季刊 イ ズ ミ ヤ 総 研 Vol .103 (2015年7月) 蟬よ鳴け鳴け 夏を意識させるものと言えば、 真っ先に蟬の鳴き声と答えます。二十四節氣では大暑の頃に、 ニイニイゼミが鳴き始め、続いてアブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ヒグラシなどの蟬の 鳴き声の大合唱となります。まるで時雨が降り続けるように大音響で鳴き続けるので「蟬しぐ れ」と呼ばれます。藤沢周平の同名の小説が、テレビでも映画でも大ヒットしました。彼の小 説を読んだ人なら、海坂藩という所をご存知でしょう。海坂とは海辺に立って一望の海を眺め ると、水平線はゆるやかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂と呼ぶらし い。美しい言葉である。彼が小説の中でよく使う架空の藩の名前で、実際には彼が若き時代に うな さか 投句していたことのある静岡の馬酔木系の俳誌『海坂』から借用したものらしい。この小説を 幾度も読みました。どんな季節に読んでも蟬の鳴き声が聞こえる幻想に感動します。日本人の 心に沁み入る一遍です。 晴れた夏の日の朝、太陽が輝きだすと元氣いっぱいに蟬の鳴き声が耳に入ります。街の中で 見かけるのはアブラゼミです。最もふつうな蟬の一種で日本各地に分布し、朝鮮、中国北部に も住み、平地から低山地に多い昆虫です。体長三十五ミリ内外、はね先までは六センチ、体は 黒く、頭、胸背は部分的に赤褐色、はねは褐色で不透明、濃淡のまだらがあります。幼虫期間 は六~七年。七~八月に多く、日中にジージーとうるさく鳴くので「あの声で露が命か油蟬」 などと詠まれます。 学生時代やサラリーマンの頃、読書が大好きであらゆるジャンルの本を読みあさりました。 お氣に入りのフレーズや知識の源をメモしておいて、そのメモ帳を常時携帯していました。懐 かしいそのメモ帳をパラパラと開いてみますと、今でも鮮明に記憶している一行が目に留まり ました。 「蟬の夫は幸いなるか、声なき妻を持てばなり――ソクラテス」 恐妻家であったらしいソクラテスをフューチャーしていまして、川柳というよりも都都逸風 そらん のシャレがすばらしい。蟬は雄しか鳴けないらしい。諳じていた俳句や短歌もいつしか忘れら れていくのが常であるが、今なお記憶にとどまるものをこうして打ちあけることのなんという 楽しみぞ。さてギリシャに蟬はいたのでしょうか。 一八八八年、オランダの画家、ゴッホが弟テオへの手紙に太陽の輝く南仏に来て「まるで日 本のようだ」 と喜び、 夏になって蟬の声に驚いています。そしてそのスケッチを描いていますが、 北国オランダ育ちの彼はこんな虫の声など聞いたことはなかったし、実物を見ても奇怪な生き 物という感じでなんとも下手なんです。その後に描かれたものはずっと上手くなっています。 日本の美術品が西欧に広く知られるようになったきっかけは一八六七年のパリ万国博覧会 である。フランスから徳川幕府に要請があった。その後も一八七三年にウィーンで、次いで 一八七六年フィラデルフィアで開かれ、日本趣味はますます欧米世界へ広まっていく。西洋に 虫の絵は少ないが、日本ではトンボやカブトムシ、キリギリスの絵はごく普通に描かれている。 ラフカディオ・ハーンは日本に来て、日本人が虫の声を愛することを発見し、アイルランドと 74 季刊 イ ズ ミ ヤ 総 研 Vol .103 (2015年7月) 並んで自分のルーツであるギリシャ文化を思い出し喜んでいる。南フランスでもイタリアでも ギリシャでも、蟬の声は耳に入る。ただしあちらの蟬の声は単調である。 蟬の鳴くギリシャには古代から蟬の文化が存在した。一九九五年の「セミ大全」には、古代 ギリシャ人や南仏人がセミを愛したことが述べてある。紀元前6世紀の詩人、アナクレオンの 詩(一九一八年の『趣味の昆虫界』荒川重理著)です。 なれ あわれ蟬よ、われ等は汝を幸あるものと思ふ そは汝王の如くたゞ僅かなる露をのむのみて、樹梢に歌唱ひつゝ過ごせばなり 野にて見るもの、時の産物皆これ凡て汝のものよ そこな 汝は亦、野辺の農夫なり、誰ひとりとして汝を害はんとするものなし いつく 人は汝を楽しき先駆として讃美し、ミューズの神は深く寵しみ、鋭き歌声を汝に与へき。 長き時世、汝を滅ぼすことなし。 あわれ恵まれたるものよ――地上に生れて歌を好み、苦痛をなめず 肉あれど血のなきものよ、汝こそは げに神にも近きものなるかな とは最上級の讃歌である。 ち か ぼ 愛してやまない生物画家、熊田千佳慕さんを「銀花」誌で知った。散歩の途中、不意に腹這 いになって、大地に突っ伏す。じいっとして動かない。虫の目の高さに身を沈めて見えてくる 世界の住人となって花と遊ぶ、虫と遊ぶ人です。彼の描くセミの絵を見ていると、小さな生命 が見えてくる。またその絵が文字に見えてくる。 蟬という字は虫偏に籐の枠に紗を張った中国のうちわを蟬の羽根に見たてた象形から成り立 っています。 蟬は生きている限り鳴き続けて樹から樹へと移ります。短い一生ですが、きっとお氣に入り の樹があると信じます。私は人生の分岐点ともいえる大事な時に、その樹によりかかり話しか けて答えを得てここまで生きてまいりました。で きたら少々時間のかかる距離があった方が良いで しょう。また両手で抱えきれない程の大木が良い と、例えば岐阜県多治見市にある臨済宗、永保寺 の樹齢七百年を越える大銀杏。ぜひ「お樹に入り」 を一本定めてみて下さい。 夏の黄昏どき、樹の下で蟬さん達にエールを贈 ります。 「蟬よ鳴け鳴け、暮れてなお」 迷いても悟りても死す蟬しぐれ <文・書画 こころの文字 落合 勲> 75
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