平成 27 年 7 月 11 日 痛 風 まつもと いっせい 初めは、履き替えた靴のせいで左足親指のつけねが腫れたのだと思っていた のだったが、どうやら 痛風だと思い知ったのは、それから 24 時間後に襲っ て きた、猛烈な痛みによってだった。 前兆はあった。足利市で開かれた徳川恒孝氏講演会へ出席のため、朝早くに 起きて、品川駅から JR を乗り継いで、足利駅に行く途中で、列車事故のため、 乗換え駅に、わずかに 5 分遅れて到着したのだったが、結果的にこれが2時間 の遅れに通じて、講演会々場には終了 15 分前という、なんともきまりの悪い 結果を招いてしまっていた。講演資料を貰うだけのものになってしまったが、 その遅刻理由には、もう一つあって、乗換え駅に併設してある書店に立ち寄っ て、新刊本を、つい購入してしまったことが、遅れているうえに、さらに乗り 越しを誘発してしまったことだ。 その本の題名は「偽りの戦後日本」で、若い日本の政治学者とカレル・ヴァ ン・ウォルフレンによる対談をまとめているもので、読みふけっているうちに 足利駅を乗り越していて、 気が付いたのは終着駅から二つ手前の駅だった。 「人間を幸福にしない日本というシステム」というウォルフレンの著書は、 1994年にベストセラーになったが、言いたいことは良く分かったけれど、 外国人には奇妙に映る「真の笑顔のもてない国民性」がどこから生まれてくる のかについては、そのペン先がまだ届いてはいないし、さらにこの国を丸裸に できるほどのフック部分にも、その手は届いてはいなかったという印象が残っ ている。 3・11の翌年に他界した、吉本隆明の戦後の闘いぶり(論評)を見てきた ものには、あまりにも多くの、戦争によって失われた命とそれによりそってい 1 た「幸せ」を奪ってきた国家が、果たして、そう簡単にこの国民に「幸せ」を 与えることができるかどうかは、絶望に近いものがあって、ウォルフレンのい うシステムより、国民と政治とさらに行政が、三すくみの状態を続け、最終的 にはノタウチ回るしかない「構造」、を持ってしまっており、それは3・11 以降、いまなお存続しているようにしかみえてこない。 「政治」によってどうにかなる「幸せ」は、まさにいま、ギリシャがその現 実を見せてくれている。国家システム崩壊の危機に立たされている、戦後(第 2 次世界大戦後)国家が、数日以内に「デフォルト」を迎える危機に陥ってい るのだが、かつて韓国もそのような危機に陥り、IMF(国際通貨基金: International Monetary Fund)の厄介になったし、その後は立ち直ったかど うかは、よく知らないが、厄介になっている当時には、IMF 値段というのが、 流行になっていて、IMF 価格(割引価格)の貼り出してある食堂でサンゲタン を食べた記憶もある。 この IMF の怖さは、その後の韓国を見てみれば明らかだが、ほとんどの大 手会社や銀行が外資(米国)のものになってしまっているといういまの姿を見 れば、一目瞭然。国民銀行ともいわれたハナ銀行(第一銀行)ですら、外資に 占領されている。 その怖さを実感している韓国政府が、中国寄りになるのは当然だし、米国資 本の傀儡に過ぎない IMF が、真にギリシャに迫っているものが何かを知って い るのは、おそらく、韓国をおいて他にはないだろう。“ユーロ”がその猛威 を、 首の皮一枚で防いではいるけれども。 その IMF と一緒になって、30 兆円ものお金をサムソンに貸しまくっている のがみずほ銀行であり、それによって日本の弱電・家電メーカーが国際市場で 追いまくられてしまうという、奇妙な構図ができあがっている。 様々な角度から外資のアプローチに晒され、どうにもならない状態で貸し出 さざるを得なかったようにも想像はできるが、それはきっと TTP を先取りした 2 もので、いまの我が国が迫られている状況によく似ているものではないかとい う推測を働かせることもできる。 二重の意味での外国資本企業に貸し出したその10パーセントでも、国内企 業に貸し出していれば、もっと実績を上げられた中小企業も多かったに違いな いし、その貸し出し原資は、もともとは日本国国民の預金なのだ。 「幸せ」が、単に国家の借金の多寡によって左右されるだけに過ぎない「福 祉」サービス制度だとすれば、それは、現在のギリシャ問題と変わりがない。 未だ、「福祉」よりも「幸せ」の方を望む国民が圧倒的に多い国がギリシャ だという認識がなければならないのだが、それはウォルフレンの住むオランダ でもなければ、いまの日本という国家でもない。かつてはそうした「幸せ」を つかんでいた国民が大勢いた国家ではあったのだが。 政治は政治家のものではなく、国民のものであるという、ギリシャ国民にも おとる自覚不足が蔓延した原因は、一言でいえば、この国が過去に経験してき きた内・外戦争すべてを俎上に乗せて、戦争そのものを断罪してみるという、 もっとも根源的な戦後処理が国民レベルでは行われては来なかったところに、 それは起因しているように思えてならない。 東京裁判は「戦争裁判」であっ て、戦争そのものが問われた訳ではないから、それを問う資格は、国民以外に はない。議員にも、公務員にもないが、 もちろん「信者」にも、断罪資格は ないけれども、かつては、赤ん坊から棺 桶の中の死者までも、信徒(臣民) にさせられていた訳だから、我が国国民 は、「転向」を含めて、同時に二つ のものに対する徹底した批判を行わなけ ればならない宿命のようなものを負 わされているということになる。 この負い目こそが、二つの国からいまなお糾弾され続けている原因であ り、 この国の主体は、国家ではなく国民なのだということを「アジア的」文 脈の中で 読み解かなくてはならないし、その結果を表明することが必要なの だ。 3 日本国憲法はその第 9 条によって、戦争をあらゆる意味で放棄しているけれ ども、それ以前の、国家をして、戦争にいたらしめるシステムの放棄、もっと も卑近な例では、アイゼンハワーが警鐘を鳴らしていた、産軍複合体と同様の システムの、その切開作業すら放棄してしまって今日を迎えていることが、こ の憲法の趣旨を脆弱なものにしてしまっている。 もっともすでに司法が、かつては“わら半紙”一枚にまで目を配ってまでし て、 予算的にも、その独立を維持しようとしていたのではあったかれども、そ れは すでに遠い昔の物語になってしまっていることが、最大の要因であること は、 すでに国民の誰もが分かっている。 国民一人ひとりが、三本の矢(立法権、行政権、司法権)を主権として「束 ねて」保持しているはずなのだが、いつのまにか、それを束ねるのは議員、あ るいは役人でしかないような、妙な倒錯が、まかり通りはじめている。 身体に当てはめてみれば、百骸九竅と神経と頭脳、ということになるのだけ れども、ホルモン剤大量投与の後遺症が、ときおり大病を思い出させるよう に、 痛みとなって発現するのが常態ではあるにしても、今夏のそれが、戦後70 年目 の痛覚だとすれば、これもまた、しっかりと耐えなければならないわ けで、被せ られたビニールシートの、顔面部分に穿たれた小窓に打ちつける 雨粒を見つめな がら、ストレッチャーで救急車へと運ばれて行くわが身が耐え ている痛みは、す でにアラートの鳴り響いている「延長国会」ならぬ「汚染 国会」が国民にもたら すその痛みに比べれば、楽に百年は耐え続けることの できる痛みにすぎない。 4
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