こどもみらい館第3期研究プロジェクト 講評 研究アドバイザー 大倉得史さん 子どもの育ちの連続性研究プロジェクト 子どもの育ちに関するグループ 第3期は,保育の場と学校教育の場をつなぐキーワードとして,子どもの中に自信や自己肯定感をいか にして育むかという観点を中心に据えるところからスタートしたが,研究グループがまずぶつかったの は,そもそも自信や自己肯定感とは何かという問題だったようである。自信や自己肯定感の育成という と,しばしば「子どもに『○○ができた』という成功体験や達成感を味わわせる」とか, 「小さなことで も褒めて,子どもをその気にさせ,頑張る力を身につけさせる」といった安易な保育に傾いてしまう。そ こをどう脱却できるかに注目していたが, 「子どもの育ちに関するグループ」は,詳細なエピソード記述 とその検討会を繰り返して,乳幼児期における自信や自己肯定感の「かたち」とは一体どんなものか,そ してそれを育むためにどんな関わりをしていったら良いのかを, (少なくとも参加メンバーの手応えとし ては)かなり明確に掴めるようになったと感じる。 乳幼児期の自信とは,何かができたことで自分に価値があると感じるような「条件付きの自信」ではな く,何ができようが,何ができまいが,自分はありのままでここにいて良いのだという「無条件の自信」 である。また,それは子どもの内部に周囲から独立して存在するような「力」や「属性」ではなく, 「何 かができて嬉しいときにも,できなくて悲しいときにも,何もやりたくないときにも,自分の気持ちを分 かってくれる他者」の存在,他者への信頼感と不可分である。本来,個に閉じられたものではなく,周囲 に開かれたものである自信を,「子どもが安心して生き生きと暮らせているときの,その心もちの全体」 として捉えるに至ったのは,大きな成果だったと思われる。 したがって,ポイントはむしろ子どもが何かをできないとき,負の姿を見せたときに,いかにそれを受 け止めていくかという点にある。実際は「できないとき」ばかりが,自信が育まれる場面というわけでも ないのだが, 「できた場面」に注目しがちだった当初の反省を踏まえて,対照的な場面にあえて目を向け ていった戦略は,問題の中心をあぶり出すために有効だったのではないだろうか。 今後の課題としては,まず,こうして参加メンバーの手応えとして把握した自信のイメージを,いかに 他の保育者,教師,そして保護者に伝えていくかということが挙げられるだろう。N君のエピソードで言 えば, 「ありのままの姿でここにいていいんだ」 「先生は自分の気持ちを分かってくれる」 「先生と一緒だ と安心」 「先生大好き」 「これ,ちょっとやってみたい」 「それはもう自分でやるんだ」 「他の子と一緒に遊 ぶって楽しい」といった諸々の感覚が,すべて自信の一側面だということになる。 「自信とは○○ができ るという感覚のこと」といった固定観念を持っている人々に,これらの細かな感覚が発生してくる流れ と,それらが人々のイメージしているような自信へとつながっていくプロセスを,全体的な見取り図とと もに示せるかどうかということが,その際の一つの鍵になるように思う。 もう一つの課題は,自信や自己肯定感が子どもという個の内部に閉じたものではないことが明らかに なった今,子どもの「中」に自信や自己肯定感を育むことによって,保育と学校教育のギャップを乗り越 えさせるという発想を,一部見直していく必要があるということである。保育時代に,先生や周りの子と のあいだで育まれた自信(安心して生き生きと生活できる感覚)は,学校現場での人間関係のありように よっては,ついばまれてしまう可能性がある。諸々の学校不適応の原因のすべてを,子どもの中に自信や 自己肯定感が十分育っていなかったからという形で,子どもに帰属させるわけにはいかない。保育現場と 学校教育現場とで密に連携しあって,子どもを取り巻く人間関係のありようが連続したものとなってい くような配慮・工夫をしていくことが,実は子どもの自信・自己肯定感の育ちそのものなのだという視点 を持つことが重要であろう。その際の一つのキーワードは,もしかすると「地域」ということになってく るのかもしれない。そうしたより広い観点に立って,心の育ちの展開を跡付けていくことが,今後の目標 だろう。 保幼小連携グループ 保幼の5歳児と小学校の4年生による「いっしょにあそぼう会」という交流事業について,事前研,事 後研,当日の子どもの様子のエピソード検討会などを行っていくところからスタートした保幼小連携グ ループの課題は, 「交流事業が成功裏に終わり,子どもたちも楽しめた様子だった」というところから一 歩踏み込んで,一人ひとりの子どもの育ちにとって,それがどのような意味を持っているのかを明らかに していくこと――そのようなことを,中間報告会で指摘した。そう言いながらも,内心, 「交流事業だけ に注目していても,子どもの育ちの連続性を保障していくことは難しいのではないか」といった思いを抱 いていたのだが,後期には,Q君という1人の男児について,幼稚園でのエピソードと小学校での様子に ついて情報交換をし,その育ちの連続的展開を見ていこうとする検討会が実現した。まず何よりも,その こと自体が,これまでの交流事業を中心とした保幼小連携から,個々の子どもの育ちを連続的に取り押さ えていくための真の保幼小連携への,大きな一歩であったように思う(もちろん,前者が不要だと言って いるわけではなく,後者の文脈の中で前者の意味を探っていくことが,真に求められることであろう)。 また,その検討会の中で,小学校側が保育の現場に期待することと,保育の現場が大切に育みたいと思 っていることとが,案外近いのではないかという視点が得られたこと,その一つとして多様な生活経験が 挙がっていたが,保育の現場でそれを豊かにするためにどんな工夫をしていけるのか,また勉強が苦手な 子どもに対して学校教育現場はどのような形で「勤勉性」の感覚(小学校期の自信の「かたち」)を育ん でいけるのかといった,さまざまな問題が浮かび上がってきたことは,育ちの連続性について考えていく 上での重要な成果であった。 今後の課題として挙げられるのは,まず何よりも,今回実現したような形での検討会を継続・発展させ ていくことであろう。Q君1人ついて見ていっても,そこにはまだ解き明かされていない,子どもの育ち をめぐるいくつもの「謎」が孕まれているように感じた。今はまだ,小学校側においてエピソード記述に 対する抵抗感が大きいようだが,このような検討会を重ねて,一人ひとりの子どもの背景や心情を丁寧に 見ていく視点ができてくると,自然とエピソードも出てくるように思う。保育の現場のエピソード,小学 校におけるエピソードを詳細に検討していけば,1人の子どもの育ちの連続的展開過程について,相当の 手応えが得られるのではないか。 今はまだ難しい困難も多いと思われるが,そのような検討会を地道に重ねていくことで,より多くの保 育・教育関係者が,より多くの子どもたちの育ちを見ていく中で,さまざまな問いを見出し,活発な議論 を行っていくようになることを期待したい。 両グループ 中間報告会では, 「子どもの育ちに関するグループ」 「保幼小連携グループ」双方に言えることとして, 子どもの心がどのように芽生え,膨らみ,発展・分化していくのかを,縦断的に跡付けていくことが課題 であると述べた。両グループともに,そのときから一段も二段も研究が深まったことは間違いないが,子 どもの心の発展・分化プロセスの全体像が見えるところまでは,まだ至っていない。両グループに対して 提起した「今後の課題」に沿ってさらに研究を推し進め,子どもが1人の主体として育っていく道筋を明 らかにしていってもらえることを期待したい。
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