エッセイ05 愛車がうんていに・・・・・・・ 免許証を取得したのは、高校3年生の時だ。勿論当時は今のように車があふれている時 代ではなかった。では、何の免許証かというとバイクの免許証(原付第 2種で排気量が125ccまでのバイクに乗れた)である。私の家は酒店 をしていたが、この頃は、次第に電話が普及しだし、お客さんは電話 で商品の配達を頼むようになってきていた。また、私の父は私が高校 1年生の時に、中風で半身不随になってしまったので、お客さんへの S40年の冬 配達は兄弟たちで行っていた。で、必然的に私もバイクの免許を取ったという訳だ。 学校へも時々バイクで通った。当時、バイクで学校に乗り込むのは、私しかいなかった。 友人たちからはよく「一回貸してくれ。」と頼まれた。その頃は、学校までの道が全て砂 利道だったので、バイクに乗って学校に着く頃は、学生帽から学生服にかけて前の方だけ が砂埃で白くなっていたことを思い出す。というような訳で、車の免許も大学の1年生の 時に取らされた。また、大学が長い休みになると、実家に戻り配達の手伝いをしたり、商 売をしている人に頼まれて運転手のアルバイトをしたりした。 さて、私が初めて自家用車を買ったのは、就職した次の年の2月だった。この頃、私は 土曜日になると大泉学園からしょっちゅう姉夫婦の住んでいる奥多摩町まで、バスや電車 を乗り継いで出かけていた。洗濯物を詰め込んだバックを持って・・・・・。正確な時間 は覚えていないが、大泉学園から姉夫婦の所に辿り着くまでに2時間くらいはかかってい たのではないかと思う。電車やバスを利用していると、どうしても発着の時間が気にかか る。また、その頃私は、アパートから自転車で20分くらいかけて通勤していた。お天気の いい日はいいが、雨が降ったり寒い日は気が重くなることもあった。そこで一念発起して 中古車を買うことにしたのだ。購入したのはダイハツのコンソルテという1,000ccの車 で、およそ24万円だった。この車に1年くらい乗って次に手を出したのが、ニッサンのサ ニー1200だ。Mが免許を取るために練馬の谷原教習所に通い始 めたのは、ちょうど私がこの車を手に入れた頃だった。 春休みのあるの日、私はアパートにいてもつまらないので、 現在の愛車:ISUZUアスカ 学校に出かけた。私の他にも何人かの若い職員が出勤していた。 私たちが雑談しているところにMもやってきた。色々な雑談をしている内に話は巡り巡っ てMの教習所通いの話になった。Mは教習所に通ってから既に一か月くらい経っていて、 次第に車を運転するのが楽しくなってきたころだ。話がどういう風に転んでそうなったか は記憶にないが、Mが校庭で私の愛車を使って運転の練習をすることになった。この学校 では、日曜日には児童たちに校庭を開放をしていたが、この日はうまい具合に校庭で遊ん でいる子は一人もいなかった。 愛車を学校裏の駐車場から校庭に運び、私は教習所の教官がするように助手席に座って、 Mにローはここ、バックはここ・・・・・とクラッチレバーの位置を一通り説明し、Mの 運転の様子を眺めた。Mは調子よく車を運転して校庭をグルグルと何回も回った。 校庭内だからスピードもそんなに出せないと思い、安心して足下に落ちていたドライバ ーを拾おうとして頭を下げた瞬間、ガツンと音がして愛車がうんていに正面衝突してしま った。どうしてこの広い校庭で・・・・?!それも隅っこの方にあるうんていに・・?! 本当に信じられないことが起こったのだ。愛車は、ボンネットとラジエーターが壊れ修理 に出す以外仕方がなかった。実を言うと愛車は、1週間ばかり前に定期点検を終えてきた ばかりだったのだ。Mとは友人である上、普段からとてもお世話になっている。この時ば かりは、本当に言葉が出なくて弱った。
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