動的日本列島と原子力利用 -東電福島第一原発事故が訴え

動的日本列島と原子力利用 動的日本列島と原子力利用
―東電福島第一原発事故が訴え続けていること―
(元復興大臣、元防災担当大臣)
参議院議員 平野達男
平野達男
参議院議員
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2015 年 3 月 20 日 発行
発行者 達山会
住 所 〒 020-0024 岩手県盛岡市菜園一丁目 6 番 9 号
菱和第 10 ビル 5 F
T E L 019-613-2678
FAX 019-613-2677
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動的日本列島と原子力利用
―東電福島第一原発事故が訴え続けていること―
目次
序論
1.動き続ける日本列島……………………………………………………………… 1
2.2011 年 3 月 11 日… ……………………………………………………………… 2
3.本小論の原動力となったもの…………………………………………………… 4
4.本小論の構成……………………………………………………………………… 8
第1部 天災が誘発した原発事故
1.世界がはじめて経験した地震、津波による原発事故………………………
(1)世界でもっとも厳しい国土環境のもとでの原子力利用… ………………
(2)巨大地震、大津波の発生、そして原発事故へ… …………………………
2.想定外を生み出した想定………………………………………………………
(1)全電源喪失という異常事態… ………………………………………………
(2)津波高はどのように設定されたか… ………………………………………
(3)指摘されていた大津波発生の可能性… ……………………………………
(4)想定を上回った地震動による揺れ… ………………………………………
(5)すべてのシステムを一挙に共倒れにした地震、津波… …………………
(6)中央防災会議の地震・津波想定… …………………………………………
3.原発事故の異様性、異質性……………………………………………………
(1)公共土木施設などの設計において自然事象にどう向き合ってきたか…
(2)原発事故の異様性、異質性… ………………………………………………
4.われわれはいつまで原発に依存するのか……………………………………
(1)強化された規制基準… ………………………………………………………
(2)吉田元所長が示唆したもの… ………………………………………………
(3)天災が打ち砕いた「原子力安全神話」………………………………………
(4)脱原発のすすめ… ……………………………………………………………
(5)暫定、激変緩和措置としての再稼働… ……………………………………
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第2部 核燃料をリサイクルするという夢
1.軽水炉の導入と核燃料サイクル構築への取り組み………………………… 47
(1)急速に進んだ軽水炉の導入… ……………………………………………… 47
(2)二元構造での推進… ………………………………………………………… 47
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2.高速増殖炉を軸としたウラン・プルトニウム核燃料サイクルという夢…
(1)「原子力発電の主流」と位置づけられた高速増殖炉………………………
(2)停滞を続けた増殖炉開発… …………………………………………………
(3)時間の経過とともに遠ざかる目標… ………………………………………
3.使用済核燃料の再処理…………………………………………………………
(1)増え続ける使用済核燃料と再処理をめぐる日米交渉… …………………
(2)英国・フランスへの再処理委託… …………………………………………
(3)六カ所再処理工場の建設… …………………………………………………
4.プルサーマルの実施へ…………………………………………………………
(1)早くから注目されていたプルサーマル… …………………………………
(2)急がれたプルトニウムの利用… ……………………………………………
(3)実施が不透明となったプルサーマルと内在する課題… …………………
5.消えた高速増殖炉、検証なき方針転換………………………………………
6.核燃料サイクルはどこに向かう?……………………………………………
7.事実を事実としてみる独立の検証機関の設置を……………………………
8.フランスの核燃料サイクル……………………………………………………
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第3部 最終処分(地層処分)という課題
第 1 節 東日本大震災の教訓を活かせ… …………………………………………
1.地層処分をめぐる課題…………………………………………………………
(1)必要となる超長期の時間軸の設定… ………………………………………
(2)二つの課題… …………………………………………………………………
2.地層処分に向けたこれまでの取り組み………………………………………
(1)長期計画(原子力開発利用長期基本計画など)にみる経過… …………
(2)後追い的に進められた地層処分の技術的検討… …………………………
(3)「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」の制定……………………
3.出てきた異論、深まることのなかった議論…………………………………
4.地層処分の技術的信頼性についての抜本的再検討を………………………
(1)東日本大震災によって気づかされたこと… ………………………………
(2)独立した専門家集団の設置を… ……………………………………………
(3)三つの機関提言も求める地層処分についての再検討… …………………
5.これまでの延長線上にある国の姿勢…………………………………………
(1)疑問符をつけざるをえない「地層処分技術の再評価」……………………
(2)変わらない国の基本姿勢… …………………………………………………
(3)「基本計画」について指摘しなければならないこと………………………
6.われわれが負っている責務……………………………………………………
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第2節 世界で最初の最終処分場
1.悠久的静の国土………………………………………………………………… 97
2.オルキルオト最終処分場予定地概観………………………………………… 98
3.映画「100,000 年後の安全」にみる議論の深み… …………………………101
4.地層処分の「国際的共通認識」の背後にあるものの「認識」を…………102
第 4 部 動的日本列島を俯瞰する
1.動き続ける日本列島……………………………………………………………107
(1)プレートテクトニクス理論の登場… ………………………………………107
(2)地震の発生メカニズムと津波… ……………………………………………110
(3)火山と原発への影響評価… …………………………………………………112
2.地質概観…………………………………………………………………………116
3.東日本大震災後の日本列島……………………………………………………117
主要用語についての補足的説明……………………………………………………123
謝辞……………………………………………………………………………………133
原子力長期計画の変遷と東日本大震災後の原子力政策…………………………135
主な参考文献一覧……………………………………………………………………143
iii
序論
1.動き続ける日本列島
起伏にとみ、色濃い緑におおわれ、水豊かな大地、それが日本列島だ。
日本列島に住む者に、たくさんの恵みを与え、おだやかな環境を作り出して
きた。
しかし、おだやかさは、ときに一変する。
「自然」は過去の習慣に忠実である。寺田寅彦の言葉だ。
地震、津波、火山噴火、地滑り、洪水、台風・・・、われわれが住む日本列
島では、天災は「習慣に忠実」に、繰り返しやってくる。静かで、小さなもの
もある。時に、天地を揺るがし、甚大な被害をもたらすものもある。国の統治
体制の転換をもたらす原因となったと、歴史学者が指摘するような天災も少な
くない。
しかし、繰り返しやってきた天災から、日本人は繰り返し立ち上がってきた。
その繰り返しの中で、災害から命を、家をどう守るか、その時代の技術、知識
を集めて備えてもきた。
日本の歴史は、天災との闘いの歴史でもある。
天災は、それ自体が大きな被害をもたらす。加えて、火災や地滑りを発生さ
せ被害を大きく拡大させることもある。それだけではない。天災は、これまで
経験したことのない、新たな「事故災害」を誘発することが、われわれの目の
前で露わになった。
2011 年 3 月 11 日、東北地方太平洋沖を震源として巨大地震(東北地方太平洋
沖地震)が発生し、東北を中心に日本列島を激しくゆさぶった。多くの建物が
倒壊し、液状化現象も広範な地域で起きた。そして、巨大地震によって引き起
こされた津波が、北海道から、東日本の沿岸地域を襲った。場所によっては、
15m を超える大津波であった。家々が流され、壊滅的な被害となった地域も少な
くなかった。数多くの方々の命が奪われた。
すさまじいまでの破壊力をもった天災は、さらに深刻な事態を誘発した。福
島県双葉郡に位置していた東京電力福島第一原子力発電所(以下「東電福島第
一原発」という)の原発事故である。
三つの原子炉の炉心溶融、大量の放射性物質放出という、世界を震撼させた
大原発事故となった。世界がはじめて経験した、天災が誘発した原発事故とも
なった。天災による被害とは、まったく異質で、異様な被害と影響をもたらし
た。文明の進化が生み出した新たな災害ともいえる。
東日本大震災は、巨大地震、大津波、そして原発事故が重なった、未曾有の
1
大災害となったのである。
東電福島第一原発事故は、原発の安全性の確保は、原発それ自体だけではな
く、原発が立地する基盤が決定的ともいえる要因となっていること、さらには、
そのことに向き合う国、電力会社、関係組織そして政治の姿勢の甘さとゆるさ
を、戦慄をもって、われわれに強烈に認識させた。
その基盤を形成しているのが、日本列島である。
繰り返しやってくる天災。その中で、地震、津波、火山噴火など列島表層に
起こる事象は、日本列島が「動いている」ことが原動力となっている。
動き続ける若い列島、それが日本列島である。
動的日本列島といっていい。
地球的規模で見たときの日本列島が位置する場所の特異性に起因するもので、
その特異性から生み出される日本列島内部のエネルギーが原動力となっている。
本小論は、動的日本列島における原子力利用について論じる。ここでいう原
子力利用とは、原発だけではなく、核燃料のリサイクル、高レベル放射性廃棄
物の最終処分を含んでいる。
2.2011 年 3 月 11 日
2011 年 3 月 11 日午後のあの時、筆者は、官邸を眼前に望む内閣府の副大臣室
にいた。突然、不気味なほどゆっくりとした、そして、地を揺るがし、建物を
押し倒すような強い横揺れを感じた。揺れは、ずいぶん長く続いていた感があ
る。その揺れに、重くのしかかってくるような、いいようのない不安につつま
れた。同じように感じたのは、筆者だけではなかったろう。
その約1時間後、テレビが信じられない光景を映し出す。海岸から内陸に向
かって、真っ黒な濁流が家や田畑を次から次へとのみ込んでいく様子を、上空
から撮影した実況映像であった。場所は、阿武隈川が太平洋に注ぎ込む河口付
近であった(ちなみに、宮城県の阿武隈川河口付近一帯は、大津波の到達は比
較的遅かった。もっとも早いところでは、地震発生後約 30 分で大津波の第一波
が押し寄せている)。その後、気仙沼市などが津波に襲われた様子なども映し出
され、夜になると火につつまれる被災地の様子なども伝えられた。
「大変なこと
が起きている」と思った。が、呆然としたまま、なんとなく釈然としない思い
を抱えていた。事態が大き過ぎて、あたかも、この国ではないどこか遠くの、
自分のまったく知らない地域での出来事のようにしか、感じることができなか
ったのかもしれない。
深夜になり、なすすべもなく議員会館から宿舎に歩いて帰る途中、携帯がな
った。官邸にいる福山哲郎官房副長官(当時)からであった。
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「明日、政府の団長として岩手県に行ってもらいたい。」
「・・・行きます。」といったように思うが、声になっていたかどうか。
福山官房副長官から要件と告げられた次の瞬間、何かそれまで抑えていたも
のが急にこみ上げてきたのである。そうしているうちに、涙があとからあとか
ら出てきてどうしようもなくなり、その場に立ち尽くしてしまった。
「テレビの画像で見ていたすさまじいばかりの状況は、まぎれもない現実だ。」
さっきまでのぼう然とした思いが、いっぺんに吹き飛んだ。それにかわって、
いいようのない悲痛感、怒り、そして同時に、与えられた職務への使命感とい
ったものが、どっとこみ上げてきて複雑に交錯したように思う。自分の頭の中
で、どこか遠くのように思われていた出来事が、目の前の現実に変わった瞬間
であったかもしれない。
岩手県政府現地連絡対策室長、筆者に与えられた役職だった。
そこから筆者は、被災者支援担当の副大臣として、途中からは復興担当の大
臣として(復興大臣としては初代)、民主党政権の終わりまでの約 1 年 9 カ月に
わたり復興の最前線に立った。担当は、原発事故そのものへの対応を除き、放
射性物質に汚染された地域の復興を含む、東日本大震災からの復旧・復興であ
った。この間、防災担当大臣として、東日本大震災の地震、津波発生の検証を
おこなうとともに、首都直下型地震、東南海連動地震、火山活動など想定され
る次の災害への備えにも着手した。
筆者にとっては、あっという間の約1年 9 カ月であった。
この間、被災地には毎週のように入った。
現場を自分の目で確かめるとともに、津波、地震などで被災された方々、原
発事故で避難を余儀なくされた方々、被災自治体の首長そして職員の意見に耳
を傾けることに努めた。また、自衛隊員、消防団員、警察官、ボランティア、
全国からの派遣職員、医療関係者、建設関係者など復旧・復興にかかわる、さ
まざまな立場、いろいろな職種の方々の声、要望も聴いた。こうしたことを通
じ、悲しさ、つらさ、不安、挫折、怒り、祈り、勇気、使命感、決意、希望と
いった人々のさまざまな思いが切々と伝わってきた。
福島には、行かなければならないと常に感じさせる格別のことがあった。原
発事故によって避難を余儀なくされた方々の思いには、津波、地震という天災
による被災された方々にはないものがあった。あえて表現すれば、ぶつけどこ
ろのない憤り、やり場のない焦燥感、戸惑い、というべきものだ。安全といわ
れ続けていた原発の、誰も想像することもしなかった深刻な事故の発生、見え
ない放射能への不安、住んでいた場所にもどって見ることすらままならない現
実・・・、さまざまなことが、そうした思いの背景にあったと思われる。
毎週のように入った被災地の半分は、福島であった。国が推し進めてきた原
3
発。その原発の事故による“被害者”の方々の「思い」をまずは聞くこと、そ
れ自体が大臣の責務であるとも感じていた。
こうした現場からの声を踏まえ、日々刻々、復興のために、国は何をすべき
か、について頭をめぐらせ、必要だ、有効であろうと思ったことは、同僚議員、
職員などとともに、その実現や実施に渾身で取り組んだ。国会でも与野党を超
えたえた真摯な、そして熱心な議論がされ、復興政策へと反映された。
あの 3.11 から 4 年が経過し、今も、被災地では、復興への懸命の取り組みが
続いている。水産業及びその関連産業など、再生が大きく進んだものもある。
道路、上下水道など生活インフラ関係の復旧も一部を除いて、ほぼ順調だ。し
かし、本格的な住宅建設などはこれからだ。原発事故からの復興もやっと進み
始めた状況だ。
閣僚として任を解かれた後、初代復興大臣としての取り組みを記録として残
しておいてはいかが、という勧めもいくつかあった。が、受けていない。これ
からもないであろう。復興にとって大事なことは、今何をすべきか、そして次
に何をすべきかだ。途中経過の説明など意味をもたない。現場の状況が、これま
での取り組みがどういうものであったかを物語る。現場がすべてだ。こうした
ことは、復興が終わるまで変わらない。
いずれ、東日本大震災からの復興への取り組みは、復興全体におおむね目途
がたった時点で、政府などが中心となって詳細に検証されるであろう。その時、
もし問われれば、被災直後から復旧、復興の最前線の任にあった者として、語
るべきことは少なくないかもしれない。
同時に、どうしても書いておきたいことがあった。それが本小論である。
3.本小論の原動力となったもの
東日本大震災となった巨大地震、大津波は、動的日本列島が内に秘めている
エネルギーの大きさ、時にそれがもたらす厳しい面を、われわれに見せつけた。
そして、天災への備えを、根本的に見直す必要性を強く認識することになった。
既述のように、筆者は、防災担当大臣として、首都直下型地震、東南海連動地
震について、既存の検討委員会の組み替えをするとともに、想定すべき規模、
内容についての再検討に着手した。また、火山活動についての新たな検討委員
会(広域的な火山防災対策に係る検討会)も立ち上げた。
東電福島第一原発事故については、政府事故調、国会事故調などで事故発生
原因などについての検証がなされた。こうした検証が十分であったかどうかを
含め、なお、さらなる検証が必要ではないかと思っているが、そのことはさて
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おく。ただ、ここで、一つあげておかなければならない。それは、今の多くの関
係者の考え方が、想定を的確にし、それに十分な備えをすれば原発は大丈夫、
との方向にのみ傾いてしまっているのではないか、ということだ。
東日本大震災は、地震、津波によって東日本一帯を中心に、きわめて甚大な
被害をもたらし、多くの人々の命を奪った。さらに、それだけではなく、それ
らが原発事故を誘発し、まったく別の災害をもたらした。それは、これまでわれ
われが経験したどの災害とも違う異質性と異様性をもつ事故災害であった。異
質性と異様性は、事故現場、その周辺の、たくさんの人々が暮らす場であった
地域を何度もみて、また、その地域から避難を余儀なくされた方々の話をじか
に聞いて、筆者が肌で感じたものである。
原子力を利用していくうえで、動的日本列島にどう向き合うべきか、東日本
大震災が発生するまで、まともに検討されることはなかった。東電福島第一原
発事故を経験したわれわれが、原発事故から学ぶべきは、原発の規制基準を強
化することなのか、あるいは、それだけなのだろうか。もっと深く見つめ直す
べきことがあるのではないか。
そうした思いが本小論をまとめる動機となった。
もう一つ気になっていることがあった。それは、蓄積され続けてきた使用済
核燃料の扱いである。この問題は、使用済核燃料を再利用する核燃料サイクル
の構築、そして、高レベル放射性廃棄物の最終処分という問題に通じていく。
ここに横たわっているのは、何も決まらず、決められないという状況、そうし
たことに慣れきってしまっている現実だ。
ゴジラが生まれたのは 1954 年である。水爆実験の影響によって生まれたゴジ
ラは、人類の核エネルギーの誤った使い方に、強い警告を発する役割を担って
スクリーンに登場した。ゴジラはその後、何度も映画に登場した。役割は変わ
ったがゴジラ少年だった筆者は、そのすべてを観ている。ゴジラは現在も生き
続けており、最近では、アメリカでも活躍しているようだ。ただし、筆者にと
ってのゴジラは、初めて登場したときのゴジラがもっとも印象的で、あれが本
当のゴジラだと今でも思っている。
蛇足ながら、筆者が生まれたのも 1954 年である。第一回ゴジラ映画を初めて
観たのは小学生のときで、テレビで食い入るように観たことを覚えている。
そして、1954 年は、わが国において、原子力関係の予算が初めて編成された
年でもある。政治が主導して組まれた。原子力利用への取り組みは、ここから
始まったといっていい。
その時から、60 年以上が経過した。ゴジラも筆者も還暦を過ぎている。
60 年という時間は、技術が大きく進歩する、あるいは革新的技術といわれる
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ものが登場するには、今日的感覚からすれば充分すぎる時間だ。実際、戦後復
興から今日にかけての間の、各分野での科学技術の変貌、知識の拡大は劇的だ。
情報産業、医療、宇宙開発・・・・例をあげるのは簡単だ。
わが国において原子力の民事利用への取り組みが始まった当初、国には原子
力がもたらす「恵み」に対する期待が膨らんでいた。原子力の軍事利用への経
験のないわが国において、原子力利用の技術の蓄積は、ほとんどなかったが、
技術発展が、これから出てくるであろう諸問題を、必ず解決するとの信念に支
えられていたように思う。
しかし、その後の展開は、こと原子力に関しては状況が違った。
今日、原子力利用をめぐる状況には、決まっていない、目途が立たない、と
いった類いの話が多い。技術がとっくに解決しているはずの問題が、解決でき
ていない。時間の経過とともに、技術開発の目標時期がどんどん遠くなるとい
う事態が繰り返されてきたものもある。その典型は、高速増殖炉を軸とした核
燃料サイクルの構築だ。
さらに、核のゴミ、特に高レベル放射性廃棄物といわれるものの地層処分(最
終処分)については、その処分場の確保に向けて動き出しているはずが、具体
的な動きはまったくない。見通しも立たない、立てられない。それどころか、
地層処分をめぐっては、技術的信頼性についての、これまでの検討体制のもと
での結論を、そのまま受け入れるわけにはいかない状況になっている。
われわれは、炉心溶融(メルトダウン)を誘発するような天災が起こること
すら予測しなかった。わが国で原子炉の火が燃え始め、50 年も経過しないうち
に、東電福島第一原発事故は起こった。
朝菌(ちょうきん)は晦朔(かいさく)を知らず、蟪蛄(けいこ)は春秋を
知らず
[朝菌は(朝から暮れまでの命で)夜と明け方を知らず、夏ぜみは(夏だけの
命で)春と冬を知らない(荘子(内編)、金谷治訳、岩波文庫による)]
荘子の内編にある一節である。解釈はいくつかあるようであるが、われわれ
に置き換えてみれば、人の一生という期間を超えて起こりうる出来事を考える
ことは簡単なことではない、ということも示唆しているように思える。
実際、われわれは、自然事象について、経験したことのない規模の事象をあ
らかじめ想定し、それに十分な用意をしておくことが不得手かもしれない。現
実に経験して初めて事態の大きさに気づき、あわてて想定の規模を見直し、次
に備えることを繰り返してきたように思う。
なにより、東日本大震災がそうであった。とりわけ、東電福島第一原発事故
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という国内はもとより世界を震撼させた深刻な事態をもたらすことになった。
そうしたわれわれが、百年単位どころではない、万年単位の時間軸を設定し、
地層の超長期の安定性を「確定」しなければならない。地層処分に求められる
絶対的条件だ。そんなことができるであろうか。素朴な疑問だ。しかし、同時
に、疑問を持っただけで済まされる問題などではない。超長期にわたる安全性
を確保した高レベル放射性廃棄物の最終処分は、何としても実現しなければな
らない。どんなに困難であっても、どんなに費用がかかっても、核エネルギー
を利用した者に、あまねく課せられている最低限の義務だ。
しかし、そんなことはできるのか、という真摯な問いかけ、問い直しをせず
に、地層処分など前に進めないのではないか。もちろん、地層処分は、新たな
体制を作り、技術的信頼性についての再検討をすれば、前に進むといえるよう
な単純なものではない。ただ、そういう作業は、前に進めるための不可欠な作
業ではないか、ということだ。
核燃料サイクルや、地層処分に関連する組織は巨大だ。組織の運営だけでも巨
額の予算が必要だ。答えを出さない、出せない、そしてそのことに慣れきって
しまっている組織、体制を変えていくことは容易ではないかもしれない。そう
した組織、体制に作用している慣性力を凌駕する大きな力が必要だ。それは、
政治と国が本気で動かない限り生まれてこない力であるかもしれない。
そうした動きの始動につながれば、との筆者なりに切実な、しかし途方もな
いような思いが、本小論をまとめるもう一つの原動力となった。
ただし、核燃料リサイクル、高レベル放射性廃棄物の最終処分について、本
小論が示している結論は不十分で不完全なものだ。こうすべきだ、こうすれば
問題は解決するといった答えは出せていない。むしろ、最初からそんなことは
意図していない、といった方が正しい。いずれも、筆者の思考範囲を大きく逸
脱する容易ならざる問題なのだ。
本小論は、まず、核燃料サイクルの構築と高レベル放射性廃棄物の最終処分
という二つの最重要な分野で、筆者がもっとも大きな鍵と考える問題点を明ら
かにする。そのうえで、問題を解決していくために、とりかかるべきことを示
し、問題解決のための次のステップにつなげる提言をしたい。本小論が、そう
した役割を果たせると信じている。
本小論が対象としているテーマは重く、そして範囲は広い。それだけに、一
国会議員がこんなものを書いて何になるのか、という思いが、ふっと湧き出て
きて、何度も折れそうになった。それでもまがりなりに、最後までまとめるこ
とができたのは、とにかく知ったこと、感じたこと―東電福島第一原発事故が
訴え続けていること―を書かなくてはならない、との一念であった。東日本大
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震災がどこまでも原点だ。
その東日本大震災も、社会情勢がめまぐるしく変わっていく中、時間の経過
とともに、世間においても国会においても、語られることは少なくなってきて
いる。復興はまだ道半ば、原発事故の後始末は見通しすら立っていない、にも
かかわらずだ。こと原子力に関しては、ともすれば原発の再稼働だけが注目を
集めるようになっている。こうした状況が、筆者の心の中に作り出しているさ
ざ波のような苛立ちが、書くことを前にすすめたことも事実である。
4.本小論の構成
本小論は、序論につづいて4部で構成されている。
第 1 部は、動的日本列島における原発がテーマだ。
わが国の原発は、稼働する上で、世界でもっとも厳しい国土環境のもとにあ
る。安全性の確保において、世界とは異なるリスクをもつ。それは、動的日本
列島がもたらす、わが国の原発特有のリスクだ。原子力利用を進める中で、こ
の現実は、電力供給側にいわば都合よく過小評価されていた。一部の科学者な
どから、疑念が出され、是正の必要性が指摘された。しかし、そうした声は、
大勢の中でかき消された。また、こうしたことをチェックする体制も十分では
なかった。原発導入後、約半世紀が過ぎ、東電福島第一原発事故という計り知
れない代償と引き替えに、われわれが、初めて「事実」として知ったことだ。
東電福島第一原発事故後、すべての原発が停止した。
今、再稼働に向けた準備が各電力会社によってなされ、新規制基準にもとづ
く原子力規制委員会による審査も進められている。新規制基準をクリアした原
発は、これまでの原発に比べ、安全性が向上し、事故発生のリスクがかなり低
下することは確かであろう。しかし、原子力規制委員会は、再稼働の可否を審
査しているわけではない、といっている。審査をクリアした原発を「安全だ」
ともいわない。
原子力規制委員会が責任逃れをしているわけではない。新規制基準をクリア
しても、原発事故発生のリスクは、わずかであったとしても残るからである。
ここでいう「わずか」とは、確率的には非常に小さいことを意味するが、明日
発生してもおかしくはない、そういう性格を持つ「わずか」である。
それでは、再稼働の是非は誰が判断するのか。政府か、電力会社か、地元自
治体、住民か。実態は、その全部であるが、どこか制度的なあいまいさは残っ
ている。そのあいまいさは、「残るリスク」が、受け入れられるリスクなのか、
受け入れるべきリスクなのか、はっきりさせていないことが原因ではないか。
「残るリスク」にどう向き合うかが、第 1 部の中心的課題だ。
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まず、事故に至った経過、その背景についてまとめ、原子力利用における動
的日本列島に向き合う姿勢に甘さと隙があったことを指摘したい。さらに、再
稼働を限定的に認めつつも、脱原発の必要性を展開する。新たな規制基準をク
リアしても「残るリスク」―その中心は、動的日本列島が作り出すリスク―は、
可能な限り早期に日本列島からなくすべき、との考え方に立った論を展開する。
第 2 部は核燃料サイクルについて論じる。
2011 年、国内には 54 基の商業用原子炉があった。すべて、低濃縮ウランを燃
料とする軽水炉であった。核燃料をリサイクルすることは、基本的に想定して
いない原子炉である(ただし、一部でプルサーマルを実施)。しかし、原子力利
用に向けた研究開発が始まった段階で、わが国がめざしていたのは、こうした
姿ではなかった。
めざしたのは、高速増殖炉を軸とする核燃料サイクルの構築であった。使用
済核燃料には、燃えない天然ウラン(ウラン 238)から転換したプルトニウムが
一部含まれる。使用済核燃料を再処理すれば、プルトニウムが分離できる。高
速増殖炉は、このプルトニウムを燃料とする。プルトニウムを消費しながら、
同時にプルトニウムを増やす(増殖する)ことが実用化されるはずであった。
理論上、核燃料の繰り返しのリサイクルが可能とされ、資源不足の問題に、大
きな展望が開かれると期待された。
いま、その研究開発は事実上、頓挫している。
高速増殖炉の研究開発が行きづまりを見せる中、暫定的な措置として打ち出
されたのが、軽水炉の燃料の一部にプルトニウムを使うプルサーマルである。
だが、そのプルサーマルも、どこまでできるのか見通せない中、3.11 を迎える。
当初想定した核燃料サイクルの姿は見えなくなり、今、どういう核燃料サイ
クルをめざしているのかさえ、わからなくなっている。その一方、核燃料サイ
クルの中核の一つを担う、使用済燃料の全量再処理方針は変わらず、再処理工
場も竣工を迎えつつある。
核燃料サイクルをどう構築するかは、核燃料サイクルの最末流にあたる、原
発が生み出す核のゴミ、特に高レベル放射性廃棄物をどういう形で、どのよう
に最終処分するかにも関わる重大テーマである。
核燃料サイクルをめぐる状況を一言でいうなら、「渾沌とした状況」、という
ことになろう。混沌とは、なにもかもが形もなく入り交じったような状態をい
うが、同時に、そこから新たなものを生みだす大きなエネルギーを秘めた状態
をも意味するともいわれる。しかし、核燃料サイクルについては、そうしたエ
ネルギーを感じることがない「混沌」だ。それが、原子力利用への研究開発へ
の取り組みが始まって、半世紀以上が過ぎた現状である。
9
第 2 部では、まず、核燃料をリサイクルするための核燃料サイクル構築へのこ
れまでの取り組みの経過を概略整理する。そして、核燃料サイクルの方向性が
見えなくなっている状況から生じる施策上の齟齬について簡潔に論じる。その
上で、これまでの核燃料サイクル構築への国と関係組織の取り組みについての
独立した検証委員会を国会に設置し、詳しい検証と今後の方向性について検討
することを提案する。
東電福島第一原発事故を受け国会にも、東京電力福島原子力発電所事故調査
委員会(国会事故調)が設置され、事故についての検証がされた。核燃料サイ
クルをめぐっても、国会にあらたな独立検証委員会を立ち上げることが必要な
状況にとっくになっている。
第 3 部は、二つの節に分け、高レベル放射性廃棄物の最終処分である地層処
分に焦点をあてる。
わが国は、この動的日本列島に、大きな荷物をあずけようとしている。原発
が生み出す高レベル放射性廃棄物の地層処分である。地下深く処分場を建設し、
そこに埋設処分しようとするものである。地層処分は、天然ウランの採掘に始
まる延々たる核の流れの、最終部分にあたる。
高レベル放射性廃棄物には、毒性の寿命がきわめて長いものが含まれている。
地層に求められるのは、超長期にわたる「安定した」封じ込め機能だ。万年単
位の時間軸を設定した取り組みとなる。
地層処分の技術的可能性について、核燃料サイクル開発機構(現在の独立行
政法人日本原子力研究開発機構(JAEA))が検討を重ね、1999 年に「地層処分が
できる地域は、わが国に広く存在する。地層処分ができるかどうかを評価する
方法は開発された。」との「結論」を出している。この「結論」が基礎となり、
地層処分の実施に向けた法律が制定され、実施体制も整備され、今日に至って
いる。しかし、実態としては何も進んでいない。
動的日本列島は、原発の稼働にとって世界でもっとも厳しい環境を作り出し
ている、といった。その認識の希薄さが、東電福島第一原発事故という過酷な
事故につながった。
同じことは、地層処分にもいえるのではないか。動的日本列島は、地層処分
を実施するうえで、もっとも厳しい環境を作り出している。この認識が薄い中
にある 1999 年、地層処分についての「結論」が出されている。あえていえば、
結論ありきの「結論」との印象がついてまわる。
今、地層処分の技術的信頼性が改めて問われなければならないのではないか。
といっても、ことさら地層処分が困難であることを強調することが目的ではな
い。まずは、東日本大震災の経験を踏まえ、客観的事実を、謙虚に、冷静にみ
10
て判断し、それに対処することから始めることが必要だ。それこそが、高レベ
ル放射性廃棄物の最終処分という、解決の展望が開けない、だからこそ緊急か
つ深刻な、そして決して避けることのできない課題に、最適な答えを出すため
に必須なステップであると考えるからである。
地層処分の技術的可能性についての検討体制を含む根底からの見直しの必要
性、その見直しをどのような体制で行うべきか、これらが、第 1 節のテーマで
ある。
第 2 節では、フィンランドで進む最終処分場建設について触れたい。フィ
ンランドでは、地下深く掘り進め、世界で最初の高レベル放射性廃棄物(ワン
ススルー方式を採用しており使用済核燃料を直接処分)の最終処分場が建設さ
れている。ヘルシンキの西、バルト海に面したオルキルオト最終処分場建設地
だ。オルキルオト原子力発電所に隣接する形で建設が進められている。
2014 年夏、筆者は、その建設現場を見る機会を得た。
そこは、日本列島では決して見ることはできない、と思われる場所であった。
フィンランドは、動的日本列島とはまったく別の、異次元といっていい地質環
境にある。日本列島の「動的」に対し、フィンランドの国土基盤は、
「悠久的な
静」だ。現地で得た情報、そして感じたことを概略整理して、海外の原発立地
国の国土環境との比較の一助にもしたい。
第4部では、動的日本列島とはどういうことをもって「動的」なのかについ
て、概略整理したい。日本列島が「動的」であることが、本小論において原子
力利用がどうあるべきかを考える視座となった。第 4 部は、第1部、第 3 部、
そして間接的には第 2 部の補論的位置づけとなる。
今日、取り組まれている、地球表層で起こるさまざまな事象についての地球
科学的解明は、1960 年台に登場し急速に発展した、プレートテクトニクス理論
にもとづいている。四つのプレートがぶつかる近傍に形成された陸地、それが
日本列島である。日本列島に沿って太平洋側の海底では(一部は陸地の直下で)、
プレートがぶつかり合いながら、もう一つのプレートの下に沈み込んでいる。
この特殊な地理的環境が、地震、それによる津波を多発させ、火山活動を活発
にしている。日本列島が「動的」であることの原動力だ。
天災は、習慣のように繰り返しやってくる。習慣のようでありながら、同時
にそれは、不確実性に支配されたものだ。
なお、火山活動が原発に与える影響評価が、原子力規制委員会の新たな規制
基準となり、既に適用されている。このことについて触れたい。
あわせて、日本列島の地質の特異性についても整理しておきたい。プレート
運動にともなって海底の堆積物が押し出され、褶曲してたまってできた付加体
11
が日本列島の基盤といわれる。また、火山活動が活発で地層形成の大きな要因
となっている。さらに、プレート運動によって日本列島に働き続けている圧力
は、地質の形状にも大きく影響している。欧州、北米などに広がる安定大陸と
いわれる陸地の地層と比較し、日本列島の地質の複雑さには驚かされる。
東日本大震災によって日本列島の応力状態が変化し、地殻の活動が活発な時
期に入ったとされている。9 世紀以降という、日本列島の地史からみれば大変短
い期間に限定してみても、大規模な天災が多発し、
「大地動乱の時代」というべ
き時期が繰り返しやってきていることをうかがわせる。このことは、地震、津
波、火山研究を専門とする学者に広く共有されているようだ。第 4 部の最後と
して、そうした傾向が顕著とされる時期に発生した大規模な天災の系列を概観
する。これを通し、東日本大震災後の近い将来に、日本列島がわれわれに見せ
ることになるかもしれない動的姿に、少しではあるが迫れるかもしれない。
12
第1部
天災が誘発した原発事故
1.世界がはじめて経験した地震、津波による原発事故
(1)世界でもっとも厳しい国土環境のもとでの原子力利用
原子力規制委員会が、原発再稼働の前提となる、新たな規制基準への適合性
審査をおこなっている。
政府は、審査は世界でもっとも厳しい基準でおこなっている、と繰り返し述
べている。何をもって、世界でもっとも厳しい基準である、といえるのかは不
明である。世界各国の審査基準と比較したわけではなさそうであるし、そもそ
も、そうすること自体、あまり意味のあることとは思えない。
原発が立地する国土環境が大きく違うからである。
例えば、わが国は、世界有数の地震国である。地震に備えるため、他国には
ない厳しい基準が設定されるのは当然であろう。しかし、その厳しいといわれ
る基準が、それで十分かどうかは、また別問題である。あえて比較をするので
あれば、ある原発が、その耐震基準を満たすことで、例えば地震の発生がほと
んどない国の原発と、同程度あるいはそれ以上の地震に対する安全性が確保さ
れるかどうかの比較となってこよう。しかし、これについても発生確率をどう
設定するかなど難しい問題があり、客観性をもつ比較は容易ではない。
いずれにせよ、わが国が、大きな地震が発生しやすい国土環境にあること、
しかも、海溝型地震、直下型地震といった特性が異なるタイプの地震があるこ
と、などを踏まえ、どういった強度(どの程度の発生確率)の地震を想定すべ
きか、想定を超す地震が発生した場合の対応も含め、わが国独自の基準が設定
されるべきことは、論を待たない。
世界でもっとも厳しい基準をクリアした原発が、必ずしも世界でもっとも安
全な原発とはならないことは明らかである。しかし、この「世界でもっとも厳
しい基準」には、うっかりすると、聞き手側に「世界でもっとも安全な原発」
のように思い込ませてしまう響きを含んでいることは、用心しておかなければ
ならない。
「世界でもっとも厳しい審査基準」、と裏腹にあるのは、わが国は、「原子力
発電にとって世界でもっとも厳しい国土環境にある」ことだ。これは、そのま
ま受け入れ、直視する必要がある。しかし、一見当然ともいえるこの事実は、
「東
電福島第一原発」の三つの原子炉の同時メルトダウン(炉心溶融)という、日
本はもとより世界を震撼させた事故を経験することによってしか、われわれは
現実として認識することができなかった。東電福島第一原発事故は、想像すら
13
していなかった深刻な人的、物的被害をもたらし、その影響はいまも続き、こ
れからも続く。
この歴史的大事故は、地震、津波によって誘発された。
大きな被害をもたらし、多くの人命を奪った天災が、その威力によって深刻
な原発事故を引き起こし、さらなる被害をもたらしたのである。
(2)巨大地震、大津波の発生、そして原発事故へ
地震は突然やってきた。
2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分、東北地方太平洋沖を震源とする Mw(モーメン
トマグニチュード)9.0 という巨大地震が発生したのだ。それに引き続き、M7
を超える強い余震が、40 分間で、立て続けに三つ発生した。
東北の沖合深くでは、太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んでいる。
このプレートの境界域の西側、南北約 450km、東西約 200kmにわたって北米
プレートの先端部が動き、岩盤破壊が起きたといわれている。海溝型地震とよ
ばれるものだ。これが巨大地震の発生源となった。
地震は周期の長い強い横揺れによって地盤、地上の建物、構造物をゆさぶっ
た。多くの家、建物が破壊され、ダム、河川堤防も決壊した。関東を中心に、
地盤の弱い地域では広域にわたって液状化が発生し、沿岸部では広範囲で地盤
沈下が起きた。
そして、この地震は、大津波を引き起こした。地震発生から約 30 分後、まず、
岩手県の三陸地方を第一波が襲った。宮城県の閖上地区など震源から少し離れ
ている地域には、約1時間後に津波が押し寄せた。津波の高さ、そして破壊力
は、津波の恐ろしさをもっとも知っている三陸地方に住む人々にとっても、現
実として受け入れ難いものであった。多くの方々が犠牲になり、地域によって
は町全体が壊滅状態になったのである。
東日本大震災となった巨大地震、大津波は、設定された災害想定などには、
いっさいかまわずやってきた。災害想定など、まったく無意味であると思わせ
るほどの桁外れの震災であった。
自然が、自(おの)ずから然(しか)るべく動いた、ということだ。
日本列島は動き続けている。
動的日本列島だ(第 4 部 参照)。
その内部に秘めるすさまじいばかりのエネルギーを実感した。ときに、巨大
な破壊力をもって表に出てくることも目の当たりにした。同時に、いつ、どう
いう形で表に出てくるのかは、人知の容易にはおよばぬものであることも、あ
らためて認識させられた。
14
さらにこの巨大地震、大津波は、別の深刻な事態を引き起こす。東電福島第
一原発の1~3号炉における炉心溶融(メルトダウン)である。全電源喪失と
いう異常事態によって炉心の冷却機能が停止したのである。さらに、核燃料棒
の溶融にともなって大量に発生した水素が爆発し、1、3、4号機の建屋を吹
き飛ばした。大量の放射性物質が放出され、東北、関東にかけての広い地域が
汚染された。
炉心溶融、水素爆発、大量の放射性物質放出という世界を震撼させた原発事
故となった。わが国では原発は安全と言い続けられてきた。深刻な原発事故は
起こらない、と、筆者を含めほとんどの人がそう思っていた。原発には、非常
時を想定し、さまざまな装置、機器が装備され、それらが作動することで、安
全は確保されるということになっていた。非常時には、非常時対応のシナリオ
に沿って事態が進むと信じることが、安全のいわば「よりどころ」となってい
た。しかし、東日本大震災をもたらした巨大地震、大津波は、想定されたシナ
リオなど木っ端微塵に吹き飛ばした。全電源喪失によってすべての安全システ
ムが共倒れになるという、シナリオでは考えることすらしなかった事態が起こ
ったのである。
押し寄せた津波は、想定していた津波をはるかに凌駕する大津波であった。
家、施設、構造物などの設置にあたっては、地震、津波といった自然事象に備
えた安全設計をする。事象の発生確率(発生の可能性、現実性)をにらみなが
ら想定すべき地震強度、津波高を設定し、必要なコストをにらみながら講ずべ
き対策を検討する。東日本大震災の大津波は、千年に一度発生する確率の規模
のものであったといわれる。東電の原発安全設計は、このレベルの発生確率の
事象を想定するという発想はなかった。国にもなかった。しかし、3.11 の巨大
地震、大津波はやってきたのである。東電福島第一原発の稼働後 40 年で、地震、
津波という自然事象による深刻な原発事故が現実化したことをどうとらえてい
けばいいのだろうか(確率論からすれば何ら不思議のないことであるが・・・)。
スリーマイル島、チェルノブイリと、稼働中の原子炉の二つの重大な事故を
世界は経験してきた。いずれも、直接的には、人的操作ミス、設備の欠陥などが
主な原因とされている。東電福島第一原発は、原因が大きく違った。自然事象、
すなわち天災が誘発した原発事故は、まさしく世界がはじめて経験することで
あった。わが国は、なんどもなんども地震、津波を経験してきた。にもかかわ
らず、地震、津波による原発事故を防げなかった。
桁外れの地震、津波であったから、では、何の説明にもならない。原発の安
全確保のために自然事象にどう向き合うか、という基本的な課題への取り組み
姿勢に、甘さと隙があったことは明らかだ。これは、わが国に原発を導入しよ
うとした時点から、原子力政策の中に内包されていたことである。東電福島第
15
一原発事故は、その甘さと隙が生み出した大惨事といっていい。
2.想定外を生み出した想定
(1)全電源喪失という異常事態
地震発生時、東電福島第一の 1~3 号機をはじめ、東電福島第二などの他の発
電所で稼働していた原子炉は、スクラム(原子炉緊急停止)がかかり、核分裂
反応は停止した。地震動をキャッチし、自動的に制御棒が燃料集合体の間に挿
入されたのである。制御棒は中性子をよく吸収する物質でできている構造物だ。
核分裂によって飛び出してくる中性子を、制御棒が吸収すれば、核燃料の核分
裂の連鎖は止まる。
制御棒の燃料集合体への挿入途中、揺れによって両者の接触が起こると、燃
料棒の損傷が起きる可能性がある。これを回避するためには、制御棒は瞬時と
いっていいぐらいのタイミングで挿入しなければならない。安全審査では約 2
秒以内に制御棒が挿入可能であることが確認されている。このシステムの開発
には、技術の粋が結集されたようだ。
緊急時に核分裂反応(発電)を停止するということは、緊急時対応の鉄則だ。
原子炉緊急停止システムは、原子炉の最初の命綱といっていい。
緊急停止によって核分裂を止めても、緊急時における原子炉の安全確保は、
ここで完了しない。燃料集合体の中の核分裂生成物(FP)などの放射性物質が
膨大な崩壊熱を出し続けるからである。これを冷やし続けないと、燃料棒はそ
の崩壊熱によって損傷し、メルトダウンしてしまう。
冷却に必要なのは水だ。水を循環させ続けなければならない。
水の循環が停止すれば、炉内の水は沸騰し蒸発によって失われる。原子炉や
配管に、地震などによって亀裂や破断が生じたりすれば、高圧の冷却水が噴出
してしまう。これによる冷却水の減少も致命的だ。
こうした事態を想定し、装備されているのが緊急炉心冷却装置(ECCS)だ。
ECCS は、高圧注入系、低圧注入系、原子炉隔離時冷却系(RCIC)などいくつか
の系統が構成されている。なお、沸騰水型原子炉(BWR)初期の設計である東電
福島第一原発の 1 号機には、RCIC の代わりに非常用復水器(IC)が設置されて
いた。1系統が動かなかったとしても、他の系統が動くことで冷却が継続でき
るようにする多重防御システムだ。ECCS も原子炉の命綱といえる装置だ。
水を循環させるにしても、ECCS が作動するにも、大前提となるのは、電源が
確保されていることだ。そもそも原発は複雑な制御システムや大型機器などの
動力源として、電源に依存しているのである。
電源こそ命綱といえる。
16
その電源には、大きく 3 種類ある。
一つ目は、外部電源である。発電所の外から送電線によって電力を送り込む。
二つ目は、非常用電源である。外部電源が喪失された場合、発電所内で稼働
するのが非常用ディーゼル発電機だ。非常用ディーゼル発電機は、わが国では
要求される保安レベルが高く、めったなことでは故障しないとされている。し
かし、これでも十分ではないとして、従来の審査基準では安全率を高めるため 2
台並列しての設置が義務付けられていた(新規制基準ではさらに 1 台追加され、
電源車 2 台の配備も求められる)。1 台が故障しても、もう 1 台がカバーすると
いう発想だ。
外部電源、非常用電源とも交流で、両方が喪失された状態を「全交流電源喪
失」という。
三つ目は、発電所内の各所におかれた直流電源のバッテリーである。緊急時
の計器類の作動、照明などに使われる。ECCS は基本的には交流、直流両方で起
動できるようになっているが、RCIC は全交流電源喪失時にも稼働できるよう、
原子炉蒸気を用いるタービン起動ポンプによって注水することになっている。
全交流電源喪失に加え、バッテリー機能が喪失された状態を「全電源喪失」
といっている。
地震発生とともに、停電が太平洋側を中心とした東日本に広く発生した。地
震によって電力の中継基地である開閉所、変動所等が多く損傷したのである。
東電福島第一原発をはじめ複数の原子力発電所で、外部からの電力供給が止ま
った。外部電源の喪失である。
地震によって倒壊した鉄塔は1塔であった。東電福島第一原発敷地内にあっ
た 1 塔で、5、6 号機(いずれも計画停止中であった)への送電鉄塔であった。
1~3 号機では、送配電設備の損傷などによって外部電源を喪失したが、非常
用ディーゼル発電機が稼働したことで、交流電源は確保された。しかし、まも
なく突然その電源が断たれる。15m を超える大津波が、東電福島第一原発全体を
飲み込み、冠水した非常用ディーゼル発電機が、その機能を停止したのである
(ただし、国会事故調は、非常用交流電源の喪失の原因は、津波ではない可能
性もあるとの指摘をしている)。
1~3 号機において外部電源、非常用電源がなくなるという全交流電源の喪失
という異常事態は、こうして起こった。バッテリーも稼働していたものもあっ
たが、多くは冠水し機能しなかった。やがて稼働していたバッテリーも枯渇し
たことにより直流電源も断たれ、全電源喪失という事態となる。
東電福島第一原発では、シビアアクシデントを想定した対応マニュアルを整
備していた。しかし、このマニュアルは、長時間の全電源喪失は起こらない、
17
非常用電源が確保されるという前提で準備されていた。
津波に対する設計基準として設定されていた津波高さは 6.1m。大震災津波の
半分以下であった。この想定津波高さでは、タービン建屋にあった非常用ディ
ーゼル発電機が冠水することはなかった。津波に関して、東京電力がリスクと
して認識していたのは、冠水ではなく、津波襲来時の引き潮による水面の低下
であった。冷却用の海水ポンプが空回りし損傷することを警戒し、その対策も
講じられていた。非常用電源が、津波によって冠水し、電源が喪失するなどと
いうことはまさに「想定外」であった。
(2)想定津波高はどのように設定されたか
想定する津波の高さ(想定津波高)を 6.1m とした根拠について簡単に整理し
ておきたい。
想定津波高は、1 号機建設時には 3.122m であった.その後、段階的に引き上
げられ、東日本大震災発生時点では 6.1m となっていた。この間の経過などにつ
いて、国会事故調などの報告書によれば、次のようになっている。
① 東電が 1966 年に行った 1 号機の設置許可申請では、1960 年のチリ地震津波
の発生時、小名浜港で観測された最高潮位 3.122m をもって想定津波高として
認可された。この前提で、海抜 35m の丘陵を 10m に切り下げられ、それを敷地
高として原発が建設された。1 号機の非常用海水ポンプは4m、その電動機は、
想定津波高に余裕高 2.5m を加えた 5.6m のところに設置された。
② 1994 年に資源エネルギー庁の指示を受け見直しが行われた。文献に記録が残
っている 1611 年以降の 13 の地震津波を取り上げ、福島地点における最大の津
波はチリ地震津波とした。東電福島第一原発地点での想定は、3.5m とわずか
に上方修正された。
③ 2002 年、土木学会が「原子力発電所の津波評価技術」を策定した。これは、
初期の原発が建設されたのち、進歩した津波の予測技術を標準化し、原子力
発電所の安全設計に取り入れることを目的としてまとめられた。過去に発生
した津波の震源域を特定し、断層の傾きなどを変数としたモデル計算を何通
りもおこない、津波が最大になる条件を特定する。この評価技術にもとづく
検討の結果、想定津波高は、5.7m に修正された。この計算では、東北地方で
文献に残されている過去 400 年分のデータに基づいた津波を想定し、それ以
上の間隔で起きえる津波は想定の対象外とされた。
④ 2006 年、原子力安全委員会の「きわめてまれではあるが発生する可能性があ
ると想定することが適切な津波によっても」施設の安全機能が確保される、
という趣旨の耐震設計審査指針の改定を受け、想定津波高を 6.1m に修正し
18
た。
当初設定された 3.122m という津波高は、現時点から見れば驚くほど楽観的で
あったとの印象はぬぐえない。当時の津波予測技術、設計思想の限界であった
かもしれないが、原発の設計にあたって、自然事象をどう見ていたか、をよく
伝えているかもしれない。近年、こういう津波があったからと、淡々と設定し
ている印象だ。津波に対し、特別の警戒をするという発想は感じられない。
その後、2002 年に新たに策定された津波評価技術にもとづき、過去 400 年間
という期間を設定し、その間に発生した津波データをもとに 5.7m の高さが設定
された。さらに、
「きわめてまれではあるが発生する可能性がある津波」として、
これに 0.4m を加え 6.1m と上方修正したことがわかる。
津波高想定を、過去 400 年間に発生した津波データにもとづいたものにした
ことは、安全対策上の方法論として、前進であったといえる。原発とはいえ、
一つの施設を対象とし、400 年という「長期間」の発生事例をもとに(400 年確
率に相当)、津波高を設定することは、ほかには例がなかったと思料されるから
である。この意味では、原発の安全設計にあたっての自然事象の想定には、東
電も一定程度であるが特別の配慮をするべきとの発想はもっていたことになる。
しかし、5.7m という想定津波高は、それまでの津波対策の抜本的な見直しを迫
るほどのものでなかった。だからこそ、東電にとってもこの見直しは受け入れ
られた、とも受け取れなくはない。
「きわめてまれ」な津波をどのような考え方で設定したかは不明である。し
かし、わずか 0.4m を加え 6.1m を「きわめてまれ」な津波とした。背景には、
やはり大きな追加投資を必要としないことがあったのではないか。
当初の 3.122m の津波高を前提として、原発の敷地高を 10m まで掘り下げ、発
電施設が建設されたことが、その後の津波高の大幅な見直しを大きく制約する
要因となったと想像される。10m を越えるような大津波に備えるには、津波対策
の抜本的見直しが必要となり、巨額な追加費用を要する構造になったからであ
る。
(3)指摘されていた大津波発生の可能性
東電は、福島県沿岸において 10m を超える大津波が発生する可能性を何度か
指摘されてきたものの、必要な対応をしてこなかった。東電がもっともこだわ
ったのは、指摘されるところの大津波の発生の確からしさ(発生確率)であっ
たと思われる。大きな津波を想定することは、その対策として巨額の費用を要
する。費用を負担する以上、その根拠はしっかりしておかなければならない、
ということであったと思われる。安全確保とコスト負担という費用対効果の問
19
題といえる。企業として、安全を確保することと、経済性を確保することとの
間に生じるせめぎ合いである。
東電が津波想定に対し、どのように考え、対応したかは、先頃公表された事
故発生当時東電福島第一原子力発電所長であった吉田昌郞氏(故人)に対し、
事故調査・検証委員会がおこなった聴取の結果書(平成 23 年 8 月 16 日作成)
などからも、当時の臨場感を感じつつ読み取ることができる。
2002 年、政府の地震調査研究推進本部(以下「地震本部」という)は、
「三陸
沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」を発表した。この中で、
福島県沖を含む日本海溝沿いで、M8 クラスの津波地震が 30 年以内に 20%程度
の確率で発生すると予測した。この予測のもとになったのは、1611 年の慶長三
陸地震、1677 年の延宝房総沖地震であった。2008 年に、東電がこのクラスの地
震の震源が福島沖であると想定し計算したところ、東電福島第一原発の敷地に
は 15.7m の津波が押し寄せるという予測となった。奇しくもこの予測は、3 年後
に現実化する。
しかし、東電にとって、その時点の想定津波高 6.1m を一気に見直して対策を
とるには、あまりに津波高が大き過ぎた。予測のもとになった二つの地震津波
では、福島沿岸に大きな津波が押し寄せたとの記録はなかった。15.7m という津
波高は、震源地移動をおこなってモデル計算した結果の理論値であり、発生の
可能性を示すものである。可能性というだけで、巨額の対策費は支出できない
ということであったと思われる。既述のように、1 号機建設当初の想定津波高さ
は 3.122m であった。これを基準に敷地高を現況 35m から 10m まで堀り下げ、1
号機は建設された。非常用電源も同様だ。この敷地高で 10m を越える津波高を
想定することは、津波対策の抜本的な見直しが避けられず、費用も巨額になっ
たはずである。原発の供用期間中に、10m を超えるような、発生確率の低い津波
は来ない。それが東電にとっては、もっとも妥当な考え方であった。原子力安
全・保安院もこのことに関して積極的に動いた形跡はまったくない。
今後の検討課題として取り上げる形にはなったが、そのまま放置された。
2011 年 3 月 11 日、大きな揺れのあと、高さ 13m、遡上高 14~15m の大津波が
襲う。
研究者が大津波発生の可能性を指摘したもう一つの根拠が、869 年に東日本太
平洋側一帯を襲ったとされる貞観津波であった。文献記録はほとんどないため、
津波の大きさの推定などは、もっぱらボーリングによる堆積物調査によって行
われる。この調査結果にもとづけば、東電福島第一原発地点での津波高は、9.2m
であった。しかし、ここで東電が問題にしたのは、貞観津波発生の年代であっ
た。1000 年前以上の津波であり、それが再び押し寄せる可能性は低いとみた、
というよりは、近々そんな大きな津波は来ないとみることに慣れてしまってい
20
た、ということではなかったか。
過去においてどのような津波が発生したかは、津波想定の基本となる重要情
報である。しかし、どこまで遡って津波発生事例を設計に反映するのか、ある
いは、震源地移動をしたモデル計算で予測した津波高さをどう生かすのか、そ
れを判断する考え方がどこにも整備されていなかったのである。いずれも最終
的には東電任せであり、専門家が様々な意見をいうことはあっても、それが大
きな津波を想定すべきとの意見であれば、意見という以上の扱いはされなかっ
た。東電は、企業としてできるだけ支出を抑えることに軸足を置きつつ判断を
してきた。企業にそうしたベクトルが働くことはある意味仕方のないことかも
しれない。ただし、経済性に軸足を置いたことが今回の事故につながり、取り
返しのつかない巨大な不経済を生み出したことは、しっかりと肝に銘じておか
なければならないことだ。
さらに問題は、コスト優先の判断をしやすいという企業行動をチェックする
はずの原子力安全・保安院が、自ら動くこともほとんどなかったことだ。原子
力安全・保安院にすれば、どういう判断基準をもって対応すべきかについての
定見を持っていない以上、動きようがないということであったろうが、定見を
持っていないということへの定見もなかったことになる。
結局、東電が指摘を踏まえて、想定津波高を見直すことはなかった。
東電福島第一原発の設計と対照をなすのが、東北電力女川原発だ。
東北電力が宮城県の女川原発1号機の設置許可を申請したのは、1970 年であ
る。三陸リアス式海岸の最南端部に、建設しようとするものであった。東電福
島第一原発 1 号機の申請から 4 年後のことだ。東北電力が行った、明治三陸津
波(1896 年)、昭和三陸津波(1933 年)などの調査によれば、建設予定地の最
高津波高さは、3m 程度であった。しかし、東北電力は、この調査結果には、不
安を持っていた。三陸は、津波の常襲地帯だ。明治三陸津波では、建設予定地
から北約 40km では、14m を越える津波の襲来を記録していた。896 年の貞観地
震、1611 年の慶長三陸地震などについても検討対象となった。明確な記録のみ
ならず、歴史的な災害にまで着目した識見は、当時としては、画期的といって
いい。
検討の結果、敷地高さを 14.8m と決定。震源が南であった場合、建設予定地
を襲う津波はもっと高くなるだろうと想定したのである。非常用発電機もその
高さで設置された。
女川原発には、東電福島第一原発(敷地高さ 10m)で観測された 13m の津波高
さを上回る、14m の津波が襲った。敷地高さの設定が、女川原発の炉心損傷を防
いだ大きな要因の一つとなったといえる。
21
両者の違いは、女川原発が、津波の常襲地帯であったことにもよる。が、も
っと大きかったのは、東電と東北電力の、経営者、技術者の原発の安全確保へ
の感性、責任感の違いではなかったか。
(4)想定を上回った地震動による揺れ
地震についても触れておかねばならない。
地震は、耐震設計の考え方に直結する。ここで用いられる単位は地震のエネ
ルギーを表すマグニチュード(M)ではなく、揺れの大きさ(加速度)をあらわす
Gal である。耐震設計では二種類の揺れを想定し、それぞれ最大加速度を設定す
る。敷地地盤で想定する最大の地震動による揺れ(基準地震動 Ss)と、それに
よって発生する各構造物の最大の揺れ(最大応答)である。最大の揺れの大き
さ(最大応答加速度)に対して、構造物に発生する変形や応力が許容範囲に収
まり、放射性物質の漏出防止という安全機能が損なわれないように、建物、構
築物、機器、配管系を設計する。地震が起きた場合、安全上重要な構造物の揺
れ(最大加速度)が、基準地震動に対する最大応答加速度を下回っていること
が、必要となることはいうまでもない。
しかし、東日本大震災で、東電福島第一原発の 1~6 号機の各原子炉建屋で観
測された揺れは、東西方向の最大加速度で 550Gal であり、2,3,5 号機では基
準地震動に対する最大応答加速度を上回ったとされる。
基準地震動 Ss は、最大加速度 600Gal と設定されていた。当初、耐震設計上
の想定最大加速度は 265Gal であった。福島沿岸地域を、「全国的にみても地震
活動性の低い地域」とみなしたのである。津波の想定と同様に驚くほど楽観的
といっていい。その後、原子力安全委員会による耐震設計審査指針の決定、変
更とあわせ、370Gal、600Gal と最大加速度も上方修正されてきた。東日本大震
災時に観測された地震動の最大加速度は 675Gal であった。設定された基準地震
動 Ss(600Gal)を上回ったのである。
さらに、設定された基準値振動 Ss に対応した十分な耐震性があるかどうかを
チェックする耐震安全評価も進められず、1~3 号機について必要な耐震補強工
事がまったく実施されていなかったことが指摘されている。基準地震動に耐え
られるような補強がおこなわれず、耐震脆弱性を抱えたまま、3.11 を迎えたこ
とになる。
このことの影響について、政府事故調は、
「冷却機能の喪失などの事故の進展
に地震動が決定的な影響を与えた形跡はみとめられない」としているのに対し、
国会事故調は、
「地震動は安全上重要な設備を損傷させるだけの力をもっていた」
として、異なった見解を示している。国会事故調は 1~3 号機の地震動による損
傷の可能性を指摘し、1 号機については冷却材喪失の可能性を否定していない。
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両者の見解の違いは、放射能が高く原子炉建屋内などの機器の状態が確認でき
ないため、検証ができないとされている。しかし、地震動がどのような影響を
与えたかを把握しておくことは、今後の耐震対策を構築していくにあたっての
基本であり、いつまでも見解の違いがあるままにしておくことは許されないで
あろう。少なくとも、現時点では、現場の検証が困難であるにせよ、地震動が
原因となった可能性を否定できない限り、可能性があったことを前提とした対
策を講ずべきであろう。
地震動に対して備えるべきをことをわかっていながら備えていなかったこと
は重大だ。地震にしっかり向き合うべきとの認識、原発の安全確保を最優先す
るとの意志、そのいずれも感じられない。
原発導入当初の津波高、地震動の想定が楽観的だったことには、それなりの
背景があることは、指摘しておかなければならないであろう。
原発の導入がはじまった当時、地震、津波の発生のメカニズム、過去の発生
事例の分析方法、将来の発生予測手法など、今日、広く共有されている知識、
手法は、電力会社にも国の機関にもなかった。どういう地震、津波を想定すべ
きかについての考え方も明確ではなかった。
そうした知識、手法が発展、普及したのは 1960 年代、プレートテクトニクス
理論が、登場して以降のことだ。
プレートテクトニクス理論では、地球の表層部でおこる地震、津波、火山噴
火、造山運動は、プレートの水平運動によって説明される。プレート自体は変
形せず、プレート境界で地震などの大規模な地殻変動が起こるとする考え方だ。
地球表面は、いわば十数個の巨大な敷石で敷き詰められている。敷石がそれ
ぞれの方向性をもって動いている。その結果、敷石と敷石がすれたり、離れた
り、ぶつかりあって一方が他方の下に沈み込む、といったことが地球レベルで
起きている。敷石はプレート、プレート境界はその境目だ。
東日本大震災の巨大地震は、太平洋沖にあるプレート境界が震源となった。
ここでは、太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んでおり、深い日本海
溝を形成している。境界域にたまったひずみエネルギーが広い範囲にわたる岩
盤破壊を起こしたのである。さらに巨大地震は、大津波を引き起こす。
地震、津波、火山噴火などの発生メカニズムについての解明は、プレートテ
クトニクス理論の登場によって急速に進んだ。地球表層に起こる事象の地学的
理解は、抜本的な修正を迫られたのである。
直下型地震の震源となる活断層については、「活断層」の存在が広く知られ、
本格的な研究調査がはじまったのは 1970 年代であり、地震源として世間に広く
認知されたのは 1995 年の阪神・淡路大震災以降であろう。
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貞観津波の発見につながった地層から過去の大津波を調べる手法が報告され
たのは、1986 年である。
問題は、プレートテクトニクス理論登場後に急速に進化した、自然事象に関
しての分析、予測手法にもとづいた情報が、原発の安全管理に十分反映されな
かったことにある。
(5)すべてのシステムを一挙に共倒れにした地震、津波
緊急時の原子炉の安全確保のための装備は、スクラム(原子炉緊急停止)機
能、各種冷却系統が幾重にも用意された緊急炉心冷却装置(ECCS)、非常用電源
など一つ一つをみれば、技術の集積された機器、装置の集合体であった。東電
福島第一原発の装備が、十分機能したかどうかについては、国会事故調、政府
事故調がいろいろな角度から検証している。ここで取り上げておきたいのは、
国会事故調の次の指摘だ。
「日本におけるシビアアクシデント対策(SA 対策)はいずれも実効性の乏し
いものであった。日本は自然災害大国であるにもかかわらず、地震や津波とい
った外部事象を想定せず、運転上のミスあるいは設計上のトラブルといった内
部事象のみを想定した SA 対策をおこなってきた。」
工学的に詳細な検討のうえに設計・製作され、正確に稼働するはずであった
機器、装置。その多くが、地震、津波という外部事象による全電源喪失(一部
は地震動による配管損傷の可能性)によって機能できず、非常時の炉心冷却機
能は不全に陥った。そして炉心のメルトダウン、水素爆発、大量の放射性物質
の外部放出へと暴走していった。放射性物質を内部に封じ込めるはずであった
原子炉圧力容器、格納容器もこの事態の中では、役割をはたせなかった。
様々な装備で固められ、安全といわれ続けた原子力発電所。しかし、地震、
津波という外部事象によって、すべてのシステムが一挙に共倒れになった。地
震、津波は、その時点で想定されていた規模以上のものは来ない、との予断が
先行し、そこに大きな隙ができたのである。
「木を見て森を見ず」の安全設計で
あったことになるが、それがもたらした被害はあまりに甚大、深刻だ。
日本はもとより世界を震撼させた東電福島第一原発事故の基本原因を、国会
事故調は、
「SA 対策では地震、津波といった外部事象を想定」していなかったこ
とに求めている。それは、日本列島が、ときにわれわれの生活を根本からおび
やかすような過酷な状況を作り出すことがあるなかで、原発という特殊な施設
の安全確保にどう向き合っていくか、に関して大きな盲点があったことを意味
する。
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(6)中央防災会議の地震・津波想定
地震・津波をどう想定するかについては、触れておかなければならない重要
な点がある。それは、一部の学者を除き、そもそも東日本大震災のような巨大
地震、大津波の発生を誰も想定していなかったことである。それは、国の中央
防災会議の災害想定も例外ではなかった。
太平洋沖では、近い将来に、高い確率で大きな地震、津波が発生するとの認
識は、多くの地震、津波学者などで共有されていた。政府の中央防災会議の「日
本海溝・千島海溝周辺海溝地震に関する専門調査会」(2005 年専門調査会)は、
2005 年 6 月に、
「強震動及び津波高さの推計について」をまとめ、発生するであ
ろう地震、津波の強度、高さを予測している。過去の発生事例を参考にいくつ
かの震源地を設定し、その震源地ごとに地震強度、津波高を想定した。さらに、
これにもとづき翌年 1 月には被害想定もまとめている。
しかし、専門調査会が想定した地震、津波の規模は東日本大震災を大きく下
回るものであった。被害額もまたしかりであった。原発事故の発生など思いも
よらぬことであったに違いない。原因は、検討のもとになった地震・津波の発
生事例を過去数百年に限定したことにあった。
東日本大震災を受け、2011 年 4 月 27 日に、中央防災会議のもとに「東北地方
太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」
(2011 年専門調
査会)を立ち上げた。東日本大震災の教訓をまとめ、次の災害に備えることを
目的として設置された。
ちなみに筆者は、この当時、内閣府副大臣(国家戦略等担当)で、被災者支
援本部の事務局長として、被災支援、応急復旧の指揮にあたっていた。現場に
何回も足を運ぶ中、地震、津波の検証に早急に着手し、復興計画の策定や今後
の防災対策に反映させる必要性を痛感した。筆者の担当外ではあったが、当時
の松本龍防災担当大臣に直訴し、快諾を得て設置されたものである。
2011 年専門調査会では、2005 年専門調査会が太平洋沖で発生すると想定した
地震、津波が、6 年後に発生した東日本大震災の地震、津波となぜ大きく違った
のかについても大きなテーマとなった。2011 専門調査会が 2011 年 9 月 28 日に
まとめた報告書では、
「過去数百年間に経験してきた地震・津波を再現することを基本として、過
去に繰り返し発生し、近い将来同様の地震が発生する可能性が高く切迫性の高
いと考えられる地震・津波を、想定対象地震・津波と考え、地震動と津波の検
討対象としてきた」とし、
「今回の東北地方太平洋沖地震は、わが国の過去数百年間の資料では確認で
きなかった、日本海溝の複数の震源域が連動発生したマグニチュード 9.0 の地
震であった」と、その理由を総括している。
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つまりは、「過去数百年間に経験してきた地震・津波を再現することを基本」
としてきたがために、この間経験したことのない規模の地震・津波は想定でき
なかった、といっているのである。
ちなみに、2005 年専門調査会では、896 年の貞観津波についても議論がされ
ている。想定すべき津波高は、貞観津波を考慮に入れ設定されるべきとの委員
からの意見も出されているのである。しかし、発生年代が古いこと、震源地に
ついて不明点が多いことなどから検討の対象から外されている。
2005 年専門調査会では、どのような考え方で発生予測をするかをめぐって、
かなりの議論があったようだ。
将来起こりうる災害想定の基礎になるのは、過去の災害である。ただ、注意
すべきことがある。災害の発生に、はっきりとした規則性がないことだ(火山
活動域の限定性といった例外はある)。規則性を持たない過去の発生事例をもと
に、将来の災害を想定することは、確率的で不確実性をともなったものになら
ざるを得ない。不確実性をともなうものの判断には、判断する側に迷いが生じ、
それを批判する側にはさまざまな議論が起こりうることは、われわれが経験的
に知っていることだ。
また、われわれには、何事によらずものを考える場合、まずは経験した事実
をもとに考える傾向がある。一方、大きな地震、津波、火山噴火などは発生間
隔が長く、発生確率的に百年単位、千年単位、火山噴火についてはさらに万年
単位以上で発生する規模のものもあるようだ。これに比べれば人の一生の期間
などは非常に短い。経験した事実をもとに考える傾向のある人間が、遠い過去
の発生事例をもとに、一定の期間内で起こりうる災害想定をするためには、過
去の発生事例を具体的に理解するための信頼に足る資料、データが必要だ。
繰り返し述べてきたことだが、災害対策では、まずどういうレベルの事象を
想定するかが検討の出発点になる。想定する事象の規模によって対策は大きく
変わる。地震、津波などの想定では、過去の発生事例をどこまで遡るかが地震
強度、津波高の決定に大きく影響する。
どこまで遡るかを規定する要素の一つは、信頼に足る資料、データの存在有
無である。資料、データの存在は、分析、解析のもとになり、過去の事象を具
体的に理解する手がかりとなる。逆にいえば、分析できないものは、検討の対
象にならず、除外することになりかねない。
また、遡る期間を長くすることは、より発生確率の低い、より規模の大きい
災害の想定することにつながる。発生確率の低い事象は、一定期間内で発生す
る不確実性が増す、つまりは感覚的には現実味が薄いことになる。また、想定
する規模がきわめて大きくなるとその信頼性が問われ、場合によっては社会的
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な混乱をまねくおそれもある。
こうした議論を踏まえ、地震、津波についての発生、被害予測がなされ公表
された。しかし、東日本大震災は、そうした予測などまったく意に介さずやっ
てきた。
地球表層で起こる自然現象には、国レベルの専門化集団をもってしても、そ
の発生予測を困難にする不確実性がある。
ただし、だからといって、東電福島第一原発事故が天災によって誘発された
事実の、言い訳や弁護の根拠には、いささかもならない。あのような原発事故
は、いかなる理由があろうと、どういうことが原因であろうと、「絶対」に起こ
してはならなかったからである。
なお、中央防災会議は、東日本大震災の経験を踏まえ、広域的な防災体制を
構築するため、津波、地震などについて最大規模の想定をするように変わって
いる。首都直下型、南海トラフ地震のこれまでの想定規模は大きく見直されて
いる。
これは、もちろん、災害想定をもとに、建物や、構造物をより強靭なものに
していくという目的をもっている。しかし、主眼はむしろ、大規模地震や大津
波が発生した場合、避難場所をどこに確保すべきか、どう避難するか、被災者
への支援体制はどうあるべきか、企業、役所の準備体制はどうあるべきかなど、
災害の発生を前提とした体制作りにある。
東日本大震災の津波によって、多くの方々が犠牲となった。
犠牲となった方々には、津波発生時の避難先として指定されていた施設、場
所に避難し、そこで津波にのみ込まれてしまった方々が少なくない。
「ここに避
難をすれば大丈夫」と信じて避難した先で、津波にのみ込まれたのである。何
度思い返しても痛ましさと、戦慄を覚える。自治体の建物まで被災し、自治体
機能が停止するという、それまでの災害想定にはなかった事態も現実化した。
最大級の津波、地震を想定することに異論がなかったわけではない。南海ト
ラフ地震想定が公表されたあと、被害想定地域では風評被害が起こっている、
との指摘もあるようだ。しかし、災害に備えた体制作りには、最大級の規模想
定をすべきと強く主張したのは防災担当大臣であった筆者である。その根底に
あったのは、津波からの避難先での被災は避ける、との思いである。このこと
は、東日本大震災のもっとも大事な教訓の一つだと今でも確信している。
3.原発事故の異様性、異質性
(1)公共土木施設などの設計において自然事象にどう向き合ってきたか
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道路、橋、海岸堤防といった公共土木施設、構造物あるいはビル、住宅など
は、地震、津波などの自然事象に対し、一定の災害想定(揺れの強さ、津波高
さなど)をし、その地震に耐えうる、津波の侵入を防ぐよう設計をする。地震
の強度、津波の高さを高く設定し、それに備えた設計をすれば、地震、津波に
対し、より安全であることは当然である。しかし、その分のコスト(費用)は
膨らむ。想定する災害の規模をどの程度にするかは、費用と、軽減される被害
額(効果)との関係で決まる。一般的には、大きな被害が想定されるのであれ
ば、その被害を最小化、あるいは軽減するために必要なコストが高くなること
は許容される、と考えられる。
軽減される被害額とは、ある事象が発生し、何も安全対策をしない場合にそ
の事象によってもたらされる全体の被害額(被害想定額)から、安全対策を講じ
たことによって軽減される被害額相当分をいう。さらに、被害想定額とは、あ
る事象が発生した場合の、その事象による全体の被害額と、その事象の発生確
率で決まる。発生確率の小さな事象は、通常それが発生すればその全体被害額
が大きくなる。しかし、発生確率を勘案することで、費用対効果上の想定被害
額は小さくなる場合もある。
以上は、理論上の整理である。
現実には、地震、津波といった発生間隔の長い自然事象は、その発生確率を
数値的に特定するのは困難である。被害額の想定もその被害の範囲をめぐって
見方が分かれる。理論上は体系的になっていても、実践上の費用対効果算定に
は限界がある。
実際の運用では、過去の発生事象をもとに、経験的に想定すべき事象が設定
されている。たとえば、建築に関しては、建築基準法によって耐震建築につい
ての考え方が規定されている。戦後経験した地震災害をもとに何度も改訂され、
耐震技術の進歩もあり、耐震基準は強化されてきた。しかし、住宅の場合、個
人負担がともなうため、コスト負担に限界があることもあり、中規模の地震強
度を基準として設計をしているようだ。道路、橋といった一般の公共土木施設
については、これも基準強化がされたが、近年は過去 150 年ぐらいを期間とし
て、そのなかで発生した地震強度、津波高の最大に準ずる規模を基準として設
定しているようだ。東日本大震災の津波被災地では、倒壊した海岸堤防の復旧
も進んでいる。その高さの設定をめぐり様々な議論が起こっているが、高さ設
定の基本は、100 年程度で発生する津波を想定して設定されている。千年に一度
の発生確率とされる東日本大震災のような津波に対応した堤防の設置は考えて
いない。
津波は「逃げる」ことが基本だ。海岸堤防の設置とあわせ、それを超える大
津波を想定した避難計画の策定、避難場所の確保、避難訓練の実施などが津波
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防災の基本であることは改めて繰り返す必要はないであろう。
三陸地方では、復旧される堤防の高さが、100 年程度で発生する津波想定であ
っても、10m を超える場合が多く、その高さをめぐって議論がおこっている。基
準となる高さは、国の補助金支出を前提として復旧をみとめる堤防高の上限で
ある。あくまで上限の高さであって、この高さで復旧しなければならないとい
うものではない。沿岸部では、住宅の高台移転によって堤防の背後地に家がな
くなるところも少なくない。もともと、堤防の背後地は農地だけだったという
ところもある。こうした場所では、上限通りの堤防を復旧する必要性は高くな
い。住民が同意できるのであれば、景観維持の観点からも堤防高は地域が決め
ればいい。現にそうしている地域が出てきている。また、堤防の復旧は、背後
地の状況を考え、復旧を急ぐ場所と議論をする時間をもうける場所とに分けて
対応することがあってもいい。
話をもどしたい。
要は、施設設計要件としての災害想定は、理論的には、発生確率を勘案して
算定される被害軽減額、それに要するコストとの関係で決まると考えられる。
巨大地震、大津波、大規模火山噴火は、それが現実に起これば、甚大な被害を
もたらす。ただし、こうした事象の発生の確率は低いと考えられる。同時に、
発生の確率の低い(規模の大きい)事象を想定し、それに対抗した構造物の設
置や、設計上の強化をするには大きなコストがともなう。
公共土木施設、構造物、建物の設計にあたっては、経験的に、発生確率がか
なり低いと想定される事象を施設設計要件とし設定することには、一定の限度
を引いてきた。その根底にあるのは、一度発生すれば、甚大な被害が発生する
と想定されても、確率的に算定される被害額はそれほど大きくないこと、その
一方、必要なコストは大きく膨らみ、財政的支出は困難と判断されているから
である、と考えられる。
日本の歴史は、地震をはじめとして、洪水、台風、津波、火山噴火、地滑り
など天災との闘いの歴史だ。
自然を力で抑えつけることは無理である。
歴史を通じ、あるいは身をもって知った、動かすことのできない事実である。
地震を例にとれば、わが国は、数々の地震被害の経験をもとに、施設の耐震
力強化に努力を重ねてきた。経済の発展にともない、そのためのコスト負担が
できる経済力もついた。学校をはじめ、耐震建築を施した施設や構造物の耐震
性はかなり高まっている。耐震技術はこれからも向上し、より安全な建物、構
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造物は増えてくるであろう。そのための努力は、これからも続く。
それでも、耐震設計がすべての地震に対し万全ではないことを、われわれは
承知をしているのではないか。巨大地震が発生した場合には、損傷、倒壊する
家、構造物がどこかで出てくるかもしれないことを経験的に知っている。日本
列島で暮らし、日本列島の恵みをうける一方、完全には避けることはできない
ことだと知っている。
しかし、それは、決してあきらめではない。
自然災害は必ずやってくる。しかし、いかに被害が甚大であろうと、それを
乗り越え、再建する。それができると信じているのではないか。その根底にあ
るのは、災害が起こる都度立ち上がってきた、もうひとつの歴史的経験であろ
う。われわれが意識するとしないとにかかわらず、災害とつきあいながら生き
る、との静かな覚悟が、日本人一人一人のこころの奥底に、本来的に形成され
ているのかもしれない。
同時に災害から命をまもる努力は、各分野において、さまざまな形で行われ
ている。これからも、不断の取り組みとして続けていかなければならないこと
は言うまでもない。たとえば、高速で疾走する新幹線は、地震動を感知して緊
急停車する。東日本大震災時も JR 東北新幹線などではこれが作動した。線路を
ささえる橋脚が、地震によって損傷したり、送電塔が倒壊したり、大きな被害
が出たが、人命は守られた。また、技術だけではなく、日頃からの避難訓練な
どによって備えなければならないこともわれわれは知っている。津波に対して、
避難路、避難階段、避難塔などの設置への取り組みを続けている。大きな災害
がおこれば、自衛隊、警察、消防などただちに動き出す体制をつくっている。
自治体間の連携網も張り巡らされている。非常時の医療体制も構築され、多く
のボランティアもかけつける。さまざまなレベルで食料、物資の備蓄もおこな
っている。
防災教育も重要だ。大きな災害は、発生間隔が人の一生に比べて長いため、
時間の経過とともに災害経験が忘れ去られてしまうことが、傾向として強くあ
る。東日本大震災の津波被災地域には、明治、昭和の三陸津波経験によって一
度居住が禁止された地域もあった。戦後の高度経済成長などのもとにあって、
いつの間にか、そのこと自体が忘れられ市街地が形成された。3.11 の大津波は、
そこを襲ったのである。災害に強い町づくり、しっかりとした防災体制の構築
には、まず災害経験を伝え続けていくことが基本だ。過去の経験を忘れてしま
っていたことの経験も含め、多くの経験をわれわれは伝えていかなければなら
ない。その取り組みも、すでに始まっている。
(2)原発事故の異様性、異質性
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原子力利用施設が、他の施設、構造物と異なることは、何らかの理由で損傷、
故障すれば、そこから他とは比べものにならないほどの大きな事故、災害に発
展する可能性があることだ。もっとも深刻なのは放射性物質による汚染だ。そ
の影響は長く続く。放射能のレベルが高ければ、その地域は長期間居住できな
くなる。避難を余儀なくされた人々は、帰ることさえも困難になる。事実上の
地域破壊だ。時限的とはいえ国土の喪失といっても過言ではない。放射能レベ
ルが低くても、精神的ストレスなど住民の健康や風評被害など地域経済に深刻
な影響がでる。汚染された地域では除染作業が粘り強く行われている。効果は
確かにあるが、限界もある。東電福島第一原発周辺市町村や放射能レベルの高
い地域では、実効性のある復興計画をたてられない状況が続いている。
事故の処理も、大変な困難と負担を伴う。東電福島第一原発の敷地内では、
破壊された原子炉の解体に向けた必死の取り組みが続いている。
「廃炉」といわ
れているが、耐用年数を迎えた、あるいは役割を終えた原子炉の通常の廃炉と
はまったく違う作業だ。事故によって大きく損傷した原子炉の解体は世界で初
めての取り組みだ。作業員の被爆を避けながらの破壊された発電所施設の撤去
作業、大量の汚染水の処理、デブリと呼ばれるメルトダウンした核燃料の取り
出し、炉の解体撤去、発生した廃棄物の処理など、これまで経験したことのな
い作業の連続である。外からの地下水の浸入を防ぐという、本来、土木的には
あまり問題とならない工事ですら、汚染水の入った管路が複雑に張り巡らされ、
放射性物質で汚染された原発サイトでは、きわめて困難な工事になってしまう。
いずれも、新たな技術開発、試行錯誤を繰り返しながらの取り組みとなる。東
電から廃炉のロードマップは出されているが、現状では、達成見込みの立たな
い目標だ。
被害額の全貌はまったくわかっていない。いつわかるかもわからない。
以上のことは、例えば、同じ電気を生み出す火力発電所との比較をすること
でより鮮明になる。福島県内だけでも海に隣接した火力発電所が多くあり、そ
のほとんどは地震、津波(特に津波による影響が大きかったと思われる)によ
って発電所全体が大きく損傷し、発電停止に追い込まれた。しかし、火力発電
所の被害はそこでとどまり、原発事故のようにそこからあらたな事故災害へと
拡大することはなかった。被災直後から、発電所の復旧、再稼働に向けた取り
組みが始まった。被害は甚大であったが、それを乗り越え、現在、被災した火
力発電所はすべて稼働し、電気を供給している。
日本の歴史は天災との闘いの歴史である。繰り返し日本列島のどこかで災害
に見舞われてきた。が、同時に、その都度、災害から立ち上がってきたことも、
また日本の歴史である。このことは既に述べた。しかし、原発事故は、事故か
らの立ち上がりを容易に許さない、場合によっては不可能にしてしまう危険性
31
をはらんでいる。この点においても、まったく異様、異質だ。
さらに、ここで改めて考えておかなければならないことがある。わが国特有
といっていい原発事故原因の特異性だ。チェルノブイリ、スリーマイル島の事
故は、操作ミス、装備の不備という原発自体が事故原因を作り出した。東電福
島第一原発事故は、世界が初めて経験した、地震、津波といった自然事象が誘
発した原発事故であった。日本列島は、世界の原発立地国と違う、地震、津波、
火山噴火などの多発地帯だ。災害が複数同時的に発生する場合、それを複合災
害と呼んでいる。東日本大震災は地震、津波、それらによって誘発された原発
事故が重なった、世界で初めての複合災害でもあった。
複合災害は、原発事故への対応をさらに難しくし、原発周辺からの避難をよ
り困難なものにする。そのことは、東電福島第一原発事故で、われわれが経験
したことであった(当時の避難実態など検証は、十分されたとはいえないが・・・)。
東電福島第一原発事故では、地震規模の大きさの割には、道路への被害が少な
く、事故現場へのアクセス、避難路が確保されていたことは、過酷な状況のも
とでの、幸運であったかもしれない。地震は、原発事故の原因となるだけでは
なく、道路の損傷、地滑りによる道路閉鎖などによって事故対応を遅らせ、事
故を拡大させる要因を作り出す可能性をもつ。避難路が寸断されれば、避難す
る住民にどういうことが起こりうるかを想像することは難しいことではない。
原発敷地内で、降灰が 10cm を超えるような大規模な火山活動があった場合の事
故対応、避難は、さらに困難なものになる可能性をはらむ。
総じて言えば、東電福島第一原発のような原発事故は、人的、物的に深刻な
被害―その被害が継続性を持つという点でさらに深刻な被害―をもたらすとと
もに、復旧・復興の目途が立てられない災害を引き起こす可能性を持っている。
天災に重なる複合災害として原発事故が発生した場合、その対応は、さらに困
難なものになる。被害が相乗的に拡大する可能性もある。
さらにいえば、深刻な被害を超えて、破局的な被害をもたらす可能性を含ん
でいる。事故発生時、4 号機の使用済み核燃料プールには、1500 本を超える核
燃料集合体が入っていた。計画停止中で、原子炉から外に取り出されていた。
これに異常が起こらなかったことは、単に幸運であった面が大きかったことを
忘れてはならない。
原発の深刻な事故は今後も起こりうる。しかも、地震、津波という自然事象
が引き金となりうる。その事故がもたらす被害は、これまでわれわれが経験し
てきたどの災害ともちがう異様性、異質性をもつ。しかも、破局的な被害をも
たらす可能性をもつ。不幸にして、こうしたことを、われわれは、東電福島第
一原発事故を経験することによって、初めて「事実」として受け止めた。
32
一方、東電福島第一原発は、発生の可能性がある程度高いと想定される自然
事象を安全設計の対象としてきた。このことは、
「費用対効果」の考え方が、公
共土木施設など一般の施設建設と、同じレベルのものであったことを意味する。
発生確率のかなり低い事象に対しては、薄い防備であることを事実上容認して
きた。底流には、そうした事象は原発稼働期間中には起こらない、もしくは、
発生したとし、それが事故につながったとしても、その事故の程度は軽微なも
のと想定していたのである。
さらに、東電は基準となる地震動が見直され、それに沿った耐震補強が必要
とされた工事でさえ速やかに実施しなかった。地震、津波対策は、東電が負担
できると判断した範囲内でおこなうことが、いわば常態化していたといえよう。
原発は、
「事故は起こしてはならない施設」という発想が実態として徹底され
ず、安全設計上も自然事象に備えた特別の配慮が必要、との基本認識が希薄で
あったことになる。
同時に、こうしたことを結果論として議論するしかない、という現実を忘れ
てはならない。経験を通して学ぶことは、大切なことである。しかし、本来、
東電福島第一原発事故のような事故は、決して経験してはならない事故であっ
た。だからこそ、われわれはこの事故から、より真剣に、多くを学ばなければ
ならないということだが・・・。
学ぶべき多くの事柄の根底に一つの大きな課題が横たわっている。原子力の
利用(放射性廃棄物の最終処分を含む)にあたり、地震、津波といった日本列
島に起こる自然の事象とどう向き合うか。これまで深く議論されることのなか
った、あるいは議論することが避けられてきた課題である。
4.われわれはいつまで原発に依存するのか。
(1)強化された規制基準
リスクという言葉がある。何らかの有害な、あるいは不利益をもたらす事態、
事象が発生する潜在的可能性、といった意味合いをもつ。
原発には、大きく分けて二種類のリスクがある。一つは、原子炉あるいは関
連施設の設計、製作上のミス、操作上のトラブルと言った内的事象による事故
発生のリスクだ。世界の原発に共通したリスクだ。わが国においても、原子力
施設の事故が相次ぎ、このリスクが顕在化したことは承知の通りだ。もう一つは、
地震、津波、火山といった外部事象によって事故が引き起こされるリスクだ。
これについてもある程度の共通性は持つと考えられるが、自然事象の発生する
事象の規模、頻度はわが国においては格段に高く、その分、原発が抱えるリス
クは高いと考えなければならない。
33
本小論では、後者の外部事象によるリスクに軸足をおいて、議論を進めてい
る。
原発が導入された始めた 1960 年代、あるいはそれ以降も、原子力利用と、地
震、津波、火山活動といった自然事象とがどう向き合って行くかについて深い
考察はなされなかった。導入初期の原発設計では、地震、津波などの想定は今
からみれば、驚くほどの緩さだ。地震、津波の分析・発生予測技術の当時の水
準が、そのまま反映された形だ。火山活動については検討対象にすらなってい
ない。問題は、プレートテクトニクス理論の登場などその後の地球科学の発展
と、それを基礎とした分析、予測技術の進化が生み出した情報を、その都度取
り入れてこなかったことだ。原子力利用がもたらす便益、可能性についてのみ
ひたすら関心が向けられ、原発の拡大が急がれた結果ともいえる。
2007 年に発生した中越沖地震では、東電柏崎刈羽原発で想定(最大想定)を
大きく超える地震動が観測された。M6.8 の地震によって、1 号機では、想定を
大きく超える最大加速度(680Gal:設計想定 273Gal)が観測された。あらかじ
め安全率を勘案した耐震設計をしていたため、幸い大きな事故に至らなかった
が、原発敷地内では火災が発生した。しかし、設計想定を大きく上回る揺れが
観測されたことにより、地震動の想定が安全設計上の大きな問題点となること
が明らかになった。こうした経験などを踏まえ、全国の原発の基準地震動を見
直すなど地震、津波対策についての段階的な見直しが行われたが、いずれも対
処療法的なものであったとの印象はぬぐえない。自然事象への向き合い方の甘
さとそこに生じる隙は、わが国の原子力政策の中に最初から内包されていた。
その修正がされないまま、3.11 東日本大震災を迎えたのである。
東電福島第一原発事故は、起こるべくして起こったともいえるのである。
そして、安全と言われ続けたわが国の原発が、実は、不確実性と脆弱性をも
った基盤の上に成り立っていることを認識させられた。これまで繰り返し言わ
れてきた「わが国の原発は安全」という言葉で、こうしたきわどい現実が覆い
隠されてきたのである。見て見ぬふりをしてきた、といった方が、より事実に近
いかもしれない。
東電福島第一原発事故を受け、政府、国会、民間、東電などに事故調査機関
が設置され、事故の原因究明などが行われた。その結果は報告書としてまとめ
られ公表されている。
東電、国の関係機関ともに、自然事象を限定的に考え、そこで思考停止して
いた。ここに巨大地震、大津波がやってきて、東電福島第一原発の深刻な事故
へとつながっていく。事故に至った経過を分析し、政府事故調、国会事故調は
次のように指摘している。
34
○
政府事故調
最終報告書(平成 24 年7月 23 日)
① 日本は古来、様々な自然災害に襲われてきた「災害大国」であることを肝に
命じて、自然界の脅威、地殻変動の規模と時間スケールの大きさに対し、謙
虚に向き合うこと。
② リスクの捉え方を大きく転換すること。今回のような巨大津波災害や原子力
発電所のシビアアクシデントのように広域にわたり甚大な被害をもたらす
事故・災害の場合には、発生確率にかかわらずしかるべき安全対策・防災対
策を立てておくべきである、という新たな防災思想が、行政においても企業
においても確立される必要がある。
③ 安全対策・防災対策に範囲について一定の線引きをした場合、「残余のリス
ク」
「残る課題」とされた問題を放置することなく、更なる掘り下げた検討を確実
に継続させるための制度が必要である。
○
国会事故調
報告書(平成 24 年 6 月 28 日)
今回重大な津波のリスクが看過された直接的な原因は、東電のリスクマネジ
メントの考え方にある。科学的に詳細な予測はできなくても、可能性が否定
できない危険な自然現象は、リスクマネジメントの対象として経営で扱われ
なければならない。新知見で従来の想定を超える津波の可能性が示された時
点で、原子炉の安全に対して第一義的な責任を負う事業者に求められるのは、
堆積物調査等で科学的根拠をより明確にするために時間をかけたり、厳しい
基準が採用されないように働きかけたりすることではなく、早急に対策を進め
ることであった。
政府事故調の「発生の確率にかかわらずしかるべき安全対策・防災対策を立
てておくべきである」という指摘と、国会事故調の「科学的に詳細な予測はで
きなくても、可能性が否定できない危険な自然現象は、リスクマネジメントの
対象として経営で扱われなければならない」との指摘は同じことをいっている。
なお、政府事故調の報告書が、
「リスクの捉え方を大きく転換すること」とし
て、巨大津波災害と原子力発電所のシビアアクシデントを並列して記述してい
るが、筆者は、これに異論がある。
既に論じたように、原発事故の異質性、異様性を踏まえれば、両者はその性
35
質上、そもそも同列には論じ得ないものだ。
自然事象である津波の発生を、防止する手段はない。まさに、天災だ。巨大
津波も確率的には小さくとも、いつでも発生しうる。津波の発生は、動的日本
列島には「不可避」のことであり、われわれはそのことを経験的に承知してい
る(いつの間にか忘れ去っていることも少なくないが・・)。一方、原発事故は、
発生の「可能性」があることは、知識として承知している。しかし、後述する
ように、
「現実」に事故が発生しうることを、われわれはどこまで受け入れてい
るのであろうか、という根本的な疑問がある。この点からしても両者は同列に
論ずべきでない。
調査報告書の指摘などを受ける形で、原発の規制基準は原子力規制委員会に
よって大きく見直された。想定すべき地震による揺れ、津波高の設定の考え方
が厳格となり、耐震・耐津波性能は強化された。想定する地震動、津波高さを、
これまでより規模の大きい(発生確率の小さい)ものに設定し、これに対応し
た設計をするということだ。火山噴火などへの対応も規制基準に新設された。
活断層の判定もより安全側になるよう慎重になった。これまで活動層とされて
いなかったものが、活断層とされたところも出ている。
新規制基準によって、わが国の原発は、世界の原発が想定するものとは、さ
らにかけ離れた自然事象を想定し、確固たる対策を講じることを義務づけられ
ることになった。新規制基準に適合した原子炉は安全性を高め、事故発生の確
率をかなり低下させるであろうことは確かだ。
こうした見直しは、当然のこととして受け取れる。見方を変えれば、原発導
入段階から講ずべき対策を追加的に取り入れただけであって、安全性の強化で
はなく、本来備えるべき装備、体制がやっと整うことになっただけともいえる。
さらには、原発は、特殊な施設であり、その安全性の確保には、自然事象に対
しても特別の配慮が必要との原則が、原発導入後 40 年経過して、はじめて定着
しつつあるともいえる。
では、新基準にもとづいて、想定すべき自然事象はどのような考え方で設定
されるのであろうか。
地震、津波、火山噴火などの規模には、あえて極言すれば上限はない。起こ
りうる絶対的最大値を特定することが困難、ということだ。直下で地震が起こ
れば非常に強い揺れを引き起こす。20m を超える津波がやってきてもおかしくは
ない。数十㎞にわたって火砕流が覆い尽くすような破局的噴火もありうる。そ
もそも、規制基準をいくら厳しくしても、あらゆる事象を想定し、工学的に対
応することはできない。
施設の安全設計上、どうしても想定すべき自然事象の規模を特定しなければ
36
ならない。やはり、どこかで「線」を引くことになる。その「線」は、過去の
発生事例、モデルによるシミュレ―ション計算、事象の発生確率などをにらん
で、引くことになると思われるが、明確な基準があるわけではない。例えば、
発生確率によって、その「線」を引いていくという考え方は、理論上あり得る。
しかし、発生間隔の長い大規模な事象について、信頼できる数値化はできない。
結局、原子力規制委員会による再稼働の審査では、想定すべき自然事象の規模
については、それぞれの原発の立地条件に応じて設定することになったようだ。
設定の考え方に関しての曖昧さは、やはり残る。それは、自然事象という不
確実性をもったものを対象とする以上、やむをえないことかもしれないが。
(2)吉田元所長が示唆したもの
この、
「線」を引くことについて、東電福島第一原発の所長であった吉田昌郞
氏は、次のような証言を残している。
〇回答者 (略)ここが全部活断層だとすると、マグニチュード9ぐらいが起
こってしまうんです。でも、地質を調べていくと、これは断層ではない。地質
学者といろんなタイプの理学者がいて、そこの意見の調整の場みたいなところ
があるんです。そこで大体総意が得られたものが、いろいろな設計における相
場になるわけです。ただ、本当にそれでいいかというのは、私は疑問です。こ
れはプライベートな意見ですけれども、最後はあるレベルで合意してしまうレ
ベルというのがありますね。本当にそれでいいのかというのは分からないんで
す。
例の中越のときもそうなんですけれども、あそこではマグニチュード 6.8 ぐ
らいの地震は、一つは海側に来るというのは想定していなかったので想定外
なんですが、それであれだけ大きい地震動になるというのは、だれも思って
いないわけです。だから、最近の地質、地震学のものは、いろんなところで
今までの定説を覆しているところが結構あるわけです。
だから、マグニチュード9は来ないと言ったのが、今回来たわけです。来ない
というか、だれも言っていなかったのに来たんですけれども、個人的にいうと、
基準をこれからどうやって決めていっていいのかわからないようになってい
るというのが、私の正直な気持ちです。(下線は、筆者)
吉田氏は原発事故を目の当たりにし、自然の持つエネルギーの巨大さと、そ
の動きの不確実性を、実感していたに違いない。
前段は、言わば妥協によって、想定すべき事象が決められてきた(「線」が引
かれてきた)ことに対する率直な反省である。
37
後段の、
「基準をこれからどうやって決めていいかわからない」という吉田氏
の言葉には、大変重い示唆が含まれている。
政府事故調の「発生の確率にかかわらずしかるべき安全対策・防災対策を立
てておくべきである」、国会事故調の「科学的に詳細な予測はできなくても、可
能性が否定できない危険な自然現象は、リスクマネジメントの対象として経営
で扱われなければならない」との指摘を受けるように、原子力規制委員会によ
って原発の規制基準が強化された。吉田氏の証言は、自然事象からの安全確保
の規制基準は、どのように設定するのか、との問いかけにほかならない。
吉田氏は、判断が難しい、と言っている。発生間隔が長く、発生の時期、規
模などに不確実性のあるものにどうやって一定の「線」を引くのか、という問
題提起でもあろう。さらには、
「線」の外にある(発生確率はきわめて小さいと
考えられる)事象へはどう対応するのか、天災から原発はどこまで守りきれる
か、との思いもあったのではなかろうか。
吉田氏は多くの重要かつ貴重な証言を残しておられるが、上記証言は、筆者
にはもっとも印象の深いものの一つだ。
(3)天災が打ち砕いた「原子力安全神話」
新規制基準に沿って厳しい適合性審査を原子力規制委員会が行い、それをク
リアした原発をこの国土において再び稼働しようとしている。この是非につい
て、われわれはどれくらい真摯に議論したのであろうか。再稼働をするにして
も、電力の供給源として、いつまで原発に頼るべきなのか、について、どのく
らい議論を重ねたのであろうか。
東電福島第一原発事故から得るべき教訓は、原発の規制基準を厳しくし、基
準をクリアした原発を順次再稼働させることではないと考える。
その前に、真摯に考えるべきことがある。
新しい規制基準を満たしても、残る事故発生のリスクは受け入れるべきもの
なのか、あるいは受け入れられるものなのか、という問いかけだ。
言い換えれば、基準地震動として 600Gal 以上の揺れを想定する、津波高とし
て 10m を想定する、火山噴火による降灰厚さを 10cm 以上で設定しなければなら
ないようなところで、原発を稼働させることが果たして正しい選択なのか、と
いうことだ。あるいは、こういう条件のもとで、いつまで原発を稼働させられ
るのか、ということだ。少なくとも、このような過酷な条件を設定しなければ
ならない環境にある原発は、世界にはない。
確かに、過酷な条件であっても、克服する技術力を、わが国は持っている。
しかし、克服できる範囲には限界がある。想定外のこと、すなわち幾重にも張
り巡らされた防御システムを凌駕するほどの自然事象が発生する可能性は、依
38
然として残る。想定内の事象であっても、装備された防御施設、機器が、設計
通りに働くとは限らない。原発事故発生のリスクは、いかなる対策を講じても
残る。
この「残るリスク」がどの程度のものなのか、言葉や数値を駆使したとして
も、客観性をもった説明をすることは簡単なことではない。
だが、わが国の原発には、地震、津波などの自然事象の発生の規模が大きく、
その頻度が相対的に高い、という意味で、他国の原発とはまったく違うレベルの
外部事象による原発事故発生の可能性が潜むことは、まぎれもない事実だ。そ
こに内部事象によるリスクが加わる。さらに、外部事象は、その規模が小さく
とも、原発の機器に不具合を生じさせるかもしれない。外部事象が、内部事象
によるリスクを作り出すリスクもあるということだ。
動的日本列島においては、日本の経済を根幹から揺るがすような天災が発生
する可能性を、その内に常にはらんでいる。そもそも、自然を力で押し込める
ことを、われわれは、どのくらいできるのだろうか。また、自然事象の発生メ
カニズムについて、どこまで理解しているのであろうか。地震の発生メカニズ
ムでさえ、原発導入時点では、十分な知識はなかったことを想起すべきである。
今われわれが持っている知識は、研究し尽くされた結果なのだろうか。こうし
た疑問も残り続ける。
様々な対策を講じた後でも「残るリスク」、それは世界では例を見ない、わが
国特有のリスクだ。
原発を継続することは、「残るリスク」を受け入れることでもある。「残るリ
スク」とは何なのか、それは受け入れられるものなのか。
この命題は、原発をこれからも継続するかどうかに直結する課題だ。
原発の経済性をめぐっては、さまざまな議論がある。原発事故による被害額
を確率的に算出し、これを含めた経済比較によっても原発は安い、とする主張
がある。それに対し、原発は決して安くないと、真っ向から異をとなえる学者、
識者もいる。こうした議論は、使用済核燃料の再処理などテーマを広げて、も
っと盛んに行われていいかもしれない。
しかし、経済比較をするうえでの、様々な要素の数値化をめぐっては、その
議論がなかなか収束しないことも事実だ。特に、原発事故の被害額を確率的に
計算するといっても、どういう事故を想定するのか、被害をどのように特定し
被害額を算定するのか、事故発生確率をどう捉えるのか、大方の理解を得られ
るような答えを出すことは、ほとんど不可能だ。
そもそも原発事故による被害額を算定し経済比較することは、原発事故の発
生のリスクを、周辺住民の方々はもちろんのこと、多く国民が受け入れている
39
40
原
発
事
故
発
生
リ
ス
ク
従
来
の
規
制
基
準
新
た
な
規
制
基
準
残るリスク
低減されたリスク
→ 規制基準の厳しさ(安全対策のコスト)
図1 原発リスクと規制基準(概念図)
ことが、前提とならなければならない。だが、この前提は、どこまで成り立っ
ているのであろうか。
原発事故のリスクを可能な限り低下させれば、
「残余のリスク」は、受け入れ
るべきとの、暗黙の前提が原発の導入段階からあった、と思われる。しかし、
全体としてこのことに疑問が持たれなかったのは、この前提を受け入れてきた
からではなく、実は、危険性(リスク)はある、と知識としてはあっても、実
際には原発事故は絶対に起こらない、と信じてきた、あるいは信じ込まされて
きた、からかもしれない。
だとすれば、リスクを受け入れているのではなく、見ていなかった、見て見
ぬふりをしていたことになる。それが、
「原発安全神話」なるものの本質ではな
かったか。
このことは、何らかの調査をして得たことではない。筆者が東電福島第一原
発事故によって避難生活を余儀なくされた住民の方々、関係自治体の方々との、
何回にもわたる意見交換、議論を通じて、実感として感じたことである。当然
のこととして、誰一人として、あのような事故が起こることは、まったく考え
ていなかった。あり得ない、と考えるような対象ですらなかった。ほとんどの
国民も同じではなかったか。
しかし、「原発安全神話」は打ち砕かれた。
天災が打ち砕いた。
それは、動的日本列島における原発がどういうリスクを持っているかについ
ての理解さえ、きわめて浅いものであることを思い知らすものであった。
(4)脱原発のすすめ
東電福島第一原発事故のような事故は、二度と「絶対」に発生させてはなら
ない、という点において異論があろうはずはない。
だが、同時に、
「絶対」はありえない。どういう対策をとっても、事故は起こ
りうると考えなければならない。確率的にはきわめてわずかであっても、いつ
発生してもおかしくはない。リスクについてまわる不確実性とは、そういうも
のだ。しかも、既述のように、動的日本列島における原発に内在する自然事象
による事故発生リスクは、わが国特有といっていいリスクである。厳しい自然
災害が発生しやすい日本列島においては、その対策に特別な措置を講じなけれ
ばならないこと自体にリスクが潜んでいる、ともいえる。
こうしたリスクは、技術を結集した対策を講じて低減したとしても、受け入
れられる性質、程度のものではない、というのが本小論の立場だ。
東電福島第一原発事故がもたらした現実は、この判断を強く後押しする。原
発事故のもつ異様性、異質性については、既述のとおりである。破局的な被害
41
をもたらす可能性もある。
また、事故による影響、事故の処理が、世代を超える可能性が高い。リスク
を受け入れてもいいと判断する主体は、何かが起こり、そのリスクは顕在化し
た場合、その主体がリスクのすべてを引き受ける、という原則があってしかる
べきと考える。原発事故は、その影響、その処理が長期に及ぶという意味で、
原発導入を決定した世代、その便益を受ける世代と、事故対応をしなければな
らない世代とが、まったく異なる可能性が高い。このことの持つ意味を、われ
われはもっと真剣に考える必要がある。
動的日本列島では、地震、津波などの自然災害が発生する可能性は常にある。
それに、原発のリスクが重なることは避けるべきだ。経済の根幹を揺るがすよ
うな天災はそれだけで、脅威だ。しかし、同時に、天災は原発事故を誘発する
可能性をもつ。現実に天災と原発事故が重なることは、想像さえしたくないこ
とだ。
原発のリスクは、この日本列島からなくした方がいい。
それは、原発からの脱却を意味する。再稼働が現実化しており、今すぐは、
それができない、というのであれば、早ければ早いほどいい。まずは、国が、
原発からの脱却を、時期を明示して宣言すべきであると考える。
原発をめぐっては、別の大きな問題がある。原子力利用をめぐる不透明な、
そして渾沌とした現状だ。
そもそもこの国の原発は、核エネルギーの民事利用が、わが国の将来に大き
な恵みをもたらす、との国民の希望と大きな期待を背景に、取り組みが始まっ
た。技術的な蓄積がほとんどない中で、克服しなければならない課題がいくつ
も出てくるであろうことは予想された。それでも推進されたのは、課題は技術
が解決する、との期待と夢があったからと思われる。
天然ウランをもとに製造した核燃料に火をつけ、大量の電気を生み出すこと
には成功した。主体となったのは電力会社である。それが、わが国の経済発展、
国民の生活向上に大きく寄与したことは確かだ。
しかし、原子炉を燃やし安全確実に制御することに、大きな問題があったこ
とに、われわれは気づかされた。それは、東電福島第一原発事故という、極め
て高い代償をともなうものであったことは、繰り返すまでもない。
商業用原子炉の導入と並行し、国の政策として進められたのが、プルトニウ
ムを燃やしながら増殖させる高速増殖炉の開発と、それを軸とした核燃料サイ
クルの構築であった。しかし、高速増殖炉の開発は事実上とん挫し、核燃料サ
イクルの構築は、暗礁に乗り上げたままだ。
約 17300 トンといわれる積みあがった使用済核燃料をどうするかについても
42
見通せない。使用済核燃料は全量再処理が基本方針となっているが、分離され
たプルトニウムをどう利用するかが不透明だからだ。(第2部で述べる)
さらに、核廃棄物、特に、使用済核燃料を再処理することによって発生する
高レベル放射性廃棄物の最終処分については、何も決まっていない。地下深く
埋設する地層処分が方針として決まっているが、具体的なことはまったく手つ
かずだ。そもそも、動的日本列島において、地層処分を技術的、科学的に可能
とするためには、筆者は根本的な議論のやり直しが必要であると考えている。
にもかかわらず、高レベル放射性廃棄物の量をこのまま増やし続けることは、
今を生きる者の無責任といわなければならない。(第3部で述べる)
「技術が解決する」との期待と夢は、原子力の世界では、各分野で大きく崩
れかけている。原子力利用への取り組みが始まった時点で、わが国が目指して
いた姿と、現在の状況には、大きな開きがある。その開きは、閉じる気配がな
い。そして、このことに国民はうすうす気づいているのではないか。
これから、原子力利用はどういう方向に進もうとしているのか、見えていな
い。そこから出てくる放射性廃棄物をどう処理するのか、見通しが立っていな
い。状況は混沌としたままだ。
こうした現実にしっかりと向き合えば、決めるべきを決められない原発への
依存を、いつまでもこのまま続けることはできない、という結論となるのでは
ないか。
(5)暫定、激変緩和措置としての再稼働
最後の論点は、現在進められている原発の再稼働をどうするかだ。
以下の議論は、これまで述べてきたことと、やや矛盾することになるかもし
れないことを承知で続ける。
電力の需要がピークをむかえる夏、昨年も原発ゼロで過ぎた。原発はなくと
もやっていける、という実績を 2014 年も作ったことになる。老朽化した火力発
電所の運用などによって電力需要をまかなった。ただし、原油、石炭の輸入増
によるコスト増という代償が伴うものであった。
安全、安心を考えるなら原発は無いほうがいい。ただちに全廃すべき、との
主張はある。本小論で、脱原発論を展開した以上、その主張に賛同するのが筋、
ということになるが、同時に、無視し得ない現実がある。
現存する原発の建設には、既に巨額の投資がされている。加えて、新規制基
準に沿った、安全強化のための追加投資も行われている。投資したものは、稼
働することによって回収することが基本だ。耐用年数がかなり残っている原発
を、ただちにすべて廃炉にし、あらたな電源を設置することは、電力会社だけ
ではなく国民的負担が大きい。わが国の経済成長に鈍化がみられて久しい状況
43
下、経済に与える影響も小さくないと考えられる。地域経済に与える影響も無
視するわけにはいかない。高レベル放射性廃棄物の最終処分、廃炉などにも巨
額の費用を必要とし、その財源の捻出のためにも再稼働に依存しなければなら
ない面がある。
もちろん、再稼働した原発が再び深刻な事故を起こすようなことがあった場
合、そのもたらす影響は計り知れない。その可能性は、ゼロではない。
しかし、現存し、かつ新たな規制基準によって安全性が確保されると判断さ
れた原子炉については、それを使い切ることによって発生する便益が、再稼働
の稼働期間内に発生するリスクを上回るという考え方を、本小論はかろうじて
支持する立場である。
再稼働できるか否かの判断は、慎重のうえにも慎重でなければならないこと
はいうまでもない。老朽化が進んだもの、もともと弱い地盤に建設された原発、
大きな天災が発生する可能性が高いとされる地域に立地する原発などは再稼働
すべきではなかろう。再稼働する原子炉は厳選されなければならない。そして、
大事なことは、使い切った原発の更新(リプレイスメント)はしないことだ。
この原則を貫くことで、原発からの脱却は実現する。
先に、本小論では、原発からの脱却を、時期を明示して、と主張した。その
時期は、再稼働する原発がすべてその役割を終えた時になる。
また、再稼働した場合のリスク管理として、事故発生時の避難計画の策定、
その支援体制は強固にしておくべきと考える。
避難計画は、地域の実情に応じて地域が主体的に作ることがより効果的、と
の理由で、一義的にその策定を自治体にまかせている。内閣府が、計画の妥当
性を「みる」といっているが、まさに見るだけであろう。
東電福島第一原発事故の際、周辺地域でどのような避難がおこなわれたのか、
その本格的な検証はまだこれからである。筆者が復興大臣であった末期の 2012
年末に、内閣府内に検証委員会を立ち上げたが、具体的に動き出すまでに、さ
らに 1 年かかった。その検証結果すら待たず、避難計画の策定のあり方につい
て徹底した議論をすることもなく、従来と変わらぬ方針で再稼働をおこなうこ
とには、大きな疑問を持たざるを得ない。原発事故の避難では、放射性物質の
拡散を想定し、遠距離の避難をしなければならない。しかも、役場機能も含め
町すべての避難である。この状態で自治体ができることに、限界があることは、
東電福島第一原発事故が如実に示すところである。
自然災害との複合災害では、避難道路が地震、地滑り、降灰によって寸断さ
れた場合など、想定すべき事態はかなり複雑になる。自然災害への対応と原発
事故への同時対応は、基礎自治体の対応力をはるかに凌駕すると考えるべきで
44
ある。こうした事態を想定した対応には、広域的な観点とあらゆる力を結集し
た総合力が必要である。個々の自治体が避難計画を策定し、体制を整えることは
もちろん必要であるが、それと並行、連携して国、県においても非常時の対応
計画を策定し、体制を整えておく必要があろう。
原発への依存をどうするかをめぐっては、温室効果ガス(CO₂)、代替エネル
ギーなどとの関連で決めるべきとの主張もある。
温室効果ガスの削減は急務だ。地球温暖化は、人類生存への脅威との危機感
は強い。原発は、確かに、化石燃料への依存を減らすかもしれない。しかし、
だからといって、原発は将来にわたって必要という論には賛成できない。日本
列島から原発のリスクを早期になくすことは、温室効果ガスの削減と並行しつ
つ優先されなければならないと考える。原発は、温室効果ガス削減の手段とす
べきではない。このことは、第 2 部、第 3 部で述べるように、原発が生み出す
使用済核燃料をめぐって、核廃棄物の最終処分のあり方を含み、あまりに決ま
っていない、決められないことだらけである、という状況からしても、強く肯
定されるべきだ。
最後に、本小論としての東電福島第一原発事故が映し出した現実と、われわれ
に突きつけた教訓をまとめておきたい。
東電福島第一原発事故の教訓
・東電福島第一原発事故は天災によって誘発された。
(安全設計にあたって、想
定すべき自然事象の規模を、短期的な経済性優先で設定した、という点で、人的
災害ともいえることは否定できない。)
・再稼働に向けた準備が進められているが、事故から得るべき教訓は、原発の
規制基準を厳しくし、新基準をクリアした原発を順次、再稼働させることでは
ない。
・まず、規制基準をクリアしても、残る事故発生リスクを受け入れることがで
きるのか、あるいは、受け入れるべきなのか、真っ正面から議論すべきだ。
・わが国の、原発が抱えるリスクは、世界の原発にはない、特有のものだ。そ
れは、動的日本列島がもたらす、大規模な地震、津波、火山噴火などの自然事
象に由来する。
・このリスクは、本来的には、日本列島において抱えるべきリスクではない。
原発依存から脱却することを、基本方針として決めるべきだ。
45
・再稼働は、暫定、激変緩和の措置。新規制基準は、そのための基準と位置づ
けられる。
以上で、第 1 部を終わる。
46
第2部
核燃料をリサイクルするという夢
1.軽水炉の導入と核燃料サイクル構築への取り組み
(1)急速に進んだ軽水炉の導入
2011 年という年を迎えたとき、国内には、18 原発、54 基の商業用の原子炉が
あった。わが国は、世界に冠たる原子力発電立国になっていたのである。発電
容量は約 5000 万kW、国の電力の 30%を生み出していた。
原子炉の導入は、東海発電所から始まった。日本原子力発電(原電、商業用
原子炉の導入を目的として電力 9 社、電源開発の出資によって 1957 年に設立)
によって 1960 年に建設着工、1966 年から本格稼働した。英国で開発されたコー
ルダーホール型原子炉と呼ばれる黒鉛減速・炭酸ガス冷却型の原子炉であった。
燃料は天然ウランである。この原子炉は 1998 年に営業が停止するまで、わが国
第1号の商業用原子炉として稼働し、廃炉もまた第 1 号となった。
しかし、東海原子炉が稼働し始めたころ、すでに原子炉は、世界的には軽水
炉が主流となりつつあった。その原動力となったのは、米国である。原子力の
軍事利用で世界の先陣を切った米国は、そこで開発された技術をもとに民事利
用にも力を注いだのである。
低濃縮ウランを燃料とし、水を減速・冷却材として使う軽水炉は、発電効率
がよかった。東海原子力発電所に続く商業用原子炉の導入は 1970 年代に入り急
速に進む。電力各社も独自で建設を始めた。そのすべては軽水炉であった。関
西電力美浜第 1 号(70 年 11 月)
、東京電力福島 1 号(71 年 3 月)
、関西電力美
浜 2 号(72 年 7 月)
・・・と、続々新設された。急速な経済成長のもと、増え続
ける電力需要に対応する大きな電力供給源となった。
(2)二元構造での推進
こうした、商業用の原子炉の導入と並行して、わが国の原子力政策には、も
う一つ大きな方針が、打ち立てられていた。高速増殖炉を軸としたウラン・プ
ルトニウム核燃料サイクルの構築である。
核燃料サイクルとは、核燃料の採鉱から廃棄までの延々とした工程をいう。
核燃料サイクルにはワンススルー方式とリサイクル方式の二つのタイプがある
(用語の「核燃料サイクル」参照)。わが国がめざしている、使用済核燃料から
プルトニウムを抽出し、これを燃料としてリサイクルするウラン・プルトニウ
ム核燃料サイクルは後者のタイプである。ただし、当初は、発電しながらプル
トニウムを増殖することをめざしていた。
47
これを実現するためには、高速増殖炉の実用化、使用済核燃料の再処理、さ
らには、ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料(MOX 燃料)の加工が必要であっ
た。高速増殖炉をはじめとして、いずれもきわめて高水準の技術が要求された。
米国など核先進国が、軍事利用開発で獲得した技術をもとに、先行して研究開
発に取り組んでいたが、その多くは研究途上にあった。しかも、そうした技術
開発の情報収集には軍事機密の壁があった。
こうした中、わが国は、
「最終的に、国産を目標とする動力炉は、増殖動力炉
とする」、さらには高速増殖炉を「将来の原子力発電の主流になるべき」と位置
づけ、その開発、実用化に向け、わが国独自の国家プロジェクトとして乗り出
したのである。日本人の知恵と技術力をもってすれば必ず実現できる、との大
いなる期待と夢、昂揚感が、高速増殖炉の実用化をめざして動き出した当時、
国全体を包んでいたようだ。
動力炉(高速増殖炉及び新型転換炉)自主開発の主体として設立されたのが
「動力炉・核開発燃料事業団」
(以下「動燃」という)である。動燃事業団法は
1967 年に可決される。その際、与野党 4 党(自民・社会・民社・公明)共同提
案による附帯決議が付された。
「動力炉及び核燃料の開発及び原子力産業の樹立
は、国家的にきわめて重要な課題」、「政府は長期にわたり強力に推進すべき」
との内容であった。原子力研究開発の推進は、その出発時点では、与野党一致
の政策であった。
こうした研究開発の推進主体となったのは、科学技術庁(現在の文部科学省)
であった。一方、商業用の原子炉導入は、通商産業省(現在の経済産業省)の
後押しのもと、電力会社が中心となって進められた。
わが国の原子力政策は、こうした二元構造のもとで進められた。この二つの
流れは省庁の縦割り行政の壁に遮られながらも、研究開発費用に充てる財源の
目的税化(電気料金に上乗せして徴収)、関連機関の設立・改組などの制度的な
変遷をしながら密接な関係を保ちつつ進んできた。しかし、いずれは、高速増
殖炉を軸とした核燃料サイクルの構築によって合流し、一つの流れになるとの
期待が、この二元構造を支えてきた。
しかし、その期待は、実現されていない。実現のめども立っていない。
東日本大震災での東電福島第一原発の炉心溶融事故によってその不透明さは、
さらに深まっている。それが、今の状況だ。
2.高速増殖炉を軸としたウラン・プルトニウム核燃料サイクルという夢
(1)「原子力発電の主流」と位置づけられた高速増殖炉
化石燃料資源のほとんどを海外に依存するわが国にとって、原子力は大きな
48
49
高速増殖炉(FBR)原型炉「もんじゅ」
1985年着工
1994年初臨界
1995年ナトリウム漏れ事故
運転再開の目途たたず
新型転換炉(ATR)「ふげん」
軽水のかわりに重水を利用。
プルトニウムへの転換率は落ちる。
1970年着工
1978年臨界に成功
2003年運転終了、廃炉へ
高速実験炉「常陽」
1970年着工
1977年初臨界
事故により運転休止中
高速増殖炉は、核燃料問題を基本的
に解決する炉型であり、将来の原子
力発電の主流となるべきもの
(原子力研究開発利用長期計画1967年)
高速炉等
プルトニウム保管量
国内 11トン
海外 36トン
計 47トン
使用済核燃料保管量
約17300トン
委員会の審査待ち
六ヶ所再処理工場
1993年着工
試運転に際し、事故・故障が多発
2016年3月完成予定、原子力規制
他国への再処理依頼
英国セラフィールド 仏国ラ・アーグ 東海再処理施設
1971年着工
1981年本格稼働
これまで約8トンのプルトニウム分離
現在運転休止中
使用済核燃料再処理
審査を通った原発は、地元自治体などの了解
が得られれば再稼働へ
(2013年)
原子力規制委員会による再稼働の前提と
なる新たな規制基準への適合性審査着手
(東電福島第一原発(1~6号)は廃炉) 16原発48基(全て停止)
2011年3月11日
東日本大震災
17原発54基(2011年当初)
プルサーマルの実施
2009年より玄海原発3号
機など4基で運転開始
MOX燃料
軽水炉原発の稼働
関電美浜原発第1号(1970年)
東電福島第一原発第1号(1971年)
東海原発(黒鉛減速・炭酸ガス冷却型原子炉)
1960年着工
1965年初臨界
1998年廃炉
軽水(熱中性子)炉発電
図2 原発関連施設整備の推移
高レベル放射性廃棄物最終処分場
未着手(まったく見通し立たず)
幌延、瑞浪の地層処分研究所で技術研究
MOX燃料工場(六ヵ所村)
2010年着工
2017年完成予定
ウラン濃縮工場(六ヵ所村)
1992年操業開始
その後累次に渡って機能強化、現在に至る
その他の主要な施設
可能性を秘めたものであった。しかし、原子力利用への研究開発が始まった当
時、ウラン資源は限られており、世界的に急速な原子力発電の拡大が見込まれ
る中、化石燃料の枯渇とともに、ウラン資源はいずれ不足すると予想された。
そこで、注目されたのがプルトニウムである。プルトニウム 239 は、ウラン
235 と同じ核分裂性核種であり、核燃料として利用が可能だ。ただし、天然には
存在しない。人工的に作り出さなければならない。
プルトニウムは、核分裂しない(燃えない)ウラン 238 が中性子を吸収する
ことで生成される。天然ウランは、0.7%が核分裂する(燃える)ウラン 235 で、
99.3%が燃えないウラン 238 である。天然ウランの圧倒的な部分をしめるウラ
ン 238 を、プルトニウムに転換し、これを有効利用できれば、ウラン資源不足
の問題解決は大きく前進すると考えられた。
プルトニウムを燃やす発電を半永久的に継続するためには、消費した以上の
プルトニウムを半永久的に作りしていかなければならない。すなわち、増殖さ
せなければならない。電気を発生させながら、その燃料となるプルトニウムを
増殖させる、この両方を同時に実現する原子炉として、実用化が目指されたの
が、高速増殖炉である。高速増殖炉を軸としたウラン・プルトニウム核燃料サ
イクルを構築することで、わが国のエネルギーの将来には、大きな展望が開け
るはずであった。
高速増殖炉は、
「将来の原子力の主流になるべき」という位置づけのもと、そ
の研究開発は強力に推し進められることになった。原子力利用の研究開発の経
験の少ないわが国にとって、高速増殖炉の研究開発は、大きな挑戦であった。
わが国の原子力政策の基本方針は、累次に渡って原子力委員会から出された
原子力開発利用長期基本計画(その後、原子力の研究、開発及び利用に関する
長期計画、原子力大綱と名称が変遷する。以下「長期計画」という)によって
明らかにされてきた。原子力委員会は、日本の原子力政策の最高意志決定機関
として 1956 年に総理府(現内閣府)に設置された。
以下、高速増殖炉の研究開発を手始めとした原子力政策にかかる経過につい
て、長期計画をもとにしながら俯瞰していくこととしたい。
最初の長期計画は 1956 年に策定された。高速増殖炉を軸とした燃料サイクル
の確立の方向性が示されている。
・最終的に、国産を目標とする動力炉は、増殖動力炉とする
・将来のわが国の実情に応じた燃料サイクルを確立するためには、増殖炉、燃
料要素再処理等の技術の向上を図る
とし、燃料資源のできるだけの国産化を視野に、プルトニウムを燃料とする原
50
子力発電の実現をめざす方針を明らかにしたのである。
1967 年の長期計画では、高速増殖炉の位置づけがより鮮明になっていく。
・高速増殖炉は、核燃料問題を基本的に解決する炉型であり、将来の原子力発
電の主流になるべきもの
・高速増殖炉および新型転換炉を「国のプロジェクト」として、強力に推進
・国内においてウラン・プルトニウムによる核燃料サイクルの確立に努める
高速増殖炉は、
「将来の原子力発電の主流になるべきもの」とし大きな期待と、
ウラン・プルトニウム核燃料サイクルの確立に向けた国の強い意欲が前面に出
された。
新型転換炉は、燃料として、ウラン・プルトニウムの混合燃料である MOX 燃
料を使う。また、減速材として、高速増殖炉でのナトリウム、軽水炉における
普通の水「軽水」ではなく、重水を使う。高速増殖炉には劣るものの、軽水炉
に比べて炉内でのウラン 238 からのプルトニウム 239 への転換比率が高く、高
速増殖炉の研究開発と並行して開発に取り組むことになった。
こうした中、商業用の原子炉が稼働を始めた。その第1号は、東海発電所(黒
鉛減速、炭酸ガス冷却型の熱中性子炉)である。1966 年から発電を開始した。
並行して、この時期には、電力会社は、米国で開発されていた軽水炉の導入に
向け、活発な動きを始めていた。そのまま、1970 年代以降の急速な軽水炉の導
入へとつながり、わが国の原子力発電の主流は、軽水炉になるのである。一方、
「将来の原子力発電の主流」と位置づけられた増殖炉の研究開発には、進展を
みなかった。研究開発過程では、事故、事件が繰り返された。
長期計画に示された基本的方針と実態との乖離(開き)は、1960 年代という
原子力利用の初期段階からすでに始まっていたといえる。
(2)停滞を続けた増殖炉開発
原子炉の開発には、5 段階の開発ステップがあるといわれる。
ほとんど出力のない臨界実験装置、実験炉、原型炉、実証炉、実用炉と 5 つ
の段階が踏まれ炉が建設される。長期計画にそって、高速増殖炉の実用化に向
けた取り組みが始まった。その主要なものとしては、以下のような経過となっ
ている。
・実験炉「常陽」が 1970 年に建設着工、1977 年に初臨界を達成
・重水を利用した新型転換炉の原型炉として「ふげん」が 1970 年に着工、1978
年に臨界に成功
51
・高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」は、1985 年に着工、1994 年に臨界
を達成
こう整理すれば一見順調に見えるが、実態は大きく違った。
高速実験炉「常陽」は、実験炉としての一定の成果は出したが、事故の影響
で、現在は運転休止中である。
「ふげん」は、2003 年に運転が終了し、廃炉となった。1995 年に、原子力委
員会が、経済性の悪化及びプルサーマル計画の進捗を理由に、新型転換炉の実
証炉建設計画を中止し、新型転換炉の存在意義が薄れたことが背景にあった。
新型転換炉の商業用原子炉への研究開発は、事実上断たれることになった。
その成果が、もっとも期待されたのが「もんじゅ」であった。高速増殖炉の
原型炉である。しかし、1994 年に初臨界を達成したが、1995 年にナトリウム漏
れ事故をおこし、運転は停止に追い込まれた。高速増殖炉での高温液体ナトリ
ウムの使用については、一部の学者からその危険性が早くから指摘されていた。
その指摘が現実のものとなった形だ。動燃は情報開示に大きな過ちをおかし、
高速増殖炉に対する不安と不信を拡大した。
研究開発の停滞を続けていた「もんじゅ」は、2005 年に再運転に向けて始動
した。
2005 年の長期計画(原子力政策大綱)では、高速増殖炉の実用化に向けた取
り組みへの姿勢があらためて示された。
・国は、高速増殖炉サイクルの適切な実用化像と 2050 年頃からの商業ベースで
の導入に至るまでの段階的な研究開発計画について 2015 年頃から国としての
検討を行うことを念頭に、研究開発方針を提示する
・実証炉については、これらの研究開発の過程で得られる種々の成果等を十分
に評価した上で.具体的計画の決定を行う
高速増殖炉研究開発の再出発をするとの内容だ。
長期計画に呼応する形で、この年、
「もんじゅ」の改造工事が着工された。工
事は 2007 年に完了した。その後、機器の故障・トラブルなどによって運転延期
を繰り返したが、2010 年 5 月に、停止後から 14 年ぶり運転を再開し、5 月に再
臨界に達した。しかし、8 月、またもや大きな事故を起こしてしまう。重さ 3 ト
ン以上ある機器を、クレーンで吊り上げた際、その機器を原子炉の中に落下させ
てしまったのである。回収作業は難航したが、東電福島第一原発事故によって
原子炉全体に対する不信が高まっている中、2011 年 6 月に回収を終えた。
現在、運転再開の予定はない。
52
(3)時間の経過とともに遠ざかる目標
高速増殖炉の実用化に向けての研究開発の中止が、世界的に相次ぐ一方、わ
が国の研究開発は事故と事件を繰り返す中、停滞を続けた。高速増殖炉の実用
化目標時期は、以下のように後退し続けた。
(実用化目標時期)
・昭和 60 年代初期
・昭和 70 年代後半
・2010 年頃
・2030 年頃
・2050 年頃
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
(長期計画)
1967 年長期計画
1978 年長期計画
1982 年長期計画
1994 年長期計画
2005 年長期計画(原子力政策大綱)
30 年間に、実用化の時期が、当初の想定から 60 年以上後送りされたことにな
る。一つのプロジェクトとして、まったく異例のことといっていい。高速増殖
炉の研究開発がどういうものであるか、この事実は如実に物語っている。民間
の研究投資であればとっくに撤退するであろう。既述のように諸外国では撤退
も早かった。しかし、わが国では、高速増殖炉は「将来の主流」という位置づ
けであり続けた。
天文学には、ハッブルの法則というのがある。地球からの距離が遠い天体ほ
ど、時間ともにスピードを上げ、その距離に比例する速さで地球から遠ざかっ
ていくという宇宙膨張の法則だ。
時間がたつにつれて、実用化時期までに要する年数がだんだん遠ざかってい
く現象を、この天文学のハッブルの法則になぞらえ、実用化時期の「ハッブル
的後退」と名づけられている。厳しい見方かもしれないが、原子力開発に共通
してみられる現象といえよう。高速増殖炉開発はその典型といっていい。
高速増殖炉研究開発は、世界各国が取り組んでいる。
米国での高速増殖炉研究開発の歴史は軽水炉より古い。しかし、原型炉さえ
つくらず開発から撤退している。ドイツも同じである。英国は原型炉をつくっ
たが、廃止を決定、高速増殖炉開発から撤退している。フランスは、スーパー
フェニックス計画によって、世界にさきがけ実証炉を建設し、稼働させた。し
かし、1998 年には廃炉が決定している。高速増殖炉の研究開発は、技術的、経
済的にも困難であることを、原発の先進各国は認めている。高速増殖炉は頓挫
したといっていいのではないか(ただし、フランスは、スーパーフェニックス
53
計画にもとづく運転経験によって、増殖性については確認済みとしている)。
また、研究拠点として存続が決まった「もんじゅ」は、原型炉として 1985 年
に建設工事に着手され完成した。その設計は 30 年以上も前のもので、技術の進
展が著しい他分野であれば、かなり時代遅れの構造物になっているはずである。
ナトリウム漏れ事故などを経験し、安全性を高める改造工事が実施されたとは
いえ、まだ、原子炉としての役割を期待することは可能かという疑問もある。
フランスでは、既述のように、原型炉より数段上に進んだ実証炉さえ廃炉を決
定している。
3.使用済核燃料の再処理
(1)増え続ける使用済核燃料と再処理をめぐる日米交渉
核燃料サイクルの構築に必要なもう一つの大きな柱は、使用済核燃料の再処
理である。わが国独自で再処理する技術の取得・開発と再処理工場の建設など
の体制整備が必要であった。その第一歩が、東海村に建設された東海再処理工
場であった。しかし、建設後の本格稼働に向けた道筋は平坦なものではなかっ
た。
東海再処理工場は、動燃(現在の核燃料サイクル機構)によって 1971 年着工、
1974 年に完成した。フランスからの全面的な技術導入による建設であった。再
処理工場完成後、やはりフランスからの技術提供をもとにした科学試験などが
おこなわれた。
しかし、使用済核燃料からプルトニウムを抽出する作業に入ろうとした段階
で、アメリカから待ったがかかった。カーター政権が核不拡散政策を発表し、
同盟国に対しても、プルトニウムの民事利用の抑制を求めてきたのである。プ
ルトニウム・リサイクルの実用化をめざすわが国と米国との間で、1977 年(4
月から 9 月まで)、激しい日米再処理交渉が展開された。日本は米国の外交的圧
力をかわし、プルトニウムの民事利用に向けた取り組みは継続することになる。
東海再処理工場は、1981 年に本格運転を再開した。これまで、1140 トンの使
用済核燃料を再処理し、約 10 トンのプルトニムが抽出されている。
この間の 1997 年にはアスファルト固化処理施設の火災と爆発が発生し、37 名
が微量の内部被曝をした。この事故では、動燃の消火作業への対応のまずさに
加え、消火活動にからむ虚偽報告などが明らかになった。1995 年の「もんじゅ」
事故でも、不適切な事故対応と虚偽報告をしており、時間をおかずして動燃の
体質があらわになった形だ。動燃に対する不信感が広がる中、解体論もでた。
しかし、結果は、核燃料サイクル開発機構へと姿を変えて存続された。
東海再処理工場は、六ヶ所再処理工場の本格操業までの期間、軽水炉燃料再
54
55
泊
女 川
東 通
福島第一
福島第二
柏崎刈羽
浜 岡
志 賀
美 浜
高 浜
大 飯
島 根
伊 方
玄 海
川 内
敦 賀
東海第二
合計
(B)-(A)
620
370
340
540
600
540
280
570
600
210
330
200
400
280
70
5,950
管理余裕
出典: 経済産業省「総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員会」資料に基づき作成
14,330トンU
17,281トンU
16.5
8.2
15.1
3.1
8.0
14.4
7.5
7.6
7.3
7.0
8.8
3.0
10.7
9.3
3.1
-
管理容量を超過す
るまでの期間(年)
2,951トンU(最大貯蔵能力: 3,000トンU)
1,020
790
440
2,270
1,360
2,910
1,740
690
670
1,730
2,020
600
940
1,070
1,290
860
440
20,810
(B)
(A)
400
420
100
1,960
1,120
2,370
1,140
150
390
1,160
1,420
390
610
870
890
580
370
14,330
管理容量
使用済核燃料貯蔵量
参考:六ヵ所再処理工場の使用済燃料貯蔵量: +
原発使用済核燃料貯蔵量
計
原電
九州
中国
四国
関西
中部
北陸
東京
東北
北海道
発電所名
(2014年3月末時点)【単位:トンU】
表1 使用済核燃料の貯蔵状況について
処理のための運転を続け、その後は MOX 燃料および高速増殖炉燃料再処理等の
技術開発に活用していくという方向性が示されていたが、新規制基準への対応
に巨額の費用がかかるため、廃止される予定である。
(2)英国・フランスへの再処理委託
一方、商業用原子炉として軽水炉の導入が急速に進み、使用済核燃料は、炉
外に出され続けた。東海再処理工場以外に本格的な再処理施設を持たないわが
国は、増大する使用済核燃料に対応するため、英国・フランス二カ国への再処
理委託を実施することになった。両国では、核兵器、原発の開発研究による技
術開発が先行し、使用済核燃料の再処理施設工場が稼働していた。
両国への再処理委託量は合計 7100 トンとなった。
英国とは 1968 年、フランスとは 1977 年に、わが国の電力9社と日本原子力
発電から構成される共同契約者との間で再処理委託契約を締結した。この契約
にしたがって、英国には 1969 年から 2001 年にかけて約 4200 トン。フランスへ
は 1978 年から 1997 年にかけて約 2900 トン、使用済核燃料が日本から搬入され
ている。英国所属の専用船で海上輸送された。
英国では、ウィンズケール、現在のセラフィールド再処理工場で再処理され
た。2013 年までに委託された全量が処理されている。プルトニウム 20 トン(核
分裂性 14 トン)が分離された。一部が MOX 燃料(ウラン・プルトニム混合燃料)
に加工され、日本に輸送されたが、加工データに偽装が判明し送り返されると
いう事件が発生した。この偽装事件が、わが国における軽水炉で MOX 燃料を燃
やすプルサーマルの実施に大きなブレーキをかけることになる。
現在、分離プルトニウムは全量が英国で保管されている。放射性廃棄物は低
レベルのものを含め 920 本のガラス固化体に加工され、うち 264 本が、日本に
返還され、六ヶ所村の中間管理施設で保管されている。
なお、セラフィールドの再処理工場は、2018 年の閉鎖が決まっており、英国
での使用済核燃料の再処理は、それ以降なくなることになっている。
フランスではラ・アーグ再処理工場で再処理された。2000 年に終了している。
分離されたプルトニウムのうち、3 トンが MOX 燃料として加工され、日本に搬入
されている。この MOX 燃料の装荷によって、2009 年より玄界原発 3 号機など 4
機でプルサーマル運転が開始された。この中には、事故によってメルトダウン
をおこした福島第 1 原発の 3 号機も含まれている。このほかに、浜岡 4 号機な
ど 3 機用に MOX 燃料が搬入されているが未装荷である。現在フランスには 16 ト
ンの分離プルトニウムが保管されている
フランスでガラス固化された 1310 本の高レベル放射性廃棄物は、すでに返還
済みである。金属圧縮体として加工された 2000 本あまりの低レベル放射性廃棄
56
物については、まだ、返還されていない。
(3)六ヶ所再処理工場の建設
東海再処理工場の後の、本格的な商業用再処理工場として設置をめざしたの
が、六ヶ所再処理工場である。日本原燃によって 1993 年に建設が開始された。
建設工事と並行して 2004 年から、試験的な再処理を始めた。これまでに、425
トンの使用済核燃料が再処理され、約 4 トンのプルトニウムが分離されている。
試験運転開始当初は、2006 年の操業開始をめざしていたが、高レベル放射性
廃棄物のガラス固化など、トラブルが相次ぎ延期を繰り返している。現在、核
燃料サイクル施設についての新たな安全規制基準にもとづく原子力規制委員会
の審査を待つ状態になっている。審査は、近隣の断層や活火山の活動影響評価
も含め、慎重に行うべきことはいうまでもない。
建設工事費は当初計画の 7600 億円から 2 兆 2 千億円を超える規模にまで膨ら
んだ。年間の再処理能力は 800 トンである。この量が処理されれば、毎年 7 ト
ン(核分裂性 4 トン)のプルトニウムが分離されることになる。
六ヶ所再処理工場が稼働できる状態になれば、わが国の再処理能力は大きく
拡大する。ただし、分離されるプルトニウムをどのように使っていくか、その
生産と利用がバランスする計画が確定し、実施に移されることが基本である。
プルトニウム利用の中核となることが期待されていた高速増殖炉の研究開発
は停滞を続けていた。代わって、導入が図られたのがプルサーマルである。軽
水炉の燃料の一部にプルトニムを燃料加工した MOX 燃料を使うというものだ。
高速増殖炉が導入されるまでの、つなぎ的な措置という位置づけであった。
MOX 燃料とはウラン・プルトニウム混合酸化物燃料の略称であり、使用済み核
燃料を再処理して取り出された二酸化プルトニウムと二酸化ウランを混ぜて生
成される。プルサーマルとは、プルトニウム燃料である MOX 燃料を、通常の原
子力発電所(軽水炉=サーマルリアクター)で利用することから、プルトニウ
ムとサーマルリアクターを組み合わせた造語だ。1960 年代に使われ始めた。
4.プルサーマルの実施へ
(1)早くから注目されていたプルサーマル
プルサーマルは、早い段階から注目されてきた。
1967 年の長期計画には、次にように記載されている。
・プルトニムは高速増殖炉に使用することが最も望ましいが、これが実現され
るまでには長期間を必要とするので、それまでの間は、在来型炉および新型転
57
換炉などの熱中性子炉においてされることが期待される。昭和 50 年頃までに
熱中性子炉への利用の技術を確立し、その有効利用を図る
1982 年の長期計画には、電力会社による軽水炉の導入が急速に進み、使用済
み核燃料が積み上ってきたことなどを背景として、次のように記述されている。
・高速増殖炉の実用化までの間及びそれ以降においても、相当量のプルトニム
の蓄積が予想される
・資源の有効利用、プルトニウム貯蔵にかかる経済的負担の軽減、核不拡散上
の配慮などの観点から、プルトニムを熱中性子炉の燃料として利用する
・熱中性子炉としては新型転換炉の開発利用、軽水炉によるプルトニウム利用
を図る
・1990 年代中頃までには、実用化をめざす
1970 年代から、わが国から英仏への使用済核燃料の再処理委託がされ、両国
には分離されたプルトニムが蓄積され始める。プルトニムの利用を急がなけれ
ばならない背景があった。プルサ―マルに、大きな関心と期待が集まり始めて
いたことをうかがわせる。ただし、プルサーマルは、この段階では、あくまで、
高速増殖炉の実用化までの間のつなぎ的な措置、という位置づけであった。
なお、既述のように、新型転換炉の原型炉としてその成果が期待された「ふ
げん」は、経済性に大きく劣るなどの理由で実用化の道は断たれた。残ったの
は、軽水炉であった。
(2)急がれたプルトニムの利用
米国のクリントン大統領は、1993 年に「核不拡散及び輸出管理に関する政策」
を発表した。兵器用核分裂物質の、世界における備蓄の最小化、備蓄中の兵器
用核分裂物質の国際的な保安体制の確立、を提唱したものであった。兵器用核
分裂物質は、高濃度濃縮ウラン、プルトニウムを指すが、このプルトニウムに
は、原子炉級のプルトニウムも含まれるとされた。それまで、原子炉で転換さ
れるプルトニムには、核分裂性でないプルトニム 240 が 20%程度含まれるため、
軍事利用には適さないという見方もあったが、その考え方は退けられた。また、
米国では、軍事用、民事用を問わず、自国内でプルトニウム抽出をおこなわな
いという方針が示された。事実上の再処理事業からの撤退である。使用済核燃
料を再処理せず使い捨てにする、ワンススルー方式への移行宣言でもあった。
このクリントン演説を受け、わが国では再処理の継続を確保するため、
「余剰
プルトニウムを持たない」ことを原子力政策上の基本方針として掲げることに
なった。プルトニウムは、使用済核燃料から分離したら保管することなく、す
58
みやかに燃料として使うということだ。もっとも、これは、すぐ、
「利用目的の
ないプルトニウムを持たない」との表現に変わった。
わが国での再処理の実施は、日米原子力協定によって担保されている。その
改定協議は、2018 年に予定されている。核燃料サイクルの構築に明確な展望が
ないなか、難航も予想される。
六ヶ所再処理工場の建設に着手し、核燃料サイクルの構築に向け、使用済核
燃料の再処理体制の整備を進めていたわが国は、プルサーマルの本格的な実施
に踏み込むことになった。再処理を進める一方、余剰プルトニムを持たないた
めの措置であった。しかし、同時にそれは、本来の目的と手段が逆転し始めた
構図にも見える。
政府は、1997 年、「当面の核燃料サイクルの推進について(閣議了解)」によ
って次のような方針を示した。
・わが国エネルギー供給上、核燃料サイクルの確立が重要であり、六ヶ所再処
理事業の着実な推進をはかる
・プルサーマルはもっとも確実なプルトニウム利用方法であり、早急に開始す
ることが必要
・原子力発電を行っている全ての電気事業者が順次プルサーマルを実施するこ
とが適当
この閣議了解を受ける形で、電気事業連合会(電事連)から 1997 年にプルサ
ーマルの実施計画が発表される。
2010 年までに 16~18 基で実施するとし、電力各社ごとの具体的な原子炉も示
された。この中には、建設予定であった、世界で初めて燃料全部に MOX 燃料を
使う(フル MOX)大間原発の原子炉も含まれている。この、16~18 基という基
数は、英仏で保管中のプルトニウムに加え、建設中の六ヶ所再処理工場が本格
稼働した場合、分離される核分裂性プルトニウム4トン強によって製造される
MOX 燃料利用に必要な受け皿として設定された。
1999 年から実施に入るべく、まず、関西電力高浜原発 3、4 号機、東電福島第
1 原発 3 号機などで準備が進められた。
しかし、ここで、重大な事件が発覚する。1999 年 9 月、高浜原発で使われる
予定であった、英国の核燃料開発公社(BNFL)が製造した MOX 燃料のデータ偽
装が明るみに出たのである。これまで、さまざまな事故や事件の繰り返しで、
国民の間に原子力関係機関に対する疑念、不信が積み重なっていた矢先のでき
ごとであった。この事件によって、MOX 燃料の品質管理に対する疑念が一挙に広
59
がり、プルサーマルの実施はここで立ち往生を余儀なくされた。
しかし、ウラン・プルトニム核燃料サイクルの構築という方針が揺らぐこと
はなかった。核燃料使用済核燃料の全量再処理を前提としていた六ヶ所再処理
工場の建設は進んでいた。停滞していたプルサーマルを実施に移すことが必要
であった。
電気事業連合会のプルサーマル実施計画は、2009 年 6 月に見直しが行われた。
遅くても、六ヶ所村に建設中の MOX 燃料加工工場が操業を開始する 2015 年度ま
でに、全国の 16~18 基の原子炉でプルサーマルを実施するとした。目標とする
実施基数は変わらず、目標達成時期を伸ばすというものであった。
この見直しが、プルサーマル再出発の烽火ともなった。それは、九州電力玄
海原子力発電所 3 号機への MOX 燃料装荷から始まった。2009 年 12 月のことであ
る。その後、紆余曲折を経ながらも、四国電力伊方原発 3 号機(2010 年 3 月)、
東電福島第一原発 3 号機(2010 年 10 月)、関西電力高浜原発 3 号機(2011 年 1
月)と続いた。
そして 2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が日本列島を襲う。
東電福島第一原発 3 号機は、この震災による事故によって 1、2 号機と同様に
炉心溶融(メルトダウン)した。
(3)実施が不透明になったプルサーマルと内在する課題
2014 年の夏は、一基の原発の稼働もないまま過ぎた。
東電福島第一原発では、事故で大きく損傷した 1~4 号機に加え、5、6 号機も
廃炉が決定された。ほかの原発においても、老朽化した原子炉の廃炉が検討さ
れていると聞く。
一方、原子力規制委員会は、原発再稼働の前提となる適合性審査をおこなっ
ている。九州電力の川内原発がどうやら再稼働第一号になりそうだ。準備を整
え、原子力規制委員会の審査を受けている原発が続く。東電福島第一原発事故
を踏まえ、規制は厳格化され、審査は、当然のこととして格段に厳しくなって
いるはずだ。原発立地、あるいは周辺自治体、住民、さらには国民の原発を見
る目も厳しくなっている。こうした状況の中、これからどの原発が、いつ再稼
働するかについての目途はたてられない。廃炉となる原子炉が、さらに増える
こともありうる。
軽水炉での MOX 燃料の使用は、原子炉として確保されている安全性の余裕度
を減ずる、との指摘もある。燃料となるプルトニウムの含有量が多くなるため
だ。
再稼働にむけてプルサーマルの実施がどうなるか、原発全体の再稼働のゆく
60
えより、さらに不透明というべきであろう。全国で 16~18 基の原子炉でプルサ
ーマルを実施するとの方針は、その実現の目途がまったく立たない状況になっ
ている。
そもそもプルサーマルが、経済性、安全性においてすぐれているというので
あれば、各電力会社はもっと早く競って導入していたはずである。しかし、そ
うなってはいない。むしろ電力会社は慎重のように見える。1970 年代半ばから
始まるといわれていたプルサーマルは、そこから 40 年が経過している。今の状
況は何を物語っているのであろうか。
プルサーマルには、さらにいくつかの重要な問題がある。
MOX 燃料は一回きりの利用なのか、さらに使用済 MOX 燃料を再処理して取り出
したプルトニウムをリサイクルするのか、再処理しない場合は貯蔵するしかな
いが、その後どうするか、いずれも明確な方針は出ていない。使用済 MOX 燃料
を再処理し、あらたな MOX 燃料に加工して、軽水炉で燃やすことを繰り返すこ
とを理論的には想定できる。しかし、再処理コストなどがネックとなり、ワン
ススルー方式と比べ経済性において劣るとの試算は、原子力委員会でさえ出し
ている。そもそも核燃料サイクルは増殖サイクルでしか、経済的に成り立たな
いとの指摘は、各方面から出されてきた。その中には、2004 年に政府内部の官
僚が作成した「19 兆円の請求書」と題した、告発文書もある。
プルサーマルが経済性、安全性にすぐれているのであれば、各電力会社はそ
の導入にもっと積極的になっていたはずである。各電力会社が競うようにして
軽水炉を導入し、急速に増えていったのとは明らかに様相が違っている。プル
サーマルが、どういう性格のものであるか、よく物語っているのではないか。
プルサーマルによって発生する使用済 MOX 燃料の再処理の技術的な課題もこ
れからだ。2005 年の長期計画(原子力政策大綱)では、六ヶ所再処理工場に続
く再処理工場では、使用済 MOX 燃料の再処理ができる施設とし、その、再処理
能力や利用技術を含む建設計画は、2010 年頃から検討開始とされた。これが、
目標のまま棚ざらしにされていることは指摘するまでもない。長期計画でこれ
まで幾度となくみられた光景である。現時点では、プルサーマルの具体的なバ
ックエンド計画すら、まったくないことになる。
使用済 MOX 燃料は、使用済ウラン燃料より、マイナーアクチノイドの割合が
高いなど、その管理だけではなく、再処理もより困難といわれている。使用済
MOX 燃料の再処理については、わが国の新型転換炉「ふげん」の使用済 MOX 燃料
の再処理、フランスでの実績があるとされているが、数例にとどまっている。
また、
「ふげん」で使った MOX 燃料はプルサーマルのものよりプルトニムの量が
かなり少なく、先例にはならないとも考えられる。
61
フランスはプルサーマル先進国でもある。しかし、フランスにあるラ・アー
グ再処理工場では、今の施設では MOX 燃料の再処理はできないとしており、プ
ルサーマルによって出てくる使用済 MOX 燃料は当面貯蔵するとしている。この
ことについては、後で触れる。
使用済核燃料の再処理は、核燃料サイクルをどう構築するのかという問題と
密接不可分な関係にある。リサイクルを繰り返そうとすれば、そのつど再処理、
燃料加工が必要になる。再処理の実用化の目途が立ったといえるのは、世界的
にみても、黒鉛減速炭酸ガス冷却炉で燃やした天然ウラン使用済核燃料と、軽
水炉で燃やした低濃縮ウラン使用済核燃料だけだ。プルサーマルによって発生
した使用済 MOX 燃料の再処理技術はまだ開発途上である。ましてや、高速増殖
炉(これ自体、実現の可能性はきわめて低いが)によって出てくる使用済核燃
料の再処理についても、まったく未知の分野といっていい。
5.消えた高速増殖炉、検証なき方針転換
2014 年の通常国会で原子力委員会設置法の改正がおこなわれ、原子力委員会
の所掌事務の一部が削除された。この改正を受けて、原子力委員会は、原子力
政策大綱(長期計画)の策定の中止を決定した。原子力委員会の事実上の格下
げでもあった。累次にわたって出されてきた長期計画がどういうものであった
かは、きちんと検証されてしかるべきである。こうしたことを含めた「検証」
については最後に触れたい。
原子力のエネルギー利用に関する基本的な方向は、経産省がとりまとめ、閣
議決定されるエネルギー基本計画に一本化される形となった。新しいエネルギ
ー基本計画(以下「エネルギー基本計画」という)は 2014 年 4 月に閣議決定さ
れた。
エネルギー基本計画では、原子力をベースロード電源として位置づけ、東電
福島第一原発事故のあと、停止していた原子力発電所の再稼働への姿勢を明確
にした。また、プルサーマルの推進、六ヶ所再処理工場の竣工、MOX 燃料加工工
場の建設促進を掲げ、核燃料サイクルの構築をこれまでどおり打ち出している。
しかし、高速増殖炉という文言は消えている。進めるとも、止めるとも言っ
ていない。高速増殖炉の実用化への取り組み姿勢を、あらためて強く打ち出し
た 2005 年の長期計画などなかったかのようだ。一切触れていないのである。
代わって、高速増殖炉から、「増殖」をはずした高速炉の研究開発が入った。
高速増殖炉にかわり、引き続きプルトニウムを主燃料とする高速炉の実用化を
めざす、ということだ。その目的は、放射性廃棄物中の長期に残留する放射線
量を少なくし、放射性廃棄物の処理・処分の安全性を高めるためとしている。
62
毒性がもっとも強く、寿命も長いプルトニウムを燃やして消費することで、放
射性廃棄物の有害性を少なくするという論法だ。
プルトニウムの増殖から消費へ、高速増殖炉から高速炉へ、は、大きな方針
転換だ。方針転換なら、なぜそうなったのか、説明がされるべきであるが、そ
れがない。高速炉は、高速増殖炉からプルトニウムの増殖機能をはずしたもの
だ。だからといって高速炉の実用化が、高速増殖炉と比較して簡単なわけでは
ない。プルトニウムを燃やす炉としての基本的な構造はかわらないからだ。そ
して、高速増殖炉の実用化が、半世紀近くかけてもできなかったことは明らか
だ。これは、高速増殖炉の実用化の失敗を意味するのか。だとすれば、なぜそ
うなったのか。また、高速増殖炉が実用化できなかったのに、高速炉なら可能
なのか。これまでの高速増殖炉研究開発の総括が必要だ。高速炉への方針転換
というのであれば、まずはこうした検証のうえに立つべきだ。
この点についてエネルギー基本計画の記述は微妙だ。
「もんじゅ」は、廃棄物
の減容・有害度の低減や核不拡散関連技術等の向上のための国際的な研究拠点
と位置づけられた。
「もんじゅ」は高速増殖炉としての「もんじゅ」ではなくな
った。ただし、新たな役割が与えられ、引き続き存続することになっている。
この「もんじゅ」については、「これまでの取組の反省や検証を踏まえ」とし、
その後、
「実施体制の再整備や新規制基準への対応など・・・・十分な対応を進
める」と続く。反省や検証という言葉は入っているが、そこには力点をおかず、
新たな役割を与えられた「もんじゅ」の今後の運用に力点をおいている。そも
そもここでいう反省、検証は誰が行うのか。それが、これまでの実施主体、あ
るいはそれが設置する機関であるとすれば、最初から用をなさないであろう。
方針転換に関連して見落としてならないことがある。それは、大きな方針転
換がありながら、関係機関を含む組織体制はそのまま維持されるということだ。
組織が、いつの間にか、その維持を目的とするための組織となっていないこと
を祈るばかりだ。
6.核燃料サイクルはどこに向かう?
わが国の原子力利用への取り組みは二元構造で進められてきた。一つは商業
用原子炉の導入、もう一つは将来を見据えた高速増殖炉を軸としたウラン・プ
ルトニウム核燃料サイクルであり、この両者が合流した核燃料サイクルの構築
が最終的にめざした姿であった。
商業用原子炉として軽水炉を、各電力会社は積極的に導入した。急速に拡大
し、わが国の電力の 30%を生み出すまでになっていた。拡大の基盤となってい
た原子炉安全性への信頼性は、3.11 東日本大震災による東電福島第一原発事故
63
によって大きく崩れた。原子炉は次々と稼働を停止し、2014 年の夏は、原子力
によって供給された電気のないまま過ぎた。事故後に新設された原子力規制委
員会が、原発事故を踏まえたあらたな原子炉の新たな規制基準をつくり、再稼
働の前提となる審査が行われている。しかし、どこまで再稼働するのかは、誰
も見通せない。原子力発電をするうえで世界でもっとも厳しい環境において、
技術でどこまで克服し、さらに操作という人の力でどこまで対応できるか、適
合性審査ではそれが問われている。
商業用原子炉は、導入、拡大から、どの原子炉を再稼働させるのか、との縮
小へと大きく舵をきっている。
もう一つの核燃料サイクルの構築は、深刻な状況だ。どういう姿をめざして
いるのかわからなくなっているとしか思えないのである。
1960 年代、
「将来の原子力発電の主流となるべき」動力炉と位置づけられた高
速増殖炉。半世紀をへても実用化の目途はまったくたっていない。高速増殖炉
を軸としたウラン・プルトニウム核燃料サイクルの構築の夢は、夢として消え
つつある。
プルサーマルは、高速増殖炉が実用化されるまでの、つなぎとしての措置、
いわば暫定的措置として導入が図られた。しかし、その高速増殖炉の研究開発
は事実上頓挫している。
プルサーマルは、それでも暫定措置なのだろうか。だとすれば、何を実現す
るまでの暫定措置なのか。暫定措置でなければ、どういう措置なのか。再処理
して分離したプルトニウムの一次的消費、それが目的なのか。それは経済的に、
政策的にどういう意味をもつのか。プルサーマルを継続するというなら、プル
サーマルのめざしている姿、その意義と目的を、あらためてあきらかにしなけ
ればならない。
不透明感が増しているのは、位置づけだけではない。
16~18 基でプルサーマルを実施するという計画は、東電福島第一原発事故後
の原発再稼働の不透明さと絡み、実現はさらに不透明だ。このことは、MOX 燃料
の全体必要量、すなわちプルトニウムの需要量が定まらないことを意味する。
このことは、使用済核燃料の再処理をどうするかにつながっていく。
使用済核燃料の全量再処理とは、一体何を目的としていたのか。やはり、最
終的には高速増殖炉を軸とした核燃料サイクルの構築ではなかったか。
六ヶ所再処理工場の建設は、1993 年に着手された。20 年以上前である。しか
し、東海再処理工場のあとに、本格的な再処理工場を建設することは、それ以
前からの既定事実だった。高速増殖炉の研究開発にまだ大きな期待があり、必
64
ずいつか実用化するとの前提で、建設計画が決まったのでなかったか。建設は
紆余曲折を経ながらも竣工に近づいている。この間、高速増殖炉がどうなった
かは、繰り返す必要はないであろう。
「つなぎ」としてのプルサーマルの実施す
ら目途が立たないまま、六ヶ所再処理工場建設だけが進んでいることをどう捉
えればいいのであろうか。
あらためて問わなければならないのは、全量再処理は何を目的とするのだろ
うか、ということだ。当面は、プルサーマルのために行うのであろうか。しか
し、プルサーマルの目的も実施の目途もあいまいだ。あいまいなまま、使用済
核燃料の全量再処理をおこなうのだろうか。再処理し、分離されたプルトニウ
ムの利用計画との整合性は、どうなるのであろうか。
全量再処理の方針を見直すとした場合には、六ヶ所再処理工場(そこには、
使用済核燃料の受け入れ・貯蔵施設もある)を受け入れている六ヶ所村の理解
が大前提となることはいうまでもない。
六ヶ所村の再処理工場には、全国の原発から使用済核燃料が集まっている。
各原発では、使用済核燃料プールが満杯に近く、どこかに中間貯蔵しなければ、
使用済核燃料の保管に大きな支障がでかねない状況にあった。六ヶ所再処理工
場の貯蔵は、いうまでもなく、再処理されるまでの貯蔵である。六ヶ所村も、
こうした前提で再処理工場の設置を受け入れている。もし、再処理の方針に揺
らぎが生じれば、使用済核燃料を受け入れる理由はなくなるであろう。
また、全量再処理は、電力会社が使用済核燃料を資源として扱うことを担保
する。資源である限りは資産として計上され、現にそういう会計処理がなされ
ている。全量再処理という方針のゆくえは、企業経営の健全性を示すバランス
シートにも大きな影響をもたらす。ただし、これは問題の次元としては二次的
な問題である。こういう問題もある、という指摘に留めておくことで十分だ。
使用済核燃料の全量再処理が目的を見失うことになれば、さらなる問題へと
波及する。核燃料サイクルの最末端に位置する高レベル放射性廃棄物の最終処
分である。全量再処理のもとでは、高レベル放射性廃棄物とは、使用済核燃料
を再処理したあとに残る核分裂生成物などを高濃度に含んだ廃液を、ガラスで
固めたガラス固化体である。高レベル放射性廃棄物の最終処分を、地下深く閉
じ込める地層処分とすることは、国として方針決定し、法律も制定された。
地層処分をめざしたさまざまな技術的、科学的検討が進められている。筆者
は、その検討の根本的な部分に大きな疑問をもっているが、それは第 3 部に譲
る。ここで問題にすべきは、そうした検討が、すべてガラス固化体を前提とし
65
ていることだ。
ちなみに、再処理を前提とした高レベル放射性廃棄物の処分方針を明確にし
ているのは、日本とフランスだけである。米国、ドイツ、スウェーデンなど途
中で方針転換した国もあるが、これらの国々は、核燃料のリサイクルを考えて
おらず、したがって再処理せず、使用済核燃料を直接地層処分するワンススル
ー方式をとっている。
使用済核燃料の直接地層処分と、ガラス固化体での処分では、技術的な対応
も当然変わってくる。このまま、直接地層処分の必要性をまったく無視できる
のだろうか。全量再処理の目的を見失うことは、高レベル放射性廃棄物の最終
処分形態に抜本的な再検討を迫ることになろう。
なお、使用済 MOX 燃料の扱いをめぐっては、再処理がさらに不透明さを増す
ことになるが、ここでは繰り返さない。
核燃料サイクルの最終部分となる放射性廃棄物の最終処分については、問題
が山積みだ。特に地層処分をするとされている高レベル放射性廃棄物について
は、実態としては何も決まっていないし、決まる目途もたっていない。核燃料
サイクルは、完結部分の見通しがまったくないままの状態が続いている。
7.事実を事実としてみる独立の検証機関の設置を
原子力利用に向けた国の予算が最初に組まれたのは 1954 年である。政治が主
導して編成した予算であった。この時期、原子力は、戦後の日本の経済発展、
生活の向上に向けた大きな希望であった、という感がある。
核兵器開発をしないわが国に、原子力利用の技術的蓄積はほとんどなかった。
しかし、技術が発展し、困難な問題は解決されるであろうと信じた。技術を信
じ、予算を増やし、体制も強化、拡大されてきた。
確かに、戦後の各分野における技術発展には、目をみはるものがある。革新
的技術、新技術といわれるものから、多くの恵みを受けてきた。しかし、そう
した晴れやかな技術発展の一方で、期待通りの進展を見せなかった分野もある。
高速増殖炉の研究開発は事実上頓挫したままだ。
核燃料をリサイクルするという夢は、後退を続けてきた。当初の核燃料サイ
クルと、現在の「核燃料サイクル」とは、その意味するところはあきらかに違
っている。現在の「核燃料サイクル」は、どういう姿をめざしているかさえわ
からなくなっている「核燃料サイクル」だ。
こうした中、
「廃棄物の減容・有害度の低減」がエネルギー基本計画に入って
いる。これが、使用済核燃料の再処理による高レベル放射性廃液のガラス固化、
66
分離されたプルトニウムのプルサーマルでの利用、あるいは将来的な高速炉で
の燃焼をさしていることは、容易に想像がつく。その中味は、核燃料のリサイ
クルをめざした核燃料サイクルの体系とほとんど同じで「増殖」がないだけだ。
これまでのリサイクルに代わって、新たな核燃料サイクルの主目的にしようと
しているのか、あるいは、別のことを目的とした場合の派生的効果のことをい
っているのか、はっきりしない。高速増殖炉を軸とした核燃料サイクルの構築
に代わって、放射性「廃棄物の減容・有害度の低減」を目的とした核燃料サイ
クルに方針転換をするというなら、考え方としてはありうるかもしれない。し
かし、それが、技術的に、経済的に成り立つかどうかについては、これまでの
核燃料サイクル構築への取り組みがかかえてきた問題と同じように、基本的に、
そのまま残っている。
原子力予算が初めて編成されて以来、原子力利用に向けた体制、さまざまな
関係組織は統廃合などを繰り返しながらも拡大、強化され、巨額の予算と多く
の人的資源が投入されてきた。各組織は活発に動き、それぞれで成果を出して
いる分野も少なくない。六ヶ所再処理工場など重要な施設は建設が進んでいる。
しかし、全体を俯瞰してみると、何も決まっていないことが多すぎるのではな
いか。避けるべきは、施設を作ってしまったがために、その施設の活用自体が
目的となり、それに振り回されるという本末転倒の事態だ。
国の事業は、いったん動き出すと、それを途中で止めることはほとんどない。
事業の規模が大きくなればなるほど、それは顕著だ。ちなみに、道路など社会
資本整備のための事業法はたくさんあるが、開始手続きは規定してあっても、
廃止手続きまで規定している法律は少ない。事業計画の見直しは、拡大する方
向での見直しは行われるが、縮小、大きな方針転換の見直しは少ない。
こうしたことが、実態に即したものであれば、もちろん問題はない。国の事
業は、その実施に先立ち、実施の是非、可能性などを一定の手続きで検討、審
査して行われるため、本来、中止や大幅な方針転換などが起こることは少ない
ともいえる。事実、大方の国の事業はこうした事業だ。
しかし、こうしたこととは別に、国の役人には、そもそも国の行う事業に誤
りはない、あってはならない、との「思い」があることも事実だ。それを一概
に悪いものだ、と決めつけることは正しくない。そういう「思い」がないと事
業を前には進められないからだ。ただ、「思い」が「思い込み」となり、時に、
実態に即した、あるべき事業の見直しにブレーキがかかることがあるのではな
いか。さらに、方針転換が不可欠となり、それがこれまでの方針と相反すると
き、その方針転換を小さく見せかけよう、目立たなくしようとする傾向もある。
また、組織は、その業務が順調に進み、組織も拡大する状況下では、もっと
67
68
69
も力を発揮する。しかし、何らかの理由で業務が停滞し始め、組織の見直しが
求められるようになると、外に向かっていた力は組織防衛という内向きの力へ
と変わる。
筆者は、国の役人として 24 年間勤務し、組織の一員として仕事をしてきた。
国の組織には、すぐれた多くの肯定的な面がある。しかし、その反対の面もあ
る。
ここではあえて、負の側面だけにことさら重点をおいた、経験的プロジェク
ト論、組織論をきわめて簡潔に展開した。こうした経験的プロジェクト論、組
織論がそのまま、核燃料サイクルの構築プロジェクト、その推進母体となった
組織にあてはまる、と断じるつもりはない。そう断じるに足る根拠があるわけ
でもない。
ただ、両者が重なって見えてくる部分があることも事実だ
核燃料サイクルをめぐる現状は、それが何をめざしているのかわからなくな
っている、という点において深刻だ。さらに、それを実態として認識していな
い、あるいはしようとしない点で、より深刻だ。
今、必要なことは、こうした事実を、事実としてみることではないか。
核燃料サイクルの構築をめぐっては、一度立ち止まって推進のあり方を考え
るべきとの指摘が各方面から出されてきたが、顧みられることはなかった。そ
の背景には、電力の供給側に、原発を止めることにつながりかねない、との危
惧があったともいわれている。しかし、今やそうした慎重論も根拠を無くして
いる。原発は、すべて止まったからである。
巨大組織による巨大プロジェクトは、それを動かすには、巨大な推進力が必
要だ。そして、推進力を得ていったん動き出せば、推進力が弱まっても、そこ
には巨大な慣性力が働く。その慣性力を制御するには、覚悟とエネルギーが必
要だ。
それを主導できるのは、政治しかない。
もともと原子力利用の研究開発は政治主導で着手された。政治が後押し、そ
こから推進力が生み出された。しかし、このまま惰性的に進めることだけは、
避けなければならない。そのためには、まず、着手から半世紀以上が立った核
燃料サイクルをめぐる状況を、政治が検証、総括すべきではないか。
その視点は大きく三点に要約される。
① 当初、何をめざしたのか。
② 現在、それらはどうなっているのか。なぜ、そうなったのか。
③ 今後、どうするか。
70
その検証、総括の主体は、どの組織とも離れた独立した主体であるべきこと
はいうまでもない。検証は、国会がその必要性をみとめ、検証委員会を設置し、
十分に時間をかけておこなうことが、もっとも望ましい。
なお、上記「③今後、どうするか」については、原発をどうするかによって、
議論が大きく変わる。
第1部では、原発依存からの早期脱却を主張した。この考え方に立てば、使
用済み核燃料の再処理、プルサーマルなどは進めない、という帰結になる。そ
の場合の「今後」は、その結論によって出てくるさまざまな問題への対応、処
理をどうするか、の議論となろう。原発をどうするか、どちらの方向に進むに
せよ、「今後」が大変困難な課題であることに変わりはない。
しかし、避けて通れない、先送りできない課題であることは、いうまでもな
い。
最後に、フランスの核燃料サイクルについて簡単に触れておきたい。
8.フランスの核燃料サイクル
低濃縮ウラン燃料を燃やした後の使用済核燃料の再処理は、日本とフランス
に共通した方針だ。違っているのは、フランスが、その方針による全体計画を
明確にし、それにしたがって計画通り実施していることだ。
使用済核燃料の再処理については、わが国が再処理をフランスに委託しただ
けではなく、わが国の再処理を実現するため、フランスからさまざまな技術提
供を受けてきた。建設中の六ヶ所再処理工場は、フランスのラ・アーグ再処理
工場がモデルになっていることは、よく知られているところだ。
そのフランスがどういう核燃料サイクルを構築しようとしているのかは、わ
が国にも大きな影響を与えると考えられる。こうした観点から、フランスの核
燃料サイクルの現状について、簡潔に触れておきたい。
フランスでは、2013 年末時点で 58 基の原子炉が運転されている。すべての原
子炉から発生する使用済核燃料は、年間約 1150 トンとされ、そのうち約 1000
トンがラ・アーグ再処理工場で再処理され、残りは、有価物として使用済核燃
料のまま貯蔵されている。
再処理では、核分裂性プルトニウム、燃え残ったウラン 235 が分離・回収さ
れるとともに、プルトニウムは MOX 燃料に加工され、回収ウランは再濃縮され
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72
採鉱と精錬
ウラン(回収ウラン)約940t
プルトニウム 約10t
軽水炉
出典: TOWARDS SUSTAINABLE NUCLEAR FUEL CYCLES: CEA SCENARIO STUDIES,Dominique OCHEN,
CEA, Nuclear Energy Division International Strategy に基づき作成
天然ウラン
8000t
ウラン濃縮
劣化回収
ウラン800t
ウラン転換
燃料製造
劣化ウラン
(ウラン燃料 1000t)
(再濃縮ウラン 約140t)
(MOX燃料 120t)
再処理
放射性廃棄物
FPs&MAs
約50t
使用済ウラン燃料
1000t
使用済MOX
燃料約120t
図6 フランスの燃料サイクルの概略 (4000億KWh/年あたり概算量)
ウラン燃料へと加工される。MOX 燃料、再濃縮ウラン燃料は 90 万 kw 級の軽水炉
20 基に、天然ウラン由来の低濃縮ウランとの組み合わせで燃料としている。MOX
燃料は、全体の約 30%程度とされる。
使用済 MOX 燃料も、有価物として全量ラ・アーグ再処理工場内で管理されて
いる。
「われわれは財産を残しているのだ」というフランス当局者の話が印象に
残っている。フランスは実証炉としての高速増殖炉を作り稼働させた実績があ
る。この実績をもとに高速炉の実用化を進めており、使用済 MOX 燃料は、将来、
再処理して高速炉の燃料に加工することを念頭に保管されている。
フランスでやっていること、これからやろうとしていることが、わが国でも
できるとは限らない。わが国では、高速増殖炉の原型炉でさえ満足に運転する
ことができなかった。プルサーマルは、どこまでできるかまったく不透明だ。
本格的な再処理を進めるにしても、順調に進むかどうかわからない。
何よりわが国では、フランスでは想定することすら必要のない巨大地震、大
津波が発生し、それが引き金となって三つの原子炉の同時メルトダウンという
世界に例のない深刻な事故を経験した。原子力利用をするうえで、世界でもっ
とも厳しい国土環境にあることを、あらためて肝に銘じておく必要がある。
もちろん、できないと断じることも慎重であるべきだ。しかし、できるであ
ろうという、根拠のない見通しに立った政策展開は、避けねばならない。それ
は、この半世紀にわたる原子力開発の経験から学ぶべきもっとも重要な教訓で
ある。
以上で第 2 部を終わる。
73
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第3部
第1節
最終処分(地層処分)という課題
東日本大震災の教訓を活かせ
原発は、電気を発生させることの引き替えに、核のゴミ、すなわち放射性廃
棄物を生み出していく。人類が生み出した物質の中で、もっとも毒性は強く、
扱いがやっかいな物質を含んだものだ。特に、高レベル放射性廃棄物といわれ
るものは、数万年以上の期間にわたり人間とその生活環境に影響がおよばない
ようにしなければならない。そのため、生活環境から物理的に隔離し、さらに
長期にわたって放射性物質の放出や分散を抑制するために、地下深部に高レベ
ル放射性廃棄物を閉じ込める。この間、安定的に放射能が減衰し、安全とされ
るレベルまで下がることを期待する。これが地層処分である。
高レベル放射性廃棄物の最終処分をどうするか。原発立地国に共通する課題
であり、核エネルギーから便益を受けてきた人類の課題でもある。地層処分は、
多くの原発立地国が実用化をめざしている最終処分方法である。わが国もその
一つだ。
「地層処分に好ましい地質環境がわが国に広く存在する」との認識は原子力
関係者や政府内で共有されているとされる。地層処分は可能という前提のもと、
地層処分に向けた法律も制定され、実施体制も整備されている。だが、具体的
な進展はまったくない。
本小論第 3 部では、
「地層処分は可能」とする認識に、異論を唱える。それは、
わが国では、地層処分ができないことを主張するものではない。地層処分を実
現しようとするなら、これまでの認識を抜本的に再検討することから始めない
と一歩も進まない、との問題提起である。
1.地層処分をめぐる課題
(1)必要となる超長期の時間軸の設定
最終処分場となりうるとされるのは、地下 300 メートルを超える深地下であ
る。そこは、われわれの日常世界とは隔絶された世界だ。しかし、地下深くの
世界について、われわれは何を、どこまで知っているのであろうか。そして、
起こりうる事象を想定していくうえで、設定しなければならない時間軸の長さ
は数万年以上だ。安定的に放射能が減衰し、安全とされるレベルまで下がるの
に数万年以上かかるからだ。数万年は、日常の感覚からすれば、気の遠くなる
ほどの超長期間だ。
動的日本列島が作りだす地層環境のもとで、地層処分に必要とされる要素、
75
すなわち、地層が数万年間にわたって安定して維持しつづけることを、科学的
に特定する知見、方法はあるのだろうか。われわれは、東電福島第一原発を建
設して、わずか 50 年後に襲ってきた地震、津波すら想定できなかったではない
か。
地層処分は、高レベル放射性廃棄物を、われわれの生活から地下深くに隔離
する。それは、何かが起こったとしても、人の手が容易に届かない状態を作る
ことでもある。
東日本大震災では、東電福島第二原発などでも、東電福島第一原発ほどでは
ないが、想定を大きく超える津波が押し寄せた。これら原発が大きな被害を受
けながらも、それでも、炉心溶融といった深刻な事故に発展しなかったのは、
原発を管理していた職員などによる懸命の努力によるところが大きい。東電福
島第一原発も、職員、消防隊、自衛隊など人の力によって、炉心溶融、建屋の
水素爆発による被害の拡大をくい止めるため、必死の取り組みがなされた。
原発の安全の確保には、安全設計や装備を強化することとあわせ、緊急時に
は、人の手が入りうる。しかし、深地下の地層処分にはそれができない、と考
える必要がある。つまり、地層処分には、絶対的安定性が求められるのだ。同
時に、数万年以上の超長期間の中で、地下で何が起こりうるか、そこにはどう
することもできない不確実性があるようにも思う。絶対的安定性は、どのよう
に担保されうるのだろうか。
専門知識のまったくない筆者からみても、動的日本列島での地層処分には、
いくつもの疑問がでてくる。
しかし、そうはいっても、高レベル放射性廃棄物を、地下深く埋設し、放射
能が減衰し自然のレベルまで低下するまで、数万年以上にわたって地上での生
活環境から物理的に分離してしまうことが、考えられる選択肢の中で、もっと
も妥当な選択であることも事実であろう。少なくとも、超長期にわたる不確実
性という観点からは、地上での管理などに比べればそのリスクは小さいと考え
られる。
地上での動きは、あらゆる面で動きがめまぐるしい。それに比べれば地下深
くの動きは、百年以上の単位で考えても静止といっていいほど、きわめて緩慢
かもしれない。
例えば、地上での生活がどうなるかを超長期わたって確信をもって予測する
ことは、誰にもできないであろう。国の技術、経済がいつまでも伸び続けると
考える根拠はどこにもないであろう。経済がすたれ、国がすたれ、高レベル放
射性廃棄物の管理をする能力を失い、放置される可能性はある。それは、決し
てあってはならない姿だ。
もちろん、逆に、将来、高レベル放射性廃棄物の処理に、画期的な技術が開
76
発されるかもしれない。問題を大きく改善、あるいは解決するかもしれない。
その一つとして、高速炉や加速器によって核種変換をし、放射性廃棄物の毒性
を弱めたり、寿命を短くする研究開発も進められている。可能性を追求すべき
であろう。しかし、これが実用化されるとの前提に立った取り組みはすべきで
はない。やれる、との前提にたって、できないことの繰り返しを原子力利用の
研究開発は続けてきた。高速増殖炉を軸とした核燃料サイクルの構築はその典
型だ。その結果、原子力政策の中に大きな矛盾が生まれてきている。また、問
題の先送りが常態化しつつある。同じことを、これ以上繰り返さないことだ。
われわれが現在もっている技術、科学的知見をもって地層処分を実現するた
めには何が必要か。やらなければならないことは、このことを明らかにするこ
とだ。そして、そのことに、社会的な信頼が得られるようにすることだ。それ
が、高レベル放射性廃棄物の最終処分となる地層処分への取り組みを、前に進
めることにつながる。
(2)二つの課題
地層処分をめぐっては、大きく二つの課題がある。
一つは、科学的・技術的課題であり、地層処分の超長期安定性についての、
技術的信頼性だ。地層に求められる機能とはどういうものであるか、そうした
機能が数万年以上にわたって安定して維持されることを、どのように確認する
のかなど、科学的根拠をもとにした判断が必要となる。必要なことは、判断だ
けではない。技術的信頼は、科学的・技術的な判断についての社会的な理解が
なければ、成立しないであろう。科学的・技術的判断が正しいとしても、判断
の仕方、判断に至る検討体制に信頼がない場合、あるいは説明が十分でない場
合、社会的な理解が得られなくなる可能性は高い。
もう一つは、上記の問題をクリアしたうえで、地層処分建設候補地をどのよ
うにして決めるか、特に、地域住民、関係自治体の理解をどのように得るかと
いう課題である。後者が、より複雑で、困難な課題であろうことは、容易に想
起されることだ。
一方、ガラス固化された高レベル放射性廃棄物がすでに相当量ある。再処理
されていない使用済核燃料も積み上がっている。原子炉が再稼働した場合には、
使用済核燃料は、さらに積み上がる。廃炉なら廃炉で放射性廃棄物が発生する。
放射性廃棄物をどう処理するかは、原発への依存をこれからどうするかにかか
わらず、避けて通れない問題だ。そもそも、この問題に目途をつけないまま、
原発によって生み出された電気だけを利用するという姿勢は、許されるもので
はない。
しかし、理屈としてはそうだが、自分が住んでいる場所に、あるいはふるさ
77
とに、処分場を受け入れるかどうかはまったく別問題、ということになる。受
け入れの終着点を見いだすことは困難だ。しかも、その困難さは、困難という
文字を、何度掛け合わせても足りないほどの困難と考えなければならない。結
局、受け入れる場所はいつまでたっても決まらない、ということになるかもし
れない。
しかし、本小論では、場所の選定をどうするかといった、地層処分場建設に
かかる手続き的な話には、あまり立ち入らない。これは、本当に難しい問題だ。
現段階では、どうすればいいのか、率直にいって、筆者にもわからない。
ただし、理由はそれだけではない。場所の選定の具体的手続きに入ろうとす
る前に、国として、やっておかなければならないことがある、と考えるからで
ある。
それは、動的日本列島において地層処分が可能かどうか、検討し直すことか
ら始める必要がある、ということだ。再検討だ。
これまで、政治、行政、原子力関係機関、原子力学会には、
「地層処分に好ま
しい地質環境が日本列島にも広く存在する」との認識が共有されてきた。その
根拠となる学術的な整理もされてきたことになっている。しかし、ここにきて、
本当にそうか、という疑問が湧き上がってくるのである。結論に対しての疑問
というよりは、そういう結論を出すまでに、どういう体制でどのような検討を
したのか、という疑問といった方が、より適切かもしれない。
疑問が出てくる契機となったのは、いうまでもなく、東日本大震災だ。東電
福島第一原発事故は、地震、津波という天災によって誘発された。原子力利用
にあたっての「動的日本列島に向き合う姿勢の甘さ」を痛感させられた。それ
は、そのまま、これまでの地層処分の取り組みにも当てはまるのではないか。
以下、論を進めるために、まずは、地層処分に向けたこれまでの取り組みに
ついて概観することから始めたい。
2.地層処分に向けたこれまでの取り組み
(1)長期計画(原子力開発利用長期基本計画など)にみる経過
国の重要プロジェクトとして、地層処分の研究開発が開始されたのは、1976
年のこととされる。それまで、わが国では、高レベル放射性廃棄物の最終処分
に関して、欧米で研究が進められている地層処分には積極的でなく、海洋投棄
を有望視していたとされる。しかし、高レベル放射性廃棄物の海洋投棄は、1972
年の海洋汚染防止国際会議で採択され、1975 年に発効したロンドン条約によっ
て完全に禁止された。これを受け、1976 年に原子力委員会で地層処分を重点方
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針にすることが決定されたのである。海洋投棄という選択肢を世界から遮断さ
れ、わが国としても、地層処分を重点的に検討するしかなくなった、ともいえ
る経過である。
長期計画において、初めて高レベル放射廃棄物の処理の取り組みについて言
及されたのは、1978(昭和 53)年の計画においてである。
・再処理施設から発生する高レベル放射性廃棄物は、半永久的にこれを安全に
管理することが必要であるので、安定な形態に固化処理し、一時貯蔵したの
ち処分
・固化処理及び貯蔵については昭和 60 年初頭に実証試験、処分は、当面地層処
分に重点を置き、調査研究を進め、わが国の社会的地理的条件に適した処分
方法の方向付けをして、昭和 60 年代後半から実証試験を実施
実証試験は、「昭和 60 年代後半(1990 年代前半)から実施」というのは、き
わめて楽観的であったというほかない。ハッブル的現象(第 2 部参照)は、地
層処分においても例外ではない。
処理についての実施主体、負担などの考え方は、1982(昭和 57)年の長期計
画の中で示された。
・高レベル放射性廃棄物の固化処理及びこれにともなう一時貯蔵については再
処理事業者が行い、国は技術の実証を実施
・固化処理及び貯蔵の技術については、1980 年代後半の運転開始を目途にパイ
ロットプラントを建設し、実証を実施
1987(昭和 62)年策定の長期計画においては、さらに次のような具体的な記述
がされ、高レベル放射性廃棄物は地層処分することを基本とする方針が明示さ
れた。
・再処理施設において使用済燃料から分離される高レベル放射性廃棄物は、安
定な形態に固化した後、30 年間から 50 年程度冷却のための貯蔵を行い、その
後、地下数百メートルより深い地層中に処分する(以下「地層処分」という)
ことを基本的な方針とする。
・高レベル放射性廃棄物の処分が適切かつ確実に行われることに関しては、国
が責任を負う。
この 1987 年長期計画をもって、高レベル放射性廃棄物の処分は、
79
・使用済核燃料の再処理
・ここから発生する高レベル放射性廃棄物はガラス固化し(冷却のため)一時
貯蔵、
・地層処分
という、三段階の過程を経る、との基本方針が固まったことになる。地層処
分が実際に可能かどうかの検討が具体的に行われるのは、まだ先のことである。
ともかく、地層処分実施を基本方針とすることの決定が先行した。
(2)後追い的に進められた地層処分の技術的検討
地層処分にかかる技術的検討は、長期計画の後追い的に進められた感がある。
上述のように、
「高レベル放射性廃棄物は、地層処分をする」ことを基本方針
とする旨、原子力委員会がすでに決定しており、そのもとで地層処分の実施可
能性を含めた技術的検討に入ったのである。
その中心となったのは、動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団、現在の独
立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA))であった。その成果は、1992 年に
「高レベル放射性廃棄物地層処分研究開発の技術報告書―平成 3 年度―」とい
う報告書となってまとめられた。報告書では、
・わが国においても、地下深部には、地層処分の観点からみて長期的にわたり
安定な地質環境が存在しうること
・地層処分の長期安全性は、多重バリアシステムのうち、主に廃棄物の近傍に
あるバリアの働きによって確保できる可能性があること
が示された。
同報告書は、「わが国における地層処分の安全確保を図っていく上での技術的
可能性が明らかにされた」との国の評価が与えられたとされている(「放射性廃
棄物地層処分の学際的評価」、2014 年 1 月、日本原子力学会専門委員会報告書に
よる)。
さらに、1994(平成 6)年の長期計画では、
・処分場の建設操業は、2030 年代から遅くとも 2040 年代半ばまでの操業の
開始を目途
と、最終処分場操業に向けたスケジュールも示された。積極的姿勢を示した
ということであろうが、今となっては空虚感だけが漂う。
さらに、この報告書を受け、1999 年に、核燃料サイクル開発機構(旧動燃、
現在 JAEA)が、
「わが国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性
80
―地層処分研究開発第 2 次取りまとめ」
(第 2 次取りまとめ)を作成し、原子力
委員会に提出した。これは、わが国における地層処分技術の技術的信頼性を示
し、処分事業を進めるうえでの処分予定地の選定、安全基準の策定の技術的拠
り所を与えるとともに、国による評価を経て 2000 年以降の研究開発を具体化す
るうえで重要なものとするとの位置づけのもと取りまとめられた、とされる
(「放射性廃棄物地層処分の学際的評価」、同上による)。
「第 2 次取りまとめ」は、全 4 冊 2300 ページにも及ぶ技術報告書となった。
本報告書は、
・地質処分概念の成立に必要な条件をみたす地質環境がわが国に広く存在し、
特定の地質環境がそのような条件を備えているか否かを評価する方法が開
発されたこと
・幅広い地質環境条件に対して人工バリアや処分施設を適切に設計・施工する
技術が開発されたこと
・地層処分の長期にわたる安全性を予測的に評価する方法が開発され、それを
用いて安全性が確認されたこと
などを指摘して、地層処分に向けた技術基盤が整備された、としている(「わ
が国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性」、日本原子力学会
誌、vol.42、No.6(2000))。
日本列島における地層処分は、まったく問題なく実施可能、と言わんばかり
である。この時期、この段階での、地層処分をめぐるいわゆる専門家による検
討というものが、どういう雰囲気であったかがよく伝わってくるのではないか。
(3)「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」の制定
一方、原子力委員会においては、地層処分の事業化に向けた処分制度の整備
や社会的理解を得るための施策についての提言を行うことを目的として、
「高レ
ベル放射性廃棄物処分懇談会」
(処分懇)が設置され、1998 年には報告書が出さ
れた。この報告書の中で、
「高レベル放射性廃棄物処分の問題については、政治
の場においても現世代の意思を立法の形で明らかにすることが必要」との提言
がされた。
こうして、
「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(以下「最終処分法」
という)は、総合エネルギー調査会・原子力部会における議論などを踏まえ、2000
年に法制化された。最終処分法では、「地下 300 メートル以上の深さの地層に、
特定放射性廃棄物が、飛散、流出、地下浸透することがないように、必要な措
置を講じて安全かつ確実に埋設することにより、特定放射性廃棄物が最終的に
処分すること」と、最終処分を定義した。
81
また、「特定放射性廃棄物」は、
・使用済核燃料の再処理にともなって使用済核燃料から核燃料物質その他有用
物質を分離した後の残存物を固形化した物
・使用済核燃料の再処理等にともない汚染された物を固形化し、又は容器に封
入した物であって、長期にわたり環境に影響を及ぼすおそれがある物
とされ、
「使用済核燃料は全量再処理」の方針が示されている。ウラン・プル
トニウム核燃料リサイクルの構築を前提としていることは明らかである。この
規定によって、わが国における高レベル放射性廃棄物の最終処分は、もっぱら
再処理によって出てくる廃液をガラス固化したガラス固化体のみを対象とする
ことを法的にも位置づけたのである。
最終処分法は、このほか、次のような規定を置いている。
・経済産業大臣による最終処分についての基本方針の制定、5 年ごとに 10 年
を一期とする最終処分計画の制定(閣議決定)
・最終処分地選定の手続き
・実施主体としての原子力発電環境整備機構(NUMO)の設置
・発電用原子炉設置者による最終処分に必要な費用の NUMO への拠出、指定法
人による拠出金(積立金)の管理、NUMO による積立金の取り戻し
発電用原子炉設置者(発電事業者)の拠出金が、消費者の電気利用料金から捻
出されることは当然である。また、NUMO は、概要調査地区の選定にあたって、
全国の市町村からの公募を行い、2007 年からは「国から自治体への申し入れ」
方式を併用しているが、地区選定の目途はたっていない。
ちなみに最終処分法にもとづく、
「特定放射性廃棄物の最終処分に関する計画」
(2008 年 3 月閣議決定)では、精密調査地区の選定を平成 20 年代中頃に、最終
処分施設建設地の選定を平成 40 年前後として、最終処分の開始を平成 40 年代
後半を目途に進めるとの最終処分場建設の“スケジュール”が示されている。
2040 年代半ばを最終処分場の操業開始の目標と設定した、1994 年の長期計画と
目標設定だけは、ほぼ同じとなっている。
これに関してのコメントはもはや必要ないであろう。
3.出てきた異論、深まることのなかった議論
82
こうした地層処分の実施に向けた国の動きに、懸念と異論が出てきた。
地震、原子力など複数の分野の学者などなるグループから、
「第2次取りまと
め」の妥当性に対して技術的・科学的疑問が提起されたのである。
『高レベル放
射性廃棄物地層処分の技術的信頼性』批判」(2000 年 7 月 20 日、地層処分問題
研究グループ―高木学校+原子力資料室―、以下「批判リポート」という)と
してまとめられ公表された。
批判リポートでは、いくつかのテーマを設定し、それぞれ「第 2 次取りまと
め」の問題点を指摘している。
例えば、
・深層地下における地下水の流動性特性の評価にあたっての透水係数、地下坑
道の強度検討にあたっての岩盤強度などの基本的な数値設定、および関連デ
ータの取り扱いについての恣意性
・地震発生と活断層との関係について、地震は地表面に表れている活断層で発
生し、その活断層は特定できる、とする「第 2 次取りまとめ」に対し、地震
現象の理解が間違っており、将来の地震発生源の特定は困難、また地震が地
層に与える影響はわかっていないことが多い
といった論点から、
「第 2 次取りまとめ」とは、真っ向からぶつかる内容となっ
ている。
結論として、「「第 2 次取りまとめ」は、地層処分の実施可能性や安全性に関
わる多くの重要な事項について、恣意的な解釈と評価を行ない、不確実性に対
して科学的に真摯な検討を経ることなく、地層処分が行えるという予め定めら
れた結論を導いている」との厳しい認識を示した。
「予め定められた結論を導いている」とは、これまでの政府内での検討経過
からしても、無視しえない指摘である。
これに対し、核燃料サイクル開発機構が「「高レベル放射性廃棄物地層処分の
技術的信頼性」批判に対する見解」(以下「見解」という)をまとめ、2000 年
10 月に公表した。
「見解」では、批判リポートの各指摘事項に「第 2 次とりまとめ」にもとづ
き反論を展開している。この中で、地層処分のもっとも重要な論点になると思
われる「地質環境の長期安定性について」に関しては、
・10 万年後の地質環境の評価には不確かさが伴う
・地球科学的にはまだ解明されていないことが沢山ある
として、批判リポートと認識を共有する姿勢を示している。しかし、一方、
「現
在の科学技術を駆使すれば、不確かさを考慮しても地層処分の安全性を十分に
確保することはできると考えます」と、根拠を必ずしも明確にしないまま、や
やあいまいともいえる反論をしている。
83
批判リポートをまとめたグループは、科学雑誌に二回にわたって論文を掲載
するなど、「第 2 次取りまとめ」批判を継続する姿勢をみせた。
しかし、地層処分をめぐる議論が、これ以上に高まることはなかったのであ
る。
国会では、「第 2 次取りまとめ」を受け、最終処分法をすでに制定していた。
国会として地層処分をめぐる学術的論争に関心を持つ環境にはなかった。国会
の立場からすれば、地層処分は、実施の段階に入ったことになる。高レベル放
射性廃棄物の最終処分という国家レベルの課題にもかかわらず、筆者を含め、
当時の国民全体の関心も薄かったこともあった、と想定される。
結局、使用済核燃料は全量再処理、再処理によって出てくるガラス固化した
高レベル放射廃棄物は地層処分によって最終処分、という方針が決まり、地層
処分に好ましい環境はわが国に広く存在する、が、原子力政策上の見方となっ
た。
以後、高レベル放射性廃棄物の最終処分は、この枠組みの中で動く。
JAEA は、地層処分技術に関する研究開発拠点として、2002 年に瑞浪超深地層
研究所を、2003 年に幌延深地層センター地下研究所を着工し、地層処分に向け
た調査、研究を進めている。
しかし、
「地層処分に好ましい地質環境がわが国に広く存在する」にもかかわ
らず、具体的な地区選定の作業は、まったく進んでいない。
4.地層処分の技術的信頼性についての抜本的再検討を
(1)東日本大震災によって気づかされたこと
こうした中、東日本大震災が起こる。
2011 年 3 月 11 日、巨大地震が東日本一帯を揺り動かし、それによって発生し
た大津波が沿岸地域を襲った。天災は、多くの人命を奪い、家や建物を破壊尽
くしただけではなく、さらに東電福島第一原発事故という世界を震撼させた大
事故を誘発した。
東日本大震災によって、日本列島が動き続けている動的な国土であることを、
われわれは再認識させられるとともに、その動的日本列島にどう向き合ってい
くかについての、根本的な再検討と大きな修正が迫られることになった。
建物や構造物の耐震性の強化は、全国で急ピッチで進められている。広域の
防災計画は、想定する地震強度、津波高については、過去の事象発生を再検討
するとともに、最新の科学的知見を総動員してのモデル計算などによって、発
84
生しうる最大規模の事象を想定し、被害想定、それにもとづく防災対策を講じ
るようになった。
東電福島第一原発事故は、天災によって誘発されたという意味で、世界が初
めて経験した深刻な大事故であった。また、従来の原発の安全設計では、目先
の経済性を優先させ、自然事象の発生予測を、事業者に都合よく設定する傾向
があったことが明らかになった。また、それを、チェックする国の機関も、十
分な見識を持っておらず、それを修正する努力も怠っていた。動的日本列島の
基盤で発生する自然事象への向き合い方に甘さがあり、そこに隙が生まれた。
東電福島第一原発事故は、起こるべくして起こった事故ともいえる。
こうした経験を踏まえ、原発の安全規制基準は大きく見直された。再稼働の
前提となる、新たな規制への適合性を審査する体制も変わっている。再稼働す
る原発の安全性は高まり、事故発生の可能性は大きく低下するはずだ。しかし、
リスクは残る。しかも、そのリスクには、動的日本列島で発生する自然事象の
不確実性から生起するわが国特有といっていいリスクがある。
以上のことは、本小論の第 1 部で述べた。
東電福島第一原発事故、これからの原発、をテーマとした本小論第一部を通
じて明らかにしたかったことの一つは、原子力利用を進める体制の中に内在し
ていた、
「動的日本列島にどう向き合うか」についての認識、姿勢の甘さ、であ
る。日本列島は動き続けている、は繰り返しいってきたフレーズだ。
第 1 部では、東電や、原子力安全・保安院などの国の機関に議論の範囲を限
定してきた。しかし、こうした認識、姿勢の甘さが、これら企業、関係機関に
限ってあったというべき理由はない。むしろ、原子力利用にかかわる、国の機
関、関係企業で構成される体制の中に、原子力利用への取り組みが始まった当
初から組み込まれていた、と考えなければならない。
こうした体制のもとで検討されてきたことの中に、地層処分が含まれている、
と考えなければならないことは、当然のことだ。
わが国での原子力利用は、世界でもっとも厳しい国土環境のもとで行ってい
る。動的日本列島での原子力利用は、この認識の上に立たなければならない。
にもかかわらず、動的日本列島に向き合う姿勢には甘さがあった。この事実は、
われわれが原発導入後、半世紀をすぎて「実感」したことだ。このために、東
電福島第一原発事故という、つらく、厳しい、そして、とんでもない高い代償
を払わなければならなかった。
東電福島第一原発事故の教訓は、原発だけではなく原子力利用にかかわる政
策すべてに活かさなければならない。天災によって誘発された原発事故は、原
発が生み出す核のゴミの最終処分への取り組みについても、抜本的な見直しを
求めている。
85
(2)独立した専門家集団の設置を
「地層処分に好ましい地質環境がわが国に広く存在する」との認識は、1999
年に核燃料サイクル機構が作成した「第 2 次取りまとめ」が、起点となってい
る。
「第 2 次取りまとめ」を受け最終処分法が整備され、地層処分の実施に向け
た体制も整備された。
少なくとも、2011 年 3 月 11 日以前において、原発だけではなく、原子力利用
にかかわる体制の中に、動的日本列島の基盤で発生する自然事象への向き合い
方に大きな問題があった可能性がある、と考えるのは当然であろう。この考え
方に立てば、現時点での地層処分への技術的信頼性の基盤は、科学的にも社会
的にも崩れていることになる。そうであるなら、地層処分は一歩も前に進むこ
とはできないであろう。ただ、時間が過ぎ、体制の中にお金が消えていくだけ
だ。
動的日本列島に立っている原発の安全審査の体制、規制基準は大きく見直さ
れている。
地層処分においても、問題点の整理、実施の可能性といった科学的、技術的
な検討を新たな体制のもとでやり直す、ということがなければならない。それ
は、地質、地球化学、土木といった原子力利用とは直接関係をもたない地層に
かかる専門家が中心となるべきであろう。原子力関係者としては、放射能に関
する専門家の参加が必要だ。動的日本列島というかなり特殊な国土環境のもと、
数万年の時間軸を設定し、深地下という日常生活とは切り離された場を対象と
しての議論は、さまざまな意見が対立し、激しい議論となって収拾がつかなく
なるかもしれない。しかし、それはそれでいいのではないか。収拾がつかない
なら、つかないという事実から何らの方向が見えてくる、と信じるからである。
専門家集団の検討すべきテーマは、地層処分の技術的信頼性にかかる再検討
だけではない。高レベル放射性廃棄物の最終処分についての国民的な関心を高
め、専門家集団の検討についての信頼性を醸成していくことが必要だ。なぜ、
高レベル放射性廃棄物の最終処分が問題なのか、それがなぜ、地層処分でなけ
ればならないのか、そして、そもそも地層処分の安全性は確保されうるのかと
いった点について、多くの国民の理解と支持がなければ最終処分は進まないで
あろう。こうしたことをどのように実現していくか、技術的信頼性の再検討と
ともに重要なテーマだ。
こうしたテーマにそってどのような検討体制を作るか、それ自体も主要な検
討テーマであるが、重要なことがある。それは、専門家集団が、既存の原子力
利用体制から独立して設置されることだ。これまでの地層処分にかかる研究、
取り組みの成果を活かしていくことは当然のことであるが、既存の体制の中で
86
の再検討は、これまでの研究、取り組みの延長線上のものとなってしまう可能
性が高い。
実は、こうした提案をしているのは、本小論だけではない。
国の原子力政策、科学技術の振興にかかわる三つの重要な機関からも、本小
論と同じような主旨での提案がされているのである。
(3)三つの機関提言も求める地層処分についての再検討
高レベル放射性廃棄物の地層処分のあり方をめぐっては、東電福島第一原発
事故後、三つの機関からも、提言がされている。
一つは、日本学術会議が 2012 年 9 月 11 日に公表した「高レベル放射性廃棄
物の処分について」である。2010 年 9 月に原子力委員会委員長から受けた、高
レベル放射性廃棄物の処分に関しての審議依頼への回答として、まとめられた
ものである(以下「学術会議提言」という)。
もう一つは、原子力委員会が学術会議からの回答を受ける形で、2012 年 12 月
18 日にまとめた「今後の高レベル放射性廃棄物の地層処分に係る取り組みにつ
いて(見解)」である(以下「委員会提言」という)。
さらに、学術会議提言を踏まえ、原子力学会も専門委員会を設置し、地層処
分の今後の進むべき方向性についての提言を行うべく検討を重ねた。その結果
を、2014 年 1 月に「放射性廃棄物地層処分の学際的評価」としてまとめている
(以下「学会提言」という)。
三つの提言には、いくつかの背景があると考えられる。
まず、最終処分法にもとづく現在の枠組みのもとでの地層処分への取り組み
が、具体的に進んでいないことがある。高レベル放射性廃棄物の最終処分にま
ったく見通しがない中、使用済核燃料はどんどん積み上げってきた。使用済核
燃料を再処理する核燃料サイクルにも不透明感が増している。
そして、なによりも、東日本大震災によって、動日本列島がもつ地学的な不
確実性に、もっと深く、より慎重に向き合うことの必要性を再認識したことで
ある。地層処分のあり方そのものの見直しが迫られており、その見直し、再検
討なしに、社会の理解は得られない。現状のままでは、高レベル放射性廃棄物
の最終処分は、具体的進展を見せることなく時間が過ぎていく。こうした問題
意識と危機感があるのではないか。
特に、東日本大震災が地層処分のあり方に与えた影響について、学術会議提
言では、
「東日本大震災は、地層処分の是非を判断するに際しての背景事情が大
きく変化した」として、
「自然現象の不確実性を適切に考慮すべきという強い警
87
鐘を鳴らした」としている。さらに、
「わが国における放射性廃棄物の処分政策
がこれまで採用してきた地層処分の処分概念や処分地選定のあり方にも、改め
て再考の必要性が生じている」とした。また、委員会提言も、
「地震及びそれに
伴う津波によって引き起こされた東電福島第一原発事故は、政府、事業者、専
門家だけではなく科学技術そのものに対しても国民の不信感を増大したとの指
摘もあることを認識」すべきとしている。
三つの提言には、共通していることがある。
一つは、超長期にわたる地層処分の安全の確保についての科学的、技術的な
議論を、科学的知見の不確実性を認識しつつ、さまざまな見解を持つ専門家に
よって行うべきとしていることである。地層処分のあり方に関しての再検討の
必要性の提言といっていい。
また、これまでの検討、取り組み体制を抜本的に変えていかなければならな
い、との観点に立った提言が行われていることについても共通している。具体
的には、審議において、狭い範囲の専門家での閉じた意思決定であってはなら
ず、第三者的で独立性の高い学術的な機関を設置する(学術会議提言)、技術的
な検討に加え、倫理的な側面を含む多様な学際的な協働が必要(学会提言)と
いった提言がされている。さらに、推進にあたっては、社会的な公平性、情報
の公開、開かれた議論など社会からの信頼を得ることが必須であり、そうした
取り組みへの助言あるいは監視を行うための第三者機関の設置を提言している
(委員会、学会提言)。学術会議は、政策決定の議論での第三者機関によるコー
ディネートを提言している。
これまでの法制度的枠組みを固定化して考えることをせず、最終処分法の見
直しを行うことを学術会議、委員会は言及している。
つまり、体制の再構築、地層処分のあり方についての抜本的というべき再検
討、それを踏まえた高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた推進、を提言し
ているのである。
(地層処分に関しての三つの提言からの抜粋)
―
学術会議提言
―
「科学者は、各時点の科学的知識によっては不明なことや不確実なことがあるという、科
学・技術の限界を自覚するとともに、社会的にそれを明示した上で、賢明な対処法を探る
べきである。
」
88
「不確実性の評価をめぐって、・・
(中略)・・専門家間での丁寧な議論を通じた認識の共有
を経ずに高レベル放射性廃棄物の地層処分を進めるという姿勢では、広範な支持のある社
会的合意の形成はおぼつかない。」
「特定の専門的見解から演繹的に導かれた単一の方針や政策のみを提示し、これに対する
理解を求めることは、もはや国民に対する説得力を持つことができない。安全性と危険性
に関する自然科学的、工学的な再検討、さらには、地質事象の空間的および時間的不確実
性を考慮してもなお社会的合意を得られるような施設立地の候補地選定にあたっては、ま
ず自律性のある科学者集団(認識共同体)による専門的な審議の場を確保する必要がある。」
「暫定保管と総量管理についての国民レベルでの合意を得るためには、様々なステークホ
ールダーが参加する討論の場を多段階に設置していくこと、公正な立場にある第三者が討
論の過程をコーディネートすること・・・(中略)・・・が必要である。
」
―
委員会提言
―
「科学・技術的能力の限界を認識し、地層処分に懐疑的な国民や専門家が存在することを
踏まえた包括的なコミュニケーションを学術界を含む国民との間で行うべきであったにも
関わらず、そうした努力が十分なされてこなかったと考えられた。」
国民の間にある多様な意見を十分踏まえる仕組み、処分に係る技術と処分場の選択の過程
を社会と共有する仕組みを整備すべきとし、「学会、国民の声を踏まえつつ監査し、国や当
事者に適宜に適切な助言を行う独立の第三者組織・・・(中略)・・・整備すべきである。」
―
学会提言
―
「地質環境の長期安定性に基づく自律的安全確保と人間が直接的に関与する安全確保策と
の関係、地震・断層等自然現象の将来予測に関する専門家の議論において一定の統一見解
を導く方法論の確立等、いわゆる「安全確保」の考え方について、現代の倫理観、価値観
を踏まえた考え方を示す必要がある」
「「地層処分」という概念が、科学技術を超えた人類社会に対する価値判断に基づいている」
ために「学際的な協働」が必要であり、その結果として、
「現行の処分事業を見直す」との
見解が示される場合もありうるとし、「結論を先取りせず、オープンエンドで真摯な議論を
重ねることが、学際的な協働を深めるためには必要である」
89
「地層処分概念、安全確保の方法とその評価、地層処分事業の進め方、いずれの取り組み
もすべて、社会の信頼を得られない限り進展しない。社会的に公正で、かつ技術的に妥当
なかたちで取り組みを進めるためには第三者機関の活用が有効とされるが、その具体的な
あり方や活かし方ついて、日本の状況にあった内容を検討する必要がある。」
5.これまでの延長線上にある国の姿勢
(1)疑問符をつけざるをえない「地層処分技術の再評価」
2014 年 5 月、総合資源エネルギー調査会の中に設置された専門部会(地層処
分 WG)が、「最新の科学的知見に基づく地層処分技術の再評価」(以下「地層処
分技術の再評価」という)をまとめ公表した。
・「第2次取りまとめ」から 10 年以上が経過し、研究開発が進展した
・東北地方太平洋沖地震をはじめとする自然事象が発生していることから、地
層処分の技術的信頼性についての最新の科学的知見を反映した再評価を行う必
要性が出てきた
・日本学術会議や原子力委員会の提言がされた
ことなどを踏まえ、地層処分の技術的信頼性について再検討をした結果である。
委員長をはじめ 12 人の委員からなる、少人数のワーキンググループで、約半
年間にわたって 8 回の検討会が開催されている。
最大のテーマが、地層の長期安定性であることはいうまでもない。
この点について「地層処分技術の再評価」は、
「段階的なサイト調査を適切に
行うことにより、すべての天然現象の長期的変動の影響を踏まえても尚、おの
おのの好ましい地質環境とその地質環境の長期安定性を確保できる場所をわが
国において選定できる見通しが得られたと判断できる」としている。これまで
の、わが国における地層処分は技術的には実現可能、という従来の見解を再確
認しているのである。また、
「段階的なサイト調査を適切に行う」として、適地
調査の推進を提言している。
要するに、現行の枠組みのまま、これまでやってきたことを続けるべきとい
うことだ。
審議の中立性・独立性を高める、疑問や批判に対して開かれた場とするため、
情報を公開し、審議内容について専門家への意見募集を計 3 回行った、として
いる。日本学術会議、原子力委員会の提言を意識してのことと思われる。しか
し、これは提言の一部分を活かしたにすぎず、しかも、その部分が十分であっ
たかどうかは、また別問題である。
専門家といわれる委員による検討であり、結論は結論として尊重されなけれ
90
ばならない。しかし、これまでの地層処分への取り組みの枠組み、体制の延長
線上での検討であり、これまでの見解をゼロから見直すという体制とはなって
いない。
本小論の立場からすれば、審議の中立性・独立性に最初から疑問符がついて
しまい、そのために再評価の結果にも、その疑問符がつかざるをえない。
また、東日本大震災の発生については、地層処分の信頼性再評価の必要性と
して「東北地方太平洋沖地震のような未曾有の天然現象が発生」しているとし
て、わずか一行ふれているだけで、これ以上の扱いはされていない。東電福島
第一原発事故は、事故があったとの記述すらない。事故が、天災によって誘発
された事実の重みを、まったく感じていないようだ。本小論が、地層処分の技
術的信頼性の再評価が必要と考える、もっとも重要な部分に焦点があてられて
いない。これでは、専門部会の再評価の姿勢自体にも、疑問符がついてしまう
のではないか。
(2)変わらない国の基本姿勢
国は、2014 年 4 月にエネルギー基本計画(以下「基本計画」という)をまと
め、閣議決定している。原子力政策大綱に代わって、国の原子力政策の基本方
向を示す直近の計画でもある。地層処分への取り組み姿勢もこの「基本計画」
から読み取ることができる。
国の姿勢がもっとも端的に現れているのは、
「科学的により適性が高いと考え
られる地域(科学的有望地)を示す等を通じ、地域の地質環境特性を科学的見
地から説明し、立地への理解を求める」とする記述である。
つまり、今までの考え方、取り組みの姿勢で、地層処分を進め、科学的有望
地まで示す、としているのである。地層処分の技術的信頼性についても、2014
年の専門部会の「地層処分技術の再評価」で確認されているとのスタンスであ
ろう。三つの機関からの提言などなかったかのようだ。
科学的有望地など示せるような技術的信頼性は、現時点ではなくなっている、
というのが本小論の立場である。
「科学的有望地」などどうやって示すというの
であろうか。また、高レベル放射性廃棄物の最終処分の必要性、それがなぜ、
地層処分でなければならないのか、そして、そもそも地層処分の安全性は確保
されうるのかといった点についての、国民的理解も十分ではない。こうした状
況の下では、どの地域においても立地に理解など示せるはずはなかろう。
「科学
的有望地」とされた地域からは不信と反発だけを招き、混迷を深めるだけでは
ないか。立地を引き受けていただいたら地域振興策を、といったたぐいの策で
進むような話でも到底ない。
そもそも今までの取り組みでは、高レベル放射性廃棄物の最終処分に展望が
91
開けないことは、実施主体である原子力発電環境整備機構(NUMO)、そして資源
エネルギー庁がわかっていることだ。この状況の中で、東日本大震災が起こり、
東電福島第一原発事故が発生した。
原発の安全確保のため、審査体制、安全基準は大きく見直された。しかし、
高レベル放射性廃棄物の最終処分については、体制も含め全般を大きく変えな
ければならない、という意識が国の担当部局には薄いようだ。政治においても
同様だ。
今のままでは進まない、ということがわかっていながら、進める形だけはと
る、ということになってしまっているのでないか。
(3)「基本計画」について指摘しなければならないこと
基本計画が示す高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けての取り組みについ
ては、さらにいくつかの問題がある。ここでは二つの点を指摘しておきたい。
一点目は、高レベル放射性廃棄物の形態である。
現行では、核燃料サイクルの構築を前提とした使用済核燃料の全量再処理処
分を方針としている。この枠組みのもとでは、使用済核燃料から、プルトニウ
ムなどの核分裂性物質を分離したあとの高濃度廃液をガラスで固めたガラス固
化体が、高レベル放射性廃棄物となる。
なお、わが国ではこれまで約 26000 トンの使用済核燃料が生み出され、その
うち、約 8700 トンが再処理され、国内には 2167 本のガラス固化体が保管され
ている。約 17300 トンの使用済核燃料は、使用済核燃料プールなどで保管され
ている。保管されている使用済核燃料、再稼働した場合に新たに発生する使用
済核燃料をどう扱うが、地層処分を進める上でも大きな課題となる。
本小論第 2 部では、核燃料サイクルについて論じた。この中で、国が、どの
ような核燃料サイクルの構築をめざしているのかさえ、わからなくなってきて
おり、これまでの取り組みとこれからの方向性についての検証の必要性を主張
する議論を展開した。
2012 年 6 月 21 日、原子力委員会は、
「核燃料サイクル政策の選択肢について」
を公表した。東電福島第一原発事故を経験し、原子力への依存度が低下した場
合、それに応じた核燃料サイクルの選択肢についての検討を行い、
「使用済核燃
料の全量再処理」というこれまでの方針転換を含めた選択肢を提示した。
これは、地層処分の対象となる高レベル放射性廃棄物がどういう形態のもの
かについての、再検討の必要性を意味するものでもあった。
一方、本小論は、現存する原発の中の安全上の観点から厳選された原発にか
ぎって再稼働をみとめ、その耐用年数を迎えた場合の施設更新(リプレイスメ
ント)をしない、脱原発の立場に立っている。この立場からすれば、使用済核
92
燃料の再処理は、原子力利用という目的からは、意味をもたなくなる。
ただし、核燃料サイクルには、資源の有効利用だけではなく、放射性廃棄物
の減容化、毒性低下といった効果もあるとされる。わが国では、これだけを目
的とした再処理も、高レベル放射性廃棄物の最終処分の長期安全性を高めるた
め、必要との判断もありうるかもしれない。ただし、これは、利用目的のない
プルトニウムを分離することになり、わが国の国際公約に反するという根本的
な問題がある。これまで、英仏、国内で分離されたプルトニウムに加え、さら
に分離されてくるプルトニウムをどうするかについて、明確な見通しを持つ必
要が出てくるであろう。
いずれにせよ、使用済核燃料の全量再処理という基本方針の基盤は大きく揺
らいでいるのである。これは高レベル放射性廃棄物としての最終処分形態がガ
ラス固化体だけではなく、使用済核燃料(直接処分)となる可能性が高くなる
ことを意味する。
これについて、「基本計画」では、「幅広い選択肢を確保する観点から、直接
処分など代替処分オプションに関する調査・研究を推進する」としている。直
接処分は、幅広い選択肢を確保するための代替処分オプションであろうか。現
行法制(最終処分法)との関係もあり、こうした記述しかできないのであろう
が、
「基本計画」からは、最終処分をめぐる不確定な要素についての問題意識が
ほとんど伝わってこない。
二点目は、埋却される高レベル放射性廃棄物の地層処分における「可逆性・
回収可能性」である。
「可逆性・回収可能性」とは、将来世代が、より良い処分
方法を実用化した場合、その実施をしやすいように地層処分に工夫をしておく
ことである。
しかし、
「可逆性・回収可能性」の意味、あるいは目的は、必ずしも明確では
ないように思う。
「可逆性・回収可能性」の位置づけは、地層処分の評価によっ
て変わってくる。
一つは、地質環境の超長期的安定性が確保され、地層処分は可能と評価する
場合だ。地層処分技術は、確立されている、あるいは確立できる、との立場で
ある。この場合の可逆性・回収可能性は、将来にわたって実際に回収しなくて
も安全性は確保されるが、技術の進展などによる将来世代の処分選択の可能性
を担保するという意味になろう。
もう一つは、地層処分に関する科学的知見には限界がある、地質環境の超長
期にわたる地質環境には不確実性がある、と評価する場合だ。地層処分の技術
的信頼性が十分ではないとする立場でもある。この場合、可逆性・回収可能性
は、将来の技術や新たな科学的知見の発見に期待し、それを取り入れるための
準備をしておくという現実的かつ切実な目的を持ってくるであろう。また、処
93
分は最終処分でなく、いわば「暫定的」な処分となるのではないか。
「暫定的」とした以上、いつまで暫定的かについての目標を示さない限り、
処分場の選定などの具体的な作業は進まないであろう。しかし、いつまでに技
術を確立するといった目標を確定的に示すことはできない。目標というよりは、
むしろ、学術会議提言にある「「暫定保管」というモラトリウム(猶予)期間の
設定」になっていくのではないか。
現行の国の地層処分の枠組みは、地層処分は可能という前者の立場にたって
いるはずだ。そうでありながら、
「基本計画」の可逆性・回収可能性に関する記
述は、あいまいだ。
「基本計画」では、地層処分をめぐって、
「その安全性に対し十分な信頼が得
られていないのも事実である。したがって、地層処分を前提に取り組みを進め
つつ、可逆性・回収可能性を担保し、今後より良い処分方法が実用化された場
合に将来世代が最良の処分方法を選択できるようにする」とされている。ここ
でいう「十分な信頼」が、技術的な信頼性なのか、技術的問題はないとするこ
とを含めた地層処分への社会的信頼性なのか、あるいは両方なのか、その意味
するところがよくわからない。また、「十分な信頼」を得られていないことが、
どのように確かめられたのか、その対策についてどのような検討がされたのか
もわからない。
国は、地層処分は可能、としている以上、
「十分な信頼」が、技術的信頼性の
ことを指しているのではなかろう。だとすれば、社会的信頼性ということにな
る。だが、社会的信頼性が十分ではないことの対策が、可逆性・回収可能性だ
とすれば、まったくの筋違いの話となろう。それは、単に、いつでも取り出せ
るのでとにかく最終処分場を建設させてもらいたい、といっているに等しい。
6.われわれが負っている責務
重要性は理解していても、解決が困難で、しかも急いで答を出さなければな
らない必要性を感じない(あるいは、感じようとしない)問題への取り組みは、
誰にとっても、おっくうだ。特に政治家にとってはそうだ。そして、おっくう
さは、それまで先送りされてきた問題であれば、さらにおっくうだ。高レベル
放射性廃棄物の最終処分は、東日本大震災以前においては、先送りされてきた
問題、という以前に、筆者を含めた多くの国民にとって、そんな問題があるな、
という程度の認識しかないものであったかもしれない。
しかし、東日本大震災を経験した、あるいは目の前にした、今を生きるわれ
われは、一つの責務を負っているといえる。
94
それは、原発事故によって、原発をはじめとした原子力利用に内在している
さまざまな問題に気がついたからだ(と信じたい)。内在してきた問題を払拭す
るためには、本小論第1部、第 2 部で論じたように、これまでの原子力利用へ
の取り組みについて検証すべきは検証し、見直すべきは見直すということが、
当然のこととして行われなければならない。地層処分による高レベル放射性廃
棄物の最終処分も同様である。
特に、地層処分については、体制を大きく変えて、技術的信頼性の再検討を
することから再出発すべきだ、というのが本小論の主張だ。三つの機関も同様
のことを提唱している。これまでの流れと体制の中で進めることは、いわば漫
然と進めることであり、何も解決せず、時間とお金だけが浪費されるであろう
ということだ。
これを実現するには、政治が提唱し、政治が主導する以外にない。おっくう
を、おっくうと感じない政治家が必要だ。
ただし、新たな専門家集団を設置し、地層処分の技術的信頼性などの再検討
を行い、国民の関心を高めるための仕組みを構築したとしても、地層処分が確
実に前に進むというわけではない。高レベル放射性廃棄物の最終処分を実現す
ることは、本当に困難だ。わが国においては、ことさらそうだと考えなければ
ならない。
しかし、新たな体制による、新たな取り組みによって、国民が、国や事業者
が語ることに耳を傾ける素地を、今まで以上に作ることができるのではないか。
少なくともそうした素地を形作っていくための、契機となりうることは確かで
あろう。それは、東日本大震災、そして東電福島第一原発事故という過酷な経
験がつくりだした契機ともいえる。これを最大限活かすことは、過酷な経験を
したわれわれの責務ではないか。
その責務をしっかりと果たすことは、何万年にもわたって、人類、あらゆる
生命への脅威となりうる高レベル放射性廃棄物の最終処分という、必ず答えを
見つけ実現しなければならない課題解決にむけての、重要な一歩となるはずだ。
以上で第 3 部第 1 節を終わる。
95
96
使用済核燃料の直接処分検討の必要性
→ 天然バリアとしての地層に求められる要素の
見直しの必要性?
ウラン・プルトニウム核燃料サイクル構築の不透明化
全量再処理を基本方針とする基盤の揺らぎ
技術的信頼性の抜本的再検証が高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた
必要不可欠な第一歩
・わが国おいて地層処分は、地層に求められる長期安定性を判断するうえで
世界でもっとも厳しい地質環境にある、との認識にたった検討
・千年、万年単位での事象予測に限界があるであろうことを前提
・自律性と独立性のある専門家集団を設置し議論
東日本大震災
原子力体制の中にあった、動的日本列島で起きうる自然事象に対する認識の
甘さの露呈
・わが国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性
(「第2次取りまとめ」、1999年)
→ 高レベル放射性廃棄物の地層処分に好ましい地質環境がわが国に
広く存在する
・特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律の制定(2000年)
技術的信頼性についての再検証
まったく見通しの立たない高レベル放射性廃棄物の最終処分(地層処分)
地層処分の技術的信頼性の抜本的再検証を契機とした
議論の喚起
・なぜ高レベル放射性廃棄物の最終処分が必要か
・なぜ、最終処分は地層処分でなければならないのか
・地層処分は技術的に可能か(技術的信頼性)
不可欠な高レベル放射性廃棄物最終処分への多くの
国民の理解と支持
それをどのようにして醸成できるか
使用済燃料プールなどに保管されているもの 約17300トン
国内で保管されている高レベル放射性廃棄物・・・2167本
英国からの返還(返還途中) 264本
仏国からの返還(全量返還) 1310本
六ヵ所再処理工場試験 346本
東海再処理施設 247本
使用済核燃料の処理に関しての現行の基本方針
・使用済核燃料は全量再処理
・分離したプルトニム等は、燃料加工し再利用
・核分裂生成物、超ウラン元素など含んだ廃液はガラス固
・ガラス固化体は冷却後地層処分
・高レベル放射性廃棄物は、再処理を経て製造される
ガラス固化体以外想定せず
これまで発生した使用済核燃料 ・・・・ 約26000トン うち 再処理実施済 約8700トン
英、仏国委託 約7100トン 分離Pu約36トン
国内処理 約1600トン 分離Pu約11トン
図7 高レベル放射性廃棄物の最終処分をめぐる国の基本方針と現実との間に広がる乖離
かいり
第2節
世界で最初の最終処分場
2014 年夏、筆者は、フィンランドのオルキルオト最終処分場建設地を訪れた。
完成すれば、世界で最初の高レベル放射性廃棄物(使用済核燃料)の最終処分
場となる予定だ。
以下は、現地で得た情報と、感じたことについての記述である。
1.悠久的静の国土
フィンランドはとことん岩の国だ。多少の予備知識が影響したのか、2014 年
の夏、ヘルシンキ空港に飛行機が着陸したとき、巨大な岩盤の上に降りたよう
な気分になった。実際、ヘルシンキ市内では、あちこちに巨大な岩盤が露出し
ている。表面に風化や亀裂は見られず、きわめて強固な岩盤だ。長い年月のな
か、氷河が何度も表面を削り取り、固い岩肌を露出させたといわれている。そ
の上に、建物が建ち、都市が形成されている。
高速道路にのって郊外にでると、ところどころ垂直に切り立った岩壁の間を
道路が走る。道路建設による切り通しによってできた岩壁だ。高いところでは、
20m以上もありそうだ。切り取られた壁面の表面は切った状態のまま置かれて
いる。何も手は加えられていない。強固な岩盤だからだ。その直下を車が高速
で過ぎていく。すごい光景だ。
凍結・融解作用などによって亀裂が入って風化が進み、岩壁はいずれ崩れて
くるのではないか、などと、ちょっと心配にもなった。しかし、岩のことはフ
ィンランド人の方がよほど知っているだろうと、余計なことは考えないことに
した。
道路トンネルの内部表面はでこぼこだ。掘削し、崩落防止のためのアンカー
を打ち付け、コンクリートを表面に吹きつけただけの構造だ。日本でも、地質
的にきわめて条件のよいところでトンネルを掘削したときに、使用する工法で
ある。しかし、そういった場所は自ずと限られる。強固な鉄製の支保工を組み
入れ、コンクリートで表面を巻きたてるのが日本のトンネルの標準だ。しかも、
高速道路となればその施工は念入りで、こうした工法を採用することはあり得
ない。地質が違いすぎるのである。
フィンランドは、森と湖の国でもある。
白樺や赤松を主体とした広大な森が広がる。しかし、その森もよく見ると岩
盤があちこちに露頭している。木々は岩と岩の間の隙間や、窪地に根を張って
たくましく生きている。だから、大きくなると簡単に倒れるらしい。それは、
やがて朽ちて土になっていく。その土に、新たな草木が根をはる・・・・。
97
畑地農業や放牧が行われているが、木で覆われた低い岩山のあいだに堆積し
た薄い土壌に頼った農業、牧畜という印象だ。極寒と薄い土壌、古来フィンラ
ンド人は、穀物や野菜を手にいれるのによほど苦労したであろう。
湖が美しい景観を作り出している。あちこちにみられる湖もその生成は岩と
密接な関係にある。フィンランドに川は少ない。国土全体が固い岩盤で覆われ、
全体が平らで傾斜も少ないことから、水による浸食が進まなかったと推測され
る。雨水や雪解け水などは岩のくぼんだところにたまるしかない。その大きな
ものが湖である。その逆が島だ。海岸では、岩盤はゆるやかに海に没するが、
岩盤が盛り上がったところが無数に点在する島となっている。
以上のことは、筆者がヘルシンキに数日滞在し、ヘルシンキから北西約 200
㎞にあるオルキルト島の地下最終処分場の建設現場を訪問したときの、地盤に
かかるフィンランドの印象描写である。
いいたいことは、フィンランドは国土全体が大きな岩盤の上に直接のっかっ
ている国だということだ。地震はほとんどない。ほとんどのフィンランド人は
地震を知らない。火山もない(だから温泉もない)。もちろん、日本列島に沿っ
てプレートがぶつかって形成さる「沈み込み帯」などとは、まったく縁がない。
国土基盤という観点からみれば極めて安定している。主たる基盤は 10 億年以
上前の火成活動によって形成された。そして、静かに横たわってきた、といっ
た印象だ。太古から安定しているということだ。しかも強固だ。
使用済核燃料を直接地層処分する場合、地層には 10 万年間の安定した環境が
求められるとされる。10 億年以上にわたって安定して形成されてきた地層にと
って、10 万年はきわめて短期間だ。この間の、地層に発生する事象、発生の程
度の予測に付随する不確実性といわれるものは、日本列島に比べれば格段に小
さいであろうことは、容易に想像がつくことだ。
日本列島が「動」の国土とすれば、フィンランドは「悠久的な静」の国土と
いっていい。日本列島の地質、地史の違いには、ただぼう然とするしかない。
地学的には、日本列島は変動帯に、フィンランドは安定大陸(安定陸塊)に位
置する(第 4 部で触れる)。
2.オルキルオト最終処分場予定地概観
フィンランドでは、原子力発電所は現在 2 か所で、4 基が稼働している。総発
電電力量の 3 割を超える(2011 年時点)。その一つが最終処分場建設地近くにあ
るオルキルオト原子力発電所で、2 基稼働中である。3 号機が建設中で、4 号機
の建設計画もある。
オルキルオト原発は、地表にも露出している固い岩盤の上に、バルト海に面し
て設置されている。
98
オルキルオト島を中心に半径約 100km の範囲内では、過去 500 年間に M2.5 を
越える地震は観測されていない。地震があったとしても、強固な岩盤の上に位
置しているがために、感じる揺れはかなり小さいはずだ。津波発生を懸念する
必要はない。火山とも無縁だ。
「悠久的な静」の立地環境の上に立つオルキルオ
ト原発を見ると、天災が誘発した東電福島第一原発事故は、別の世界のことの
ように思えてしまう。
フィンランドでは、ロシアとの関係で紆余曲折はあったが、最終的に、自国
で発生した使用済核燃料は自国内で最終処分をすることにした。プルトニウム
を利用することは考えていない。したがって使用済核燃料の処分は再処理せず、
そのまま高レベル放射性廃棄物として地層処分される。
地層処分予定地として選定されたのが、オルキルオト最終処分場予定地であ
る。
「悠久的な静」の国土の中でも、もっとも地層処分にふさわしい適地として
選ばれた。2 か所の原子力発電所からでる使用済核燃料(総量で 9000 トンを上
限)の受け入れを予定している。
処分の実施主体は、原子力発電事業者2社が共同出資して設立された民間会社
のポシバ(POSIVA)社である。現在、予定地では最終処分に向けた各種調査、
最終処分場の本格的な建設工事に向けたが準備が進められている。1983年から
処分場選定のための3段階の調査が行われ、2000年に政府がオルキルオトに最終
処分場を建設することを原則決定した。世界で初めての高レベル放射性廃棄物
の最終処分地の決定であった。
予定地では、アクセス坑道が 2010 年には処分深度(455m)まで貫通してい
る。全長は約 5km である。この完成によって最深部まで車での往来ができるよ
うになった。アクセス坑道は、作業用機材が行き来するだけではなく、将来の
使用済み核燃料の運び込みを念頭に、十分な断面を確保している。構造は、開
削後の圧力の変化によりはく離しやすくなるため、掘削面にアンカーを打ち付
け、直接コンクリートの吹き付けをしているだけだ。ここでも支保工はまった
く見あたらない。目に入るとすれば、断層があり、落石可能性のあるところに
落石防止のネットが張ってある程度である。
坑道内では、地下水流出を防ぐため、一部でグラウトをしているとのことで
あったが、全体として乾いている印象を受ける。最深部では、使用済み核燃料
を埋め込むための試験用の垂直なホールがいくつも掘られていた。通常、こう
した穴にはすぐに地下水が出てきて底にたまるが、まったく水がたまっていな
いホールがいくつもあった。坑道内全体で出てくる地下水量は、350 ℓ/日と説
明を受けた。筆者の農業土木技術者としての経験はほんのわずかではあるが、
地下水が大きな障害になることはないのでは、との印象を受けたのは事実であ
99
る。
オルキルオト最終処分場の基盤岩は、主に、18 億年前の造山活動によって変
成作用を受けて形成されたミグマタイト質の雲母片麻岩等の結晶質岩である。
意味するところは、形成後、大きな変成や変動を受けず、ほとんどそのまま横
たわってきた岩盤が基盤となっているということである。太古の巨大な岩塊と
いっていい。
巨大な岩塊にも断層が走っている。オルキルオト最終処分場内でもいくつか
見つかっている。約 18 億年前に火成岩の貫入をともなう造山活動が起こってお
り、その終期に岩層が冷えるにつれておこる収縮によってできたとされる。そ
の後も動いた形跡は認められるが、古生代(約 5 億年前)以降での活動は認め
られないとされる。
ちなみに、わが国では、原子力規制委員会によって、原子力発電の再稼働の
前提となる審査が進められている。その審査にあたって、発電所敷地内あるい
はその近傍にある断層が、活動層であるか否かが大きな論点となっている。そ
の活断層は、最長でも、過去 40 万年前までの活動の有無を基準として判断され
ていることを想起していただきたい。桁が 3 つ違うのだ。
岩盤には、氷河の進退にともなう岩盤全体の沈降、隆起によって発生した新
しい断層もあるといわれている。氷河期には厚く堆積した氷河が重しとなって
岩盤の上にのり、岩盤全体を沈めていた。氷河期の終わりとともに氷河が融解
し加重が除荷されると、こんどは岩盤が隆起を始める。この運動の中で(きわ
めて緩慢な運動であるが)、岩盤のずれが生じ、断層ができるというものだ。し
かし、オルキルオト最終処分場建設地、及びその周辺ではこうした断層は見ら
れないとしている。
ただ断層面は、地下水の通り道になりやすい。このため、使用済み核燃料を
埋設する場所は、断層面は避け、断層面を境として形成される均質な岩層のな
かに設定される。最終処分場はこうしたいくつかの岩層を坑道で連結して建設
される。
処分実施主体であるポシバ(POSIVA)社は、これまで、岩盤試験や地下水の
挙動、水質調査、坑道掘削が及ぼす影響などの調査や必要なデータの収集、様々
な条件設定をしてのモデル解析などを行ってきた。こうした作業の結果をもと
に、2012 年 12 月には、処分場の建設申請書を政府に提出し、その回答を待って
いる段階だ。建設申請が認められ、本格的な工事が無事に終われば、操業申請
を行うことになっている。その申請は、2020 年と予定されている。その許可を
得れば、使用済み核燃料の埋設処分が開始される。
ちなみに、政府が 1983 年に決定した政策文書では、処分開始目標は 2020 年
と設定されていた。ほぼ、計画に沿った運営がされているようだ。事業のスケ
100
ジュール管理をとってみても彼我の違いは大きい。
3.映画「100,000 年後の安全」にみる議論の深み
オルキルオト最終処分場をめぐっては、フィンランドでも様々な議論がある
ようだ。そのことをもっとも強く伝える一つは、マイケル・マドセン監督の
「100,000 年後の安全」
(原題 into eternity)と題するドキュメンタリー映画
であろう。
使用済み核燃料を厚い岩盤の中に埋設し、最終処分することに、独自の視点
に立った問題提起をしている。ここが危険な最終処分場であるとの情報をどう
やって数千年、数万年後の人類に伝えていくのか、途中で人によって掘り返さ
れることはないのか、といった人の行動に焦点をあてる。そして、10 万年とい
う時間の中で、いやこれからの 100 年間ですら、これから社会が、人類が、そ
して地上環境がどのように変わっていくかを予測することについて、まったく
われわれが無力であることを訴えかけてくる。
オルキルオト最終処分場は、オンカロとも呼ばれている。
「隠れ家」という意
味だという。ここが最終処分場であることを将来の世代が忘れてくれることが
もっとも望ましい、との最終処分場関係者の期待が吐露される。そして、映画
は、
「忘れ去ることを忘れてはならない、ということを、これから子供たちに教
え続けねばならない」、との戸惑いと矛盾に満ちた言葉で締めくくられる。
最終処分場が、最終処分場のままで 10 万年置いておかれるのか、そこに潜む
不確実性をどう整理するか、という根源的な問題提起でもある。
映画は、最終処分場が使用済み核燃料の持つ毒性を、10 万年間封じ込めるこ
とができるのかという、地層処分にかかる技術的・科学的な問題にはあまり関
心を示していない。わずかに、冒頭で、「オンカロの耐用年数は 10 万年、しか
し、これまで、1万年持ちこたえた建物はない、もし成功すれば、人類史上も
っとも恒久性のある建物になる」と、疑問を呈している程度である。
「もし成功
すれば」という言葉は、
「人間によって掘り返されることがなければ」とも、映
画のストーリーからは受け取れる。
マセドン監督は、最初から、地層にかかる技術的・科学的なことには関心が
なかったかもしれない。しかし、この映画は、10 万年という時間の中で、何が
起こるか、どう変わるのかについての予測の困難さ、人類の能力の限界を訴え
たかったのだと思うのである。それは、映画の中で取り上げられた言語の問題
などをはじめ、技術的・科学的な面も含んだすべての事象にあてはまるという
ことだろう。
内容についての評価もさることながら、この映画は、フィンランド国内にお
101
ける使用済核燃料の最終処分に関しての、国民の議論の広さと深みを強く感じ
させる。フィンランドでは、こうした国民的意識のもとで、地層処分への取り
組みが進められていることも、しっかりと見ておかなければならないことであ
ろう。
4.地層処分の「国際的共通認識」の背後にあるものの「認識」を
数億年以上前の太古の地球レベルの活動によって形成され、その後大きな変
動を受けることなく、そのまま横たわり、いわば静かに熟成されてきた地層に
とって、これからの数万年間は、きわめて短い時間であろう。この間、これま
での流れの中で地層は安定的に「推移」すると考えることに、合理性はありそ
うだ。
一方、日本列島に横たわり(今のような形になったのは 2500 万年前とされる)、
プレート運動によって大きな圧力を受け続け、さらには火山活動などによる影
響を受けている地層にとって、これから数万年間は、様々な変化がおきるには
十分な時間かもしれない。このことは、地層がどのように変わりうるかの予測
を困難なものにさせる。
こうしたことを詳らかにしていくためには、わが国の地層と、地層処分に向
け取り組んでいる他国の地層との、詳細な特性比較をすることが有効と考えら
れる。ちなみに、日本列島は、その形成の過程、置かれている地球科学的環境
は、他の原発立地国の国土と比較すれば、きわめて特殊だ。このことは、第4
部でも、概略述べる。
わが国には、岐阜県に瑞浪超深地層研究所、北海道に幌延地層研究所が置か
れ、調査坑が地下深く掘削され、研究・調査がされている。前者は、花崗岩層、
後者は堆積岩層である。なお、両研究所とも研究・調査が目的であり、最終処
分場になることは想定していない。
海外にも地層処分の研究所がある。フランスのビュール地下研究所もその一
つだ。最終処分候補地として、調査中のところもある。オルキルオト最終処分
場は、世界に先駆けて建設中だ。それぞれの地層は、岩相の種類、形成の歴史、
地層を取り囲む地学的・地球物理的環境、地層の物理的特性、地下水の量・質・
動きなどすべてが異なる。
筆者は、これまで幌延地層研究所、フランスのビュール研究所(地層は、均
質な固い粘土層、透水性はきわめて低い)において、地下坑道の状況を見させ
てもらい、説明も受けている。既述のように、フィンランドのオルキルオト最
終処分場建設地も見聞している。詳細は割愛するが、それぞれの地層の違いは、
見た目においても歴然としている。地史、地層を囲む環境、その違いも大きい。
102
地層処分が可能となる地層に求められる機能は、どのように確保されるのか、
また、それは、どのような考え方のもと、どのような方法で確認されるか、そ
れぞれの地層の状況によって、答は変わってくるはずだ。このようにみていく
ことは、決して的外れではないであろう。こうしたことについて、世界各国の
地層処分の研究所、調査地区などの地層の特性、これまでの取り組みについて、
詳細な比較をすることで明らかにしておく必要がある。
こうした比較は、わが国が、フィンランドやフランスでは(おそらく米国、
ドイツなど他の国においても)避けるであろう地質を対象として、高レベル放
射性廃棄物の最終処分を検討しなければならないことを、明らかにすることに
なるかもしれない。最終処分場に求められる超長期にわたる封じ込め機能や安
定性を確保するうえで、世界でもっとも厳しい地質環境の中で、最終処分を検
討しなければならない、ということである。原発を稼働するうえで世界でもっ
とも厳しい国土環境は、そのまま地層処分にも当てはまると考えるのは、飛躍
のし過ぎであろうか。
「地層処分は現時点でもっとも有望であるというのが国際的共通認識」とは、
高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する政府関係の報告書などで繰り返し出
てくるフレーズである。しかし、この国際的共通認識は、他国の地層処分への
技術的・科学的対応が動的日本列島での地層処分にも適用できることを意味し
ない。
少なくとも、動的日本列島において、地層処分が可能な地層を特定すること
には、他国よりかなり複雑な条件のもと、はるかに慎重で丁寧な対応が必要で
あることが鮮明に浮かび上がってくるのではないか。こうした作業は、第 3 部
第 1 節で述べた地層処分の技術的信頼性に関する抜本的再検討の第一歩になる
であろう。
「もっとも有望であるというのが国際的共通認識」と、認識することは否定
しない。が、その背後にあるもっと重要な事実、すなわち、他国では考えられ
ないような、世界でもっとも厳しい地層環境のもとでの地層処分を、検討しな
ければならないことを、「認識」することの方がはるかに重要である。
以上で第 3 部第 2 節を終わる。
103
写真1
オルキルオト原子力発電所(2014.7.16)
(解説)
1979年運転開始。2基が稼働中で、奥の丸いドームが建設中の3号機。
フィンランドは、地球表層で起こっているプレート運動の影響を受けない安定大陸と呼ば
れる地域にある。国全体が、きわめて古くかつ厚い岩盤層の上にある。地震は少なく、あ
っても規模は小さい。加えて、岩盤が強固であることから揺れは起こりにくい。津波、火
山とは無縁といっていい。こういう環境のもとでの原発の安全基準とわが国のものとは、
格段の差があることを想起させる。
写真2 ポシバ社前社長スンデル氏よりオルキルオト最終処分場建設地の概要
の説明をうける(2014.7.16)
104
写真3
オルキルオト最終処分場建設地の地下約 400mの内部(2014.7.16)
(解説)
基盤岩は、主にミグマナイト質の雲母片麻岩等の結晶質岩である。18 億年間からここに横
たわり、悠久とも言える時間の中で、じっくり「熟成」されてきた超巨大な岩塊だ。地下
の空洞は素掘りの状態で、表面のはく離を防ぐためアンカーが打ち付けられている程度で
ある。岩質は強固できわめて安定している。表面も乾いており、地下水もあまり見られな
い。トンネル中央の円柱の直下には、垂直な円筒形の穴が掘られており、ここに使用済核
燃料(フィンランドでは直接処分方式を採用)が入った銅製の容器(キャニスタ)をいれ、
密閉する。最終的にはトンネル全体が密閉され、永久的に封印される。
105
写真4
ビュール地下研究所の内部(2014.7.21)
(解説)
ビュール地下研究所は、パリの東約 200km に広がるゆるやかな丘陵地の田園地帯にある。
基盤となる地質は、約 1 億 5 千年に形成された粘土層である。層厚は 150m 程度とされ、地
表から約 500m の深さにある。上下を石灰岩層に挟まれている。粘土層は、掘削断面がガラ
ス状になるほど固くしまっている。層全体が均質で、透水性はきわめて小さいという。た
だ粘土層は圧力による変形を受けやすい。現在、地質学的、工学的な各種調査がすすめら
れており、地下のトンネル内には様々な観測機器が置かれている。日本との共同調査も行
われている。フランスでは、この粘土層が最終処分場に適しているとして、この研究所に
隣接する地域を候補地として調整を進めている。西部海岸沿いにあるラ・アーグ再処理工
場では、使用済核燃料が再処理され、プルトニウムなどの核分裂性物質が分離されたあと
に製造されるガラス固化体が高レベル放射性廃棄物の最終処分形態となる。
106
第4部
動的日本列島を俯瞰する
本小論において繰り返し使われてきた「動的日本列島」が何を意味するのか
を、筆者なりに、あらためて俯瞰しておく。あわせて、日本列島の地質につい
ても概観しておきたい。なお、第 4 部では、表題以外は「動的日本列島」とい
わず、日本列島で統一する。
1.動き続ける日本列島
(1)プレートテクトニクス理論の登場
今日では、地球の表層部で起こる地震、津波、火山噴火、造動は、地表を形
成するプレート(固い岩盤)の水平運動によって説明されている。プレートテ
クトニクス理論といわれる。1960 年代から発展した、比較的新しい学説だ。プ
レート自体は変形せず、プレート境界で地震などの大規模な地殻変動が起こる、
とする考え方だ。
地球を卵の殻のように覆っているのが、リソスフェアと呼ばれる岩石圏であ
る。全体が十数個のブロックに分かれている。各ブロックが変形しない板とみ
なし、プレートと呼ばれる。それぞれが、ほとんど内部変形を起こさずに地球
表面上を互いに違う向きに動いている。その速度は、年間 1~10 ㎝程度とされ
る。その動きにともないブロックの境界に無理なひずみが生じる。このひずみ
が地震、造山運動の原動力となる。また、火山活動は、プレートが、プレート
境界で、もう一つのプレートの下に沈み込むことと密接に関連しておこる事象
だ。
日本列島の地形を論じるにあたってのキーワードは、
「沈み込み」あるいは「沈
み込み帯」である。沈み込みとは、プレートどうしがぶつかり合い、一方が、
他方のプレートの下に潜り、地球深くに沈み込んでいく現象をいう。地震、火
山、地盤の隆起・沈降などの現象は、沈み込みを原動力としている。日本列島
の誕生そのものへも、プレートの動きと沈み込みが大きく関与している。
日本列島は、四つのプレートがぶつかりあう場所に、形成された弧状列島で
ある。北海道、東北から房総半島にかけての沖では、北からのびてきている北
米プレートの下に、東から移動している太平洋プレートが沈み込んでいる。房
総半島の沖から西の沖では、ユーラシアプレート(一部北米プレート)の下に、
北西方向に移動しているフィリピン海プレートが沈み込みこんでいる。
ちなみに、地球上に、四つのプレートがぶつかり合う近傍で、陸地が形成さ
れているのは、日本列島をおいてほかにない。
プレート運動を原動力として、動き続ける若い地形、それが日本列島である。
107
108
図9
日本列島周辺のプレート
(注)フィリッピン海プレートが北米プレートに沈み込む境界は、「相模トラフ」と呼ばれ
ている。また、伊豆半島付近を起点とする南海トラフは、駿河湾に位置する部分は、「駿河
トラフ」と呼ばれている。首都圏はこうしたプレート沈み込み境界の直上にある。
出典
全国地質調査業協会連合会、「日本列島の地質と地質環境」
日本の地質の状況については、「日本の地質図」、産業技術総合研究地質調査総
合センター、参照 <https://gbank.gsj.jp//geonavi//geonavi.php>
日本と欧米に地質の違いについては「日本列島の地質と地質環境」、全国地質調
査業協会連合会、参照 <http://www.zenchiren.or.jp/tikei/index.htm>
109
日本列島を俯瞰するうえで、もっとも重要なものは「動的」側面であろう。
列島が、いつから今のような形になったかを特定することは、簡単ではない
ようだ。今のような形になったのは 2500 万年前とされる。この時期をもって日
本列島の誕生という見方もされているが、この時期の日本列島は、現在の姿と
はよほど違っている。その後も、伊豆・小笠原弧といわれる陸地が本州に衝突
し、現在の伊豆半島になり、千島弧が北海道に衝突し、日高山脈を隆起させる
などダイナミックな動きを続けてきたとみられている。
さらに、列島は、200 万年前(第四紀以降)から、何らかの理由で日本海の海
洋底が東進し、太平洋側の沈み込み帯との間にはさまれ、東西方向に強圧縮状
態になったといわれる。ここで発生した圧力によって、山脈が隆起した。現在
も強圧縮状態にあり、山地の隆起は続いている。
プレート境界にあたる地域は、これまで述べてきたように、隣り合うプレート
が互いに異なった方向へ移動するために不安定である。こうした地域は「変動
帯」とも呼ばれるが、その意味するところは、ダイナミックであり、複雑でも
あり、不確実性に支配されるところでもある。日本列島はまさしくこの「変動
帯」に位置する。
しかし、地球上の陸地の多くは、変動帯とはまったく様相を異にする「安定
大陸(安定陸塊)」とよばれる地域に位置する。安定大陸は、最低でも 5 億年(先
カンブリア紀以降)、プレートの運動の影響をほとんど受けずにきた大陸地殻の
古く安定した地域をいい、地震、火山活動はほとんどない。中には、20 億年以
上前から存在しているものもあるという。楯状地や卓状地とも呼ばれる。
変動帯はそうした安定大陸をとりまくように分布している。
資源エネルギー庁が、
「諸外国における高レベル放射性廃棄物の処分について
2014 年版」が、各国の高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けての取り組みの
現状などについて紹介している。それを見ると、
「変動帯」に位置するのは、わ
が国だけであることがわかる。オルキルオト最終処分場建設地をはじめ、各国
で地層処分研究が進められている場所は、すべて「安定大陸(安定陸塊)」、も
しくはそれに準ずると見られる地域に位置する。
(2)地震の発生メカニズムと津波
圧力(歪み)が岩盤に蓄積され、限界を超え岩盤が耐えきれなくなると跳ね
返り、あるいは岩盤の破壊が起こる。それが地震発生の源である。
ちなみに、地震には大きく三つのタイプがあるとされる。
一つは海溝型地震(プレート境界地震)である。海溝型地震はプレートの境界
で発生する。海の側のプレートが陸側のプレートの下に沈み込むとき、陸側の
110
プレートが巻き込まれ、プレート先端部に歪みが蓄積する。やがて限界がくる
と反発力によって跳ね返り、岩盤破壊も発生するとみられている。
東日本大震災を引き起こした Mw(モーメントマグニチュード)9.0 の大地震
は、この海溝型地震である。日本海溝西側の、南北約 450 ㎞、東西約 200 ㎞に
わたる範囲のプレートが動いた(跳ね返った)とされる。これが震源となり大
地震を発生させた。それが巨大な津波を引き起こし、東日本一帯の沿岸部を襲
った。その後の余震の震源地も、この地域にかなり集中して起こっている。
もう一つは、直下型地震(内陸地殻内地震)である。圧力が、列島内部の岩
盤に蓄積し、岩盤破壊が起こることによって発生する。岩盤破壊は岩盤にずれ
(断層)を引き起こす。直下型地震は、地下 20 ㎞より浅いところを震源とする
とされ、地上に、地形や地盤のずれを出現させることが多い。海溝型地震にく
らべ規模は小さいが、震源が直下になるため大きな被害をもたらすとされる。
1995 年の阪神・淡路大震災はこの直下型地震であった。 2011 年 4 月 11 日に発
生した Mw6.6 の地震は、建物などに大きな被害がでたが、これも福島沿岸南部
を震源とする直下型地震であった。
最後は、海洋プレート内地震と呼ばれる地震だ。深くもぐった海洋プレート
内で発生する地震で、深発地震とも呼ばれている。震源が深いため、地震のエ
ネルギーが同じでも、他の地震に比べ地表に与える影響は小さくなるとされて
いる。
また、日本列島の中央部を縦断しているフォッサマグナ、その北部にある活
褶曲帯は、いずれも、強圧縮状態が作り出している特異な地質構造である。そ
して、日本列島には、地震活動に直結するといわれる活断層が、広範囲に存在
する。まだ、存在が知られていないのも多いといわれている。
なお、日本列島には、プレート境界地震が、直下の地震になりうる地域があ
る。それは、東京湾、相模湾、駿河湾とその周辺を囲む、関東南部から駿河に
かけての地域だ。首都圏がここに位置する。ここでは、フィリピン海プレート
が北米プレートの下に沈み込み、相模トラフが形成されている。また、ユーラ
シアプレートの下に、フィリピン海プレートが沈み込み、駿河・南海トラフが
形成されている。関東南部から駿河にかけての地域は、こうしたプレート境界
の直上の基盤の上に成り立っている。ここで大きなエネルギーをもったプレー
ト境界地震が起これば、それは震源が直下の巨大地震となる。そのもっとも新
しいものは、1923 年、相模トラフの北西部に沿って発生したプレート境界地震
(M7.9)だ。大正関東地震と呼ばれ、関東大震災となった巨大地震だ。首都圏
は、直下型地震、さらに直下でプレート境界地震が発生しうる世界でも例をみ
ない地域といっていい。
111
プレートテクトニクス理論の登場によって、地球表層に発生する事象につい
て、これまで知られていなかったことが次々と明らかにされている。その中か
ら、わが国の経済、金融、政治、文化など、あらゆるものが集中する首都圏が、
巨大なエネルギーをもちうる地震源の真上にあることが浮かび上がってくる。
このことは、国家の危機管理という観点からしても、よほど真剣にとらえてお
く必要がある。
津波は地震より発生間隔は長いが、繰り返し日本列島にやってきている。地
震が、ときに津波を引き起こす。特に、海溝型地震が原因となりやすい。東日
本大震災の大津波が、このタイプであったことは、すでに述べたとおりである。
津波は、地球を半周してやってくる場合もある。1960 年、三陸沿岸を襲った津
波は、チリで発生した Mw(モーメントマグニチュード)9.5 という世界の観測
史上最大の地震が引き起こしたものだ。
津波発生の原因は地震だけではないらしい。沈み込みによって形成される海
溝は深く、急傾斜地形といわれる。ここでは、地表では考えられない規模の地
滑りが発生するという。この地滑りが、津波を引き起こす。1896 年に明治三陸
津波は、地震による揺れをほとんど感じなかったという。しかし、大津波が発
生し、三陸沿岸を襲った。巨大海底地滑りが原因であったとの可能性が指摘さ
れている。
(3)火山と原発への影響評価
2014 年 9 月の御嶽山が噴火した。噴火は、水蒸気爆発であり、噴火の規模も
さほど大きくはなかった。しかし、登山シーズンと重なっており、火口周辺に
来ていた登山者を中心に多くの犠牲者、負傷者がでるという大惨事になったこ
とは記憶に新しい。活火山は普段静かなものが多い。しかし、静かであっても、
いつ噴火してもおかしくない。それが活火山だ。ただし、具体性をもった噴火
予知には限界がある。御嶽山の噴火も予知できなかった(水蒸気爆発はマグマ
噴火よりさらに予知がむずかしい)。
日本は、世界一の火山国といっていい。記録に残っているだけでも数多くの
大きな火山災害を経験してきた。同時に、火山があるがゆえに各地に温泉があり、
壮観な風景も作り出してきた。われわれの生活と火山とは切っても切れない関
係にある。
気象庁編集の「日本活火山総覧(第 4 版)」によれば、日本列島には活火山が
110 あるとされる。こうした火山の日本列島上の配置をよくみると、顕著な特徴
が認められる。それは、一定の線上に分布する様子がみてとれるのである。さ
らに、あるところを境にして、そこより海溝側には、活火山は存在しないので
112
図 10
出典
世界の主なプレートと地震の分布
気象庁ホームページ「地震発生の仕組み」掲載資料
<http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html>
113
ある。
この境は、火山フロントと呼ばれる。火山フロントは、この沈み込み帯に沿
って形成されている。火山活動は、海洋プレートの沈み込みと密接な関係があ
り、海洋プレートの配置や沈み込み角度などによって大きく影響される。この
ことは日本列島だけではなく、地球上のほとんどのプレートの沈み込み帯に共
通に認められる現象である。プレートの沈み込みとの関係で、火山フロントが
なぜ形成されるのかについての地球科学的解析も、かなりなされているようで
ある。
(なお、地球上にはハワイ島の火山にように、沈み込みではなく、まった
く別の地球科学的メカニズムによって形成されるものもある。)
ところで、活火山から、例えば 50 ㎞以内に原発がある国は、世界中どこをみ
ても日本しかないのではないか。火山活動にともなう降灰は、その程度にもよ
るが、巨大な精密装置である原発にさまざまな影響を及ぼすと考えられる。火
山灰は、鉄道、道路などの交通を阻害するだけではなく、地滑りなどの二次災
害を発生させる可能性がある。火山灰は雪と違って消えることはない。密度も
高く、水分を含めばより重くなる。大規模な噴火によって広く降灰すれば、地
域全域に深刻な被害をもたらすとともに、そこに原発があれば、安全管理にと
っても脅威になりうる。
大規模な火砕流が発生し、原発が飲み込まれる可能性も、場所によっては排
除できないこともあるかもしれない。稼働中の原発が火砕流に飲み込まれるな
ど論外の話であって、そういう可能性がわずかでもある場所の原発などあって
はならない。
しかし、火山活動が、原発にもたらすリスクについての評価は、最近になっ
て始まった。東日本大震災後に稼働停止した原発の再稼働審査から、行われる
ことになったのである。このため、原子力規制委員会が 2013 年に「原子力発電
所の火山影響評価ガイド」を作成している。ここには、次のように既述されて
いる。
「火山の影響評価としては、最近では使用済燃料中間貯蔵施設の安全審査に
おいて評価実績があり、2009 年に日本電気協会が「原子力発電所火山影響評価
技術指針」(JEAG4625-2009)を制定し、2012 年にIAEA がSafety Standards
“Volcanic Hazards in Site Evaluation for Nuclear Installations”(No.
19thSSG-21)を策定した。近年、火山学は基本的記述科学から、以前は不可能で
あった火山システムの観察と複雑な火山プロセスの数値モデルの使用に依存す
る定量的科学へと発展しており、これらの知見を基に、原子力発電所への火山
影響を適切に評価する一例を示すため、本評価ガイドを作成した。」
活火山から一定の距離のある地域に限定したとしても、建物の建設や構造物
114
の設置にあたり、火山の影響評価が義務づけられている事例を筆者はほかに知
らない。地域防災の観点から火山噴火を想定したハザードマップは全ての活火
山(北方領土の活火山を除く)で策定されているが、地域の避難計画の基礎と
なることを想定したものである。施設への影響評価とその対策を求められたの
は、今回新たに評価が義務づけられた原子力利用施設だけであろう。
しかし、原発が火山活動とどう向き合うかは、導入以来、長い間検討の対象
外であった。第1部で述べたように、原子力施設を、他の構造物、施設とはま
ったく別のものであるとの観点をもたず、自然事象に向き合う姿勢の甘さと隙
を、ここにも見て取れる。
火山影響評価ガイド自体には、筆者もいくつかの疑問をもっている。具体的
なことについては煩雑になるので、ここでは立ち入らない。ただ、一点だけあ
げておきたい。それは、大規模な降灰を想定した場合、原子力利用施設だけで
はなく、火力発電所などの施設への影響を含め、火山影響評価ができるような
知見が、十分つみ上がっていないのではないかということだ。このことは、内
閣府に設置された、火山学者や災害の専門家を中心として構成される「広域的
な火山防災対策に係る検討会」(火山噴火予知連絡会会長である藤井敏嗣先生の
ご示唆にもとづき、筆者が防災担当大臣であった2012年に設置。以下「検討会」
という)がまとめた「大規模火山災害対策への提言」(2013年5月16日)が指摘
していることでもある。
もっとも大きな理由は、現在のような高度な交通網や、さまざまな施設、機
械が、大規模降灰をまったく経験していないことだ。これは世界的にもいえる
ことだ。施設等だけではなく、広域的につもった降灰によって地域全体にどの
ような影響が出てくるかについて判断する具体的なデータがないのである。火
山影響評価をする前に、基礎となる知見の集積が必要だということだ。内閣府
ではこうした検討が進行中である。だが、その一方で、原子力施設を対象とし
た火山影響評価が動き出していることを、どう理解すればいいのであろうか。
なお、広域にわたって厚い降灰をもたらすような大規模な噴火は、1914年の
桜島の大正大噴火(総噴出量21億㎥)が今のところ最後といっていい。1707年
の富士山の宝永噴火(総噴出量17億㎥)では、江戸の東京湾周辺の地域に4~
20㎝の灰が積もっている。桜島は今でも活発に活動しているが、大きな噴火と
いわれるものでも、鹿児島市内の降灰量は数㎜である。
こうしたことに関連し、筆者は、参議院予算委員会で、検討会の会長でもあ
る藤井先生(前出)に参考人として出席をいただき、質問をしている(第183国
会参議院予算委員会(平成26年3月5日))。先生には、貴重な指摘をいただい
た。詳しくは、その会議録を、参照していただきたい。また、この火山影響評
価ガイドを適用した原発再稼働の前提となる、新たな規制基準への適合性審査
115
も原子力規制委員会によって進められているが、この審査方法、結果などにつ
いて火山学の専門の立場から問題を指摘する火山学者は少なくない。火山の予
知などをめぐっては、科学的にも不確定な要素が多くあるとの印象を強く受け
る。
2.地質概観
日本列島を形成する地層についても概観する必要がある。わが国では、原発
が生み出す高レベル放射性廃棄物の最終処分として地層処分をすることを基本
方針としている。
日本列島を形作る地質は、構成が複雑で、さまざまな岩類の地層でなりたっ
ている。
その代表は、付加体とよばれるものである。海底、とくにプレートがぶつか
り合うところに海溝ができ、そこに、土砂、生物の死骸、火山灰などいろいろ
なものが堆積する。こうしたできた堆積層は、プレートの衝突作用によって陸
側に押し出され、褶曲して積み重ねられていく。こうした作用は「付加作用」
と呼ばれ、このようにしてできた堆積層の積み重なったものが付加体とよばれ
る地層である。日本列島の土台となっている地層のかなりの部分は、約 2.5 億
年前以降に海底で積み重なったものからできた付加体といわれている。地質学
者の平朝彦氏は、その著書(「日本列島の誕生」、岩波新書、1990 年、)で、「日
本列島は深海から誕生してきた」といっておられる。付加体は、プレートの沈
み込みにともなって形成される地層であり、日本列島の地質を特徴づけるもの
である。
こうした付加体に加え、日本列島の土台となっている地層には、付加作用を
受けないで形成された堆積岩類、マグマが地表近くで固まった火山岩類、地下
深くでゆっくり固まった深成岩類、これらが、熱や圧力によって変成した変成
岩類がある。
さらに、こうした岩相(形成の過程によって異なってくる)によって分類さ
れた岩類は、さらに、その形成年代に視点をあて、地質学的に定義された尺度
によって分類される。
産業技術総合研究所地質調査総合センターが作成した「日本の地質図」(2 百
万分の 1 尺度)を見ると、形成の過程、形成年代という二つの観点から分類さ
れた岩類が、日本列島にモザイクのように複雑に配列されている。その配列に
は、明確な方向性を示し、他との境界を明瞭にする部分も少なくない。また、
基盤となる岩類も、その形成年代もかなり異なる地層が、隣り合っているとい
う状況も広く見られる現象である。
こうしたことは、日本列島についてのいくつのかの重要な点を示唆する。そ
116
れは、日本列島の土台が、一つに固まって形成されたのではなく、複数の部分
に分かれ、離れた場所で形成され、それらが集まってできたものではないか、
ということである。地塊が複雑に組み合わさってできたのが、日本列島といっ
ていいかもしれない。
この原動力は、いうまでもなくプレート運動である。
地史をたどれば、プレート運動も、その動く方向、沈み込み帯の位置も、地
球形成の過程で大きく変動したと地質学者はみている。その中で、プレートの
動きにのって、別の陸地で形成された付加体の一部が地塊となっていっしょに
動く横ずれ運動が起き、それが日本列島の土台の一部を構成した。さらに、そ
の土台に新たな付加体が張り付き、日本列島全体の土台が形成されたと考えら
れているようだ。
横ずれ運動の痕跡をもっとも明確に残すのが、中央構造線といわれる、関東
から、中部地域、東海、紀伊半島、四国を横断し、九州を分断する大断層であ
る。地塊の列島への衝突も繰り返されてきた。既述のように、北海道は衝突に
よって形作られ、伊豆半島も衝突によって半島となった。
現在の日本列島には、こうした付加体を基本としてできた土台のうえに、火
成活動によるマグマの侵入や火山噴火によってできた火成岩類、降灰や陸地の
浸食作用によって発生した土砂などによってできた、地史的にはきわめて新し
い堆積層が形成されている。
日本列島形成のダイナミックな過程が作り出した複雑な地質構造、東西方向
からの強圧縮状態のなかで動き続ける「若い」列島。こうした俯瞰的特質は、
岩相の多様さ、数多くの亀裂あるいは断層、地下水の多さといった地層の複雑
な特性を生み出している。
地層処分を実施するには、それらの特性が、これからどう変わっていくかを、
予測していかなければならない。それは、万年単位の時間軸を設定しての作業
となる。
こうしたことは、放射性廃棄物の地層処分への取り組みが、わが国では特に
困難なことを予想させる。
3.東日本大震災後の日本列島
東日本大震災の巨大地震(東北太平洋沖地震)の発生によって、日本列島の
応力状態が変化し、地殻の活動が活発な時期に入ったと指摘する地震学者、火
山学者は少なくない。藤井敏嗣火山噴火予知連絡会会長(前出)も、日本列島
は 3.11 を境に大変化し、火山噴火誘発の可能性を指摘されている。
その根拠となっているのは、これまでの天災の歴史だ。「「自然」は過去の習
117
慣に忠実である」、との寺田寅彦の言葉が思いおこされる。
東日本大震災以後、類似の状態が起こりうる、として注目されているのが、9
世紀の日本列島である。大地動乱の時代といっていい時期にあたる。
869 年、三陸沖を震源として M8.3 の巨大地震、貞観地震(貞観の三陸沖地震)
が発生している。日本海溝に沿ったプレート境界で、広域にわたって岩盤破壊
が起きたとされている。この地震によって東北太平洋岸に大津波が襲ってきた
ことが、ボーリングによる地質調査などで明らかになっている。この津波は貞
観津波と呼ばれ、東日本大震災大津波に匹敵する規模であったといわれている。
また、東日本大震災の巨大地震、大津波とそっくりの構図だ。
さらに、貞観地震の直前(863 年)には越中越後で(地震強度は不詳であるが
大きな被害が出たとされる)、868 年には、播磨・山城地震(M7 以上)という大
きな地震が発生している。順番が逆であるが、1995 年の阪神淡路大震災(兵庫
県南部地震、M7.3)、2007 年の中越沖地震(M6.8)を彷彿とさせる。また、2008
年には、栗駒山山麓を震源とする宮城・岩手内陸地震が起きている。M7.2 で、
大きな地滑りを誘発した。活断層がなかったとされていた地域を震源とする直
下型地震であり、地震関係者をあわてさせた。9 世紀にも人の住まない山中で大
きな地震があった可能性はある。わかっていないだけかもしれない。
気になるのは、貞観地震が発生して以後のことだ。
878 年には関東で M7.4 の地震が発生している。887 年には紀伊半島から四国
沖の南海トラフを震源域とする仁和地震(M8.5)が発生した。このとき、東海
地震も連続して発生していたと見られている。とすれば、関東、少し時間をお
いて東海、南海地震が連動した形だ。この仁和地震によって、大きな津波が発
生したこともわかっている。
火山活動も盛んになり、871 年には鳥海山が噴火。864 年には富士山の火山活
動が活発になり、北西部から大量の溶岩が流れだし、現在の広大な青木ヶ原を形
成した。886 年には新島でも大きな噴火が起こっている。少し時期が離れるが、
915 年、十和田湖が噴火している。この噴火は、火山からの総噴出量を尺度とし
た場合、過去 1000 年間におけるわが国火山噴火の最大の噴火であった。なお、
カルデラ湖である十和田湖は、このときの噴火でできたものではなく、約 15000
年前の大規模噴火によって、現在の原型ができたとされる(日本活火山総覧(前
出))。
現在、首都直下型地震、東南海の連動地震、それによる大津波の発生、火山
活動の活発化が、多くの関係する学者の中で懸念されている。9 世紀の日本列島
が置かれていた状況は、こうした懸念を裏打ちするのに十分な材料を提供して
いる、と考える必要がある。
118
関東の巨大地震発生と東南海の巨大地震発生との関連性を想起させる事例は、
他にもある。
時代は下って、1703 年、関東で M7.9-8.2 の地震が起こっている。元禄地震
と呼ばれるこの地震は、相模トラフに沿って海底に伸びるプレート境界で発生
したもので、1923 年の関東大震災となった大正関東地震と同じプレート境界地
震だ。ただし、規模は元禄地震が大きい。
この、4 年後の 1707 年、駿河沖から土佐沖にかけての南海トラフの岩盤破壊
が起き、M8.6 の巨大地震が発生した。宝永地震と呼ばれ、大津波を引き起こし
ている。
さらに、宝永地震発生の 49 日後(陽暦 12 月 16 日)、富士山で大規模噴火が
起こる。世に有名な宝永噴火である。富士山中腹の宝永火口から噴出した灰は、
遠く銚子まで到達し、江戸では 16 日間にわたって灰が降り注いだ。
18 世紀は、元禄地震から始まり、全国各地で M6.5 以上の地震が多発した。ま
た、富士山以外にも、樽前山、桜島、浅間山、雲仙岳などが大規模噴火を起こ
している。まさしく大地動乱の世紀であった。
幕末から大正にかけては、関東がきしみつづけた。
1853 年、ペリー来航の約 4 ヶ月前、小田原地方で M6.2 の地震が発生した。
この嘉永小田原地震が発端となったように、翌年の 1854 年、巨大連発地震が
相模~南海トラフを震源域として発生した。ここでも関東、東南海の地震が連
動した形だ。
まず、陽暦 12 月 23 日、駿河湾から遠州灘、熊野灘におよぶ地域を震源域と
した M8.4 の巨大地震が発生した。安政東海地震と呼ばれる。東海地方中心に激
しい揺れが起こるとともに、沿岸には大津波が押し寄せた。そして翌日の 12 月
24 日、今度は紀伊水道沖から足摺岬沖までの地域を震源域とした M8.4 の安政南
海地震が発生する(関東への影響は前日の地震に比べ小さかったようだ)。ふた
たび大津波が生じ、紀伊半島南部、土佐湾沿岸をおそった。紀州藩広村(和歌
山県有田郡広川町)に住んでいた豪商、浜口儀兵衛(悟陵)が、暗い中津波か
ら逃れる村民のために道沿いの田にあった稲束に火をつけ、避難を助けた様子
を伝える「稲むらの火」は、この安政南海地震津波の実話から生まれた。
関東はまだ揺れ続けた。1855 年、今度は江戸に M6.9 の地震が発生する。安政
江戸地震だ。直下型地震で直下が震源であったため、江戸では揺れが大きく甚
大な被害が出ている。この安政江戸地震を契機に、江戸では「鯰絵」がたくさ
んでまわった。
度重なる地震、津波の発生は、幕府財政にも深刻な影響を与えたと考えられ
る。この安政江戸地震の 12 年後、徳川幕府が終焉を迎える。
119
明治となって、1894 年明治東京地震(M7.0)が発生した。その後も関東を震
源とする M6~7 クラスの大きな地震がたびたび発生した。
そして 1923 年、関東大震災となった大正関東地震が起こる。M7.9(Ms8.2: Ms
は表面波マグニチュード)の巨大地震は、相模トラフの北西部に沿って岩盤破
壊が起きたことによるプレート境界地震であった。
関東大震災を区切りに、それ以後現在に至るまで関東は、大きな地震にはみ
まわれていない。静かな時代であったといっていい。この平穏な時期に東京を
中心に現在のような巨大な首都圏が形成された。高度に文明化した首都圏はま
だ大きな地震を経験していない。既述のように、首都圏が広がる地盤は、直下
型地震、直下が震源域となるプレート境界地震が発生する地殻構造になってい
る。このことを忘れてはならない。
東日本大震災の巨大地震、大津波の発生によって、
「想定外」を目の当たりに
した。東日本大震災後の日本列島での災害想定は、当然のこととして震災前と
はかなりかけ離れた様相を呈している。最大級の規模を想定することを基本と
するようになっており、それがもたらす被害想定は深刻なものだ。しかし、わ
れわれにとって大事なことは、だからといって、いたずらに不安視したり、恐
れることではない。日々の変化の目まぐるしさにまぎれてしまい、いつの間に
か忘れさってもいけない。
日本列島がおかれている状況を正しく理解し、できる備えをしておくが大切
だ。国では、これからの天災に備え、さまざまな検討が行われ、それを踏まえ
た準備も進めている。自治体、民間も同様だ。こうした取り組みが、時間の経
過とともに薄れることなく、しっかり維持、強化されていかなければならない。
それが、東日本大震災という過酷すぎる出来事が、われわれに示しているも
う一つのもっとも重要な教訓であることはいうまでもない。
以上で第 4 部を終わる。
120
表2 9世紀における大規模地震と大規模噴火
地震
火山(東日本)
➊800年富士山(噴火:-)
➋810年鳥海山(噴火:-)
①818年関東諸国(M7.5)
②827年京都(M6.5~)
③830年出羽(M7~)
➌832年三宅島(噴火:0.13億㎥)
➍838年富士山(噴火:-)
➎838年伊豆大島(噴火:8.3億㎥)※1
➏838年神津島(噴火:10.4億㎥)
④841年信濃(M6.5~)
⑤841年承和の北伊豆地震(M7)
⑥850年出羽(M7)
➐850年三宅島(噴火:1.45億㎥)
➑857年新島(噴火:0.93億㎥)
⑦863年越中・越後
➒864年富士山(噴火:13億㎥)
⑧868年播磨・山城地震(M7~)
⑨869年貞観の三陸沖地震(M8.3)
➓871年鳥海山(泥流:0.28億㎥)
⑩878年関東諸国(M7.4)
⑪880年出雲(M7)
⑫887年仁和地震(M8.5)
⓫886年新島(噴火:12.3億㎥)
⓬887年新潟焼山(噴火:-)
⓭915年十和田湖(噴火:65億㎥)
※1 886年までに3回の噴火が発生
※総噴出量は噴出物の見かけ体積で表示した。
出典 内閣府 広域的な火山防災対策に係る検討会
「大規模火山災害対策への提言」【参考資料】(平成25 年5月16 日)
121
表3 関東で発生した主な地震(18世紀~)
(18世紀の大規模地震)
1703年 元禄地震
(1707年 宝永地震(東南海で発生、M8.4)
(1707年富士山大噴火(宝永噴火))
M7.9-8.2
1782年
M7
天明小田原地震
〔おおむね平穏な時代へ〕
(大地動乱の時代へ)
1853年
嘉永小田原地震
M6.2 ペリー来航
1854年 連発巨大地震
安政東海地震(陽暦12月23日)
(安政南海地震(陽暦12月24日))
M8.4
M8.4
1855年
M.6.9
安政江戸地震(江戸直下型地震)
〔1867年 徳川幕府の終焉〕
1894年
明治東京地震
M7.0
この間、関東を震源とするM6~7の地震が、複数発生
1923年
大正関東地震(関東大震災)
M7.9 (Ms8.2)
〔平穏な時代へ〕
2011年 東日本大震災
新たな大地動乱の時代へ?
・<http://www.zisin.jp/modules/pico/ondex.hph?content_id=1259>日本付近の
おもな被害地震年代表、日本地震学会
・寒川旭、「地震の日本史」、増補版、中公新書
・石橋克彦、「大地動乱の時代」、岩波新書
を参考に作成
122
主要用語についての補足的説明
ウラン燃料(低濃縮ウラン燃料)
原子力発電は、原子炉の中でウランを燃やす、すなわち、核分裂を起こすこ
とにともなって発生する大量の熱を利用する。
核分裂は、原子を構成する物質の一つである中性子がウラン 235 の原子核に
ぶつかることで起こる。一個のウラン原子核の分裂により、2、3 個の中性子が
放出され、その中性子が、別のウラン原子核の核分裂を引き起こす連鎖が始ま
る。核分裂の連鎖により、大量の熱が発生する。この熱によって水を沸騰させ、
その蒸気で発電するのが原子力発電だ。化石燃料を燃やすことで発生する熱に
よって蒸気をつくり、タービンを回して発電する火力発電と原理は同じである。
天然ウランには燃える(核分裂し、熱を放出する)ウラン 235 と燃えないウ
ラン 238 がある。その構成率は天然ウラン共通で、ウラン 235 が 0.7%、ウラン
238 が 99.3%となっている。
核分裂を起こす物質を核分裂性物質あるいは核分裂性核種という。ウラン 235
に加え、核分裂性物質のもう一つの代表は、プルトニム 239 である。プルトニ
ウム 239 は天然には存在しない。ウラン 238 が、中性子を吸収する状況を人工
的につくることでプルトニウム 239 が生成する。
この天然ウランの中のウラン 235 の濃度を 4%程度に高めたもの(96%はウラ
ン 238)が、原子力発電所(軽水炉)で使われるウラン燃料になる。
ウラン 235 の濃度を高めることを濃縮という。発電に使われるウラン燃料は、
低濃縮ウラン燃料といわれる。低濃縮ウランは加工され、ジルコニウムででき
た被覆管の中に装填され燃料棒となる。これを集めて燃料集合体に組み立て、
炉心に装荷する。
ウラン 235 が 100%に近い高い濃度で濃縮されると、原子爆弾への転用が可能
となる。広島に落とされた世界最初の原爆は、この濃縮ウランを使ったものだ。
長崎の原爆は、ウラン 238 から人工的に作られたプルトニウムを使ったもので
ある。
軽水炉(熱中性子炉)
わが国最初の商業用原子力発電所は、1966 年に営業運転を始めた東海発電所
である。英国で実用化されていたコールダーホール型と呼ばれ、天然ウランを
燃料として、炭酸ガスによって冷却する原子炉が採用された。しかし、発電の
効率性や経済性の問題から、1998 年には廃炉となった。
123
図 11 ウラン燃料について
出典:日本原子力文化振興財団「原子力・エネルギー図面集 2014」76・77 頁
124
その後、商業用原子炉は、すべて軽水炉となった。燃料は、低濃縮ウランで
ある。
中性子は原子核が核分裂することで発生する。発生した中性子は高速度であ
り、大きなエネルギーをもつ。しかし、ウラン燃料と核反応を起こし、核分裂
連鎖反応を持続させるためには、中性子の速度を遅くしなければならない。こ
のため、減速材の中に中性子を通過させ、減速させる。減速材として使われる
のが、水や黒鉛(東海原子炉は黒鉛を使用した)である。水は炉心の冷却機能
も担う。
減速された中性子は、周りにある物質と熱平衡にあるということで、
「熱中性
子」と呼ばれている。名前からは、高いエネルギーをもっているとの印象を受
けるが、減速された低エネルギーの中性子である。
水には、ふつうの水と質量がやや重いものがある。前者を「軽水」、後者を「重
水」といっている。軽水炉は、減速、冷却材としてふつうの水を用いる。この
ことから軽水炉とよばれている。なお、軽水炉には加圧水型と沸騰水型がある。
東電福島第一原発で稼働していた原子炉はすべて沸騰水型である。
また、軽水炉は熱中性子炉とも呼ばれる。
高速増殖炉
高速増殖炉はプルトニウムを燃料とする。プルトニウムを消費して発電しな
がら、消費した量を上回るプルトニウムを生み出す。すなわち増殖する。発電
しながら、炉心を囲むウラン 238 からプルトニウムを作るには、高速の中性子
のほうが効率的である。このため、軽水炉のような減速材は使わない。冷却剤
として高温で溶かした液体ナトリウムなどが用いられる。高速増殖炉の「高速」
という名称は、炉内の中性子が高速であることによっている。
なお、高速増殖炉から増殖機能をなくした原子炉もある。この場合は単に高
速炉と呼ばれる。
使用済核燃料
原子力発電では、燃料集合体は約 3~4 年で、燃料としての寿命は尽き、炉外
に出される。これが「使用済核燃料」である。技術上の課題に限定しても、そ
の処理を、きわめて困難かつ複雑にしているのは、被曝すれば即死に至る高レ
ベルの放射線を放出する放射能と、その長寿性のゆえである。
使用済核燃料には、ウラン 235 などが核分裂をおこしてできたヨウ素、セシ
ウム、ストロンチウムなどの核分裂生成物(FP)、ウラン 238 が中性子を吸収し
125
図 12 軽水炉のしくみ
出典:日本原子力文化振興財団「原子力・エネルギー図面集 2014」33・34 頁
126
たことによって生成したプルトニウムをはじめとした超ウラン元素(他にネプ
ツニウムなど)が含まれる。
核分裂生成物は、不安定な元素で、安定元素になるまでベータ線(電子)や
ガンマ線(電磁波)を放出する崩壊(ベータ崩壊、ガンマ崩壊)を繰り返す。
半減期は一日のものあるが、数百万年以上にわたる長寿命のものもある。40 種
ほどの放射性元素(核種)を雑多にふくむため、科学的にも複雑で取り扱いが
難しいとされる。
超ウラン元素は、ウランより原子番号が大きい元素をいう。ウラン 238 の一
部が中性子を吸収し、ベータ崩壊を繰り返して生成する。これらもすべて不安
定で、アルファ線(放出されたヘリウム原子核)を出しながら、アルファ崩壊
を繰り返し、最終的には鉛になる。アルファ線は、飛距離が短いが、質量が大
きいため、きわめて微量の体内被曝でも影響が極めて大きいとされる。プルト
ニウムが最も猛毒な元素といわれるゆえんである。半減期はかなり長いものが
多い。
原子炉から取り出した使用済核燃料は、強烈な放射能を持っている。取り出
して 1 年後の使用済核燃料 1 トンに含まれる放射性核種のうち 30 種近くの放射
線量が、それぞれの核種についての一般人の年間摂取限度の 1 億倍を超えてお
り、それらを合計すると数十兆倍になる、といわれている。使用済核燃料の放
射線量は、使用前のウラン燃料に比べると、桁違いに増大する。
なお、わが国においてこれまで発生した使用済核燃料の総量は約 26000 トン
である。このうち、再処理されたものが約 8700 トン(英、仏委託 約 7100 ト
ン、国内処理 約 1600 トン)、使用済燃料プール等で保管されているものが約
17000 トンである。
核燃料サイクル(ウラン・プルトニウム核燃料サイクル)
核燃料サイクルとは、ウランの採掘からはじまって、その燃料への加工、原
子力発電所での燃焼、さらに放射性廃棄物へと至る延々たる核物質の流れをい
う。
「サイクル」というからには、なんらかの物質循環(リサイクル)を意味し
ているように思える。しかし、原子力工学の世界では、こうした物質循環利用
のいかんを問わず、核燃料の採鉱から核のゴミとしての廃棄までの全行程、い
わば核燃料の誕生から墓場まで、を核燃料サイクルといっているようだ。
核燃料サイクルは、大きくワンススルー方式とリサイクル方式がある。
ワンススルー方式とは、一回限りで核燃料を使い捨てにする方式である。こ
の方式では、使用済核燃料は、冷却したのち、そのまま容器につめて最終処分
(地層処分が基本)される。現在、米国、ドイツ、フィンランドなど多くの原
127
発立地国がワンススルー方式をとっている。フィンランドでは、最終処分場の
建設が始まっている。
リサイクル方式では、使用済核燃料の再処理が不可欠である。再処理は、使
用済核燃料から燃え残ったウラン、プルトニウムなどの核分裂性物質を分離す
るための工程だ。さらに、燃料に再加工し、再利用(リサイクル)する。分離
したあとに残る、核分裂生成物(FP)と超ウラン元素を大量に含む廃液は、ガ
ラスに溶け込ませ固化しガラス固化体となる。ガラス固化体は、30~50 年冷却
後、最終処分(地層処分)される。
リサイクル方式には、高速増殖炉タイプと軽水炉などを利用する非増殖炉タ
イプがある。ウラン資源の有効利用という観点からすれば、理論上(あくまで
理論上)は、ウラン(238)からプルトニウムへの大きな転換ができる高速増殖
炉が理想的な核燃料サイクルとなる。
フランス、日本などがこのリサイクル方式を原子力開発利用の基本方針とし
てきた。といっても、わが国の場合、基本方針と実態との乖離が大きい、とい
う現実がある。
核燃料サイクルを上記のような定義としたが、リサイクル方式をもって核燃
料サイクルと理解している向きも多い。混乱を避けるため、本小論では、リサ
イクル方式の核燃料サイクルはウラン・プルトニウム核燃料サイクルと呼ぶこ
ととする。
なお、これまで使用済核燃料約 8700 トンが再処理されているが、この結果、
国内には約 11 トン、英国・仏国には約 36 トンのプルトニウムが分離され、そ
の一部は MOX 燃料に加工されている。
なお、わが国では使用済核燃料は「廃棄物」として扱っていない。資源、資
産として扱っている。発電事業者の企業会計上も資産として、その評価額が計
上されている。これは、いうまでもなく、わが国の原子力発電が、リサイクル
を基本とした核燃料サイクルの構築をめざしているからである。
したがって、核燃料の最終処分をどのように行うかは、企業会計にも影響す
る。例えば、核燃料サイクルをワンススルー方式に転換すれば、使用済核燃料
はその時点で、資産ではなく、廃棄物となり、会計上の資産は目減りする。使
用済核燃料と企業会計との関係は、重要なテーマであるが、あくまで二次的問
題である。本小論では、企業会計といった問題にまでは立ち入らない。
高レベル放射性廃棄物
高レベル放射性廃棄物は、ワンススルー方式では使用済核燃料そのものを、
128
図 13 核燃料サイクルと使用済核燃焼の再処理
出典:日本原子力文化振興財団「原子力・エネルギー図面集 2014」78・84 頁
129
リサイクル方式ではガラス固化体を指す。ただし、リサイクル方式の場合でも
使用済燃料のままでの最終処分がないとはいえない。リサイクル方式での高レ
ベル放射性廃棄物の最終形態がどういうものか、現段階では確定できないから
である。ガラス固化体は、使用済核燃料を再処理して出てきた廃液をガラス固
化したものである。
本小論では、わが国が政策上、使用済核燃料を全量再処理する核燃料リサイ
クルを基本方針としていることを踏まえ、とくに断らない限り、再処理によっ
て製造されるガラス固化体をもって高レベル放射性廃棄物という。しかし、わ
が国においても 直接処分の必要性が排除できないこともあり(むしろガラス
固化体のみを高レベル放射性廃棄物とする根拠が崩れている)、高レベル放射性
廃棄物に使用済核燃料を含める場合もある。
なお、これまで使用済核燃料約 8700 トンを国内外で再処理しているが、国内
には 2167 本のガラス固化体が保管されている。
地層処分
地層処分を、わが国では、
「地下 300 メートル以上の深さの地層に、放射性廃
棄物(筆者注:高レベル放射性廃棄物)が、飛散、流出、地下浸透することが
ないように、必要な措置を講じて安全かつ確実に埋設する」と定義している(特
定放射性廃棄物の最終処分に関する法律)。高レベル放射性廃棄物とは、使用済
核燃料の再処理によって出てくる高濃度廃液をガラス固化したガラス固化体を
いう。わが国においては、ウラン・プルトニウム核燃料サイクルの構築を前提
とした、使用済核燃料の全量再処理を基本方針としているからである。一方、
フィンランド、米国などのように使用済核燃料を再処理せず、一定期間冷却後、
そのまま地層処分することを選択している国も多い。この場合の高レベル放射
性廃棄物は使用済核燃料となる。
技術的には、母岩およびその地質環境が本来的に有する物理的隔離及び閉じ
込め機能(天然バリア)に、いくつかの工学的対策(人工バリア)を組み合わ
せた多重バリアシステムを構築することで、地下深部に高レベル放射性廃棄物
を閉じ込める。この間、放射能が減衰し、安全とされるレベルまで下がる。そ
れに要する時間は数万年以上といわれる。
人工バリアとは、ガラス固化体を鋼製のオーバーパックに密接封入し、それ
を地下水および放射性物質の移行を抑制する効果のある粘土系材料(緩衝材、
ベントナイト)で取り囲む、という工学的加工によって作り出す、放射性廃棄
物の人工的封じ込め機能のことをいう。
具体的には、次のようになっている。
130
図 14 高レベル放射性廃棄物の最終処分
出典:日本原子力文化振興財団
「原子力・エネルギー図面集 2014」101 頁
131
・オーバーパックは、少なくとも 1000 年程度は、ガラス固化体と地下水との接
触を防止し、放射性物質の動きを抑制
・オーバーパックの腐食後も、ガラス固化体が水に溶けにくいため、放射性物
質の侵出を抑制
・保守的見積もりによれば 7 万年程度経過するとガラス固化体の全量が溶融
・溶け出した放射性物質は、緩衝材によって天然バリアへの移行を抑制
地層には、人工バリアの機能が所定の期間維持されるに適した地質環境と、
天然バリアとして放射性物質の移行を抑制するのに適した特性を有することが
求められる。さらに、こうした特性は、数万年以上の超長期間の中で、変動す
る範囲が、機能維持の観点から許容できる範囲であることが求められる。この
ような要求が満たされる場合、地質特性は長期的に安定であるとみなす。
数万年以上という時間軸を設定し、その間の地層の挙動、地下水移動など地
層内に起こりうる事象を予測する、科学的な技術が求められる。さらに、その
技術について、社会的な理解、信頼性も求められる。
*上記の各項目に関し、添付した図以外にも「原子力・エネルギー図面集、2
014」、(財)日本原子力文化振興財団、に記載されている各種図が、参考に
なる。
下記でも利用可能。
<http://www.fepc.or.jp/library/pamphlet/zumenshu/pdf/all.pdf>
132
謝辞
「書いておきたいことがある」という思いからはじまり、なんとかまとめあ
げた。書くことに不慣れなこともあり、書きはじめて 1 年半以上かかった。
書き終えたが、ここで語るべき感慨のようなものは何もない。
動的日本列島における原子力利用が、どういう課題をその内にかかえている
のか。書くことで、その重大性、深刻さ、緊急性といったことが、よりはっき
りと見えてきたせいかもしれない。
だからといって、悲観的になっているということではない。
政治が主導して、これまでの経験、事実経過を踏まえ、進むべき方向をきち
んと見定め、国の力を結集することだ。結集するまで、そして結集してからさ
らに、大きな力が必要である。しかし、この国には、十分な底力があると信じ
る。その底力の淵源は、われわれの先達が、世界に類例をみないような数々の
天災を乗り越えてきたことに多くを由来している。動的日本列島における天災
との闘いの歴史を垣間見ながらそう感じた。
本小論が、ささやかであっても、そうした底力を引き出す、一助になればと
願うしだいである。
東日本大震災から 5 年目にはいった。被災地の懸命の努力によって復興は確
実に進んでいる。大津波によって一度は壊滅的になった被災地域には、浜を中
心に活気が出ている。大津波となって襲いかかってきた海が、今は復興の大き
な牽引役となっている。自然はときに驚愕するほど恐ろしい面をみせることが
あるが、いつもはおだやかでやさしい。しかし、復興は、住宅をはじめとして、
まだこれからだ。福島の復興は、国の責任の範囲が大きい。もっと国が先導し
なければならない。
東日本大震災からの復興、そして動的日本列島における原子力利用のあり方
については、筆者は、どういう立場にあろうと、これからもこだわりつづけな
ければならない。それは、非力ながらも、被災直後から復興の最前線に立ち、
もっとも厳しい状況を見つづけ、かつ、被災された方々、強制的に避難を余儀
なくされた方々をはじめ数々の方々の声を聞いた者の、最低限の責務であると
思っている。
本小論をまとめるにあたってたくさんの方々にお世話になっている。
筆者は、原子力はもとより、地震、津波、地質など本小論があつかう分野の
専門家ではない。特に原子力に関しては、ほとんど関わりを持つことなく、東
133
日本大震災までを過ごしてきた。そのため、本小論をまとめるにあたって、こ
と原子力について、まず、原子炉の基本的仕組みといった基礎的なものから、
おおまかな理解をしていかなければならなかった。いろんな文献に目を通した。
また、専門家の方々の意見も聞いた。それまで知り得なかった情報と貴重な示
唆をいただいている。動的日本列島に関することについては、防災担当大臣と
して関係する学者、専門家の方々と接した経験から得た知見が大いに役立った。
書いては調べることの連続であり、事実関係を理解することに多くの時間が
費やされた。結局は調べるために書いているのだ、との錯覚すら覚えた。
この過程で資源エネルギー庁の各担当職員からは、求めに応じ多くの資料を
提示いただいた。本小論と、政府の考え方を代弁する立場にある国の職員とは、
考え方を異にする部分が多かったが、聞きづらいことを口にする筆者との議論
にも常に真摯に対応していただいた。
国立国会図書館調査及び立法考査局経済産業課の山口聡調査員、青山寿敏調
査員には、本小論の基礎となる各種の資料を整備していただいた。また、まと
めにあたって、粗末な原稿に目を通し、記載事実関係の確認など細部にわたっ
て懇切丁寧な対応をしていただいた。
なお、本小論中の意見は、筆者個人に属するもので、協力をいただいた方々
とは関係のないことを、念のために申し添えておく。
新党改革代表の荒井広幸参議院議員には、フィンランド、フランス訪問の機
会を提供いただくとともに、本小論の執筆への励ましと示唆をいただいた。
記して心から感謝を申し上げる。
2015 年 3 月 11 日(東日本大震災 4 周年追悼の日)
参議院議員
平野達男
134
135
原子力開発利
用長期計画(昭
和 42 年 4 月 13
日原子力委員
会)
原子力開発利
用長期計画(昭
和 36 年 2 月 8
日原子力委員
会)
「増殖炉等については、前期 10 年間においても
相当程度の開発がすすめられるであろうが、そ
の実用化は、後期 10 年の後半以降と思われる。」
「高速中性子増殖炉は、早くから開発が進めら
れているが、増殖をねらうために技術的に困難
な問題が多くまだ実用段階にはほど遠い状況に
ある。
この炉の理想的な形態は、プルトニウム燃料
炉であるが、プルトニウム技術は、まだ確立さ
れていない。本型式炉は、増殖と経済性を両立
させた設計が困難であるが、セラミック燃料ま
たはサーメット燃料を用いれば、10 年程度の倍
加時間は可能であり、燃焼度が大きくなるので
すぐれた経済性が期待できる。したがって、開
発段階の前半においては、プルトニウム燃料の
取扱い、処理、加工等の技術、ナトリウム技術、
燃料要素の熱的特性等の研究を推進し、開発段
階の後半において研究開発の進展と見合って実
験炉を建設することを考慮する。」
「高速増殖炉および新型転換炉をわが国におい
て自主的に開発することとし、これを「国のプ
ロジェクト」として、強力に推進することとす
る。
高速増殖炉は、核燃料問題を基本的に解決す
る炉型であり、将来の原子力発電の主流となる
べきものであるので、その実用化のための研究
開発を強力にすすめる必要がある。わが国で開
発する炉型は、世界の開発状況からみて、現段
階において最も有望とみられるナトリウム冷却
型の高速増殖炉を開発の目標とし、昭和 40 年代
のなかばまでに実験炉の建設に着手し、昭和 40
年代後半に原型炉の建設に着手することを目途
とする。」
原子力長期計画の変遷
計画名
高速増殖炉
原 子 力 開 発 利 「最終的に国産を目標とする動力炉は、原子燃
用 長 期 基 本 計 料資源の有効利用ひいてはエネルギーコストの
画(昭和 31 年 9 低下への期待という見地から、増殖動力炉とす
月 6 日原子力委 る。」
「増殖動力炉の国産を図るため、まず増殖実験
員会)
炉 1 基を建設する。」
1.
「使用済燃料の再処理については、これを国内
において行なうこととし、当分の間は、原子燃
料公社の再処理工場において行なうものとする
が、将来は民間企業において再処理事業が行な
われることが期待される。また、新しい再処理
方式を開発するために必要な研究開発を行な
う。」
「原子力発電の開発をすすめるに際しては、わ
が国のおかれた環境に即して、そのエネルギー
源としての有利性を最高限に発揮させるため、
核燃料の安定供給と効率的利用をはかりうるよ
う、国内においてウラン-プルトニウムによる核
燃料サイクルの確立につとめる。」
「プルトニウムは高速増殖炉に使用することが
最も望ましいが、これが実用化されるまでには
長期間を必要とするので、それまでの間は、在
来型炉および新型転換炉など熱中性子炉におい
て使用されることが期待される。このため、昭
和 50 年頃までに熱中性子炉への利用の技術を
確立して、その有効利用をはかる。
」
1/8
「使用済燃料については、国際協定に基づいて
処理するが、原子力発電の規模が増大した段階
においては、わが国において再処理を行なう必
要がある。
この観点から、再処理に関する研究は、日本
原子力研究所および原子燃料公社が共同してす
すめるとともに、さらに再処理技術の確立およ
び技術者の養成訓練を目的として前期 10 年の
後半において天然ウラン燃料および低濃縮ウラ
ン燃料を処理しうる方式による再処理パイロッ
トプラントを原子燃料公社に設置する。
なお、将来再処理事業は原子燃料公社に行な
わせる。」
「前期および後期を通じて原子力発電の開発が
発展すれば生成されるプルトニウムは、相当の
量に達するものと推定される。
プルトニウムの燃料としての利用は、高速中
性子増殖炉に使用される場合が最も有利である
と考えられるが、技術的な困難が多く、その実
用化は、海外諸国においても後期 10 年の半ば以
降とみられるので、プルトニウムの濃縮ウラン
代替利用に関する研究開発をすすめる。さらに、
将来プルトニウムを使用する高速中性子増殖炉
に関する技術を開発し、わが国において合理的
な燃料サイクル系が確立されることを期待す
る。」
核燃料サイクル
再処理
「原子燃料については、極力国内における自給 「燃料要素の再処理については、極力国内技術
態勢を確立するものとする。このため、国内資 によることとし、原子燃料公社をして集中的に
源の探査および開発を積極的に行い、あわせて 実施せしめる。」
民間における探査および開発を奨励する。また、
不足分については海外の資源を輸入し得るよう
努力する。なお、将来わが国の実情に応じた燃
料サイクルを確立するため、増殖炉、燃料要素
再処理等の技術の向上を図る。」
原子力長期計画の変遷と東日本大震災後の原子力政策
(記述なし)
(記述なし)
(記述なし)
地層処分
平 成 26 年 4 月 15 日
国立国会図書館作成資料
136
原子力研究開
発利用長期計
画(昭和 53 年 9
月 12 日原子力
委員会)
計画名
原子力開発利
用長期計画(昭
和 47 年 6 月 1
日原子力委員
会)
高速増殖炉
「高速増殖炉は、消費した以上の核燃料を生成
する画期的なものであり、ウランのもつエネル
ギーの最高限度の利用を可能とするもかのであ
り、これにより、濃縮ウランの必要量を減少で
きる。また、将来、きれいなエネルギー供給源
として、原子力発電の主流となるべきものであ
り、わが国においては昭和 60 年代に実用化を達
成することを目標とする。その開発にあたって
は、現在、世界的にもっとも有望な炉型とみら
れている、プルトニウムとウランの混合酸化物
系燃料を用いるナトリウム冷却型炉を対象とし
て、目標熱出力 10 万 KW の実験炉を、昭和 49
年度に臨界に至らしめることとし、また電気出
力 30 万 KW 程度の原型炉を、昭和 53 年度頃に
臨界に至らしめることを目途とする。高速増殖
炉の実用化については、原型炉の建設、運転の
成果に基づき、今後、さらに検討するが諸外国
における開発の例等から判断すると、実証炉を
建設するなど、積極的に実用化の方策を講ずる
ことについても、考慮する必要があろう。」
「高速増殖炉は、消費した以上の核燃料を生成
する画期的な原子炉であり、ウランのもつエネ
ルギーの最高限度の利用を可能とするものであ
る。
ウラン資源の制約を考慮すれば、できる限り
早期に高速増殖炉を実用化することが望まれ、
昭和 70 年代に本格的実用化を図ることを目標
として、その開発を進めることとする。
高速増殖炉の開発に当たっては、プルトニウ
ムとウランの混合酸化物系燃料を用いるナトリ
ウム冷却型炉を対象として、実験炉の運転等を
通じて基礎的技術の蓄積を図り、その成果をも
とに、電気出力 30 万キロワット程度の原型炉を
昭和 60 年代初頭に臨界に至らしめることとす
る。
更に、原型炉の建設、運転経験の評価を十分
に反映しつつ、実用炉の経済性の見通しの確立
と技術的諸性能の実証を目的とする実証炉を、
昭和 60 年代後半に臨界に至らしめることを想
定して、必要な研究開発を進める。
」
「原子力発電所からの使用済燃料を、計画的か
つ安全に再処理するとともに、回収されたウラ
ン及びプルトニウムを再び核燃料として利用す
ることは、ウラン資源に乏しい我が国にとって、
必要不可欠である。このため、核燃料サイクル
確立の一環として、再処理は国内で行うことを
原則とし、我が国における再処理体制を早急に
確立することとする。
このような基本的考え方のもとに、東海再処
理施設の運転を通じ、我が国における再処理技
術の確立を図るとともに、再処理需要の一部を
賄うものとする。
さらに、今後増大する再処理需要に対処する
ため、より大規模な再処理施設、いわゆる第二
再処理工場を建設するものとする。この第二再
処理工場は、本格的な商業施設として、その建
設・運転は、電気事業者を中心とする民間が行
うものとし、昭和 65 年頃の運転開始を目途に、
速やかに建設に着手することが必要である。」
「原子力発電が、将来の安定したエネルギー供
給源としての役割を果たしていくためには、今
後必要となる核燃料を安定的に確保し、その有
効利用を図ることが極めて重要である。このた
め、天然ウラン及び濃縮ウランの確保はもとよ
り、再処理体制の確立、プルトニウム利用の推
進及び放射性廃棄物の処理処分対策について、
積極的な施策を講じ、原子力発電システムとし
て整合性のとれた核燃料サイクルを早期に確立
する必要がある。」
「我が国の自主性を確保できるような核燃料サ
イクルを確立していくためには、保障措置・核
物質防護対策の強化及び核拡散防止のための技
術開発、制度的検討等を通じて、原子力平和利
用と核拡散防止との両立をめざす国際的努力に
協力していくことが必要であり、他方では、自
らの手によるウラン資源の探鉱開発、濃縮技術
の自主開発、処理工場の国内立地等を進め、供
給源を多様化するとともに、放射性廃棄物の処
理処分対策を確立することにより、我が国の核
燃料サイクルの自主性の向上を図ることが重要
である。」
「高速増殖炉の開発と合わせて、高速増殖炉の
核燃料サイクルを確立する必要があり、このた
め、高速増殖炉の核燃料サイクルに関し、使用
済燃料の再処理等の必要な研究開発を進める。
」
2/8
再処理
「使用済燃料の再処理については、動力炉・核
燃料開発事業団において、昭和 49 年度操業開始
を目途に再処理施設の建設をすすめるものと
し、これに続く再処理施設は、使用済燃料の再
処理は国内で実施するとの原則のもとに、民間
企業においてその建設、運転を行なうことを期
待する。しかし、その建設には困難な問題が少
なくないと思われるので、政府は立地政策、長
期低利融資等必要な措置を講ずるとともに、環
境に放出される放射性排出物をできる限り少な
くするだめ必要な研究開発を強力に推進するも
のとする。」
核燃料サイクル
「原子力発電を将来の安定したエネルギー供給
源とし、前述の原子力発電開発規模を達成する
ためには、必要となるぼう大な核燃料を安定的
に確保し、その有効利用をはかることがきわめ
て重要である。このため、ウラン資源および濃
縮ウランの確保、核燃料の加工、使用済燃料の
再処理等について、積極的な施策を講じ、経済
的で、かつ、わが国の自主性を確保できるよう
な核燃料サイクルの確立に努める必要がある。
核燃料サイクルの各要素の確立については、原
則的には民間企業が主体となることを期待する
が、原子力が、将来のエネルギー供給を担う国
家的課題であることから、政府も適切な措置を
講ずることが重要である。」
地層処分
「再処理施設から発生する高レベル放射性廃棄
物は、半減期が長く、かつ、高い放射能を有し
ているため環境汚染を防止する見地から、半永
久的にこれを安全に管理することが必要である
ので、安定な形態に固化処理し、一時貯蔵した
のち処分するものとする。高レベル放射性廃棄
物の処理処分の当面の目標としては、固化処理
及び貯蔵については、昭和 60 年代初頭に実証試
験を行うこととし、また処分については、当面
地層処分に重点を置き、調査研究を進め、我が
国の社会的地理的条件に適した処分方法の方向
づけを行い、昭和 60 年代から実証試験を行うこ
ととする。」
(記述なし)
137
計画名
原子力開発利
用長期計画(昭
和 57 年 6 月 30
日原子力委員
会)
高速増殖炉
「高速増殖炉は、発電しながら消費した以上の
核燃料を生成する画期的なものであり、ウラン
資源を最大限に利用し得るので、核燃料の資源
問題を基本的に解決でき、将来の原子力発電の
主流となるものと考えられている。高速増殖炉
としては、プルトニウムとウランの混合酸化物
燃料を用いるナトリウム冷却型炉を対象として
おり、実用化のための信頼性・経済性等の確立
には、なお一層の開発努力を要する。しかしな
がらエネルギーセキュリティ上の意義に鑑み、
出来るだけ早期に実用化されるべきであり、
2010 年頃の実用化を目標に開発を進めることと
する。
このため、実験炉「常陽」の運転等を通じて
蓄積した技術的成果を基に、電気出力 28 万キロ
ワットの原型炉「もんじゅ」を 1990 年頃に臨界
に至らしめるよう早急に建設を進めるものとす
る。
続いて、実用規模の発電プラント技術の実
証・習熟及び性能向上並びに経済性の確立を図
っていく実用化移行段階に移ることになるが、
この段階では、まず原型炉の建設経験等の評価
を十分に反映しつつ、1990 年代初め頃に着工す
ることを目標に実証炉計画を推進し、それ以降
については実証炉の経験を踏まえつつ進めるも
のとする。」
3/8
核燃料サイクル
「使用済燃料から回収されるプルトニウム及び
ウランは、国産エネルギー資源として扱うこと
ができ、この利用によりウラン資源の有効利用
が図れるとともに、原子力発電に関する対外依
存度を低くすることができるので、以下の方針
に沿ってこれらを積極的に利用していくものと
する。
①使用済燃料は再処理することとし、プルト
ニウム利用の主体性を確実なものとする等の
観点から、原則として再処理は国内で行う。
②再処理によって得られるプルトニウムにつ
いては、消費した以上のプルトニウムを生成
することができ将来の原子力発電の主流とな
ると考えられる高速増殖炉で利用することを
基本的な方針とし、2010 年頃の実用化を目標
に高速増殖炉の開発を進める。
③しかしながら、高速増殖炉の実用化までの
間及びそれ以降においてもその導入量によっ
ては、相当量のプルトニウムの蓄積が予想さ
れる。このため、資源の有効利用、プルトニ
ウム貯蔵に係る経済的負担の軽減、核不拡散
上の配慮等の観点から、プルトニウムを熱中
性子炉の燃料として利用する。熱中性子炉と
しては、プルトニウムはもちろん減損ウラン
及び劣化ウランをも燃料として有効かつ容易
に利用できる新型転換炉を発電体系に組み入
れることができるよう開発を進め、さらに、
発電用原子炉として広く利用されている軽水
炉によるプルトニウム利用を図る。この両者
については、いずれもできる限り早期に実用
規模での技術的実証を行うとともに経済的見
通しを得ることが必要であり、1990 年代中頃
までには、その実証を終了し実用化を目指
す。」
再処理
「使用済燃料の再処理は、プルトニウム利用を
進める上でのかなめとして重要であるばかりで
なく、使用済燃料に含まれる放射性廃棄物を適
切に管理・処分するという観点からも重要であ
る。現在のところ、この再処理については大部
分を海外への委託によって対応しているが、再
処理は国内で行うとの原則の下に、既に稼働中
の動力炉・核燃料開発事業団東海再処理工場に
加えて民間再処理工場を建設し、将来の再処理
需要を満たしていくものとする。このため、当
面年間再処理能力 1,200 トンの民間再処理工場
の建設を促進するとともに、さらに将来の需要
の伸びに対応する再処理計画についても今後検
討していくこととする。
東海再処理工場においては、安定した運転実
績を積み重ねるとともに、運転管理システムの
改良、設備の改善等に努めることとする。
現在、民間において 1990 年頃の運転開始を目
途に建設計画が進められている再処理工場は、
自主的な核燃料サイクルを確立する上で重要で
ある。国としても、再処理施設の大型化に対応
するために必要となる再処理主要機器に関する
技術の実証、さらに、プラントの安全性・信頼
性の向上、環境への放射能放出低減化、保障措
置の信頼性向上等に関する技術面における支援
を行うこととする。その際、動力炉・核燃料開
発事業団は、蓄積された再処理技術に関する経
験が同工場の設計、建設及び運転に有効に利用
できるよう円滑な技術移転を図るとともに、技
術開発面における協力を行っていくものとす
る。また、国は、同工場の立地の確保が円滑に
進むよう支援するとともに、資金調達等につい
ても適切な支援を行っていくこととする。」
地層処分
「再処理施設から発生する高レベル放射性廃棄
物については、安定な形態に固化処理し、一時
貯蔵した後処分するものとする。高レベル放射
性廃棄物の固化処理及びこれに伴う一時貯蔵に
ついては、再処理事業者が行い、国は技術の実
証を行うものとする。また、処分については、
長期にわたる隔離が必要であること等から国が
責任を負うこととし、必要な経費については、
発生者負担の原則によることとする。
固化処理及び貯蔵の技術については、研究開
発を進め、1980 年代後半の運転開始を目途にパ
イロットプラントを建設し、これにより処理・
貯蔵技術の実証を行うこととする。
処分技術について、2000 年以降できる限り早
い時期に確立することを目標に地層処分及びこ
れに関連した研究開発を進めるものとし、当面
地層に関する調査・研究、人工バリアに関する
研究等を進めるものとする。」
138
計画名
原子力開発利
用長期計画(昭
和 62 年 6 月 22
日原子力委員
会)
高速増殖炉
「高速増殖炉は、発電しながら消費した以上の
核燃料を生成する画期的な原子炉であり、高速
増殖炉によるプルトニウム利用が本格化すれ
ば、将来的には天然ウランの対外依存を大きく
低減させ、核燃料の資源問題を基本的に解決し
得るものと考えられる。したがって、高速増殖
炉は我が国にとって将来の原子力発電の主流に
すべきものとして、その開発を進めることとす
る。」
「今後は、これまでの研究開発の経験を踏まえ、
発電プラント技術としての実証・習熟及び性能
向上並びに経済性の確立を図っていく実用化移
行段階に移ることとなる。このような段階にお
いて複数の炉の建設・運転経験を経るとともに、
所要の研究開発を積み重ねることにより、軽水
炉と経済性・安全性において競合し得る高速増
殖炉のための技術体系の確立をなし遂げていく
こととし、その確立は、炉の建設期間を含めた
間隔等を勘案し、2020 年代から 2030 年頃を目
指すこととする。」
「原型炉「もんじゅ」については現行の建設計
画に従って、1992 年に臨界に至らしめるよう動
力炉・核燃料開発事業団が、民間の協力を得て、
引き続き建設を進めることとする。
その次の段階である実証炉の開発に当たって
は、我が国全体としての総合的な開発推進計画
の下に、官民の適切な協力を図りつつ進めるも
のとする。同炉の設計・建設・運転には、電気
事業者が主体的役割を果たすこととする。同炉
については実用化までの長期的な展望の下にお
ける一段階として位置付けられるものでなけれ
ばならず、我が国に蓄積された高速増殖炉開発
の成果を十分に反映しつつ、さらに今後の研究
開発の進展を踏まえ、抜本的な合理化設計によ
るプラント概念を固めていく必要があり、この
ような点を考慮して、1990 年代後半に着工する
ことを目標に計画を進めることとする。」
4/8
核燃料サイクル
「軽水炉による原子力発電の自主性の一層の向
上を図るとともに、将来の高速増殖炉を中心と
するプルトニウム利用体系への展開の基盤を形
成するため、以下の方針に従って、核燃料サイ
クルの確立を図ることとする。
①核燃料サイクル分野における民間事業化計
画については、我が国のエネルギーセキュリ
ティを確保していく上で極めて重要であり、
また、自立した産業として確立するためには、
技術的基盤の強化、国際的水準と比肩し得る
経済性の達成、経営基盤の安定等が必要であ
り、官民協調の下に技術の移転、開発及び改
良を進める。
」
「④使用済燃料の再処理は、プルトニウム利用
の自主性を確実なものとする等の観点から原
則として国内で行う。
また、国内における再処理能力を上回る使
用済燃料については、再処理されるまでの間
適切に貯蔵・管理する。
再処理技術については、今後とも研究開発
を進め、我が国における再処理技術の基盤の
強化を図る。
また、海外再処理委託については、内外の
諸情勢を総合的に勘案しつつ、慎重に対処す
る。
再処理工場については、既に稼働中の東海
再処理工場の安定的な運転を進めるととも
に、1990 年代半ば頃の運転開始を目途に計画
が進められている年間再処理能力 800 トンの
民間第一再処理工場の円滑な建設・運転を推
進する。また、民間第二再処理工場について
は、自主的な技術によって、経済性のより優
れたものとして建設されることが重要であ
り、これを達成すべく長期的な視点に立脚し、
2010 年頃の運転開始を目途、研究開発の推進
等各般の施策を総合的に進める。」
再処理
「使用済燃料の再処理は、ウラン資源の有効利
用を進め、原子力発電に関する対外依存度の低
減を図り、原子力によるエネルギー安定供給の
確立を目指す上で極めて重要である。なお、使
用済燃料に含まれる放射性廃棄物の適切な管理
という観点からも重要である。
このため、使用済燃料は再処理し、プルトニ
ウム及び回収ウランの利用を進めることを基本
とし、プルトニウム利用の自主性を確実なもの
とする等の観点から、再処理は国内で行うこと
を原則とする。
国内における再処理能力を上回る使用済燃料
については、再処理するまでの間適切に貯蔵・
管理することとする。
海外再処理委託については、内外の諸情勢を
総合的に勘案しつつ慎重に対処することとす
る。
再処理技術については、核燃料サイクル全般
にわたる総合的な経済性の向上を図り、軽水炉
によるウラン利用に勝るプルトニウム利用体系
を構築していくことを基本に今後とも関連の技
術開発を積極的に進め、できる限り早期に自主
的な技術として、その確立を図るものとする。
できる限り早期に一定規模のプルトニウムリ
サイクルを実現することは、将来の高速増殖炉
時代に必要なプルトニウム利用に係る広範な技
術体系の確立、長期的な核燃料サイクルの総合
的な経済性の向上等の観点から重要であり、こ
のため、既に稼動中の動力炉・核燃料開発事業
団の東海再処理工場の安定的な運転を進めると
ともに、1990 年代半ば頃の運転開始を目途に青
森県六ケ所村において計画が進められている年
間再処理能力 800 トンの民間第一再処理工場の
円滑な建設・運転を推進することとする。
民間第二再処理工場については、今後のプル
トニウム需要動向等を勘案し、その具体化を進
めることとするが、同工場は、自主的な技術に
よって経済性のより優れたものとして建設され
ることが重要であり、これを達成すべく、長期
的視点に立脚し、2010 年頃の運転開始を目途に、
技術開発の推進等を総合的に進めるものとす
る。」
地層処分
「再処理施設において使用済燃料から分離され
る高レベル放射性廃棄物は、安定な形態に固化
した後、30 年間から 50 年間程度冷却のための
貯蔵を行い、その後、地下数百メートルより深
い地層中に処分する(以下「地層処分」という。)
ことを基本的な方針とする。」
「高レベル放射性廃棄物の地層処分は、これま
での「有効な地層の選定」
(第 1 段階)の成果を
踏まえ、今後、
「処分予定地の選定」
(第 2 段階)、
「処分予定地における処分技術の実証」
(第 3 段
階)及び「処分施設の建設・操業・閉鎖」(第 4
段階)という 4 段階の手順で進める。」
「高レベル放射性廃棄物の処分が適切かつ確実
に行われることに関しては、国が責任を負うこ
ととし、この一環として、国は、今後の研究開
発及び調査の進展状況を見極めた上で、処分事
業の実施主体を適切な時期に具体的に決定する
こととする。その際、実施主体としての責任の
所在が明確であり、かつ、その責任が長期にわ
たり継続されること、研究開発及び調査の成果
が活用されること、効率的な運営が行われるこ
と等に十分配慮することとする。」
139
計画名
原子力の研究、
開発及び利用
に関する長期
計画(平成 6 年
6 月 24 日原子力
委員会)
高速増殖炉
「高速増殖炉は、発電しながら消費した以上の
核燃料を生成することができる原子炉であり、
軽水炉などに比べてウラン資源の利用効率を飛
躍的に高めることができることから、将来的に
核燃料リサイクル体系の中核として位置付けら
れるものです。エネルギー資源に乏しい我が国
としては、高速増殖炉を相当期間にわたる軽水
炉との併用期間を経て将来の原子力発電の主流
にしていくべきものとして、その開発を計画的
かつ着実に進めていくこととします。」
「今後、実用化までに建設される 2 基の実証炉
において革新的技術、大出力化に必要な技術な
どを実証することにより軽水炉並みの建設費を
達成していくこととします。また、革新的技術
の開発状況はもとより、円滑な技術の継承等も
勘案しつつ、適切な間隔で実証炉 1 号炉、これ
に続く実証炉 2 号炉の建設を進め、燃料サイク
ル技術の開発と整合性をとりつつ 2030 年頃ま
でには実用化が可能となるよう高速増殖炉の技
術体系の確立を目指していきます。
」
「原型炉「もんじゅ」については、性能試験を
着実に進め、1995 年末の本格運転を目指します
が、その後も高速増殖炉技術を確立するための
試験データを取得するとともに原型炉としての
運転実績を積み重ね、その安全性、信頼性等を
実証していきます。さらに、炉心性能等の向上
を図り、得られる成果を実証炉以降の高速増殖
炉開発に反映していきます。
実証炉 1 号炉は、電気出力約 66 万 kW とし、
ループ型炉の技術を発展させたトップエントリ
方式ループ型炉を採用するとともに、経済性を
向上し実用化を展望できる新たな革新的技術を
積極的に取り入れることとします。同炉は、こ
れらの開発の見通しや原型炉「もんじゅ」の運
転実績の反映等を考慮して、2000 年代初頭に着
工することを目標に計画を進めることとし、電
気事業者は、必要な技術開発を進めるとともに、
その着工に向けての所要の準備を進めるものと
します。」
5/8
核燃料サイクル
「エネルギー資源に恵まれない我が国が、将来
にわたりその経済社会活動を維持、発展させて
いくためには、将来を展望しながらエネルギー
セキュリティの確保を図っていくことが不可欠
です。化石エネルギー資源と同様にウラン資源
も有限であり、軽水炉利用を中心としてこのま
ま推移すれば 21 世紀半ば頃にもウラン需給が
逼迫することも否定できません。このため、使
用済燃料を再処理して、回収したプルトニウム、
ウランなどを再び燃料として使用する核燃料リ
サイクルの実用化を目指して着実に研究開発を
進めることによって、将来のエネルギーセキュ
リティの確保に備えます。核燃料リサイクルは、
資源や環境を大切にし、また放射性廃棄物の処
理処分を適切なものにするという観点からも有
意義であり、将来を展望して着実に取り組んで
いきます。
具体的には、発電しながら消費した以上の核
燃料を生成し、ウラン資源の利用効率を飛躍的
に高めることができる高速増殖炉を、相当期間
にわたる軽水炉との併用期間を経て将来の原子
力発電の主流とすることを基本とし、原型炉か
ら実証炉へと研究開発の段階を歩みながら 2030
年頃までには実用化が可能になるよう高速増殖
炉による核燃料リサイクルの技術体系の確立に
向けて官民協力して継続的に着実に研究開発を
進めていきます。また、将来の高速増殖炉時代
に必要なプルトニウム利用に係る広範な技術体
系の確立、長期的な核燃料リサイクルの総合的
な経済性の向上等を図っていくという観点か
ら、一定規模の核燃料リサイクルを実現するこ
とが重要であり、商業規模の再処理工場の建設、
運転経験を蓄積するとともに既存の軽水炉と新
型転換炉による核燃料リサイクルの実現を図っ
ていきます。
」
再処理
「使用済燃料の年間発生量は、2000 年、2010 年、
2030 年において、それぞれ 800~1000 トン、1000
~1500 トン、1500~2300 トンと予想されます
が、我が国は、使用済燃料は再処理し、回収し
たプルトニウムやウランを利用することを基本
としており、核燃料リサイクルの自主性を確実
なものとするなどの観点から、再処理を国内で
行うことを原則とします。なお、海外再処理委
託については、国内外の諸情勢を総合的に勘案
しつつ、慎重に対処することとします。
東海再処理工場は、安定運転を進め、六ケ所
再処理工場の操業開始まで再処理需要の一部を
賄うとともに、同工場の操業開始以降は、軽水
炉 MOX 使用済燃料、新型転換炉使用済燃料、
高速増殖炉使用済燃料等の再処理のための技術
開発の場として活用していきます。
現在建設中の六ケ所再処理工場(年間処理能
力 800 トン)については、2000 年過ぎの操業開
始を目指すこととし、その順調な建設、運転に
より商業規模での再処理技術の着実な定着を図
っていきます。
民間第二再処理工場は、核燃料リサイクルの
本格化時代において所要の核燃料の供給を担う
ものとして重要な意義を持っています。同工場
は、六ケ所再処理工場の建設・運転経験や国内
の今後の技術開発の成果を踏まえて設計・建設
することを基本とし、軽水炉 MOX 燃料等も再
処理が可能なものとするとともに優れた経済性
を目指すこととします。その建設計画について
は、プルトニウムの需給動向、高速増殖炉の実
用化の見通し、高速増殖炉使用済燃料再処理技
術を含む今後の技術開発の進展等を総合的に勘
案する必要があり、六ケ所再処理工場の計画等
を考慮して、2010 年頃に再処理能力、利用技術
などについて方針を決定することとします。」
地層処分
「高レベル放射性廃棄物は、安定な形態に固化
した後、30 年間から 50 年間程度冷却のための
貯蔵を行い、その後、地下の深い地層中に処分
すること(以下「地層処分」といいます。)を基
本的な方針とします。」
「処分場の建設・操業の計画は、処分場建設に
至るまでに要する期間や再処理計画の進展など
の今後の原子力開発利用の状況等を総合的に判
断して、2030 年代から遅くとも 2040 年代半ば
までの操業開始を目途とします。」
140
計画名
原子力の研究、
開発及び利用
に関する長期
計画(平成 12
年 11 月 24 日原
子力委員会)
高速増殖炉
「先進国の中でも特に際だったエネルギー資源
小国である我が国は、エネルギーの長期的安定
供給に向けて資源節約型のエネルギー技術を開
発し、日本及び世界における将来のエネルギー
問題の解決を目指し、その技術的選択肢の確保
に取り組んでいくことが重要である。高速増殖
炉サイクル技術はそのような技術的選択肢の中
でも潜在的可能性が最も大きいものの一つとし
て位置付けられる。
また、高速増殖炉サイクル技術は、プルトニ
ウム、マイナーアクチニド等多様な燃料組成や
燃料形態に柔軟に適用し得るという技術的特徴
を有している。このことから高レベル放射性廃
棄物中に残留する潜在的危険性の高い超ウラン
元素の量を少なくすることにより、廃棄物問題
の解決にも貢献し得ると考えられる。」
「原型炉「もんじゅ」は我が国における高速増
殖炉サイクル技術の研究開発の場の中核として
位置付け、早期の運転再開を目指す。」
「「もんじゅ」は、高速増殖炉の将来の研究開発
にとって国際的にも貴重な施設であり、
「もんじ
ゅ」及びその周辺施設を国際協力の拠点として
整備し、内外の研究者に開かれた体制で研究開
発を進め、その成果を広く国の内外に発信する
ことが重要である。長期的には、実用化に向け
た研究開発によって得られた要素技術等の成果
を「もんじゅ」において実証するなど、燃料製
造及び再処理と連携して、実際の使用条件と同
等の高速中性子を提供する場として「もんじゅ」
を有効に活用していくことが重要と考えられ
る。また、マイナーアクチニドの燃焼や長寿命
核分裂生成物の核変換等に関するデータを幅広
く蓄積する上からも「もんじゅ」の役割は重要
である。」
「高速増殖炉の実証炉については、実用化に向
けた研究開発の過程で得られる種々の成果等を
十分に評価した上で、具体的計画の決定が行わ
れることが適切であり、実用化への開発計画に
ついては実用化時期を含め柔軟かつ着実に検討
を進めていく。」
6/8
核燃料サイクル
「原子力発電は現在、我が国のエネルギー供給
システムを経済性、供給安定性及び環境適合性
に優れたものとすることに貢献しているが、核
燃料サイクル技術は、これらの特性を一層改善
し、原子力発電を人類がより長く利用できるよ
うにする可能性を有する。例えば、使用済燃料
を直接処分せず、再処理してプルトニウムとウ
ランを回収して燃料として利用する技術は、高
いレベルの放射能を有する物質を化学処理して
プルトニウム等を分離するという特徴を踏まえ
た安全管理及び核物質管理が可能な設備が必要
となるため所要設備投資が大きくなるが、ウラ
ン資源の消費を節約することができ、安定供
給に優れているという原子力発電の特性を一層
改善させる。したがって、我が国がおかれた地
理的、資源的条件を踏まえれば、安全性と核不
拡散性を確保しつつ、また、経済性に留意しな
がら、使用済燃料を再処理し回収されるプルト
ニウム、ウラン等を有効利用していくことを基
本とすることは適切である。また、高速増殖炉
及び関連する核燃料サイクル技術(以下、
「高速
増殖炉サイクル技術」という。)は、ウランの利
用効率を飛躍的に高めることができ、将来実用
化されれば、現在知られている技術的、経済的
に利用可能なウラン資源だけでも数百年にわた
って原子力エネルギーを利用し続けることがで
きる可能性や、高レベル放射性廃棄物中に長期
に残留する放射能を少なくして環境負荷を更に
低減させる可能性を有するものであり、不透明
な将来に備え、将来のエネルギーの有力な選択
肢を確保しておく観点から着実にその開発に取
り組むことが重要である。」
「プルサーマルは、ウラン資源の有効利用を図
る技術であるとともに、原子力発電に係る燃料
供給の代替方式であり、燃料供給の安定性向上
の観点から有用で、将来の核燃料サイクル分野
における本格的な資源リサイクル時代に備えて
その産業基盤や社会環境を整備することにも寄
与すると考えられる。海外では既に 1980 年代か
ら利用が本格化されており、我が国でも国内で
の基礎研究や 1980 年代後半から実用炉で行わ
れた実証試験の成果等を踏まえて、2010 年まで
に累計 16 から 18 基において順次プルサーマル
を実施していくことが電気事業者により計画さ
れており、実現の緒についたところである。」
再処理
「我が国においては、軽水炉の使用済燃料はこ
れまで、核燃料サイクル開発機構の東海再処理
施設に委託された一部を除いて、海外の再処理
事業者に委託され再処理されてきた。この間に、
民間事業者は、国内におけるその需要の動向等
を勘案し、核燃料サイクル開発機構の東海再処
理施設の運転経験を踏まえつつ、海外の再処理
先進国の技術、経験を導入して、六ヶ所再処理
工場を計画し、現在、2005 年の操業開始に向け
て建設を進めている。
我が国は、核燃料サイクルの自主性を確実な
ものにするなどの観点から、今後、使用済燃料
の再処理は国内で行うことを原則としており、
民間事業者は、我が国に実用再処理技術を定着
させていくことができるよう、この我が国初の
商業規模の再処理工場を着実に建設、運転して
いくことが期待される。なお、この再処理工場
や中間貯蔵の事業が計画に従って順調に進捗し
ていく限り、海外再処理の選択の必要性は低い
と考えられる。」
「六ヶ所再処理工場に続く再処理工場は、これ
らの研究開発の成果も踏まえて優れた経済性を
有し、ウラン使用済燃料の再処理を行うだけで
なく、高燃焼度燃料や軽水炉使用済 MOX 燃料
の再処理も行える施設とすることが適当と考え
られるが、さらに、今後の技術開発の進捗を踏
まえて、高速増殖炉の使用済燃料の再処理も可
能にすることも考えられる。したがって、この
工場の再処理能力や利用技術を含む建設計画に
ついては、六ヶ所再処理工場の建設、運転実績、
今後の研究開発及び中間貯蔵の進展状況、高速
増殖炉の実用化の見通しなどを総合的に勘案し
て決定されることが重要であり、現在、これら
の進展状況を展望すれば、2010 年頃から検討が
開始されることが適当である。」
地層処分
「放射性廃棄物のうち、放射能の濃度が比較的
高く、かつ半減期の長い放射性物質が多く含ま
れるものについては、この放射能が生活環境に
影響を及ぼさないよう安全性を長期にわたって
確保することが必要である。このため、廃棄物
からの放射性物質の漏出抑制を目的とする人工
バリアを設けた上で、天然バリアとなる数百メ
ートル以深の安定した地下に埋設する「地層処
分」を実施する。」
「我が国では、再処理で使用済燃料からプルト
ニウム、ウラン等の有用物質を分離した後に残
存する高レベル放射性廃棄物は、安定な形態に
固化した後、30 年から 50 年間程度冷却のため
の貯蔵を行い、その後地層処分をすることとし
ている。現在、既にガラス固化された高レベル
放射性廃棄物の貯蔵が青森県六ヶ所村で開始さ
れており、
「特定放射性廃棄物の最終処分に関す
る法律」に基づき策定された「特定放射性廃棄
物の最終処分に関する計画」
(2000 年 10 月 2 日)
によれば「平成 40 年代後半を目途に最終処分を
開始する」とされている。」
「高レベル放射性廃棄物以外にも、地層処分が
必要な放射性廃棄物が存在する。これらの放射
性廃棄物は、その性状が多様であるため、高レ
ベル放射性廃棄物処分研究開発の成果も活用し
つつ、合理的な処分に向けて、その多様性を踏
まえた処理及び処分に関する技術の研究開発
を、発生者等が密接に協力しながら推進するこ
とが重要である。」
141
計画名
原子力政策大
綱(平成 17 年
10 月 11 日原子
力委員会)
高速増殖炉
「高速増殖炉については、軽水炉核燃料サイク
ル事業の進捗や「高速増殖炉サイクルの実用化
戦略調査研究」、「もんじゅ」等の成果に基づい
た実用化への取組を踏まえつつ、ウラン需給の
動向等を勘案し、経済性等の諸条件が整うこと
を前提に、2050 年頃から商業ベースでの導入を
目指す。なお、導入条件が整う時期が前後する
ことも予想されるが、これが整うのが遅れる場
合には、これが整うまで改良型軽水炉の導入を
継続する。」
「高速増殖炉サイクル技術は、長期的なエネル
ギー安定供給や放射性廃棄物の潜在的有害度の
低減に貢献できる可能性を有することから、こ
れまでの経験からの教訓を十分に踏まえつつ、
その実用化に向けた研究開発を、日本原子力研
究開発機構を中核として着実に推進するべきで
ある。具体的には、研究開発の場の中核と位置
付けられる「もんじゅ」の運転を早期に再開し、
10 年程度以内を目途に「発電プラントとしての
信頼性の実証」と「運転経験を通じたナトリウ
ム取扱技術の確立」という所期の目的を達成す
ることに優先して取り組むべきである。その後、
「もんじゅ」はその発生する高速中性子を研究
開発に提供できることを踏まえ、燃料製造及び
再処理技術開発活動と連携して、高速増殖炉の
実用化に向けた研究開発等の場として活用・利
用することが期待される。その具体的な活動の
内容については、その段階までの運転実績や「実
用化戦略調査研究」の成果を評価しつつ計画さ
れるべきである。これらの活動には国際協力を
活用することが重要であるから、
「もんじゅ」及
びその周辺施設を国際的な研究開発協力の拠点
として整備し、国内外に開かれた研究開発を実
施し、その成果を国内外に発信していくべきで
ある。」
7/8
核燃料サイクル
「我が国における原子力発電の推進に当たって
は、経済性の確保のみならず、循環型社会の追
究、エネルギー安定供給、将来における不確実
性への対応能力の確保等を総合的に勘案するべ
きである。そこで、これら 10 項目[安全性、技
術的成立性、経済性、エネルギー安定供給、環
境適合性、核不拡散性、海外の動向、政策変更
に伴う課題、社会的受容性、選択肢の確保]の視
点からの各シナリオの評価に基づいて、我が国
においては、核燃料資源を合理的に達成できる
限りにおいて有効に利用することを目指して、
安全性、核不拡散性、環境適合性を確保すると
ともに、経済性にも留意しつつ、使用済燃料を
再処理し、回収されるプルトニウム、ウラン等
を有効利用することを基本的方針とする。使用
済燃料の再処理は、核燃料サイクルの自主性を
確実なものにする観点から、国内で行うことを
原則とする。
国は、核燃料サイクルに関連して既に「原子
力発電における使用済燃料の再処理等のための
積立金の積立て及び管理に関する法律」等の措
置を講じてきているが、今後ともこの基本的方
針を踏まえて、効果的な研究開発を推進し、所
要の経済的措置を整備するべきである。事業者
には、これらの国の取組を踏まえて、六ヶ所再
処理工場及びその関連施設の建設・運転を安全
性、信頼性の確保と経済性の向上に配慮し、事
業リスクの管理に万全を期して着実に実施する
ことにより、責任をもって核燃料サイクル事業
を推進することを期待する。それら施設の建
設・運転により、我が国における実用再処理技
術の定着・発展に寄与することも期待する。」
「我が国においては、使用済燃料を再処理し、
回収されるプルトニウム、ウラン等を有効利用
するという基本的方針を踏まえ、当面、プルサ
ーマルを着実に推進することとする。」
再処理
「使用済燃料は、当面は、利用可能になる再処
理能力の範囲で再処理を行うこととし、これを
超えて発生するものは中間貯蔵することとす
る。中間貯蔵された使用済燃料及びプルサーマ
ルに伴って発生する軽水炉使用済 MOX 燃料の
処理の方策は、六ヶ所再処理工場の運転実績、
高速増殖炉及び再処理技術に関する研究開発の
進捗状況、核不拡散を巡る国際的な動向等を踏
まえて 2010 年頃から検討を開始する。この検討
は使用済燃料を再処理し、回収されるプルトニ
ウム、ウラン等を有効利用するという基本的方
針を踏まえ、柔軟性にも配慮して進めるものと
し、その結果を踏まえて建設が進められるその
処理のための施設の操業が六ヶ所再処理工場の
操業終了に十分に間に合う時期までに結論を得
ることとする。
国は、中間貯蔵のための施設の立地について
国民や立地地域との相互理解を図るための広
聴・広報活動等への着実な取組を行う必要があ
る。事業者には、中間貯蔵の事業を着実に実現
していくことを期待する。」
地層処分
「高レベル放射性廃棄物の地層処分について
は、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法
律」に基づき、2030 年代頃の処分場操業開始を
目標として、概要調査地区の選定、精密調査地
区の選定及び最終処分施設建設地の選定という
3 段階の選定過程を経て最終処分施設が建設さ
れる計画である。地方公共団体が NUMO による
「高レベル放射性廃棄物の最終処分施設の設置
可能性を調査する区域」の公募に応募する際に
は、当該地域において処分場の設置が地域社会
にもたらす利害得失や最終処分事業の重要性に
ついての住民の十分な理解と認識を得ることが
重要である。このためには、実施主体である
NUMO だけではなく、国及び電気事業者等も、
適切な役割分担と相互連携の下、地方公共団体
をはじめとする全国の地域社会の様々なセクタ
ー及び地域住民はもとより、原子力発電の便益
を受ける電力消費者の理解と協力が得られるよ
うに、創意工夫を行いながら、現在の取組を強
化すべきであり、さらに、それら活動の評価を
踏まえて新たな取組を検討するなど、それぞれ
の責務を十分に果たしていくことが重要であ
る。」
「低レベル放射性廃棄物のうち超ウラン核種を
含む放射性廃棄物(以下「TRU 廃棄物」という。
)
の中には地層処分が想定されるものがある。地
層処分が想定される TRU 廃棄物を高レベル放
射性廃棄物と併置処分することが可能であれ
ば、処分場数を減じることができ、ひいては経
済性が向上することが見込まれる。このため、
国は、事業者による地層処分が想定される TRU
廃棄物と高レベル放射性廃棄物を併置処分する
場合の相互影響等の評価結果を踏まえ、その妥
当性を検討し、その判断を踏まえて、実施主体
のあり方や国の関与のあり方等も含めてその実
施に必要な措置について検討を行うべきであ
る。」
142
エネルギー基
本計画(平成 26
年 4 月閣議決
定)
8/8
核燃料サイクル
再処理
「核燃料サイクルについては、特に青森県に国策に協力するとの観点から、ウラン濃縮施設、再処
理工場、低レベル放射性廃棄物埋設を三点セットで受け入れていただいたこと、海外再処理廃棄物
を一時貯蔵・管理のため受け入れていただいてきたこと等の負担をお願いしてきた。これらの協力
については、重く受け止めなければならない。また、これまでの使用済核燃料等の受け入れに当た
っては、核燃料サイクルは中長期的にぶれずに着実に推進すること、青森県を地層処分相当の放射
性廃棄物の最終処分地にしないこと、再処理事業の確実な実施が著しく困難となった場合には、日
本原燃は使用済核燃料の施設外への搬出を含め、速やかにかつ必要かつ適切な措置を講ずることと
いった約束をしてきた。この約束を尊重する必要がある。青森県を最終処分地にしないとの約束は
厳守する。他方、国際社会との関係では核不拡散と原子力の平和利用という責務を果たしていかな
ければならない。こうした国際責務を果たしつつ、引き続き従来の方針に従い再処理事業に取り組
みながら、今後、政府とし青森県をはじめとする関係自治体や国際社会とコミュニケーションを図
りつつ、責任を持って議論する。」
「バックエンドに関する事業については、民間任せにせず、国も責任を持つ。」
「放射性廃棄物を適切に処理・処分し、その減 「核燃料サイクル政策については、これまでの経緯等も十分に考慮し、関係自治体や国際社会の理
容化・有害度低減のための技術開発を推進する。 解を得つつ、再処理やプルサーマル等を推進するとともに、中長期的な対応の柔軟性を持たせる。」
具体的には、高速炉や、加速器を用いた核種変 「我が国は、資源の有効利用、高レベル放射性廃棄物の減容化・有害度低減等の観点から、使用済
換など、放射性廃棄物中に長期に残留する放射 燃料を再処理し、回収されるプルトニウム等を有効利用する核燃料サイクルの推進を基本的方針と
線量を少なくし、放射性廃棄物の処理・処分の している。
核燃料サイクルについては、六ヶ所再処理工場の竣工遅延やもんじゅのトラブルなどが続いてき
安全性を高める技術等の開発を国際的なネット
た。このような現状を真摯に受け止め、これら技術的課題やトラブルの克服など直面する問題を一
ワークを活用しつつ推進する。」
「もんじゅについては、廃棄物の減容・有害度 つ一つ解決することが重要である。その上で、使用済燃料の処分に関する課題を解決し、将来世代
の低減や核不拡散関連技術等の向上のための国 のリスクや負担を軽減するためにも、高レベル放射性廃棄物の減容化・有害度低減や、資源の有効
際的な研究拠点と位置付け、これまでの取組の 利用等に資する核燃料サイクルについて、これまでの経緯等も十分に考慮し、引き続き関係自治体
反省や検証を踏まえ、あらゆる面において徹底 や国際社会の理解を得つつ取り組むこととし、再処理やプルサーマル等を推進する。
具体的には、安全確保を大前提に、プルサーマルの推進、六ヶ所再処理工場の竣工、MOX 燃料
的な改革を行い、もんじゅ研究計画に示された
研究の成果を取りまとめることを目指し、その 加工工場の建設、むつ中間貯蔵施設の竣工等を進める。また、平和利用を大前提に、核不拡散へ貢
ため実施体制の再整備や新規制基準への対応な 献し、国際的な理解を得ながら取組を着実に進めるため、利用目的のないプルトニウムは持たない
ど克服しなければならない課題について、国の との原則を引き続き堅持する。これを実効性あるものとするため、プルトニウムの回収と利用のバ
ランスを十分に考慮しつつ、プルサーマルの推進等によりプルトニウムの適切な管理と利用を行う
責任の下、十分な対応を進める。」
とともに、米国や仏国等と国際協力を進めつつ、高速炉等の研究開発に取り組む。」
東日本大震災後の原子力政策
計画名
高速増殖炉
革 新 的 エ ネ ル 「「もんじゅ」については、国際的な協力の下で、
ギー・環境戦略 高速増殖炉開発の成果の取りまとめ、廃棄物の
(平成 24 年 9 減容及び有害度の低減等を目指した研究を行う
月 14 日エネル こととし、このための年限を区切った研究計画
ギ ー ・ 環 境 会 を策定、実行し、成果を確認の上、研究を終了
する。」
議)
2.
「高レベル放射性廃棄物については、国が前面
に立って最終処分に向けた取組を進める。」
「廃棄物を発生させた現世代の責任として将来
世代に負担を先送りしないよう、高レベル放射
性廃棄物の問題の解決に向け、国が前面に立っ
て取り組む必要がある。
高レベル放射性廃棄物については、ⅰ)将来
世代の負担を最大限軽減するため、長期にわた
る制度的管理(人的管理)に依らない最終処分
を可能な限り目指す、ⅱ)その方法としては現
時点では地層処分が最も有望である、との国際
認識の下、各国において地層処分に向けた取組
が進められている。我が国においても、現時点
で科学的知見が蓄積されている処分方法は地層
処分である。他方、その安全性に対し十分な信
頼が得られていないのも事実である。したがっ
て、地層処分を前提に取組を進めつつ、可逆性・
回収可能性を担保し、今後より良い処分方法が
実用化された場合に将来世代が最良の処分方法
を選択できるようにする。
このような考え方の下、地層処分の技術的信
頼性について最新の科学的知見を定期的かつ継
続的に評価・反映するとともに、幅広い選択肢
を確保する観点から、直接処分など代替処分オ
プションに関する調査・研究を推進する。あわ
せて、処分場を閉鎖せずに回収可能性を維持し
た場合の影響等について調査・研究を進め、処
分場閉鎖までの間の高レベル放射性廃棄物の管
理の在り方を具体化する。」
地層処分
「直接処分の研究に着手する。」
「国が関連自治体や電力消費地域と協議をする
場を設置し、使用済核燃料の直接処分の在り方、
中間貯蔵の体制・手段の問題、最終処分場の確
保に向けた取組など、結論を見出していく作業
に直ちに着手する。」
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