どのような認知の弱さが理科のつまずきと意欲低下

日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 1(2015)
どのような認知の弱さが理科のつまずきと意欲低下のリスクか?
—児童のワーキングメモリに着目したエラー特性と自己効力の関係性の検討—
What are the weaknesses of cognition that have risk of leading to errors in science class and decline of
motivation?
原田勇希 鈴木 誠
HARADA , Yuki SUZUKI , Makoto
北海道大学大学院理学院
Hokkaido University Graduate School of Science
[要約]理科の学習では言語的な処理だけではなく,児童に視覚的イメージを要求する。そのため,子どもの認知
特性によって異なるつまずき(エラー)が生じうると考えられる。本研究では近年注目を集めるワーキングメモリ
に着目して,児童の言語性—視覚性のワーキングメモリが理科授業で生じうる各種エラーに影響を与えているとい
う仮説のもと,共分散構造分析によってその因果関係を確認した。その結果,モデルは高い適合度を示し,また相
対的に,言語性ワーキングメモリは「言語的処理」のエラー特性を,視覚性ワーキングメモリは「視覚的イメージ」
,
「注意の制御」のエラー特性により強く影響を与えていることが示された。また,WM は理科の自己効力の値と有
意な相関が認められ,WM 容量と学ぶ意欲の間に関連があることが示された。
[キーワード]ワーキングメモリ,理科,つまずき,エラー特性,自己効力
1. 問題と目的
処理モデルである。WM は主に言語性の情報を内的な
理科という科目の特徴として,言語を通した学習活
リハーサルによって保持する音韻ループと,非言語的
動に加えて,実験・観察や科学概念の獲得に視覚的な
な視覚的な情報の保持を担う視空間スケッチパッド,
イメージの操作を子どもに要求することがある(e.g.,
それらを制御し必要に応じて情報を処理するための処
荒井,1995)
。そのため,子どもによって得意な情報処
理資源を分配する中央実行系から構成されている。中
理が異なるならば,学習場面で生じるつまずき(以下,
央実効系と音韻ループの協調による言語的な処理の働
エラー)の特性も異なると考えられる。
きを言語性 WM,また中央実効系と視空間スケッチパ
原田・鈴木(2015)は,こうした子どもの認知特性
ッドとの協調による視空間的な処理の働きを視空間性
の違いから生じると考えられるエラーの傾向を測定す
WM という。
るため,
「理科授業用エラー傾向測定尺度」を開発した。
WM には厳しい容量制約があり,その個人差が,あ
この尺度は児童が理科授業の中で経験するエラーを
らゆる教科の学習成績に影響を与えていることが先行
「言語的処理」
,
「視覚的イメージ」
,
「注意の制御」
,
「図
研究で示されている。WM の弱さは学習に困難を抱え
の活用」
,
「計算力」の5因子の得点によって測定し,
る大きなリスクである(e.g., Gathercole, Pickering, Knight
診断的評価として児童のエラー特性を把握できるもの
& Stegmann, 2004)。
である。
これらの WM の個人差が,子どもによるエラー特性
しかし,なぜ子どもによって理科におけるエラー特
の差異に繋がっていると考えられる。先行研究では,
性が異なるのか,その認知的背景は何であるのかは全
Gathercole et al. (2004) が 14 歳の時点で,言語性 WM と
く検討されていない。
全国統一試験における理科の成績の間に有意な関係を
ところで,近年の教育心理学研究において,子ども
見出している。また坪見・渡邊(2011)は視覚性 WM
のワーキングメモリ(以下,WM)に着目したものが
課題の成績と理科を含む学業成績と有意な相関があっ
注目されている (Alloway,2010/2011)。WM は記憶研究
たことを報告している。そのため本研究では,各 WM
の中で Baddeley & Hitch (1974)によって提唱された情報
容量が理科におけるエラーに与える影響を検討するた
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め,WM の個人差が各エラーを説明するモデルを設定
提示された文章の数は,2文条件から4文条件が設
し,共分散構造分析(SEM)を行なう。
定され,各条件につき5試行,合計 15 試行実施した。
また,低 WM が理科授業においてもエラーを誘発す
また得点化の方法は先行研究に準じ,5試行中3試行
る要因であるならば,理科学習に対する自己効力にも
以上正解であった場合 1 点,2 試行が正解であった場合
ネガティブな影響を与えていると考えられる。自己効
0.5 点を与え,与えられた点数に 1 を足した値をスパン
力は学ぶ意欲を捉える上で非常に重要な概念である。
得点とした。分析には「すべての文章をきちんと声に
そこで,鈴木(1996)によって開発された SESSE (理科
出して読みましたか」という質問に対し丸(○)をつけ
教育用自己効力感測定尺度)によって児童の理科の自己
た児童のみを用いた。
効力の実態を調査し,言語性—視空間性 WM,エラー
特性の各因子得点との関連を検討する。
②視空間性 WM 課題(VWM)
坪見・渡邊(2011)で実施された課題のうち,視覚
2. 研究方法
妨害条件と同様の課題を行った。記憶刺激提示画面で,
2.1 参加児童 注視点から 3cm 離れた仮想円上に,1 辺が 1.5cm の正
本研究の参加児童は東京都内の国立大学の付属小学
方形を 5 個,1000ms 提示した。記憶色は 8 色(桃・赤・
校第5学年と第6学年の児童のうち当日欠席した児童
橙・黄・黄緑・ 緑・水色・青)の中から重複なく提示し
を除く 215 名(男子 103 名,女子 112 名)であった。
た。2000ms の遅延後,刺激が提示されたいずれかの 1
ヵ所にテスト刺激(提示された色と提示されなかった
2.2 WM 課題 色を組み合わせた正方形)を提示した。児童はテスト
学校現場の負担を最小限にするため,児童の WM の
刺激の位置にあった記憶刺激の色をボタン押しによっ
測定は45 分間の授業の時間中に集団式で実施すること
て回答した。遅延時間中には黒色の視覚妨害刺激(クロ
とした。2つの課題は学校内のコンピュータ室で行わ
ーバー,スペード,ハート,星,三角,丸)が、記憶刺
れ,教師用 PC からの児童用 PC への画面共有によって
激提示終了から 200・600・1000・1400ms 後に 300ms
刺激を提示した。以下にそれぞれの課題の方法を述べ
間,1 つずつ提示された。
る。また両課題とも,本番施行の前に練習試行を行い,
得点化も先行研究に準じ,チャンスレベルを考慮し,
児童全員が手続きについて十分に理解していることを
容量 = 刺激提示数 ( 5 ) × (正答率 − 50 ) / 50
確認してから実施した。
によって求めた。 ①言語性 WM 課題:リーディングスパンテスト
(RST)
なお,坪見・渡邊(2011)と異なり刺激数を1つ増
基本的な流れは,苧坂・苧坂(1994)に準じた。
やしたのは,予備調査を行ったところ,容量5と判定
灰色の画面に黒文字で文章が表示され,その一部(一
された児童も一定数存在していたためである。
単語)に赤の下線が引かれていた。児童は文章をはっ
きりと声を合わせて音読しながら,同時に下線部の単
2.3 理科授業用エラー傾向測定尺度
語を記憶するように求められた。音読が終わるとすぐ
原田・鈴木 (2015) によって開発された尺度に新たに
に画面が切り替わり新たな文章が表示された。児童は
1 項目加えた計 17 項目からなる質問紙を実施した。
「ぜ
ただちに表示された文章を音読し,下線部の単語の記
ったいちがう」,「だいたいちがう」,「だいたいそう
憶することを求められた。記憶した単語は,画面に青
だ」,「ぜったいそうだ」の 4 件法を用いて,それぞれ
文字で「かいてください」と表示されたら,回答用紙
1 点から 4 点の得点を与えた。得点化にあたって,まず
の解答欄に記憶した単語を左詰めで記入して回答した。
探索的因子分析を行い,開発時と同様の因子構造であ
その際に,親近性効果の要因を排除するため,最後に
ることを確認し,各因子に対応する質問項目の得点の
提示された文章の下線部を最初に記入することを禁止
和を項目数で除した値を各下位尺度得点とした。
した。
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表1.WM と理科のエラー得点の基本統計量 (N = 207)
RST
VWM
言語的処理
視覚的イメージ
注意の制御
図の活用
計算力
M
2.71
2.99
2.27
2.38
2.20
1.95
2.31
SD
.74
1.38
.68
.60
.77
.52
.67
表 2.WM と理科のエラー得点の相関係数 (N = 207)
言語的処理
RST
VWM
視覚的イメージ
注意の制御
図の活用
計算力
−.40***
−.20**
−.23**
−.03
−.28***
−.23**
−.40***
−.34***
−.09
−.21**
** p < .01, *** p < .001
2.4 SESSE
自己効力の測定は,
先行研究
(鈴木,
1996)
と同様,「ぜ
ったいちがう」,「だいたいちがう」,「ときどきそう
だ」,「いつもそうだ」の 4 件法を用い, それぞれ 1
点から 4 点の得点を与えた。質問項目は全 26 項目であ
った。
*p < .05, **p < .01, ***p < .001
図1. SEM によるパス図 (N = 207)
3. 結果
3.2 WM がエラー特性に与える影響と構造
3.1 WM 得点とエラー特性の関連
得られたデータから,RST の文章に読まなかったも
のがある参加者,研究協力の承諾が得られなかった参
加者,質問紙に作為的回答とみられる回答をした参加
者を除き,207 名分(男子 100 名,女子 107 名)を分析
に用いた。
表1に RST,VWM,理科の各エラー特性の下位尺度
得点の基本統計量を,表2にこれらの相関係数を示す。
RST,VWM の平均値はともに 3 には届かなかった。こ
れは先行研究と比較するとやや低く(Luck & Vogel,
1997)
,小学生の WM が発達途上であることが示唆さ
図1に SEM の結果を示す。設定したモデルは,内生
変数である各エラー得点の誤差項同士の共分散を認め
るモデルとした。モデルの適合度は GFI = 1.00, AGFI
= .96, CFI = 1.00, RMSEA = .03 であり,よく適合してい
た。 RST,VWM ともに「図の活用」を除くすべての
理科のエラー得点に影響を与えていた。
3.3 WM と理科の自己効力との関連 表3に RST,VWM と自己効力の各構成概念の間の
相関を示す。RST,VWM ともに自己効力の各構成概念
表 3. WM と理科の自己効力との関連 (N = 207)
れる。
WM 得点と理科のエラー得点の相関では,RST,
VWM ともに「言語的処理」
,
「視覚的イメージ」
,
「注
意の制御」
,
「計算力」とそれぞれ有意な負の相関があ
った。
手段保有感
(能力)
手段保有感
(教師)
統制感
手段保有感
(努力)
RST
.33***
.33***
.31***
.26**
VWM
.27***
.34***
.23**
.22**
** p < .01, *** p < .001
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と有意な弱い相関が認められた。
透明である。またさらに今後は本研究の知見をもとに,
各 WM 容量の小ささと具体的な理科の学習場面,学習
4. 考察
内容で誘発されるエラーの関連を検討する必要がある。
RST,VWM それぞれの得点が理科のエラー得点に影
また,低 WM は理科授業においてエラー誘発のリス
響を与えていた。低 WM は理科授業においてエラーを
クの一つであり,自己効力とも関係していると考えら
誘発する原因の一つであると考えられる。またパス係
れた。今後は WM がエラーを媒介にして理科の自己効
数を比較すると,RST は「言語的処理」に対して最も
力になんらかの影響を与えていることを実証的に示し,
強く影響を与え,VWM は「視覚的イメージ」次いで
WM モデルに基づいたエビデンスに基づく指導方法を
「注意の制御」に強く影響を与えていた。これは,そ
検討していくことも必要である。
れぞれの WM が,それに対応する理科授業内の学習活
動でエラーを誘発している可能性が考えられる。
引用文献
例えば「視覚的イメージ」の質問項目では,観察の
荒井 豊:理科におけるイメージの果たす役割,
理科の教育,
44 (5),
296-300,1995
とき共通点と差異を見つけることができると思うか,
理科の内容を頭の中でイメージすることができるか,
Baddeley, A. D., & Hitch, G. J. : Working memory. In G. A. Bower
一度見た対象を視覚的に思い出せるかどうかを問うて
(Ed.): Recent advances in learning and motivation, Vol.8, 47-89. New
いる。理科の学習場面で求められる,視覚的な洞察,
York: Academic Press, 1974
イメージ,記憶の想起などに視覚性 WM が関わってい
Gathercole & Alloway:ワーキングメモリと学習指導:教師のため
るならば,これらの学習につまずきのある子どもへの
の実践ガイド(湯澤正通・湯澤美紀,訳)
,北大路書房,2009.
教育方略も WM の視点から講ずる必要があるだろう。
(Gathercole, S. E., & Alloway, T. P.: Working memory and
また RST,VWM ともに理科の自己効力の各構成概
learning:A practical guide for teacher s. London:Sage Publications,
念と負の相関が見られた。このことから,WM 容量は
2008
理科の学ぶ意欲の根幹である自己効力と関連があり,
Gathercole, S. E., Pickering, S. J., Knight, C., & Stegmann, Z.: Working
理科の学習に対し「自分にもできるかもしれない」と
memory skills and educational attainment: Evidence from national
いう認知につながっていると考えられる。
curriculum assessments at 7 and 14 years of age. Applied Cognitive
Psychology, 18(1), 1-16, 2004
5. 今後の課題
原田勇希・鈴木 誠:理科における児童の授業内エラー傾向測定
本研究では,WM の測定を一斉式でおこなっており,
尺度の開発―認知心理学研究の成果を基礎として―,2015 年度
本当に RST で文章を全て読んだか,また VWM で妨害
日本理科教育学会全国大会予稿集 , (65) , 468
刺激の提示時に目を瞑るなどの方略を取っていなかっ
Luck, S. J., & Vogel, E. K.: The capacity of visual working memory for
features and conjunctions. Nature, 390(6657), 279-281,1997
たかは内省報告によるもの留まる。より正確な検証の
ためには個別に WM をアセスメントできる方略の方が
苧阪満里子・苧阪直行:読みとワーキングメモリ容量 日本語版
望ましいと考えられる。
リーディングスパンテストによる測定. 心理学研究, 65(5),
また,
今回は空間性 WM をアセスメントしていない。
339-345,1994
先行研究では視覚性 WM と空間性 WM は分けて捉え
鈴木 誠:理科教育における学習意欲の構造に関する研究 (3)−理
られている。WM 課題についても再考する余地がある。
科教育用自己効力感測定尺度 (SESSE: Self− Efficacy Scale for
WM 容量がどのようなエラーにつながっているかを
Science Education)の開発−,理科教育学研究,36 (3),1-11,1996
検証するために,本研究では質問紙を用いた。この方
坪見博之, 渡邊克巳: 児童のワーキングメモリの発達と学業成績,
略は簡便に児童のエラーの傾向を把握するためには適
しているが,児童のメタ認知能力に依存するため,正
確にどのような学習活動でエラーが生じているかは不
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2011 年度日本認知心理学会発表論文集, 23-23,2011