
定義されている。
Semen
1 . 血 液 の ( 最 終 的 栄 養 分 ) 過 剰 物 ( π ε ρ ί σ σ ω μ α ) で あ る ( 7 2 7 a 2 6 - 2 7 )。
2 . 形 相 ( ε ἶ δ ο ς ) と 運 動 ( κ ί ν η σ ι ς ) の 原 因 で あ る ( 7 2 9 a 1 0 )。
3 . 栄 養 的 魂 、 感 覚 的 魂 を 有 す る ( 7 3 6 a 3 5 - 3 6 , 7 4 1 a 5 - 7 )。
4. 雌 の 体 内 に 入 る と 、雌 の 過 剰 物 の 最 も 純 粋 な 部 分 を 子 に 形 成 す る も の
で あ る ( 7 3 9 a 6 - 7 )。
3
F r e e l a n d , C . A . , 1 9 8 7 , “ A r i s t o t l e o n b o d i e s , m a t t e r , a n d p o t e n t i a l i t y. ” , A . G o t t h e l f
and J. Lennox( eds.) , 1987, pp. 392-407.
57
Menses
1. 血 液 の 過 剰 物 で 、 精 液 に 相 当 す る も の だ が 、 精 液 に 比 べ て 不 純 物 で あ
る ( 7 2 7 a 2 - 4 , 7 2 8 a 2 6 - 2 7 )。
2 . 質 料 の 原 因 で あ る ( 7 2 7 b 3 1 - 3 2 , 7 2 9 a 1 0 - 1 1 )。
3 . 栄 養 的 魂 を 有 す る ( 7 3 6 a 3 5 - 3 6 )。
以 上 は 、精 液 と 月 経 の 共 通 し た 特 徴 と 異 な る 特 徴 を 明 ら か に し て い る 。
まず、その本性が血液の過剰物であるという点は、精液と月経に共通し
た性質である。このことは、月経が精液の一種であり、精液に相当する
ものであるという点から了解される。次に、それぞれの役割が互いに異
な る 点 は 、 精 液 が 形 相 4を 、 月 経 が 質 料 を 提 供 す る と い う 点 、 お よ び 精 液
が栄養的・感覚的魂を、月経が栄養的魂だけを有するという点である。
アリストテレスによれば、生殖において月経がもたらす質料は生物の基
礎的な土台であり、精液がもたらす形相は、生物を生物にさせる原理で
ある。いずれの要素も、個体の生殖の必要不可欠なものであり、どちら
かが欠けても生殖が成立することはない。とくに個体発生においては、
形相が果たす役割は重要である。この点について、アリストテレスは次
4
雄 が 提 供 す る 形 相 の 内 実 に 関 し て は 多 く の 解 釈 が あ る 。 例 え ば B a l m e( 1 9 8 7 ,
“ A r i s t o t l e ’ s B i o l o g y w a s n o t E s s e n t i a l i s t . ” , A . G o t t h e l f a n d J . L e n n o x( e d s . ), 1 9 8 7 ,
pp.291-312.)は 、GA.4.3 で 論 じ ら れ る 遺 伝 理 論 が GA.2 の こ の 発 生 の 議 論 の 延
長 線 上 に あ る と 解 し た 上 で 、精 液 が 目 や 髪 の 色 彩 や 性 別 な ど の 偶 発 的 性 質 を 含
ん だ 形 相 を も た ら す と 理 解 す る 。 Balme の 解 釈 に 対 し て 、 Witt( 1985, “Fro m,
Rep r o d u c t i o n , an d I n h e r i t ed Ch ar a ct er i st i c s i n Ar i st o t l e’s Ge n e r a t i o n o f An i ma l s. ” ,
P h r o n e s i s , Vo l . 3 0 0 , p p . 4 6 - 5 7 ) は 、 G A . 2 と G A . 4 . 3 の 議 論 を 切 り 離 し 、 精 液 が
も た ら す 形 相 に は 偶 発 的 性 質 が な い と 異 議 を 唱 え る 。 Witt が 指 摘 す る よ う に 、
胚 が 未 分 化 の 状 態 で あ る 以 上 、そ こ に 性 別 や 身 体 的 特 徴 を 見 出 す こ と が で き な
い た め 、精 液 が も た ら す 形 相 に は 偶 発 的 性 質 が な い と 考 え ら れ る 。本 稿 は 、W i t t
の形相の解釈に賛成するものとする。
58
のように強調している。
[…] ὅσα φύσει γίγνεται ἢ τέχνῃ ὑπ' ἐνεργείᾳ ὄντος γίγνεται ἐκ τοῦ
δυνάμει τοιούτου. τὸ μὲν οὖν σπέρμα τοιοῦτον, καὶ ἔχει κίνησιν καὶ
ἀρχὴν τοιαύτην ὥστε παυομένης τῆς κινήσεως γίγνεσθαι ἕκαστον τῶν
μορίων καὶ ἔμψυχον. οὐ γάρ ἐστι πρόσωπον μὴ ἔχον ψυχὴν οὐδὲ σάρξ,
ἀλλὰ φθαρέντα ὁμωνύμως λεχθήσεται τὸ μὲν εἶναι πρόσωπον τὸ δὲ σάρξ,
ὥσπερ κἂν εἰ ἐγίγνετο λίθινα ἢ ξύλινα.[…] σκληρὰ μὲν οὖν καὶ μαλακὰ
καὶ γλίσχρα καὶ κραῦρα καὶ ὅσα ἄλλα τοιαῦτα πάθη ὑπάρχει τοῖς
ἐμψύχοις μορίοις θερμότης καὶ ψυχρότης ποιήσειεν ἄν, τὸν δὲ λόγον ᾧ
ἤδη τὸ μὲν σὰρξ τὸ δ' ὀστοῦν οὐκέτι, ἀλλ' ἡ κίνησις ἡ ἀπὸ τοῦ
γεννήσαντος τοῦ ἐντελεχείᾳ ὄντος ὅ ἐστι δυνάμει ἐξ οὗ γίγνεται κλπ.
[…] 自 然 本 性 、 あ る い は 技 術 に よ っ て 現 実 態 に お い て 生 じ る も の
は 、可 能 態 に お い て そ の あ る も の [ 質 料 ] か ら 生 じ る 。と こ ろ で 、精 液
は 、運 動 と そ の 運 動 の 始 原 を 持 つ の だ が 、[ 精 液 の ] 運 動 が 止 ま る と 各
部分が魂を有したものになるようなものである。なぜならば、それ
が魂を有していないならばそれは顔や肉ではなく、それらが消え去
っても「顔であり、肉である」のは、名目上で言われているからで
ある。これは、ちょうど石や木が「顔」や「肉」となった場合と同
様 で あ る 。 […] と こ ろ で 、 熱 さ や 冷 た さ が 硬 さ や 柔 ら か さ 、 粘 り や
もろさ、また魂を有する部分に属する、別の受動的な諸性を作り出
す こ と が で き る だ ろ う が そ れ に よ っ て 或 る も の が 肉 で あ り 、或 る も
のが骨であるというその本質をもはやすでに作り出すとこができな
い。むしろ、完全現実態においてあるものの作る者に由来する運動
が 作 り 出 す 。そ の 完 全 現 実 態 に お い て あ る も の は 、[ 子 が ] そ こ か ら 生
じ る と こ ろ の も の [質 料 ]が 可 能 態 に お い て あ る と こ ろ の も の [成 体
の 形 相 ] で あ る ( G A . 7 3 4 b 2 0 - 3 5 )。
59
( []は 筆 者 の 補 足 5)
以上の記述は、生物の発生に関する 2 つの重要な事実を明らかにして
いる。第 1 には、質料だけでは生物として成立しないという点である。
月経が栄養的魂を有している以上、少なくとも、栄養摂取ができるとい
う 点 で 一 定 の 生 命 で は あ る が 6 、そ れ だ け で は 動 物 と し て 見 な さ れ る 条 件
を満たしたことにはならない。第 2 には、生物として見なされるために
は、精液が提供する形相が必要であるという点である。形相、あるいは
魂が質料に伴っていなければ、身体全体は構成されず、その機能を発揮
す る こ と が で き な い と い う 見 解 は 、 G A だ け で は な く 、『 形 而 上 学 』 に お
い て も 見 出 す こ と が で き る ( GA.738b27, 741a1 ; Met.1035b14, 1037a5,
1 0 4 3 a 3 5 - b 2 )。
このような精液と月経の特徴に基づいて、それらが混合状態になった
際 、そ こ に 月 経 が 胚 と 呼 ば れ る 状 態 に な る 7。こ の 月 経 が 精 液 に よ っ て 胚
と 呼 ば れ る 状 態 8 に 至 る と い う 現 象 は 、非 存 在 か ら 存 在 へ の 移 行 で あ る と
いえる。なぜならば、月経と精液が結びつくことで、生物の資格を持た
ない月経が生物としての条件を満たしたものになるからである。この胚
という状態は、いくつかの段階を経ることで、存在するものである胎児
へと移行する。ここで問題となっていることは、この胚がどのようなも
のとして捉えるべきか、あるいは存在論的にいかなる身分を持っている
のかということである。
5
補 足 に 関 し て は 島 崎 ( 島 崎 三 郎 , 1969, 『 ア リ ス ト テ レ ス 全 集 :9』 , [岩 波 書
店 . ] ) を 、 ま た 訳 に 関 し て は B a l m e ( 1 9 7 2 , A r i s t o t l e ’s D e p a t i b u s a n i m a l i u m Ⅰ
a n d D e g en e r a t i o n e a n n i m a l i u m Ⅰ ( w i t h p a s s a g es f ro m Ⅱ . 1 - 3 ) , O x fo r d . ) を 参
考にした。
6
で
料
7
混
8
あ
G A . 7 3 0 a 3 0 - 3 3 に お い て 言 及 さ れ て い る よ う に 、鳥 類 の 雌 は あ る 程 度 ま で 独 力
子 を 生 む が 、そ の 卵 は 雄 の 助 け が な い の で 不 完 全 な も の に な る 。つ ま り 、質
だけでも一定の生殖能力を有している。
ア リ ス ト テ レ ス の 発 生 モ デ ル は 、今 日 で い う と こ ろ の 未 受 精 卵 に 雄 の 精 液 が
入し、その未受精卵が受精卵となるという想定に近いだろう。
胚 に お い て も 、初 期 段 階 や 完 成 し た 段 階 が あ る と い う 点 は 留 意 さ れ る べ き で
る。この点に関しては後述を参照されたい。
60
次 の 議 論 で は 、 Freeland の 解 釈 を 踏 ま え た 上 で 、 こ の 問 題 を 分 析 す る
ことにする。
Ⅲ
目下の問題となっている胚の存在論的な身分を検討する上で、はじめ
にその身分の候補となるのは、質料であろう。しかし、胚を質料と捉え
るこの見解にはある困難がある。すなわちそれは胚が胎児へと至ると、
胚の一切の特徴が欠落するという困難がある。本来、青銅のような質料
がヘルメスの像へと変化する場合においても青銅はそれ自体として存続
するが、胚は何も残さない。この点において、胚を質料と同定できない
困難がある。上述の観点から、胚に質料の身分を与えることはできない
だろう。
次の胚の身分の候補は、胚を変化の過程として捉えるという見解であ
る 。F r e e l a n d に よ れ ば 、胚 は 、実 体 と し て 数 え ら れ る べ き も の で あ る わ け
ではなく、むしろ雄の精液の働きによって月経が調理された推移の結果
で あ り 、 プ ロ セ ス の 一 部 で あ る と い う 9。 こ の 見 解 の 最 大 の メ リ ッ ト は 、
胚を実体として見なす必要がないという点にある。人間が胚から変化す
るという点に困難があるから、胚を変化の過程として理解することはそ
の 困 難 を 回 避 す る こ と が で き る 。 す な わ ち 、 胚 の 存 在 論 的 な 身 分 は 、「 過
程」である。
しかし、果たして、胚が何かの過程であるならば、何から何になる過
程であるだろうかという疑問が生じるだろう。これについては、胚は非
存在から存在への過程であるということができる。なぜならば、単独で
は生命の資格のない月経は、精液の提供する形相と混合状態になること
によって、生命としての資格を持ったものになるからである。そして、
ここで注意されるべき重要な点は、月経が精液に内在する形相によって
胚という状態になったと同時に非存在から存在になるというわけではな
いという点である。
9
Freeland, ibid, p. 403.
61
τέλειον δ' ἤδη τότ' ἐστὶν ὅταν τὸ μὲν ἄρρεν ᾖ τὸ δὲ θῆλυ τῶν κυημάτων.
胚 の 内 で 雄 か 雌 が 存 在 す る と き に 、 [胚 は ]も は や 完 成 で あ る
( G A . 7 3 7 b 1 0 - 1 1 )。
上記の記述は、少なくとも、胚に 3 つの段階があることを含意してい
る。精液と月経が混合状態になることによって、月経が胚という状態に
移行した際、その状態においては雌雄を見出すことができないような未
分 化 な 状 態 で あ り 、発 生 の 初 期 段 階 で あ る 。こ れ が 、第 1 の 段 階 で あ る 。
こ の 状 態 は 、発 生 過 程 の 途 中 で あ る 。そ こ に は 身 体 の 諸 器 官 も 見 ら れ ず 、
それは生物の個体として見なされ得ず、すなわち未だ非存在である。そ
して、第 2 段階は、胚が自らを自らで育て、身体の各部分を構成する段
階である。このことについて、アリストテレスが言及している 2 つの箇
所を引用する。
Ὅταν δὲ συστῇ τὸ κύημα ἤδη παραπλήσιον ποιεῖ τοῖς σπειρομένοις. ἡ
μὲν γὰρ ἀρχὴ καὶ ἐν τοῖς σπέρμασιν ἐν αὐτοῖς ἐστιν ἡ πρώτη· ὅταν δ'
αὕτη ἀποκριθῇ ἐνοῦσα δυνάμει πρότερον, ἀπὸ ταύτης ἀφίεται ὅ τε
βλαστὸς καὶ ἡ ῥίζα.[...] καὶ ἐν τῷ κυήματι τρόπον τινὰ πάντων ἐνόντων
τῶν
μορίων
ἀποκρίνεται
δυνάμει
πρῶτον
ἡ
ἡ
ἀρχὴ
καρδία
πρὸ
ὁδοῦ
μάλιστα
ἐνεργείᾳ.[...]
ὅταν
ἐνυπάρχει.
γὰρ
ἀπ'
διὸ
ἀμφοῖν
ἀποκριθῇ δεῖ αὐτὸ αὑτὸ διοικεῖν τὸ γενόμενον καθάπερ ἀποικισθὲν
τέκνον ἀπὸ πατρός.[...] διὸ πρῶτον ἡ καρδία φαίνεται διωρισμένη πᾶσι
τοῖς ἐναίμοις· ἀρχὴ γὰρ αὕτη καὶ τῶν ὁμοιομερῶν καὶ τῶν ἀνομοιομερῶν.
ἤδη γὰρ ἀρχὴν ταύτην ἄξιον ἀκοῦσαι τοῦ ζῴου καὶ τοῦ συστήματος ὅταν
δέηται τροφῆς· τὸ γὰρ δὴ ὂν αὐξάνεται.
胚がすでに確立した場合、種を蒔かれたものに似たことをする。
な ぜ な ら ば 、最 初 の [ 生 長 の ] 始 原 は 、種 子 自 身 の な か に 内 在 し て い る
62
からである。この始原が、可能態においては以前に内在していたの
だ が 、 分 離 さ れ る 場 合 、 こ の 始 原 か ら 若 枝 や 根 が 出 て く る 。 […] こ
の仕方で胚においても、あらゆる部分が可能態において内在してい
て 、始 原 は [ 生 長 の ] 過 程 の 最 も 先 に あ る 。そ れ 故 、最 初 に 心 臓 が 現 実
態 に お い て 区 別 さ れ る 。 […] な ぜ な ら ば 、 子 が 父 か ら 離 れ る の と 同
様 に 、 胚 は 自 身 で 自 分 を 管 理 し な け れ ば な ら な い か ら で あ る 。 […]
それ故に、あらゆる有血動物において、心臓が最初に区別されて現
れてくる。なぜならば、それが等質部分や異質的部分の始原だから
で あ る 。と い う の も 、[ 生 長 す る も の が ] 栄 養 を 必 要 と す る 場 合 、心 臓
が動物、または組織体の始原と呼ばれるのにもはや適しているから
で あ る 。な ぜ な ら ば 無 論 [ 生 物 と し て ] 存 在 す る な ら ば 、そ れ は 生 長 す
る だ ろ う か ら で あ る ( G A . 7 3 9 b 3 3 - 7 4 0 a 2 1 )。
以上の記述で重要な点は、胚
10
が自己を生長させる原理である心臓を
持つという点、また、その心臓から身体の様々な部分を作り出すという
点である。つまり、第 2 段階は、心臓を由来として胚が身体を構成させ
る過程である。この段階を経ないと、胚は第 3 段階へ移行することがで
き な い 。そ し て 第 3 の 段 階 、す な わ ち 、最 終 段 階
11
は 、雌 雄 が 決 定 さ れ る
段階である。この際に個体の存在は確定されて、胚という過程は完了す
る。
Ⅳ
本 稿 で は 、G A に お け る 胚 の 身 分 に 関 す る 吟 味 を 行 っ た 。そ の 論 点 を 整
理すると、以下のようになる。第 1 の論点は、胚が生じる際には雌の月
経と雄の精液の 2 つが重要な要素となるという点である。前者は生物の
土台を提供するものであり、後者は質料を生物に足らしめる形相を提供
10
こ こ で 注 意 す べ き 点 は 、 胚 ( κύημα, ἔμβρυον) と い う 言 葉 が 多 義 的 で あ る
点である。ここで言及されている「胚」は、過程としての胚ではなく、変化
しつつある月経を意味している。
11 身 体 の 各 部 分 が 構 成 さ れ な い 限 り 、 性 別 も ま た 決 定 さ れ る こ と が な い か ら
である。
63
するものである。この 2 つが混合する場合、そこに胚が生じる。第 2 の
論点は、胚が実体として見なせるものではなく、生物としての個体に至
るまでの過程の 1 つであるという点である。つまり、胚の身分は、精液
と月経が混合した直後、胚が未分化であるときから、胚が性別を獲得す
るまでの過程である。
本 稿 で 取 り 扱 っ た GA.2 に お け る こ の 個 体 発 生 の 理 論 は 、 GA.4.3 で 説
明されている遺伝理論と密接な関係性を持っている
12
。な ぜ な ら ば 、胚 の
発生の初期段階においては、胚が未分化な状態であるため、そこに偶発
的 性 質 、あ る い は 親 の 身 体 的 特 徴 を 見 出 す こ と は で き な い が 、一 方 で は 、
胚が完成した段階においては、胚には雌雄があり、偶発的性質があるか
らである。ここで問題となるのは、次の 3 点である。
第 1 は、発生議論において精液が提供する形相はどのような身分であ
る の か と い う 点 で あ る 。 Balme は 、 そ の 形 相 を 髪 の 色 や 性 別 な ど の 偶 発
的 性 質 を 含 ん だ も の と し て 理 解 し て い る 。 一 方 、 Wit t は 、 形 相 に 対 す る
Balme の 見 解 に は 困 難 が あ る と 主 張 し 、 偶 発 的 性 質 を 含 む 形 相 を 否 定 す
る 。 GA.2 の 精 液 の な か の 形 相 が 何 で あ る の か 。 こ の 点 は 吟 味 さ れ な け れ
ばならないだろう。
第 2 は、性別や親の身体的特徴を決定する原理である精液や質料は遺
伝 に お い て 具 体 的 に ど の よ う に 働 い て い る の か と い う 点 で あ る 。 GA.4.13 で は 、 雌 雄 の 決 定 や 遺 伝 理 論 に つ い て 論 じ ら れ て お り 、 GA 全 体 に お い
て 非 常 に 難 解 な 箇 所 の 1 つ で あ る 。こ れ ら に つ い て の 、W i t t や H e n r y 1 3 ら
の研究は未だ不十分であり、さらなる検討が必要である。
第 3 は 、 胚 を 非 存 在 か ら 存 在 へ 至 る 「 過 程 ( κ ί ν η σ ι ς )」 と し て 理 解 し た
が 、 こ の κίνησις の 定 義 は 、 Phy で 定 義 さ れ て い る κίνησις と 符 号 す る の
12
Witt は 、 GA . 4 . 3 の 議 論 を GA . 2 の 延 長 線 上 に あ る と 解 す る Bal m e を 批 判 し 、
個 体 発 生 と 遺 伝 の 議 論 を 別 々 に 捉 え る 。し か し 、本 稿 は 、胚 の 完 成 し た 段 階 に
お い て 、胚 が 雌 雄 を 見 出 す こ と が で き る と い う 点 、ま た 雌 雄 の 決 定 が G A . 4 . 3 の
遺 伝 理 論 に 関 わ る と い う 点 に お い て 、 GA.4.3 と GA.2 の 議 論 を 切 り 離 す と い う
Wi t t の 解 釈 に は 疑 問 の 余 地 が あ る 。
13
H e n r y, D . , 2 0 0 6 , “ A r i s t o t l e o n M e c h a n i s m o f I n h e r i t a n c e . ” , J o u r n a l o f H i s t o r y
o f B i o l o g y , Vo l . 3 9 , p p . 4 2 5 - 4 5 5 .
64
か と い う 点 で あ る 。 Freeland は 、 Kosman14の 論 文 に 依 拠 し た 上 で 、 GA.2
の 発 生 の 議 論 と P h y の 議 論 を 結 び つ け る が 、K o s m a n の 解 釈 に は 多 く の 反
論 が あ り 、 そ れ 故 、 そ れ に 依 拠 し た Freeland の 解 釈 も 反 論 の 対 象 に な る
よ う に 思 わ れ る 。そ こ で 、改 め て P h y に お け る κ ί ν η σ ι ς の 定 義 と 比 較 し な
が ら 、 GA の κίνησις を 精 査 し な け れ ば な ら な い 。 以 上 の 3 つ の 点 は 、 今
後の検討すべき課題としたい。
14
K o s m a n , L . A . , 1 9 6 9 , “ A r i s t o t l e ’ s d e f i n i t i o n o f m o t i o n . ” , P h r o n e s i s , Vo l . 1 4 , p p .
40-62.
65