2015年12月6日礼拝説教

ひとりのみどりご
イザヤ書7章14節、9章6節~7節
2015年12月6日(日)礼拝説教
皆さん、お早うございます。
今週は、イエスさまの、ご降誕を準備するアドベントの第二主日礼拝と、なっております。
先週の、アドベント第一主日礼拝では、私たちは、聖霊によって妊娠させられてしまった、イエスさまのお母さまのマ
リヤが、その誰にも理解してもらえない、気持ちを、叔母さんのエリサベツにぶつけに行き、お腹の中の赤ちゃん同
士の、初対面となって、エリサベツと、お腹の中のバプテスマのヨハネとが、マリヤのお腹の中にいたイエスさまを、
喜び踊って賛美したということを、学びました。その後、マリヤは、3ヶ月ほど、エリサベツと暮らして、家に帰ったと、
ルカの福音書1章56節に記されております。
この、イエスさまの、ご降誕の、およそ、700年前、イエスさまのご降誕は、預言者イザヤによって、預言されて、お
ります。旧約聖書は、最初から最後までイエスさまを指し示し、預言した、みことばとなっているのですが、中でも、
このイザヤによる預言が、一番、はっきりとした、預言となっておりますので、今日は、このイザヤ書の、7章14節、
それと、9章6節と7節とを、紐解きながら、旧約聖書に預言されている、イエスさまの、ご降誕に、ついて、ご一緒に、
学んでまいりたいと、存じます。
最初に、ひとこと、お祈りさせて、いただきます。
父なる神さま、御子イエスさま、聖霊なる神さま。アドベントの、第二主日礼拝に、私たちを、招いてくださいまして、
本当に、ありがとうございました。この礼拝を通して、どうぞ、あなたさまの御名前が、崇められ、あなたさまの御栄
光が、現れますように、お祈りいたします。感謝して、イエスさまの、尊い、御名前によって、お祈りいたします。
アーメン。
イザヤ書7章14節。
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。
そして男の子を産み、その名を、『イムマヌエル』 と名づける。
‶イムマヌエル″とは、イスラエルの人々の言語であるへブル語の、‶イムマヌ″すなわち、‶私たちとともにおられ
る″という、言葉と、‶エル″すなわち、‶神は″という言葉の、二つの言葉によって、構成されております。
この、みことばには、四つの意味が、含まれて、おります。
第一は、‶人に対して、明らかにされた神″という意味です。イエスさまが、完全な人間となって、私たちの住む、
この世界に、私たちの、肉眼の、この目で見えるかたちで、やって来てくださったために、私たちにとっては、目には
見えなかった神さまが、明らかに、見えるようになったのだ、という意味です。
第二は、‶人と同じになられた神″という、意味です。神さまが、天にいらっしゃるだけであるならば、私たちにとって
は、余り、縁の無い、実感の乏しい、遠い、存在と、なってしまいます。その神さまが、私たち人間と同じになられて、
私たちと同じ肉体を持って、私たちの住む、この世界にやって来てくださったために、私たちは、神さまに触れ、
神さまの声を、聴くことが出来るように、なりました。
第三に、‶人と共に行かれる神″という意味です。イエスさまを、私たちの主また救い主として信じて、私たちの心の
中に、お迎えした瞬間、イエスさまは、私たち、ひとり、ひとり、全員に、もれなく、‶イエスさまに在って歩む、いの
ち″である、‶永遠のいのち″を、プレゼントして、くださいました。この、‶永遠のいのち″の道を歩んでいる時、イ
エスさまは、いつでも、私たちと共に、私たちに寄り添って、歩み続けていてくださるのです。
第四に、‶永遠の現在であられる方″という、意味です。天地創造の以前から、存在し続けていてくださる、イエスさ
まは、きのうも、今日も、いつまでも、変わることのない御方であられるのです。
赤ちゃんが生れるのは、お父さんとお母さんの夫婦生活の賜物なのだと、私たちは、小学生の頃から、教えられて
おりますので、そうではない、妊娠が、あり得るのか、どうか、私たちは、疑問に、思ってしまうのかも、しれません。
でも聖書は、ここで、明確に、イエスさまは、通常の男女の関係からではなく、聖霊によって、妊娠させられたのだと、
証言しております。創世記24章16節を開いて見ますと、イサクの奥さまになる、リベカが、‶処女で、男が触れたこ
とがなかった″と表現されておりまして、だから、そういう女性を、日本語で表現すると‶処女″と訳されている、わ
けなのです。実際の表現は、‶若い女性で、男が、触れたことがなかった″という表現となっているのです。
マリヤの場合には、もう、始めから、‶処女″‶アルマー″という表現が使われておりまして、この表現は、旧約聖書
全体の中で、合計9回だけしか使われていない、貴重な、特別の表現となっているのです。よく考えてみますと、生
き物に、いのちを吹き込み、生き物から、いのちを取り去る者は、誰なのか、現代の技術や知識を集めてみても、誰
も、答えられないわけなのですから、処女懐妊が、あり得るとか、あり得ないとか、いくら議論してみても、絶対に、
結論には、至らないのです。私たちの、なすべきことは、ただ、信仰をもって、完全な神さまで、あられるイエスさま
が、完全な人間となって、私たちの住む、この世界に、やって来てくださったのだ、という事実を、信仰を持って、受
け留めるか、どうか、だけのことなのです。
イザヤ書9章6節。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はそ
の肩にあり、その名は 「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」 と呼ばれる。
イエスさまには、四つの御名前が、与えられております。
第一は、‶不思議な助言者″です。‶不思議″という言葉の意味は、‶超自然的な″という意味です。私たち人間の、
ちっぽけな頭の中で考えられるようなレベルを、はるかに、超えた、知恵をもって、イエスさまは、私たちに、助言を
与えてくださいます。まだ、現役のサラリーマンであった頃、私は、にっちも、さっちも、行かなくなってしまった時に
は、いつも、トイレの中に駆け込んで、必死に、イエスさまに、お祈りしたものでした。そうすると、トイレから出て来
た時、不思議と、落ち着いて来て、考えられ得る、ベストの対応を、とることが、出来たものです。
第二は、‶力ある神″です。イエスさまは、超自然的な、勇気を持っておられる御方です。それは、イエスさまの中に、
本質的な、神さまのご性質があるからなのです。‶全能の神″という、神さまの特性を、イエスさまは、始めから、備
えておられるのです。
第三は、‶永遠の父″です。聖書の中で、‶永遠の″という言葉が使われる場合には、それは、二つの内容を指して
おります。時間的な永遠と、空間的な永遠です。‶時間的な永遠″は、始めの特定も、終りの特定もなく、ずっと、ず
っと、いつまでも、ということです。‶空間的な永遠″は、この宇宙の、どこにでも、おられる、ということです。
イエスさまは、時間の制限を超え、空間の制限を超えて、私たちを見守り続けていて、くださって、おられるのです。
第四は、‶平和の君″です。‶平和″、‶シャローム″ということは、戦争がなく、争いごとがなく、豊かで、調和のと
れた、積極的な幸福を意味しております。万物の創造者としてのイエスさまの恵みは、無限なのです。
イザヤ書9章7節。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正
義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げ
る。
このみことばを、復活の主・イエスさまの預言であると、理解してまいりましょう。
イエスさまの主権、それが、‶神の国″の中身です。その、‶神の国″における、イエスさまの主権が、加えに、加え
られて行く。イエスさまのシャロームはイスラム国の暴虐に戦々恐々としている世界に限りなく近付いて来ている。
イエスさまが着座し、治め、堅く立てていて、くださっておられるのは、‶さばきと正義″という、神さまの本質によっ
て、支えられて、いるのです。その、イエスさまが着座し、治め、堅く立てていてくださる、神の国の到来を、私たちに、
告げ知らせるのが、クリスマスなのです。神の国は、今より、とこしえまでも、絶えることなく、着実に拡張されて行く
のです。その原動力となっているのは、万軍の主の熱心、すなわち、父なる神さま、御子イエスさま、聖霊なる神さ
まの協同作業が、これを成し遂げる、原動力となって、いるのです。
私たち人間には、どうしようもないと、感じてしまうことの方が、多い、昨今では、ありますが、失望しないで、力を失
うことなく、復活の主・イエスさまだけに、目を注いで、歩み続けて、まいりましょう。
お祈りさせていただきます。
父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。御言葉を、ありがとうございました。あなたの、ご栄光を、賛美いた
します。イエスさまの、ご降誕を、お祝いする準備を整える、アドベントの、第二主日礼拝の、この時、私たちを取り
巻く世界は、イスラム国の暴虐への不安や、地球温暖化に伴う、様々な、自然災害への恐怖に、戦々恐々と、いた
しております。その恐怖の全ての原因が、私たち自身の内側、あなたに背を向けて歩みたくなってしまうという、私
たちの罪の性質の中にあることを、残念に、感じます。でも、それだからこそ、イエスさまの十字架による贖いが必
要であったのだ、という、事実に、気付く時、私たちは、もうひとたび、あなたの御前に、跪いて、祈ります。
イエスさま、どうぞ、私たちの住む、この世界に、もう一度、私たちの肉眼の、この目で見えるかたちで、いらしてくだ
さい。感謝して、イエスさまの、尊い、御名前によって、お祈りいたします。
アーメン。