INPEXのアゼルバイジャンに おける石油開発の取り組み 倉科 昭彦

概 況 N O W : ア ゼ ル バ イ ジャ ン
INPEXのアゼルバイジャンに
おける石油開発の取り組み
倉科 昭彦
国際石油開発帝石株式会社(INPEX)
ユーラシア・中東事業本部 地域事業ユニット シニアコーディネーター
「火の國」がふさわしいと思う。日本在住アゼルバ
Games)でロシアに続く第2位のメダル数を獲得し、
イジャンの方が自国出身の力士誕生を期待しての四股
レスリング・柔道で活躍した選手達の体躯と素質をみ
名である。呼び出しの声を想像してみる、よい響きだ。
れば、アゼルバイジャンの若者が隣国ジョージア出身
6月にバクーで開催された第1回欧州五輪(European
の「栃ノ心」や「臥牙丸」に続き国技館の本場所土俵
とち
しん
が が まる
上で活躍する日も遠くないと望む。
世界で最初に石油開発産業が成立したのはアゼルバ
イジャンの首都バクーである。過去の労働環境の厳し
さをブラジル出身の写真家セバスチャン・サルガドが
1980年代に撮った作品からもうかがい知ることができ
る(写真1)
。過酷な労働の成果物であった生産原油
の恩恵に浴する機会を得なかったアゼルバイジャンの
世界の表舞台への登場は、ヘイダル・アリエフ前大統
領の卓越したリーダーシップにより実現した。1995年
9月に調印されたACG油田開発に係る生産分与契約
(世紀の契約)とBTCパイプライン建設である。首都
バクーから東方約100kmのカスピ海に位置するACG
油田は莫大な埋蔵量を有する世界的な大油田である
写真1(筆者撮影)
(図表1)
。BTCパイプラインはコーカサス山脈を走り
ジョージアとトルコ部分の多くは海抜1000~2000m以
上、最高2700mに達し地中海沿岸のジェイハンに下っ
てACG原油を運ぶ。全長1768km管径は34 ~ 46イン
チである(図表 2)
。映画「007 TheWorld is Not
Enough」
(1999)では、ピアース・ブロスナン扮する
James Bondが美女とともに建設中パイプライン内を
台車に乗って疾走する場面があったが、これはBTCパ
イプラインを想定したと思われる。
当社は、インペックス南西カスピ海石油(株)と
INPEXBTCPipeline(社)を通じて両事業に参加し、
同国のさらなる発展に寄与すべく活動している。以下
この内容について述べる。
北西-南東方向に
細長く伸びた背斜
構造
長さ:約40km
幅:約4km
ACG油田の開発操業は英国のBP社を主体とする国
際コンソーシアム操業組織(オペレーター)AIOC社
が担当している(図表3)
。1997年生産開始から約20
年を経て生産量はピークを過ぎたものの6基の海洋生
図表1(出所:INPEXホームページおよび諸資料より筆者作成)
産施設から日産60万b/d以上を保ち、現在は大規模な
2015.9
31
35.8%
8.6%
図表2(出所:INPEXホームページ〈一部修正〉
)
11.6%
8%
11.3%
6.8%
4.3%
11%
2.7%
図表3(出所:BPホームページ)
追加開発計画を構築中である。当社はここ数年、日本
政府の支援も決定した。7 月上旬に日本を訪れた
を代表する石油開発企業としてACG油田開発操業へ
SOCAR総裁からも感謝の意と全面的な協力が約束さ
の技術的関与を高めている。具体的にはバクー現地
れた。
AIOC操業会社への上級掘削技術者の出向および、ロ
ンドン事務所に油田開発担当技術マネジャーをリー
昨今の油価下落はアゼルバイジャンの戦略にも大き
ダーとするスタディーチームを配し独自の油層モデル
な影響を及ぼしている。イルハム・アリエフ現大統領
構築、このモデルを用いた挙動予測を実施してBPが
は、父親が石油開発とその西側諸国への輸出という大
Sunbury事務所で実施するスタディー結果の能動的
事業で成し遂げた国の飛躍的発展の継続をACG油田
検証を行い、追加開発計画最適化へ協力している。
の開発継続とともにガス開発で達成しようとしている
ExxonMobil、Chevron、Statoil各 社とも当社スタ
のではないであろうか。巨大ガス田シャフデニスIIの
ディー結果を共有し効率的な事業運営に資する意見交
開 発、TAP(TransAdriatic Pipeline) お よ び
換を通して、これら国際石油企業からも評価を得てい
TANAP(Trans-AnatolianNaturalGasPipeline)
る。先ごろアゼルバイジャン国営石油会社SOCARと
の両ガスパイプライン建設工事は鋭意進行中である。
も当社スタディー結果を基に技術議論を開始し、大き
事業参加する国際石油企業にも変化があり資金難もう
な評価を得てスタディー継続依頼を受けた。来年春に
わさされるが、アゼルバイジャンの国是と思われる多
はSOCARの若手技術者を日本に招き、早稲田大学の
方面的外交能力を駆使しトルコ、ジョージア、ロシア、
協力を得ての油層工学理論・演習、さらに当社モデル
イラン、トルクメニスタンなどの隣国との関係を保ち
を用いた油田開発ケーススタディーと国内現場見学を
つつ、ガス販売対象国である欧州との関係においても
織り交ぜた研修を実施する予定であり、この度日本国
前述した欧州五輪に続いて、SOCARは2016サッカー
写真2:バクー(Old and New)
32 2015.9
写真3:コブスタン岩面画
写真4:コブスタン近郊のマッドボルケーノ(小噴火)
(写真2、3、4ともに筆者撮影)
【スポット研究】概況 NOW:アゼルバイジャン
図表4(出所:諸資料より筆者作成)
欧州選手権とU-17欧州選手権の公式スポンサーであり
長期にわたっての継続的な最適化を通して事業価値を
多くの試合のバクー開催、来年夏には旧市街前を含む
高める産業である。必要な石油のほとんどすべてを海
公道使用のF1ヨーロッパグランプリ開催も予定される
外に依存するわが国の産油国へのアプローチは必然的
など良好である。産業多様化政策の一環として、世界
に国際石油大企業(メジャーズ)と異なるべきで、個々
遺産に登録されたオールドシティやバクー郊外のコブ
の油田開発に特異な技術課題の本質を把握し、得意分
スタンの先史時代岩面画など(写真2、3、4)を整
野の現実的な手法で解決案を提示して実行しその過程
備するかたちでの観光産業にも力を入れており、同国
で産油国人材育成にも寄与する必要がある。誰が真に
が欧州最東端に存在するという意識啓蒙とロシアに対
信用できるのかを見分ける優れた能力をも持つ産油国
抗可能なガス供給国としての立場を、国家をあげて欧
の人々との信頼関係構築は何よりも重要で、これには
州市場に対し戦略的先行マーケティングを実行してい
真摯な努力を長い年月続けて初めて達成可能である。
るように見受けられる。
安全地帯からの投資管理だけでは、彼らの心に達する
しん し
ことはできない。情熱をもち問題の本質解決に向けて
7月下旬から8月下旬に、トルコ国内で4回発生し
たパイプラインへの爆破攻撃についても触れておく。
協働する姿勢が必要である。当社はこの基本方針をア
ゼルバイジャンでの事業関与にも適用している。
これらの攻撃はクルド人居住区およびその近辺で発生
したと報道されておりそのうちの1回がイラク-トル
筆者は社内若手や学生諸君に対して、石油開発は大
コ間の原油パイプライン、後3回はイラン-トルコ間
相撲と同じく、心・技・体が肝要と説明している。彼
とアゼルバイジャンからジョージアとトルコをつなぐ
らが世界のE&P業界で活躍してくれることを心から望
異なる天然ガスパイプラインで起きた(図表4)
。背
んでいる。
景については犯行声明内容に不明な点もあり、ここで
述べることは控える。当社はBTC操業会社を通じて同
※筆者略歴:1978年ジャパン石油開発(株)入社後英国および
アラブ首長国連邦で勤務。アブダビの操業会社には2回の出
パイプラインの警備体制の強化を実施するとともに、
向で20年余勤務。2008年INPEX統合後はインドネシア国マ
継続的な状況注視と情報聴取に集中している。
セラ事業現地統括としてジャカルタに3年勤務。12年より本
社ユーラシア・中東事業本部勤務。セイリング、ゴルフは休
石油開発は、地下深く存在する炭化水素流体を対象
とするゆえ、常に不確実性と技術的困難さに対峙し、
眠中、料理と野菜作りに挑戦中。
2015.9
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概 況 N O W : ア ゼ ル バ イ ジャ ン
「火の国」アゼルバイジャンの行方
—— Diversification Policy は
さらなる発展を促すか——
加藤 学
国際協力銀行 モスクワ駐在員事務所
首席駐在員
「火の国」
(Land of Fire)を語源とするアゼルバイジャ
ア(グルジア)のマルグベラシビリ大統領ら臨席のもと、
ンは、19世紀帝政ロシア時代より老舗の産油国として
盛大に挙行された。原油に加え、ガス輸出ルートの多
知られてきた。1991年の独立以降、積極的な外資導入
角化を目指すアゼルバイジャンは、SCP(South Cau­
によりカスピ海沖合ACG(Azeri-Chirag-Gunashli)
ca­s us Pipeline)-TANAP-TAP(Trans Adriatic
油田開発、BTC(Baku-Tbilisi-Ceyhan)原油パイ
Pipeline)にて構成される南部ガス回廊(Southern
プライン建設などに成功。高騰する油価に支えられた
Gas Corridor)プロジェクトを主導しており、シャハ・
近年の開発ラッシュは首都バクーの様相を一変させ
デニーズ海洋鉱区(第2フェーズ)を主要ガス供給源
た。バクー市内の小高い丘にそびえる「フレイム・タ
に据える。TANAPの年間輸送能力160億m3のうち、
ワーズ」
(炎のかたちをした3棟建て高層ビル)に象徴
60億m3が2018年からトルコへ、100億m3が2020年か
される発展ぶりには誰もが目を見張る。
ら欧州(イタリア、ギリシャ、ブルガリア)へ供給さ
しかし、昨年後半からの油価急落とロシア経済低迷
れる計画だ。TANAPの輸送能力は、将来的には310
により、通貨マナトは今年2月、33〜34%の切下げを
億m3へ拡大される可能性もある。この南部ガス回廊プ
余儀なくされ、経済成長は踊り場にさしかかっている。
ロジェクトは、今年2月25日に欧州委員会が公表した
石油依存の経済構造から脱却する鍵は「Diversifica­
「エネルギー同盟戦略」でも明らかにされているとお
tion Policy(多角化政策)
」にあり、これに取り組む
り、ロシアへのエネルギー依存度の低下が喫緊の課題
アゼルバイジャンの現況を本稿ではレポートする。
とされるEUにとってきわめて重要な位置付けを占めて
南部ガス回廊プロジェクト
今年3月17日、トルコ東北の都市カルスにて、トルコ
いる。
あつれき
他方、ウクライナ紛争に伴うEUとの軋轢により、黒
海海底横断ガスパイプラインSouth Streamをトルコ
経由のTurkish Streamへルート変更することを余儀
横断ガスパイプラインTANAP(Trans Anatolia Nat­
なくされ たロシアとの 関 係 は 微 妙 だ。ロシアは、
u­r al Gas Pipeline)着工式典が、アゼルバイジャンの
Turkish Streamを通じて、EUに加えトルコ向けガス
アリエフ大統領、トルコのエルドアン大統領、ジョージ
供給も想定しており、TANAPとの競合が見込まれる。
う かい
アゼルバイジャン政府は、かつてロシアを迂 回する
BTC原油パイプラインプロジェクト(2006年操業開始)
て れん て くだ
を成功裏に実現させた手練手管の対ロシア外交を、再
び求められることになるかもしれない。
OGPCプロジェクト
石油関連が輸出の94%を占めるアゼルバイジャンに
とって、エネルギー下流セクター育成による産業多角
しょう び
化は焦 眉 の急だ。アゼルバイジャン国営石油公社
SOCARは、現在、バクー南西60kmに所在するサン
ガチャル地区にて、ガス処理および石油化学プラント
近代建築と旧市街が融合するバクー市内(筆者撮影)
34 2015.9
を建設するOGPC(Oil-Gas Processing and Petro­
【スポット研究】概況 NOW:アゼルバイジャン
chemical Complex)プロジェクトに取り組んでいる。
たっては、再生可能エネルギー、先進的な廃棄物処理、
ユーティリティ設備などを含めると総額144億ドルの巨
高度な通信・交通インフラの導入が想定されている。
大プロジェクトとなる。昨年10月、バクーで開催され
また、将来的にはコーカサス地域の金融センターとし
た第2回OGPCフォーラムには約30カ国から150名以
ての役割を担うことも期待されている。近年のアゼル
上の参加があり、SOCARのアブドゥラエフ総裁は、
バイジャン経済は、公共投資と国内消費の拡大により
3万人の雇用創出、数千億ドルに及ぶ経済押し上げ効
下支えされてきたが、これら伸長に陰りがみえ始める
果が期待できると強調した。また、バクーから北方
なか、ホワイト・シティ構想の成否は、大胆な規制緩
30kmにあるスムガイド化学工業団地では、SOCAR
和・行政手続簡素化などを前提として、いかに外資を
子会社によるポリプロピレン・ポリエチレン生産設備
誘致し、内外から人・モノが集積する仕向け地に変容
などの建設プロジェクトが検討されている。さらにス
させることができるかにかかっているといえよう。
ムガイド市での肥料プラント建設プロジェクトなどの
複数計画も報じられている。これらプロジェクトを実
現し、付加価値ある各製品を輸出することにより経済
Inclusive Growth(包括的成長)
的な耐性は強化されることになるが、油価低迷が継続
今年5月初旬、アゼルバイジャンはADB総会をホ
し、投資計画の見直しが必要とされる場合、スケ
ストし、その開会式演説において、アリエフ大統領は、
ジュール全体を調整しつつ、プロジェクト遂行にこぎ
過去10年間でGDPを3倍に拡大させ、所得水準の向
着けることが今後の課題となろう。
上(2013年の1人当たりGDPは7900ドル:IMF)や
ホワイト・シティ構想
貧困削減などの実績をあげたことを誇る一方、非エネ
ルギーセクターのさらなる成長が必要であることを強
調した。また、地域間格差や所得格差を解消するため、
脱石油依存政策は、バクー都市開発プランにも投影
学校、病院などの公共設備の充実とともに、社会イン
されている。20世紀初頭、石油精製の一大拠点であっ
フラ(鉄道、道路、水道等)整備に向けた取り組みを
たバクー東部に位置するケシュラ地区一帯は大気汚染
通じ、国民各層に裨益する包括的な成長(Inclusive
が進み「黒い街(Black City)
」と呼ばれていた。バクー
Growth)を達成する必要性を述べた。バクーのみな
をクリーンな「白い都市(White City)
」へ変貌させ
らず国土全域にわたるロジスティックスや社会インフ
ることを標榜したヘイダル・アリエフ前大統領の思い
ラの整備は、産業多角化の基盤となることはいうまで
は、現在、バクー・ホワイトシティ構想としてプロジェ
もない。また、教育・医療・生活水準の改善は、さら
クト化している。バクー湾に面したバクー東部に区画
なる有為の人材を創出し、経済全体の底上げに貢献す
された221ヘクタールの広大な土地では、近代的なオ
ることとなる。
ひょう ぼう
ひ えき
たたず
フィスビル、商業センター、利便性の高い住居、公共
世界遺産に登録されているバクー旧市街に佇むシル
スペースからなる都市空間とするための開発が進めら
ヴァン・シャフ・ハーン宮殿は、議会、霊廟などが組
れており、環境配慮型アーバン・インフラの構築に当
み合わされた建造物で、古代ローマ、ペルシャ、イス
れい びょう
ラム、モンゴルなどの多様な面影を残しつつ、全体の
調和と均整を見事に保っている。イスラムを基盤とし、
多様な宗教、民族、文化、歴史を包括するアゼルバイ
ジャン社会のありようは、多角化された経済体制の理
想形としてイメージが重なる。持続的かつ耐性に富む
経済構造を構築できるかは、
「Diversification」とい
う成長エンジンに首尾よく点火し続けることにかかっ
ている。
(5月末日、記)
※筆者略歴:1996年日本輸出入銀行入行、2001〜 05年国際協
力銀行モスクワ駐在員、13年6月から現職。慶應義塾大学
サンガチャル・ターミナル。ACG油田、BTC原油パイプライン、
シャハ・デニーズ ガス田、SCPガスパイプラン関連設備が
所在する世界最大規模の陸上処理施設(BPバクー事務所提供)
法学部卒、ロンドン大学(SOAS)修士。ルーブル急落にも
泰然としたロシア人社会を尻目に、クリミア・ウクライナ・
ほんろう
油価動向に翻弄される毎日を過ごす。
2015.9
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