【高志学舎便り・第三号】 《おことわりーー当ホームページにアクセスした方々に》 1. 本【高志学舎便り・第三号】に掲載の、下記の小論(「広中法学に おけるーー」:以下、本・小論と称する)の、執筆の経緯と、それ を本ホームページに掲載する趣旨(その結果さらに、前号で掲載・ 予告した「新疆――」の紀行文のⅡ以下の続編は、次号以降に繰 り下げ掲載となる理由)は、以下の通りである: 小生の学生時代の恩師にして助手時代の指導教官(東北大学法 学部教授)であった、故広中俊雄先生[1926.10.23-2014.2.24] への追悼文集への投稿の呼びかけに応えて執筆した原稿は、あれ これ書いている間に、制限枚数が 10 倍以上(!)にもなり、か つ追悼文集としてはいささかその趣旨に合わないのではーーとの 忠告もあり、結局その『追悼文集』には、それを極度に圧縮・修 正したものを、掲載していただくことにしたのであるが、ただ小 生としては、あくまでも、(「師―弟」という日本的な上下のしが らみを引きずる追悼文ではなく)学問という「ザッヘ」 (事柄)の みに即した、その様な意味でまさに(故広中先生が論文等でよく 用いられた)ザッハリッヒな学問的献呈文集という意味でのオマ ージュ、つまり、単に先生の学問的業績の「光」 (つまり、積極的 に評価し、発展的に継承さるべき)の部分だけではなく、その「蔭」 の部分(つまり、後進のわれわれが主体的に批判・克服すべき部 分)をも公平明確に書き分けたようなものでなければ、小生の研 究者としての真意はつたわらない、すくなくとも、上記・文集へ の寄稿者中の大学関係者・研究者の方々にだけでも、その真意を 伝えたい、との思いから、そのための次善の手段として、本NP Oのホームページのコラム【高志学舎便り】に、その第三号とし て、先生の一周忌(偲ぶ会)の開催される本日 3 月 8 日を期して 本・小論を掲載し、事務局にお願いして、少なくも閲覧希望者は アクセスできるよう、その旨アナウンス方等での便宜を図ってい ただいた、という次第である*。 * な お 、上 記・追 悼 文 集 に 小 生 が 寄 稿 し た 原 稿 お よ び 上 記・他 の 関 係 寄 稿 者 へ の・上 記 ア ナ ウ ン ス の 文 章 を 、参 考 ま で に 、こ の《 お こ と わ り 》 の 項 の 最 後 に【 参 考・そ の 1 】と し て コ ピ ー・ペ イ ス ト し て お い た の 1 で、適宜参照いただければ幸いである。 なお、当NPO自体の設立の趣旨(とくに、その「高志学舎」 というネーミングにこめた「思い」)にかんしては本ホームページ 上の他の関連文書からもある程度ご理解いただけるものと思うが、 本・小論を、他ならぬ・そのコラム【高志学舎便り】に、敢えて 掲載する趣旨については、さしあたってそれは上記のような次第 での「次善の便宜」というほかはないが、ただ、そこに込めた小 生個人の・より深い思いとしては、なによりも、 (以下の本稿全体 からも、すくなくとも心ある方々にはお汲み取りいただけると信 じる)先生の・あの「高志」、および、(その驥尾に付しての、し かし、あまりにも非力な)小生なりの「高志」とを、省察・検証・ 披瀝する場としても、当ホームページはかえって相応しい場かも しれない(すくなくとも、小生のいう「高志」の中味をご理解い ただく一助にはなるのではないか)、と考えたからでもある*。 * な お 、当 N P O の 設 立 趣 旨 、と く に「 高 志 」と い う ネ ー ミ ン グ に 込 め た 思 い 等 に か ん し て は 、 あ ら た め て 、 別 途 、「 3 . 1 1 」 4 周 年 を 記 念 し て( た だ し 、例 に よ っ て 、そ の 3・1 1 か ら は 数 ヶ 月 遅 れ で 、し か し ー ー そ の「 高 志 」と も 、個 人 的 思 い と し て は 、深 く 関 連 す る つ も り の・か の吉田松陰の生涯を一個のテーマとするーー現在放映中のNHK大河 ド ラ マ 「 花 燃 ゆ 」 が あ ま り 進 み す ぎ な い う ち に ! )、 本 ホ ー ム ペ ー ジ 上 で そ の「 初 志 」確 認 の 意 味 も 兼 ね て 、当【 高 志 学 舎 便 り 】で 、再 記 し た いと考えている。 な お ま た 、本・小 論 は 、上 述 の よ う に 、少 な く と も 第 一 次 的 に は 、故 ・ 広 中 先 生 と 交 流 の あ っ た( 法 学 )研 究 者 な い し 大 学 関 係 者 を 名 宛 人 と し て 想 定 し て 発 表 さ れ る( た だ し 、本 格 的 研 究 論 文 と は 言 い か ね る 段 階 で の 、い わ ば そ の 準 備 の た め の )研 究 ノ ー ト・研 究 覚 書 と し て の 意 味 を も つ も の で あ る が 、同 時 に ま た 後 述 の よ う に 小 生 個 人 の「 自 分 史 」の 一 章 と し て の 意 味 を も 同 時 に 持 た ざ る を え な い も の と も な っ て い て 、広 中 先 生 と の 学 生 時 代 以 来 の 個 人 的 交 流 の エ ピ ソ ー ド 的 思 い 出 や 、人 間 く さ い 「 ボ ヤ キ 節 」等 も ふ く め 、随 所 で 、い さ さ か 個 人 的 心 情 吐 露 の 場 と も な らざるを得ない仕儀となった。 ― ― 而 し て 最 後 の 点 に つ い て は 、 実 の と こ ろ 、「 ネ ッ ト 媒 体 な る が ゆ え に 、紙 媒 体 よ り は 、な ぜ か 、い さ さ か 伸 び 伸 び と「 思 い の た け 」が 吐 露 で き る 故 で は な い か ー ー 」と い う 感 じ が 、し な い わ け で は な い 。そ し て ま た 、ネ ッ ト 媒 体 を 通 し て 、こ の よ う に 、準 学 術 的 内 容 の 文 章 を 社 会 2 的 に 発 信 す る と い う 試 み は 、小 生 に と っ て 始 め て の 経 験 で も あ っ て 、現 役 時 代 以 来 、紙 媒 体 = ア ナ ロ グ 文 化 と ネ ッ ト 媒 体 = デ ジ タ ル 文 化 の 端 境 期 に 遭 遇 し て 、後 者 を 習 得 し 慣 れ る た め に 四 苦 八 苦 の 辛 酸 を 舐 め て き た 小 生( そ し て 今 な お 舐 め 続 け て い る 小 生 )と し て は 、今 回 も い ろ い ろ と 新 た な 発 見・勉 強 の 連 続 で あ っ た が 、そ れ を 通 し て の さ し あ た っ て 現 時 点 で の 正 直 な 実 感 を( 何 を い ま さ ら ー ー と い わ れ る の を 覚 悟 で )一 点 だ け 述 べ れ ば 、 そ れ は 要 す る に 、 こ の ネ ッ ト 媒 体 = デ ジ タ ル 文 化 は 、( そ の 蔭 の 部 分・負 の 部 分 さ え あ る 程 度 ク リ ア ー で き れ ば )伝 統 的「 活 字 = 紙 媒 体 」主 体 の 出 版・ジ ャ ー ナ リ ズ ム文 化 の 、あ の「 権 威 主 義 と 商 業 主 義 」( さ ら に 言 え ば 、 膨 大 な 資 源 浪 費 文 化 ) と の 悪 し き 結 合 ( つ ま り 、 「 有 名 」で な け れ ば 作 品 を 公 表 で き な い 、逆 に 、売 れ る も の な ら 何 で も 活 字 に し て 出 版 = 流 通 に 載 せ る 、「 価 値 あ る ゆ え に 必 要 と さ れ る も の の み を 最 低 コ ス ト で 供 給 す る 」と い う 出 版 文 化 の 基 本 理 念 か ら す れ ば ほ と ん ど 真 逆 の 現 実 )と い う(こ の ー ー 無 名 で 、か つ「 売 れ な い 」こ と し か で き な い ! ー ー 老 研 究 者 た る 小 生 な ど も 、研 究 成 果 の 発 表 方 法 等 に つ き 、 か ね が ね 苦 々 し い・嫌 な 思 い を す る こ と が 少 な く な か っ た )こ の 国 の 一 個 の 文 化 的 病 理 現 象 を 、名 も な き 一 市 民 で も 克 服 し て い け る 突 破 口 に な り う る の で は な い か 、ネ ッ ト 文 化 が 、上 記 の 意 味 で悪 し き 支 配 的 体 制 的 文 化 の 構 造 を 変 革 し て い く( 少 な く と も 一 個 の )契 機 に な り う る の で は な い か 、そ の 意 味 で も そ れ を 健 全 に 守 り 育 て て い く こ と こ そ 大 事 な の で はないか、という率直な感想をもったということである。 2.全体構成と掲載の順序等: 本・小論「広中法学――」は、上記・追悼文集のための原稿の段階で は、その本論部分を、「光」と「蔭」をそれぞれ対応させる形で三つの 項目に分けて、分説する形式をとり(下記【参考・その1】参照)、か つ、その・当ホームページへの掲載は、当初の計画では、それら三つの 項目と「始めに」「終わりに」を含めた全体を、文字通り「一挙掲載」 する予定であった。しかし、まず、前者の「形式」ということに関して は、「光」と「蔭」を一対一で対応させることは、内容的ないし論理的 に無理であり妥当ではないことが分かり、むしろ「光」の部分と「蔭」 の部分はそれぞれまとめて分説することとし、かつ、それぞれ、その「光」 と「蔭」をひとつづつ増やすこととした。また、後者の「一挙掲載の計 画」に関しては、とくにその「蔭」の部分にかんして、なお慎重な検討 を重ねる必要を感じ、今回の自主締切日(上記 3 月 8 日)に間に合わせ ることは無理と判断し、二ヶ月ほどのインタバルを置いて 5 月連休明け 3 に掲載、ということに変更した(さらに以上の本文の補遺・訂正を兼ね ての「終わりに」と【参考・その2「わが秩序論―構想」】は、その 2 ヶ月後の 7 月上旬ということとしたい) ――以上の変更のうち、と くに、「蔭」の部分の完成・公表を今回は見送ったことについては、要 するに、他人の学問的業績・作品の評価においては、賞めることは(そ れが、「お世辞」やその他の、何らかの学問外的動機にでるものかどう かに関わらず、概して一般に)容易であるーーむろん、人は誰を誉める かで、その評者自身の見識如何が問われるものであること、まさに広中 先生が身をもってその峻厳な範を示してくれたように思うーーが、他方、 それを批判することは(その批判の対象が恩師である場合にはなお更の こと)しかく簡単なことではなく、誉める場合以上に、その評者自身の 見識の深浅・高低・鋭鈍(?)如何が試されるこというまでもなく、小 生としても慎重にならざるを得なかった、という次第である*。 * な お 、 ( 上 述 の よ う に 標 題 も ふ く め )本・小 論 で「 光 」―「 蔭 」と い う 言 葉 は 、 あ く ま で も 、積 極 的 に 評 価 す べ き 点 と 、後 進 と し て 批 判 的 主 体 的 に 継 承・克 服 す べ き 点 と い う 程 度 の 、意 味 で あ っ て 、そ れ 以 上 に 何 等 か の 特 別 の 価 値 判 断 的 意 味 は な い つ も り で あ っ て( と く に 後 者 の 「 蔭 」 と い う 言 葉は 、 一 般 に 何かそうした含みをもって受け止められる可能性なきにしもあらずである だ け に 、 こ の 点 は 強 調 し て お き た い と 思 う )、 む し ろ ど ち ら か と い え ば 、 レ ト リ カ ル に 対 を な し て 使 わ れ る こ と が 多 い と い う イ デ オ ム 的 慣 例 を 、こ こ で も ー ー 単 に 便 利 の 故 に 、し か し や や 換 骨 奪 胎 的 に ー ー 借 用 し た に 止 ま る も の である。 3.なお、本欄・前号(【高志学舎便り・第二号】)に掲載した「新疆ウィ グル自治区探訪記」では、そのⅡ以降にかんしては、Ⅱは本号、Ⅲは第 四号に、それぞれ連載する旨、予告したわけであるが、以上のように本・ 小論を本号に割り込ませ、かつそれもⅡ以降の続編を連載することした 関係上、計画を変更し、当面は、本・小論と「新疆――」とを一号ごと 交互に掲載することとした次第である。その結果、全く位相・内容の違 う二つの記事を交互に、何回かに分けて連載する、ということになり、 少なくとも読んでいただく方の身になってみれば、いささか不親切極ま りない措置――ということになることは、否定できない。それもこれも、 生来の(完璧主義的性向も加わっての)遅筆にくわえ、他にも研究・教 養・趣味(ただし、後二者ともに、小生にとっては、とりもなおさず、 わが「秩序論」というライフワークのための一環という感じであるがー ー)のためにとられる時間も依然として少なくなく(ためにまた、現役 4 時代よりも一層忙しく、しかし、自分の好きなことに自由に自分の時間 を投入できる分、現役時代よりははるかに精神的充実感・満足感をもっ てこれらに従事し、とはいえ)、 「年々寄る年波ゆえの」体力的限界(病 院通いも定常的スケジュウルのうち!)ということも否定できず、あれ やこれやの事情で、かかる不親切な仕儀となってしまったこと、ご理解 賜りたいと思う。 なお、それ以外にも、本欄には、適宜、その時々のカレント・イッシ ュウと思われる問題をとりあげて、当NPOの設立趣旨に関連させるか たちで、可能な限り問題提起的・話題喚起的な(それゆえに時として毒 をふくんだような、すくなくとも、当たり障りのない、足して二でわっ たような退屈な論議の類とは、一線を画したような)社会的メッセージ を発する、というような趣旨での・簡単な「時論的エッセー」、さらに は簡単な(脱線的調査の過程での)「研究余滴」的な情報等も執筆・提 供することも考えたい*(また、すでに本欄に掲載した分についても、 その後の取得情報とか思考の進化深化をふまえ、時宜をはずさぬ程度の タイミングで、適宜、追加・修正等の文章を加えることも予定している ーーたとえば、第一号の「ユウトピア」ないし「夢」の話題との関連で は、現在、NHK朝ドラで放映中の「マッサン」は、「夢」を追い続け ることの大切さ、そして同時に大変さ、ということを教えているという 意味でも、そして何よりも小生自身、今まさに最も感動して見ている(お そらくは唯一の)番組という意味でも、本欄・第一号への「追加」とし て、賞味期限があまり過ぎないうちに、取り上げたいと考えている)。 そしてそれらのやや肩の凝らない話題の提供等をつうじて、――どうし ても硬派的学術的な内容に傾きがちな本ホームページにもーー多様な 世代・立場の方からのアクセスがふえ、かつ、議論・意見交換ができる ことを期待したい。 * 現 時 点 で 取 り 上 げ た い と 考 え て い る 時 論 的 テ ー マ と し て は 、( 思 い つ く ま ま ア トランダムに掲記すれば)たとえば以下のようなテーマがある: ・本 年 =「 敗 戦 記 念 70 周 年 」記 念 を 契 機 と し た 、小 生 な り の「 戦 争 体 験 」な い し「 戦 後 体 験 」の「 総 括 」、ひ い て ま た 、戦 争 と 平 和 の 問 題 、憲 法 の 問 題 、さ らには「歴史観・歴史認識」の問題など; ・ 45 年 体 制 、 そ れ と 直 接 つ な が る 1868 年 = 明 治 維 新 レ ジ ー ム の 批 判 的 総 括 ・民主主義は果たして絶対的にまもるべき価値・制度か;一般に国家・集団の 統治構造はどうあるべきかーー思考実験的問題提起; 5 ・平等とはなにか、達成すべき平等とは、そして、それは如何にして達成可能 か? ・未来世代、子ども世代を守るとはどういうことか?子どもが置かれている制 度的社会的現実と理想とは? ・ 志 と は な に か ? ( こ れ は 上 記 の よ う に 、 現 在 N H K 大 河 ド ラ マ 「 花 燃 ゆ 」 の 吉田松陰の思想と行動との関連でも、そして何よりも当「高志学舎」のネー ミ ン グ と の 関 連 で も 、 少 な く と も 本 年 中 に は 採 り 上 げ た い テ ー マ で あ る 。) * そ の 他 、採 り 上 げ た い と 考 え て い る( わ が )「 秩 序 論 」上 の 基 礎 理 論 的 メ タ 理 論 的研究ノートとしては(思いつくままアトランダムに掲記すれば)たとえば 以下のようなテーマがある(文献・研究会ないしテレビ番組等からの情報等 の 簡 単 な 紹 介 と そ れ へ の 小 生 の 簡 単 な 感 想 ・ コ メ ン ト 等 ): ・宗 教・民 族 は 21 世 紀 に も 生 き 残 る( べ き )か ? す く な く と も 脱・宗 教 は 邪 説 または空論か? ・ [数 学 ― 天 文 学 ・ 物 理 学 ・ 化 学 等 の 自 然 科 学 ― 生 物 学 ]と [人 類 学 ― 歴 史 学 ― 経 済 学 ― 社 会 学 ― 法 学 ― 倫 理 学 ]等 に お け る「 秩 序 」な い し「 法 則 」 ( 論・観 )と の比較・対照; ・ 言 語 に お け る 「 秩 序 」 と は 何 か ? ・ グ ロ ー バ ル 化 時 代 に お け る あ る べ き 経 済 秩 序 と は ? ・ 21 世 紀 の 家 族 秩 序 、 そ れ と 関 連 し て 21 世 紀 の あ る べ き 親 子 関 係 ・ 男 女 関 係 等は? ・ 無 政 府 主 義 ( ア ナ ー キ ズ ム ) は 絶 対 的 に 排 斥 す べ き 原 理 主 義 的 悪 か ? ・ ユ ウ ト ピ ア 小 説 ・ 風 刺 小 説 ・ 怪 奇 小 説 等 の 非 現 実 的 作 品 か ら わ れ わ れ は 何 を 積極的に汲み取るべきか? 4.まとめ(今後の掲載予定・順位): 上記2および3をまとめて当面(本年 7 月まで)の・本欄の掲載予定 記事は以下の通りとなる(掲載時期は毎月、原則として月末となるが、 本号がまさにそうであるように、一週間ほどの遅れは大目にみていだく こととする;なお、上記・時論的エッセー等は、適宜纏まり次第――た だし時宜を失しない程度のタイミングでーー掲載): 3 月 末 : 第 四 号 :「 新 疆 ― ― 」 Ⅱ ( 旅 の 前 の ・ 個 人 的 問 題 意 識 ); 5 月 G W 明 け : 第 五 号 :「 広 中 ― ― 」 Ⅱ (「 蔭 」); 5 月 末 : 第 六 号 :「 新 疆 ― ― 」 Ⅲ ( 旅 の 後 の ・ 若 干 の 情 報 収 集 の 取 り ま と め と そ の コ メ ン ト 等 ); 6 月 末:第 七 号:「 広 中 ― ― 」Ⅲ(「 最 後 に ー ー 若 干 の 個 人 的 思 い 、補 遺・訂 正 等 6 も 兼 ね て 」)お よ び【 参 考・そ の 2:わ が「 秩 序 論 」 構 想 】; 7 月 末 : 第 八 号 :「 新 疆 ― ― 」 Ⅳ ( 最 後 に ー ー 若 干 の 個 人 的 思 い 、 追 加 ・ 訂 正 等 も か ね て ); ――――――――――――――――――― 【参考・その1】『広中俊雄先生追悼文集』への・小生の寄稿文原稿: 広中法学における光と蔭―― 若 干 の「 自 分 史 」的 エ ピ ソ ー ド・感 懐 を も 交 え つ つ: Ⅰ:「光」・その1:《マルチ》性: いまあらためて、先生の書き残されたものや業績目録等を一覧して、そのお仕事 全体の特徴として、 ( 小 生 な ら ず と も )誰 し も が 認 め ざ る を 得 な い こ と 、そ れ は 、 (大 別 し て ) 三 つ の 大 き な 活 動 領 域 に 亘 る (「 超 人 的 な 」 と で も い う べ き )「 マ ル チ 性 )」 と い う こ と で あ る:す な わ ち 、い う ま で も な く ま ず 、( 法 律 学 )研 究 者 お よ び 教 育 者 としての、それぞれにおけるマルチな業績ということであり、さらにはあの「大学 紛争」のなかでの学内行政面での活躍があげられよう。第一の点についてやや具体 的には、民法学(契約法・不動産賃貸借法をはじめとする「法解釈学」上の個別論 点+「民法綱要」という形での体系構想提示)+法史(契約法史+日本民法典編纂 過程史+その一環としての史料発掘・資料整備等)+法社会学的研究(とくに警察 ないし刑事司法、裁判過程を中心とする法過程研究、その他の法社会学的実態・文 献等調査等)+(法学ないし歴史学研究における)方法論研究等々、とくに今日の 法律学界の専門分化された現状をみるにつけても、そのことだけでもまさに驚異的 な「マルチ」的仕事ぶり、といえよう。 Ⅰ´:「蔭」・その1:《マルチ》ゆえの綻び しかしまた同時に、上記のようなマルチ性=戦線拡大は、以下のような「弱点・綻び」をもたら すことともなったように思われる:つまり、現象的・量的には、 『著作集』の編集、 『綱要』の公刊、 史料整備・公刊等が、業半ばに終わってしまったということであり、また、内容的・ 「質的」には、 7 上記・法学内部でのマルチな諸業績における、全体の理論的統合の面での問題性・限界(とくに、 警察・刑事司法研究と民事法関連研究との関連づけ)、 「認識」としての理論的営為(歴史研究およ び法社会学的研究)と「評価・判断」としての理論的営為(とくに実定法解釈学的提言作業)との 関 係 に つ い て の 方 法 論 的 問 題 点 、『 綱 要 』 = 体 系 構 想 に お け る 準 備 不 足 ・ 掘 り 下 げ 不 足 な い し 理 論 的混乱等の、問題点である。 Ⅱ:「光」・その2:ぶれない明快さ: 広 中 法 学 の 第 二 の 特 筆 す べ き 特 徴 は 、「( そ の 抜 群 の 「 本 質 直 感 能 力 」 と も い う べ き眼力をもって)社会的学問的課題・問題点の本質的核心を見抜き、その「本質」 と み ず か ら 信 じ る も の を 、( 法 史 な い し 法 社 会 学 的 )理 論 作 業 と( 実 定 法 解 釈 学 的 お よび大学人としての)実践活動の、双方において、ぶれることなく、かつ極めて明 晰 な 分 析 力 、明 快 な 表 現 力 を も っ て 、具 体 化 し 貫 徹 し た 」、そ の よ う な 意 味 で の「 ぶ れ な い 明 快 さ 」、と い う こ と に 存 す る よ う に 思 わ れ る 。や や 具 体 的 に は 、 (歴史研究・ 法 社 会 学 研 究 お よ び 法 解 釈 論 的 実 践 に お け る 統 導 的 価 値 基 準 と し て の )「 近 代 主 義 」 の 堅 持 ・ 貫 徹 、( 法 解 釈 学 な い し 法 社 会 学 的 研 究 に お け る )「 権 力 批 判 ・ 権 力 統 制 の 学」という基本的スタンスの堅持・貫徹、法解釈学一般にたいする学問的(低)価 値評価、それと裏腹の、歴史研究ないし法社会学的研究にたいする拘り、の一貫し た姿勢、学問研究における厳しいまでに一貫した批判的論争的スタンスと、大学教 育に対する貴族主義的古典的スタンスの堅持ということである。 Ⅱ´「蔭」・その2:その「ぶれない明快さ」の蔭に潜む陥穽: こ れ は と く に 、 上 記 「 近 代 主 義 」( と く に 「 近 代 国 家 パ ラ ダ イ ム 」 な い し そ の も と で の 「 近 代 法 パ ラ ダ イ ム 」、 さ ら に は そ の 背 景 ・ 基 礎 に あ る 歴 史 哲 学 ・ 歴 史 観 な い し 人 間 ・ 社 会 観 ) に 関 し て で あり、周知のように、すでに「ポスト・モダン」論をはじめとして、種々の「近代(主義)批判」 が、論壇や学界等で積み重ねられており、而してそれはまた小生自身にとっても今後の宿題として 残されているものでもある。 Ⅲ: 「光」 ・その3: 「即事主義(Sachlichkeit)」的スタンスーーその・法 律学ヴァージョンとしての「実定法主義ないし実証主義」的志向性 こ こ で 「 即 事 主 義 」 と い う の は 、 も と も と は 広 中 先 生 が 、 借 地 借 家 関 係 論 考 等 に お い て 用 い た 法 解 釈 的 提 言 の な か で の 、そ の 形 容 詞 的 用 法 た る「 ザ ッ ハ リ ッ ヒ 」を 、 いささか換骨奪胎した小生なりの名詞的造語のつもりであって、それは要するに、 一定の知的分析・創造的作業において、みずからの当面する作業課題・目標・目的 (「 ザ ッ へ 」) に 即 し 、 あ く ま で も そ の 地 平 ・ 次 元 ・ 座 標 軸 に お い て の み 、 そ の 検 討 対象を限定・設定し、その際の基礎的認識・判断枠組み(さしあたりそれを「パラ ダ イ ム 」と 呼 ぼ う )を 構 成 し よ う と す る 思 考 的 ス タ ン ス・傾 向 を 指 す こ と ば で あ り 、 具体的に広中法学にあってはそれは、 (概念法学や利益考量法学的方法論とは一線を 画した)学問的特色としての、実定法の・可及的一義的に明確な裁判基準としての 解釈論的提示をつうじての裁判統制(これを仮に広中法学的「実定法主義」と呼ぶ 8 こととする)に定位した法解釈学方法論・実作(立法過程・立法趣旨等の沿革重視 の方法論的方向性もその方向で位置づけることができよう)として、相応の達成度 を示しているものと評価されうるものである。 Ⅲ´「蔭」・その3:(とくに)「実定法主義」的パラダイムの限界・問題点 上記のように、広中法学の一つの特色としての、「実定法主義」的志向は、「パラダイム的限界」 (端的にいえば、実定法的地平への局せきという限界)を伴わざるを得なかったように思われる。 そしてその限界が残念ながら如実に露呈されたのが、(私見を遠慮なく披瀝するとすれば)『綱要』 における(痛ましい、とすら形容しうるような)欠陥・失敗であったように思う。 ( 以下の・いわ ば『綱要』批判の部分も、やや専門的な論議に深入りせざるを得ず、また上記小生自身の・「秩序 論」等の理論・体系構想を基礎・背景とした批判とならざるを得ない、等、追悼文としての本分 を逸脱する内容のものでもあり、そして何よりも、制限字数内に収めなくてはーーとの至上命題 のもと、全面カットさせていただくこととする。) ―――――――――――――――――――――――― Ⅳ。最後にーーとくに、指導教官としての広中先生の親切(感謝とお詫び の言葉)と不親切(若干の恨み節)、本追悼文集寄稿者への個人的お願い: ・最 後 に 、小 生 と し て は 、か つ て 小 生 の よ う な 一 介 の 学 生に ま で 注 い で く れ た 数 々 の温かい目、その後、助手から二つの大学を経て北大に転任するまでに先生に とっていただいた犬馬の労、その他折あるごとに感じた、小生の学問研究への 温かい見守りの目に、今あらためて、一個の人間としての感謝の念を表明した い。と同時にまた、本稿を含めて、その配慮の目・労に報いるどころか、いつ までも不肖・不遜・不礼の生徒でしかありえない小生へのご海容のお願いをせ ざるをえない。 ・他方でまた、先生は、学問内在的には、指導教官としては、厳しく突き放され ることが多く、小生としては、せめて右も左も分からずに大海原に投げ出され たような感じの修業時代には、もう少し、親切かつ適切なアドバイスが欲しか った、すくなくともその後の余計な回り道・ムダをせずに済んだかもしれない ( ま さ に「 あ ら ま ほ し き は 先 達 」)と 思 う こ と も あ る だ け に 、そ う 感 じ る の で あ る )。 ・な お 、本 稿 の も と に な っ た 原 稿 は 、事 務 局 か ら の 五 割 増 と い う 制 限 字 数 の 特 別 許 可 を も は る か に ( 13 倍 も ! ) 超 過 す る 分 量 と な っ た 。 そ し て 、 そ の 制 限 字 数 ま で 極 度 に 圧 縮 し た の が 、本 稿 で あ る 。小 生 と し て は 、す く な く と も 、本 追 悼 文 集 に 寄 稿 さ れ 本 稿 に も 目 を 通 し て い た だ い た 方 に は 、そ こ で の 小 生 の( 縮 刷 版 で は 到 底 伝 わ ら な い )真 の 意 図 を ご 理 解 い た だ く た め に も 、是 非 、そ の 元 の 原 稿 を 見 て い た だ き た い と 考 え 、そ の た め の 次 善 の 策 と し て 、 ( 3.11 を 契 機 と し て 小 生 が 中心となって昨年 1 月に立ち上げた)NPO法人「高志学舎」の下記ホームペ ー ジ * ( に 連 載 中 の ・ 小 生 か ら の 発 信 ツ ー ル と し て の 「 高 志 学 舎 便 り 」) に 、 遅 9 く と も 上 記『 追 悼 文 集 』が 発 刊 さ れ る 予 定 の 一 周 忌 に は 間 に 合 う よ う に ア ッ プ す る こ と に し た 次 第 で す 。ま た 、イ ン タ ネ ッ ト を や っ て お ら れ な い 方 で 元 の 原 稿 を 読 ん で み た い と い う 方 に は 、そ の 旨 、下 記・小 生 の 住 所 * あ て お 葉 書 を い た だ け ば 、上 記 ネ ッ ト に ア ッ プ し た 完 全 原 稿 を コ ピ ー の う え 、そ れ を 当 方 か ら 郵 送 す る ( 切 手 代 当 方 負 担 )、 と い う 方 法 を と る こ と に し た 次 第 で す 。 *上記「高志学舎」の、ホームページはwww.koshi-net.jp メールアドレスは [email protected] です。また小生宛のお葉書は「001-0905 札幌市新琴似 5 条6丁目 1-1」宛お願いします。 ―――――――――――――――――――――――――――― 広中法学における「光」と「蔭」 ―― 若 干 の「 自 分 史 」的 エ ピ ソ ー ド ・ 感 懐 を も 交 え つ つ 、わ が「 研 究 ノ ー ト 」の 一部として: (その1――0:はじめに;Ⅰ:「光」) 2 01 5 年 3 月 8 日 東 海 林 邦 彦 @ 札幌 0.はじめに: 0-1:本稿の、基本的趣旨・位置づけ、および、執筆にあたっての小生 自身の基本的スタンス、など: ・ 本稿は、いうまでもなく、第一次的にはあくまでも、故広中俊雄先生 の遺された学問的業績につき、その「光」として評価・継承すべきも のと、その「蔭」の部分として批判・克服されるべきもの、と小生な りに考えるところを、あくまでも、現時点での、かつーーその内容や 体裁(文献の引用は原則省略)ともに、本格的研究論文とは言いかね る段階でのーー「研究ノート」的小論として、整理・記録し、かつ(上 記のような趣旨で)インタネット上にそれを発表しようとするもので ある。つまり、すくなくとも小生にとって、広中先生と広中法学を語 ることは、とりもなおさず同時に、わが 20 代以降の・研究者(職業と しての学問)としての人生とわが学問研究じたいの軌跡(ひいてそれ はとりもなおさず、良かれ悪しかれ、わが人生の主要な部分の軌跡そ のものでもある)を振り返り、総括し、ひいて、それを、後に残され た者としての・残りわずかの今後の・わが研究生活に前向きに活かそ うとすることにつながるものでもあり、そのような意味で本稿は、 (上 10 記のような意味での広中法学の批判的総括のための小論であると同時 に、それを通してまた)小生個人の今後の研究のための研究覚書的意 味をもつものでもある。 ・ と同時にまた、 (わずかな期間とはいえ)小生自身の・学生のとき以来 の広中先生との・直接間接の交流のなかで接し得た、先生をめぐる(先 生個人だけではなく、その周囲のひとびとの)・あれこれの(その様な 意味では、小生にとっての「自分史」的思い出でもある)「思い出」話 は、エピソード的なものもふくめ、今後、広中法学の学説史的検証と いう学問的作業をしていく際に、 (先生によって書き残された、少なか らぬ論稿をはじめとする文献だけでは伝わらない)学説史的資料とし て、記録として遺しておく何らかの価値があるのではないか、すくな くとも、個人的な自分史の箱の中に留めずに、学界の共有財産として 遺す、何らかの意義があるのではないか、と考え、本稿の関連箇所で 適宜、そうした「思い出」話を挿入することとした*。 さらにまた、本稿全体をつうじて、小生が広中法学(の「光」と「蔭」) を見る場合の・その小生の視点なり問題意識の根底・背景には、当然 のことながら、小生個人の(良かれ悪しかれ、文字通りの意味におい て)掛け替えのない(その出生から今日にいたるまでの、時空的環境 に制約された)「自分史」的背景があることは否定できない以上、以 下の・小生なりの「広中法学論」を読んでいただくかたの・そのより 深い「テクスト解釈」の一助としてーーいささか公衆のまえで自らの 「裸」を晒すごとき恥を忍んでーー関連する限りでの・上記「自分史」 的背景をも書き込むこととした次第である。 ――以上二つの意味でも本稿は、小生個人にとって、小生にとって の(2000年正月から挑戦し始め、その翌年の 3.11 で中断したまま になっている)「自分史」のなかの一章を構成するいう意味を荷うも のでもある。そして一般的にも、死者を語ることは、死者自身が語る のでない以上、とりも直さず、語ろうとする・その話者自身を語るこ とにほかならぬということ**、当然のことながら、今回あらためて 自覚的に思い知らされた次第である。 * す く な く と も 、 学 生 時 代 の 恩 師 で も あ り 、 わ が 学 問 研 究 上 の 指 導 教 官 で あ っ た 広 中 先 生 と 小 生 と の 間 の 、あ る 特 定 の 期 間 の 、学 問 研 究 上 の 指 導 ― 被 指 導 と い う 特 定 の 局 面 に お い て は 、そ れ な り に 固 有・独 自 の 交 流 関 係 が 存 在 し て い た こ と も 確 か で あ り 、而 し て そ れ に つ い て 小 生 が ど う 考 え ど う 感 じ て い た か を 、記 録 と し て 残 さ ぬ か ぎ り 第 三 者 に は 知 り え な い ま ま に 永 遠 に 忘 却 の 彼 方 に 消 え 去 っ て し ま う で あ ろ う 。す く な く と も 、 11 そ の こ と を 文 書 と し て ま と め 記 録 し 残 す こ と を 通 じ て 、広 中 法 学 の 一 つ の 見 方 を 後 世 に 残 す こ と に( と く に 将 来 、よ り 本 格 的 な 形 で の 学 説 史 が 書 か れ る と す れ ば 、そ の 際 の 基 礎 的 資 料 の 一 部 と し て の )一 定 の 学 問 的 意 義・価 値 が あ る の で あ れ ば 、そ の 限 り で 、本 稿 は 、単 に 個 人 的 内 面 的 な 追 悼 と い う 行 為 と い う 意 味 を 超 え て 、な ん ら か の 客 観 的 か つ 公 的 な 意 味 を も ち う る で あ ろ う 。本 稿 で の 個 人 的 エ ピ ソ ー ド は な に よ り も 、そ う し た 意 味・趣 旨 に お い て 位 置 づ け ら れ 意 図 さ れ た も の で あ り 、し た が っ て、 「 人 間 広 中 」と い う す ぐ れ て 個 人 的 で 主 観 的 内 面 的 な 側 面 で は な く 、 あ く ま で も「 広 中 法 学 」と い う 学 問 的 に 対 象 化 さ れ 客 観 化 さ れ た 側 面 で の 追 悼 文 を 主 眼 と す る も の で あ る こ と 、を 了 解 い た だ け れ ば 幸 い で あ る ー ー そ も そ も 広 中 先 生 の 人 間 的 側 面 な ど 、極 く わ ず か の 期 間 、生 徒・助 手 と し て 接 し た に 過 ぎ な い 小 生 に な ぞ 、語 る 資 格 は な い と い う ほ か な く 、 ま た そ の 場 で も な い が 、 し か し 又 、「 ○ ○ 法 学 」 と か い っ て も 、 一 般 的 に も 、そ の 学 問 作 業 を 遂 行 し 担 っ た 生 身 の 人 間 と し て の 個 人 史 と 切 り 離 し て 語 る こ と は 、で き な い こ と も 事 実 で( 一 般 論 と し て も 小 生 は と く に 最 近 、上 記 自 分 史 に 取 り 組 ん で み て あ ら た め て 、国 家 や そ の 他 の「 大 集 団」の歴史だけでは、歴史の全体は見えてこないこと、すくなくとも、 地 域 史 と か 個 人 史 と か の レ ベ ル ま で 降 り て み る こ と の 重 要 性 を 、遅 ま き な が ら 痛 感 し て い る )、 こ の こ と は 、 と く に 広 中 先 生 の よ う に 優 れ て 個 性 的 で 、あ る 種 強 烈 な 人 間 く さ さ を も っ て い た 先 生 に あ っ て は 、と り わ け 妥 当 す る 程 度 が 高 い と お も わ れ る だ け に 、ど う し て も 、そ う し た 人 間 的 側 面( し か し 、あ く ま で も 上 述 の よ う な 限 界 の あ る 意 味 で の・小 生 な り の 目 か ら 見 た 、そ れ )に も あ る 程 度 は 言 及 せ ざ る を 得 な い こ と 、ご 了 承 い た だ け る も の と 考 え る( 最 後 の 点 は 、と く に「 Ⅲ 終 わ り に 」の 中 で 、「 指 導 教 官 と し て の 広 中 先 生 ― ― そ の 親 切 と 不 親 切 」 と い う 形 で 、 あ る 程 度 率 直 に 個 人 的 感 慨 を 述 べ さ せ て い た だ い た )。 * * も と も と 、親 し い も の の 死 に 接 し て 、そ の 死 を 悼 む と い う 行 為 は 、な に よ り も 、そ の 死 者 と( そ の 死 を 悼 む )お の れ 自 身 と の 間 の・す ぐ れ て 個 人 的 な 対 話 で あ り 、い わ ば「 我 ― 汝 」間 の 内 面 的 で 親 密 な 事 柄 で あ っ て 、 死 者 と 自 己 だ け の 間 で の 、所 詮 他 人 に は 分 か ら ぬ 、分 か っ て も ら い た く な い 、ま た 覗 い て ほ し く な い 、外 的 騒 音 で あ れ こ れ 乱 さ れ た く な い 、外 的世間的形式的葬礼等ではかえってかき乱されそうな自己のみの内面 に か か わ る 、そ の よ う な 意 味 で す ぐ れ て 内 面 的 個 人 的 な行 為 で あ る は ず で あ る( そ の 意 味 で 、死 者 を 悼 む と い う 行 為 は 、誰 に も 見 ら れ ず 知 ら れ な い よ う に 、ひ っ そ り と 静 か に な さ れ る べ き で あ っ て 、少 な く と も 小 生 は 、そ の よ う な 意 味 で 、一 般 的 に も 葬 儀 な る も の に 自 ら 顔 を だ す こ と じ 12 た い 、過 去 の 経 験 か ら い っ て ― ― と く に 現 役 時 代 に 若 く し て 亡 く な っ た 、 そ の す ぐ れ た 才 能・人 物 を 知 る 者 に と っ て は 真 に 悼 ん で も 悼 み き れ な い 、 ご く 僅 か の 葬 儀 以 外 は ー ー あ ま り 気 が す す ま ず 、と く に 、こ れ ま で の い く つ か の 葬 儀 に 参 加 し た 経 験 か ら い っ て も 、 実 は 、 し ょ せ ん は 、「 生 者 のための儀礼」でしかないではーーと思われるような(すくなくとも、 死 者 へ の 追 悼 の 真 情 が あ ま り 伝 わ っ て こ な い よ う な )葬 儀 が な か っ た わ け で は な い だ け に( こ れ は 、死 後 の 世 界 中 心 に 生 き て い た 古 代 文 明 人 に 比 較 す れ ば 、い ま や 生 者 主 体 の 現 代 文 明 に あ っ て は 、不 可 避 の 現 象 と い え る か も し れ ず )、そ し て ま た 人 生 の あ る 時 期 か ら は 敢 え て「 世 捨 て 人 」 として儀礼的な類のことは原則お断りの宗旨を採っている小生として は 、 と り わ け 、 そ の 思 い が 強 い )。 ・本稿執筆にあたっての小生自身の基本的スタンスとしては、上記のよ うに、あくまでも公的に対象化され客観化された一つの学問的存在と しての「広中法学」を、できるだけバランスよく、その「光」(当然 ながらあくまでもこの小生自身の目から見た、その肯定的積極的に評 価さるべき側面)と「蔭」(同様の観点からの、その・批判され克服 されるべき側面)の両面から、小生なりに整理し検証しようとするも のであり、すくなくともネクロロジー一般にありがちな、当たり障り のない、または「先生は、斯界において赫々たる顕著な業績をーー」 という風な、「みんなでヨイショ」式のスタンスは、(以下のような、 小生自身の学問的信念の故に)敢えてとらなかった。 それは、上述のように将来の学説史研究のための資料的価値を可及 的に確保しようとするかぎり、可能な限り公正な評価であろうとする こと(それにも所詮限界があること言うまでもないがーー)は、最低 限守るべき要請であり、またなによりも、それは小生自身の学問観の 根底に関わることでもあるからである。つまりとくに後者の点を敷衍 すればーー:すくなくとも学問にとって大事なことは(または、学問 をする者であるからこそ可能なことは)、何ものにも囚われない(つま り、ドグマ、伝統、権威、政治権力・組織、マスメデア、大衆社会・ 数の論理等、およそ、あらゆる学問外的論理からの)自由な精神、是 を是とし、非を非と言う勇気、自らの無知を正直に認め、ゆえに真理 のまえに謙虚となり、根源を問い、根源から疑い、それゆえにまた、 自らを相対化する、そのような意味での学問的良心・知的廉直性・知 的誠実さであり、あらゆる思考停止の排除(=すべてを疑う精神)で あり、その意味でも、学問=真理は、人を、自由にするし、自由にす 13 べきであり、自由にしうる、ものであるべきである、との学問的信念 である。このような(とくに学問の世界にあっては)当然ともいえる 学問倫理の最少規範を、あらためて再確認したいと思うのは、小生自 身の個人的研究者人生経験のなかでも、大学の内外にはそれとは真逆 のことが余りにも多すぎたという、憤りにも似た思いがわが原体験と してあるからでもあり、それだけに、学問の健全かつ豊かな展開を妨 げるものとしての、 (学問の内*と外との両側面からの、かつむき出し の力だけではなく)、集団心性としての心理的同調圧としての、学問外 的論理*の・学問世界への侵入・支配にたいしては、不断の警戒・抵 抗・闘いが必要である、との感覚には、人一倍敏感にならざるを得な いからでもある: * そ の 最 た る も の が 、― ― そ の「 志 」と か そ の 能 力・業 績 と か の 学 問 内 在 的 ザッヘではなくーー、 「 だ れ そ れ の 弟 子 で あ る 」か ら と か 、 「○○大学の出 身 で あ る 」か ら と か 、の 人 の 出 自 や そ の 集 団 的 帰 属 で 、人 間 を 差 別 的 に 判 断 す る 思 考 様 式( そ れ は 、畢 竟 、個 人 を な に よ り も 一 個 の 裸 の 個 人 人 格 と し て み て い な い と い う こ と で も あ り 、逆 に ま た 、個 が 個 と し て 真 に 自 立 し て い な い 、と い う こ と で も あ ろ う )と か 、既 存 の 世 俗 的 権 威 の み に 拠 り か か っ て の ・「 何 様 の お 子 様 」 的 帝 国 主 義 者 的 心 性 と 、 そ れ と 裏 腹 の 卑 屈 な 植 民 地 主 義 従 属 民 的 心 性 と を 生 み 出 す 、社 会 心 理 的 傾 向 で あ り 、す く な く と も そ れ が 如 何 に こ の 国 の 、と く に 若 い 世 代 の真 に 自 由 闊 達 な 知 的 創 発 を 阻 害 し て き た か ! す く な く と も 小 生 に は 嫌 な 思 い 出 が 少 な く な い( む ろ ん こ の 点 は 、小 生 の 実 感 と し て は こ の 国 の 歴 史 で も と く に 1990 年 代 以 降 は 大 分 事 態 は 改 善 さ れ つ つ あ る と の 感 は す る が ー ー )。 ― ― そ の 一 例 と し て こ こ で 、い き な り( こ こ で 引 用 す る こ と じ た い 、い さ さ か 憚 れ る よ う な 、そ し て 思 い 出 す だ に ム カ ム カ す る よ う な)下 世 話 な 話 に な っ て 恐 縮 で あ る が 、小 生 は か つ て 、某 大 学 の 同 僚 先 生 に「 俺 は A 先 生の弟子で、而してその A 先生は、民法解釈学の権威者たる B 先生の弟 子 で あ り 、 し た が っ て 俺 は B 先 生 の 孫 弟 子 に あ た る の だ 」( ― ― 「 だ か ら 俺 は 偉 い の だ 」 と は 流 石 に 言 わ な か っ た が )、「 そ れ に ひ き か え 、 お 前 は 、 C 先生の弟子だからなーー(だから、お前は民法解釈論はダメなんだー ー )」と 、初 等 論 理 学 も ど き の 、文 字 通 り「「 ト ラ の 威 を 借 る 狐 」を 地 で い く よ う な 、低 次 元 の 話 を 聞 か さ れ 、し か も そ れ を 学 生 に 吹 聴 し て 自 己 を 権 威づけているらしいことを知って、何とも嫌な思いをしたことがあった。 そ の こ と も あ っ て 、小 生 は 、そ も そ も「 弟 子 」と い う 言 葉 自 体 、な ん と も 前 近 代 的 な 人 間 関 係 を 想 起 さ せ る こ と ば 、と し て 生 理 的 に も 嫌 な 言 葉 と なり、すくなくとも自分では使わない主義を守ってもきた(ただし、本・ 14 小論でも「師弟」とか「恩師」ということばは、行論の必要上、しかし、 上 記 の よ う な 価 値 判 断 ヌ キ で 、 随 所 で 使 用 せ ざ る を 得 な か っ た が ー ー )。 ー ー む し ろ 、 小 生 の 個 人 的 思 い と し て は 、( 広 中 先 生 と も 最 も つ よ い 学 問 的 か つ 人 間 的 な 信 頼 関 係 に よ っ て 結 ば れ て き た よ う に 思 わ れ る )H 先 生 の「 俺 は( あ れ こ れ の ○ ○ 主 義 者 の よ う に 外 か ら つ け ら れ た レ ッ テ ル で 規 定 さ れ る よ う な 存 在 と は 真 逆 の 意 味 で の )オ レ 主 義 者 だ 」と い う 気 骨 あ る 名 言 に な ら っ て い え ば 、「 俺 は 、 誰 彼 の 弟 子 な ど で は 断 じ て な く 、 強 い て 言 え ば 、古 今 東 西 す べ て の 賢 哲 の 弟 子 だ 」と 言 い 返 し た く お も う( 具 体 的 に も 、小 生 は 、東 北 大 学 法 学 部 に お け る 、あ の「 民 法 の 三 羽 烏 」と い わ れ た 、三 先 生 か ら の 、学 問 的 か つ 人 間 的 な 学 び の・貴 重 な 機 会 を も っ た こ と に 、 感 謝 し て い る )。 さ ら に ま た 、( 広 中 先 生 と も 先 輩 後 輩 の 関 係 を 超 え て 、 つ よ い 学 問 的 人 間 的 信 頼 関 係 に よ っ て 結 ば れ 、わ が 法 史 学 と 法 解 釈 学 と の 双 方 に と っ て も 記 念 す べ き 意 味 を 持 っ た 、そ し て 小 生 じ し ん も 、研 究 会 や そ の 他 の 打 ち 解 け た 席 な ど で 、あ る 意 味 で は 広 中 先 生 以 上 に 親 密 な 形 で そ の 謦 咳 に 接 し え た )世 良 先 生 が 小 生 に も 酒 席 で( あ の 悪 戯 っ ぽ い 笑 み を た た え な が ら )よ く 言 っ て い た「 き み ー 、学 説 と い う も の は ね ー 、批 判 さ れ 克 服 さ れ る た め に あ る ん だ よ 」 と い う 言 葉 が 小 生 は 忘 れ ら れ な い ( 世 良 先 生 は ま た 、「 知 的 廉 直 」と い う マ ッ ク ス・ウ ェ ー バ ー の こ と ば が 殊 の 外 好 き で あ っ た こ と も 、こ の こ と と の 関 連 で 思 い 出 す ー ー 先 生 自 身 の・無 骨 な 字 で 和 紙 に 墨 書 さ れ た も の が 、 小 生 の 手 元 に 、 そ の 唯 一 の 遺 品 と し て 今 も あ る )。 ― ― そ の 他 、 小 生 は こ こ で 、 民 訴 の 泰 斗 ・ 三 日 月 先 生 が そ の 法 律 学 全 集中の著書の栞で書いておられた、学者たるべきものの心構えとしての 「三つのこと」からの自由の一つ「師の説からの自由」のことを思い出 すし、また吉田松陰が孟子の言をひきつつ「みだりに人の師になっては ならぬし、人の弟子になってもならない」とその塾の門人に諭したとの 故事(とくにその根底にある哲学)に、あらためて想いを致したく思う のである。 ・なお、 (本・小論執筆の基本的スタンスは上記の如くであるとしても) す で に 上 記 随 所 で も そ う し て い る よ う に 、( 個 人 で は な く 、 そ の 学 問・業績を呼称する場合には、標題がまさにそうしているように、 「広中法学」というふうに、普通名詞で中性化した呼称をもちいる が)個人を呼称する場合は「(広中)先生」という(固有名詞つきで、 または単独での)敬称を用いることとした。これは、本・小論が、 完全な学術論文というわけではなく、むしろ、一周忌を迎えたばか 15 りの先生の墓前に供えるべき・小生なりの貧しい研究ノートでもあ る(ゆえに呼び捨てにすることにはいささかの抵抗感を覚える)、と いう個人的な心情も否定しがたく、上記のように「先生」という敬 称を用いることとした次第であるーーその限りでは、上記の執筆ス タンスからすれば、やや違和感をもって受け止められかねない表現 となったこと、ご理解賜ればと思う。 ・なおまた、以上の事柄とは別論となるが、上記・呼称についての「お ことわり」の序にーー本・小論で用いる若干の専門用語・タームの なかには、小生がある時期から(その小生なりの批判的問題意識を 背景として)意識的にその使用を避けるようにしてきた用語――た とえば、 「法解釈学」とか(広義の) 「民法(学)」とか「債権―物権」 とかの法律学専門用語――を、内心ではいささかの抵抗感を覚えつ つ、まさに広中先生じしんがその論稿のいたるところで(いわば即 自的に)使用しておられ、かつ、本・小論がまさにその広中先生の 業績の検証を俎上に乗せようとするものである以上、――使用せざ るを得ない次第である。その「抵抗感」の拠って来る所以を本格的 に説明することは、上記の引用タームいずれについてもすでにそれ 自体で一個の学術論文での説明が必要となり、ここはむろんその場 でもないが、ただ、本・小論(とくに後述【参考・その2】)を注意 深くお読みいただければ、その然る「所以」は、ある程度ご理解い ただけるものと思う(一般化していえば、学問の革新とは、その用 語・ターミノロジー自体の革新を伴わざるを得ない、ということな のかもしれない)。 0-2:本稿の限界: 小生が広中先生との間に間接・直接の交流があったのは、学部学生 としての 2 年間、および助手としての3年間だけの間の期間(昭和4 0年をはさんで前後5年間)であり、また、学問分野としては、あく までも、民法学(ないし、それに関連する限りでの歴史・法社会学) であり、先生の広範な分野・領域にわたる活動・諸業績のうち、多少 なりともお聞きし、読み、ある程度理解しえていると思われる学問分 野は、所詮は、上記学問分野に関連するそれに限られており、とくに 警察研究ないし刑事司法関係研究は、残念ながら小生の理解の及ぶと ころではない。 また、上述のように本稿は、あくまでも、本来追悼文集への寄稿を 16 求められるままに倉卒として書いた(いささか異常に長くなってしま った)文章をベースとし、その文集寄稿者をさしあたりの第一次的読 者として想定しつつ、かつ前半の部分だけでも一周忌に間に合わせる ように、ということで、適宜加筆修正してとりまとめたものであり、 その様な意味でもこれは、あくまでも、現段階での・さしあたりの、 小生自身の個人的エピソードも交えての印象記的スケッチないし研究 ノートにすぎない、ということ、したがってとくに、総体としての、 かつ本格的な、広中法学の学説史的批判的位置づけ*は、小生自身に とっても、今後の宿題として残されているということ、蛇足ながら、 付け加えておきたい。 * そ も そ も 、「( 個 別 論 点 以 前 の )総 体 と し て の 広 中 法 学 の 学 説 史 的 位 置 づ け 」 のためには、民法学分野に限定しても、学界のみならず実務・立法への影 響力のあった先行主要学者についての批判的検討(小生のみるところ、少 なくとも、我妻栄―川島武宣―中川善之助(そして更に遡れば、維新以降 の わ が 法 学 の 原 点 と も い う べ き 穂 積 陳 重 )の 、 (その総体としてのパラダイ ムの批判的検証をはじめとする)学説史的位置づけが、前提として必要と 考えられるところ、とくに中川法学に関しては、その立法・学界・実務へ の影響力の大きさにも関わらず、その主要著作の著作集すら編集・刊行さ れてもいない現状があり、小生が現役時代に親子法関連の論点に関連して の文献調査をしてみて、そのことにあらためて気づき、先生の蔵書類を一 括管理している某大学の図書館で若干その中身をみさせていただいた限り でも、著作集編纂・刊行の学術的必要性をますます感じた次第である(資 源の浪費ではないかと思われるような、極僅かの「玉」のなかに「石」= ゴミ論文を臆面もなくムリに詰め込んだような、 『 ○ ○ 著 作 集 』と 題 す る 書 籍を見るたびに、小生は、おそらくはそうした自己顕示的野心からは遠い と こ ろ に あ っ た か に お も え る 中 川 先 生 の 人 柄 が 床 し く 思 わ れ る の で あ る )。 い さ さ か 場 違 い の 感 も あ る が 、こ の 機 会 を 借 り て 、あ ら た め て 、と く に『 中 川著作集』の学説史的重要性・必要性を学界に訴えておきたい(小生も自 らそのために若干脈のありそうな方面を打診もしたりもしたのであるが、 所詮は無力であった。――ともあれ少なくとも、お墓参りだけが、先生の 学 恩 に 報 い る 道 で は あ る ま い ! )。 0-3:「はじめに」の終わりに: 『追悼文集』寄稿者その他、本ホームページにアクセスし本・小論 をお読みになっていただいた方々へのお願いとして、その感想、とく に、小生よりは、長い期間、もっと近い場・関係性のもとで、先生と 17 交流のあった方方、また小生とは世代・時代的背景の異なるゆえの違 った見方からの感想などをはじめとして、感想ないし建設的批判を (メール等をつうじて)多数お寄せいただければ、多少なりとも時間 と労力をかけて本・小論を取りまとめた小生としては、非常にうれし く、なによりも、本小論にも今後さらに手を入れて充実を図る縁(よ すが)ともなり、異論異見との論争・対質をつうじて小生自身の学問 的思考の進化・深化ないし充実に資するという意味でも、小生にとっ て裨益するところ大であり、この場をかりてよろしくお願いする次第 です。 18
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