~カンボジアでの出会いから学んだこと~

~カンボジアでの出会いから学んだこと~
1班(佐藤健人 出村菜奈 吉川香蓮 磯貝映奈 永渕沙也花)
はじめに
私達の班は、カンボジアで出会った人々をテーマに学んだ
ことや感じたことをまとめました。異国の地で生まれ育っ
た私達日本人とカンボジアの人々がこうして出会い、時間
を共に過ごしたことは奇跡のような確率です。彼らから学
んだことや気づかされたことは帰国後も忘れる事のない、
日々を生きる活力でありつづけています。
現地の大学生とも
交流をしました!
かものはしプロジェクト
工房で作られた
い草製品!
私たちは、6日目にかものはしプロ
ジェクトの工房見学に行きました。
かものはしプロジェクトとは、現地
の村でNPO団体が中心になって運営
されています。主な活動の内容は、
農村で貧困に苦しむ女性たちに仕事
の機会を提供し、職を持つことで女
性たちの生きる力を磨き、自分の意
思で将来を歩めるようなソーシャルサ
ービスを実施することです。このコミュニティファクトリ
ーで作られる商品は、全て女性たちの手作りで、主に「い
ぐさ」を材料として商品が作られていました。「いぐさ」
商品が完成するまで6つの工程に分けられていて、特に技
術を直接生かせるミシン工程は女性たちの中で一番人気が
ありました。私たちも「いぐさ」を使って小物入れを作る
体験をさせていただきました。「いぐさ」を編んでつくる
作業はとても難しく繊細な作業でした。現地で働く女性は
とても手先が器用である印象を受けました。また、働くだ
けではなく工房では、クメール語の読み書きなどの識字教
室や結婚・出産後でも働けるように託児所があり、栄養バ
ランスを考えた給食の提供もありました。
アンコールワット
ツアーの終盤でもある滞在7日目に
私達はカンボジアの誇る世界遺産、
アンコールワットを訪れました。ア
ンコールワットとは12世紀前半に建
築されてから現代に至るまでの長い
歴史を博する遺跡です。その壮大さ
や遺跡を囲む広大な自然によって栄
える遺跡を見学する中で、私達はポ
ルポト政権時代の痕跡が残った首から上が破壊された数多く
の仏像を目にしました。そしてポルポト政権時代はカンボジ
アについて学ぶ上で欠かせない歴史であると実感しました。
また、アンコールワットを始めとするあらゆる観光地を巡る
中で感じたのは、観光地化し有名になる一方で寺院としての
荘厳さを保ち続ける現地の人々の努力でした。その姿から、
カンボジアはこれから先、発展を遂げながらも自身が長年守
り続けてきた伝統や歴史を大切にする国であって欲しいと強
く願いました。
カンボジアの子どもたち
私たちはSOIDという名の孤児院や電気が
通っていないタオム村、トンレサップ湖
に浮かぶ水上村などを訪れ、非常に多く
の子どもたちと出会いました。
子どもたちや施設・村の方々との交流に
よってカンボジアが抱える多くの問題に
ついて知見を広げることができました。
例えば、教育に関する問題が挙げられま
す。「教育問題」には教師の人手不足や学校の不足、初等教育
以上の教育が不十分であることなど、数多くの諸問題が含まれ
ており、それらの解決には多くの困難があるということでした。
しかし、私たちが交流を通して学んだことはそれだけではなく、
子どもたちはみんな笑顔で溢れ、活力がみなぎっていたという
こともまた知ることができました。国民の大半を子どもが占め
るカンボジアは、これから益々発展をしていくのだろう、そう
感じてなりません。
カンボジアと地雷
トゥン・チャナレット氏
カンボジアには内戦時代から残る数多くの
地雷が未だ埋まっています。最近は、国民
の地雷についての知識や警戒をしっかり持
つようになったため、地雷の被害は少なく
なりつつあります。それは、自身が地雷の
被害者であり、自らの経験を語りながら地
雷撲滅の取り組みをするノーベル平和学者
CMAC センター⻑
であるトゥン・チャナレット氏や、地雷除
去活動を行う団体CMACの力添えにあるのです。私達は、トゥン
さんとの交流とCMAC地雷センターに足を運びお話を伺う機会を
もらいました。CMACのセンター長のお話では、2019年には地雷
を完全に除去することが目標であるが、地雷の除去には莫大な費
用がかかるため、2000万ドル以上の資金が必要だといわれてい
ます。しかし、最近では先進国の支援が別の国へ移ってしまって
いるため、その目標が達成されるかは厳しい状況であるとのこと
です。
ツアーガイド 制覇さん
夢は叶うと思えば、必ず叶う!
私たちがカンボジアで過ごした8日間ずっ
と付き添いをして下さったのがツアーガイ
ドの制覇さんです。流暢な日本語と人当た
りの良さが魅力的な方です。しかし、そん
な制覇さんも現在に至るまでに過酷な生活
で苦難を強いられてきました。家が貧しか
ったという制覇さんは今でこそシェムリア
ップ市内で1番背が高いそうですが、幼い頃は栄養失調でとても小さ
かったといいます。マラリアにかかったり、友人が不発弾の爆発で吹
き飛ばされた所を目の当たりにしたこともあるそうです。17歳の時、
日本村で日本人に出会ったことがきっかけで日本語の勉強を始めたそ
うです。何度も挫折しそうになったといいます。やがて努力が実を結
び、現在は観光客のガイドをする傍ら、小学校を建てるなど様々な活
動を行っています。苦しい時代も乗り越えた制覇さんが発する一つ一
つの言葉はとても重く、私たちに大切なことをたくさん気づかせてく
れました。