英語圏サブサハラ・アフリカ 4 ヶ国の前期中等教育段階における数学の

英語圏サブサハラ・アフリカ 4 ヶ国の前期中等教育段階における数学の教科書分析
―ウガンダ,ケニア,ザンビア,ルワンダの第 9 学年の代数単元に焦点をあてて―
◯中和
渚(東京未来大学)
E-mail:[email protected]
キーワード:理数科教育開発、教科書分析、数学、数学的な活動
1. はじめに
本報告ではサブサハラ・アフリカの英語圏の 4 ヶ国の前期中等教育に焦点を当てて数学
の教科書分析を行い,教科書に示されている学習指導の特徴を明らかにする.教科書分析
の際の調査対象はウガンダ,ケニア,ザンビア,ルワンダの 4 ヶ国で使用されている主要
な教科書(16 冊,うち主要なものが第 9 学年の 4 冊)である.これら 4 ヶ国の国々にお
いては,過去に国際協力機構(JICA)による理数科関連のプロジェクトが実施され ており,
また経済発展の視座からも数学教育に注力している.これらの国々を含むサブサハラ・ア
フリカの国や地域では生徒中心主義の名の下で,講義中心の教育方法からの脱皮が目指さ
れている.しかしながら,生徒の低い低学力や講義中心の授業等,授業における課題が山
積している状況である.
他方で,現場の教師たちにとって教科書は主要教育リソースの一つであり,教科書を片
手に授業を行う教師が多くいる.そこで教科書のレベルで表されている指導や学習の様相
を知ることで,各国の数学教育の教科書が持っている特徴や独自性を明らかにし,改善 を
考える必要があると考えた.
2. 先行研究
教科書分析の先行研究として数学教育分野では Fan(2013)や Fan, et al(2013)が教科書
分析の重要性や傾向に関して論じている.Fan(2013)によれば近年,数学教育における教
科書分析は国際学会で取り上げられており重要な話題であるとされている.研究対象国に
おいてはザンビアの教科書分析を行った馬場(2010)や Nakawa(2012)などがある.他にも
ケニアの数学教科書について松永(2009)は考察している.それらにおいて,数学のシラバ
スやカリキュラムで求められている思考力の涵養が難しい教科書の実態が指摘されている.
これら多くはないものの先行研究で示されていることから,4 ケ国の教科書において,知
識詰め込み型の構成や定義や定理による説明が多く含まれている構成だと仮説を立てた.
3. 分析の結果と考察
(1)全体的な教科書の構造
まず 4 ヶ国の前期中等・中等教育段階の数学教科書全般から構成の特徴と指導の流れに
ついて考察する.教科書に関しては各国で最もよく使われている教科書を選定し,分析対
象とした(2013 年当時).表 1 は基礎情報を示したものである.また中等教育の教科書で
扱われる内容全般を表に整理した結果を表 2 で示す.
表 1:教科書の基本情報
教育制度
学年
教科書の頁
数
単元数
ウガンダ
ケニア
ザンビア
ルワンダ
8
7−4
9 1
0
1
1
9
8−4
1 1
0 1
7−5
1 1
0 1
6−3−3
7 8 9
1
2
8
9
34
33
37
25
27
32
35
28
38
26
38
37
34
28
30
30
8
9
2
6
0
8
3
3
9
6
9
2
5
9
4
6
2
1
1
1
2
2
1
1
1
2
1
1
9
1
2
1
1
7
6
0
3
0
5
0
6
1
5
6
6
0
3
1
2
表 2:各国の数学の教科書の内容のまとめ
国
学年
数
学
の
内
容
ウガンダ
ケニア
ザンビア
ルワンダ
8
9
10
11
9
10
11
12
8
9
10
11
12
7
8
9
集合
1
0
1
0
0
0
0
0
1
1
1
0
0
1
0
0
数と式
10
7
5
5
10
5
8
0
8
7
7
3
0
6
9
3
図形と測定
6
7
6
3
8
12
2
2
5
10
5
6
3
7
8
4
関数
3
1
0
2
3
1
1
1
1
2
1
3
2
1
1
4
統計
1
1
1
0
0
1
0
1
1
1
1
1
1
1
1
1
ベクトル
0
1
1
0
0
1
1
0
0
0
0
0
1
0
1
1
行列
0
0
1
0
0
0
1
1
0
0
0
2
0
0
0
0
確率
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
0
0
0
微分
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
21
17
16
10
21
20
13
5
16
21
15
16
9
16
20
13
単元数の合計
表 1,2 より,低学年の単元数がやや多いことや頁数が 300 頁を越えているものもある
ことがわかる.また,表 2 より数と式と図形と測定の単元数が多いことがわかる.また,
ベクトル,行列,確率という単元は高学年でのみ設定されている.微分についてはザンビ
アのみでの指導である.これら 4 単元以外では各国では大きな違いはない.
(2)第 9 学年の代数単元の内容構造
次に第 9 学年の代数単元に焦点づけて,より細かく学習指導の特徴を捉える分析を実施
した.それは 4 ヶ国で共通して最もよく指導される領域であり,かつ数学においても主要
分野であるという理由からである.代数単元では分析のために,
「1.説明」
「2.例」
「3.練習」
「4.活動」
「5.パズル」というラベルを付け,教科書に述べられている内容を小分割し,構
造化した.その結果を以下に示した.以下の数字の間にある縦棒は,内容の区切りを示し
ている.
•
ケニア:2-3|1-2-2-2-2-3-1-2-2-3|1-2-3-1-2-3|1-2-3|2-3|1-2-3|1-2-3-3
•
ルワンダ:1|1-1-4-1-4|1-4-4-3|1-2-4-3|1-2-3|2-3
•
ウガンダ:1-1-1|2-2-3|1-2-2-3|2-2-3|1
•
ザンビア:1-2-3-2-3|1-2-3-2-3|1-2-3|1-2-2-3|1-2-3|1-2-3|1-2-3|1-2-2-3
|1-2-3|1-1-2-3|1-2-3-1-2-3-1|4|3|5
この数字の並びからケニアとウガンダの代数単元では 1, 2, 3 の説明,例,練習(色々な
練習を含む)しか示されていないこと,ルワンダはケニアとウガンダの状況と同じである
が,4 の活動が幾つか示されていること,ザンビアでは同様に説明,例,練習が主要な学
習指導であるが,章末に 4 の活動と 5 のパズルが 1 つずつ含まれていることが明らかにな
った.これは先行研究の結果とほぼ等しい結果となった.
(3)数学的な「活動」についての分析
(2)においてウガンダやザンビアでは数学的な「活動」に関する内容が含まれていること
が明らかになった.この点が先行研究の結果とは異なり,また,近年の数学教育において
子供たちが行う「活動」が重要であるという視点から,9 学年の教科書を詳しく検討した
い.なお,本稿での数学的な「活動」の定義を,技能習得を目指す式計算や文章問題は含
まず,子供たちが思考し,数学的な行動を行う(たとえば,測定 する,表を作成する,表
から情報を読み取る,教室内外で何らかの数学に関連する行為を行う等)ものとする.
数学的な「活動」に関連すると思われる,各国の教科書内の項目は,ケニアでは「プロ
ジェクト(Project)」の 1 種類,ルワンダでは「活動(Activity)」の 1 種類,ウガンダでは「ペ
ア活動(Pair activity)」, 「グループ活動(Group activity)」, 「グループでの実験(Group
experiment)」, 「グループでの話し合い(Group discussion)」, 「グループでのプロジェ
クト(Group project)」, 「クラスでの話し合い(Class discussion)」, 「クラスでの活動(Class
activity)」, 「クラスのプロジェクトと話し合い(Class project and Experiment)」の 8 種
類,ザンビアでは「パズル(Puzzle)」と「活動(Activity)」 の 2 種類であった.この情報
からは,ウガンダの教科書で示されている数学的な「活動」に類する内容は最も多いこと
が判明した.これらの小見出しにあった問題数と内容を確認したと ころ,必ずしも,上記
の数学的な「活動」に該当しないものもあったため,詳しく調べた.その結果を表 3 に示
す.
表 3:数学的な「活動」の問の数についての分析
国名
内容が数学的な
分析の結果,内容が練
分析の結果,数学的な
「活動」であった
習 問 題 (exercise) と 同
「活動」とみなされる問
問の数
様である問の数
の数
ウガンダ
95
25
70
ケニア
3
0
3
ザンビア
41
16
25
ルワンダ
40
13
27
表 3 の結果から,各国の特徴について考察を行う.ウガンダの教科書は 4 ヶ国中,最も
多い数学的な「活動」が示されており,その形態も様々であることがわかった.数学的な
「活動」の内容としては,例えば表を作成したり,パターンを見つけたり,クラスで話し
合うというものであった.また多様な方法形態が認められたため,その内実について調べ
た.その結果,教科書において計 95 個の活動に類する問が示されていたが,実際はその
うちの 70 問が数学的な「活動」に該当し,残り 25 問は練習問題と酷似していた.全体の
90 問のうちクラスでの話し合いが 28 問と最も多く,うち 4 問は練習問題と類似していた
ので,実質は 24 問のクラスでの話し合いがあることが判明した(ウガンダの全体の活動
に関する結果に関しては紙面の都合上割愛するが発表において示す).
ケニアの教科書は,他の 3 ヶ国に比べて最も活動に関する問の数が少なかった.「プロ
ジェクト」という内容は全て,
「定規を用いた作図」という幾何の単元に含まれており,教
室外でのフィールドワークを行ったり,図形を作成したりすることが問われていた.つま
りこの単元以外の他の単元では活動が含まれておらず,定義,例,練習の繰り返しを行う
内容公正となっていることが判明した.
ザンビアでは「パズル」に含まれる問題は探究的なものが多く活動とみなすことができ
たが,
「活動」と書かれたものは練習問題と類似したものや,高度な練習問題であり,探究
的な活動ではないことが判明した.ここからは日本語のパズルや活動が意味するものと教
科書の中身が対応していないことがわかった.
ルワンダの教科書では特に幾何の単元において「活動」という名の下,作図や図形の作
成などを行うことが求められており,他にも公式を生徒たちが自分たちで作ってみること
や証明する活動があった.
4. まとめ
これら 2 つの分析から 4 ヶ国の数学の教科書における代数単元の内容構造は「説明―例
―練習」が中心的であった.ただしザンビア,ウガンダやルワンダの第 9 学年の教科書で
は数学的な活動や探究が少なからず含まれていたことも確認できた.これらの国々は,文
化的・社会的に類似した側面も少なからずあるため,近隣諸国の数学教育の良い面を学び
合う必要があることを提言する.
引用・参考文献
馬場卓也. (2010).「ザンビア国算数・数学カリキュラムの構造分析」, 『アフリカ教育研究』, 1, 41-51.
Fan, L. (2013). Textbook research as scientific research: towards a common ground on issues on
mathematics textbooks, ZDM Mathematics Education , 45, 765-777.
Fan, L., Zhu, Y., and Miao, Z. (2013). Textbook research in mathematics education: development
status and directions, ZDM Mathematics Education , 45, 633-646.
松永彩. (2009).「ケニア初 等数学教科書における学習活動の考察 ―表現形式に焦 点を当てて ―」,『国際教
育協力論集』, 12(2), 189-201.
Nakawa, N. (2012). Linkage between Mathematics Syllabus and Textbooks in the Republic of
Zambia, 『東京未来大学研究紀要』,5, 91-97.
途上国の学校効果研究、効果のある学校論研究の展開と論点
―Post2015 の学校効果研究への展望―
田中紳一郎
国際協力機構/東京大学
e-mail: [email protected]
キーワード:効果的学校、学校効果研究、途上国、公正性、学校経営
一般に国際教育協力は教育格差、引いては社会格差の縮減に貢献すべきである。近年の説明責
任要請の下、効率や効果はかなり厳密に強調、吟味されることが定着したが、公正性は非意図的、
結果的に看過されてしまう潜在的な危険はないだろうか。この問題意識より、筆者は効果的学校
(effective school)研究、学校効果(school effectiveness)研究が、国際教育協力の公正性向上に貢
献する可能性に関心を寄せるが、本レビューはこの問題意識を下敷きに、途上国における学校効
果研究、効果的学校研究の展開と論点の把握を目的としたものである。
1. 学校効果研究と「効果的学校」研究
(1) 学校効果研究と「効果的学校」研究の嚆矢
学校効果(School effectiveness)研究は、
「学力の形成には子どもの家庭環境が決定的に重要で、
学校は大した影響力を持たない」とした、いわゆるコールマンレポート(1964)、ジェンクス(1972)
「不平等」を嚆矢とする。これに対し Edmonds(1979)
、Rutter et al(1979)は、困窮地域に立地
する学校の中には、社会経済的に不利な子どもに学力を授け、社会の公正度を向上しうる「効果
的学校(Effective School)
」の存在を指摘した。学校効果研究は、その一潮流として「効果的学校」
研究を内包しつつ、英語圏の先進諸国やオランダを中心に研究が展開してきてきた。
(2) 学校効果研究の年代別傾向ないし類型
途上国における学校効果研究のレビューには、先進諸国の動向レビューを含むものが少なくな
い。例えば Jansen(1995: 182-186)は先進諸国の動向を以下のように提示する。

1960 年代から 70 年代初期:大規模データによる定量的研究で、投入と成果(アウトカム)
の相関関係を追究する教育生産関数研究(182)

1970 年代中期から後期:定量的分析の方法論の洗練。分析の単位(生徒、学校、地域、国)
の多様化、達成(achievement)のみならず、変容・進展(Progress)、学校資源を仔細に検
討し、投入の教室内での転化に着目(183).

1970 年代後期から 1980 年代初期:Edmonds(1979)を嚆矢とする、
「定性的」な「チェッ
クリスト」を特徴とする「効果的学校」のケース研究(183)

1980 年代後期から 1990 年代初期:
「研究-批判-研究方法論の改善」のサイクルに突入と
同時に、
「学校効果は限定的」という悲観的な研究結果の蓄積(186)
この 5 年後に発表された Scheerens(2000: 36-49)や 2000 年代のレビュー論文(Boissiere 2004、
Yu 2007、Riddel 2008 等)も先進諸国における研究動向がレビューされている。紙面の都合上仔
細には言及しないが、これらを概観すると、以下が学校効果研究動向の特徴であるとできる。
1

学校効果研究は「コールマンレポート」
、ジェンクス「不平等」を嚆矢とし

60 年代~80 年代に、教育生産関数研究が隆盛し

70 年代後期以降、対論としての効果的学校研究が勃興し一潮流をなし

並行して統計手法の洗練が進行するも、

学校因子と学校外因子(生徒の家庭環境因子:SES(socio-economic status))のどちらが優
勢かは論争的である
筆者が着目するのは、効果的学校研究は、学校効果研究の一領域を構成する点で、例えば 1995
年発刊の「School effectiveness and school improvement」の第 17 巻 4 号は「Improving schools in
difficulty」を特集している。なお、日本における学校効果研究には、
「効果的学校」研究を枠組み
とする大阪大学を中心とした研究グループによる「力のある学校」研究を嚆矢とした蓄積がある。
日本においての同分野の研究は 1990 年代頃に勃興し、学力格差問題を研究動機としている点が特
徴的である。
2.途上国の学校効果研究、効果的学校研究
国内では、廣里(2002: 174)
、三輪(2005: 270-74)
、川口(2010:166)らが、途上国の教育開
発問題の分析手法として学校効果研究に言及する。実証研究にはマラウイを題材とした富田ら
(2010、2012)が認められるが、管言の限りそれ以外には捕捉できなかった。他方海外では、途
上国の学校効果研究が蓄積され、レビュー文献も複数存在する1。本章ではこれら先行研究を参照
し半世紀に及ばんとする研究動向を把握する。
(1) 途上国の学校効果研究の系譜
途上国の学校効果研究の類型も複数の論者が提示しており、上述の先進国の研究と類似した展
開を認めることができる。例えば Jansen(1995: 190-193)は、途上国の学校効果研究の 3 つの世
代を次のように整理している。

第 1 世代(1970 年代)
:1980 代初等までに、約 40 件の途上国を対象とした研究蓄積があり
(Simmons and Alexander 1978, Schiefelbein, et al 1981)
、コールマンレポート同様に大規模
データに基づき、投入と成果の相関関係を追究し、生徒の家庭環境因子(SES)の学校因
子に対する優勢を結論付ける研究が多い。
その多くが米国政府の研究助成によるとされる。

第 2 世代(1980 年代)
:世界銀行関係者による研究が多く、教育生産関数研究としての性
格が顕在化する世代で、対投資効果の追究を動機とする研究が主流

第 3 世代(80 年代後期以降)
:従来の教育生産関数分析を汲みつつ、階層線形モデル分析
に代表される「洗練された」統計処理に基づく一連の研究
Jansen(ibid)は「第4世代」としては提示していないが、当時の批判に応答した展開として、
(1)組織モデル
(organizational models)
(Rosenholtz 1989)
、文化状況モデル
(Fuller and Clark. 19942)、
1
例えば Heyneman and Loxley(1983)
、Fuller(1986、1987)、Pennycuick(1993)、Fuller & Clarke(1994)、
Jansen(1995)
、Hanushek(1995、1997)
、Heneveld and Craig(1996)
、Scheerens(2000)、Boissiere(2004)、
De Grauwe(2005)
、Harris et. al(2005)
、Yu(2007)
、Riddel(2008)等が挙げられる。
2
Fuller and Clerk(1994: 136)の文化状況モデルは、ある学校では効果を持つが、他の学校では持たない文
化的偶発性(Cultural Contingency)を有する因子として、次の 4 領域を指摘する。
(a)地域の学校への期待・要望レベル(the local level of family demand for schools)
(b)家庭の要望に応える学校の組織的な対処能力(the school organization's capacity to respond to family
demand
2
文脈モデル(Contextual models of effectiveness)
(Hannaway and Talbert 1993)、過程(プロセス)モ
デル(Lockheed & Komenan 1989)等に言及している。また、Scheerens(2000: 27)の整理は組織
論的着眼が特徴で、経済性モデル(Business economic rationality)、有機的システム理論(Organic
system theory)
、人間関係性アプローチ(Human relation approach)
、官僚制理論(Bureaucratic theory)、
政治理論(Political theory on how organizations work)の 5 つの効果モデル類型を示している
2000 年代のレビューによると、国際学力調査3データを活用した研究や(Boissiere 2004、Riddel
2008、Little and Rolleston 2014: 4)
、ランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)を用
いる研究が一潮流を占めるようになる(Boissiere 2004: 4、Kremer et al. 2013、Riddel 2008: 28-30)。
ランダム化比較試験が「決定的」な統計方法論とする認識が定着(Vuillamy 2004)したという指
摘も見られる。一方で、学校因子と学校外因子(生徒の家庭環境等)のどちらが優勢かについて
は、依然として論争的である。
近年では、信頼、地域の参画等、社会関係性因子を扱う研究が散見される。例えば、Hallam et al
(2014)は、ウガンダを事例に、校長への信頼感が学校効果に影響すると指摘する。また、Bordoloi
(2012)はインド、アッサム地方を、Nguon(2012)はカンボジアを事例に、それぞれ地域の学
校経営参画や資源提供と、効果発現に相関性があることを指摘する。また、吟味する因子の多様
化、統計手法の「洗練」とは対照的に、総体として学校効果研究は、かつての教育生産関数研究
が指向した単一介入追究へと回帰しつつある(Riddel 2008: 13、Harris 2015: 1) という指摘もある。
以上の概観からは、途上国の学校効果研究の主流は定量研究である点が明らだが、その特徴とし
て次の 5 点を指摘したい。

先進国の研究と同様、
「学校の公正への効果は限定的」とした 70 年代のコールマンレポー
ト、ジェンクス「不平等」が嚆矢的研究として位置付けられている

80 年代から 90 年代は、単一的介入を追究する教育生産関数研究が主流であった

90 年代以降の統計手法の「洗練」が本格的に展開した(階層線形モデル分析、ランダム化
比較試験)

説明変数の多様化(学校内、教室内のプロセスや、信頼や関係性資本への着目)が進んだ

近年は単一介入を追求するような研究に回帰する傾向がある
(2)途上国を対象とした学校効果研究の担い手
(c)教員の教具の活用能力、及び選好(preferences)
(d)保護者の規範意識と教員の教育態度の乖離度合い
3
Little and Rolleston(2014: 4)は国際学力調査の概要を簡潔に示している。これによると、途上国を対象と
した学習達成調査は 1959 年の IEA(International Association for the Evaluation of Educational Achievement)
(12
か国の 13 歳生徒)を端緒に FIMS(First International Mathematics Study、1964 年)
、PPP(Pre-Primary Project、
70~80 年代)
、そして TIMMS(Third International Mathematics and Science Study、1994 年~)へと引き継が
れた。これに刺激されるように、PISA(Programme for International Student Assessment)が 2000 年に、PIRLS
(Progress in International Reading Literacy Study)が 2001 年に開始され、これらの学力調査には次第に多く
の途上国が含まれるようになった。さらに、地域的な学力調査も着手され、SACMEQ(Eastern Africa
Consortium for Monitoring Educational Quality)、PASEC(Programme d’Anayse des Systemes Educatifs de la
CONFEMEN)や、LLECE(Latin American Laboratory for Assessment of the Quality of Education)によるもの
がある。更に、USAID(米国国際援助庁)による EGRA(Early Grade Reading Assessments)や EGMA(Early
Grade Math Assessments)
やインド各州を調査対象とする ASER (Annual Status of Education Reports covering the
states of India) 等も登場し、特に 2000 年代以降学習達成度調査が盛んになっていることが分かる。
3
途上国の学校効果研究を担うのは、教育経済学者、教育心理学者、教育社会学者等多様で
(Scheerens 2000:19) 、また、国際援助機関(世界銀行、USAID、DFID、GIZ)、国際的な調査研
究機関、西側諸国の研究者が多い(Jansen 1995: 190)のが特徴である。途上国の学校効果研究で
は、欧米諸国の大学で学んだ国際協力機関に所属する実務者による研究が多い点、さらにこれら
大学の研究の多くが、政府系の国際協力機関の助成による点、翻って、途上国の研究者も国際協
力機関の研究助成に頼らざるを得ないのが実情であり、結果的に、過去の事象に対するインパク
ト評価的な研究に偏向するリスクへの指摘もなされている(Riddel 2008: 15)。
3.学校効果研究の方法論
前章では、研究のおおよその潮流を概観したが、本章では(1)教育生産関数研究、
(2)階層線
形モデル分析/ランダム化比較試験、及び(3)
「効果的学校」について、方法論と外形的の特徴を
以下に示す。
(1)教育生産関数研究
教育生産関数(education production function)研究は、教育への投入が成果へと転化する様を、
経済的な研究枠組みにより追究する学校効果研究である(Scheerens 2000: 21)。回帰分析、多変量
解析を用いて、学習達成度に最も貢献する介入的因子を探索するのが特徴である。レビュー論文
も複数あり、Heyneman & Loxley(1983)
、Fuller and Clark.(1994)
、Hanushek(1995)等は現代で
も頻繁に参照される。この内 Hanushek(1995)は、96 の教育関数研究文献をレビューし、各研究
が統計的に有意とした因子を集計し、
(先進国とは異なり)途上国では学校因子が生徒家庭要因よ
り優勢であると指摘した。
表1:96 の教育生産関数研究に基づく投入因子の効果分析結果-途上国の場合
投入(Input)
レビューされた 統計的に有意
統計的に
研究数
Statistically significance 有意でない
Number of studies 積極的
消極的
Positive
Negative
生徒一人当たり教員数
30
8
8
14
教員の学歴
53
35
2
26
教員の経験
46
16
2
28
教員の給料
13
4
2
7
生徒一人当たり教育支出 12
6
0
6
学校施設
34
22
3
9
出典:Harbison and Hanushek (1992) (quoted in Hanushek 1995)
(2)階層線形モデル分析とランダム化比較試験
学校効果研究において、階層線形モデル分析は、地域、学校、学級、生徒個人の各階層でそれぞ
れ学習到達度に寄与する因子を探索する統計的手法である。また、ランダム化比較試験(RCT)
は評価の「偏り」を避け、客観的に介入効果を評価する目的で、介入郡と対照群を無作為に抽出
する方法である。
紙面の都合上統計処理の詳述や事例の紹介は避けるが、
投入と学校内の関係性、
成果の間の関係モデルの模式図と、統計処理の結果表が階層線形モデル、ランダム化比較試験を
方法論とする研究の外形的特徴である。
(3)効果的学校の特徴リスト
後述の通り、多くの実証研究にも関わらず、学校因子と生徒の社会経済因子のどちらが優勢か
4
は論争的で、決定的な一般的な法則は見いだせていない。これを踏まえつつも、
「効果的学校」特
徴リストが提示される場合がある。例として Scheerens and Boskers(1997: 100)を下表2に示す。
表2:効果を増長する 13 の一般的な因子 Thirteen general effectiveness-enhancing factors
1. 学習達成への指向/高い期待 Achievement orientation/high expectations/teacher expectations
2. 教育的リーダーシップ
Educational leadership
3. 教職員間の合意形成と親和性 Consensus and cohesion among staff
4. カリキュラムの質/学ぶ機会
Curriculum quality/opportunity to learn
5. 学校の雰囲気 School climate
6. 評価の準備状況
Evaluative potential
7. 保護者の関与 Parental involvement
8. 学級の環境
Classroom environment
9. 効果的な学びの時間(学級経営)Effective learning time (Classroom management)
10. 系統的な指導
Structured instruction
11. 個人単位の自律的なでの学び
Independent learning
12. 差異化された受容されやすい指導 Differentiation, adaptive instruction
13. フィードバックと再確認
Feedback and reinforcement
(出典)Scheerens and Bosker (1997: 100):
(4)途上国の効果的学校研究
より原意に忠実な「効果的学校」
、すなわち、困窮地域に立地しつつも、社会経済的に不利な子
どもに学力を授け、社会の公正度を向上しうる学校、に立脚した研究は管見の限り捕捉できなか
った。しかし、
「効果的学校」は、弱者層の生徒の学習達成を支援する学校である(Willms 2006: 67)、
「教育の質(より高い学習到達度)と平等性(生徒の社会背景に関わらず平等に学習達成)を両
立させる学校」
(Lee et al. 2006)と言及されている。Scheerens(2000:71)は、先進国の効果的学
校(
「unusually effective school」や「Outlier」と呼称されることがある)研究は、学習達成を指向
した学校政策、教育的リーダーシップ、教職員間の合意形成と協力、教職員の資質向上の機会、
保護者の支援の 5 点に集約され、これらを吟味することこそが学校効果研究の核心であるが、し
かしながら、途上国の学校効果研究では看過されてきたと指摘されている。
4.学校効果研究の論点、批判
40 年余にわたる途上国の学校効果研究の論点、批判は多層的に構成されているように見える。
第一層は、
「Policy Mechanics」と「Classroom Culturist(Fuller & Clarke 1994、Jansen 1994、Riddel 2008)
間の論争を基底に、統計方法論、探求・吟味する因子の範疇、因子の普遍・文脈依存性等を巡る
ものである。第二層は、外部から学校効果研究そのものの有効性を論ずるものである。第一層の
論点・批判点について必ずしも厳密な対応関係を示すものではないが、下表に学校効果研究を巡
る多層的な論点を示し、以下各節において概観する。
表3:学校効果研究の論点、批判の多層性
Policy Mechanics
Classroom Culturist
5
第一の層:学校効果研究内部の論点、批判
(1)研究の方法論
定量的
定性的、質的、ケース研究
(2)説明因子
(学校外部からの)単一的な
学校内部:組織、文化状況、
投入
学校/教室内での過程、関係
性等
被説明因子
(3)普遍性、文脈依存性
学習達成度
左記以外も対象
単一的、普遍的、汎用的
限定的、文脈依存
(4)公正性
(5)第二の層:学校効果研究総体に対する批判
出典:筆者作成
(1)研究の方法論を巡る論点
①方法論:定量的研究を巡る論点、批判
研究の方法論を巡っては、統計手法が捕捉するデータと、学校実態の乖離を軸に議論が展開し
てきている。教育生産関数研究の脆弱性として Scheerens(2000:21-22)は、
(i)教育の成果の多
義性が数量分析にはなじまない、
(ii)投入と教育過程の金銭的価値化が困難、及び(iii)学校を
ある種の学校を生産工程としてみなすことの妥当性に議論の余地がある点を指摘する。また、
Riddel(2009: 18)は、Hanushek(1995)や Fuller and Clark.(1994)の教育生産関数研究結果の簡
易集計は、レビュー対象論文の方法論や指標、調査対象の相違を看過しており不適切であると指
摘する。Hofman et al.(2015:2)は、一つの独立した因子が学校効果に貢献するのではなく、異な
る階層の多様な因子の組み合わせが学校効果に影響すると指摘し、階層線形モデル分析の有用性
を指摘する。他方 Willms(2006)は PISA、PIRLS 等の国際学力調査を用いた研究の多くはラン
ダム化比較試験によらず、また、学校の実態捕捉が不十分だと批判する一方で、Vuillamy(2004:
272-273)は、(当の)ランダム化比較試験による研究は学校内の相互作用の捕捉が不十分で殆ど
有用性がない可能性があると指摘し、最も洗練統計処理手法として同方法論が多用されている近
年の研究動向に警鐘を鳴らしている。
かつて Jansen(1995: 186)は、80 年代後期以降、学校効果研究は「研究-批判-研究方法論の
改善」の循環に突入したと指摘するが、その傾向は 20 年を経た現代にも通じるとできよう。モデ
ルや方法論がどの程度学校の実態に接近しているか、という観点からの批判を軸に、定量的な学
校効果研究は、2 つの方向性と共に展開してきたといえる。第一は、上記に示したような統計手
法の変遷で、回帰分析、多変量解析から階層線形モデル分析、ランダム化比較試験が利用される
ようになった。第二は、手法の返信と並行して、検討する因子の多様化(関係性、文脈、過程等
と親和性がある因子の包含)が進展した点で、この点には次節「
(2)因子を巡る論点」にて更に
概観する。
②「効果的学校」特徴リスト批判
表 2 に示したような「効果的学校」の特徴リストは、学校効果研究の「定性的」な表現として
しばしば提示されるが、必ずしも原意に忠実な「効果的学校」研究の成果ではない場合もあり、
注意が必要で、
定量分析の結果に依拠したものも多いようである。こうしたリストへの批判には、
良い学校の「素材」を提供するが「レシピ」を示さないとする有用性の限界がある(Cohn &
Rossmiller 1987: 399)
。他方、こうしたリストは、資金提供者への説明責任を果たす情報収集には
6
有用だが、リスト基づく学校観察や評価は、リストが提示する個別項目に束縛され、総体的、包
括的な学校認識の障壁と成り得るリスクも指摘される(Courtney 2008: 538-539)。また、学校の各
種標準への準拠や説明責任能力等行政的介入に親和性ある因子を指摘するリストも多いが、
「良い
学校」の関係者は、地域との関係性や連節性を重視し、リストと実態が乖離するという指摘も興
味深い(Reynolds 2010、Harris et. al, 2006)
。
(2)因子を巡る論点
上述の通り、学校効果研究の吟味する学校因子は、①外部からの介入的な因子から、学校や学
校地域の関係性や文脈、学校・教室内部の過程へと拡大、多様化した。これを基底としつつ、②
学校効果へ影響力は学校因子と学校外因子のどちらが優勢か、③被説明因子の多様性、及び④因
子の非連続性、を特徴に議論が展開してきた。こうした様相を模式的に示したのが下図である。
本節では以降、①~④の各項につき先行研究の趨勢を把握する。
学校因子
投入
(介入)
① 拡
②どちらが
学校内、学級内の
プロセス(教育生産関数
優勢か
学校外
因子
研究では「ブラックボックス」
④因子の非
連続性
被説明因子:学習達成度→③多様化(その他因子の検討)
図1:学校効果研究で扱われる因子(筆者作成)
①学校効果研究が吟味する学校因子の範疇
上述の通り、学校の実態にどの程度忠実に反映し得るかいう観点より、学校効果研究が扱う因
子は、批判―応答がなされてきた。教育生産関数分析が、学校における日々の営為を「ブラック
ボックス」として捨象し、投入と成果のみ注目するのは、連続的日常的営為に依拠する学校実態
と著しく乖離し不適切である、また単一的な「効く」介入の追究よりも、現実の複雑さ、予測の
困難さ、多様さを重視すべきと批判され(Thiesen et al. 1983、Hannaway and Talbert 1993、Harber 1992、
Scheerens 2000 等)
、その応答として、90 年代頃から学校効果研究が扱う因子は多様化し、組織、
文化状況、文脈、過程や生徒の母語や家庭環境等に関する因子が扱われるようになる。授業のス
タイルや教授法を学校効果因子として扱う研究も登場し、学校が効果を発揮するには授業方法の
影響力が強いと結論づける一連の研究も存在する(Abadzi 2006 in Riddel 2008:35)
(が、あまりに
も当然すぎて研究成果としての訴求力に乏しいと思われるのは筆者だけであろうか)
。
②学校因子か、学校外因子か
学校環境整備が遅れる途上国では、教師の学歴、教科書や基本的な教材、教具(黒板、椅子、
机、チョーク)等の学校因子が学習達成度に正の影響力をもつと指摘する論文は数多い。前掲
Hanushek(1995)以外にも、Heyneman & Loxley(1983)は、29 の先進国と途上国の学力データ
を参照し、また Fuller(1987)は、それぞれ途上国の学校効果研究の内、生徒の家庭環境要因(SES)
7
を統制した 60 の先行研究を概観し、途上国では生徒の家庭環境(SES)が学力に与える影響は小
さく、教師の高等教育や教員研修、教科書などの学校因子の優勢を指摘する。また、Scheerens
(2000:59)は、この議論は論争的だとの前置きの上、途上国では学校施設関連因子の学校効果へ
の影響は 30-40%とした Riddel
(1997)と、同じく先進国では 10-15%と指摘した
(Bosker et al. 1999)
の二つの研究を参照し、
「途上国では学校因子の効果が総体的に大きいと指摘する。同様に学校因
子の優勢を支持、ないし紹介したものには、Fuller(1987)
、Lockheed et al.(1988)
、Lockheed et al.
(1991)
、Fuller and Clark(1994)
、Hanushek(1995)
、Boissiere(2004:27)
、Lee et al(2005)
、Hofman
et al(2015)等がある。
また、教育生産関数研究の中には、種々の学校因子をより仔細に分析するものもある。例えば、
Pritchett and Flimer(1999)は、東北ブラジル(1980 年代)とインド(1990 年代)においては、一
ドルの追加的投資の試験結果に及ぼす効果は、教員の給与に比較して教材に費やされた方がそれ
ぞれ 19 倍、14 倍高いと結論づけている。
一方、Baker ら(2002)の指摘するように、途上国においても学校要因の影響は弱まりつつあ
るとする一連の報告もある。Wößmann & Fuchs(2005)はアルゼンチンとコロンビアの PIRLS デ
ータから小学生の読解力に影響する因子を分析し、家庭環境要因(保護者の学歴、本の数など)
の影響力は強くみられたが、学校要因(教師の資格・研修・経験、教材、教授法、カリキュラム、
学級規模など)はそれほどでないと報告する。Engin-Demir(2009)は、トルコの 23 校に通う 719
人の都市部貧困層子弟を題材とした階層線形モデル分析から、学習達成度に最も影響力があるの
は「快活な生徒の学校生活(Well-being at school)や家庭の環境で、学校教育の「質」の影響力を
上回ることを報告した。また Pangeni(2014)は、ネパールの中等教育学校 21 校に通う 762 人の
生徒を対象とした階層線形モデル分析より、家庭(親の教育、家の蔵書数)
、生徒(出欠)
、学校
(開校日数、学校の施設整備状況)の順に学習達成度と連関性が強いと指摘する。
③被説明因子の多様性
学校効果研究は、被説明因子を学習達成(学力調査スコア)とするのが常道であるが、Harber and
Davies(1997: 167)は、一見効果の弱い学校も実証研究では把握が難しい別の効果が隠れている
可能性を指摘し、被説明因子を学習達成に限定せず、文脈や目的に応じて多様であってよいと提
起する。実際、Hanushek(1995:142)は 90 の研究が用いた 377 の生産関数モデルのうち、282 は
学習達成度(試験結果)
、95 はそれ以外の因子(就学の継続、中退、卒業後の収入等)を用いた
と報告し、小学校より中学校を対象とした研究において「それ以外の因子」の採用例が多いこと
を指摘する。
④因子の連続性 vs.閾値、前提条件、発達段階
学校制度は類似すると同時に相違するという着眼や、Fuller & Clerk(1994)の提示する文化状
況モデル、ないし偶発性の指摘は、効果因子は一様に普遍的でも、一様に文脈依存的・偶発性に
制限されるわけでもないことが示唆される。関連して、因子の非連続性を含意する以下の指摘は
興味深く、留意に値する。Gamoran et al.(2007)は、学校への資源的投入が効果を発現する一定
の限界があり、これを超えると資源的投入の効果は逓減し、学校効果における閾効果が存在する
と指摘する。また、Lomos et al(2011)は、学校効果が発現する「前提条件」という着眼を提起
し、態度、価値、学校の雰囲気等の学校文化、生徒の学習到達に対する高い期待、学習に対する
プレッシャー、基礎学力・技能の強調等(の上記の効果的学校(著者注))の特徴がこれに該当す
8
るのではないかと指摘する。また、Hopkins や Cheng は学校の発達や成長の状況は文脈因子であ
り、いわば発達段階に応じ改善戦略は異なると指摘する(Hopkins et. al 1997、Cheng 1993 in
Scheerens 2000)
。これらは、連続的な線形回帰分析により因子を一様に扱う学校効果研究は、発
達段階に応じて学校が内在し得る、学校効果における敷居効果、前提条件がもたらす非連続性の
前に一定の限界に直面し得ることを示唆しているとできる。
(3)効果因子の普遍性と文脈異存性
Hofman et al(2015:2)は、学校効果のコンセプトは、就学(Schooling)の分脈により条件付け
られ、学校効果の因子(predictor)は国、地域間、学校タイプ、及び就学者の特徴や、公立・私
立の違いにより異なると総括している。より文脈依存性を重視する論者は、文化や文脈の相違に
注意深く配慮しない限り、ある文化で機能する因子が、他の文化でも同様に機能するとは考えに
くいと指摘する(Vuillamy 2004: 260-271、Harber and Davies 1997 等)
。さらに、無暗に好事例を他
地域に適用・普及を企図しても、意図されない結果を招き、学校効果を損ねてしまうリスク(IEG
2006)
、さらに、開発協力を通じた「証拠に基づく政策 Evidence-based policy」の推進は、文化を
超えた普及の困難さを看過した楽観論を強化する作用(Vuillamy 2004)等、因子の普遍性に対する
慎重論は傾聴に値しよう。とまれ、学校制度は文化や国を超えて相違していると同時に類似して
おり、効果因子には一定程度の普遍性があるが、文脈への依存性も存在し、普遍的、決定的な因
子は存在しないと広く含意がなされているように見える。
(4)公正性
学校効果研究の分脈で公正性を論ずるものは多くないが、Boissiere(2004)はブラジルを題材と
した Harbison and Hanushek(1992)
、ガーナを題材とした Glewwe(1999)や世界銀行の教育プロ
ジェクトを評価した White(2004)を参照しつつ、貧困層においても学校施設と教科書が効果因
子であり、裕福層の教育生産関数と大きな差は存在しないと指摘する。その上で、インドネシア
を扱った Filmer and Lievermann(2002)やインドを分析した Abadzi(2002)を引き合いに、生産
関数は貧困層、裕福層ともに同様であるにも関わらず、教育格差が存続する主因は、貧困層に対
する政府の関心と資源配分が不十分であると指摘する。この他、社会的弱者層に言及した実証研
究には Van Der Werf, et. al(2004)が認められる。同研究は、米国国際開発庁(USAID)によるイ
ンドネシアに対する技術協力のデータを分析したもので、学校効果に最も影響力があったのは、
学級レベルの因子(innovative teaching、asking questions to pupil)で、その他「校長による教室観
察(350)
」
「保護者によるボランティアワーク(351)」が挙げられている。同時に本研究は、効果
的学校においても脆弱者層の学びは限定的であると報告し(332)
、国際教育協力における公正性
の重要性を提起するものである。さらに、Glewwe et. al(2009)は、ケニアにおいては、教科書
の学習達成の効果を認めることができるが、成績が上がるのは一部の成績優秀層に限定され、教
科書の影響は限定的であると報告している。
(5)学校効果自体への批判-そもそも「学校の効果」は有効か?
Wrigley(2004: 13-22)は英国における学校効果研究の展開の文脈から、「方法論的混乱
(methodological confusion)
」
、
「文脈の過度の単純化(contextual reductionism)」「歴史の過度の単
純化(historical reductionism」及び「モラル的な単純化 moral reductionism」の 4 点から批判を展開
する。彼は、学校を巡る因子は「学校因子」
「学校外因子」の様に峻別しにくいにも関わらず、あ
たかもそれが可能であるかのように因子を統制し、学校、学校外因子のどちらが効くのか、とい
9
った論争を誘導すること自体のリスクを指摘する(「方法論的混乱」
)
。また、学校を統計的統制に
より環境から断絶するような分析指向を批判し、そもそも学校の環境要因は学校が対峙すべきこ
とであり、統制したり捨象したりすべきものではないと説く(文脈の過度の単純化)
。さらに、英
国の効果的学校研究は 80 年代のサッチャーリズムと共鳴し、結果的に困窮地域の学校を「非効果
的」だと一方的に断罪した負の歴史的側面と向き合うべきと指摘し(
「歴史の過度の単純化」
)
、そ
うした歴史性を内省しない限り、学校効果研究者は、核爆弾の開発に貢献することに無自覚な核
融合物理学者と同様となりかねない、と警鐘を鳴らす。他方、学校内の差異(学習到達度度の分
散)よりも学校間の差異が大きい状況において学校効果分析は有効であるというのは通説である
が、学校間の差異もさることながら、学校の有無の差異も同等以上に重要であるという Little &
Rolleston(2014: 5)指摘は傾聴に値する。
4.小括
概観したように、学校効果研究の進展は、
(i)定量的研究が主で、
(ii)90 年代以降の統計的処
理の洗練と並行して、(iii)吟味する因子の多様化、他方で、(iv)効果因子は長らく論争的であ
ることが分かる。吟味する因子の分脈依存性への了解と、なお普遍性ある因子の追究が両立する
ややアンビバレントな様相を呈し、最近は、説明責任や、証拠に基づく施策展開への要請から、
単一的介入を追究する指向に回帰しつつあるのが趨勢であるとできる。
この趨勢の中、筆者は以下の点に着目したい。第一に、開発途上国の学校効果研究では、意外
にも「効果的学校」研究の蓄積が乏しい点である。
「効果的学校」への言及は「べき論」に留まり、
効果的学校研究の着眼に忠実に立脚した先行研究蓄積は管見の限り見当たらなかった。また、
「効
果的学校」への言及や、
「効果的学校」の特徴リストは提示されてきたが、必ずしも原意に忠実な
「効果的学校」の着眼によるものではなく。両論が峻別されずに展開してきたといえよう。
先進国の研究潮流とは異なり、何故途上国では効果的学校研究の蓄積が乏しいのか?米国の研
究では、効果的学校論が「学校にも社会的不公正を緩和する力がある」と対論を提示したが、途
上国の学校効果研究でその役割を担ったのは教育生産関数研究であった。これに与する国際援助
機関系の定量的研究勢力の陰で、効果的学校研究は、強い地歩を得にくかったようである。
第二に、途上国の学校効果研究では、公正・効率に比較すると公正がやや看過されてきた可能
性が指摘できよう。Boissiere(2004)は貧困層と裕福層の教育生産関数は類似する傍ら、教育格
差の縮減には貧困層への教育投資こそが必要であると指摘するが、現代においても格差縮減は深
刻な課題である。Jansen(1995)や Riddel(2008)が指摘するよう、途上国の学校効果研究は、
国際援助機関に所属する研究者によるものも多く、この場合、資金提供者や納税者への説明責任
や、証拠に基づく施策展開要請に応えるべく、効果や効率性を指向する傾向がある。投入の効率
と効果に焦点が置かれると、教育開発問題のもう一つの核心である公正性の問題、それを基底す
る多様で困難な弱者層には接近しにくい可能性が危惧される。
第三に、学校内部の関係性、信頼性の構造に探求の余地があるとみられる点である。吟味する
因子は、組織、リーダーシップ、信頼性、関係性、文化状況、文脈、過程や生徒の母語や家庭環
境等に拡大してきた。他方、
「良い学校」の関係者は、地域との関係性や連節性を重視し、リスト
が掲げる効果的学校特徴と乖離があるとする指摘がある(Reynolds 2010、Harris et. al, 2006)
。こ
10
れが妥当な指摘な場合には、学校営為の基盤たる関係性、信頼性等には更なる探求の余地がある
とできよう。
第四に、学校の発達段階を反映した学校効果モデルの不在を指摘できよう。学校の発達段階に
応じて、効果発現を条件づける敷居効果や前提(ないし必要・十分条件)は異なり、またこれら
が、線形・連続的な効果の発現を阻むという仮説は提示されつつも、学校が内包する非連続性は
さほど注視されずに、学校効果研究は展開してきた。このことが研究の有用性に一定の限定を付
与している可能性はあるまいか。もとより定量的学校効果研究は、
(学校の多様性や発達段階を含
む)分散を統制してもなお効果ある因子を探求するものだから、発達段階等も統制の対象になり
え、この意味はやや逆説的な指摘ではあろう。所与の因子は一様に普遍的に効果を発揮する、な
いしは一様に文脈依存的に影響力が制限されるとは考えにくいので、敷居効果、前提条件、学校
の発達段階、ないし因子の役割という着眼を整理することにより、非連続性を織り込んで「似て
非なる」学校を扱う学校効果因子モデルを仮説化できる可能性が認められる。
第五に、2030 年を見据え、途上国の学校効果研究の有用性の再構築への要請を指摘したい。
「ど
のような介入が学習達成度の向上に効果があるのか」という基本的な問い、またこの問いが含意
する「効果ある因子は普遍的で再現・複製可能である」という期待は、論争と併存しながらも一
貫している。翻って、学校効果研究が勃興した 60 年代、教育生産関数が隆盛した 80-90 年代と現
代を比較すると、
途上国の教育情勢の様相は大きく異なる。
初等教育は大幅に普及すると同時に、
教科書、教材、学校施設・備品等の整備状況も改善したとできるが、また学校統治は分権化し、
学校経営は官吏的リーダーシップから協働的な性格のより強い分散的リーダーシップへと軸足を
移し、統治機構上位からの単一的介入との親和性は薄れつつある。
さらに、Post2015 の教育開発アジェンダでは、
「学び」の確保と同時に、公正性-格差是正が再
度焦点化されようとしている。研究が、説明責任を動機付けとする効果と効率に焦点をおいた、
単一介入を志向する「伝統的な」学校効果研究に留まる限り、その Relevance は従前よりも薄れ
るであろう。
社会経済的に困窮する地域にあってもなおも効果を発揮する学校の特徴を析出する、
分権、自律的学校経営、公正といった現代的課題にも知見を提供しうる定量的、定性的接近を適
宜組み合わせた、学校効果研究が要請される。
学校因子の学校外因子のどちらが優勢か、という論点は刺激的で長らくの間論争を惹起してき
た。しかし筆者は、どちらが優勢か、ではなく学校因子、学校外因子のどちらも多少なりとも学
校効果に対する影響力を有している点においてほぼすべての研究が一致している点にこそ着目し
たい。また、効果・効率志向を強力に支えてきた学校効果研究は、公正の達成においても同様に
貢献できる可能性がある。この観点より、途上国の困窮地域にあっても成果を上げる学校に焦点
をあてた、効果的学校研究は、現代的な教育課題解決に貢献する分析枠組みとして、有用であり
続けることができるのではないか。
【参考文献】
川口俊明,2010,日本における『学校教育の効果』に関する研究の展開と課題,大阪大学大学院
人間科学研究科紀要 36;157-178(2010)
富田真紀、牟田博光, 2010.生徒の学力に影響を与える因子に関する研究―マラウイ共和国・MALP
を事例として―、国際開発研究、19 巻 1 号、67-79 頁
11
富田真紀,牟田博光,2012,学校要因と家庭環境要因が学力に与える影響力の比較:低所得国に
おける Heyneman-Loxley 説の検証とその解釈─マラウイを事例として─,国際教育協力論集、第
15 巻、第 1 号.23-38 頁,広島大学教育開発国際協力研究センター
廣里恭史,2002,
「世界銀行の教育協力理念と政策-開発理論と現実の狭間に漂う政策変遷の解雇
と展望」
,
『教育と開発-国際協力と子どもたちの未来』
,第二部第二章,新評論
三輪千明,2005,
「教育改善のための分析手法」,『国際教育開発論』,第 14 章,有斐閣
Abadzi, H. (2007) Absenteeism and Beyond: Instructional Time Loss and Consequences, Policy Research
Working Paper 4376, The World Bank Independent Evaluation Group, Sector, Thematic, and Global
Evaluation Division, October.
Baker, D.P., Goesling, B., Letendre, G. K. (2002) Socioeconomic Status, School Quality and National
Economic Development: A Cross-National Analysis of the “Heyneman-Loxley Effect” on Mathematics
and Science Achievement.” Comparative Education Review, 46 (3), 291-312.
Boissiere, M. (2004) Determinants of Primary Education - Outcomes in Developing Countries,
Background Paper for the Evaluation of the World Bank’s Support to Primary Education, World Bank
Operations Evaluation Department, Washington D.C.
Bordoloi, L. & Bordoloi M. (2012) Community Participation for School Effectiveness and Its Impact,
International Journal for Basic Sciences and Social Sciences, Vol.1, Issue 2, August-2012 Page: 30-35
Cheng, Y.C. (1993) Conceptualization and measurement of school effectiveness: an organizational
perspective, Atlanta: AREA paper (quoted in Scheerens 2000)
Cohn, E., & Rossmiller, R. A. (1987) Research on effective schools: Implications for less developed
countries. Comparative Education Review, 31, 377-99
Courtney, J. (2008) Do monitoring and evaluation tools, designed to measure the improvement in the
quality of primary education, constrain or enhance educational development? International Journal of
Educational Development 28 (2008) 546–559
De Grauwe, A. (2005), Improving the quality of education through school-based management: Learning
from international experiences, Review of Education 51:269–287
Edmonds, R. (1979) Effective schools for the urban poor, Educational Leadership 37, 15-24.
Engin-Demir, C. (2009) Factors influencing the academic achievement of the Turkish urban poor,
International Journal of Educational Development 29 17–29
Fuller, B. (1986) Raising School Quality in Developing Countries: What Investments Boost Learning?
World Bank Discussion Papers No. 2, World Bank, Washington, D. C.
Fuller, B. (1987) What school factors raise achievement in the Third World? Review of Educational
Research, 57, pp. 255-292.
Fuller, B. and Clarke, P. (1994) “Raising School Effects While Ignoring Culture? Local Conditions and the
Influence of Classroom Tools, Rules and Pedagogy”, Review of Educational Research, 64: 119-157.
Gamoran, A., Long, D.A. (2007) Equality of educational opportunity: a 40 year retrospective. In: Teese, R.,
Lamb, S., DUru-Bellat, M. (Eds.), International Studies in Educational Inequality, Theory, and Policy.
Educational Inequality: Persistence and Change, vol. 1. Springer, New York.
Glewwe, P., Kremer, M. and Moulin, S. (2009) Many children left behind? Textbooks and test scores in
Kenya. American Economic Journal: Applied Economics 1(1), 112-135
12
Hallam, P. R., Boren D. M., Hite, D. M., Hite, S. J., and Mugimub, C. B. (2014) Headteacher visibility and
teacher perceptions of headteacher trustworthiness: A comparison of the Ugandan context to existing
theory, International Journal of Educational Development 33 (2013) 510–520,
Hannaway, J. and Talbert, J. (1993) Bringing context into effective schools research: urban-suburban
differences, Educational Administration Quarterly, 29.
Hanushek, E.A. (1995) Interpreting Recent Research on Schooling in Developing Countries, World Bank
Working Paper No.3, World Bank, Washington D.C.
Hanushek, E.A. (1997), Assessing the Effects of School Resources on Student Performance: An Update,
Educational Evaluation and Policy Analysis Summer 1997, Vol. 19, No. 2, pp. 141-164
Harber, C. (1992) Effective and ineffective schools: an international perspective on the role of research,
Educational Management and Administration, 20, 161-169
Harber, C., & Davies, L. (1997). School management and effectiveness in developing countries: The
post-bureaucratic school. London: Cassell.
Harbison, R. and Hanushek, E (1992) Educational Performance of the Poor: Lessons from Rural Northeast
Brazil. Oxford U. Press for the World Bank.
Harris, A, Adamsb, D., and Jonesb, Suzette, M., and M, Muniandy (2005) System effectiveness and
improvement: the importance of theory and context, Published online: 21 Jan 2015.
Harris, A., Muijs, D., Chapman, C., Russ, J., & Stoll, L. (2006). Improving schools in challenging
contexts: Exploring the possible. School Effectiveness and School Improvement, 17, 409–425.
Heneveld, W., and Craig, H (1996) Schools Count, World Bank Project Designs and the Quality of Primary
Education in Sub−Saharan Africa, The World Bank, Washington, D.C.
Heyneman, S. & Loxley, W. (1983) The effect of primary school quality on academic achievement across
twenty-nine high and low income countries, American Journal of Sociology, 88, pp. 1162-1194.
Hofman, H.R., Hofman, W. H. A. , and Gray, J. M. (2015) Three conjectures about school effectiveness:
An exploratory study, Educational Leadership and Management
Hopkins, D., Harris, A., & Jackson, D. (1997). Understanding the school’s capacity for development:
Growth states and strategies. School Leadership & Management, 17, 401–412
Independent Evaluation Group (IEG), 2006, From Schooling Access to Learning Outcomes: An Unfinished
Agenda: An Evaluation of World Bank Support to Primary Education, Independent Evaluation Group, The
World Bank, Washington, D.C.
Jansen, J. D (1995) Effective Schools?, Comparative Education, 31:2, 181-200
Jencks, C. (1972) Inequality: A Reassessment of the Effect of Family and Schooling in America,
(Middlesex: Penguin Books), 158-159.
Kremer, M., 2003, “Randomized Evaluations of Educational Programs in Developing Countries: Some
Lessons”, American Economic Review Papers and Proceedings, 93:2: 102-106.
Kremer, M., Brannen, C. and Glennerster, R. (2013). The Challenge of Education and Learning in the
Developing World. Science 340(6130), 297-300
Lee, V., Zuze, T. L. and Ross, K. (2005) School effectiveness in 14 sub-Saharan African countries: Links
with 6th Graders' reading achievement. Studies in Educational Evaluation 31(2), 207-246.
Lee, V.E., Franco, C., and Albernaz, A.,(2006) Quality and Equality in Brazilian Secondary Schools: A
Multilevel Cross-National School Effects Study, Second Revision, August 30
Little, A. and Rolleston, K. (2014) ‘School quality counts: evidence from developing countries. Editorial’,
Oxford Review of Education 40 (1): 1-9.
13
Lockheed, M. E., & Verspoor, A. M. (1991). Improving primary education in developing countries.
Washington, DC: World Bank.
Lomos, C., Hofman, R. H., & Bosker, R. J. (2011). Professional communities and student achievement—
A meta analysis, School Effectiveness and School Improvement, 22, 121–148.
Nguon, S. (2012) Parental involvement and students’ achievement in Cambodia: Focusing on parental
resourcing of public schooling, International Journal of Educational Research 53, 213–224
Pangeni, K. P. (2014) Factors determining educational quality: Student mathematics achievement in Nepal,
International Journal of Educational Development 34 (2014) 30–41
Patrinos, H. A., & Psacharopoulos, G. (2011). Education: Past, present and future challenges (Policy
Research Working paper 5616). Washington, DC: World Bank.
Pennycuick, D. (1993), School effectiveness in developing countries - A summary of the research evidence,
education research paper, No.01, Department for International Development, London
Pritchett, L. and Flimer, D. (1999) “What Education Production Functions Really Show: A Positive Theory
of Education Expenditure.” Economics of Education 18(2):223-239.
Reynolds, D. (2010) Failure-free education? The past, present and future of school effectiveness and
school improvement. London: Routledge.
Riddell, A. (2008) Factors Influencing Educational Quality and Effectiveness in Developing Countries: A
Review of Research, GTZ, Eschborn
Rosenholts, S. (1989) Teachers’ Workplace: the social organisatio n of schools, New York: Longman
Rutter, M. et al. (1979) Fifteen Thousand Hours: Secondary Schools and Their Effects on Children,
London: Open Books
Scheerens, J. (2000) Improving school effectiveness, Foundations of Educational Planning, No. 68, IIEP,
Paris
Scheerens, J. & Bosker, R. J. (1997). The foundations of educational effectiveness. Oxford: Pergamon.
Schiefelbein, E. & Simmons, J. (1981) Determinants of school achievement: a review of research for
developing countries.(Ottawa, Canada, International Development Research Centre [IDRC]).(quoted in
Jansen 1995)
Simmons, J. & Alexander, L. (1978) The determinants of school achievement in developing countries: a
review of research, Economic Development and Cultural Change , 26, pp. 341- 357. (quoted in Jansen
1995)
Thiesen, G. et al. (1983) The underachievement of cross-national studies of achievement, Comparative
Education Review, 27(1), pp. 46-68.
Vuillamy, G., (2004) The Impact of Globalization on Qualitative Research in Comparative and
International Education”, Compare 34(3): 261-284.
Willms, J.D. (2006) Learning Divides: Ten Policy Questions about the Performance and Equity of Schools
and Schooling Systems, UNESCO Institute for Statistics, Montreal
Wößmann, L. and Fuchs, T (2005) Families, Schools, and Primary-School Learning; Evidence for
Argentina and Colombia in an International Perspective, World Bank Policy Research Working Paper 3537,
Washington D.C.
Wrigley, T. (2004) School of Hope, Trentham Books, Stoke-on-Trent, UK
Yu, G. (2007) Research evidence of school effectiveness in sub-Saharan Africa, Working paper No. 12
EdQual, DFID
14
中所得国の罠と人的資本の蓄積に関する実証分析
佐藤
青山学院大学大学院
惣哉
経済学研究科
公共・地域マネジメント専攻
E-mail: [email protected]
キーワード:中所得国の罠(Middle-Income Trap)、人的資本、経済成長
1.はじめに
中所得国の罠とは、経済が低所得国の水準であった発展途上国が経済成長により中所得
国の水準に達した後、経済開発のパターンや戦略を転換できず経済成長率が長期にわたっ
て低迷し、経済が先進国のように高所得国の水準に到達できない現象のことを指す。 中所
得国の罠に陥ったと考えられる国としては、タイ、マレーシア、メキシコ、ブラジル、チ
リなどが挙げられる。一方、中所得国の罠から抜け出して高所得国の水準に達した国 とし
ては、日本、韓国、シンガポールなどが挙げられる。これらの国 は世界銀行が 1993 年に発
表 し た 「 東 ア ジ ア の 奇 跡 」 に 関 す る 研 究 レ ポ ー ト の 中 で 「 高 成 長 ア ジ ア 諸 国 (HPAEs:
High-Performing Asian Economics)」と定義され、経済成長の成功例として取り上げられた。
高成長アジア諸国の経済成長の要因として様々なものが考えられるが、特に教育水準が高
く人的資本の蓄積が進んでいることが挙げられる。労働者の教育水準が高ければそ れだけ
技術の習得も速く、生産性が向上し経済成長に大きく寄与すると 考えられる。本研究では
中所得国の罠の要因の一つとして考えられる人的資本の蓄積不足という観 点から、中等教
育段階以上の卒業者の割合が上昇し人的資本が蓄積されることによって中所得国の罠から
抜け出し高所得水準に達するという仮説について統計データを用いて検証を 行った。さら
に青木・清谷(2009)の内生的経済成長理論をベースとしたモデル を用い、人的資本と経
済成長の関係性について実証分析を行った。
2.人的資本の蓄積状況の比較
本研究では中所得国の罠の要因の一つである人的資本の蓄積不足という点に着目し、 中
所得国の罠に陥った国と高所得国水準に達した国との比較を行う。先述の通り中所得国の
罠に関する定義は複数存在するが、ここでは世界銀行の所得分類に基づき、 中所得国
(Middle Income)の水準に達した後、高所得国(High Income)の水準に届かず長期間(本
研究では 25 年以上と基準とする)にわたって中所得国の水準に停滞している国と定義する。
この定義にしたがえば、中所得国の罠に陥った国としてはタイ、マレーシア、ブラジル、
チリ、メキシコの 5 か国が分類され、高所得国水準に達した国としては日本、シンガポー
ル、韓国の 3 か国が分類される。ここでの具体的な手順としては、まず一人当たり GNI の
時系列データを用いて中所得国の罠から抜け出した国が高所得水準へと転換した年(以下、
転換年と示す)を特定した。次にその転換年の人的資本の蓄積を示す教育水準のデータを
用い、中所得国の罠に陥った国と高所得国水準に達した国との人的資本の蓄積状況につい
て国際比較を行った。所得水準は世界銀行の World Bank Indicators の一人当たり GNI(US
ドル)を、人的資本の蓄積は Barro and Lee(2013)の初等教育段階、中等教育段階、高等
教育段階それぞれの卒業者が 15 歳以上の総人口に占める割合のデータを使用した。
表1 転換年と高所得国水準に達するまでの期間
高所得国水準に達した国
中所得国の罠に陥った国
日本
韓国
シンガポール
タイ
マレーシア
ブラジル
チリ
メキシコ
①
1966 年
1978 年
1971 年
1988 年
1977 年
1974 年
1971 年
1973 年
②
1986 年
1996 年
1991 年
―
―
―
2011 年
―
③
20 年
18 年
20 年
25 年
36 年
39 年
41 年
40 年
(注)①:中所得国水準に達した年
②:高所得国水準に達した年
③:
(②-①)の年数
(高所得国水準に達していない国に関しては 2013 年までの年数)を示す。
(出所)筆者作成。
表 1 は中所得国水準、高所得国水準に達した年および高所得国水準に達するまでの期間
をまとめたものである。転換年は表中の②の部分である。高所得国水準に達するまでの期
間を比較すると、高所得国水準に達した国は 20 年前後であるのに対し、中所得国の罠に
陥った国はタイを除いて 40 年前後経過していることが読み取れる。
次に、人的資本の蓄積状況について高所得国水準に達した諸国の転換年付近と中所得国
の罠に陥った諸国の直近(2010 年)との比較を行った。その結果、高所得国水準に達した
諸国は高所得国水準へと転換する前段階から中等教育段階以上の卒業者の割合が急速に増
加し、転換した局面では中等教育段階卒業者の割合が 50%程度、高等教育段階卒業者の割
合が 20%程度に達していた。一方、中所得国の罠に陥った国は前者に比べて中等教育段階
以上の卒業者の割合が増加するスピードが緩やかであり、依然として未就学者と初等教育
段階の卒業者の割合が 40%程度あることから、中等教育段階以上の人的資本の蓄積が不足
していると考えられる。これらの結果より、中所得国の罠から抜け出し高所得水準に達す
るためには、中等教育段階以上の卒業者の割合が上昇し人的資本が蓄積されることが重要
な役割を果たすことが示唆される。
3.実証分析
ソロー・モデルに代表される新古典派経済成長理論においては、技術進歩に代表される
各国の生産性の違いは外生的に与えられると仮定されている。青木・清谷( 2009)では持
続的な経済成長の源泉となる技術進歩を内生化しようと試みた内生的経済成長理論(新し
い経済成長理論)の代表的な Jones(1996)のクロスセクション分析のモデルをパネル分析
に拡張し、Jones(1996)で得られた結論との比較を行っている。本研究では、青木・清谷
(2009)のモデルを用いて推計結果から得られた国固有の固定効果の水準を比較すること
により、上で得られた結果の検証をパネル分析という観点から試みる。本研究で用いる推
計式は以下の通りである。
ln 𝑦𝑖 ∗ = 𝛽0 + 𝛽1 ln[𝑠𝐾,𝑖 /(𝑛𝑖 + 𝑔 + 𝑑)] + 𝛽2 𝑁𝑖 + ε𝑖
(1)
ln 𝑦𝑖,𝑡 = 𝛽0 + 𝛽1 ln 𝑦𝑖,𝑡−1 + 𝛽2 ln 𝑠𝐾,𝑖,𝑡 + 𝛽3 𝑁𝑖,𝑡 + 𝜁𝑖 + 𝜀𝑖,𝑡
(2)
(1)式はクロスセクションデータを用いた推計式、
(2)式はパネルデータを用いた推計式
である。y は一人当たり実質 GDP、𝑠𝐾 は実質民間投資/実質 GDP、n は人口成長率、g は
技術進歩の拡大率、d は資本減耗率(0.05 で一定)、N は平均教育年数、𝜁 は固定効果を
示す。平均教育年数は Barro and Lee(2013)のデータを、それ以外の変数に関しては Heston
et al. (2012) の Penn World Table Version 7.1 のデータを用いた。なお、パネルデータ分析に
おいては操作変数法を用いて推計を行っている (1) 。対象期間は 1970 年から 2010 年であり、
対象国は継続的にデータを入手できた 121 か国である。推計結果は以下の通りである。
表2 推定結果(クロスセクション分析)
定数項
ln[𝑠𝐾,𝑖 /(𝑛𝑖 + 𝑔 + 𝑑)]
4.0523∗∗∗
(5.1018)
0.3807∗∗
(2.4416)
0.3692
𝑁𝑖
表3 推計結果(パネル分析)
定数項
𝑙𝑛 𝑦𝑖,𝑡−1
∗∗∗
(13.5064)
𝑙𝑛 𝑠𝐾,𝑖,𝑡
𝑁𝑖,𝑡
2.3263∗∗∗
(8.1220)
0.6403∗∗∗
(17.4328)
0.0840∗∗
(2.2869)
0.0785∗∗∗
(9.8614)
𝑅2
0.7054
𝑅2
0.9896
サンプル数
121
サンプル数
726
(注)*** は 1%未満, ** は 5%未満, * は 10%未満の有意水準で有意であることを示す。
カッコ内は t 値を示す。
(出所)筆者作成。
クロスセクション分析(表 2)、パネル分析(表 3)ともに一期前の所得水準、物的資本
投資率、人的資本投資率のいずれも先行研究と同様に統計的に有意にプラスである。
図1 高所得国水準に達した国と中所得国の罠に陥った国の固定効果
固
定
効
果
0.7
0.6
0.5
0.4
0.3
0.2
0.1
0.0
(出所)筆者作成。
図 1 は高所得国水準に達した国と中所得国の罠に陥った国の固定効果を示したものであ
る (2) 。両グループとも固定効果はプラスであることから、国固有の要因が経済成長にプラ
スの影響を与えていることがわかる。さらに高所得水準に達した国は相対的に固定効果が
大きいことが読み取れる。一方、中所得国の罠に陥った国は相対的に固定効果が小さい。
韓国とメキシコの効果の値が接近しているものの、全体的な傾向としては高所得国水準に
達した国の方の固定効果が大きいことが考えられる。また、固定効果が大きい国は欧米や
高所得国水準に達した東アジア諸国など比較的教育水準が高い国が多い傾向にあり、固定
効果が小さい国はアフリカや南アジア諸国など比較的教育水準が低い国が多い傾向にある。
したがって、人的資本の蓄積が経済成長に与える影響は大きいことが考えられる 。
4.おわりに
本研究では中所得国の罠に陥った国と高所得国水準に達した国の人的資本の蓄積状況
を比較し、さらに実証分析を行うことによって中所得国の罠と人的資本の蓄積の関係性に
ついて検証を行った。結論としては、中所得国の罠から抜け出し高所得水準に達するため
には中等教育段階以上の卒業者の割合が上昇し人的資本が蓄積されることが重要な役割を
果たすことが示唆された。
注記
(1)
(2)
推計モデル、変数について詳しくは青木・清谷(2009)を参照。
固定効果は全ての対象国について求めているが、この発表論文では省略している。
全体の傾向としては欧米諸国やアジアの高所得国がプラスであり、アフリカ諸国
や南アジア諸国がマイナスの効果を示している。
参考文献
青木大樹・清谷春樹、2009、
「人的資本に基づく技術移転理論は各国の所得格差を説明する
か:動学パネル分析による検証」、内閣府。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/discussion-paper/menu.html (2015 年 1 月 23 日)。
Alan, Heston. Robert, Summers. And Bettina, Aten. 2012. “Penn World Table Version 7.1.” Center
for International Comparisons of Production, Income and Prices at the University of
Pennsylvania. https://pwt.sas.upenn.edu/ (February 27, 2015)
Barro, R. J. and Jong-Wha, Lee. 2013. “A new data set of educational attainment in the world,
1950-2010.” Journal of Development Economics. Vol.104. pp.184 -198.
Charles, I. Jones. 1996. “Human Capital, Ideas, and Economic Growth.” Stanford University.
http://web.stanford.edu/~chadj/papers.html (February 5, 2015)
World Bank, World Development Indicators. World Bank.
http://data.worldbank.org/data-catalog/world-development-indicators.
(February 9, 2015)
地域住民が参加するカリキュラム形成の現状と課題
―ザンビア農村部を事例として―
興津 妙子
(東京大学大学院教育学研究科)
Email: [email protected]
キーワード:住民参加、カリキュラム、教育政策、分権化、ザンビア
1.
研究の背景と問題の所在
近年、教育行政の地方分権化の流れのなかで、学校運営や教育プロセスに保護者や地域
住民の主体的な参加を確保する制度の構築が世界的な動向となっている。歴史的に、教育
の目的は、国家が近代化を遂げるために必要な人的資本を提供するためとされ、体系化さ
れた知識をいかに効率よく伝達できるかということが重視された。そうした教育観のもと
では、
「知識」は学習者にとって外在的なものであり、学習は「知識の権威者」である教師
から学習者に「知識」を伝達する営みであると位置づけられた。そのため、カリキュラム
は、中央政府によって画一化されたものであったり、学校毎に裁量が与えられている場合
でも、カリキュラムの編成・実施主体は伝統的に教師の役割とされてきた。しかし、20 世
紀になると、知識は学習者に内在するもので、学習とは、学習者自身が他者との相互作用
を通じ問題を見つけ課題方法を探るべきとする学習観が台頭する。このような学習観や知
識観の転換が行われるなか、近年は、多様化する社会において、地域住民の参加を得て地
域の知を取り入れ、地域の生活や文化、価値観に根差したものとしていくことも課題とし
て認識されてきている(Taylor 2005)
。
カリキュラムの地域社会化については、2000 年に採択された「万人のための教育
(Education for All: EFA)ダカール行動の枠組み」においても、カリキュラムを学習者
の文化的環境に合致した(‘レレバント’)なものとするべきことが強調されている
(UNESCO 2000)。途上国では、学校で教えられる知識と地域の生計パターンや文化がかけ
離れ、学習者の主体的な学びが生起しないといった指摘があり、それが近年の地域の知や
文化に根差した「レレバント」な学習のあり方の模索につながっている(Lupele and
Sisitka 2012)
。こうした提案は、
「持続可能な開発のための教育(ESD)
」が立脚する進歩
的で民主的な知識観、学習観とも重なり合っている(ibid)。
このような背景の下、サブ・サハラ・アフリカ(以下、アフリカ)の多くの国でも、2000
年以降、政策上、カリキュラムの地域化と地域住民の参加推進が掲げられてきた(Lupele
and Sisitka 2012)
。本研究で対象とするザンビアでも、2003 年の基礎教育シラバス改編
の際に、
「地域学習(community studies)
」が取り入れられ、地域住民がその形成と実施に
参加することが推進されてきた。しかし、教育の分権化に関する既存研究は、学校運営に
おける住民参加に関する議論が中心であり、学校と地域との協働によるカリキュラム形成
や教材開発についての研究はほとんど行われていない。
そこで、本研究では、住民参加型の地域カリキュラムの試みの実態と課題について、ザ
ンビア農村部の事例分析をもとに考察することを試みる。ザンビア農村部という社会・文
化的文脈のなかで、「住民参加型のカリキュラムの地域社会化」という政策構想に対する
地域住民と教師の受容を明らかにすることにより、アフリカにおけるこうした政策と実施
のあり方について、有効な視座を提供し得ると考える。
2.ザンビアの教育政策におけるカリキュラムの地域社会化(「localisation」
)
ザンビアでは、1996 年に策定された教育政策「Educating Our Future 」(MOE 1996)にお
いて、2015 年までに 9 年間の基礎教育の完全就学を実現することを宣言した。同政策では、
その実現のため、集権的で画一化された教育を見直し、教育行政の分権化や住民参加を推進
する方向性も打ち出した。こうした政策の転換を受け、カリキュラム開発センタ ー
(Curriculum Development Centre: CDC)は、2000 年に教師用解説書 The Basic School
「各学校レベルで校長と教師により『地域化されたコンポ
Curriculum Framework を発表し、
ネント』を形成すること」
(CDC 2000, p17)が推奨された。そこでは、学習のあり方として、
既成の知識や技能を習得することではく、探究や活動を通じて、問題解決、応用力を身に着
け、地域共同体や世界を理解することに重点が置かれている(CDC 2000)
。2003 年には、17 年生(前期・中期基礎教育)を対象とした基礎教育シラバスも改編され、新たに設定され
た 6 つの学習領域の 1 つとして
「地域学習(community studies)
」
が含められた
(CDC 2003)1。
カリキュラムの 20%を地域学習に充てることが期待され、そのために保護者や地域住民が学
校レベルでのカリキュラム形成に積極的に参画し、授業場面においても、ボランティアのリ
ソース・パーソンとして参加することが奨励されている(ibid)。換言すれば、保護者や地域
住民が初めてカリキュラム形成の「主体」となることが求められ、地域の文化や生計形態と
学校での学びの「連結(connections)」の強化が期待されるようになったといえる。
3.調査の方法
コッパーベルト州農村部のマサイチ郡を調査郡とし、政策の当事者による政策受容を明
らかにするために質的調査を行った。マサイチ郡は人口の大半が自給自足農業に従事する
農村地域である。具体的には、公立基礎教育学校 3 校において、保護者・地域住民 21 名、
教師 14 名、に対し、住民参加型の「カリキュラムの地域化」政策に関する認識、実施の現
状、導入に対する賛否意見とその理由、について半構造的聞き取り調査を行った。
4. 調査結果
聞き取り調査の第一段階として、教師と住民に対して「住民参加型のカリキュラムの地域
社会化」政策についての理解度を尋ねた。その結果、聞き取りを行った 14 名の教師のうち、
「全く知らない」と回答した者が 4 名、
「知っている」と回答した者が 3 名、
「聞いたことは
あるが具体的内容は分からない」と回答した者が 2 名、
「現在準備中」との認識を示した者
が 3 名、低学年の現地語教育と同一視していた者が 2 名であった。つまり、過半数の教師が
政策の具体的内容を知らない状況が判明した。また、同様の質問を地域住民に対して行った
ところ、
「カリキュラムの地域化」政策について知っている、あるいは聞いたことがあると
回答した者は皆無であった。また、質問に対して参加型のカリキュラムの地域化に関心を示
1 その他の 5 つの学習領域として、(1)識字と語学、(2)統合科学、(3)創造・科学、(4)ニューメラシーと算数、(5)社
会・開発科、が設定された。
した者もいなかった。
「参加型カリキュラムの地域社会化」政策を知っていると答えた教師
3 名は、いずれも郡教育評議会リソースセンターにより、住民参加型カリキュラム形成に関
するワークショップが過去に開催されたことを記憶していた。しかし、そのように述べる教
師たちも、ワークショップ開催後に学校が保護者や近隣住民に協力を呼びかけ、カリキュラ
ムを一部地域社会に根差したものに編成し直したり、保護者や住民をリソース・パーソンと
して授業に呼んだことは一度もないと述べた。このことは、政策内容を理解している教師で
あっても、何等かの理由によってそれを実践に移さない理由があることを示唆している。
そこで、聞き取り調査の第二段階として、教師と住民の双方に対し、政策に示されている
住民参加型「カリキュラムの地域化」の理念と実施方法について説明を行った上で、導入の
是非について意見を尋ねた。その結果、住民参加型のカリキュラムの地域化に賛意を示した
のは、教師 3 名と地域住民 2 名のみであり、ほとんどの住民と教師が、住民参加型のカリキ
ュラム形成と実施に反対、あるいは消極的な意見を有していることが明らかになった。反対
意見を示した教師 11 名の全員が「カリキュラムに係る領域は教育省や教師の領域であり、
教育の素人である地域住民の領域ではない」と述べた。そして、そう考える理由として、学
校や教師の役割は農村部の子どもたちに近代的知識を伝達し農村での自給自足生活から抜
け出させることであるからと述べた。少数ながら(3 名)住民参加型のカリキュラムの地域
化の理念に賛同すると回答した教師たちもいた。しかし、彼らも、
「校長からの指示がない
のでできない」
「準備に係る時間的負担が大きい」
「具体的に住民と協働して授業計画を作る
方法がわからない」
「少ない授業時間を、7 年生修了試験の内容に含まれない地域学習に充
てる正当な理由が見つからない」との理由により、参加型地域化カリキュラムを実践するイ
ンセンティブがないと述べた。新カリキュラムの下で設けられた言語や算数などの 5 つの
学習領域については7年生修了試験でその成果が問われるが、6 つ目の「地域学習」は、教
師による日常的な形成的評価によって学習の進捗を確認するものとされ、8 年生への進学に
影響を与えない(CDC 2003)。調査地域においては、前期・中期基礎教育無償化に伴い児童数
が増えるなか教師不足のため 2 部制や 3 部制で授業を行なわざるを得ない状況であった。
授業時間数が限られている状況において、教師は、7 年生修了時に学習の成果が問われる基
幹科目に授業時間や準備時間を充当すべきであり、試験結果に反映されない住民参加型の
地域学習については優先度が低いと判断しているのである。
地域住民や保護者への聞き取り調査からは、彼らが住民参加型カリキュラムの地域社会
化に反対する第一の理由は、教師と同様、
「カリキュラムに係る領域は教育省や教師の領域
であり、教育の素人である地域住民の領域ではない」であることが明らかになった。また、
参加型地域化カリキュラムに反対する地域住民の多くは、教師と同様に、地域学習の導入が、
英語や算数などの基幹科目の授業時間の更なる減少につながり、児童が7年生修了試験で
良い成績を修められなくなることを危惧していた。ほとんどの保護者や住民は、学校教育の
機能を高次教育課程への進学とその後の都市での就職を通じた世帯内社会移動の実現と位
置づけていた。そのため、学校の機能を、自分たちが教えることのできない近代的「知識」
を教える場と意味づけ、近代的知識を子どもに“教える”のは訓練を受けた教師の役割であ
り、伝統文化や農業など自分たちで教えることができる内容はわざわざ学校で教える必要
はないと回答した。ただし、数人の保護者(5 名)からは、子どもが 8 年生に進学せずに中
期基礎教育修了のみでも何等かの現金収入が得られるように、木工や洋裁などの所謂「スキ
ルディベロプメント」を学校で展開することは歓迎するとの意見が出された。つまり、卒業
後に現金収入につながるような実践的学習については一定の需要があることが示唆された。
5.考察と今後の研究課題
以上の調査結果より、
「住民参加型のカリキュラムの地域社会化」政策は、政策の実施当
事者である教師や地域住民に十分に周知されていないこと、さらには、政策が位置づく進歩
的で内発的な学習観や知識観が、教師や地域住民が持つ伝統的な知識観や学校観と一致し
ていないことを明らかにした。そして、これらが政策の実施を阻害している重大な要因であ
るとの知見を導出した。本来、地域の知を取り入れた住民と教師との協働による「学び」の
再構築は、ボトムアップで構想され、実施に移されるべきである。しかし、ザンビアにおい
ては、政策構想と実施主体との間の認識に大きなズレが生じたまま、トップダウン式に政策
やマニュアルを実践に下ろす方法で試みられ、実施主体の積極的な取り組みを望むべくも
ない結果となっていた。Taylor (2004)が指摘するように、住民参加型のカリキュラムの地
域社会化の実施は、個々の教師による取り組みへの強いイニシアティブと熱意が不可欠で
ある。しかし、調査郡の教師の多くは、伝統的な知識観、学習観を持っており、カリキュラ
ムを現地の実情に合わせて住民と協働の上編成し直すという意欲は低い。さらに、住民参加
型学習の成果が、後期基礎教育への進学を左右する 7 年生修了試験の内容にも含まれない
という事実は、教師が地域学習を展開するインセンティブを一層低下させる状況を招いて
いた。
調査者は、この結果をもって、ただちに住民との協働に基づくカリキュラムの地域社会化
の理念自体を否定すべきではないと考える。しかし、本調査の結果は、このような大きな変
革を伴う政策は、住民や教師の認識や彼らを取り巻く現実を十分に踏まえて策定し、実践を
通じて学校現場で少しずつ変えていくことの必要性を示唆している。地域住民や保護者も、
学習の成果が世帯内社会移動や目に見える生活向上につながるという実感が得られない「学
び」に対しては反発を強めるだけではないだろうか。今後は、成功している取組みの事例研
究を行い、本調査との比較検討を行うことで、地域住民と学校との協働による学習がアフリ
カで展開されるための必要条件についてさらに考察を深めていきたい。
謝辞
本研究は、環境省環境研究総合推進費戦略課題 S-11「持続可能な開発目標とガバナンスに関する総合的研
究―地球の限られた資源と環境容量に基づくポスト 2015 年開発・成長目標の制定と実現へ向けて―」
(20132015 年度)の一環として行ったものである。
参考文献
Curriculum Development Centre (2003) Zambia Basic Education Sillabi, Grade 1-7. Lusaka: Zambia.
Curriculum Development Centre (2000)The Basic School Curricuum Framework. Lusaka: Zambia.
Lupele, J. and Sisitka, H (2012) Learning Today for Tomorrow – Sustainable Development Learning
Processes in Sub-Saharan Africa.
MOE (1996) Educating Our Future. Lusaka: Zambia.
Taylor, P. (2004) “How can Participatory Processes of Curriculum Development Impact on the
Quality of Teaching and Learning in Developing Countries?”Background Paper for the
Education for All Global Monitoring Report 2005: The Quality Imperative. Paris: UNESCO.
ネパールにおける平和で調和のとれた社会づくり
―「コミュニティにおける調停能力強化プロジェクト」の経験から―
○
土肥
優子
○ 竹内 麻衣子
国際協力機構(JICA) 国際協力機構(JICA)
E-mail: [email protected]
キーワード:平和構築、司法へのアクセス、紛争解決、社会の調和
1.
はじめに
ネパールでは二度の民主化運動(1990 年、2006 年)と包括和平合意(2006 年)を経て、新憲
法制定を要とした新たな国づくりが進められている。10 年に及んだマオイストの武装闘争が民衆
から支持された背景には、地域・民族・カースト間格差や差別構造、更には多民族社会であるに
も拘らず、単一民族・単一言語・単一文化のような国の在り方を追い求めてきた中央政府や支配
階級に対する不満があげられる。新生ネパールの課題は、封建制の払拭と多民族社会を反映した
国家建設である。
国際協力機構(JICA)は、ネパールの平和構築および民主化プロセスを促進するために、制憲議
会支援、選挙支援、民法起草支援を含む新国家の枠組みづくり支援と、メディア支援、コミュニ
ティ調停支援を含む市民社会及びコミュニティ強化への支援を実施してきた。
「コミュニティにお
ける調停能力強化プロジェクト」(2010 年 1 月~2014 年 9 月)は、当時中央における政治的混乱が
続く中で、地方の安定のために、平和で調和のとれた社会づくりに必要とされるコミュニティの
紛争管理能力の向上を目指していた。プロジェクト終了 3 か月前の 2014 年 6 月までに、491 件の
紛争が登録され、そのうち 405 件(約 82%)が解決された。調停利用者の大多数は、農民あるいは
初等教育修了者/非識字者であった。プロジェクトによる成果として、ダリット(不可触民)やマ
デシグループ(先住民族)等これまで公的な司法制度にアクセスできないと見られていた人たち
を含め、幅広い住民の紛争解決手段へのアクセスが改善された。また、プロジェクト実施期間中
の 2011 年 5 月には、調停法が制定され、2014 年 4 月より施行された。本プロジェクトを含めた
支援ドナーからの働きかけなどにより、裁判所における調停のみならずコミュニティ調停も同法
において紛争解決手段として明確に位置づけられた。更に、連邦制・地方開発省がコミュニティ
調停をネパール政府の事業に反映させ全国展開するという決定にも繋がった。
本調査では、政治・社会的変化に伴う地域レベルの紛争の変化と、プロジェクトによる地域の
安定および平和で調和のとれた社会の構築への影響を定期的にモニタリングする。以下第 1 回モ
ニタリング結果について報告する。
2.
地方における紛争の状況
地方では、昔からコミュニティ内に存在した紛争に加え、紛争終結後の政治や経済動向により
新たな紛争が発生している。
昔から存在した紛争とは、土地利用・所有、水・灌漑施設利用、金銭貸借などを巡る紛争のこ
とである。これらの紛争は、紛争解決の経験を積んできた調停人の分析を参考にすると、基礎的
な法知識の欠如や基礎教育を受けていないこと、代々続く昔からの敵対関係、差別意識及びそれ
に伴う強者による弱者抑圧、失業問題、時には宗教などが複雑に絡み合っている。
紛争終結後、新憲法制定に関して主要政党間で合意が成立せず、地方選挙等の政治プロセスが
遅延、地方で住民を代表した組織の不在状況が続いた。その間隙を縫って政党代表者が政治介入
することにより、地方は政党間の利権争いの場と化している。顕著な例が、村落・郡の開発計画
策定及び予算配分や公立学校の運営委員会を含む各種運委員会の結成を巡る利権争いである。更
に個人間や家族同士の些細な争いが、政党間の対立にまで発展している傾向が紛争終結以降続い
ている。また最近の出稼ぎ増加は、コミュニティ内の金銭貸借を巡る紛争増加をもたらしている。
一方で、紛争終結後、中央政府が導入した社会的包摂政策による地方社会への影響として、村
落レベルの各種委員会への様々なカーストの参加が進みカースト差別が減少傾向にあると語る住
民もいた。しかしながら、面談者の大半からは、同政策による影響はまだ限定的であることが示
唆された。
3.
平和で調和のとれた社会づくりへの影響
本調査では、プロジェクトによる地方の安定及び平和で調和のとれた社会の構築への影響につ
いて、1)紛争解決・紛争拡大回避、2)住民間の関係性の変化、3)開発から疎外されてきた
人々のエンパワメント、の3つの視点から検証する。
(1)紛争解決・紛争拡大回避
調停人の養成によりコミュニティの紛争管理能力を強化し、紛争解決ならびに紛争拡大回避に
貢献することは、本プロジェクトが最優先に狙っていた成果である。
地方社会が抱えている紛争の中で、コミュニティ調停がその解決に貢献してきたのは、主に昔
から存在する紛争に対してである。具体的には、土地利用・所有、水管理及び灌漑施設利用、金
銭貸借、家畜による農作物の損害を巡る紛争、住民間の誹謗中傷合戦、更にはカースト間、時に
は宗教間差別を背景とした争いなどである。住民が紛争解決手段としてコミュニティ調停を選ぶ
理由は、一方的に有力者によって解決策が提示されてきた伝統的紛争解決制度と異なり当事者の
合意に基づく解決方法であること、また裁判と異なり勝者-敗者の関係を生み出さない解決方法で
あることである。
注目すべき側面として、コミュニティ調停は、昔から存在する紛争を早期かつ迅速に解決する
ことで、住民間の争いが政治的対立やカースト間の紛争へ発展するのを未然に防ぐことにも寄与
していることが確認されている。民主化による権利意識の向上や紛争終結後の政治プロセスによ
る政治間対立が顕在化している中で、政党間やカースト間の未然の対立回避は、地域の安定にと
って重要な貢献であると言える。
一方で、政党間対立及び住民間の紛争から政党間対立に発展した紛争や刑事事件は、当初の計
画通りコミュニティ調停活動の領域外である。これは、コミュニティ調停等のインフォーマルな
紛争解決手法は、当事者間の合意に基づくという原則から、刑事事件等の紛争解決手段としては
そぐわず、対象としうる紛争に一定の制約が課されているためである。ネパールにおいて調停が
対象としうる紛争は、地方自治体規則と制定された調停法においても規定されており、本プロジ
ェクトにおいてもこれらの規則に沿って実施してきた。プロジェクト終了後半年を経た今次モニ
タリングの時点においてもおおむねこの原則に沿った実施がなされていることが確認された。ま
た、インフォーマルな紛争解決手段については、コミュニティの調和のために、個人の権利実現
が守られない可能性があるという懸念や、強制力がないという限界に対応し、最終的に公的な司
法へのアクセスの道も開かれていることが求められる。今回のモニタリング時点では調停から裁
判へのリファーの状況については確認していないが、リファーが必要と考えられる紛争も見受け
られた。
一例としては出稼ぎ増加に伴う金銭貸借に関する争いであり、調停で合意が成立してもその履
行が難しいケースがあることも見聞された。これは法的強制力をもたないコミュニティ調停の限
界であり、この種の紛争の解決は公的機関である裁判所との連携が推奨される。また当事者の合
意には基づくものの、権利の実現の観点からは懸念があるケースも見受けられた。但し、それで
も裁判所には持ち込みたくない当事者も多く、コミュニティ内での解決を望む傾向も今回のモニ
タリングで見受けられた。調停による紛争解決を通じ、平和で調和のとれた社会づくりにより貢
献するためには、裁判所等との連携体制の構築の在り方を検討するが必要である。
(2)住民間の関係性の変化
プロジェクトは、養成されたコミュニティ調停人が調停活動を重ねることにより、住民間の関
係改善ひいては社会の調和の促進を意図していた。
今回のモニタリングで新たに明らかになったこととして、調停活動により、紛争当事者および
その家族や隣人の意識や考え方が徐々に変化してきたことがあげられる。具体的には、如何なる
カースト・民族であれ紛争当事者の立場を平等に扱い丁寧にヒアリングする調停プロセス、裁判
所裁定と異なり勝者-敗者の関係を生まずに当事者間の合意によって紛争を解決するプロセスが、
復讐の機会を狙おうとする意識を弱めていること。またこれが更に住民間の関係性にもポジティ
ブな影響をもたらすであろうことが明らかにされたことである。時には一つの紛争に対して 3 回
~5 回の調停を重ねることで、紛争に至る前の経緯やそれぞれの立場・思いを洗い出す調停プロ
セスが大きな貢献要因となっている。加えて、調停活動を重ねることにより、今までは些細な揉
め事が瞬く間に紛争へ拡大する傾向にあったが、今では地域住民が自ら紛争がもたらす影響につ
いて考えるようになったという傾向も確認された。
住民間の関係性の変化は開発の促進にも影響を及ぼしている。行政官の証言によると、これま
で道路改修や給水施設整備のサイト選定が進まなかった村落において、
「we」の共通アイデンティ
ティの醸成により、開発事業が実施しやすくなったことも確認されている。
一方で、紛争当事者間の合意事項が履行されない場合、当事者間の不満は解消されず緊張関係
が続く。しかしそれ以上に、住民間の関係を本質的に変え平和で調和のとれた社会をつくる上で
最大の障壁は、コミュニティ間で程度の差はあるものの、根強く残っている差別意識や被差別意
識であることが明らかになった。平和で調和のとれた社会の構築を推進するためには、今次調査
で調停人自身が示唆していたとおり、時には調停人による、既存の社会構造に対する影響力も求
められていると言えよう。
(3)開発から疎外されてきた人々のエンパワメント
プロジェクトは、特定の人々のエンパワメントを目指したものではなく、コミュニティ全体の
紛争管理に関するエンパワメントを目指した案件である。しかしながら多民族社会を反映した社
会の形成は新生ネパールの主たる課題であるため、本プロジェクトでも調停人制度はカースト・
民族・ジェンダーに配慮した設計とした。
プロジェクトで構築された調停人選定の仕組みにより、調停人の中のダリットや先住民、女性
を含め開発から疎外されてきた人々の一部の間で自信創出や地位向上への貢献、他の住民からの
信頼獲得という、想定以上のポジティブな側面が一部調停人の間で確認された。特に貴重な変化
として、これまでのように一部のエリート層によって紛争が解決されるという体制ではなく、貧
困層、ダリット、女性でも紛争を解決し地域社会に変化をもたらすことができるという新たな発
想が、住民と行政官の間で生まれていることである。部分的であるものの、こうした変化は新し
い国づくりという観点からは意味深い。
4.
総括
ネパールにおいては依然、紛争終結後の新憲法制定プロセスが大幅に遅れているため、不安定
な政治状況が続いている。そうした状況下、プロジェクトは、対象地域が自らの手で紛争を管理、
解決できる能力を向上させる支援をおこない、地域の安定に一定程度寄与してきたと言える。特
に重要と考えられる側面は、第一に、土地紛争等の昔から存在する紛争を早期に且つ迅速に解決
することで、住民間の紛争が政党間やカースト間の対立へと拡大することを回避することに寄与
してきたこと。第二に、如何なるカースト・民族であれ紛争当事者の立場を平等に扱い丁寧にヒ
アリングする調停プロセス、勝者-敗者の関係を生まずに当事者間の合意によって紛争を解決する
プロセスが、住民の間で復讐の機会を狙おうとする意識を弱め、紛争再発防止にも貢献している
ことである。
また、プロジェクトで構築したコミュニティ調停制度により、公的な司法制度にアクセスでき
ないと見られていた住民層が紛争解決サービスを受けられるようになり、更には異なる社会階層
出身の人々が同等の立場から恊働して調停を行うという前例のない活動を通じて、対象地域では
紛争が次々と解決されている。こうした地方からの新しい社会づくりこそが、ネパールの平和構
築及び国家建設を推進し得ると考えられる。
さらには、プロジェクトで構築した調停の仕組みが、政府によって制度化されることが決定し
たことで、今後より広範囲において地方の安定及び平和で調和のとれた社会づくりを促進し得る
と考えられる。
今後のモニタリングにおいては、憲法制定プロセスの進展、特に紛争解決の在り方に影響を及
ぼす可能性のある連邦制の在り方を注視していく必要がある。また 2015 年 4 月に発生した大地震
により、多くの家屋が崩壊し、今後土地問題をはじめとした震災の影響による紛争の発生も予期
されるところ、合わせて状況を見守ることとしたい。
住民は大虐殺を乗り越えたか
-スレブレニツァにおける民族融和の現状-
橋本 敬市
○日比野 崇
国際協力機構
国際協力機構
Email: [email protected], [email protected]
キーワード:ボスニア・ヘルツェゴビナ、スレブレニツァ、民族融和、帰還・定住、選挙
1.はじめに
1992 年~1995 年にヨーロッパのお膝元で発生したボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、
「ボスニア」
)
における紛争は、紛争当事者による異民族の排除及び領土拡大という戦略により、多くの一般市民が
影響を受けた。紛争前の同国は、異なる民族間での婚姻も多く、また居住地も混在していたため、異
なる宗教の住民が共存していたとも言われるが、紛争により、国民 360 万人のうちの約半数が住む土
地を追われた。特に、虐殺が行われたスレブレニツァでは、半数どころか大半の住民が強制移住を余
儀なくされ、紛争後も最も民族対立が根深い地域であると認識されている。
JICA は、農業・農村開発による民族和解を目的とし、2006 年 3 月から長期専門家 1 名を派遣、そ
の成果を受けた「スレブレニツァ地域における信頼醸成のための農業・農村開発プロジェクト」
(2008
年 9 月~2013 年 11 月)
(以下、
「プロジェクト」
)を実施し、ハーブ生産・加工、野菜栽培、養蜂、牧
草生産、児童保育施設運営への支援を通じ、コミュニティの再構築と住民の経済的自立を支援した。
その結果、スレブレニツァ市全域をカバーし、20 種の活動により、裨益人口は延べ 5,347 人(セルビ
ア系ボスニア人(以下、
「セルビア系」
)2,846 人、ムスリム系ボスニア人(以下、
「ボスニアック」
)
2,501 人)に上った。
本報告は、大量虐殺によって一時はコミュニティの紐帯が破たんしたスレブニツァにおいて、紛争
後の多民族社会再構築に向けた努力が結実したか否かを分析するものである。1995 年の和平合意締結
からちょうど 20 年となる現在、スレブレニツァへの住民帰還・定住の状況、及び選挙の投票行動から
見た民族意識の変化という二点を明らかにし、それに対するプロジェクトの影響を検証する。
2.スレブレニツァへの難民・国内避難民の帰還・定住
(1)調査実施方法
2014 年 11 月に、サラエボ及びスレブレニツァで関係機関(人権難民省、UNHCR サラエボ事務所、
上級代表事務所(OHR)、スレブレニツァ市役所、NGO(Srebernica 99、Uzopi、Mothers of Srebrenica
and Zepa enclaves)からのヒアリングを実施した。また、スレブレニツァ全市の住民を対象としたサ
ンプル調査(実施時期:2015 年 1 月~2 月、サンプル数:同市全世帯の 30%にあたる 755 世帯)を行
い、両調査の結果を併せて分析した。なお、1991 年の国勢調査以降、紛争後初めての国勢調査が 2014
年に実施されたが、結果は未だに発表されていない。
(2)調査結果
①ボスニア国全体の難民・国内避難民(IDPs)の帰還状況及びスレブレニツァの人口変化
人権難民省の資料1によると、紛争による難民・IDPs 数の合計は、220 万人であり、そのうち IDPs
は、100 万人程度とされている。紛争終了後 5 年時点(2000 年)で 557,275 人、10 年(2005 年)時点では
Revised Strategy of Bosnia and Herzegovina-For the implementation of Annex VII of the Dayton Peace
Agreement, Sarajevo, 2010
1
125,072 人であり、約 20 年が経過した現在(2014 年)は、84,500 人2であり、紛争後 10 年でその大
半が帰還したことが分かる。一方で、スレブレニツァの人口は、紛争により大幅に減少した。紛争前
の人口は 36,666 人(ボスニアック 27,572 人、セルビア系 8,315 人、クロアチア系 38 人、ユーゴスラ
ビア系 380 人、その他 361 人)であり、数百人程度のセルビア系を除き、大多数の住民が紛争によっ
て住む場所を追われた。その後の人口変化について公式統計はないものの、複数の市役所関係者は現
在の人口を 7,000 人程度であると発言しており、またサンプル調査の推計値もそれを支持3しているこ
とから、7,000 人程度と考えることが妥当である。つまり、スレブレニツァの人口は、紛争前の 20%
程度に減少した。
②プロジェクト開始前後の状況
サンプル調査の結果から、ボスニアックの大半は 1992 年と 95 年にスレブレニツァを離れ、2001 年
~2003 年に帰還した者が多く、セルビア系は、1992 年にスレブレニツァを離れ、95 年~96 年に帰還
していることが分かる。JICA の支援開始は 2006 年であり、支援開始後の帰還民数は少ないことから、
プロジェクトの裨益者の大半は既に帰還していた住民である。また、帰還の意思決定要因を問う質問
に対しては、62.6%の回答者が帰郷の念(Sense of home)を挙げており、2 位の経済的自立の見込み
(Possibility of self-reliance)の 18.8%と大きな差がついている。したがって、帰還者にとっては、
生活再建の見込みよりもまずスレブレニツァに帰還することが重要だったことがうかがえる。
プロジェクトの事前評価4には「紛争以前の生活手段を奪われ帰還後も苦しい生活を強いられている
住民が多く、農業を含むかつての経済基盤の再興は市や住民の強い要望である」と記載されており、
生活再建が、帰還民にとっての最大の課題であったことが分かる。そのため、プロジェクトは、農業
が主産業であるスレブレニツァにおいて、
「住民が協同して農業・農村開発活動を行う能力の強化を通
じて、これら住民間の信頼が醸成される」ことを目的としたものとなった。これに対し、プロジェク
トの終了時評価では、民族を超えた農家間の共同作業など具体的な成果が確認され、意識調査におい
ても「調査対象者の 51%がプロジェクトによって異なる民族との交流機会が増えたと回答し、プロジ
ェクトが実施されていなければ、異なる民族との関係は今のように改善していなかっただろうと回答
した住民も 38.4%にのぼった」とし、プロジェクトの目標がほぼ達成されたとしている。
③プロジェクト実施後の状況
今回のサンプル調査で、プロジェクト実施後も、帰還した住民の生活再建への貢献、ひいては定住
促進への正の影響がみられる。サンプル調査の回答者のうち、半数の 50.5%が JICA の支援を受けた経
験があり、そのうち、JICA からの支援はスレブレニツァへの定住に「大きく影響している」との回答
が 36.7%、
「少し影響している」との回答が 37.5%である。これは、主として農業従事者が、JICA の
支援の一環で農民組合に参加することにより収入向上が図られたことによると考えられる。
また、プロジェクトの直接的な影響は不明であるが、スレブレニツァで民族を超えた交流が進んで
いる点は注目に値する。2008 年に異なる民族の友人の有無を聞いた質問では、いないと答えた回答者
が 4 割近くを占めていたのに対し、今次調査ではその割合が 2 割以下に低下している。但し、民族別
に興味深い結果が出ており、ボスニアックでセルビア系の友人がいないとした回答者は 7.1%に留ま
るのに対し、セルビア系でボスニアックの友人がいないとした者は、19.5%であった。またボスニア
ックでセルビア系の友人が 10 名以上いるとした回答者は、
61.3%であるが、
セルビア系の数字は 30.2%
であった。
このことから、
セルビア系でボスニアックの友人を有する者の割合は低いことが判明した。
そのような者は、
一部の MZ に固まって見られることから居住環境がある程度影響しているとみられる
OHR における UNHCR 説明資料「Solutions to displacement in BiH」
(25 March 2014)
サンプル調査の推計では、スレブレニツァ中心部を含む 19MZ の世帯数が 2,490 であり、家族人数の中央値である 3
人を世帯数に乗じると、7470 人となる。
2
3
4 http://gwweb.jica.go.jp/km/ProjectView.nsf/VIEWParentSearch/226F931B20786C5F492575D100360733?OpenDocument&pv=VW02040104
が、
人との交流が多いと思われるスレブレニツァ中心部でも同様の傾向であることは興味深い。
また、
回答者の年齢が分散していることから、必ずしも紛争の記憶が鮮明な一定年齢以上の者が異なる民族
を避けているわけでもなさそうである。
3.スレブレニツァ住民の投票行動
(1)プロジェクト実施期間中の政治状況
プロジェクトが開始した 2006 年は、国家建設プロセスが停滞し、経済改革も難航する中で、紛争
後は影をひそめていた民族主義的レトリックが再び政治の表舞台に出てきた時期である。
同年 6 月、隣国の連合国家セルビア・モンテネグロ(当時)から、構成共和国のモンテネグロが住
民投票を経て独立を果たしたことを受け、それまで中道左派の穏健派として国際社会の期待を担って
いた独立社会民主同盟(SNSD)のミロラド・ドディック党首が RS の独立に言及5。民族主義が高まる
中で実施された同年 10 月の国政・エンティティー選挙では、ドディックの SNSD が地滑り的な勝利を
収め、エンティティー議会(RS 国民議会:RSNA)で、議会第一党の地位を得ている6。
ドディックは次の 2010 年国政・エンティティー選挙で RS 大統領に当選。SNSD は RS 国民議会で僅
かに議席を減らしたものの、第一党の座を維持し、逆に議席数を伸ばした中央下院を含めてボスニア
のセルビア系政界をリードしていく7。
この時期は、政治状況の変化に加え、選挙制度もスレブレニツァに大きな影響を与える改正がなさ
れている。同国では民主化後初の国政・エンティティー選挙(1996 年)以降、帰還を果たせない難民・
IDPs の政治参加を促進するため、紛争前に居住していた市町村への投票を容認してきたが、戦後 10
年の間に、推計約 220 万人の難民・IDPs のうち、帰還を求める約 100 万人は概ねそれを果たしたと判
断され、次第に現住所投票が主流化した。2008 年の選挙法改正により、スレブレニツァを除いて、現
住所での投票が義務付けられた8。最後まで特例措置が認められていたスレブレニツァでも 2012 年の
地方選挙ではこれが廃止され、初めて居住者のみによる投票が行われることとなった。
(2)スレブニレツァ住民の投票行動
大量虐殺の傷跡が残るスレブレニツァでは、RS の他地域以上にボスニアックの帰還が困難だったこ
とから、非居住者による不在者投票の占める割合が高く、RS で唯一、ボスニアック政党が第一党を占
め続ける市議会となっていた。プロジェクト開始直前に実施された 2004 年選挙でも、スレブレニツァ
市議会(この時、定数 27)で、ボスニアック政党の「民主行動党(SDA)
」が 13 議席で第一党の地位
を継続しており、SNSD が 4 議席、セルビア人民主党(SDS)3 議席でこれに続いた。
上記選挙法改正により、2012 年選挙からスレブレニツァに対する特例措置が廃止されたことから、
プロジェクトが選挙に与えたインパクトを見るには、同年前後で別の判断基準を必要とする。
2012 年以前の選挙では、ボスニアック政党の獲得議席の多くが不在者、つまりプロジェクトとは無
関係の市外居住者によって選出されたものであるため、検証の対象とすることは難しい。他方、2012
年以前でも、セルビア系有権者については、ほとんどがスレブニツァ市居住者であることから、民族
融和のためのプロジェクトが投票行動に影響を与えたか否かを検証することは可能となる。
① 2012年以前の選挙における投票行動
プロジェクトが始まった 2006 年以降は、RS 全体を見れば SNSD が極右的レトリックを使いながら権
5
Dnevni Avaz, 27 May 2006.
2002 年の RSNA 選挙では SDS が 26 議席、
SNSD が 19 議席だったのに対し、
2006 年選挙では SDS が 17 議席, SNSD
が 41 議席と 2 倍以上の躍進を遂げている(中央選挙管理委員会資料)
7 2010 年、SNSD は RSNA で 37 議席、中央下院(RS 定員 14)で前回から 1 議席増の8議席を獲得。4 議席の SDS
を大きく上回った(同上)
。
8 上級代表事務所(OHR)が 2003 年に「IDP 法」を発効させ、IDP の資格要件を厳しくしたことから、かつての居住
地に住んでいない人々の半数以上が IDP の資格を喪失。次いで 2008 年の法改正で、IDP 資格を持たない者については
原則、現住所での投票が義務付けられた。
6
力を掌握していく時期である。スレブレニツァ市議会でも、2004 年選挙と、コソヴォ独立直後の 2008
年選挙を比較すると、SNSD は 4 から 7 と議席数を増やしている。しかし、ここで特徴的なのは、民族
主義的なキャンペーンが最も大規模に展開された 2010 年の国政・エンティティー選挙直後の 2012 年
地方選では、スレブレニツァにおいては SNSD が支持を失い始め、議席も7から6に減らしていること
である。ボスニア公共放送局(BHRT)の選挙報道チーフ、クルロヴィッチ氏は「ドディック党首が 2010
年の選挙キャンペーン中、
『スレブレニツァの虐殺は存在しない』と主張し、ボスニア全土から反発を
受けた。共存を模索し始めたスレブレニツァのセルビア系には、ボスニアックを刺激するドディック
のレトリックが不評だった」と分析している。
② 2012年地方選挙
スレブレニツァ特例が廃止された 2012 年の市長選では、初めて非・居住者による組織票を失うボス
ニアックが市長ポストを維持できるかどうかに大きな注目が集まった。結果は無所属のボスニアック
候補カミル・ドゥラコヴィッチが 4323 票を獲得、セルビア系政党連合のヴェスナ・コチェヴィッチ
(3661 票)を破って勝利を収めた。これについて OHR フィールド・オフィスのダルコ・セクリッチ氏
は、
「ドゥラコヴィッチの最大の勝因は、彼が実際にスレブレニッツァに在住する初めての候補者だっ
たこと。住民は市内に住んでもいない政治家に、市の将来を託したくないと考えた」と分析する。
他方、同年の市議会選(有権者数の減少により定数は 27 から 23 に 4 減)では、ボスニアックの「民
主行動党(SDA)
」
・
「BiH のための党」連合が 7、
「BiH のよりよい将来のための連合(SBB)
」2、セルビ
ア系の SNSD が 6、SDS が 3、民主人民連合(DNS)1、
「進化するスレブニレツァ」1、多民族政党の「社
会民主党(SDP)
」1、少数民族連合 1 という結果となった。これは住民が SNSD や SDS 以外の中道的な
選択肢を求め始めたことを示しており、DNS や SDP がキャスティング・ヴォートを握るポジションを
得た。この結果、議員の間でも協調姿勢が明確化、初めて全政党による「プラットフォーム」が形成
され、以後 2 年強の間、議会全体が与党となる「大連立」体制が築かれている。
4.結論
ボスニア紛争による IDPs の多くが、紛争後の 10 年間で帰還したが、スレブレニツァについては帰
還民の数は限られ、その人口は紛争前の 20%に減少した。紛争直後の帰還民は、生活再建という大き
な課題に直面し、特に農業による収入向上が喫緊の課題であった。その状況で、JICA が採用した「住
民が最も求める農業の収入向上に対して支援を行い、かつ支援を民族の分け隔てなく実施することで
民族間の信頼醸成を目指すアプローチ」は、共通の目標に向かって協働するという環境を作り出し、
一定の成果を上げた。また、サンプル調査からは、プロジェクト終了後も、民族間の交流がさらに進
んでいることが判明し、プロジェクトのアプローチが少なからず、信頼醸成の促進に必要な土壌を提
供したと考えられる。また、サンプル調査の結果は、ボスニアックとセルビア系で交流の程度に差が
出ていることを示しており、その背景については今後更なる調査・分析が必要である。
他方、投票行動の分析により、住民が民族主義的政治姿勢を脱し、穏健な政治状況を求めている姿
が浮き彫りになった。同市に在住しない有権者が選挙結果を左右する状況がようやく終焉を迎え、プ
ロジェクト裨益者が初めて主役となった 2012 年選挙では、有権者は政治の多元主義、他民族の隣人と
の宥和を求めた。選出された市議会もボスニアック政党、セルビア系政党、多民族政党、少数民族代
表が「挙国一致」のプラットフォームを策定、党利党略や民族の利害を超えた市政を展開している。
プロジェクトによって共存が進んだ結果、政治風土に寛容の精神が醸成され、住民が民族主義的プ
ロパガンダの影響を受けにくいマインドセットを持ちつつあることは間違いないと言えるだろう。
この政治風土が定着するか否か-。2012 年に示された有権者の選択がその後の 4 年間で結実し、その
成否が問われることになる次回 2016 年の地方選挙が、
スレブレニツァの将来を占う大切な試金石とな
るであろう。
紛争影響地域における長期モニタリング事業への社会調査の活用
-コンゴ民主共和国の事例から-
○片山
祐美子
NTC インターナショナル㈱
宿谷
数光
NTC インターナショナル㈱
滝川
永一
NTC インターナショナル㈱
岩本
彰
NTC インターナショナル㈱
E-mail:[email protected]
キーワード:紛争影響地域、コミュニティ開発、住民組織
1.はじめに
国際協力機構(JICA)は、人道支援から復興及び開発支援に移行段階の紛争影響国・地
域において、平和構築に資するコミュニティ開発事業を実施している。JICA は、紛争影響
地域におけるプロジェクトが対象地域に与えたインパクトを 5 年間に亘りモニタリングす
る計画を打ち出しており、2008 年 7 月から 2009 年 12 月にかけて実施された「コンゴ民主
共和国バ・コンゴ州カタラクト県コミュニティ再生支援調査」が、その対象 プロジェクト
の一つに選定されている。
本発表では、2014 年 7 月下旬から 8 月上旬に実施した現地調査を含めたモニタリング調
査の結果を報告するとともに、平和構築に資するコミュニティ開発事業のあり方について
考察するためのモニタリング視点について、現時点での考察を試みる。
2.プロジェクト概要
当該プロジェクトの対象地域は、コンゴ民主共和国バ・コンゴ州カタラクト県のキンペ
セを起点に北西方向に 20km の距離に位置する Nkondo Site 及び北東方向に 18km の距離に
位置する Kilueka Site に至る 2 本の道路沿い(それぞれ Nkondo ルート、Kilueka ルートと
する)に位置する、各 11 村、10 村の合計 21 村である。対象地域を含むバ・コンゴ州は、
同国で唯一外洋と接する州として国家レベルの経済活動及び物流の重要な拠点であるもの
の、長期に亘る内戦の影響により経済活動が停滞し、隣国アンゴラから難民が繰り返し流
入してきた地域である。特に、90 年代のアンゴラ共和国の内戦激化を受け、大量の難民が
流入したことで、対象地域の地域資源利用に係る負荷が拡大していた。
アンゴラ難民に対する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の人道支援は 2007 年 7 月
に終了し、地域の復興及び開発プロセスへの移行期にある中、残留する旧アンゴラ難民と
地域住民との間で地域資源の利用に対する負荷が増大し ていたほか、人道支援時にアンゴ
ラ難民のみが支援対象となったことへの妬みや、難民として受け入れるにあたって、周辺
住民に提示された条件が履行されなかったこと等に起因する地元住民と旧アンゴラ難民と
のコンフリクトの存在が指摘されていた。
このような状況の中、地域住民とアンゴラ難民との融和を図りつつ、住民の生計及び基
礎的な生活環境を改善し、難民流入による地域負荷の軽減を図ることで、コミュニティレ
ベルの紛争への耐性能力を向上させることが求められていた。
上記現状に鑑み、当該プロジェクトでは、①住民主体のコミュニティ開発を実施・展開
するための方策を明らかにする、②コミュニティ開発のプロセスを通して、コミュニティ
の機能強化を図り、アンゴラ難民の定住による同地域の負荷を軽減する、③緊急復興事業
(道路改修)によるアクセス確保、コミュニティ間の交流・物流の促進、に取り組んだ 。
なお、道路改修については、Kilueka ルート(農村道路 18km の改修)のみを対象とし、
他ドナー支援による道路整備及び維持管理が行われていた Nkondo ルートについては、プ
ロジェクトでは追加の道路改修及び維持管理に係る活動を行っていない。
プロジェクトの対象となった 21 村のうち、Nkondo Site と Kilueka Site を除く 19 村は、
アンゴラ難民が流入する以前から当地に生活していたバコンゴ族で構成された村である。
プロジェクト実施時、各サイト人口は、338 人、1,385 人、19 村のうち 2 村は、アグロメ
ラシオン(Agglomération)とよばれる、人口が 1,000 人を超える大きな村であり、残りの
17 村は、30 人~628 人であった。プロジェクト実施中にアンゴラ難民への帰還要求が高ま
ったことを受け、多くのアンゴラ難民が帰還している。本調査実施時の各サイト人口は、
153 人、333 人、17 村の人口は、40 人~485 人となっている。
なお、旧アンゴラ難民と地元住民は公用語を異にするものの、出自の言語を共有するた
め、コミュニケーションに問題はなく、旧アンゴラ難民と地元住民の婚姻も少なくない。
3.調査期間と方法
調査期間は 2014 年 7 月 31 日から 2014 年 8 月 6 日の 7 日間である。
当該プロジェクトにおいて協働した現地行政官等との協議を通した情報収集のほか、対
象 21 村のうち、インフォーマント不在の 2 村を除く 19 村(旧アンゴラ難民 2 サイトを含
む)において、村長及びプロジェクトで実施したパイロットプロジェクト(以下、PP)の
メンバー1~2 人に対し、聞き取り調査を行った。
対象地域では、プロジェクト終了直後の 2010 年 4 月から 11 月及び 2013 年 2 月末から 3
月下旬の 2 回、日本人を派遣してのモニタリングが実施されている。本調査と併せて、プ
ロジェクト終了後、約半年後、約 3 年後、約 4 年半後の 3 回行われてきたことになる。
4.キンペセモデルに係る想定と現状
当該プロジェクトにおける調査結果 は、コミュニティ開発計画策定に反映され、「キン
ペセモデル」として整理された。キンペセモデルとは、対象地域の開発阻害要因となって
いるコミュニティ道路の改修と対象地域の地縁を強化するための住民組織支援・強化を母
体に、生計向上や生活環境改善等に係るプロジェクトを一体的に実施することを提案する
ものである。これらを双方向に作用させることで、各種活動に自主性と持続性を担保する
ことを狙っている。
(1) 道路改修の生計向上活動への影響
緊急復興支援として実施した道路改修が対象地域にもたらした経済的インパクトは大
きく、仲買人の往来が劇的に増加し、農作物等の流通改善とそれに起因する農業生産の拡
大等が確認されている。また、バスやバイクタクシー等も顕著に増加、キオスク等の商店
も増加しており、地域住民の現金稼得手段が多様化したことが伺える。
(2) 生計向上活動の道路維持管理への影響
道路維持管理費用捻出のため、対象地域では道路改修後、通行料徴収システムを導入し
ており、本調査時も徴収は継続されていた。
維持管理費用については、生計向上活動の活用もアイデアとして挙がっていた 。生計向
上に係る活動では、初期投資分を数年かけて返済する仕組みを採用し、CAMEC とよばれ
る貯蓄機関を活用していた。返済金は、主に生計向上活動の継続・新規活動開始のための
資金として活用されるものであるが、その一部は道路を含む社会インフラの維持管理費用
としても活用可能とした。
実際には、順調に貯まっていた対象コミュニティの共有財産が、CAMEC キンペセ支店
の強盗被害による倒産に見舞われ、倒産時点で貯まっていた約 600USD を失ってしまった
ことに起因し、本調査時点で道路改修への活用は実現されていない。
他方、コミュニティ圃場への参加から得た収益で家畜を購入・増殖し、中古バイクを購
入してバイクタクシー稼業を開始したという若者の存在も本調査で明らかになっており 、
通行料徴収に目を向ければ、生計向上活動が少なからず道路維持管理にいい影響を与えて
いるといえる。
(3) 住民組織支援・強化の生計向上活動、道路維持管理活動への影響
脆弱な行政機能を補完するコミュニティの自助・共助の促進を目的に、PP 実施における
グループ活動の推進、PP や道路維持管理に係る円滑な実施や持続性の担保、コミュニティ
の問題調整機能を持たせた複数村からなる開発委員会の構築を行った。開発委員会は、各
ルートに対して設立し、それぞれ 10 村及び 11 村の代表で構成される。Kilueka ルートの開
発委員会では、生計向上に係るコミュニティ圃場での活動や CAMEC の倒産問題、徴収し
た通行料の配分に係る協議が行われる等、プロジェクト終了 3 年後の調査においても、各
種活動の持続性に一役買っていることが伺える。
5.両ルートの比較から長期モニタリングにおける調査項目の提案
ここまで述べてきたキンペセモデルに係る各活動と、各活動間 の相互作用の発現につい
ては、道路改修とその維持管理体制構築を支援内容に含む Kilueka ルートにおいて、より
顕著にみられるものとの想定があった。また、2013 年のモニタリング時点までは、概ねそ
のような結果であった。
本調査において、これまでのモニタリング調査とは異なる傾向もみられた。
(1) 道路維持管理について
道路維持管理については、サロンゴとよばれるコミュニティワークの機会を利用した側
溝の掃除や草刈りのほか、Kilueka ルートについては、道路改修時から OJT(On the Job
Training)により維持管理手法を習得した維持管理者が各村におり、維持管理活動には通行
料から日当が支払われることとなっている。
Kilueka ルートにおいて、2010 年のモニタリング時点では継続されていたサロンゴの機
会を利用した道路維持管理活動は、2013 年のモニタリング時点で行われていなかった。そ
の理由として、
「維持管理担当者には、作業に対して対価が払われるのだから、維持管理担
当者がするべき」といった声が聞かれている。また、本調査では、
「経済活動が忙しくなり、
コミュニティワークに時間を割くことが困難になった」
「皆自 分の活動に忙しく、村に人が
揃いづらくなった」といった声も聞かれた。
さらに、2013 年のモニタリング時点では、ほぼ全ての村で継続されていた維持管理者に
よる活動も、本調査時には「維持管理計画を立てるべき農道局の地域担当職員からのイン
プットがない」「1 日 2,500FCFA は安すぎる」といった理由から、2013 年時に比して多く
の村で維持管理活動がストップしてしまっている状況が確認された。
他 方 、 Nkondo ル ー ト で 維 持 管 理 活 動 が 必 要 な 際 に は 、 対 象 村 の う ち の 1 村 で あ る
Kiasungua の長がサロンゴによる道路補修を指揮し、多少の賃金が支払われて実施さ れる
との聞き取り結果がある。両ルートの現状とその要因を経年モニタリングすることで、有
用な教訓を引き出すことが可能かもしれない。
(2) 開発委員会の開催
2013 年のモニタリング当時、Nkondo ルートの開発委員会については、2010 年 7 月以降
開催されておらず、モニタリングを契機に代表・副代表が再選された。他方、Kilueka ルー
トにおいては、書記メンバーのアンゴラ帰還にも代わりの代表を選出する等、委員会内の
協議で組織を再構築し、2013 年のモニタリング当時も活動が継続されている状況であった。
本調査においては、両ルートの開発委員会とも 3 ヶ月に 1 度の開催との回答が質問票を
用いた調査から得られているが、個別の聞き取りでは、Kilueka ルートの開発委員会につい
ては、問題が起こった際に不定期に開催しているとのことで、実際は半年以上開催されて
いないと推察された。
他方、Nkondo ルートの開発委員会については、2013 年の再開後、PP メンバーがアンゴ
ラ帰還時に牛耕用牛を持ち逃げした事件が発生した際には、開発委員会の代表へ報告が行
われ、開発委員会から行政職員へ情報の共有が行われた実例等もあり、問題調整機能とし
ての役割を一定程度果たしていると思われる。
また、CAMEC に係る問題についても、Kilueka ルートではその後進捗がないまま活動が
休止されているのに対し、Nkondo ルートでは、開発委員会でお金を管理し、プロジェクト
期間内に生計向上等に係る PP に参加しなかった住民にも波及させる計画を模索中とのこ
とであった。
(3) 平和構築の観点から
当該プロジェクトにおいて緊急復興支援として道路の改修が選定された理由として、現
場のニーズもさることながら、①道路インフラの排除性の低さ、②道路改修事業実施によ
るアンゴラ難民及び地元住民の参加促進の可能性、③道路整備を通じたコミュニティ間の
協調・融和促進の可能性、といった紛争影響地域への配慮がある。これらの想定は、Kilueka
ルートの道路改修を実施するにあたって、誤りがないことが確認されている。一方で、道
路改修を伴わない支援を行った Nkondo ルートについて、道路改修という排除性の低い利
益を享受しなかったことから、Kilueka ルートに比して、プロジェクトの実施が村内や地域
内に格差を生んでしまった可能性も否定できない。また、アンゴラ難民と地元住民との関
係 性 や コ ミ ュ ニ テ ィ 間 の 融 和 促 進 に つ い て も 、 両 ル ー ト の 現 状 及 び そ の 背 景 や 要 因 を調
査・分析することで、平和構築・復興支援事業における効果的なプロジェクトのあり方や
アプローチの仕方に有用な視座を与える可能性がある。
前回の発表同様、限られたモニタリング調査期間の中で、十分な事例を示したうえでの
検証とは言い難い。当該案件の継続調査が効果的なものとなり、有用な教訓の抽出や今後
の JICA 支援のあり方に係る提言がもたらされることを願う。
DRC 村長インタビューを通じたプロジェクトのインパクト認識
○畝 伊智朗(国際協力機構)
、片山祐美子(NTC インターナショナル(株)
)
E-mail: [email protected]
キーワード: コンゴ民主共和国、コミュニティ開発、コミュニティ開発委員会、村長、インパクト認
識
1. はじめに
国際協力機構(JICA)は、人道支援から復興及び開発支援に移行段階の紛争影響国・地域において、
平和構築に資するコミュニティ開発事業を実施している。JICA は、紛争影響地域におけるプロジェク
トが対象地域に与えたインパクトを 5 年間に亘りモニタリングする計画を打ち出している。2008 年 7
月から 2009 年 12 月、その後モニタリングを 2010 年 1 月まで実施した「コンゴ民主共和国バ・コンゴ
州カタラクト県コミュニティ再生支援調査」を、JICA はその対象プロジェクトの一つに選定している。
本発表では、2014 年 7 月下旬から 8 月上旬に実施した現地調査を含めたモニタリング調査の結果、
特にコミュニティ開発における中心的な役割を担う村長がどのように事業のインパクトを認識してい
るのかを報告するとともに、現時点での考察を試みる。
2. プロジェクトの概要1
コンゴ民主共和国(DRC)において、JICA の業務委託を受けた NTC インターナショナル(株)が 2008
年 6 月から 2010 年 12 月にかけて「バ・コンゴ州カタラクト県コミュニティ再生支援調査」を実施し
た。バ・コンゴ州カタラクト県キンペセ・セクターにある対象地域は、隣国アンゴラからの難民流入
により、地域住民と地域資源の利用に対する負荷が拡大していたため、アンゴラ難民との融和を図り
つつ、コミュニティの機能強化が求められていた。これらに対し、賦存する地域資源の共有認識、入
れ子状の住民組織による新たなコミュニティの枠組み提案、コミュニティ開発計画の策定、紛争予防
配慮を実施した。また、緊急復興事業として道路改修工事を実施するとともに、道路沿線村落を含む
道路維持管理組織を基盤としたコミュニティ開発委員会を設立した。道路改修工事は地域の拠点都市
キンペセからキルエカ村に至るキルエカ・ルート 18 ㎞を対象とし、もう一つのキルエカからンコン
ド・サイトに至るンコンド・ルートの改修工事は実施していない。そして、これら事業の成果は「キ
ンペセ・モデル」として取りまとめられている。
このコミュニティ再生支援調査プロジェクトにおいて、調査対象地域の21ヶ村を2つにグルーピ
ングし、村長を中心とした新たなコミュニティ、ルクンガ渓谷開発委員会(CDVL I、II)を形成する
支援を行った。CDVL I はキルエカ・ルート沿いの 10 村落を対象とし、CDVL II はンンコンド・ル
ート沿いの 11 村落を対象としている。
この開発委員会はコミュニティづくりに重要な役割を担った。
3. 調査期間と方法
調査期間は 2014 年 7 月 31 日から 2014 年 8 月 6 日の 7 日間である。
当該プロジェクトにおいて協働した現地行政官等との協議を通した情報収集のほか、対象 21 村の
うち、インフォーマント不在の 2 村を除く 19 村(旧アンゴラ難民 2 サイトを含む)において、村長及
びプロジェクトで実施したパイロットプロジェクト(以下、PP)のメンバー1~2 人に対し、聞き取り
調査を行った。
村長を対象とした聞き取り調査は、質問フォーマットに基づき村の基礎情報、人・物の移動など変
1
プロジェクトの概要並びにキンペセ・モデルに関する現状報告の詳細は、片山祐美子ほかの本企画
セッションの発表原稿を参照ありたい。
化を知る指標、コミュニティ開発委員会活動、コミュニティ関係活動、村内活動、道路維持管理活動、
行政への相談状況、実証事業の実施状況、村の大きな変化につき聞き取りを行った。最後の項目「村
の大きな変化」において、プロジェクトのインパクトがどのように発現しているのか、正のインパク
トのみならず、負のインパクトが発現しているのか、などの視点で、18 人の村長(1 人は村長代行)
の認識を聞き取った。1 人の村長については時間の制約で当該項目の聞き取りができなかった。
聞き取りに際しては、村長が必ずしも十分なフランス語を話すわけではないため、また、その他の
理由もあり、常にキンペセ・セクターの行政官に同席してもらい、フランス語が通じない場合通訳の
役割を担ってもらった。
4. 村長の位置づけ
対象地域の村長は、このプロジェクトの主たるカウンターパートであるキンペセ・セクター庁2の
行政機能が低く、新たなコミュニティをつくる際、調査活動や説明会、研修会などを動かす際の裨益
者であると共に実質的なアクターであった。そして、セクター庁の管轄下にある最小行政単位の行政
責任者ということになる。
一方、村落の行政は、キンペセ・セクターと村や村民との関係だけではなく、族長を頂点とする土
地利用権などを総括する伝統的制度との連携、調整が必要となる。そのため、村長は現代社会におけ
る行政制度の末端の行政責任者であるとともに、伝統的制度の一員でもある。村長は現代社会と伝統
的社会の結節点としての役割を担っていることが多い。
5. 調査結果概要
(1)道路改修事業のインパクト
キルエカ・ルートでは、調査した 9 村長のうち、回答が得られなかった 1 村長を除いて、道路改修
のインパクトを上げている。
「道路がよくなり、キンペセまでのアクセスがよくなった。
」
「キンペセま
での移動時間が大幅に短縮した。
(3 時間→10 分間)
」
「農産品が搬出しやすくなった」
「商人が多くな
った。商人が定期的に来るようになった。頻度が多くなった。
」
「近隣地域への道路整備を国際 NGO
が支援してくれた。
」などと正のインパクトを例示している。
負のインパクトとしては、
「近郊の町であるルカラからのバイクが村を多く通過するようになりう
るさいし危険」
「バイクによる交通事故が増えた」と 2 人の村長から発言があった。
一方、道路改修事業が実施されなかったンコンド・ルートにおいては、道路建設のインパクトはあ
げられていない。
(2)実証事業のインパクト
キルエカ・ルートの村長は道路改修のインパクトに傾倒するのは致し方ない。それでも、実証事業
のインパクトを上げているものは、
「井戸の整備・改修による水の確保」
「トイレの整備」
「道路整備・
農業技術の習得」
「豚がもらえた」
「共同圃場を整備できた」
「種子購入資金が来た」などと正のインパ
クトを例示している。負のインパクトとして、
「金融機関 CAMEC の破たんに伴う実証事業の停止」
「保健ゾーンの仕事が悪く、井戸が枯れて困っている。水の確保ができなくなった。
」
「飲料水の汚染」
「牛も含め機材を持ち逃げした難民代表がいる」
「技術指導をしてくれた NGO がいなくなり、教えて
もらえなくなった」
「金融機関 CAMEC の破たんに伴う実証事業の停止」などを例示している。
ンコンド・ルートの村長は、実証事業のインパクトが大きく村を変えたと述べている。
「牛耕によ
る農地拡大、省力化の促進、食糧増産・確保、食糧自給」
「農業技術、作物栽培技術の習得」
「植林技
術の習得」
「飲料水の確保」
「農産品集出荷場の活用による収益拡大」
「道路維持管理機材による村内活
動の円滑化」などを例示している。負のインパクトとしては、
「水源が浅すぎて枯れてしまった」
「も
2
バ・コンゴ州カタラクト県に所在する末端行政機関で、所轄の村落の行政とその取りまとめを担っ
ている。
らった豚や牛が死んで事業が続けられなくなった」
「技術的には初心者であったため十分な学びができ
なかった」
「牛も含め機材を持ち逃げした難民代表がいる」
「実証事業として学んだ植林は根づかず失
敗」
「グループとして意識が未成熟で共同圃場などが続けられなかった」
「金融機関 CAMEC の破たん
に伴う実証事業の停止」などを例示している。
金融機関 CAMEC の破たんに伴い、事業資金、収益金などが使えなくなり、コミュニティ全体、各
村などで実施していた実証事業が休止・停止に追い込まれたことは、多くの村長から負のインパクト
として示された。実際上、キルエカ・ルートとンコンド・ルートを比較すると、キルエカ・ルートの
村長が CAMEC 問題を負のインパクトとして強調していた。キルエカ・ルートは 8 名中 4 名で、ン
コンド・ルートは 10 名中 1 名であった。
(3)コミュニティ意識の向上
キルエカ・ルートではコミュニティ意識の変化に関し言及する村長がいなかったが、ンコンド・ル
ートにおいては、
意識変化を正のインパクトとしてとらえる発言があった。
「住民の結束が良くなった」
「コミュニティ意識の向上がみられた」
「コミュニティとして生きることを学んだ。共同作業の意識が
向上した。
」などの発言があった。
(4)その他
実証事業での水源の確保を正のインパクトとして挙げてはいるが、同時に、工事の質が悪く井戸が
枯渇したとか汚染されたというような負のインパクトも同時にあげている。また、プロジェクトの実
証事業として実施した植林は失敗したが、その経験をもとに、自分たちでマンゴーなどの果樹を植林
し成果をあげつつある、と発言する村長もいた。
6.中間的考察
(1)道路改修事業のインパクト
キンぺセ・モデルにおける起爆剤がコミュニティ道路建設とされているほどに、道路改修事業の経
済・社会的インパクトは大きく、眼に見え実感が伴うものであり、キルエカ・ルートのほとんどの村
長の認識はこの道路改修に伴う正負のインパクトである。
一方、道路改修事業が実施されなかったンコンド・ルートにおいては、当然のことながら、道路建
設のインパクトはあげられていない。
(2)実証事業のインパクト
道路改修事業がなかったンコンド・ルートの村長は、実証事業のインパクトが大きく村を変えたと
述べている。そして、牛耕による耕作可能農地の拡大、省力化、農業生産の拡大などを実現している。
農産物集出荷場をうまく運営し、コミュニティ活動の財源を確保し、成果をあげ、プロジェクトのイ
ンパクトを実感している村もある。キルエカ・ルートは道路改修のインパクトに引きずられ、実証事
業のインパクトが語られていない。
負のインパクトとしては、実証事業の持続性を図るために資金管理機関であった金融機関 CAMEC
の破たんが大きかった。これはコミュニティの責任、義務を越える外部条件であることは確かだが、
この経験をうまく教訓として活かしている村長が少なかった。実証事業がうまくいっていないのは、
原因が他にあるにもかかわらず、CAMEC の破たんが原因と言って割り切っている雰囲気でもあった。
今後の変化を見るべき要素と思料する。
(3)コミュニティ意識の向上
この視点での変化がインパクトとして認識している村長が少ないのは、意識変化は分かりにくいか
らなのか、そもそもインパクトとして認識していないのか分からない。キンぺセ・セクターの行政官
の観察によれば、間違いなく、対象地域の住民たちの意識が変化している。この後の要フォロー事項
である。
(4)その他
失敗を教訓として前向きにとらえ自分たちで事業を実施しているとの事例が存在していることは大
きな発見である。実証事業の聞取りにおいても類似の事例があるようなので、引き続き注意深く進展
を観察する必要がある。
7.おわりに
コミュニティ開発の主たるメンバーでありアクターでもある村長がどのようにプロジェクトのイ
ンパクトを認識したのかを把握することは、今後の類似案件の形成、実施管理などを図るうえで重要
な教訓を提示してくれる。本報告は中間的な報告であるが、毎年の調査において注意深く観察しその
結果と考察などを引き続き報告する。
参考文献:
(1)岩本彰・滝川永一・宿谷数光・佐藤総成(2011)
:
『コンゴ民主共和国の水資源と復興支援』沙漠
研究,20-4,213-217
(2)独立行政法人国際協力機構(2010)
:
『コンゴ民主共和国バ・コンゴ州カタラクト県コミュニティ
再生支援調査モニタリング・レポート』
(3)独立行政法人国際協力機構(2010)
:
『コンゴ民主共和国バ・コンゴ州カタラクト県コミュニティ
再生支援調査ファイナル・レポート』
(4)畝 伊智朗(2013)
:
「第 5 回アフリカ開発会議(TICADV)に向けて―平和構築の視点から
農業・農村開発を考える―」
『海外情報誌 ARDEC 第 48 号』
、一般財団法人日本水土研究所海外農業
農村開発技術センター
(5)畝 伊智朗(2015)
:修士論文『復興支援エスノグラフィーの試み ―コンゴ民主共和国バ・コ
ンゴ州での JICA 事業を事例として―』
、吉備国際大学大学院(通信制)連合国際協力研究科
大型ダム建設に伴う移転村での生計回復状況の村ごとの差異
―ラオス・ナムトゥン 2 ダムを例として―
○安藤早紀 坂本麻衣子
東京大学 東京大学
E-mail: [email protected]
キーワード:ダム 住民移転 生計回復 ラオス リモートセンシング
1. は じ め に
自然資源に富むラオスでは、水力発電や鉱山開発などの大規模な自然資源開発投資が拡
大している。自然資源の開発が経済成長のために重要な役割を果たす一方で、開発によっ
て地域住民が天然資源へのアクセスを制限され、生活基盤を失うケースも報告されている。
このような開発に伴う負の影響が問題視され、ダム建設に伴う移転住民に対し、移転後の
生活再建まで支援することが近年の国際的な潮流となっている。タイへの売電のための水
力発電所事業であるナムトゥン 2 ダムは、ラオスで最も進んだ生計回復計画が採用され、
世界銀行がモデル事業として位置づけ、助言やモニタリングを行っている事業である
(World Bank, 2011)。2005 年から 2008 年にかけて、17 村 6200 人の住民が貯水池南岸の 16
村に移転し、家や学校といったインフラが整備されるとともに、移転住民の生計手段を回
復するための施策が実施されている。移転後の補償は一定の効果を挙げているものの、こ
れまでの調査では現在の生計手段の持続可能性への疑問が提起され、移転村間や世帯間で
の貧富の格差の拡大と脆弱な村を支援する必要性が指摘されている。
本研究では、ラオスのナムトゥン 2 ダム建設に伴う移転村を対象地域とし、村と村の間
の生計回復状況や森林・土地利用状況の持続性の違いを分析する。既存の諸機関による報
告では各村の違いに関する報告は少なく、調査手法もインタビューやアンケートに限られ、
移転村全体としての資源利用状況を定量的に把握し、持続性を評価する研究は行われてい
ない。例外的に、調査結果は非公開ながら事業者は全村の生計調査を継続的に行っている。
その結果として、収入や社会活動といった面で村ごとの発展度合いの違いがあることがわ
かっている。しかし、発展度合いの差の要因を民族性に求める事業者の主張に対し、図 1
に示すように、民族の分布と発展度合いの分布に類似性は見られなかった。全世帯を調査
している事業者であっても村と村の間の違いを理解するにいたっておらず、アンケート調
査以外の形でのアプローチや、調査結果の詳細な分析が求められている。
そこで本研究では、移転地域 16 村全て
を訪問してのフィールド調査とリモート
センシングによる農地・森林利用状況の
分析によって既存の調査を補い、自然資
源利用状況の持続性と村ごとの違いを明
らかにする。
図 1 発展度合いの分布(左)と民族の分布(右)
(事業者からの聞き取り調査をもとに筆者作成)
2. 研 究 方 法
(1) 対 象 地 域 の 概 要
水門
対象地域の位置を図 2 に示す。移転の対象と
なった地域には 21 の少数民族が生活し、16 村
貯水池
はそれぞれ民族構成や地理的条件、移転前の経
済条件が異なっている。この地域では伝統的に
メコン川
焼き畑を中心とした生活が送られ、米の不足を
キャッサバやたけのこといった非木材森林資源
の収集や家畜の売却で補っていた。移転後には
図 2 対象地域(Landsat8 より筆者作成)
各世帯に 0.66ha の農地が割り当てられ、集約的な定住農業による商品作物の栽培への移行
が進められているものの、土壌の質の悪さや住民のキャパシティが課題となり、生産性は
低い。事業者の調査によれば、現在の移転村の収入構成は漁業からの収入が最も多く、次
いで農業、非木材森林資源の収集となっている。
(2) 現 地 調 査 お よ び 文 献 調 査
現地調査は、2014 年 8 月に 1 週間程度行った。移転地域内にある事業者の生計回復計画
担当者から生計回復計画の実施状況について話を聞いたのち、全 16 村を訪問して村長か副
村長に村の生計回復状況や記録データについて聞き取り調査を行った。調査は通訳を介し、
ラオス語で半構造化インタビューの形式で行った。インタビュー内容は、農業・牧畜・漁
業・林業といった各生計手段の回復状況に加え、既存研究から特に村の発展に関連がある
と示唆されている、教育・ソーシャルキャピタルといった項目について、移転前後の変化
を中心として質問した。また、移転前の状況については、事業者や国際機関のホームペー
ジなどで公開されている資料を基に、情報収集を行った。
(3) 衛 星 画 像 に よ る 植 生 分 析
インタビュー調査での調査が困難な移転村全体の焼き畑の実施状況を把握するために、
衛星画像の解析を行った。衛星画像を用いて 1 年ごとの土地利用の変化を目視と植生指標
である NDVI を併用することで確認し、移転村全体での傾向と村ごとの特徴を分析した。
植 生 指 標 NDVI ( Normalized Differential Vegetation Index)は、葉の細胞構造が近赤外を
多く反射して赤を吸収する特性を利用し、近赤外と赤の観測値の差を両者の和で割ったも
のである。-1 から 1 の値をとり、NDVI 値 が大きいと植生の活性度が高いという意味をも
つ。画像は LANDSAT のものを用いた。今回の分析では、2008 年の住民移転完了前後の土
地利用の変化を分析するため、2004 年から 2015 年にかけての画像を利用した。2011 年ま
では 5 号、2012 年と 2013 年については 7 号、2014 年以降は 8 号の画像を活用した。いず
れも分解能は 30m であり、同一地点を観測する周期は 16 日である。
NDVI 値は季節による変化が大きいことから、まず解析の対象とする画像の時期を特定
した。焼畑の火入れが乾季の終わりである 3 月に行われることから、毎年 2 月の画像を解
析対象とした。対象領域の地図をもとに、行政区域上の 16 村とその周辺領域を分析対象と
した。前年と比較して、NDVI 値が周囲の領域と比べて顕著に減少している地点を、前年
の 3 月からその年の 1 月までの間に焼畑が行われた箇所とみなし、画像ごとに適当な閾値
を設定して抽出した。ノイズを取り除くため、1 辺 90m 以上の土地を判別対象とした。こ
れより、焼き畑の実施状況と村ごとの特徴を明らかにする。
3. 分 析 結 果
(1) 移 転 村 の 収 入 格 差 の 要 因
まず、収入の構成を調べた。聞き取り調査の結果、生計手段は 16 村中 13 村で漁業から
の 収 入 が 30%か ら 50% を 占 め た 。 例 外 と な っ た 3 村 は 漁 業 か ら の 収 入 が 80%と い う 村 と 、
牧畜からの収入が 75%という村、政府からの収入やビジネスによる収入などの割合が高い
村であった。これら 3 村はいずれも発展度合いの高い村と評価されている一方、事業者の
プランである集約農業を中心とした収入構成とは全く違う収入構成であった。このことか
ら、事業者の計画通りに生計回復に成功した村は存在しないことがわかった。
3 村を除いた 13 村では、どの村でも収入に占める漁業の割合は同程度であり、収入全体
の差に占める漁業収入の差の割合は高いと考えられる。貯水池内ではどこで漁業を行って
も良く、ボートは 2 世帯に1つ提供されている、という条件が全村で共通している一方で
漁業収入による格差が生まれる原因としては、生産段階と販売段階の両方で違いが見られ
た。生産段階では、長期間にわたって漁を行うための氷の生産設備、貯水池ではなく各村
の中での漁場、漁業スキルという点で違いが見られた。販売段階では、北部では村内の市
場が機能しており、移転地域外の市場に販売している一方、南部では個人で契約した店に
対し、注文に応じて魚をとり、販売する傾向にあった。販売形態の違いは単なる販売価格
や量の差のみならず、量を求めるか質を求めるかという漁業行動におけるインセンティブ
の差にもつながり、他の生計手段への従事時間に影響していると考えられる。実際、魚市
場の発達している中部や北部に比べ、南部では漁業収入と比較して農業収入が多く、より
長い時間を農業に割いていると推察される。
(2) 移 転 村 全 体 の 森 林 ・ 農 地 利 用 ト レ ン ド
次に、森林・農地の利用状況を分析する。移転は 2008 年に行われたが、目立った森林
減少が見られたのは 2010 年以降であったため、2010 年以降を分析の対象とし、毎年の森
林減少地域を抽出した。図 3 は、各年の森林減少領域を抽出し、各領域の NDVI 値の推移
を示したものである。これより、森林減少後の回復状況を調べ、森林利用の持続性を評価
した。NDVI 値は画像を取得した際の条件に左右されるために同じ状態の植生であっても
値に差が生まれ得る。条件の相違を考慮
するため、同一画像内から比較的変化の
小さいと考えられる自然保護区の森林、
村の森林、貯水池の NDVI 値を合わせて
示す。
NDVI 値の推移と目視のみでの分析の
ため、森林が減少した地域がどのような
用途に使われているかは明らかではない。
しかし、0.81ha 以上の森林領域が減少し、
図 3 領域ごとの NDVI 推移
翌年には NDVI 値が 0.2 程度まで回復していることから、今回抽出した領域では焼き畑が
行われていると考えられる。この地域の焼畑の周期は 4 から 7 年、長い場合には 10 年以上
といわれているため、森林利用の持続性を今の段階で評価することはできないが、2010 年
以降継続的に焼畑が行われていることが確認でき、移転村では違法行為である焼畑を行わ
なければ生活が維持できない状態にあることがわかった。
(3) 各 移 転 村 の 土 地 利 用 の 特 徴
次に、森林の利用状況から、インタビュー調査では明らかにならなかった各村の特徴を
分析する。図 4 は、各村での女性の識字率(NTPC,2008)を縦軸に、2010 年から 2014 年での
のべ焼畑面積を横軸にとり、村に北から順に 1 から 16 までの番号を振り、村の発展度合い
で色分けしたグラフである。女性の識字率を分析対象としたのは、女性の方が新しい技術
に対して柔軟な傾向があるとの報告があり、女性の識字率が高いほど家庭内での発言力が
高いと考えられるためである。クラスター分析を行ったところ、対象期間でののべ焼畑面
積が 50ha 未満の村、100ha 未
満の村、200ha 以上の村の 3
つのクラスターに分類された。
クラスターごとに傾向を分
析すると、農地面積の多い村
の間では、識字率と発展度合
いの相関はなく、広い面積で
焼畑を行っている村の発展度
合いが高いということがわか
った。このことから、移転前
と近い形で広い面積での農業
図 4 村ごとの女性の識字率と焼畑面積
を行うことができれば、識字
率に関係なく高い発展が見込めると考えられる。
また、100ha 弱の焼畑を行っている村の間では、識字率が高いほど発展度合いも高い傾
向が見られることから、同程度の農地面積では識字率が高いほど事業者による農業指導の
効果が高く、効率のよい農業が行われていると考えられる。ほとんど焼畑を行っていない
村の間でも、識字率の低い村の発展度合いの低さが確認できたが、発展度合いが中程度の
村と高い村との差は、2.(1)で述べたように漁業条件の違いが大きいと考えられる。
4. 考 察 と 結 論
本研究では、フィールド調査とリモートセンシングによる農地・森林利用状況の分析に
よって自然資源利用状況の持続性と村ごとの違いを明らかにした。分析の結果、移転村で
の焼畑による森林減少を確認し、移転村を焼畑面積によってクラスター分けしたところ、
焼畑面積の多い村の間では焼畑面積の多寡が、中程度の村では識字率が、少ない村の間で
は識字率に加えて漁業における環境の違いによって村の発展度合いの違いが説明できるこ
とがわかった。このように、同じ補償を受けていても、村によって全く異なる生計回復状
況が確認された。移転地全体で同じ生計回復プログラムを適用することは難しく、村の状
況にあわせた生計回復が求められる。
引用文献
NTPC. (2008) Health Checks and Surveys for Resettled Populations
World Bank. (2011) Doing a Dam Better -The Lao People’s Democratic Republic and the Story of
Nam Theun 2.
20 年の時を経た土地取得事業の行方
―フィリピン・セブ市都市貧困層の決断―
小早川
裕子
東洋大学
E-mail: [email protected]
キーワード:非正規居住区、土地取得事業、条項 93-1 事業、CMP 事業、コミュニティ開発
1.研究の背景・目的・方法
バランガイ・ルス(以下ルス)は、セブ市の商業地域に隣接する約 20ha の土地におよそ 2 万人(2014
年現在)が生活する非正規居住区である。この地に初めて土地取得事業が導入されたのは、民衆に支
持されたアキノ政権が発足して 2 年目の 1988 年のことである。
民主化が進められたアキノ政権下では、
非正規居住者に土地を所有させる政策が全国の都市部で展開されていった。しかし、政府を信用しな
い非正規居住者の多くは事業を理解できず導入に反対した。そのため、ルスでも土地取得事業が全域
に浸透するには 14 年を要した。ルスにおける第1次事業は、セブ市が所有する土地に 1988 年に導入
されたコミュニティ抵当事業(Community Mortgage Program:以下 CMP 事業)
、第 2 次事業は、州
政府所有の土地(ルス全体の約 80%を占める)に 1990 年に導入された条項 93-1、そして、第 3 次事
業は、セブ市が州政府から買い上げることで 2002 年に導入されたセブ市社会住宅事業(Cebu
Socialized Housing Program: 以下 CSHP)である。
本稿では、ルスに導入された 3 つの土地取得事業の中でも、目的を達成しないまま 2004 年に終了し
た条項 93-1 に着目し、ルスの 20 年以上に渡るコミュニティ開発プロセスを通して、安心安全な暮ら
しを得るために、ルス住民が変化させてきた事業への対応と彼らの決断を明らかにする。
研究方法は 2007 年から 2009 年に行った定性調査と定量調査をまとめたものと、2014 年に行った
参与観察と聞き取り調査から得た新たな知見を組み合わせて分析した。
2.バランガイ・ルスと周辺都市開発
ルスは 1956 年に市の中心部で起こった大火災で行き場を失った人々が、当時の大統領マグサイサイ
の認可を得て移り住んだ事に始まる。当初は 3ha ほどの敷地であったが、強制撤去や火災で家を失っ
た人々、また、より良い生活を求めて家族・親戚を頼って地方から移り住んできた人々、そして、新
家族の増大などで人口は今日ではおよそ 2 万1千人へと膨れ上がり、占拠する土地も約 20ha に拡張
した。彼らは全員非正規居住者であった。
そのルスに隣接するのがセブ・ビジネス・パーク(以下 CBP)と IT パークである。CBP は振興商
業地区で、観光客で賑わう巨大ショッピングモール、高級ホテル、多国籍企業のオフィスビルやコン
ドミニアムなどが立ち並ぶ。また、英語を公用語とし安い労力を提供するフィリピンでは、外資サー
ビス産業のコールセンターが栄え、IT パークはその中心的地域となっている。1980 年代後半に国家を
はるかに上回る経済成長を見せたセブ市(1987-1992 年のセブ市の平均輸出成長率 19.8%、同年期の
国家同成長率 7.4%、Etemadi 2000)では、都市開発が活発化し、それに伴い地価も高騰していった。
ルス住民にとって CBP や IT パーク開発は脅威な存在として映った。安定収入のない非正規居住者
の彼らは、未基盤整備のままルスに住み着いたわけだが、その過密で劣悪な住環境はスラムの典型で
ある。いつ政府から場を追いやられてもおかしくない状況にあった。そんな中にあって最初にルスに
移り住んだ人々は、自分たちを「最初の被災者」と呼び、後に移り住んできた人々と識別している。
大統領が居住を認可してくれたと信じる「最初の被災者」にとって、後続者と差別化することは重要
であったが、その拘りが故、彼らは開発に立ち後れることになった。
3.土地取得事業の導入とルス住民の反応
非正規居住者に土地を所有させるために政府が融資する土地取得事業は、当時では前代未聞のこと
であり、政府による強制撤去でルスに移り住んだルス住民は事業の真意に懐疑的だった。
ルスに最初に紹介された土地取得事業は CMP 事業であった。マイクロファイナンス型のこの融資
事業は受益者となる地域住民が結成する所有者協議会(Homeowners’ Association: 以下 HOA)を中
心に、事業の運営・管理・返済徴収をする。地代は都市貧困層でも購入できるような価格で提供され、
それを 25 年間年利 6%で支払っていく。2007 年の調査ではルスの市場価格は1㎡あたり 15,000 ペソ
だった。これに対し、ルス住民は1㎡あたり 500 ペソで契約している。一般の融資事業では年利 9%
から 12%であることからも CMP 事業がかなり都市貧困層の立場を考慮しているかが伺える。それで
もルス住民のほとんどが CMP 事業に反対した。ルスには 19 の HOA が存在するが、1988 年に CMP
事業を受入れたのは 3 つの HOA のみであった。
CMP 事業の進展を眺めていたルス住民は、次第にセブ市の CMP 事業が信用できるものだと思い直
し始めた。一方で、隣接する CBP で見られる建設ラッシュは、ルス住民に不安をつのらせていった。
非正規居住区の問題解決を望んでいたのは市・州の両政府も同じであった。州政府が所有するルス内
の土地には、11 の HOA が存在するが、その住民も土地を購入し、生活を安定させることを望むよう
になっていった。
州政府はルス住民に条項 93-1 事業を 1993 年に提供した。これは、個人が直接州政府と結ぶ融資事
業で、返済には HOA メンバーの責任は問われない。個人が直接州政府に 10 年間年利 6%で支払って
いくものである。土地取得の機会を再び与えてくれた州政府に対して、ルス住民は感謝すると同時に、
未来に希望を膨らませた。取り残された 5 つの HOA は、
「最初の被災者」達が住む区域で州政府の所
有である。大統領から移住を許された正規居住者であるという信念が、土地を購入しなければならな
い事業を受入れられなくしていた。しかし、
「最初の被災者」区域だけが土地取得事業から取り残され、
正規居住者として証明するものが何もない彼らは、セブ市が州政府から 5HOA の土地を買い上げるこ
とで成立したセブ市社会住宅事業(CSHP)を 2002 年に受入れた。
14 年の歳月をかけてようやくルス全域に土地取得事業が導入された。しかし、早くも条項 93-1 で
は返済脱落世帯が続出した。2007 年の住民を対象にした聞き取り調査では、収入が不安定であること
や生活苦を理由として挙げていた。確かにインフォーマルな職に就いている彼らの生活は厳しく、真
っ当な答えとも受け止められるが、調査を続ける中、返済を中断した理由は他にもあることが明らか
になって来た。これについては、5 節で説明する。
4.国有地を巡る諸アクターの策略
ルスの土地取得事業に携わる主なアクターは、1990 年代から 2015 年と長きに渡り、各分野で人材
が変わっている。土地所有者兼事業主としてセブ市政からはトマス・オスメニア前市長(2001 年〜2010
年)とマイケル・ラマ現市長(2010 年〜)、そして、州政府からは、グウェン・ガルシア前知事(2004
年〜2013 年)とヒラリオ・ダビデ現知事(2013 年〜)、ルス行政からは、ニーダ・カブレラ前バランガ
イ・キャプテン(2007 年〜2010 年)、ライアン・タンテ前バランガイ・キャプテン(2010 年〜2014
年)
、そして、現バランガイ・キャプテン、アマイ・パガドール(2014 年〜)が存在する。
フィリピン大統領であった祖父を持つオスメニア前市長は長年、非正規居住区および都市貧困層の
解消政策を取って来た。セブ市出身で現在、内務地方政府省政務次官を務めるビンボ・フェルナンデ
スは、CMP 事業を創案した一人であり、オスメニアとは高校からの親友である。オスメニアの現役時
代、二人は施策を立案する者と実施する者となってセブ市を指揮した。平野部が市全体の約 18%と極
端に少ないセブ市は、都市開発と市民の生活空間を確保するために、埋め立ても積極的に進めた(北
部・南部埋立地)。ルスを含む、セブ市内に存在する州政府所有の土地を占拠し続けて来た 5 千世帯以
上が州政府との条項 93-1 返済に失敗したため、オスメニアは 2007 年に北部埋立地の一部、およそ 2ha
と条項 93-1 の土地を交換する提案を州政府にした。この提案はガルシア前知事に歓迎されたが、市議
会で当時の副市長ラマが土地交換はセブ市にとって不利であるとの発言(埋立地 2ha が 5 億ペソに対し
て、条項 93-1 は 2 億ペソ以下)を受けて、ガルシアは土地交換事業を白紙に戻した。
土地交換事業の取り止めで涙を流したのは当時のバランガイ・キャプテン、カブレラである。1980
年代から都市貧困層を支援する NGO としてルスで活動していたカブレラは、ルスのコミュニティ・
リーダーとなり、土地取得事業の導入に積極的に取り組んで来た。土地交換事業計画には 2 年を費や
し、用意周到に進めて来たが、ラマの発言で事業は 5 秒で不成立となった(2013 年カブレラへの聞取
り調査より)
。それ以降、幾度か条項 93-1 地域の今後について市と州政府は話し合いの場を持ったが、
州政府は非正規居住者を撤去させ企業に売却する方針を曲げず、話はまとまらなかった。
カブレラに契機が訪れたのは、2013 年に任期満了を迎えたガルシアに代わってダビデが知事に選出
されたことだ。セブ市議会議員として 2004 年から 2009 年の 6 年間務めたダビデは、土地交換事業の
経緯も良く理解しており、また、カブレラとも良好な関係にある。ルス住民のダビデ知事に対する期
待は大きく膨らんだ。
次に、ルス内の政治について説明する。カブレラが市議会議員になると、カブレラの基で学んで来
たライアン・タンテがバランガイ・キャプテンを引き継ぎ、全てが順調に行くようにみえた。しかし、
2010 年の市長選で、オスメニアを絶対的に支持するカブレラに対し、タンテがラマを支持したことか
ら二人の仲は絶縁状態になった。そのタンテは 2014 年に任期を待たずして家族と共にアメリカへ移住
した。突然空いたキャプテン席を埋めたのは第1バランガイ委員だったタンテの義理の弟、パガドー
ルである。あまりにも急なタンテの離職で充分引き継ぎがなされず、また、自分のビジネス経営も怠
れないという理由で、パガドールは不在することが多い。怠惰な指揮の下、バランガイ職員をはじめ、
住民までもが方向を失い、時代を逆流するかのようにルス内の環境は衛生的にも社会的にも悪化し、
かつてのまとまり或る地域から、バラバラな印象を強めている(2015 年参与観察、並びに、住民イン
タビューより)
。
5.土地取得事業に始まったコミュニティ開発でルス住民が得たもの
土地取得事業の成果を見る限り、失敗していると言えるルスのコミュニティ開発であるが、実はル
スは何度も優れたバランガイとして市から表彰されている、市のモデル地域である。ルスがセブ市の
モデル地域になり得たのは、土地取得事業導入によって強制撤去の不安が無くなり、定住を意識し始
めた住民に、地域に対する愛着心と責任感が芽生えたことが大きな起因となっている。彼らは、自分
が生活する地域環境を改善するためには住民である自分たちが協力し合わなければいけない、と自覚
し積極的に開発に参加するようになっていった(2009 年から 2011 年の参与観察、並びに、現地調査
より)。住民参加型開発から得た成果は全国および国外から多くの訪問客を毎月受けることになり、そ
れはルス住民のプライドとなっていった。フィリピン国内外からの訪問客はルス住民が生産している
リサイクル製品により良いデザインと市場拡大をもたらせた。CMP 事業導入地域を中心に土地を取得
した世帯は、家を増築し部屋貸し業を始め、安定収入を得るようになっていった。また、24 時間不眠
の IT パークで働く人々は安い飲食店が立ち並ぶルスに流れ、人の流れは多くの露天商を生み出した。
IT パークや CBP に囲まれたルスのビジネスは大小問わず繁盛し、それはルス住民に土地を取得す
る意義を再確認させることとなった。しかし、自ら引き起こした条項 93-1 の失敗は、事業が終了した
2004 年以降、市と州政府間の話し合いもまとまらず、今日に至っている。条項 93-1 で土地を取得で
きなかったのは、確かに毎月定期的に定額を支払うことが困難であったことは事実であるが、できる
ならば返済をしないで住み続けたい、と言う政府の寛大さに期待する気持があったことも否めない。
なぜならば、最初から全く返済していない住民が何のお咎めもなく生活し続けているのを目撃してい
たからである。個人が返済責任を負う事業では、連帯責任を負う CMP 事業とは異なり脱落しやすい。
言い換えれば、条項 93-1 の失敗は、ルス住民が恵まれない彼らに対する政府の寛大さへの期待感や甘
えが誘引した、と言える。
20 年以上の時間を経て、今日、ルス住民は大きな決断をした。条項 93-1 地域を巡り一向に解決し
ない市と州政府の話し合いに見切り発車し、住民である自分たちが誠意を見せる必要があると考えた。
ルス住民の方から知事に条項 93-1 事業再開のための条件を提示したのだ。2015 年 2 月のことである。
それまで何度も重ねた住民会議で次の内容をたたき出した。第1に、条項 93-1 の残高を三倍にして返
済すること。第 2 に、返済方法は、従来通り個人が直接返済すること。第3に、返済は年利 6%で 10
年以内に完済すること。第4に、新規条項 93-1 に同意しない住民は土地取得の意志がないものとみな
し、退去させること、である。この申し出を受けて、知事は専門家に測量をさせ、提示された金額の
妥当性を考慮した上で、年内に契約を結ぶことを約束した。ルス住民を束ねて新規条項 93-1 に関する
会議を進めた中心人物はカブレラであった。
6.おわりに:今後の課題
ルスの事例は、信頼関係が構築されていない中で新規事業を導入することの難しさを提示すると共
に、強い意志と方向性を指し示すリーダーの元では、コミュニティは団結し改善に向けた活動を活発
化させるが、怠惰なリーダーの元では、コミュニティが容易に崩壊する可能性を明示している。条項
93-1 導入時期はインフォーマルに収入を得ている世帯は全体の 62%(小早川、2008)を占め、毎月
定額を支払うことが難しかった。その後、拡大したルス内のビジネスチャンスで副収入を得る世帯が
増えた。隣接する商業地区の発展による脅威とその発展がルスにもたらせた経済効果により、住民は
安心してルスに住み続ける手段として、条項 93-1 の具体案をまとめあげ州政府に提出するに至った。
今後は、条項 93-1 の行方を追跡調査すると共に、ルス内のビジネスチャンスの増加を調査し、住民
の返済意欲との繋がりを明らかにしていく。
【謝辞】本研究は、
「平成 26 年度−28 年度日本学術振興会学術研究助成基金助成金」により実施した。
【参考文献】
小早川裕子、2008、
「フィリピン・セブ市における土地・住宅取得事業を通してみた持続可能な地域づくり」
、東
洋大学大学院、修士論文
小早川裕子、2009、
「スラム・スクォッター居住区におけるコミュニティ開発と社会関係資本の蓄積」
、東洋大学
大学院、博士学位論文
Llando G. M. and Ballesteros M., 2003, “Land Issues in Poverty Reduction Strategies and the Development
Agenda: Philippines”, Discussion Paper Series No.2003-03, Philippine Institute for Development Studies
Etemadi, F. U., 2000, “Urban Governance, Partnership and Poverty in Cebu”, International Development
Department, School of Public Policy, The University of Birmingham
一党支配体制下の NGO
―ラオスの土地問題を事例に―
林
明仁
上智大学
E-mail: [email protected]
キーワード:ラオス、NGO、土地問題、一党支配体制、アドボカシー
1. はじめに
本報告では、学術的にも実際の活動の面でも焦点のあたる機会が少なかったラオスにお
ける NGO の動きに着目する。ラオスでは一党支配体制の下、ラオス政府は一部の例外を
除き NGO などの市民社会組織の自律的な活動を管理する政策をとってきている。また、
ドナー側も市民社会組織に対する支援には長らく積極的ではなかった。制度的にも資金的
にも制限を抱えた NGO の活動は、周辺諸国と比較して低調で、開発プロセスへの NGO
の関与も限定的であった。しかし、近年、政府の NGO に対する政策転換や社会活動家の
失踪事件を契機として NGO が新しい活動のアプローチを模索し始めたことから、開発プ
ロセスへの関与の増大や影響の拡大がみられるようになってきている。本報告では、ラオ
スにおいて深刻な社会問題として認識されている土地問題の分野を事例に、NGO の取組
みを概観し分析を行う。土地問題は、ラオス政府と NGO の意見の相違が大きくみられる
分野であり、汚職等の敏感な問題を含む問題領域でもある。この分野における NGO のア
プローチに焦点を当てることで、ラオスにおける NGO の動きの特徴を検証する。
2. 一党支配体制下の NGO
ラオスは、中国やベトナムなど比較的政治体制が近い国と同様に、NGO などの市民社
会組織の活動や運営に対し管理的な仕組みを導入しているため、NGO が持つ活動に対す
る裁量の幅は狭い。政府は、NGO 法やそれを補完するガイドラインによって NGO の運
営や活動のあり方をコントロールしており、個々の活動に対しては MOU
(Memorandum of Understanding)の締結を通して活動範囲を規定する。そして、
NGO は、MOU 以外の活動を展開することはできない仕組みとなっている。政策形成プ
ロセスの関与についても、基本的に NGO が関わる余地は少なく、直接 NGO と政府が意
見を交わすような対話の場はほとんど設けられてこなかった。
NGO は、このような政治体制下の開発プロセスにおいても問題解決のための政策変更
を実現するアプローチを模索してきた。これまでの中国やベトナムでの研究では、そのよ
うなアプローチは、1)Embedded Advocacy(埋め込まれたアドボカシー)、2)Media
Advocacy(メディアを通したアドボカシー)、3)Community Advocacy(コミュニティ
を通したアドボカシー)の 3 つに分類されてきた。中でも、1)の Embedded Advocacy
は、一党支配体制下で NGO がとる特徴的なアプローチとされている。これは、NGO が
プロジェクトなどを実施する際に、担当の行政官を巻き込み、個人的な人間関係を利用し
つつ個々の問題に対する行政官の認識の変化を促すアプローチである。その結果、行政官
の関与により政策が変更され、問題解決に至ることが期待される。このアプローチは、
NGO に対する行政の管理が強いということを逆手にとったアプローチといえる。NGO
に対する行政の強い関与は、行政と NGO の間でコミュニケーションの回路がすでにある
ということであり、NGO の問題意識を行政と共有する機会がすでに開けているというこ
とを意味する。Embedded Advocacy は、このような回路を通して開発のプロセスに影響
力を行使するアプローチである。
他方で、他の 2 つのアプローチはどの国においても一般的にみられるアプローチであ
る。2)の Media Advocacy は、NGO が紙媒体やインターネット、映像などを通して問
題を発信し、人びとの関心を高めるアプローチであり、3)の Community Advocacy は、
問題の影響を受ける人びとに対し交渉や法的措置、直接行動などなんらかの行動を起こす
ように働きかけるアプローチである。
しかし、ラオスにおいてはこのようなアプローチに加え、NGO がドナーを利用しなが
ら政策変更の実現を目指す Donor Advocacy(ドナーを通したアドボカシー)が影響力を
持ち始めている。開発に関する予算の多くを諸外国からの援助に依存しているラオスでは、
資金を拠出するドナー政府が公式、非公式のチャンネルを通してラオス政府に対して開発
政策の形成や実施について議論し、ときに政策の変更を求めてきた。NGO が、このよう
なドナーの影響力に着目し、政府に対するアドボカシーのチャンネルとして活用を始めて
いる。
3. ラオスの土地問題
ラオスにおける土地の利用方法は近年大きな問題となってきた。ラオスでは、土地利
用についていくつかの法律が制定されており、住民の私的な土地利用についても一定の範
囲で権利が認められている。しかし、一般的に住民側の法に対する認識が弱く、行政側の
法執行能力も低いとされている。そのため、住民と行政、あるいは企業との間で土地利用
に関して紛争が起こった際に法に則った対応が行われず、土地問題が発生している。
ラオスにおける土地問題はダムなどの大規模開発にともなう土地収用・住民移転や企
業によるプランテーションのためのコンセッション、企業と農家が契約を交わして農産品
を生産する契約農業(contract farming)などの周辺で発生している。例えば、コンセッ
ションに関しては、農民が自身の土地に対してもつ権利に関する理解が曖昧なため、農民
に不利な形でコンセッションが実施されることが指摘されている。また、契約農業の場合、
農民と契約を交わす企業が必ずしも適切に設立された組織ではなかったり、農産品を生産
する農民に対して十分な支援を企業が行わなかったりすることがあり、結果として農民に
借金のみが残るという事態が発生していることも報告されている。さらに、特に NGO か
らは、企業の進出により農村地域の森林の利用形態が変化することで、森林に依存してき
た住民の伝統的な生活様式が脅かされているという指摘もある。
4.土地問題と NGO
(1) 土地問題分野で活動する NGO
ラオスにおける土地問題に対しては、長らく個別の NGO が個々に取り組んできた。し
かし、2007 年、土地問題に関する情報共有と活動の調整のために LIWG(Land Issues
Working Group)と呼ばれる NGO のネットワーク体が設立された。LIWG は、その後、
事務局の設置などを経てより強固なネットワークとして発展し、現在 3 人の事務局ス
タッフと 7 人の運営委員を中心に 40 をこえる NGO が参加している。LIWG の活動には
4 つの目的があり、1)啓発・能力強化、2)ネットワーキング・対話、3)土地利用に関
する法律や政策の形成支援、4)調査・研究となっている。
(2) LIWG の戦略と活動
LIWG の土地問題に対する戦略と活動は多岐に渡るが、現在 LIWG は特に現場レベル
での土地問題に関する意識の啓発と中央レベルでの政策的な対話の深化を戦略的な目標に
掲げている。その中で、それらを具体化する活動として、現場レベルでは「統合自然資源
管理プロジェクト(Integrated Natural Resource Management project)」を実施し、
中央レベルでは、ドナーに対するアドボカシーを活動の中心に置いている。
統合自然資源管理プロジェクトは、Embedded Advocacy を Community Advocacy と
融合させる試みといえる。現在、土地問題へのアプローチの 1 つとして、いくつかの
NGO が住民や行政官に対して土地に関する法律のトレーニングを実施している。ラオス
では、土地に関する法律が制定されているものの地方行政官や地域住民には十分に浸透し
ておらず土地問題に対して法に則った措置がとられないことがしばしば起こっている。
NGO は、法律が適切に執行されることで土地問題が地域住民に有利な形で解決できる場
合もあると考え、日常的に接点のある活動地域の担当行政官を巻き込んで住民とともに土
地に関する法律についてトレーニングを行うことで、NGO の問題意識を彼らと共有する
とともに、彼らの土地問題に対する対応能力の強化を図ろうとしている。統合自然資源管
理プロジェクトは、いくつかの NGO の先駆的事例を他の NGO と共有し、共通のトレー
ニング手法を確立するとともに、トレーニングを行える人材を全国で増やすことを目的と
している。そもそも土地問題に触れること自体にリスクがあるラオスの中で、このプロ
ジェクトは、ラオスの土地利用に関する法律を全国に正確に広めるという点を強調して行
政側からの参加を得ることを実現している。
LIWG が焦点を置いている活動のもう 1 つは、ドナーに対するアドボカシーである。
ラオスでは、ラオス政府と国際機関や政府系のドナーはセクターごとに頻繁に政策的な対
話を行っている。LIWG は、ドナーの影響力を通してラオス政府に対し土地問題の解決
に向けた取組みの促進を図ろうとしているのである。しかし、ラオスでは、公的なドナー
は積極的に市民社会支援をしてこなかった。UNDP などいくつかのドナーは支援のス
キームとして NGO 支援を行っていたものの、それらは限られたものであった。この流れ
は、2012 年後半、土地問題に関わっていた国際 NGO の代表の国外退去命令やラオス人
活動家の失踪事件を契機に大きく変わることとなった。ドナー各国は、ラオス政府との公
的な対話の場においても土地問題だけでなく人権の確保や市民社会組織の育成について積
極的に発言するようになり、市民社会に大きく焦点が当たることとなった。このようなド
ナーの反応に対応して、LIWG でも積極的なアドボカシーを展開し始めた。ネットワー
ク内部で土地問題に関する NGO の基本的スタンスを示した提言書を作成し、事務局と運
営委員の間でドナーの政策的な志向の分析や対話のタイミングと内容、役割分担などを議
論し、戦略的にドナーに対するアドボカシーを展開していった。
(3) LIWG のインパクト
LIWG のこれらの取組みは、一部で変化を起こしつつある。頻繁に行われる政府とド
ナーの対話を目標にドナー各国と密な情報・意見交換することで、開発プロセスの中での
NGO の位置づけが変わりつつある。ドナーへのアドボカシーの結果、LIWG の提言内容
を支持するドナーが拡大し、ドナーが会議の中で行う発言も LIWG の提言内容を考慮し
た発言が増えつつある。また、重要な成果の 1 つとして、ドナーとラオス政府の政策対
話のプロセスの中で NGO が公式の参加者として認められたことがある。現在、LIWG の
メンバー団体が土地問題に関するラオス政府とドナー間の政策対話の共同議長となり、土
地問題の議論を調整・促進する立場にある。このような NGO への認識の変化や対話プロ
セスの中での NGO の位置づけの変化は、LIWG の活動に負うところが大きい。
5. まとめ
自律的な市民活動が制限され、市民社会組織による開発プロセスへの関与が難しいとさ
れてきたラオスにおいて、NGO が関与のあり方を工夫し、その結果変化を起こしつつあ
る。特にラオスの土地問題の分野で活動する NGO は、これまでの一党支配体制下の
NGO のアドボカシーの手法を発展的に変化させ、独自のアプローチを確立しつつあると
いえる。
東北復興の支援手法・課題の地域活性化・途上国支援への適用可能性について
国際協力機構 JICA 東北支部
○ 永見 光三
Email: [email protected]
キーワード: 震災復興、まちづくり協議、地縁組織、地域おこし、コミュニティ開発
1.はじめに
東日本大震災は、震災前から過疎化や高齢化への対応が迫られ、地域の自前の発展努力や内発的な地
域発展のあり方が模索されていた東北沿岸地域に甚大な被害をもたらした。震災前からの持続可能な地
域開発実現の長期的視野と、災害の爪痕からの早期回復による混乱収拾の短期的視野との相反する二つ
のニーズに挟まれることになった被災地では、
「持続可能な復興」と「早期復興」のバランスを図りなが
ら、地域の事情やニーズに適合した復興を実現すべく多様な復興活動や事業が展開されている。
しかし、東日本大震災の被災エリアは広大で多様な地域特性を有し、複雑性・多様性の中、復興状況
に係わる地域横断的な整理も十分になされておらず、復興の地域的な課題の違い等がみえず漠然とブラ
ックボックス化した印象を抱かせる原因にもなっている。また、外部からの支援のあり方についても、
どのような支援が効果を発揮しうるかの検証も進んでい
ない。
このため、JICA 東北支部では、2013 年末から 1 年以上
をかけて被災 16 地区をヒアリング調査し、被災地各所で
展開されている復興過程の事例を収集しながら整理し、
地域の事情やニーズに適合した復興をいかに実現できる
のかについて検証を進め、最終的な結果を「震災復興に
おける支援アプローチ調査」最終報告書として 2015 年 3
月に公開したところである。また、当該調査結果に基づ
き「復興×地域おこし×国際」をテーマに、平成 27 年 1
月 31 日に支援者ワークショップを開催し、平成 27 年 3
月 15 日には第三回国連防災世界会議でパブリック・フォ
ーラムでの報告・討論も行った。
本稿は、これら結果に基づき、国内の地域活性化・地
方創生や開発途上国におけるコミュニティ開発などに適
図 1 調査対象地区
用・普遍化していく可能性を考察することを目的とする。
出典:
「震災復興における支援アプローチ調査最終報告書」JICA
http://libopac.jica.go.jp/images/report/12185138.pdf
2.
「震災復興における支援アプローチ調査」結果に基づく復興促進要因の検証
(1) 包括的な復興まちづくり協議の促進要因
持続可能な復興実現のためには、住宅再建という被災個人の財産再形成だけでなく、非被災者も含
めた地域全体の包括的な復興まちづくりの推進が不可欠である。このためには、住民主体での包括的
な復興まちづくり協議の早期開始が望まれ、どのような条件や過程を有する地区でそれが実現したの
かを検証する必要がある。
図 2 は、従前コミュニティの地縁組織(自治会、町内会等。以下「従前地縁組織」という)におけ
る包括的な住民協議機能の有無と、住民自治推進のための自治基本条例の有無で、対象地区(状況的
に異なる福島県 2 地区を除く 14 地区)を分類した場合の、包括的な復興まちづくり協議の開始時期
を表している。従前地縁組織の包括的な住民協議機能は、行政末端機構的な旧来の自治会・町内会か
ら脱却し、住民自治協議会の導入など住民自治強化を通じハードからソフトにわたる複合的な地域課
題をコミュニティの自助・共助で対応・解決しようとする動きの有無で区分した。包括的な住民協議
機能があった地区の方が、そのような機能がなかった地区よりも相対的に包括的な復興まちづくり協
議をより早期に開始している。ただし、例外も存在しており、仙台市南蒲生では防災集団移転事業等
の対象とならない白地地区になったことでコミュニティ崩壊への危機意識が高まったこと、石巻市中
心市街地では震災前から地縁組織でな
く民間中心でのまちづくり推進が行わ
れていたことが要因としてあげられる。
また、内部又は外部の支援を受けた地
区の方が、支援を受けなかった地区よ
りも、相対的に早期に包括的な復興ま
ちづくり協議を開始している。
以上をまとめると、①従前地縁組織
の包括的な住民協議機能が高く、②内
部または外部の支援た場合、包括的な
復興まちづくり協議の早期開始が促進
されることがわかった。
図 2 従前地縁組織の住民協議機能と復興過程
出典:
「震災復興における支援アプローチ調査最終報告書」をもとに作成
(2) 有効な支援形態
図 3 は、従前地縁組織が復興協議体として発展したか、従前地縁組織とは別に復興協議体が新しく
形成されたか、どのような支援が行われ
たかで、包括的な復興まちづくり協議の
開始時期を分類した。支援形態は、地区
住民自体が復興支援員等の形で支援者と
なる内部支援と、外部の団体・組織等が
支援者を派遣する外部支援とで分類した。
外部支援は、従前地縁組織が継続発展し
た場合に実施されている。他方、内部支
援は、従前地縁組織とは別に復興協議体
が形成された場合に実施されていること
がわかる。
図 3 従前地縁組織と支援形態による復興過程
出典:
「震災復興における支援アプローチ調査最終報告書」をもとに作成
鵜住居や志津川では、従前地縁組織を
復興協議の受け皿とせず新しい復興協議体を形成した。石巻市中心では民間企業等の参画によるまち
づくり体が復興協議の受け皿になった。新地町は、小規模自治体であり、行政が直接的に住民との対
話を進める形が取られた。これらの例では従前地縁組織を受け皿としない復興協議が行われたが、こ
のような場合は地区内で多様なアクター間の関係性が流動的で複雑な場合も少なくないため、人間関
係や現地事情に精通していない外部支援者が介入するのは困難なことが表われていると考えられる。
逆に、従前地縁組織が継続発展する場合は、外部支援者にとって復興協議体制が見えやすく行政との
関係性が明確なこともありやすいといえる。
(3) 復興促進要因まとめ
上記(1)及び(2)について整理すると、下表 2 のとおりである。包括的な復興まちづくり協議の開始
時期は、従前地縁組織が包括的な住民協議機能を有する場合で外部支援を受け入れた地区で早まるこ
とがわかった。また、従前地縁組織が旧来型機能しか有しない場合でも、従前地縁組織が復興協議体
に発展し外部支援を受け入れた地区や、アクティブな住民有志が内部支援者となって新しい復興協議
体を立ち上げた地区でも早まることが確認された。
表 1 地縁組織特性と復興促進の関係
従前地縁組織の住 復興協議体
民協議機能
支援
包括的な住民協議 従前地縁組織が発展 あり
機能がある
地縁組織でない新しい なし
組織
旧来型の地縁組織 従前地縁組織が発展 あり
なし
地縁組織でない新しい あり
組織
行政中心
あり
支援形態 結果(包括的な復興 地区(カッコ内は協議開始時期の
まちづくり協議の開 震災後月数)
始時期)
外部
早い
崎浜(13)
、野蒜(16)
、北上(20)
、
宮戸(25)
-
遅い
田老(未開始)
外部
-
早い
遅い
内部
早い
内部
遅い
南蒲生(10)
、鹿折(28)
吉里吉里(31)
、広田(45)
、舞根
(未開始)
石巻中心(9)
、志津川(19)
、鵜住
居(21)
新地町(未開始)
教訓として、災害被災時に速やかに持続可能な復興を実現するには、平時から外部支援者も受け入
れながら地縁組織の包括的な住民協議機能を向上させていくことが必要である。また、そのような住
民自治強化の取り組みが進まなかった地域でも、外部支援者を取り込みながら地縁組織を中心とした
復興協議体を立ち上げることや、住民有志を核とした新しい復興協議体を立ち上げる動きを制度的に
側面支援することも有効と考えられる。
3.東北復興と地域活性化・途上国支援の関連性・共通点・相違点について
(1) 『復興×地域おこし×国際』ワークショップ及びパブリック・フォーラム
東北被災地での復興まちづくりの手法や課題は、広く日本全国の地域おこしや途上国支援にも共通
するのではないかとの想定のもと、JICA 東北支部では、下表のような東日本大震災復興支援者や青年
海外協力隊等の海外活動経験を有し活動中の地域おこし支援者を全国から集め、互いに共通して必要
な活動や留意点、課題等を導き出すワークショップを平成 27 年 1 月 31 日に仙台市内で実施した。ワ
ークショップでは、議論の参考情報として「震災復興における支援アプローチ調査」結果も報告した。
表 2 「復興×地域おこし×国際」ワークショップ参加者内訳
現職
復興支援者(国際協力経験あり)
復興支援者(国際協力経験なし)
地域おこし支援者(国際協力経験あり)
地域おこし支援者(国際協力経験なし)
合計
人数
11 名
2名
13 名
1名
27 名
ワークショップ参加者による議論結果として確認された主な事項は以下のとおりである。
① 復興も地域おこしも、一部の住民や支援者のみが生業活動等を行うことはかえって地域内融和を
乱す可能性があり、「コミュニティ内の公平性確保」及び「住民主体性の確保」のため、地縁型
組織の巻き込みが鍵になる。
② 青年海外協力隊経験は、オールラウンドで包括的な対応能力を高いレベルで有し、弱者など公平
性への配慮意識が高い。この能力は、地縁型支援を実施するために不可欠である。
③ 地縁型支援を有効に実施するには、受け入れ住民や行政側の問題意識が醸成されている必要があ
る。行政末端機構的な旧来地縁組織でない新しい住民自治の形を模索するなど、外部支援を積極
的に受け入れる動機や意欲をまず住民側が十分に有していることが必要条件となる。
④ 途上国支援では「いずれ支援を終了する」ということが前提になるが、そもそも担い手が乏しい
国内地方部では、永く地域にかかわり続ける必要が高い。担い手が豊富な途上国と、誰かに簡単
に引き継げない国内地方は全く違うアプローチが必要である。
(2) 東北復興の支援手法・課題の地域活性化・途上国支援への適用可能性
その他の議論結果も含めて、東北復興の支援手法・課題の地域活性化・途上国支援への適用可能性に
ついて下表のとおり整理される。
復興
地域おこし
開始時点の状況 個人の財産形成が先行し、包括 高齢化や人口減少といった地域
的なまちづくり課題への意識が 全体の課題が顕在化し、包括的
おきにくい
な取り組み意識がある程度高い
支援が必要なテ 「生業再建・形成」
、
「コミュニティ内の公平性確保」
、
「住民主体
ーマ
性確保」のバランス保持が重要
生業活動の留意 高齢者や地域住民にとっては、必ずしも儲かる事業や活動は必要
点
でない。生き甲斐や地域の絆のきっかけで十分という人が少なく
ない(基礎生活にさほど不自由していない)
。
地縁型支援の必 持続可能な復興実現には不可欠 将来の災害発生も見据え、日ご
要性
ろから住民自治強化が必要
途上国でのコミュニティ開発
所得向上の意識が高く、包括的
なまちづくり課題は顕在化しに
くい
「生業再建・形成」支援が中心
になりがち
基礎生活が困窮しており、より
高い経済便益が求められる
地縁組織(コミュニティ)がプ
ロジェクト実現のツールとして
とらえられがち
支援受入側の意 有効な支援には地域全体(地縁組織及び行政)の変革意欲が不可 高い意識が求められるのはプロ
識
欠
ジェクト参加住民に限られる場
合が多い
地域の担い手
乏しい
若年層を中心に豊富
出口戦略
復興から地域おこしへの切れ目 地域おこしへの長期的な地域課 現地住民に引き継ぐことが可能
は存在せず、長期的な地域課題 題対応が必要になる。支援成果 である。
対応が必要になる。支援成果を を地域に引き継ぐにも担い手が
地域に引き継ぐにも担い手がい いない。
ない。
4.まとめ
東北復興で明らかになった持続可能な復興実現のための手法や課題は、国内での地域おこし・地方創
生との共通点や示唆を多く含んでおり、青年海外協力隊経験をはじめ国際協力の現場経験が特に地縁型
支援について有効となることがわかった。また、途上国でのコミュニティ開発支援の観点で見ても、特
に地縁組織支援が災害対策や将来的な高齢化もみすえたコミュニティのレジリエンス向上の意義を有す
る可能性も示唆していると考えられる。
最後に、途上国支援で定石とされてきた“出口戦略”が、国内の復興支援や地域おこし支援では通用
しない可能性も判明した。地縁型支援は特に短期的には成果が見えにくいが、青年海外協力隊経験者の
より積極的な登用を含め、地域おこし協力隊の改善・強化など、より長期的に持続可能な形で国内地域
ガバナンスを支えるための制度整備を検討する必要もあると考えられる。
以上
戦後日本における生活改善運動の活用に関する一考察
○服部朋子(NTC インターナショナル㈱)
A Study on the application of Livelihood Improvement Movement in postwar Japan
○Tomoko Hattori (NCT International Co.,Ltd)
1.はじめに
戦後日本の農家・農村で実践された生活改善普及事業は、農村の生活向上に大きく寄与したとされ
ているが、その意味付けを行うことを通じてみえてきた特徴的な「問題解決のための考え方と手法(生
活改善アプローチ)
」が、国際協力専門家やボランティア活動等に活用されている。本稿は、JICA(国
際協力機構:以下 JICA)の本邦研修でこれら日本の経験を学んだ研修員が、いかに自国で活用してい
るのかについて実践事例を通じながら考察し、
「暮らしをよくする」活動への教訓を導き出そうと試み
るものである。
1) 生活改善アプローチについて
戦後日本の農村開発では、農業改良普及事業および農家の生活改善普及事業が 2 本柱として、大き
な役割を果たし、両事業を両輪として開発が進められた結果、農村部の生活水準が大きく改善される
こととなった。特に JICA では、その経験を現代の途上国支援にも活用すべく、集団研修や検討会を実
施するとともに研究を重ねてきている。それらの中において、生活改善運動や生活改善事業の経験を
整理し、その意味付けを行うことを通じてみえてきた特徴的な“問題解決のための考え方と手法”を
「生活改善アプローチ」と名付けている。農家の生活改善普及事業は、生活改良普及員の働きかけに
より、農村女性が中心となって地域の日常的な問題を把握し、自分たちで解決していく、という活動
の積み重ねであったなどの特徴がある。
2) 技術協力コンテンツと本邦研修について
技術協力で応用可能なコンテンツとして体系的に取り纏められた「技術協力コンテンツ-生活改善
アプローチによるコミュニティ開発-」を活用して本邦研修などが実施され、研修員は効率的かつ効
果的に、生活改善アプローチに関する各種知識や手法を習得することが可能となっている。研修では、
各国の農村開発に携わる研修員が、自身の業務において生活改善アプローチを活用する業務改善計画
などを作成し、帰国後のセミナーやモニタリング等を通じてその計画を実践するという目標がある。
また、これらを通じて、研修員の能力(農民の能力向上と貧困緩和を目指した生活改善アプローチに
よる農村開発プログラムを実施する)が向上する、という上位の狙いがある。
2.事例の概略
1)活動の背景や枠組み等
西アフリカに位置するある国の開発公社の農村開発整備担当者が本邦研修に参加し、生活改善アプ
ローチの概念や手法を学び、帰国後に部下の女性職員に伝授した。自分の立場で実践することは困難
と判断し、この職員に集中して教授し、この職員が中心となって生活改善活動を開始し、展開させて
いるのである。研修自体に事後プログラムは付帯していないが、本邦研修員による事後活動の一環で
あり、2010 年より開始され、その後 JOCV(村落開発普及員)が支援している。
2)活動内容
実際に本邦研修に参加した上司より伝授された女性職員は、本邦研修で配布された DVD を 2 つの現
地語に翻訳し、図書館に設置することをはじめとし、同公社の職員である 16 名のジェンダー促進アド
バイザー(全員女性)に 5 日間の生活改善研修を実施した。彼女達は、予算の限界のために職場の隣
の村から生活改善のワークショップを開催することを決め、合意を得た近隣の 6 村においてパイロッ
ト・プロジェクト(以下、PP)を開始した。
全村民に声をかけてのワークショップ開催であり、参加者全員で協議をし、テーマを決め、住民達
皆で取り組む形態となっている。PP として取り組む主な改善分野は、家庭廃棄物管理、衛生改善、住
血吸虫症などの健康問題などであり、ある村ではゴミ処理の問題が優先的に抽出された。
日頃から、ゴミによる悪臭や不快感等の問題を認識していたある村では、ゴミ処理問題が優先的に
抽出され、住民は少しずつお金を出し合ってゴミ箱の缶を購入し、ゴミ箱を 6 ヶ所に設置した。給水
塔周辺には置かないなどの配慮をしながら、手始めに「ゴミはゴミ箱へ」という活動を始めた。
その後の投入としては、JOCV 派遣という形で JICA より支援が開始し、カイゼンの 5S に関するセミ
ナー等が開催された。活動経費は、同公社の支援と住民負担だが、会議費用は JOCV を通じて JICA よ
り支援されていた。
3.結果
1)活動によるインパクト/変化
ゴミをきちんとゴミ箱に捨てて纏めて処理をし、村内掃除も実施する活動による変化として、悪臭
や病気が減少し、衛生面での飛躍的な改善がみられ、住民同士のコミュニケーションが増加する等の
認識が、住民やジェンダー促進アドバイザーなど公社職員に発現した。
住民達は、①村が綺麗になり、気持ちよく過ごせるようになった、②悪臭、蚊、蠅等が減少し、快
適で安全になった、③空気が綺麗になった、④村を汚さなくなった、⑤住民のコミュニケーションが
増えた、⑥住民の団結力が向上した、等の変化を口にした。
公社職員は、①村人の病気(マラリア、赤痢、チフス、住血吸虫症等)が減少し、②村が綺麗にな
ると同時に村人同志がよく話をするようになった、③動物の死骸を勝手に投棄すると罰金を科す等の
ルール作りをし、皆が守るようになった、などのメリットを指摘した。
2)変化に対する要因の認識
成功要因については、住民や公社職員達の双方が「住民の団結力」を挙げたことが特筆される。さ
らには、公社職員は取り組み易さ、関連機関の巻き込み、目的の明確化、村同士の競争心等を指摘し
ている。これは、彼女達が意識してそれらの要素を取り入れたとも言えよう。
「ゴミはゴミ箱へ」とい
う単純な行動は、老若男女の心身を容易に動かすことに繋がったと考える。
阻害要因は、暑さや多忙が指摘され、住民の現実がよく理解されるものである一方、公社職員や JOCV
は依存心および保守的な言動を指摘するなど、
外的要因よりも内的要因を注視していることが分かる。
また、次のステップに繋げられていない、つまりゴミ処理の課題をエントリー・ポイントとし、芋づ
る式に次の課題解決に進んでいく兆しが未だ見られないことを問題として指摘していた。
3)他のアプローチとの相違
他のアプローチとの違いについて住民は、①他のドナー等は、事前に自分達の考えを決定した上で
村にやってくるが、日本の生活改善の場合は、考えを固めずにやってきて村人の考えを尊重する、②
目的がお金ではなく、健康に焦点を当てている、等を指摘した。公社職員は、①生活改善アプローチ
は限界がない、②日常生活圏内での取り組み、③自分達の周囲にある資源を自分達で見つけて、それ
をもとに外部支援無しに実施する、④老若男女、誰でも生活改善は取り組める、等の特徴を挙げた。
つまり、住民の自尊心・自立心・リーダーシップ・日常生活の視点の醸成から取り組みを開始する
ことが支持され、よい成果を得ていることが理解される。
4)今後の課題
住民は、掃除道具の改善および分別ゴミによるリサイクルをしたいと考えている。公社女性職員は
「ジェンダーに特化した活動」
、つまり、ジェンダー視点を意識していくとのことであった。同公社で
は、ジェンダー・コーディネーション活動を農業省指導のもとに実践してきており、ジェンダーを意
識した姿勢で生活改善を促す方向性を持っている。なお、全住民による取り組みとしているものの、
掃除については圧倒的に女性の参加が多い状況であるため、取り組むべき課題はあると考えられる。
また、現在の活動が軌道にのったら、16 名のジェンダー促進アドバイザーの役割を住民に任せたいと
考えているとのことであった。
写真① 村はどこもゴミでいっぱい
写真② 村内に設置されたゴミ箱
写真③ 村内一ヶ所に大廃棄所
写真④ 定期的に掃除をする女性達
4.考察
暮らしを良くする活動の実践を概観してきたが、一連のプロセスを通してみえてきた特徴・特質を
考察する。
1)本事例には、よりよい暮らしの実現、住民の主体性の形成、良好な人間関係の構築、援助への依存
心減少といった効果が発現しており、住民・ファシリテーター・支援者によってそれらが自覚されて
いることは評価される。
2)帰国研修員の取り組みが収入向上に直接結び付く経済的活動に偏ることが多い中、当該事例は非経
済的活動であり(間接的に収入向上に繋がる)
、少ない投資(資金・時間・労力等)で済む活動が選択
されて成果をあげた数少ない事例といえるだろう。
3) 「ゴミはゴミ箱へ」という単純でお金のかからない行動は、失敗した場合のリスクも少なく、老若男
女の心身を容易に動かしたと推察する。
4)活動の成功要因として、住民や公社職員の双方が「住民の団結力」を挙げ、公社職員はさらに「取り組
み易さ」、「関連機関の巻き込み」、「目的の明確化」等を指摘している。住民は「従来と異なり、自分達
の意思に基づいた活動」であるという認識を持っており、「自尊心」、「自立・自律心」、「日常生活の視
点」から取り組みを開始したこと、等を支持していることが理解された。これらの要素は日本の生活改
善運動の特徴でもある。
5)生活改善アプローチによる活動においては、従来の事業と異なり、住民の自由意思に基づいている
ことの意義が大きい。よって、自分達で行動の内容や速度等の修正コントロールがし易いことから、
オ-ナーシップが醸成され、効果が分かり易く実感も得やすいために団結力にも繋がり、好循環を生
み出したのではないだろうか。
6)本事例の場合、公社女性職員が全村民を対象に啓蒙活動を行う事から始まり、啓蒙のワークショッ
プには、行政関係者や地域政府関係者を招待し、①全村民を集め、問題点の抽出→②解決策の相談→
③優先順位を付ける→④1つの主問題を選択し、PPとして活動開始→⑤村同志のコンテスト開催(活
動内容協議)
、といった流れになっている。最初の段階で全村民を対象とする点が、地域で核となるグ
ループが中心となって活動を展開する場合が多い日本とは異なるが、このように自分達で応用しなが
ら試みていくことは重要である。ただし、全村民を対象にするということは公共性の高い活動を選択
する可能性が高くなることにも留意したい。平等性を重視する傾向により、個人やグループの利益か
ら村の暮らしをよくする道筋が軽視されるようなことがあるとすれば、機会の損失にも繋がる。
7)日本の生活改良普及員と類似の機能と役割を果たしているジェンダー促進アドバイザーをスーパー
バイズしているのが、本邦研修に参加していないが、参加した上司より手解きを受けた女性職員であ
る。通常、生活改善を促進していく上で指揮をとる人は、家政学や農業普及をバックグランドとして
持つ者が多いが、本事例では、社会学の専門家であった。偶然との話だったが、生活改善を普及しよ
うとする人の専門や所属機関が何であるのかは大きな影響を及ぼさないことが解る。住民と直接接す
る人であるならば、生活改善の働きかけは可能であり、汎用性があると考える。よって、普及員や支
援者が変わっても生活改善活動が継続していく可能性が高いことが本事例から推察される。
おわりに
「ゴミはゴミ箱へ」というキャンペーンのような活動は、シンプルで取り組み易い利点があったと
既述したが、そのような簡単な動作であっても人は動かない場合もある。従来どおりにゴミを片付け
なくても大きな損失に結び付くわけではない状況の中、人々の心を動かした要因は何かをさらに検証
したいと考える。生活改善アプローチの技術協力コンテンツを用いた本邦研修は、2006年度から開始
しており、現在でも様々な形で帰国研修員が日本の生活改善の経験を活用している。地域や国による
応用の仕方やそのプロセスおよび現時点における成果の可否も異なるため、合わせてさらなる検証が
必要である。また、本邦研修の在り方からみると、研修内容の内部化がみられることにこの研修の妥
当性と有益性が確認されるが、
「カイゼン思想」に基づく研修の優位性をさらに明らかにする必要があ
る。同時に、研修での学びを一層深化させるような「住民のイニシアティブや連携」をより本事例に
促す工夫をする余地がまだあるだろう。
よりよい暮らしの実現を目指す視点や活動は、経済活動及び資金や先端技術を含むドナー援助だけ
ではなく「自分達で出来ること」の実体験を得ることや非経済的活動からも大きな可能性が広がる。そ
れは、
住民の主体性や良好な人間関係の構築、
援助への依存心減少等の効果を発現するものでもある。
参考文献
国際協力機構(2006)『
「技術協力コンテンツ「生活改善アプローチによるコミュニティ開発」』国際協力機構
服部朋子(2004)「戦後日本の生活改善運動における生活改良普及員の役割」第 13 回国際開発学会全国大会
(2010)「生活改善アプローチの活用に関する一考察-モーリタニア国の事例をもとに-」第21回国際
開発学会全国大会 P395
🏈🏈テーマ:国際公共財の観点から見た日本の難民政策
滝澤三郎(東洋英和女学院大学教授、元 UNHCR 駐日代表)
2014 年度の世界の難民や国内避難民など「移動を強いられる人々」の数は第二次大戦以
来最大の 5100 万人となった。内戦が4年以上続くシリアでは難民が約 400 万人、国内避
難民が約 800 万人と、人口の半分以上が移動を強いられている。この未曾有の人道危機に
対して国際社会が何をすべきかが今問われている。
日本では、2014 年度には難民認定申請者 5000 人に対し認定者は 11 人に止まり、内外か
ら難民受け入れ数が少なすぎる、との批判がされている。他方で、日本での就を目的とす
る外国人が「偽装難民」として難民認定制度を利用しているとの報道がある。法務省の難
民認定問題専門部会も難民認定数や制度濫用の問題を取りあげ、昨年 12 月に改善案を提出
した。このような状況の中で国際協力の一環としての「日本の難民政策」について改めて
疑問や関心が高まっている。
発表では「国際公共財としての難民保護」
、そしてそれを提供する「難民レジーム」とい
う視点から、日本の難民政策を評価する。「公共財」は、その「非排除性」と「非競合性」
ゆえに、フリーライディング(ただ乗り)や過小供給、負担分担の問題を内包するが、
「難
民レジーム」も同じ課題を抱える。
「難民レジーム」の要素には、①難民条約に基づいた難
民認定による受け入れ、②第三国再定住による受け入れ、③UNHCR などへの資金協力の
3つがあるが、日本の難民政策では①と②が国際的に比較して過小であり、③が極めて大
きいという特徴を持つ。
第1の難民認定を通した受け入れについては、法務省の「難民」の定義が狭く、かつ難
民性判断の基準が厳しいために認定数が少ない(国際公共財の過小供給)というのが通説
である。たしかにシリアなどの「紛争難民」からの申請について、法務省の今までの判断
はかっての冷戦時代の「政治亡命者」のイメージに囚われ、弾力性を欠く。法務省は、
「難
民でない者を難民として受け入れるリスク」を「難民を難民でない者として排除するリス
ク」より重視する傾向がある。
他方で、0.2%という認定率や認定後の社会統合支援の不備もあって、「本当の」難民の
圧倒的多数は日本を庇護国として選好しない「ジャパン・バッシング」が見られる。毎年
総計で約4万人の難民申請者を出す隣国の中国とロシアから日本に来る難民申請者の数は
数十人にすぎない。事実上ゼロの認定率に加え、日本語のカベと難民コミュニティの不在
のため「チェーン・マイグレーション」も起きず、それゆえに難民認定数も増えないとい
う悪循環が続いている。
1
2010 年に 1202 人だった難民認定申請者が 2014 年に 5000 人に急増した背景には、
2010
年3月の「合法的滞在者が難民申請をした場合には、6 ヶ月経過後に就労を認める」とした
取り扱いがある。低賃金で働かされる外国人技能実習生が難民申請をする例も多い。
「難民
認定申請者という地位」自体は「公共財」であり、
「ただ乗り」を排除できない。一律の就
労許可がインセンティブとなり、多数の「フリーライダー」が申請することで「庇護空間」
が混雑し、
「真の難民」が閉め出されてしまうという、経済学でいうところの「逆選抜」現
象が生じている可能性が高い。
難法務省の民認定問題専門部会は、フリーライダーによる「濫用的申請」の抑制策、難
民ではないものの保護を必要とする人々の「補完的保護」制度の導入、認定手続きの透明
化などを昨年末に提言しており、今後の状況の改善が期待される。
第2の「再定住による受け入れ」は 2010 年に開始され、5年間で 87 人のミャンマー難
民が受け入れられた。再定住は政府が外国の難民キャンプから選考した難民を連れてくる
積極的難民政策であるが、日本の選考基準は、本来求められる「人道性」よりも、日本社
会への負担を最小化するため「雇用・自立可能性」を重視している。エスニック・コミュ
ニティの小ささ、日本語学習を含む社会統合の難しさ、受け入れに応じる自治体が少ない
などの課題があり、年間の受け入れ枠 30 名は埋まらない。2012 年には来日者がゼロとな
って、
「日本は難民が来たがる国」という見方が「思い込み」に過ぎないことが明らかにな
った。難民も逃げる国を選択する中で、日本が提供する再定住という「国際公共財」への
「需要」は、他の先進国へのそれと比べて少ないと言える。本年度から再定住対象者はミ
ャンマー人ではあるがマレーシアに住む「都市型難民」に移り、事業の進展が注目される。
第3の「資金協力」の面では、日本は「国際的負担分担」の一環として財政難の中で毎
年250億円前後の自発的拠出を UNHCR などにしており、先進国でもトップクラスであ
る。これにより世界の難民と国内避難民の350万人前後の命が救われている。多額の人道
支援は、
「人間の安全保障」の理念や「人道的動機」とともに「国益」を守るという政治的
動機を含むものの、国際社会の評価は極めて高い。しかし、法務省による難民受入数が過
小なため、
「日本は難民を受け入れない代わりに資金援助をしている」という誤解を国際社
会に与え資金援助の政治的効果が薄らいでいる。
日本では法務省、外務省と内閣府の間に難民政策を巡る総合調整はない。また政策当局
と市民団体・アカデミアとの間の対話の場もなく、難民政策が「難民認定問題」に矮小化
されて不毛な対立が続いてきた。国際的な人の移動がますます激しくなり、破綻国家や脆
弱国家からの難民が増える中で、国際開発学会が難民問題についても、新たな視点でより
大きな役割を果たすことが期待される。
2
地方自治体による環境協力
―国際協力とビジネス展開支援―
〇小島道一
日本貿易振興機構アジア経済研究所
E-mail:[email protected]
キーワード:地方自治体、環境協力、ビジネス支援
1.はじめに
1990 年代後半、国際協力の担い手としての地方自治体が注目された。途上国の中央政府
を対象にした法律や制度づくりに関する国際協力が 一段落し、法令の執行の強化が新たな
課題となってきたこと、途上国における地方分権化が進みさまざまな法令の執行が中央政
府から地方政府に移管されたことが背景にある。一方、日本の地方政府も、経済のグロー
バル化に対応していくために、
「国際化」を進めることが重要と考え、国際協力に関心が持
たれるようになった(阿部ほか 1998、吉田 2001 など)。JICA も『地方自治体の国際協力
事業への参加』に関する報告書を 1998 年と 2000 年にまとめている(国際協力事業団国際
協力総合研修所 1998、2000)。環境分野では、1990 年代前半には、JICA の専門家として
派遣される地方政府職員の割合は 3 分の 1 を超えていたことが報告されており、早くから
現場での知見が豊富な地方政府職員が国際協力に携わってきた( 藤倉 1997)。
近年、国際協力にあたって、民間企業との連携を図り、ビジネス展開にからめる動きが
でてきている。例えば、大阪市は、
「これまでの国際貢献に加え、官民連携による水道事業
の海外展開を水道局の重要業務と位置づけ、アジアにおける水ビジネス展開の可能性を追
求しながら、水道事業の持続性向上、関西経済の活性化を目的として海外展開を積極的に
推進していく」としている i 。長澤[2013]も、上下水道分野を中心に、自治体が国際協力を
民間企業と連携しならが進めていると指摘している。アジア経済研究所が発行している 月
刊誌『アジ研ワールドトレンド』では、2015 年 5 月号で、「地方政府の国際環境協力」と
題する特集を組み、大阪市、北九州市、横浜市等の取り組みについて取り上げた。この中
でも、ビジネス展開につなげることの重要性が複数の地方自治体の関係者から指摘されて
いる。本稿では、このような地方政府の取り組みの背景を明らかにするとともに、地方自
治体による国際協力やビジネス展開支援に向けてどのような体制作りが必要か、どのよう
な点に注意する必要があるのかについて検討する。
2.地方自治体の国際協力とビジネス展開支援
地方自治体の国際協力が求められるようになった途上国側の背景として、さまざまな法
整備が進むにつれ、国際協力の対象が規制の執行能力の向上に力点を置かれるようになっ
てきたこと、民主化・地方分権化がすすみ、地方政府の権限が拡大し、地方政府主導によ
るインフラ開発や公的サービスの供給拡大が図られるようになってきたことがあげられる。
日本側の背景としては、グローバル化に対応していくために地方自治体の「国際化」が
1
重要と考えられたこと(西野 1997)、1990 年前後の ODA 批判をうけ、NGO や地方自治
体、市民等による国民参加型協力が志向されるようになった ことがあげられる(国際協力
事業団国際協力総合研修所 1998)
近年、国際協力に民間企業のビジネス展開を結びつけることが模索されるようになって
きた背景には、公的サービスへの民間投資を促す官民パートナーシップ(Public Private
Partnership)型のインフラ投資の動きがある。途上国でも、公共部門の技術や資金の不
足を、海外資本を含めた民間からの投資・技術導入により、公的なサービスを供給しよう
とする動きがあり、世界銀行などの国際援助機関も推進している。 また、地方自治体の財
政状況が悪化しており、地元企業の振興などにつながることが求められること、さらに、
インフラ輸出に向けた中央政府の支援策が強化されていることがあげられる。
3.日本の地方自治体の国際協力への体制作り
1990 年後半には地方政府の国際協力が注目されたが、2000 年以降、財政難などから、
地方政府の国際協力に向けた取り組みは、停滞した と評価されている。北九州市など積極
的に国際協力を実施してきた地方自治体の担当者は、首長のイニシアティブや市民の理解
が重要だと指摘している ii 。藤倉[1997]は、国際協力を実施する障害として、地方自治法で、
地方自治体が処理すべき事務に、国際協力が含まれていないことを指摘している。その結
果、政府ベースの ODA に対する地方の協力でも、地方独自の事業でも、首長のイニシア
ティブが重要であると指摘している。また、議会や市民などから評価を受けるには、国際
協力のための予算は、極力、中央政府等外部から確保し、自治体の財政に負担をかけない
ことや市民等に国際協力事業に参加する機会を作ることが重要となる。環境関係の国際的
な賞をとるなど、地方自治体のプレゼンスを高めるための努力も重要となる。海外から評
価を受けたり、地元企業の海外でのビジネス展開のきっかけにできたりすれば、議会や市
民の理解も得やすくなる。
阿部貴美子[1997]は、国際協力に必要な人材の確保が地方自治体の課題となってくると
指摘している。そして、国際協力に必要な能力として、語学、情報伝達のためのコミュニ
ケーション能力、移転の対象となる特定分野の専門知識と技能(技術移転担当者の場合)、
技術移転自体をするための応用力、プロジェクトを立案・計画・運営する能力、プロジェ
クトをモニタリング・評価する能力、国際協力に関する知識、相手国についての情報を収
集する能力をあげている。また、その人材の資質として、リーダーシップと適応力が求め
られるとしている。その一方で、国内では、大きなプロジェクトを一から行うことが少な
くなっており、海外での案件は、さまざまなノウハウや技術を継承するチャンスとも指摘
されている iii 。
相手国の地方政府との協力の中では、日本側が考えている協力内容を超え、さまざまな
分野への協力を求められることは少なくない。日本では他の部門が所管している内容につ
いても、相手国側が困っていれば、質問・要望が寄せられる。要望に答えるには、地方自
治体の部局を超えた取り組みが必要で、部局横断的な組織をつくるなどの工夫が必要とな
る。そのためには、首長のイニシアティブのもと、部局の責任者を巻き込んだ横断的な組
織や、研究機関や企業を巻き込んだ組織づくりが求められる。
2
また、さまざまな事業を実施していくには協力先との信頼関係を 構築することが必要で
あるが、日本側の頻繁な人事異動がその妨げになる場合がある。日本の政府の人事異動は、
通常、2 年から 3 年単位で行われており、相手側の信頼関係ができ、相手側の事情に精通
してくるころには担当者が変わってしまうといった 問題が見られる。相手国側の信頼を維
持できるように人事異動については工夫をする必要がある。
4.地方自治体の国際協力にあたって注意すべき点
実際に国際協力を行っていくにあたっては、言葉の問題から、政府組織の違いまで、さ
まざまな点に配慮していくことが求められている。
国際協力にあたっては、相手側のニーズを理解することが出発点になる。しかし、言葉
で誤解が生まれる場合がある。例えば、中国の「循環経済」と日本の「循環型社会」では、
イメージする範囲が異なっている。日本の「循環型社会」は、廃棄物問題への対応に重点
がおかれているが、中国の「循環型経済」では、省エネルギーや水の循環利用を含んだ概
念となっている(小島 2007)。インドネシア語の limbah と sampah は、両方とも廃棄物
(waste)と訳されるが、limbah は、固形廃棄物に加え河川や大気に排出される 廃棄部物
質全体をさすのに対して、sampah は、日本のごみにあたる言葉となっている。テクニカ
ルな言葉の意味の違いを理解している通訳者は少なく、誤解が生ずる場合がある。
また、ビジネス展開を考える際、ともすると、日本側の売りたいものを重視 しすぎるこ
とがある。相手国側の予算制約や求めている技術水準とミスマッチがあると、事業を継続
的に進めることが難しくなる。日本側の技術水準と相手国側の求めている水準が異なるの
であれば、相手国側の対話を行い、妥当な水準がどのレベルなのかを探 り、技術開発を含
めて対応を図ることが必要となる。途上国にあった技術が見つかれば、他の途上国への適
用可能性も高く、商機が広がる可能性がある。
地方政府内の担当部署は、日本の地方政府と必ずしも一致しているわけではないことに
も注意する必要がある。環境担当部局同士の交流では、所轄している範囲の違いから、協
力内容が限定されることがある。また、地方政府の担当部門は、中央政府の担当部門と対
応している場合もあり、中央政府政府内の役割分担についても、理解する必要がある。 例
えば、中央政府レベルの一般廃棄物関係のインフラ整備では、中国やベトナムでは建設省、
インドネシアでは公共事業省が重要な役割を果たしている。一方、マレーシアでは地方政
府・住宅省が一般廃棄物の収集・運搬・処分関係の権限を有している。日本では、かつて
は厚生省が、現在は環境省が廃棄物処理・処分を所管している。地方政府の役割分担が中
央政府と必ずしも一致しないが、相手国の役割分担を理解したうえで協力を進める必要が
ある。また、有害廃棄物の処理施設の認可については、中央政府が認可権限をもっており、
地方政府に権限がない場合がある。中央政府と地方政府、それぞれがどのような権限を有
しているのかを確認することも必要となる。
第 2 節で述べたように、国によって程度は違うものの、インフラ建設や上下水道、廃棄
物などの分野で、民間企業からの投資を促し、官民パートナーシップ事業が行われるよう
になってきている。日本でも、公的サービスに関する民間委託は行われてきたし、PFI 法
施行以降、民間投資を公共事業に呼び込むことも行われている。しかし、国によっては、
3
日本以上に、民間への委託範囲が大きくなっている場合があ る。このような分野で、日本
企業が事業を展開するためには、日本で公的部門が担っている分野も含めてサービスを提
供することが求められる可能性があり、日本の地方自治体のノウハウ等を民間企業のビジ
ネス展開の中でどのように活かしていくかを考えていく必要がある 。また、民間企業に委
託を行う場合でも、技術提案の審査や操業状況の確認など地方政府が必要とされる能力も
少なくなく、地方政府の知識やノウハウが必要となる。上記のニーズの把握とも重なるが、
民間委託の程度により、相手国への協力内容が異なってくることに注意が必要である。
5.おわりに
地方自治体にとって、国際協力の優先度は高くない。その一方で、国際協力の担い手と
して期待されている。国際協力により、地方自治体の人材育成や地元企業の海外ビジネス
展開に貢献するといった地元への効果を強調しつつ、相手国側の問題解決に貢献していく
ことが求められる。そのためには、相手国側のニーズを正しく把握し、民間企業、市民、
大学等との連携を図りつつ、適切な協力を実施していく必要がある。
<参考文献>
アジア経済研究所[2015]「特集 地方自治体の国際環境協力」
『アジ研ワールドトレンド 』2015
年 5 月号、pp.1-32。
阿部貴美子・竹内正興・西野俊浩・渡辺道雄[ 1998]
「地方自治体による国際協力に関する研究:
環境分野における協力を事例として」『国際開発研究』第 7 巻第 2 号、pp.83-95.
阿部貴美子[ 1997]
「地域・地方自治体による国際協力の実施上の課題」
『 IDCJ FORUM』NO17、
pp.35-44.
国際協力事業団 国際協力総合研修所[1998]『地方自治体の国際協力事業への参加 第 1 フェーズ』
――[2000]『地方自治体の国際協力事業への参加
第 2 フェーズ』
小島道一[2007]「中国における循環経済と資源総合利用 」『学術の動向』 2007 年 10 月号、
pp.18-22.
長澤孝昭[2013]「「ビジネス新時代」迎えた自治体の国際協力」『国際開発ジャーナル』 2013
年 5 月号、pp.40-43。
西野俊浩[ 1997]
「 地域・地方自治体による国際協力-論点整理と枠組みの提示」
『 IDCJ FORUM』
NO17、pp.5-16.
吉田均[2001]『政策研究シリーズ
地方自治体の国際協力』日本評論社。
藤倉良[1997]「環境国際協力における地方公共団体の役割と課題」『国際開発研 究』第 6 巻、
pp.75-89.
i
大阪市ウェブページ (http://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000099244.html)
2013 年 2 月 4 日アクセス。
ii アジア経済研究所[2015]、p.4, p.5, p.8, p.9。
iii 例えば、長澤[2013]は、北九州市上下水道局海外事業課では、
「新興国でビジネスを確
保できれば、若手職員の育成機会を提供できる。若手のモチベーションも高められる」と
いう発言を引用している。また、アジア経済研究所[2015](pp.11-12)でも、同様の指摘
がされている。
4
日本の民主化支援における「介入度」の変動
―政策過程分析―
The Rise and Fall of Intervention in Japan’s Democracy Promotion:
A Policy Process Analysis
〇下村
恭民
法政大学
[email protected]
キーワード:民主化支援、介入、国家の対外行動、政策過程
1.本報告の目的
本報告の目的は、日本の政府開発援助における民主化支援の変遷に焦点を当て、援助政策
の形成・決定の過程(政策過程)とその特徴とを考察することである。民主化支援に関す
る政策潮流の変化を示す変数として、支援対象国への「介入」(相手国の行動変化を引き
出すための強制手段[Oudraat 2000])の度合に注目したい。後述(2.)するように民
主化支援という対外行動のメニューは多様な政策手段から構成されるが、それらの手段の
性格を分ける指標の一つは、支援対象国への介入の度合いである。支援手段の間には介入
度の大きな差があり、どのような政策手段を採用するかによって、民主化支援の性格が決
定される。
日本の政策過程については多くの先行研究があり、そのうち対外行動を論じた政策過程分
析にはオアー1993、信田 2006、草野 2012 などがある。また、日本の民主化支援につい
ては杉浦 2010 が掘り下げた考察を行っている。しかしながら、日本の民主化支援に関す
る政策過程分析を見出すことは容易でない。本報告はこの状況を打破しようとする一つの
試みである。
2.分析の枠組
(1)民主化支援と介入
民主化支援に関する確立した定義はまだ形成されていない(杉浦 2010:5)。本報告では
「途上国の民主化努力(民主主義政治体制に向かう移行の努力)に対する国際社会の支
援」と定義する。ここに二つの問題が内在していることに留意したい。第一に、民主化努
力の目標である「民主主義」の定義自体が多様である。ここでは、西欧型民主主義に関す
る標準的な見解として、ラリー・ダイアモンド、フアン・リンス、およびシーモア・リプ
セットが、過去に出された有力な見解を総合する形で示した三つの基本条件、すなわち
a)政府の有力なポストについての有効な「競争」(competition)、b)指導者や政策の
選択に関する「政治的参加」(political participation)、c)「市民的・政治的自由」
(civil and political liberties)を前提とする(Diamond, Linz, and Lipset 1990:6-7)。
第二の問題は、本稿の検討課題と直接に関連している。国際社会の現実を見ると、「途上
国の主体的な民主化努力への支援」だけでなく、「民主化に熱意を示さない国々」あるい
は「民主化に逆行する国々」を対象とした「民主化実現への働きかけ」の事例が少なくな
い。いいかえれば、「国際社会が民主化を必要と考える場合」に、国際社会は相手国の意
向にかかわらず民主化の実現を働きかける。本稿では、こうした働きかけをも含めて「民
主化支援」(democracy promotion)と考える。
民主化支援のための政策手段は非常に広範にわたっているが(国際協力事業団 2002、杉
浦 2010:30-39)、以下では相手国に対する介入の度合いに着目し、介入度の低いものから
順に配列した(下村 2004:230-233)。
i)
直接支援:民主化に必要な制度あるいは社会基盤の構築に対する支援。主な手段は技
術協力であり、具体的には法制度、議会制度、選挙制度などの整備、地方分権、NGO・
市民団体の強化、女性の政治参加などへの支援が挙げられる。
ii)政治的条件付け(政治的コンディショナリティ、political conditionality):ドナー側
が望ましいと考える方向の政治行動に対して好意的な配慮(援助供与額の増加、援助供与
の繰り上げ・復活など)、望ましくないと考える行動に援助供与の抑制(援助額の減少、
援助供与の中断・停止など、ネガティブ・リンケージ[negative linkage]と呼ばれる[下
村・中川・齋藤 1999:110-112])を行い、民主化の動機づけを図る。日本の場合には、旧
「ODA 大綱」の「援助実施の原則」(2015 年導入の「開発協力大綱」では、「開発協力の
適正性確保のための原則」)に基づいて、途上国での民主化や基本的人権の変化に対応し
た援助供与の操作が行われてきた。
iii)
選挙への働きかけ:公正な選挙を確保するための協力や、“民主的政権”の樹立を
目指した選挙への働きかけがある。
iv)
民主化運動への支援:内容は非常に幅広く、介入度の非常に低い民主化啓蒙運動
(セミナーの開催、オピニオン・リーダー候補の研修・招聘など)から、民主化運動グル
ープへの軍事支援(古典的な例は反カストロ亡命者グループのキューバ侵攻に対する米国
の支援[1961 年の「コチノス湾侵攻作戦」])のような介入度の極めて高い手段までが含
まれる。
v)
経済制裁:“非民主的政権の”弱体化や封じ込めを目的とする。アパルトヘイト時代
の南アフリカや、ミャンマー、キューバなどに対して経済制裁が発動された。
vi)
軍事行動:究極の民主化支援活動として、軍事顧問団派遣、限定的・全面的軍事行
動が行われることがある。米国ブッシュ政権時のイラク侵攻は代表的な事例とされる
(Carothers 2006)。
(2)「介入度」の推移の把握方法
上述のように、民主化支援手段の持つ多様な性格は、それぞれの手段の介入の度合いと密
接に関連している。『ODA 白書』をレビューすると、これまでに日本が‘主体的’に採用
してきた民主化支援手段の中心は、制度作りに関する技術協力やリーダー招聘など、低い
介入度のものであることが分かるが 1 、その中で重要な例外として、政治的コンディショ
ナリティ(特にネガティブ・リンケージ)の発動が挙げられる。政治的コンディショナリ
1
経済制裁への参加はある ものの、基本的に国際社会の動きに追随した政策行動と考えるべきである。
ティについては、「(ドナーが)不均等な力関係を利用して、被援助国の政策変更を迫る」
という基本的性格のあることが指摘されており(Nelson with Eglinton1992: vii,10)、本
報告はこの点に着目し、日本の民主化支援の介入度の変動を示す変数として、民主化支援
関連のネガティブ・リンケージ発動を観察した。介入度の変動に関する観察結果は3.に
述べるとおりである。
(3)援助行動の政策過程分析枠組
民主化支援に関する援助政策の変化を、日本政府の意思決定の結果としてとらえ、政策過
程分析による変化の説明を試みる。
①多様なアクターの「ツーレベル・ゲーム」としての援助政策決定
援助政策を形成し決定し実施する役割は政府(内閣と官僚機構)にある。「日本政府」は
形式的には単一の行為主体であるが、実際には政府部内に多くの組織があり、多くの政策
担当者が関わっているため、関与するアクターの数が多く、意思決定はこれらのアクター
間の相互作用の結果として行われる。しかし、政府が自己完結的に意思決定を行えるわけ
ではない。行政府の外部には、国内にも国外にも多数の利害関係者(ステイクホルダー)
が存在している。国内では与野党(特に自由民主党)、経済界(経団連、経済同友会、業
界団体など)、非政府組織(NGO)、マスメディア(世論調査などに反映される世論を含
む)、各種オピニオン・リーダーなど、国外には途上国・援助対象国、他のドナー、国際
機関(OECD,世界銀行,国連など)、国際 NGO などが代表的なものといえよう。これらの
ステイクホルダーがそれぞれの自己利益の実現を求めて、直接あるいは間接に政策決定へ
の働きかけを試みる。政策決定は各種ステイクホルダーと政府との相互作用の結果でもあ
る(伊藤・田中・真渕 2000:39-45、信田 2006:48-54、須藤 2007:35-38,84-85、下村
2011:91-100、草野 2012:54,117)。民主化支援の変遷を分析するためには、日本国内の政
治過程と国際関係という二つのレベルでの相互作用を視野に入れた「ツーレベル・ゲー
ム」(伊藤・田中・真渕 2000:337-338、須藤 2007:111-112,175-176)のモデルが必要で
ある。このような見地から、以下(②③)に述べるような検討枠組を設定した。
②政策決定者、ステイクホルダー、制約条件
援助政策の形成(policy making)と決定(decision making)は内閣と官僚機構の共同行
動として行われる。政策決定者たちは、①に挙げたような、国内・国外の数多くのステイ
クホルダーからの働きかけに直面している。また、意思決定に先行して、多様なステイク
ホルダーの意向・動向を把握すべく情報収集を行う。彼らは、ステイクホルダーとの相互
作用の結果や、入手した情報を総合して、様々な選択肢の中から「最適」あるいは「満足
できる」と考えるものを採用する(伊藤・田中・真渕 2000:36-39)。
政策決定者のとりうる選択の幅が、援助とは別な(あるいは上位の)領域の状況によって
制約されることに留意したい。日本の援助政策の推移を考えるうえで、 (西欧諸国特に米
国との)経済摩擦、湾岸危機、「テロとの戦い」、中国の台頭、バブル後の景気停滞、財政
収支の悪化などが、ある時点で、あるいは継続的に重要な制約条件の役割をはたした。具
体的な事例とその政策含意については4.で検討する。
③政策選択の動因
これまで見たように、特定の制約条件の下で、様々なアクターの相互作用が政策決定の方
向を決める。選択された政策を彼らは「最適」あるいは「満足できる」と判断する。その
判断に至る過程を、どのように説明できるだろうか。政策決定者たちは、特定の状況の下
で特定の要因を重視し、特定の要因に優先順位を置いて政策の方向を選択する。政策決定
者たちが何を重視し何を選好するかについて、以下の三種類の有力な理論が提示されてい
る(須藤 2007:7-9)。
a)リアリズム(現実主義)
リアリズムの国際政治理論を確立したハンス・モーゲンソーは、それぞれの国益を追求す
る主権国家が、自らの生存を求めて争うアナーキーな世界の想定の上に国際政治を描い
た。その後の研究者によって多様なリアリズム理論が展開されたが、生存、国益、パワー
などが重視される基本的な構図に変化はない(Lumsdaine1993:6-8、須藤 2007:46-52)。
リアリストの視点に立てば、援助政策は援助する側の政治的利益や経済的利益に直結した
ものとなる。途上国世界の政治的・社会的不安定性が引き起こす「非伝統的な安全保障上
の脅威」(Radelet 2003)に対応した貧困削減支援、かつての植民地に対する援助の重点
配分、タイド(ひもつき)条件の贈与・貸付などは、リアリストの援助を代表するもので
ある。
b)リベラリズム(自由主義)
リアリズムと対照的に、リベラリズムは利他主義に基づいた相互支援と国際協調を重視す
る(須藤 2007:82-84)。古典的なリベラリズムはカントやウッドロー・ウィルソンに源流
を持つ倫理観に基づいていたが、その後は、国内政治と国際交渉の相互作用の分析に力点
が置かれ、また、国際協力や相互支援が単純な利他的行動ではなく、自国の利益にもなり
合理的であると強調するようになった(信田 2006:8-9)。人道支援は伝統的なリベラリズ
ムの援助であるが、貧困や不平等への人道的懸念だけでなく、「貧困削減による持続的発
展がもたらす国益(輸出・投資市場の拡大)」を強調して援助推進を動機づけした英国労
働党政権(飯島・佐久間 2004)は、ネオリベリズムの視点を代表するといえよう。
c)コンストラクティヴィズム(構成主義)
コンストラクティヴィズムの特徴は、理念・規範・アイデンティティ・思想などの観念的
要因の重視にある。正統性を持つ規範が国家の行動を変容させ、さらには国際システムを
変容させると主張する(Lumsdaine 1993:5, Finnemore1996:2-7, 須藤 2007:131132,144-145)。彼らはまた、国際援助コミュニティに共有されている規範に沿って「規
範追随国」(小川 2011:40-42)として行動する方が、国家の行動として安全でリスクを軽
減できるため、合理的な望ましい選択であると指摘する(Lumsdaine 1993:24-26,
Finnemore 1996:128-131)。
小川(2011:51-54)が指摘するように、援助の領域では、世界銀行と国連という対照的な性
格を持つ二つの国際機関が、競合する形でスローガン規範を次々に打ち出し、日本を含め
た規範追随国は、世銀、国連に DAC(OECD の開発援助委員会)を加えた国際援助コミ
ュニティの提示した国際開発規範 2 (ベーシック・ヒューマン・ニーズ、構造調整、貧困
削減戦略文書[PRSP]、ミレニアム開発目標[MDGs]、援助協調など)に沿った形で援
助を供与してきた。援助は典型的なコンストラクティヴィズムの世界といえるだろう。
④日本の民主化支援の変遷の分析枠組
これら三つの理論は貴重な視点を提示するが、単独で援助政策選択のメカニズムを説明す
ることは難しい。三つの理論を総合する形で、日本の民主化支援における介入度の変動を
考察したい。採用する枠組を(図―1)に示す。政策決定者は、援助理念(自助努力/「援
助からの卒業」への支援、国際公共財への貢献)と追求すべきと考える国益(途上国との
友好関係、経済摩擦緩和、輸出・投資拡大)の組み合わせ(能動的要因)、国内外の多様
なステイクホルダー(自民党、経済界、マスメディア、NGO などの主要国内ステイクホ
ルダー、援助対象国、貿易相手の先進国、国際援助コミュニティ、国際 NGO などの主要
国際ステイクホルダー)からの働きかけ(受動的要因)、そして彼らにとって与件である
各種制約条件(日米経済摩擦、湾岸危機、「テロとの戦い」、中国の台頭、バブル後の景気
停滞、財政収支の悪化など)の相互作用の下で、民主化支援の政策を形成・決定・実施す
る(下村 2011 第 3 章、第 4 章、Shimomura 2014)。政策選択の軌跡を3.で確認し、
そのような軌跡が生じた理由を4.で考察する。
3.日本の民主化支援における介入度の推移:事実関係の確認
1980 年代後半から 2010 年代前半までの約25年間の、外務省『政府開発援助白書
(ODA 白書)』(2000 年版までの名称は『我が国の政府開発援助』)の各年版をレビュー
し、援助対象国で発生した民主化の後退・逆行(クーデター、民主化運動の弾圧など)や基
本的人権の弾圧に対応した、日本政府の援助行動を時系列的にとらえたものが表1であ
る。「ODA4 指針」(1991 年に海部首相の参議院予算委員会での答弁という形で公表)の
基本的な考え方を継承した「ODA 大綱」(1992 年閣議決定、2003 年改訂)では、「援助
実施の第 4 原則」として、「開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並び
に基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う」ことが明記されていた。また、
2015 年に新たに導入された「開発協力大綱」では、「開発協力の適正性確保のための原
則」の 8 項目の一つとして「当該国における民主化、法の支配及び基本的人権の保障を
めぐる状況に十分注意を払う」こととなっている。これらの原則の下で、民主化の後退・
逆行や基本的人権の弾圧が発生した途上国に対して、援助の中断、停止あるいは見合わせ
(「ネガティブ・リンケージ」下村・中川・齋藤 1999:110)が行われた。なお表1で
は、参考情報として旧「ODA 大綱」の「援助実施の第 3 原則」(「開発途上国の軍事支
出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払
う」)に基づく中断、停止、見合わせの事例を併記した。
民主化および基本的人権のテーマへの対応に着目すると、日本の援助政策の変遷は三つの
期間(「1987 年まで」「1988 年~2000 年」「2001 年以降」)から構成される。1987 年ま
2
ドナーの行動に大きな影 響を与えるが、その拘束力には一定の限界がある(小川 2011:8-16)
での第 1 期には、民主化および基本的人権に関連したネガティブ・リンケージ(援助に
よる途上国の内政への介入)の例が全く見られない 3 。これは、「援助を通じ、特定の政
治的価値や文化価値の普及、あるいは特定の経済政策の押し付けを図ることは、むしろ控
えてきた」基本姿勢(外務省 1990:47)を反映したものである。ただ 1990 年版の『ODA
白書』は、日本政府が後述(4.)する国際情勢の変化の中で「この問題は避けて通れな
い」という認識を持つようになり、民主化支援に関する姿勢も転換点を迎えつつあったこ
とを示唆している(外務省 1990:47)。
途上国での民主化の後退・逆行に対応して日本政府が援助を停止した最初の例は、1988
年の対ミャンマー援助である。民主化要求運動の弾圧に端を発した政治的混乱と、それに
続く国軍クーデターに対応して実施された 4 。これを契機として、2000 年までの 13 年間
に、民主化・人権の領域で 15 件のネガティブ・リンケージが記録された。1年あたり 1
件を上回るペースであった。この他に、主要な援助対象国である中国、インド、パキスタ
ンの核実験に対応して援助が停止されるなど、民主化・人権以外の領域での援助中断、停
止、見合わせの事例が 6 件あり、1988 年~2000 年の第 2 期が、積極的なネガティブ・
リンケージの発動の時期であったことを示している。
21 世紀に入ってから援助の中断、停止、見合わせの頻度が減少し、『ODA 白書』に記載
された 2001 年以降の事例は、民主化・人権の領域で 3 件、それ以外で 2 件にとどまって
いる。なお、この期間にも途上国では、タイやフィジーでのクーデター、ネパールでの議
会活動抑圧に代表される、民主化の後退・逆行や基本的人権の弾圧の事例が少なくなかっ
た。これらの事例への日本政府の対応は「あらゆる機会を通じた改善への働きかけ」(外
務省 2006:162-163、2007:188)を軸としたものであり、1990 年代と比較するとネガテ
ィブ・リンケージの発動に慎重であった。このような姿勢の背景を、2007 年版の『ODA
白書』は、援助の停止や削減によって「最も深刻な影響を受けるのは当該開発途上国の一
般国民、特に貧困層の人々」である点を強調しつつ、「援助実施の原則の運用にあたって
は、開発途上国国民への人道的配慮が必要」であると主張した(外務省 2007:186)。
『ODA 白書』のレビューによって、民主化の後退・逆行や基本的人権の弾圧に対応した
日本の援助姿勢に、大きな潮流変化のあったことが確認できる。1987 年以前に皆無であ
った援助の中断、停止、見合わせは、1990 年代を中心として(具体的には 1988 年~
2000 年の期間に)急増し、その後 21 世紀に入ってから顕著に減少した。なぜこのよう
な顕著な変化が発生したのだろうか。以下でこの点に関する政策過程分析を試みる。
4.「介入度」の変動に関する政策過程分析。
日本の民主化支援政策は(図1)の枠組の中で形成・決定されるが、援助理念、追求され
る国益、ステイクホルダーからの働きかけ、制約条件などのうち、何がどれだけ影響する
かは、時期によって状況によって大きく異なる。民主化支援のツーレベル・ゲームを構成
する要因間の力関係がダイナミックに変化する点に留意する必要がある。
3
ただし、ベトナムのカン ボジア侵攻に対応した援助停止の例はある(後の「ODA 大綱」の「援助実
施の第 3 原則」に該当)。
4 他の事例についても同様 であるが、人道援助は例外的に継続することが普通である。
『ODA 白書』各年版のレビュー(3.)によって、1980 年代後半と 2000 年代初頭に、
民主化支援における重要な政策転換、具体的には介入度の大きな変化が生じたことが確認
された。以下では、この二つの時点の民主化支援をめぐる援助政策に対して、どのような
要因がどのような影響を与えたのか分析したい。
(1)1980 年代後半の政策転換:介入度の上昇
①国際環境の悪化と外圧の深刻化
この時期の日本政府が、内政介入への積極的な姿勢に急転換し、民主化・基本的人権に関
連した援助の停止・中断を発動しはじめた動因として、論理的には三つの仮説が考えられ
る。(図1)の能動的要因によるものと想定すれば、第一に「援助理念の内発的な転換によ
る民主化重視」、第二に「民主化支援重視が国益に合致するとの認識」の二つの可能性が
ある。第三の受動的要因に注目した仮説は、(単数または複数の)ステイクホルダーから
の強力な働きかけによるとする。この点を考えるうえで重要なヒントが、1990 年版の
『ODA 白書』に見いだされる。「援助を通じ、特定の政治的価値や文化価値の普及、ある
いは特定の経済政策の押し付けを図ることは、むしろ控えてきた」と従来の原則を再確認
したうえで、同白書は「80 年代、特に最近の国際情勢の変化を考慮した場合、90 年代の
援助を考えるに当たり、この問題は避けて通れない」という見解を示した(外務省
1990:47)。この記述は、援助政策の主要なアクターの一つである外務省の方針転換の理
由が「国際情勢の変化」であったこと、いいかえれば方針転換の受動的な性格を示唆して
いる。
当時の日本にとって最大の政策課題の一つは、西欧諸国、特に米国との貿易・経済摩擦で
あった。1950 年代に始まった貿易摩擦は 1980 年代に入ると一段と深刻化した。米国の
対日貿易赤字の急増 5 の結果であり、米国側はこれが日本市場の閉鎖性だけでなく日本の
経済社会構造に起因するものと主張し、日米摩擦の焦点は貿易から経済のあり方へと拡大
して経済摩擦となった。当時の日米関係の緊迫した雰囲気を語る文献は数多いが、最も代
表的と思われるのは、高名な経済学者ルディガー・ドーンブッシュの日本の経済紙への寄
稿であろう。ドーンブッシュは「今日の日米経済摩擦は、最終的には戦争に行きつくだぐ
いのものだ」と断じ、日本に「30 年代を振り返って、真珠湾の傲慢さや広島の悲劇を思
い出す」ことを求めた(ドーンブッシュ 1991)。1990 年代には日米関係に新しい問題が
加わり、緊迫の度合いが一段と増した。引き金になったのは、1990 年にイラクのクウェ
ート侵攻によって生じた「湾岸危機」である。米国政府は非公式ルートで多国籍軍への日
本の参加(’ military participation in the multinational force’)を強く迫ったが
(Lincoln 1993:228-229)、日本側は憲法上の制約を理由として 90 億ドルの資金提供に
とどめ、多くの米国側関係者の間に強い不満を残す結果となった(Ito 1993:412-413)。
②日本側の政策対応と民主化支援の積極化
米国の主張の当否は別として、強い政治的圧力(Ito 1993:391)の標的となった日本にと
って、「摩擦の緩和」は急務であり、1980 年代から 1990 年代にかけて、様々な領域で緩
5 米国の対日貿易赤字は、1980
年~1986 年の期間 に 5 倍近い増加を記録した(下村 2011:170)
和策が試みられた。「秩序ある円高」に向けた「プラザ合意」(1985 年)、「国際協調型経
済構造への変革」を掲げて内需拡大を提唱した「前川レポート」(1986 年)、黒字資金の
途上国への還流を目的とする「資金還流措置」(1986 年)などである。「資金還流措置」
は、累次の「中期目標」による援助規模急拡大、アンタイド調達条件の推進、世銀・IMF
との協調融資の急拡大などを生み、日本の援助に大きな変化を与えた(下村 2011:173187)。一連の日本政府の対応は、国際公益への貢献と(摩擦緩和による)国益追求の両
立を求めた選択であったが、同時に、国際社会に対して普遍的価値(国際規範)の共有をア
ッピールする側面を持っていた。冷戦後の国際援助社会に生じた大きな変化の一つとし
て、援助対象国の政治改革が重視されるようになったからである。ヒューストン・サミッ
ト(1990 年)の政治宣言は、民主主義と市場原理を普遍的価値として強調したが、これ
を受けて OECD の開発援助委員会(DAC)は、民主主義、基本的人権などの「普遍的価
値と貧困の解消の密接な関連」を加盟メンバーのコンセンサスとして打ち出した(下村・
中川・齋藤 1999:4-5)。民主化の推進と人権尊重が援助の中心テーマの一つとなったので
ある。
国際公益への貢献と摩擦緩和の両立を探り、同時に国際規範に合致した援助理念を対外発
信する動きが、「ODA4 指針」の表明(1991 年)と、それに続く「ODA 大綱」の閣議決定
(1992 年)であり、民主化支援に関する姿勢の転換もこの潮流の一部であった。国際社
会では、「重商主義的な経済活動によって成立した‘異質な’黒字大国」の日本が、「援助
理念を欠く援助大国」でもあるというイメージが確立されていた。特に、援助を「政治的
なリトマス試験紙」として使用しない「政治的中立」の援助政策が、「援助理念の欠如」
を示すと認識されていた(Pharr1994:168)。こうした国際社会の批判的な視線に対応
し、西側先進国との経済摩擦を緩和するための手段として、自由と民主主義、国際協調、
平和主義、人類への貢献などの理念表明が有効との判断が、日本国内の様々なアクター
(政治家、官僚機構[特に外務省]、経済界、マスメディアなど)のコンセンサスとな
り、ODA 大綱の導入につながったが、この潮流の中で介入を伴う民主化支援も推進され
た(下村・中川・齋藤 1999:80-84)。以前から日本国内にあった、「援助理念の欠如」に対
する批判や、民主化・人権の尊重を謳う援助理念の主張とも連動したことは否定できない
が、圧倒的な役割を果たしたのは、米国からの外圧、国際社会の規範、湾岸危機の経験な
どだった。
民主化支援の介入を生んだ 1980 年代後半の政策転換は、国際規範に沿った行動の選択で
あった。同時に、政策決定者を含めた国内の有力なアクターの意図が、政策転換による国
益追求であったと理解できる。したがって、コンストラクティヴィズムとリアリズムの複
合した政策行動として説明することができる。国内に内在していた民主化・人権尊重の援
助理念によるリベラリズムの要素も認められるが、補助的な役割に止まった。(図1)の枠
組でいえば、決定的役割をはたしたのは国際ステイクホルダーである米国からの外圧であ
り、援助政策決定者にとっては制御不能な制約条件、すなわち日米摩擦や湾岸危機であっ
た。
(2)2000 年代初頭の政策転換:介入から説得へ
①国内環境の変化と「狭い国益」の台頭
介入度の高い民主化支援を推進した内外の要因は、21 世紀には大きく変化していた。日米
経済摩擦とそれに伴う(米国からの)外圧は、かつて政策決定環境に支配的な影響を及ぼ
したが、バブル崩壊後の経済停滞
6 に伴って、国際社会から見た日本経済の脅威感が弱ま
り、その重要性は大幅に減退した。経済摩擦に代わって、長期の景気低迷の影響が援助政
策に顕著な影響を持つようになった。具体的には「国益」への貢献を求める声が高まった。
この場合の国益は、利他的な行動を結果として自国に有利な状況に結びつける「広い視野
の開かれた国益」ではなく、政治面・経済面の眼に見える利益に直結した「狭い視野の直
接的な国益」である。
「内向き志向」を強める日本の社会心理が、援助政策の決定環境を支
配するようになったといえる。
直接的な恩恵を求める経済界の声を反映した動きと考えられる二つの例を挙げたい。1999
年 7 月に発表された自民党政務調査会・対外経済協力特別委員会の提言は、「ODA が国民
の税金によって賄われる以上、その実施に当たっては、
・・・・・途上国の開発にわが国と
の国益の観点からどのように関わり、どのような成果を目指すのか」と問題提起したうえ
で、
「日本人や日本企業の活動できる場を確保すること」を強調した。もう一つの例は、小
泉純一郎首相に外交政策を助言する「対外関係タスクフォース」が取りまとめた報告書「我
が国の ODA 戦略について」(2002 年 7 月)である。報告書は「国益に直結した援助」を
様々な角度から論じたうえで、「日本の産業力を生かしたタイド援助を活用する円借款を
拡充」するよう提言した。経済摩擦緩和の観点から、日本の援助におけるアンタイド化(受
注者の国籍を問わない調達条件)が進められた結果、円借款における日本企業の受注比率
が著しく低下したが(1986 年の 67%から 1999 年の 29%へと低下 7 :Sunaga 2004:7)、
提言はこの状況に対する危機感から出たものであった。2003 年の ODA 大綱改定の過程で
も、論議の焦点は「国益」の取り扱いだった(Sunaga 2004)。政府は 8 か月にわたって広
範 な 人 々 の 意 見 を 聴 取 し た が 、 取 り ま と め に 当 た っ た 外 務 省 の 責 任 者 の 回 想 ( Sunaga
2004:6-8)によれば、自民党は「国益をより明瞭に打ち出すべきこと」を強調し、経済界
からは「援助をより積極的に日本の国益と繁栄に結びつける」よう要望が出された。他方、
NGO の代表者から「大綱には決して国益という言葉を入れるべきでない」との強硬な意見
が出された。結局、改定版の「目的」には、妥協策として国益の代わりに「我が国の安全
と繁栄の確保に資すること」という表現が盛り込まれた。日本社会の「内向き心理」が加
速した背景に、中国の急速な台頭があったことも見逃せない。
このような状況の下では、民主化支援のあり方のようなテーマに国民の関心が薄くなるの
は避けられなかったといえよう。したがって、21 世紀に入ってから顕在化した民主化支援
の介入度の低下は、リアリズムの視点にたった選択と見るべきである。
②民主化の波の後退と民主化支援への逆風
他方、かつて民主化支援政策にコンストラクティヴィズムの強い影響を及ぼした国際開発
規範も大きく変容した。この変容は、サミュエル・ハンティントン(Huntington 1991)
6 IMF 統計によると、日本の実質経済成長率(年平均)は、1984-93 年 の 3.7%か ら 1994-2003 年の
0.9%へと低下した。
7 同じ期間中に、途上国の 受注比率は 24%から 57%へ と増加した(Sunaga2004:7)
。
が主張する歴史的な社会変動としての「民主化の波」
(民主化の進展と後退・反動のサイク
ル)の一部である。ハンティントンは、歴史上二番目の民主化後退期(1958-75 年)に続いて
民主化の「第三の波」(1974 年~)が生じたと論じたが(Huntington 1991:16)、冷戦の勝利
に高揚して 1990 年代を「民主主義の 10 年」「新しい時代の夜明け」と位置づけたヒュー
ス ト ン ・ サ ミ ッ ト (1990 年 7 月 ) が 波 の ピ ー ク だ っ た の だ ろ う 。 2000 年 代 後 半 に
は、’democratic recession’ (Carothers 2010)と形容される状況が顕在化しており、世紀の
変わり目は、民主化の波の後退あるいは民主化への反動が始まった時期と考えられる。具
体的な現象としては、ロシアのプーチン大統領やベネズエラのチャベス大統領に登場に象
徴される潮 流変化 が、 世界各地で 目につ くよ うになった 。なお 、ジ ョン・グレ イ( Gray
2007:1-3)のように、数十年単位のサイクルではなく超長期の歴史的視点から、21 世紀初
頭の状況を「ユートピア思想(人間活動がユートピアを実現しうるという信念)の終焉」
ととらえる見方もある。
ただ、政策決定環境への影響を考えるうえでは、民主化それ自体よりも、民主化支援とい
う国際開発規範の後退に注目することが妥当であろう。規範の後退は、以下の 4 つの要
因の複合的な結果と考えられる。
a)介入型の民主化支援の実績を通じて、介入基準に関する二つの重要な問題の所在が、
改めて確認された。第一は、古くから指摘されている「ダブル・スタンダード」である。
典型的な事例として米国の対エジプト援助が挙げられる。米国国際開発庁(USAID)の
「民主主義イニシアティブ」(1990 年導入)に、民主化の度合いを重視する国別援助配分
原則が明記されているにもかかわらず、国際社会の政治的自由度評価の非常に低かったエ
ジプトを、米国は一貫して重点支援国としてきた(下村 2004)。近年では、中国や中東の
親米国家(特にサウディ・アラビア)と一般の非民主国への対応の間の、顕著な相違が指
摘されている。第二の問題は、介入基準がドナー側の理由で恣意的に変更される「一貫性
の欠如」である。パキスタンとウズベキスタンは、国際社会から非民主的な政治体制と人
権弾圧を指弾されていたが、2001 年の同時多発テロを境に「テロとの戦いの同盟者」の
扱いを受けるようになり、それと共に国際社会での位置づけが大幅に好意的なものとなっ
た。これは両国の重要な戦略的位置によるものであり、安全保障が「普遍的価値」に優越
して介入基準を変えた事例でもある(下村 2004、杉浦 2010:60)。
b)介入型民主化支援の実施の過程で、効果の持続性に関する貴重な教訓がえられた。民
主的政権がいったん実現されても、しばらくして逆行に向かう事例が、旧ソ連圏、アフリ
カ、中南米など、広い地域で数多く報告された(Carothers 2006, Puddington 2010)。
のちには「アラブの春」の事例が加わり、介入型民主化支援の実現可能性(フィージビリ
ティ)に対する根本的な疑問につながる。また、民主化や人権の視点からの援助停止・中
断であっても、最も深刻なダメージを受けるのは相手国の貧困層であるとの認識も広がっ
た(外務省 2007:186)。
c)ブッシュ政権は民主化支援の名目を掲げてイラク侵攻を行ったが、民主化支援を論じ
た文献の多くが、この行動が民主化支援の正統性を決定的に損なったことを強調している
(Carothers 2006, 杉浦 2010:59-63)。持続可能な民主的政権の樹立が実現しなかっただ
けでなく、以前から根強く語られていた、「民主化支援の真の目的が、‘好ましくない’政
権の転覆ではないか」との疑念が、立証された形となったからである。
d)最後に、中国の台頭が色々な経路を通じて民主化支援への逆風を生んだ。1979 年以
降の中国の経済・軍事・外交面の力の増加は、途上国に民主主義の意義を説くうえでのレ
トリックの再考を迫っている。同時に、内政不干渉原則を掲げたドナーである中国の台頭
によって、伝統的ドナーは新しい競争に直面することになった。需要サイド(途上国)が
基本的に政治面での介入に消極的であるから、介入型民主化支援は伝統的ドナーにとって
競争上の不利を引き起こす恐れがある。ケンブリッジ大学のジョン・ダンは、中国の存在
を十分に考慮して民主主義の意義を説く論理構成を主張しているが(Dunn 2014)、彼の
視点は民主化支援の今後を考えるうえで重要な示唆を与えるものである。
5.結論
本報告では、日本の民主化支援における介入度の変動を政策過程に着目して要因分析し、
介入型民主化支援から、説得を柱とする非介入型アプローチへの移行が生じたことを確認
した。国際開発規範への収斂行動から脱却し、「途上国の主体性を活かす援助理念]+
「狭い視野の国益追求」の複合した政策路線に転換した。政策決定者の能動的な動因と、
彼らを取り巻く決定環境(ステイクホルダー間の力関係の変化と国際開発規範の変容)の
間の、複雑な相互作用が、政策選択に大きな影響を与えたことが確認された。
引用文献
Carothers, Thomas (2006), “The Backlash against Democracy Promotion”, Foreign
Affairs , Volume 85, No.2, March/April 2006
Carothers, Thomas (2010), “The Elusive Synthesis”, Journal of Democracy , Number 4,
October 2010
Diamond, Larry, Juan Linz, and Seymour Lipset (1990), “Introduction: Comparing
Experiences with Democracy”, in Larry Diamond, Juan Linz, Seymour Lipset eds.,
Politics in Developing Countries: Comparing Experiences with Democracy , Lynne
Rienner Publishers
Dunn, John (2014), Breaking Democracy’s Spell , Yale University Press
Finnemore, Martha (1996), National Interest in International Society , Cornell
University Press
Gray, John (2007), Black Mass
Apocalyptic Religion and the Death of Utopia ,
Farrar, Straus and Giroux(『ユートピア政治の終焉
グローバル・デモクラシーという
神話』、岩波書店、2011 年)
Huntington, Samuel (1991), The Third Wave
Century , University of Oklahoma Press
Democratization in the Late Twentieth
Ito, Takatoshi (1993), “U.S. Political Pressure and Economic Liberalization in East
Asia”, in Jeffrey Frankel and Miles Kahler eds., Regionalism and rivalry
Japan and
United States in Pacific Asia, The University of Chicago Press
Lincoln, Edward (1993), Japan’s New Global Role , The Brookings Institution
Lumsdaine, David(1993), Moral Vision in International Politics
The Foreign Aid
Regime, 1949-1989 , Princeton University Press
Nelson, Joan with Stephanie Eglinton (1992), Encouraging Democracy: What Role for
Conditioned Aid? , Overseas Development Council
Oudraat, Chantal (2000), Intervention in Internal Conflicts: Legal and Political
Conundrums , Carnegie Endowment for International Peace
Pharr, Susan (1994), “Japanese Aid in the New World Order”, in Craig Garby and
Mary Bullock eds., Japan
A New Kind of Superpower? , The Woodraw Wilson Center
Press and The Johns Hopkins University Press
Puddington, Arch (2010), “The Erosion Accelerates”, Journal of Democracy , Volume 21
Number 2, April 2010
Radalet, Steven (2003), “Bush and Foreign Aid”, Foreign Affairs, September/October,
2003
Shimomura, Yasutami (2014), “The Political Economy of Japan’s Aid Policy Trajectory:
With Particular Reference to the Changes and Continuity under the ODA Charter”, in
Japan and the Developing World: Sixty Years of Japan’s Foreign Aid and the Post2015 Agenda , JICA Research Institute, November 2014
Sunaga, Kazuo (2004), The Reshaping of Japan’s Official Development Assistance
(ODA) Charter , FASID, November 2004
飯島聰、佐久間真実(2004)、「英国援助政策の動向―1997 年の援助改革を中心に」『開発
金融研究所報』第 19 号、2004 年 8 月
伊藤光利・田中愛治・真渕勝(2000)、『政治過程論』、有斐閣
オアー、ロバート(1993)、『日本の政策決定過程
対外援助と外圧』東洋経済新報社
(Robert Orr、Jr., The Emergence of Japan's Foreign Aid Power , Columbia
University Press)
小川裕子(2011)、『国際開発協力の政治過程
国際規範の制度化とアメリカ対外援助政策
の変容』、東信堂
外務省(1990)、『我が国の政府開発援助』上巻、国際協力推進協会
外務省(2006)、『政府開発援助(ODA)白書』、外務省
外務省(2007)、『政府開発援助(ODA)白書
日本の国際協力』、外務省
草野厚(2012)、『政策過程分析入門』(第 2 版)、東京大学出版会
国際協力事業団(2002)、『民主的な国づくりへの支援に向けて
―ガバナンス強化を中心
に―』民主化支援のあり方(基礎研究)報告書、国際協力事業団国際協力総合研修所
信田智人(2006)、『冷戦後の日本外交―安全保障政策の国内政治過程―』国際政治・日本
外交叢書②、ミネルヴァ書房
下村恭民・中川淳司・齋藤淳(1999)、『ODA 大綱の政治経済学
運用と援助理念』、有斐
閣
下村恭民(2004)、「民主化支援の再検討」、黒岩郁雄編『開発途上国におけるガバナンスの
諸課題』、アジア経済研究所
下村恭民(2011)、『開発援助政策』、国際公共政策叢書 19、日本経済評論社
自由民主党政務調査会(1999)、『21 世紀に向けた戦略的な経済協力の実現を―わが国経済
協力の新たな方向性について―』、平成 11 年 7 月 13 日
杉浦功一(2010)、『民主化支援
21 世紀の国際関係とデモクラシーの交差』、法律文化社
須藤季夫(2007)、『国家の対外活動』シリーズ国際関係論4、東京大学出版会
対外関係タスクフォース(2002)、『わが国の ODA 戦略について』、平成 14 年 7 月 25 日
ドーンブッシュ、ルディガー(1991)、「日本市場の完全開放を
米関係③」『日本経済新聞』1991 年 11 月 19 日
真珠湾 50 年
今後の日
(表1)日本の援助の民主化・人権対応
1978
援助の中断・停止・見合わせ
民主化プロセスの逆行、人権侵害
[参考]核実験、平和に対する脅威など
ベトナム:カンボジア侵攻
1988 ミャンマー:民主化運動弾圧、クーデター
1989 中国:天安門事件
1990
1991
ハイティ:クーデター
ケニア:人権弾圧、民主化の遅れ
1992 マラウィ:人権弾圧、民主化の遅れ
スーダン:南部での人権侵害
1993 トーゴー:民主化抑圧 シエラ・レオーネ:人権侵害
グアテマラ:クーデター
1994
ナイジェリア:民主化逆行
ガンビア:クーデター
1995
1996 ニジェール:クーデター
ザンビア:クーデター
1997 シエラ・レオーネ:クーデター
1998
外交努力・説得・懸念表明の主要な事例*
(核実験、平和に対する脅威などの事例)
イラク:クウェート侵攻
ザイール**:治安悪化
ペルー:議会一時停止
タイ:反政府運動の弾圧
(中国:核実験)
(インド:核実験)
(パキスタン:核実験)
カメルーン:腐敗
中国:核実験
インド:核実験
パキスタン:核実験
1999
2000 コートジボワール:クーデター
2001
2002
2003 ミャンマー:民主化運動弾圧
パキスタン:クーデター
ギニアビサウ:動乱
2004
2005
2006
2007
2008 ギニア:クーデター
2009 マダガスカル:憲法にのっとらない政権交代
2010
2011
シリア:内戦・治安悪化
* 『ODA白書』に記載された事例
** 現在はコンゴ民主共和国
(出所) 外務省『政府開発援助白書(ODA白書)』(2000年版までは『我が国の政府開発援助』)
(イエメン:北朝鮮からのミサイル輸入)
(インド:核戦略公表)
スーダン:南部での人権弾圧
(パキスタン:核関連技術流出[カーン博士])
ネパール:民主化抑圧
ウズベキスタン:市民デモ弾圧
タイ:クーデター
フィリピン:ジャーナリストなどの「政治的殺害」
フィジー:クーデター
( 図1) 日本の援助政策過程モデル
援助理念
(モラル、ビジョン、価値など)
国際公共財への貢献
自助努力に対する支援
[一体化して作用]
商業的利益 (輸出市場の拡大、
経済摩擦の緩和
追求すべき国益
国際政治経済情勢
日米経済摩擦
テロとの戦い
政策決定者
中国の台頭
国内政治経済情勢
長期の経済停滞
財政悪化
[海外のステイクホルダー]
[国内のステイクホオルダー]
援助対象国
政党(特に自民党)
経済界
他の先進工業国
(筆者作成)
国際援助コミュニティ
マスメディア
国際アドボカシーNGOs
NGOs
内向き志向
妥当な ODA の政策目標の考え方
-GNI 比 0.7%目標の起源とポスト 2015 の政策目標-
○浜名 弘明1(国際協力機構)
How much is the appropriate policy target of new ODA ?
- The origin of 0.7% target and post 2015 target ○Hamana Hiroaki (Japan International Cooperation Agency)
1
はじめに-開発資金を取り巻く国際的環境-
2015 年、国連のミレニアム宣言に基づいて設定されたミレニアム開発目標(MDGs: Millennium
Development Goals)の目標年を迎え、国際社会においては MDGs の後継となる持続可能な開発目標
(SDGs: Sustainable Development Goals)とそれを達成するための開発資金の議論が活発に行われてい
る。SDGs については有識者や国連各機関及び一般市民の議論を経るオープン・ワーキング・作業部会
(OWG: Open Working Group)が設置され、2014 年 7 月、17 の目標と 169 のターゲットが提案された
2(以下、
「SDGs 案」とする)
。同提案に基づき、最終的な目標が 2015 年 9 月の国連サミットで採択され
ることとなるが、MDGs が 8 の目標と 21 のターゲットであったことを考えると非常に意欲的な目標とい
える。開発資金については国連が政府開発援助(ODA: Official Development Assistance)や公的輸出信
用等の公的資金だけでなく、途上国の税収といった国内資金や国境をまたぐ民間資金も含め、広く SDGs
達成に資する資金を「開発のための資金(FfD: Financing for Development)」というカテゴリーにて捕
捉していくことを提案し(図 1)
、2015 年 7 月にアジスアベバで開催される第 3 回国連開発資金会議(以
下、
「アジス会合」とする)において必要資金量の試算、その財源、政策目標等が議論される。FfD が ODA
よりも大きな概念になることは間違いないが、ODA が引き続き開発資金の重要な要素となることが期待
されている。
ODA の概念は経済協力開発機構(OECD: Organization of Economic Cooperation for Development)
開発援助委員会(DAC: Development Assistance Committee)が定義し、その信頼性(credibility)を保
つために統計や複数のルール、目標を設定している。ODA の定義それ自体は 1969 年に成立し、国際政
治経済情勢が大きく変化してもこれまで近代化されてこなかった。そのためポスト 2015 の開発資金の一
部として FfD へ貢献するためにも、冷戦時代の歴史的遺物ともいえる ODA の概念を近代化するというこ
とが不可避であり、2014 年 12 月、DAC 閣僚級会合(HLM: High Level Meeting)において、ようやく
ODA を近代化する新定義の方向性と「持続可能な開発のための公的総資金(TOSSD: Total Official
Support for SustainableDevelopment)
」という新たな開発資金カテゴリーの導入が合意され、それをま
とめたコミュニケ(OECD/DAC 2014)が発表された3。今後は同合意内容に基づき統計指示書が改訂さ
れ、2016 年の HLM にて正式に ODA が再定義される予定である。そしてアジス会合においては、新定
義に基づいた ODA の政策目標についても議論されることが想定される。
ODA の政策目標は 1970 年に国連で採択された
「第二次国連開発の 10 年」
において 1975 年までに DAC
ドナーは対 GNP 比 0.7%を ODA に支出する(以下、
「0.7%目標」とする)こととされて以降、ほとんど
のドナーにおいて同目標を達成していない(図 2)こともあり、現在に至るまで重要な目標として位置づ
けられている。実際、2005 年にモンテレイで開催された第二次国連開発資金会議で改めて強調されたし、
2012 年には EU が政策目標として個別に達成を宣言し4、また 2015 年には英国がその達成を法制化(The
1
独立行政法人国際協力機構フランス事務所企画調査員
[email protected], [email protected]
本論文の内容は全て執筆者の個人的見解であり、いかなる組織の公式見解を示すものでもありません。
2
https://sustainabledevelopment.un.org/focussdgs.html
3
ODA 再定義の議論については浜名(2015)を参照。
4
2005 年、モンテレイ国際開発資金会議を受け、EU は 2015 年までに ODA の対 GNI 比 0.7%目標を達
Guardian 9 March 20155)している。そして前述の DAC による HLM コミュニケや SDGs 案、そして
アジス会合の成果文書案として公開されたゼロドラフト(UN 2015)においても記載され、2015 年以降
の ODA の政策目標として継続されようとしている。しかしながら、0.7%という数値が設定された根拠等
は存外知られておらず、ODA の定義と同様に現代の国際政治経済情勢と合致していない可能性も高いに
もかかわらず、いわば無批判に継続されようとしている。
そこで本稿においては、第一に 0.7%目標の起源について改めて検討し、第二にその現代的意義を検証
することを目的とする。そしてポスト 2015 の開発資金について今後どのように考えて行くべきかについ
て検討することとしたい。
本稿の構成としては、2 においてこれまでの国連における開発アジェンダの変遷と SDGs 案の特徴につ
いて検討する。3 において、0.7%目標が設定された背景を特に当時の社会経済情勢から検討し、かかる社
会経済情勢が大きく変化した今日における 0.7%目標の現代的意義を検討する。そして 4 において、結び
に代えて今後の開発資金の目標についてどのように考えるべきか、について検討したい。
図 1DAC/HLM 及び FfD における開発資金の分類
成することに合意し、その中間目標として 2010 年までに対 GNI 比 0.56%を設定したものの、達成でき
ず、2011 年に 2015 年の目標達成に向けた努力の必要性が欧州委員会より改めて強調した(OECD/DAC
2012, p.18)。
5
http://www.theguardian.com/global-development/2015/mar/09/uk-passes-bill-law-aid-target-percentage-in
come
出所)OECD/DAC(2014) を元に筆者作成。
図 2 DAC ドナーによる GNI に占める ODA 総額と総フローの割合
注)いずれもネットディスバースメント。
出所)OECD.STAT を元に筆者作成。
2
開発アジェンダレトリックの変遷と SDGs
国際社会における開発援助の理念ないし目標については国際社会の環境の変化と共に変遷してきた。そ
うした理念ないし目標に対して開発途上国側が影響を与えた部分ももちろんあるが、過去半世紀以上に及
ぶ開発援助の歴史を振り返ると、原則としてドナー側が目指すべき開発の内容とその実現のために解決す
べき課題を設定してきたといえる。第二次世界大戦後における具体的な開発援助の目的としては、1960
年にケネディー米大統領のイニシアティブにより国連総会にて採択された「国連開発の 10 年」
(以下、
「第
一次目標」とする)がその嚆矢といえ、それ以降、第二次~第四次まで 10 年毎に国連により開発の理念・
目的が設定されることとなった。各時期における開発援助の目標は国際環境の変化と呼応して多様化して
はいくものの、1960 年の「国連開発の 10 年」から「第四次国連開発の 10 年」に至るまで、一貫して開
発途上国の経済成長を中心的な目標として設定しており、そこには開発により途上国全体の経済が発展す
ることで、その成長の果実はやがて貧困層にも届くというトリクルダウンと呼ばれる考え方が、しばしば
批判されながらも、受け入れられていると考えることができる。
そして、2001 年にはその前年に開催されたミレニアム開発会議の成果を踏まえて MDGs が公表され、
MDGs において国連の開発援助の目標においてはじめて経済成長が設定されなかったが、SDGs 案にお
いて改めて目標が設定されることとなった。本節においては各時期における国連の開発アジェンダに関し
て、時系列に確認することとしたい。
(1)
国連開発の 10 年 :1960 年-2000 年の開発目標
1960 年に採択された第一次目標においては途上国の経済成長が開発援助の重要な目的とされ、具体的
には開発途上国の経済成長率6を年率 5%に引き上げることとされた(パラ 1)
。援助手法も生産活動に必
6
国民所得(National Income)の成長率とされた。
要となるダムによる電源開発や道路整備による輸送網の確立といったインフラ整備が中心であり7、こう
した支援によって日本や韓国、NIEs といった、特にアジアの基礎教育が進んだ国において、「離陸」に
貢献したと考えることもできる。他方、トリクルダウン方式による援助の限界も指摘され、アルゼンチン
の経済学者プレビッシュらは「中心―周辺理論」を唱え、国際交易の構造ゆえに、中心部(先進国)が生
産する工業製品は差別可能で工業の競争力を維持することができるのに対し、周辺国(途上国)は一次産
品や中間財といった差別化されない財の生産に特化することとなり、南北間の格差は固定されるため、こ
のような「構造問題」に対応するためには政府の介入が必要であると主張した。そのための重要な手段は、
資本の蓄積に加え、国外からの工業品に対する高関税を活用した輸入代替政策であった。中南米諸国やイ
ンド、一部のアフリカ諸国では、この傾向は社会主義からの影響や反植民地主義によっても強められ、産
業や金融の基幹部分を国有企業が担うといった現象も進んだ。1964 年に第 1 回が開催され、プレビッシ
ュ自身が初代の事務総長となった国連貿易開発会議(UNCTAD: United Nations Conference on Trade
and Development)では、
「新国際経済秩序」の考え方に立って、一次産品の価格安定化策として緩衝在
庫、そのための基金創設のイニシアティブも進められた。
1970 年には「第二次国連開発の 10 年」
(以下、
「第二次目標」とする)が採択され、その目標は開発途
上国の経済成長率8を 6%(パラ 13)に、一人当たりの経済成長率を 3.5%(パラ 14)に引き上げること
と設定され、その手段として開発途上国に不足する資本を先進国から供給するため 1975 年までに ODA
を対 GNP 比 0.7%まで引き上げることとされた。ODA の政策目標はこのときはじめて設定されたのであ
るが、この背景にある考え方については 3(1)で改めて検討する。
1970 年代に入ると、
米ソのデタントと呼ばれた時期で冷戦構造下の政治的な緊張感が緩和する一方で、
主要通貨の変動相場への移行、石油危機に代表されるような資源の高騰、深刻な環境問題、国際的な資本
移動の活発化など戦後の世界経済の秩序を揺り動かすような出来事が次々に起こり、
「持続可能な成長」、
「環境と適合する成長」といったレトリックも用いられるようになった。同時に、世銀では、マクナマラ
総裁が世銀の目標として成長とともに「貧困削減」
、
「雇用創出」を挙げ、人間の基本的欲求(BHN: Basic
Human Needs)の充足を満たす必要性、
「成長を伴う再分配」の戦略が提唱された。トリクルダウンの
考え方は、大規模なインフラを必要とする重厚長大な産業を重点的に成長させるという考えに基づいてお
り、それは内在的に格差を容認するものであったが、BHN アプローチは経済成長が必ずしも貧困削減を
もたらさないという反省に基づくものでもある。しかし、ややうがった見方をすればトリクルダウン方式
で援助を行うことは途上国政府が自前でファイナンスすることが困難な大規模なインフラを西側ドナー
が支援することになり、それには莫大な費用がかかることになるため、冷戦構造の緊張が緩和されたデタ
ントの状況下において、財政支出が限定されるレトリックが選択されたとみることも出来る。実際、BHN
アプローチはそれまでの経済成長を中心とした援助プログラムからの変更を主張する形で 1973 年に米国
対外援助庁(USAID: United States Assistance for International Development)による New Direction
計画のなかで打ち出されたものであるが、1960 年代末から 1970 年代末において冷戦体制下の米ソの政
治対話が行われるようになったデタントの時期とも重なる。
1980 年に採択された「第三次国連開発の 10 年」
(以下、
「第三次目標」とする)においては、貧困削減
と BHN アプローチが採りいれられてはいるものの、それまでの経済成長を中心とした援助目標が継続し、
途上国の経済成長率9を 7%(パラ 20)
、一人当たり 4.5%(パラ 21)まで引き上げることが目的とされた。
1980 年代には、それまでの政府主導の介入的な開発政策に強い揺り戻しが起こり、新古典派的な構造
調整政策が大きな流れとなった。その背景には、多くの途上国で生じた公的セクターの肥大化、恒常的な
財政赤字やインフレ、輸入代替工業化政策や一次産品価格安定化の失敗、過剰な規制、政府の介入に伴う
腐敗などへの批判と反省がある。輸入代替政策をとってきた中南米諸国がハイパー・インフレや債務累積
の問題に陥っていたこと、アジアの新興工業諸国(NIEs: Newly Industrialized Economies)が輸出指向
で急速な成長に成功したこと、社会主義国の低迷と中国の改革開放政策への転換が明らかとなったことな
ども輸入代替的、介入的な政策からの転換を促した。その結果、1980 年代には、規律ある財政・金融政
7
これらは米国によるテネシー河流域開発計画や日本の特定地域総合開発計画とそれに続く全国総合開
発計画といったドナー国内の開発政策と基本的に同様の考え方といえる。
8
単に gross product とされた。
9
国内総生産(Gross Domestic Product)とされた。
策、貿易の自由化、国有企業の民営化、規制緩和、海外からの直接投資への開放性、などからなる市場主
義的ないわゆる「ワシントン・コンセンサス」が推し進められることとなった。
1990 年代に入ると、先に指摘した通り冷戦構造の崩壊により国際社会の開発の目的は新たな局面を迎
えるようになる。1991 年の旧ソ連の崩壊とそれに続く冷戦構造の崩壊により、良くいえば、援助の理念
や目的について東西冷戦構造という事情を抜きに精緻化していったともいえ、援助効果が上がらないのは
途上国の政治に原因があるとの考えから、
「グッドガバナンス」というレトリックの元に、冷戦期にはい
わばタブーであった途上国の民主化といった政治的コンディショナリティが求められるようになった。他
方、90 年代は開発援助を行うという大きな動機を失った時期であるともいえ、主要ドナーの途上国に対
する援助額は開発援助・軍事援助共に確実に縮小した。こうした傾向は「援助疲れ(Aid fatigue)
」とも
表現される。
90 年に採択された「第四次国連開発の 10 年」
(以下、
「第四次目標」とする)においてはじめて開発援
助の目的に国際社会の平和と安定が挙げられ、また、これまでの開発目的の主体が国際社会(The
international community)であったのに対し、はじめて発展途上国の責任が具体的に明記された。そし
て経済発展は、環境社会配慮やジェンダー、人権といった複数の目標のうちの一つとされることでその相
対的な存在感は後退したが、引き続き開発途上国全体の経済発展10として 7%(パラ 17)が目標として設
定された。
(2)
MDGs(2001 年-2015 年)から SDGs 案へ
先述の通り、1990 年以降、冷戦構造が解消されたこととあいまって、開発援助の理念・目的の議論が
活発に行われた。1995 年、冷戦後の開発援助の理念・目的について改めて検討するため、国連が主催す
る「世界社会開発サミット」が開催され、そこでは(a)2015 年までにすべての国で初等教育を普及さ
せる、
(b)2015 年までに乳幼児死亡率を 1000 人あたり 35 人以下にする、
(c)2000 年までに妊産婦死
亡率を 1990 年の水準の半分に引き下げ、2015 年までにさらに半分にする、(d)2000 年までに5歳以
下の児童の栄養失調を 1990 年水準の半分に引き下げる、という国際的な開発のコミットメントである
「コペンハーゲン宣言」が採択された。1996 年、これらの流れを踏まえ OECD/DAC は、21 世紀の開
発戦略として「21 世紀を形作る、開発協力の貢献」
“Shaping the 21st Century, the Contribution of
Development Cooperation”を発表した。この文書でいわば MDGs の原型となる「国際開発目標」
(IDT:
International Development Targets)が提起された。IDT では、2015 年までの貧困半減、初等教育の
完全普及など7つが定められた。IDT は、その後、いくつかの国際会議において支持を受け、2000 年 9
月、147 の国家元首を含む 189 の加盟国が参加する国連ミレニアム・サミットが開催され、そこでの議
論を踏まえさらに、IDT の 7 つの目標に加え、8 つめのパートナーシップに関する目標が追加され、18
のターゲット(表 1)を設定する MDGs が採択された(中村 2007)
。これまでも国連による開発目標に
おいて経済発展に関する数値目標が設定されていたが、MDGs においては広範な目標にターゲットが設
定されたことから成果主義を大きく取り入れたとされる。
これに対して SDGs はポスト MDGs の開発アジェンダを統合するものとされているが、ポスト MDGs
の開発目標として新しく議論されているものではなく、開発アジェンダと同時にこれまでの環境に関する
国際交渉とその成果としての国際合意を踏まえたものでもある(小島 2015)。
「持続可能な開発」という
概念自体が 1980 年代半ばに国連のもとで設置された「環境と開発に関する世界委員会」にさかのぼり、
同委員会による「開発の優先順位と環境の保全、改善の必要性を念頭において、その努力を開発に向けな
ければならない」との報告を受け、1992 年にブラジルのリオ・デジャネイロで国連環境開発会議(通称
リオ・サミット)が開催され、そこで環境と開発の問題に関する行動計画である「アジェンダ 21」が採
択さるとともに、同会議のフォローアップ機関として 1993 年、国連経済社会理事会組織会期(決定
1993/207) におい て経社 理の 機能委 員会 として 「持 続可能 な開 発委員 会 (CSD: Commission on
Sustainable Development)
」が正式に設立された。そして CSD は「アジェンダ 21」のフォローアップ
の観点から環境のみならず、貧困や教育、健康といった社会経済的側面に関して評価する CSD 指標を作
成していく11。同指標は MDGs と比較すると、どちらも経済、社会、環境の 3 つの側面に注目していて、
10
11
単に sustained growth とされた。また、一人当たりの目標値は設定されなかった。
CSD 指標については、中村(2008)が詳しい。
取り上げられている指標も重なっている指標が少なくない。
2012 年にブラジルのリオ・デジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(通称リオ+20)にむけ
た準備会合では、当初、ポスト MDGs とは別に SDGs を作成するという意見も出されていたが、結局の
ところ、SDGs は,ポスト 2015 年開発アジェンダに整合的なものとして統合されるべきことと、30 か国
に加え、外部有識者や NGO の参加する OWG を設置してその中身を議論することが合意された。そして
2014 年 7 月、17 の目標と 169 のターゲットにより構成される SDGs 案が公表され、これを元に 2015 年
9 月の国連総会で正式に SDGs が設定されることとなる。
それゆえ、SDGs 案は MDGs と一対一に対応するわけではなく、大きく分けて MDGs の後継となるも
の、MDGs において考慮されてこなかった開発目標が新たに設定されたもの、環境目標の後継となるも
のに大きく分けることができる。その特徴として、MDGs が 1990 年を基準年として 2015 年の目標年ま
でに貧困人口や乳幼児死亡率といった 2 分の 1 から 4 分の 3 に減少させることを目的とするターゲット
が多いのに対し、SDGs 案においては多くの指標で完全になくすことを目的とするターゲットが増加した。
そのため、指標数の増加から量的な意味で意欲的とされることが多いが、質的な意味でも意欲的なものと
なっている。また、MDGs において採用されなかった発展途上国の経済成長目標(年率 7%)があらたに
取り入れられていること(ターゲット 8.1)や、国内外の富の公平な分配に関する指標が入れられたこと
(目標 10)
、いわゆる脆弱国家と呼ばれる国家群の MDGs 達成率が極端に悪かったことの反省から平和
構築ないし国家建設に関する目標が入れられたこと(目標 16)は興味深い12。目標 10 や 16 については、
それ以外の目標とは異なり開発途上国の経済水準が拡大しても、その波及効果は限定的と考えられ、また
重要な内政事項に関するものでもあるため今後センシティブな達成手段の検討が期待される。
表 1 ミレニアム開発目標の目標とターゲット
目標
1
2
貧困と飢餓を半減する
初等教育を完全普及さ
ターゲット
1
1 日 1 ドル以下の所得の人々の比率を 1990 年から 2015 年の間に半分にする。
2
飢餓に苦しむ人々の比率を 1990 年から 2015 年の間に半分にする。
3
せる
3
ジェンダーの平等と女
4
性の地位向上を実現する
4
乳幼児死亡率を改善す
2015 年までに、男子・女子を問わず、全ての自動が初等教育を終了できるよう
にする。
2005 年までに、初等教育・中等教育におけるジェンダーの格差をなくし、2015
年までにはすべての教育課程でのジェンダー格差をなくす。
5
1990 年から 2015 年の間に、5 歳未満の幼児の死亡率を 3 分の 2 減らす。
6
1990 年から 2015 年の間に、妊産婦の死亡率を 4 分の 3 減らす。
7
2015 年までに、HIV/AIDS の広がりをとめ、さらに減り始めるようにする。
る
5
HIV/エイズ、マラリアな
どの病気をへらす
6
環境の持続性を確保す
8
る
2015 年までに、マラリアなどの主要な病気の広がりをとめ、さらに減り始める
ようにする。
9
持続性のある開発が途上国の政策・プログラムに含まれるようにし、環境資源の
損失を減らす。
10
2015 年までに、安全な飲み水と基本的な下水施設へのアクセスがない人々の比
率を半減する。
11
8
開発のパートナーシッ
12
プを高める
2020 年までに、スラムに住む 1 億人の人々の生活を大幅に改善する。
開放的でルールにのっとり、予見可能かつ無差別的な貿易・金融システムを構築
する。
これは良いガバナンス、開発及び貧困削減のための国内的・国際的コミットメン
トを含む。
13
最貧国のニーズに対応する。これには、最貧国からの湯縫うに対する関税の引き
下げ・数量制限の緩和、重債務国へのさらなる債務削減・二国間援助債務の帳消
し、および貧困削減にコミットしている国へのよりよい条件での ODA 供与を含
12
同目標の平和構築に関する視点からの分析については弓削(2014)に詳しい。
む。
14
15
内陸国・小さな島国の特別なニーズに対応する。
長期的に債務を持続可能にするために、国内的・国際的な措置により債務問題に
包括的に取り組む。
16
途上国と協力して、若者のために、質の高い、清算的な仕事を作るための戦略を
開発し、実施する。
17
製薬会社と協力して、途上国で必要な薬品が手に入れやすい価格で買えるように
する。
18
民間部門と協力して、情報・通信技術の利益が届くようにする。
出所)中村(2008)
表 2 SDGs 案と他の国連アジェンダとの関連
目標
MDGs、CSD 指標または他の国連アジェ
ンダとの類似性
1
あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる。
MDGs1
2
飢餓を終わらせ、食糧安全保障および栄養改善を実現し、持続可能な農業
MDGs1
を促進する。
3
あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する。
MDGs4、5、6
4
すべての人々への包括的かつ公平な質の高い教育を提供し、生涯学習の機
MDGs2
会を促進する。
5
ジェンダー平等を達成し、すべての女性および女子のエンパワーメントを
MDGs3
行う。
6
すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する。
MDGs7
7
すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な現代的エネルギーへのア
MDGs9
クセスを確保する。
8
包括的かつ持続可能な経済成長、およびすべての人々の完全かつ生産的な
第一次目標~第四次目標
雇用とディーセントワーク(適切な雇用)を促進する。
9
レジリエントなインフラ構築、包括的かつ持続可能な産業化の促進、およ
新規
びイノベーションの拡大を図る。
10
各国内および各国間の不平等を是正する。
新規
11
包括的で安全かつレジリエントで持続可能な都市および人間居住を実現
新規
する。
12
持続可能な生産消費形態を確保する。
新規
13
気候変動およびその影響を軽減するための緊急対策を講じる。
UNFCC
14
持続可能な開発のために海洋資源を保全し、持続的に利用する。
MDGs7
15
陸上生態系の保護・回復・持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、
MDGs7、CSD27-29
砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・防止および生物多様性の損
失の阻止を促進する。
16
持続可能な開発のための平和で包括的な社会の促進、すべての人々への司
法アクセスの提供、およびあらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のあ
新規(New Deal、平和構築目標(PSGs:
Peace and State building Goals)
る包括的な制度の構築を図る。
17
持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバルパートナーシップ
MDGs8
を活性化する。
出所)IGES (2015)仮訳 (http://pub.iges.or.jp/modules/envirolib/view.php?docid=5541) 、中村(2008)
、
https://sustainabledevelopment.un.org/focussdgs.html を元に筆者作成。
(3)
開発アジェンダと実際の社会経済情勢
ここまで国連による開発アジェンダの変遷をみてきたが、経済成長によるトリクルダウンの視点が一貫
して強いことが分かる。80 年の第三次目標から BHN が、そして 90 年の第四次目標からはジェンダーや
環境社会配慮といったアジェンダが加えられたが、経済成長以外の部分に数値的な政策目標が設定される
ことはなかった。しばしば日本の経済援助の歴史が経済偏重主義と批判されることもあるが、このように
国連による開発援助の目標の変遷を考えるとむしろ伝統的に経済開発が重視されていたことが分かる。
そして各期における目標の達成状況をみてみると第一次の目標は達成しており、第二次目標についても
名目値では大幅に達成しているし、実質値においても目標が全体で 6%、一人当たり 3.5%であるのに対
して、途上国全体で 5.42%、一人当たり 3.2%を達成している13ところ、概して悪くない(表 3)。1980
年代以降は、目標自体が引き上げられたこともあり、達成には至っていないが、途上国全体の GDP 成長
率は高所得国を上回り、90 年代以降は一人当たりの実質 GDP についても高所得国を大きく上回る結果と
なった。経済成長の開発への波及効果についても確認することができ、MDGs 以前からも、経済全体の
規模の拡大が貧困率の削減に影響を与えていることが見て取れる(表 4)
。トリクルダウンについてはし
ばしば批判され、例えば「これまで(トリクルダウンにより)貧困削減を達成できなかった」
(高橋 2014
p.47)
)等とも指摘されるが、経済成長している開発途上国では貧困率は改善しており、1 人当たり GDP
を引き上げる経済成長率は、貧困の根絶に大きな貢献をしている(杉山 2009)ことは間違いない。
そして恐らくは冷戦構造の解消といった国際政治経済環境の変化を要因として、MDGs においてアジェ
ンダが多様化し、そして SDGs 案においてはより一層のアジェンダが追加されることで、開発アジェン
ダのインフレーションとも呼べる状態になっている。しかし、ODA の政策目標値である 0.7%目標につい
ては一切の実質的検討が為されないまま、無批判に 2015 年以降も踏襲されようとしている。中国やイン
ド、アラブドナーといった非 OECD 加盟国の相対的な経済力が伸長しつつあるとはいえ、世界の GDP
に占める割合は DAC 原加盟国のそれも OECD 加盟国のそれも 1960 年代から必ずしも大きな変化は遂げ
ておらず、いずれの国家群も世界の過半数を占めている(表 3)。こうした点からも DAC 原加盟国や
OECD 加盟国の開発に対する責任が相当程度あることは間違いないが、その政策目標を設定するために
は現実的で精緻な検討作業が必要となる。実際、1970 年の第二次目標において初めて 0.7%目標が設定さ
れたが、それ以前に民間資金を含めた全フローの 1%目標、公的資金の 0.75%目標が設定され、その際に
は理論的なバックグラウンドともに相応の議論がなされていた。そこで次節では、当時の議論を振り返り
その現代的な意味を考察することとしたい。
表 3 開発アジェンダの目標値と実体経済
1960 年代
1970 年代
1980 年代
1990 年代
第一次
第二次
第三次
第四次
2001
2015-
-2013
開発目標
MDGs
SDGs
GDP 成長率
5%
6%
7%
7%
―
7%
一人当たり GDP 成長率
―
3,5%
4,5%
―
―
―
ODA の政策目標
―
0.7%
0.7%
―
0.7%
0.7%
実測値
GDP 成長率(名目)
低所得国
6,54%
11,28%
2,61%
2,80%
10,34%
低・中所得国
6,31%
14,95%
4,80%
6,10%
12,22%
高所得国
8,40%
14,16%
7,97%
3,66%
5,00%
低所得国
NA
1,97%
2,60%
2,38%
5,59%
低・中所得国
5,25%
5,42%
3,20%
4,13%
5,85%
GDP 成長率(実質)
13
各期の目標は、その時に応じ国民総生産、国内総生産、国民所得等をベースにしているが、各期の比
較の観点から特に指定しない限り経済成長は国内総生産をベースとする。
5,39%
高所得国
3,57%
3,18%
2,56%
1,70%
-0,45%
0,02%
-0,18%
3,35%
一人当たり GDP 成長率(実質)
低所得国
低・中所得国
2,97%
3,21%
1,15%
2,44%
4,50%
高所得国
4,3%
2,69%
2,45%
1,96%
1,12%
DAC 原加盟国(8 か国注 1)
58,8%
62,5%
64,0%
65,1%
54,6%
OECD 加盟国
80,0%
79,6%
80,2%
82,3%
73,8%
世界経済(GDP)に占める割合
注)各期は 01 年から翌 00 年までの単純平均値。ハイフンは設定されていないことを意味する。
注 1)アメリカ、イギリス、イタリア、西ドイツ、日本、フランス、ベルギー、ポルトガル。
出所)目標値については各期における「国連開発の 10 年」より。その他の指標は World Development Indicator を元に
筆者作成。
表 4 所得階層別貧困人口率の変遷
1981
1984
1987
1990
1996
1999
2002
2005
2008
2010
2011
貧困国
66,5%
67,2%
66,1%
65,9%
67%
1993
65,2%
64,2%
61,1%
55,8%
51,4%
48,6%
46,8%
低・中所得
52,8%
47,5%
42,9%
43,3%
41,6%
35,8%
34,2%
30,6%
24,8%
21,8%
19,1%
16,9%
N.A.
N.A.
N.A.
36,4%
35,1%
30,4%
29,1%
26,1%
21,1%
18,6%
16,3%
14,5%
国
全世界
注)人口に占める貧困者(1 日 1.25 ドル(PPP)以下で生活している人々)の割合。
出所)World Development Indicator
3
(1)
0.7%目標の起源と現代的意義
経済成長理論と 0.7%目標の起源
経済成長をもたらす要因の探求についてはアダムスミスやマルサス、マルクスといった古典的な経済学
者の関心事でもあったが、1950 年代から 1960 年代における経済成長理論は、ハロッド・ドーマーモデ
ルや Chenery and Strout(1966)、ソロー成長モデル等、投下資本量に関する理論的な検討が中心であった。
その後、人的資本や保健、衛生、イノベーションや制度・ガバナンスが果たす役割について理論のみな
らずデータを用いて実証的に検討する成長理論が盛んに検討されるようになる(白井 2004)
。0.7%目標
が初めて設定された 1960 年代においては、2 で検討した通り、開発援助の第一義的目的は開発途上国の
経済成長であり、当時の経済成長理論に基づき援助の量的な目標値を設定することは自然であった。実
際、第二次目標における 0.7%目標の設定には当時の経済成長理論がロジックの重要な支柱を与えた。
ハロッド・ドーマーモデルは単純にすると資本係数(v)と貯蓄量(s)によって経済成長率(ΔY)が
規定されるというものである(鈴木 2001)
。
①
ΔY = s/v
恒等式①において目標となる経済成長率を与えれば、必要となる投資量が決定することになり、閉鎖経
済であれば、s は投資量と等しくなるが、開放経済の場合、国外からの投資によって国内資金の不足分を
補うことで所期の経済成長率が理論上達成することとなる。ただし、ハロッド・ドーマーモデルについ
ては、その動学的な不安定14等に関し批判を受け、現在は他のモデルに置き換えられている。
第一次目標における途上国の経済成長率の目標は 5%であったから、それを満たすために必要となる投
資量を複数の研究者が推計し、Rosenstein-Rodan (1961 p.116)は 1970 年代で 57 億ドル、Chenry and
strout (1966 p.722)は 100-170 億ドルと推計、1961 年の高所得国の GNI 総額が約 10 兆 3000 億ドルで
あったところから、確かに Chenry and strout (1966)の推計値の下限は先進国から途上国への必要資金移
転額は高所得国の GNI 総額のほぼ 1%に相当するといえる(Clemens and Moss 2005)
。
先進国から開発途上国への資金移転の目標値を先進国の経済規模の約 1%とする目標(以下、1%目標と
する)自体はこうした研究成果に先行し、1958 年に世界教会協議会が提唱したものまで遡るとされる
(OECD/DAC 1999 p.25)
。国際機関の文書における記述としては 1960 年に国連総会で採択された決議
1522(ⅩⅤ)が挙げられ、そのなかで努力目標として 1%目標が記載された。ただし 1%目標の数値的根
拠は当初から必ずしも十分ではなく、上述の研究成果が後追いの形で国連の文書に引用され、その数値
的根拠を事後的に補強した。そうしたなか 1968 年には UNCTAD が先進国の義務として同目標を認識す
るよう記載する決定を採択し(UNCTAD 1968)
、同年 DAC/HLM は DAC ドナーが 1%目標を達成するよ
う最大限努力するという勧告を採択した(OECD 1968)
。そして、第二次目標を検討するための委員会が
国連経済社会理事会の下に設置され、初代ノーベル経済学賞受賞者であるオランダのティンバーゲン氏
が委員長に就任した。そして 1969 年に同委員会は、「1%目標の達成は最優先事項であり、・・・さらに
その達成のためには先進国は最低限その GDP の 0.75%を公的資金によって賄うことを検討すべきであ
る。
」
(UN 1969 p.16)とする報告書を発表した(以下、
「0.75%目標」とする)
。その背景には当時の途
上国への資金移転のうち民間資金が限定的であり、また民間資金の資本流入に対しドナー政府が与えら
れる影響が限られるという批判があったものと思われる(Booth 2014 p.4)。そして 1969 年、それまで
の開発途上国の援助の歴史を踏まえ、将来の開発援助の課題と問題点をまとめるよう、ティンバーゲン
氏とは別に世界銀行から委嘱を受けたカナダのピアソン元首相が委員長を務める委員会(通称「ピアソ
ン委員会」
)は、非譲許的融資は返済が前提となるため、ティンバーゲン氏の推計を元に譲許的借款を対
GNI 比 0.7%とすべきと提案した。そして 1970 年、国連総会において第二次目標における数値目標の設
定に関する決議の交渉において、従前の民間資金を含んだ 1%目標、公的資金による 0.75%目標、ODA
の 0.7%目標のいずれを政策目標として設定するかの議論が行われたが、結局のところ 0.7%目標が採用
されることとなった(Booth 2014 p.5)。
0.7%目標の起源は、国際コミュニティーが当時の経済成長論に基づき設定した開発途上国の経済発展
目標を達成するために必要な資金量と、開発途上国が国内貯蓄で賄える資金量の差であるファイナンシ
ング・ギャップを、先進国からの資金移転で賄うという考えを元にしていて、それが民間資金を含む全
資金が先進国の経済規模の 1%、公的資金が 0.75%、ODA が 0.7%と大まかに結びつけたものといえる。
その数値的な根拠としては学術的な推計値によって事後的に補強はされたものの、その推計値が開発目
標を 5%として算出されているのに対し、第二次目標の目標値は 6%であり、また、1965 年当時の推計値
を 1970 年当時から刷新していない等、当初から政治的妥協を多分に含むものであった。しかし、その考
え方としては少なくとも当時の経済成長理論とは相応の整合性を有しており、また、ODA が途上国の経
14
本モデルからは現実成長率が適正成長率及び自然成長率に等しい長期均衡状態になければ動学的に不
安定になるという結論が導かれ、それらは保証成長率と資本係数の硬直性に主な理由があると指摘され
る(鈴木 2001)
。
済発展を目的として、それを達成するためには途上国のネット・インフローが重要であるという考え方
からすると ODA の集計方法として現在用いられているネット方式は合理的であったといえよう15。しか
し、問題は、仮にこのファイナンシング・ギャップという考え方を踏襲するにしても、大きく変わった
経済ファンダメンタルズを元に数値目標は改めて計算される必要があるし、先述の通り経済成長理論も
相応の進化を遂げている。そしてそれ以上に 2 で検討した通り、開発アジェンダのインフレーションに
より、開発援助の目的は多様化しつつあり、それに対応する必要もある。そこで、改めて 0.7%目標の現
代的意義を考えてみたい。
(2)
0.7%目標の成果とその意味の変遷
0.7%目標を導出する考え方については 3(1)で検討したが、政治的妥協を多分に含むものであり、当
時の経済水準を用いて具体的に検討した場合、その数値にどの程度の妥当性があるのだろうか。また、経
済的なファンダメンタルズが変遷しても、0.7%目標自体は見直されることはなかったが、ファンダメン
タルズの変遷に応じてその意味はどのように変わっていったといえるだろうか。当時用いられていた経済
成長理論が事実上既に反駁されてはいるものの、0.7%目標設定時の考え方に基づいて現在の ODA の政策
目標値を試算する試みは 2003 年の数値を元に既に Clemens and Moss(2005)において行われており、
ここでは、その数値をさらに 2013 年までのデータを用いるとともに、より一層盛んになりつつある民間
資金フローのデータを加え、さらに各年代の平均値を算出することでアップデートしたい。表 5 は、3(1)
で検討したハロッド・ドーマーモデルに基づき、資本係数(v)を Clemens and Moss(2005)と同様 3.5
と仮定し、経済成長率の目標から必要な投下資本量(s)を算出し、そのうち国内貯蓄と民間資本、その
他公的資金(OOF: Official Other Flow)で賄え分を特定し、必要援助量として算出し、それを高所得国の
GDP 総額で除することで必要な援助総額を試算したものである。目標経済成長率を 6%とした 1963 年の
試算値を見ると貧困国の必要量は対 GDP 比 0.44%であるが、途上国全体で考えると 0.73%となり、0.7%
目標は概して妥当であるといえる16。1960 年代はデータが不十分のため試算できなかったが、1970 年代
以降は貧困国であっても最大 0.23%、2000 年代からはマイナスとなり、途上国全体で考えると 1970 年
代以降、一貫してその試算値は負となっている。この要因は、途上国の貯蓄率自体が先進国並かそれを超
えるまでに増大し、また、公的資金の伸長よりも FDI や移民による海外送金といった民間の資金フロー
が急激に拡大したためであることが分かる。こうした流入資金の増加により、ODA の 0.7%目標を満たし
たドナーは少ないものの(図 2)
、表 3 でみた通り、途上国の経済発展が促されたという側面もある。
表 5 1960 年以降における途上国への流入資本量
1963 年
60 年代
70 年代
80 年代
90 年代
貧困国
9,8
31,0
72,0
115,6
146,9
356,7
途上国
40,1
370,2
1166,2
2406,2
4570,4
13704,9
高所得国
122,6
1712,9
5434,6
12858,4
24599,0
41191,2
貧困国
13,1%
13,8%
17,1%
22,4%
途上国
17,8%
21,2%
22,2%
28,5%
2001-2013
GDP
貯蓄率
15
19,9%注 1
ODA の支出(ディスバースメント)を行った年の支出額全額から、元本の返済分を減算する方式(浜
名 2015)
。
16
ただし第一次目標の経済成長率の目標値は 5%であるため、5%で試算すると、貧困国に対して 0.25%
、途上国全体であると既にマイナス 0.07%となる。
高所得国
25,0%注 2
23,8%
22,9%
21,5%
貧困国
0,3
0,3
1,5
10,4
途上国
4,2
13,1
102,3
432,4
高所得国
21,0
90,1
383,5
1005,2
貧困国
0,3
1,2
2,4
15,8
途上国
5,8
21,7
53,9
235,3
外国直接投資
海外送金の純受取
OOF 受領額(ネット)
貧困国
0,2
2,0
5,4
2,7
-0,6
途上国
5,2
22,2
46,9
73,4
17,5
ODA 受領額(ネット)
貧困国
0,6
0,6
3,3
9,1
12,4
29,3
途上国
5,3
5,5
17,2
35,9
53,4
107,2
貧困国
90,0%
90,5%
79,5%
52,3%
途上国
79,7%
70,4%
44,8%
15,7%
貧困国
61,6%
62,6%
82,3%
102,0%
途上国
43,6%
43,3%
42,1%
86,0%
6%
7%
(7%)
7%
資本流入に対する公的資金の割合
流入公的資金に占める ODA の割合
目標経済成長率
6%
5%
必要となる対外資本量
貧困国
0,77
15,1
12,3
10,9
7,5
途上国
1.28
12,5
78,3
104,1
-549,2
貧困国
0,54
12,5
5,4
4,3
-18,1
途上国
0.90
-19,8
-3,4
-125,5
-1234,4
貧困国
0,44%
0,23%
0,04%
0,02%
-0,04%
途上国
0,73%
-0,36%
-0,03%
-0,51%
-3,00%
必要となる援助量
高所得国 GDP における必要援助量
注)各数値は年代ごとの平均値。パーセント表示していないものについては全て 10 億米ドル。なお、必要資本量の計算
には資本係数を 3.5 と仮定して計算。
注1)1977 年から 1980 年の平均値。
注 2)1975 年から 1980 年の平均値。
出所)1963 年の貯蓄率については UNCTAD(1963)の推計値。また OOF 受取額については OECD.STAT、それ以外に
ついては world development indicators を元に筆者作成。
DAC ドナーのなかで 0.7%目標を達成しているドナーは極めて少数であるが、そもそも ODA が途上国
の経済発展に果たし得る影響はどの程度あるのか。ODA と途上国の経済成長率との相関については多く
の研究者が様々な切り口から取り組んでいるが、それらを適切に捕捉することは困難である。というのも
ODA 総額と経済成長率の相関度を計算することは容易であっても、ODA の流入により経済成長が達成し
たのか、経済成長率の高い国または地域に ODA が流入するのかその判別を行うことがマクロ指標だけで
は不可能だからである。
そうしたなかにおいても ODA の経済成長率への貢献については Eeasterly(1999)
が有名であり、ODA は(1)で検討したファイナンシング・ギャップの考え方と反し、短期的な経済成長
には結びつかないというものである。それは実は当然であり、第一次目標から第四次目標まで、途上国の
経済成長を開発援助の最大の目的として国連は設定してきたが、開発アジェンダは徐々に多様化し、必ず
しも途上国の経済発展を目的としたものではなく、途上国のプライマリーヘルスケアや初等教育の整備と
いった BHN に基づき社会インフラを整備するものから、さらには ODA には援助機関職員の給与や年金
(OECE/DAC 2013 p.16)
、ドナー国内に流入する難民支援費用といった途上国に必ずしも資金が移転さ
れないものまで含まれる。図 3 は ODA のセクター別支出割合 CRS 統計が発表されている 2002 年以降
のみとなるため長期的な分析は必ずしもできないが、ODA のうち途上国の投資に直接結び付く経済イン
フラと生産セクターへの支援は全体の 10~20%強に止まることが分かる。
他方、Eeasterly(1999)も指摘している通り、投資の流入が途上国の長期的な経済成長には正の相関があ
る。また、前述の通り、投資量の増加による経済成長を考える新古典派的経済成長理論から技術革新等を
内生か内生的経済成長理論が経済成長論の中心になりつつあることは間違いないが、それは投下資本量を
必要としないというものではない。そのため、高いカントリーリスクや莫大な初期費用を要するといった
理由により、民間資本が進出できないような途上国に対して ODA により経済インフラを支援することや
あるいはそうしたリスクを ODA により軽減することで民間資金の開発途上国への流入を促進するといっ
た手法は今後とも有効になる。公的資金に比して民間資金の比重が増している現在においてこの点は一層
重要であり、FfD においても ODA の触媒効果と同時に動員される民間資金が注目されている。
図 3 ODA のセクター別支出割合
100%
90%
その他
80%
難民費用
70%
行政費用
60%
人道援助
50%
債務削減
40%
コモディティーエイド
30%
20%
10%
0%
出所)OECD.STAT CREDITOR REPORTING SYSTEM を元に筆者作成。
マルチセクター
生産セクター
経済インフラ
社会インフラ
4
結びに代えて
先述の通り、2015 年は開発援助にとって極めて重要な年となる。2015 年から 2030 年の新たな開発ア
ジェンダとその裏付けとなる FfD の内容やその政策目標を決める年になるからである。長らく開発資金
の中核と目されてきた ODA は 40 年超の国際社会情勢の変化を踏まえてその概念と集計方法の双方を現
代化することが決まったが、その政策目標として ODA と同様に古い 0.7%目標はほぼ無批判にポスト
2015 に引き継がれようとしている。本稿においては、2 において国際社会情勢に併せて開発アジェンダ
の変遷過程を確認した。そして 3(1)において 0.7%目標が設定された考え方の起源とその意味を確認し、
3(2)において 1970 年当時の 0.7%の意義を現代の社会経済状態に置き換えて検討した。
その結果、①当時の国際経済情勢と比して、途上国へ流入する民間資金量の増大、途上国の貯蓄率の増
加といった大きなファンダメンタルズの変化があったこと、②政策目標の分母となる先進国の経済規模も
大きく拡大したこと、③0.7%目標が依拠にしているハロッド・ドーマーモデルは学術的にも既に反駁さ
れ、新たな経済成長モデルが用いられていること、④ODA の政策目標の上位目標となる途上国の経済成
長率は多くの国で達成済みであること、そして何より⑤開発アジェンダのインフレーションにより、経済
発展以外の開発課題が増加していることから、ポスト 2015 における ODA の政策目標として 0.7%目標を
継続する妥当性は極めて限定的であると言わざるを得ない。また、現実的に考えてもその達成は困難であ
って、仮に SDGs 案 10 の経済成長率 7%が順調に達成された場合、12 年で開発途上国の経済規模は 2 倍
となり、2027 年における年率 7%の経済成長は他の条件が一定であれば、2 倍の投下資本が必要となる。
さらには 1960 年から 67 年における実質経済成長率は先進国で 5.2%(一人当たり 4%)
、途上国で 4.7%
(一人当たり 2.1%)であり、0.7%目標は、先進国の経済成長分の内、約 15%程度を ODA に振り分ける
というものであり、
それでも重い負担であるが、2014 年度における我が国の GDP 成長率は名目で 1.4%、
実質では-1%17であり、0.7%分を ODA に振り分けるということは、ODA の国内への短期的な還元効果が
ないと仮定すれば、景気後退を意味し、それは自由民主主義的法治国家にとって現実性が乏しいといわざ
るを得ない。
妥当で現実的なポスト 2015 の ODA の政策目標を定めるためには、画一的な GDP の割合を定めること
は不可能であって、そのためには必要な資金量を特定し、それを元に例えば高所得国間の経済水準で按分
して各国の負担分を算出することが妥当であろう。そしてそのためには ODA が貢献する SDGs の絞り込
みから行っていく必要がある。SDGs 案のなかで ODA が貢献できる部分は、ODA の定義である「公的
セクターから提供された資金の流れであり、その主たる目的が開発途上国の経済発展と厚生の拡大にある
こと」という点から考えれば、SDGs 案 1~8 までと 10、16 といえよう。開発課題が多様化しているとし
ても、波及効果の観点からは SDGs 案 8 の重要性が相対的に高いといえるのではないだろうか。経済発
展は二つの意味から重要であり、全体の経済成長が進めばトリクルダウン効果で他の SDGs 案へ肯定的
な影響を与えるし、FfD が想定している開発資金の財源となる途上国自身の税収も増加するからである。
他方、全体の経済規模が拡大による影響が乏しいジェンダーに関する SDGs 案 4 や国内の分配メカニズ
ムに関する SDGs 案 10 や民主的な法の支配に関する SDGs 案 16 といった目標もある。それであれば、
ODA の供与先は、民間資金が途上国へ流入する際の隘路を除去するといった触媒効果と、民間が負担で
きないようなリスクと初期投資を軽減することと、全体の経済規模の拡大の波及効果が限定的となる分野
へ割振るべきという方向性が自ずと見えてこよう。
SDGs 案は MDGs よりも質的にも深化しており、また具体的な目標値のいくつがペンディングとなって
いるため、必要資金量の具体的な試算は現時点で不可能であるが、多くのドナーや研究者により行われて
いる MDGs 完全達成に要する追加費用の推計がそのたたき台になろう。それを United Nations (2001)
は年間約 500 億ドルと推計し、OECD(2011)は 1,200 億ドルと推計している(表 6)
。仮に OECD(2011)
の推計値全てを DAC ドナーによる ODA で賄ったとしてもそれは現在の ODA 約 1300 億ドルと合わせ、
対 GDP 比 0.56%に止まるが、OECD(2010)が推計するように、そのうちの 640 億ドルについては途
上国自身の税収で賄うとした場合、DAC ドナーの GDP 比で約 0.38%、全高所得国の GDP 比では 0.36%
となる。実際には民間資金による貢献や非 DAC ドナーによる貢献もあり、それらを考えると 0.7%目標
はやはり過大な目標と言わざるを得ない。開発資金は多ければ多い程良いというものではなく、一定規模
以上の投下資本量は経済効果を高めないという研究(Arcand et. al 2012)やむしろ有害であるとの研究
17
内閣府年次 GDP 成長率速報値(http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html)
。
結果もあり(植田 2009)
、妥当かつ現実的な数値を特定する必要がある。一見して達成されていない政
策目標であるからとして、無批判にポスト 2015 の政策目標に引き継ぐことは誤りであり、ODA がその
概念や集計方法を近代化したことと併せて、改めて政策目標について議論しても良いのではないだろうか。
アジス会合を目前に控えた現在、そうした議論を行うのに最適の時機といえよう。
表 6 MDGs 達成に必要となる資金量の推計値
追加的に必要な資金量(市場価値換算)
追加的に必要な資金量(2009 年米ドル換算)
United Nations (2001)
50
61
Devarajan et al. (2002)
54-62 (MDGs1)
63-72 (MDGs1)
35-75 (MDGs2-6)
41-87 (MDGs2-6)
Millenium Project (2005)
OECD
70-130
Development
82-152
121,3
Center (2011)
注)単位は 10 億米ドル。
出所)OECD Development Center (2011)
参考文献
植田大祐、2009、
「開発援助の経済効果をめぐる諸論点」、『レファレンス』
、平成 21 年 1 月号。
小島道一、2015、「持続可能な開発の淵源と展望」、『アジ研ワールド・トレンド』、No.232、2015 年 2
月。
白石早百合、2004、
『平成15年度独立行政法人国際協力機構 客員研究員報告書 貧困国の民間セクタ
ー開発における貿易・投資が経済成長に及ぼす効果-国際金融機関・ODA の役割へのインプリ
ケーション-』
、平成 16 年 3 月、独立行政法人国際協力機構、国際協力総合研修所。
杉山富士雄、2009、
「ソロー成長モデルと開発途上国の経済成長に関する諸事実-新古典派経済成長理論
の貢献と限界-」
、
『生活科学研究』
、第 31 集、2009 年 3 月。
鈴木康夫、2001、
「ハロッド=ドーマー型モデルと現代経済成長理論」、The Hikone ronso 332, 197-214,
2001-10。
高橋清貴、2014、
「日本の ODA における MDGs の位置取り」、『国際開発研究』
、Vol.23, No.2、2014 年
11 月。
中村修三、2007、
「ミレニアム開発目標の現状と課題」、
『政策科学』
、14-2。
中村光毅、2008、
「持続可能性指標の展開― CSD Indicators の改良とその適用事例―」、Bulletin of the
Faculty of Human and Social Studies, Saitama Institute of Technology 6, 69-78, 2008-03.
浜名弘明、2015、
「ポスト 2015 の開発資金を巡る議論の現状と課題―ODA の近代化と TOSSD の設置を
中心に―」
、
『立教経済学研究』
、第 69 巻第 1 号。
弓削明子、2014、
「紛争・平和構築とポスト 2015 年開発アジェンダ」、『国際開発研究』
、Vol.23, No.2、
2014 年 11 月。
Booth, Lorna. 2014. “The 0.7% aid target.” House of Commons Library.
http://researchbriefings.files.parliament.uk/documents/SN03714/SN03714.pdf
Clemens, A. Michael and Moss J. Todd. 2005. “GHOST OF 0.7%: ORIGINS AND RELEVANCE OF THE
INTERNATIONAL AID TARGET.” Working Paper Number 68 September 2005, Center for Global
Development.
Easterly, William. 1999. “The ghost of financing gap: testing the growth model used in the international
financial institutions.” Journal of Development Economics. Vol.60. 1999. pp.423-438
Organisation for Economic Co-operation and Development. 1968. OECD Press Release, PRESS/A(68)
57.
Organisation for Economic Co-operation and Development, Development Assistance Committee. 1999.
“1999 DEVELOPMENT CO-OPERATION REPORT.” DCD/DAC(99)27.
. 2002. “HISTORY OF THE 0.7% ODA TARGET.” DAC Journal 2002, Vol 3 No 4, pages III-9
–III-11. Revised June 2010
http://www.oecd.org/dac/stats/45539274.pdf
.“DAC HIGH LEVEL MEETING • FINAL COMMUNIQUÉ.” Communique adopted by OECD/DAC
HLM
http://www.oecd.org/dac/OECD%20DAC%20HLM%20Communique.pdf
. 2012. “Peer Review EUROPEAN UNION”
http://www.oecd.org/development/peer-reviews/50155818.pdf
. 2013. “CONVERGED STATISTICAL REPORTING DIRECTIVES FOR THE CREDITOR
REPORTING SYSTEM (CRS) AND THE ANNUAL DAC QUESTIONNAIRE.”
DCD/DAC(2013)15/FINAL.
Roodman, David. 2015. “Toward an Improved Measure of Official Development Assistance.”
http://graduateinstitute.ch/files/live/sites/iheid/files/sites/cfd/shared/EVENTS/2015/IMFCFD_151
7April/papers/Roodman,%20Redefining%20ODA%20Geneva%201%20dr.pdf
Rosenstein-Rodan, P.N. 1961. “International aid for undeveloped countries.” Review of Economics and
Statistics 43 (2): 107-138.
UNITED NATIONS. 1960. “United Nations Development Decade A program for international economic
cooperation.” Resolution 1710 (ⅩⅥ) adopted by 1084th plenary meeting, 19 December 1961.
. 1970. “International Development Strategy for the Second United Nations Development
Decade.” Resolution 2626 (ⅩⅩⅤ) adopted by 1912th plenary meeting, 19 November 1970.
. 1980. “ International Development Strategy for the Third United Nations Development Decade.”
adopted by 83rd plenary meeting, 5 December 1980.
. 1990. “ International Development Strategy for the Fourth United Nations Development
Decade.” adopted by 71st plenary meeting, 21 December 1990.
UNITED NATIONS ECONOMIC AND SOCIAL COUNCIL. 1969. “COMMITTEE FOR DEVELOPMENT
PLANNING REPORT ON THE FORTH AND FIFTH SESSIONS.” NEW YORK.
UNITED NATIONS CONFERENCE ON TRADE AND DEVELOPMENT (UNCTAD). 1968. “GROWTH,
DEVELOPMENT FINANCE AND AID (SYNCHRONIZATION OF INTERNATIONAL AND
NATIONAL POLICIES.” DECISIONS adopted by 79th plenary meeting, 28 March 1968.
UNITED NATIONS THE PRESIDENT OF THE GENERAL ASSEMBLY. 2015. “The Zero Draft of the
Outcome
Document
of
the
Third
Financing
for
Development
http://www.un.org/esa/ffd/wp-content/uploads/2015/03/1ds-zero-draft-outcome.pdf
Conference.”
韓国政府開発援助(ODA)の時代別変化とその特徴
-日本との比較を通してー
チョンヒョミン
神戸大学大学院国際協力研究科
E-mail:[email protected]
キーワード:援助、新興ドナー、韓国、ODA
1.はじめに
2010 年、韓国は経済協力開発機構開発援助委員会(OECD DAC)の加盟国となった。これ
によって韓国は OECD DAC の受入国からドナー国に移行した初めての国となった。韓国
は 1945 年以来、世界銀行の援助受入国から卒業する 1990 年代まで多額の援助を世界中か
ら受けた。このような背景の下、韓国は在来ドナーにはなかった、長い受入国としての歴
史、先進国化の願望に基づく政策努力、そして過去の国際社会からの支援という負債を清
算すべきであるとの意識などの特異性を持ち、新興ドナーと先進ドナーの両方の立場を兼
ね備えた国である。
研究の時期は 1987 年から 2010 年までとし、この間に ODA の変化に焦点を当て、三つ
の時期に分けて各時期の特徴を明らかにし、それを通じて ODA の変化を規定した要因を
考察する。韓国の ODA は正確には 1963 年に既に始まっていたが、1987 年以前の ODA は
主に外交的目的で行われており、開発援助としての意識は薄かった。有償援助実施機関で
ある対外経済協力基金(EDCF)が設立された 1987 年は、韓国がドナー国として意識を持
ち始めた画期の年と見なしてよいと考えられる。2010 年に韓国は OECD DAC に加入し、
この年から韓国は OECD DAC の正式加盟国になった。この 1987 年から 2010 年まで時期
の ODA を分析することで韓国の新興ドナーとしての発展過程を動態的に把握することが
できる。
よく知られているように EDCF と 1991 年設立された無償援助実施機関である韓国国際
協力団(KOICA)の設立のあり方は日本の海外経済協力基金(OECF)と国際協力機構 (JICA)
が併存した体制に影響されている(近藤 2013)。実施体制の面で類似の組織を構成した後の
韓国 ODA はそれに従い、日本と類似した方向に発展していったのか、あるいは違いがあ
るとすればそれはどのような部分でどのような要因と背景でそうなったのか。本稿ではこ
の点を踏まえ、韓国の ODA の発展過程の特徴を日本との比較を通して明らかにしていく。
2.時期別特徴と日本との比較
(1)日本 ODA の特徴
日本 ODA の内容的特徴は大きく三つあげられるだろう。第 1 に形態において有償援助
の割合が無償援助より高いこと、第 2 に分野において経済インフラへの支援割合が社会イ
ンフラより高いこと、第 3 に地域的には主要支援対象がアジアであることである(外務省
2010)。日本は長く OECD DAC の一員であったが、韓国が加入するまで唯一の非欧米 加盟
国であり、欧米の無償援助、社会インフラへの支援重視の傾向の中で、 「自助努力」支援
を掲げ、その手段として有償援助と経済インフラへの ODA を重視してきた(高橋 2015)。
(2)韓国 ODA の時代別特徴
表 1.韓国の ODA 総額と ODA/GNI 比 (支出純額基準、単位:百万ドル、%)
区分
1987
1992
1997
2002
2007
2010
総額
23.51
76.8
185.61
278.78
696.1
1173.8
ODA/GNI(%)
0.02
0.02
0.04
0.05
0.07
0.12
OECD Stat Extracts(http://stats.oecd.org/)からのデータから筆者作成
表 2.二国間援助の有償援助と無償援助(支出純額基準、単位:百万ドル、%)
区分
1987
1992
1997
2002
2007
2010
有償援助(%)
0(0)
14.23(31.5)
56.57(50.8)
140.06(67.7)
132.2(26.9)
326.7(36.3)
無償援助(%)
1.42(100)
30.99(68.5)
54.77(49.2)
66.7(32.3)
358.3(73.1)
573.9(63.7)
OECD Stat Extracts(http://stats.oecd.org/)からのデータから筆者作成
表 3.地域別分配((支出純額基準、%)
区分
1987
1992
1997
2002
2007
2010
ヨーロッパ
0%
0.4%
3.3%
9.2%
3.4%
4.3%
アフリカ
7.9%
26.8%
11.0%
2.7%
14.3%
15.5%
アメリカ
8.6%
6.7%
9.2%
4.3%
11.2%
7.2%
アジア
63.6%
36.6%
62.6%
78.3%
61.2%
65.2%
オセアニア
0%
3.0%
1.7%
0.6%
0.8%
0.6%
その他
20.0%
26.5%
12.2%
5.0%
9.2%
7.2%
OECD Stat Extracts(http://stats.oecd.org/)からのデータから筆者作成
① 創成期(1987 年―1996 年)
第 1 期は 1987 年から 1996 年までで援助組織を設立し、様々な部署(省庁)から分散的に
行われていた援助活動をまとめ、ドナーとしての体制を整備した時期である。この時期の
ODA の特徴は内容的に一貫した方針が欠けており、一貫性を担保するための体制も欠如し
ていたことである。有償援助は財務部の管轄で EDCF を監督し、無償援助は外務部管轄で
KOICA を監督下においた。
1987 年から 1996 年までの ODA の総額は韓国経済の成長もあって毎年増加していたが、
表 1 によると ODA の対 GNI 比は 0.02‐0.03%としてほぼ一定であった。二国間援助の有
償無償援助は 1991 年に KOICA が設立され無償援助の割合が大きくなったものの割合が一
定ではない。地域別援助分配も表 3 のようにアジアが首位にある年が多いものの、1989 年
と 1990 年はアフリカがアジアを上回るなど不安定である。
② 模索期(1996 年―2004 年)
第 2 期は 1996 年から 2004 年まででこの時期は韓国の経済協力開発機構(OECD)加入
による国際的貢献義務の意識と経済危機などの影響による国益重視傾向の間で援助の方向
性が動揺した時期である。この時期の韓国 ODA は有償援助の割合が高く、経済セクタ―
への支援は変動が大きいものの、それ以降の時期に比べれば高く、そのことと併せてアジ
ア地域に集中したという点で、前で述べた日本 ODA の特徴に類似している。
韓国の ODA 総額は 1998 年、2000 年を除いて増加し、ODA/GNI 比は 0.03‐0.07%とな
り、ODA の規模は絶対的にも相対的にも上昇の傾向にあった。 二国間援助の無償援助は
1997 年に 49.2%、2002 年には 32.3%で約 3-4 割、有償援助約 1997 年に 50.8%、2002 年
に 67.7%で約 5-6 割である。地域はアジアが 1997 年に 62.6%%、2002 年に 78.3%を占め
ている。支援分野は一定ではく社会インフラへの支援が 1997 年には全体の 56.1%、2002
年は 63%で経済インフラを上回ったのに対し、1998 年と 2000 年には経済インフラが全体
の 48.2%、47.7%で社会インフラを上回るなど一定ではなかった。
このような不安定な傾向に影響したのは 1996 年の韓国の OECD 加入と 1997 年のアジア
金融危機の波及による経済危機である。OEDC に加入を決めた金泳三大統領は 1995 年の国
連首脳会議の演説で「韓国は途上国への開発援助と人的資源のための支援を拡大し、我々
の発展経験を共有する」と述べた。しかし 1997 年の経済危機で 1985 年以来毎年 5%以上
であった経済成長率が 1998 年に‐5.7%へと落ち込み、1 万ドルを超えていた一人当たり
GDP が 1998 年には再び 8133 ドルに落ちた 1 。このような国内的環境にもかかわらず、韓
国政府は ODA を拡大していった。金泳三政権に代った金大中政権は人道主義的価値を重
視し、
「 開発問題に先進国と途上国の中で架け橋の役割」になる必要性を訴えたのである (外
交通商部 1999)。イ(2003)はこのような政府の人道主義的方針の一方で、経済困難への危機
意識が官僚組織内で ODA を「国益」とつなげるべきという発想を強めたと指摘している。
③ 改革期(2004 年―2010 年)
第 3 期は 2004 年から 2010 年までで、この時期は OECD DAC への加入を目指し、ODA
政策の内容や組織体制を改編した時期である。2006 年に内閣の下に国際開発協力委員会が
設置され、2010 年に国際開発協力基本法が成立するなど、体制と目的の側面で有償援助と
無償援助の一貫性が重視された。内容の面では、アジア地域への 支援額が一番多いものの
以前の時期に比べアフリカへの支援額が増えた。この時期の韓国 ODA は二国間援助の無
償援助が有償援助を上回り、セクタ―別には社会インフラへの支援割合が経済インフラよ
り一貫して高くなった部分で、前で述べて日本の ODA の特徴と相違している。
この時期の ODA 総額と ODA/GNI 比は 2006 年を除いて増加している。表 2 をみると二
国間援助の無償援助は 2007 年 73.1%、2010 年に 63.7%に対し、有償援助は 2007 年 26.9%、
2010 年 36.3%で、約 2-3 割まで減少したことである。表 3 から地域については、以前は 1
割未満であったアフリカへの支援が 2007 年から 1 割以上に増加したが、相変わらずアジア
地域は 5-6 割占めている。支援分野は 2006 年には社会インフラが 59.7%、経済インフラは
25.3%を記録し、2010 年には社会インフラ 50.1%、経済インフラが 33.7%を占めた。2009
年を除いた全ての年で社会セクタ―が経済セクタ―を上回っている。
2003 年、盧武鉉政権の下で、大統領諮問機構である持続可能発展委員会が 2030 年まで
1
世界銀行データベース(http://data.worldbank.org/)参考。
の国家ビジョンである「ビジョン 2030」の策定を開始した。ODA はその計画の中の下位
分野の一つに位置付けられ、改革が進められた。2004 年には「対外援助政策改善方案」が
でき、これを基に 2005 年に「対外援助改善総合対策」が国務会議を経て正式に発表された。
この中には 2010 年頃 OECD DAC 加入を目指すことや 2015 年まで ODA/GNI 比を 0.25%ま
であげることなどが方針として盛り込まれた。
3.まとめ
韓国の ODA は初期の組織作りの部分で日本から影響されたが その後、体制や内容の面
で日本とは違う方向に発展してきた。韓国の ODA は地域的にはアジア地域への支援が多
く、それは日本との類似点であるが、2004 年頃からは有償援助や経済インフラを中心とす
る日本の ODA とは違い、無償援助と社会インフラにより力を入れるようになってきた。
この変化の背景には当時の革新政権の人道主義的立場と共に、いわゆる「真の先進国入
り」といわれる OECD DAC への加入準備が大きく影響した。実は 2008 年の「OECD DAC
加入」文書によると外交通商部は OECD DAC 加入が外交政策として、そして国際社会へ
の貢献として重要であると述べているのに対し、企画財政部は ODA のアンタイド化によ
る韓国国内企業の負担、環境や農業分野における先進国としての責任の引き受けによる財
政負担を取り上げ、OECD DAC の加入時期を再検討する必要があると主張した。このよう
な意見の対立にもかかわらず、OECD DAC 加入計画をそのまま進めたことは、やはり途上
国から先進国入りするという願望が一つの大きい要因だと思われる。
韓国は高度の工業化を達成した自らの経験から経済成長が重要であるという認識は日
本と共有している。2004 年以降、韓国 ODA の傾向が変わったとはいえ、イギリスや北欧
に比較すると有償援助と経済インフラが占める割合は高い。しかし韓国は財政規模の制約
から有償援助や経済インフラに力を入れても規模の上で日本のようなプレゼンスのあるド
ナーになりにくく、それよりも他の DAC 加盟国から質的面での評価を求めている。これ
は韓国の ODA を日本とはまた違うものにしたもう一つの要因である考えられる。一方で
在来ドナー国との差別化を図る模索も行われて来て、新興ドナーであったからこそ可能な
自らの「開発経験の共有」とそれを活かすことができる分野に「選択と集中」するという
主張が打ち出されてきた。これには韓国の経験を活かすのも大事ではあるが、それをどの
ように受入国の環境とニーズを第一に考えた ODA 政策にしていけるかという課題が残る。
【主要参考文献】
外務省(2010)『ODA 白書』
近藤久洋(2013)「韓国援助の起源と日本援助」『国際関係学研究』、26巻1号、1―24頁
高橋基樹(2015)
「アフリカ開発援助における日本の役割イギリスとの比較を通じて 」、黒
崎卓・大塚啓二郎編著(2015)『これからの日本の国際協力』日本評論社
이태주(イテジュ).(2003) 한국의 대외원조 정책에 대한 인류학적 연구:
선진국만들기와 발전담론(韓国の対外援助政策に関する人類学的研究:先進国作
りと発展談論), 비교문화연구 9(1): 139-174.
외교부(外交通商部).(1999)외교백서(外交白書)
Governance of Artisanal and Small-scale Mining (ASM) in Africa
- Structural Factors behind Informal ASM Sector in Tanzania Yoshio Aizawa (Akita University)
E-mail: [email protected]
Keywords:
resource governance, artisanal and small-scale gold mining (ASGM), Tanzania
1. Introduction
Governance of artisanal and small-scale mining (ASM) in Africa has been a disputable subject in
decades. ASM activities are in many cases operating in the informal sector whereby the
government cannot control environmental degradation, health and safety problems, child labor
issues and a potential problem of fueling conflicts. An equally serious problem is government’s
loss of resource income through royalties and taxes which could be invested in economic activities
and social welfare for the benefit of the people.
However, restriction of ASM activities is not a realistic measure of governments. In Africa, many
people are dependent on incomes from ASM activities whether it is formally or informally
operating. According to an estimate of the United Nations Economic Commission for Africa
(UNECA) (2011), more than 100,000 ASM operators are active at least in 21 African countries in
which about 46 million people are dependent on ASM. International organizations and
governments thus have recognized importance of supporting ASM for economic and social
development instead of restricting it.
Prominent among African initiatives relating to ASM is African Mining Vision (AMV) to promote
the mining sector. AMV is a landmark shared among ministers responsible for minerals in the
African Union in 2009, emphasizing promotion of ASM “to stimulate local/national
entrepreneurship, improve livelihoods and advance integrated rural social and economic
development” (AU 2009). In accordance with AMV, many mineral-rich African countries have
included supporting measures for ASM in their mining policies and poverty reduction strategies.
Hence, an issue is a shift of ASM into the formal sector whereby the governments become able to
control the current problems in ASM to a better extent. There is however no evidence so far that
the implementation of the policies and strategies has had significant impacts on formalization of
the ASM sectors (Bourgouin 2013, p 154). The question is what factors are negatively
contributing to ASM operators to remain in the informal sector.
In this light, the purpose of this paper is to examine a case of artisanal and small-scale gold
mining (ASGM) in Tanzania and discuss structural factors that cause difficulty of shifting ASGM
into the formal sector.
2. Brief History and Current Status of ASGM in Tanzania
ASGM in Tanzania was first legitimized when the Mining Act was enacted in 1979 although
small-scale placer gold mining was already operational even during the colonial period. ASGM
achieved rapid growth during the ’70s, propelled by the abolishment of the international gold
standard system and rise in the gold price (Bryceson and Jønsson 2013, p 14). The growth of
ASGM was later prompted by an influx of farmers in ASGM, who needed to diversify a means of
livelihood after the initiation of the Structural Adjustment program in 1986 which abolished
subsidized operations in the agricultural sector. The declaration of President Mwinyi in 1990 also
gave greater impetus to the growth of ASGM, liberalizing ASM for free operation in the country
(Emel et al. 2011, p 75).
Tanzania now retains the largest number of ASM operators in Africa (UNECA 2011). The
estimated number of ASM operators and dependents in Tanzania are 1.5 million and 9 million
respectively (UNECA 2011). This indicates that about one fifth of the total population in Tanzania
is dependent on ASM. ASGM among others could be a large part of the ASM operators while
ASGM’s production accounts for about 10 percent of the total domestic gold production under the
circumstance that gold export amounts to about one third of the total export of Tanzania (UNEP
2012).
Meanwhile, ASGM and large-scale gold mining (LSGM) have become polarized in a contrasting
situation. ASGM has been marginalized and inclined to operate in the informal sector while
LSGM has been expanded through foreign investments promoted by Tanzanian government since
the mid-90s (Bryceson et al. 2012, pp 637-638, CASM 2009). Facing to the situation, Tanzanian
government has already emphasized support for ASM in policy objectives of National Strategy for
Growth and Reduction of Poverty II (MUKUKUTA II) and Mineral Policy 2009, aiming to shift
ASM into the formal sector eventually (URT 2010 and 2009).
The policy measures to shift ASM into the formal sector include allocation of land areas
specifically for ASM and provision of services such on legal and regulatory requirements and
technical aspects (Masanja 2013). However, still further sound and democratic policy
implementation is expected in the current situation (Bryceson and Fisher 2013, p183).
3. Factors behind Informal ASGM
What are then the factors that detain promotion of ASGM formalization? This section discusses
two major structural factors behind informal ASGM particularly relating to the existing legal and
resource governance systems.
First, Mining Act 2010 does not encourage ASGM to be part of the formal sector. To be a formal
ASGM operator, a Primary Mining License (PML) is required as stipulated in the article 54 of the
Act. However, acquisition of a mining license is based on a first-come, first-served basis. Those
who do not have access to reliable information are discouraged to apply for a mining license.
LSGM operators, multi-national companies or their junior companies, in most cases, are
advantageous since they are relatively in a better position of acquiring information on mining
potential (Jønsson and Fold 2013, p 118). Unlike ASGM, multi-national corporations are able to
spend a considerable amount of financial resources in exchange for information on mining
resource potential from prospectors.
Even if an ASGM operator succeeds in acquiring a PML, the PML holder should comply with the
article 55 of the Act to “take all responsible measures on and under the surface for the purpose of
mining operation” including capital investment, and environmental and social protection. For
example, based on the Mining Regulation, which supplements the Act, a PML holder is required to
submit an Environmental Protection Plan within four months from the date of PML acquisition.
This should be accompanied with results of environmental investigation and a social study
conducted by an independent expert (URT 2010, p 6). The Act and Regulation in other words
cannot make all ASGM operators inclusive in the formal sector, assuming that a formal ASGM
operator is technically and financially capable of meeting all the requirements.
From informal ASGM’s point of view, an access to capitals is a minimum condition to make
ASGM operational even if they disregard environmental and social aspects. To meet capital needs,
in one case, informal ASGM without sufficient financial resources ask residents in the mining area
to offer working capitals (like a shovel and other hand tools for mining) while in another case a
middleman can provide working capitals in exchange for a promise of selling back mineral ores at
a lower price than the official price (Imparato 2010, p 465). Thus, even without a PML, informal
ASGM has a way to make a mining pit operational without meeting all requirements and going
through cumbersome procedures to acquire a PML.
Second, the current administrative system is not supportive to ASGM in Tanzania. Although the
government has shown its clear intention to support ASM on MUKUKUTA II and the Mineral
Policy 2009, actual support for ASM has not been operationalized to an extensive degree down to
the people level.
A major structural factor behind is a centralized system of the mineral sector. The Ministry of
Energy and Minerals (MEM) is a responsible organization which has Zonal Mines Offices and
Residential Mines Offices across the country. It is justifiable of the centralized mining sector since
it involves critical issues such as a negotiation with foreign investors and distribution of resource
benefits which have an influence on national economy. However, the centralized system in the
current administrative structure cannot identify technical, financial, and information needs of
ASGM at mining sites so as to provide and coordinate appropriate services to shift informal
ASGM into the formal sector.
Local Government Authorities (LGAs), in the current decentralized government structure in
Tanzania, are supposed to provide public services at local level under their jurisdiction in response
to various people’s needs but not of issues related to the mining sector due to the institutional
arrangement. LGAs actually do not regard the mining sector as part of their responsibility and this
entails exclusion of the sector from LGA’s planning (Fisher et al. 2009, p 34, Fisher 2008, p 203).
In the current arrangement of the MEM, mine officers at Zonal Offices are responsible for
providing extension services to ASM although Residential Office are the closest to the mining
sites. However, even Zonal Offices have limited funds and limited access to remote mining
communities (Fisher 2008, p 203, UNEP 2012, p 6).
4. Conclusion
This paper discussed two major structural factors behind informal ASGM i.e. the Mining Act and
the Regulation and the administrative structure to govern ASGM activities. The Mining Act and
the Regulation are not a means to discourage informal ASGM operators unless they are capable of
going through procedures to acquire a PML and meeting environmental and social requirements in
mining operations. However, the current situation is not in line with the legislative assumption .
Therefore, the governmental support is essential. However, it is not sufficient partly due to the
administrative capacities and structure of the mining sector.
Further studies are to be carried out on factors to promote supportiveness of the government in
addition to structural factors discussed in this paper. Moreover, to formulate a concrete measure to
shift ASGM into the formal sector, it is necessary to figure out to what extent ASGM workers
choose to be in the informal sector with how much of and what kind of incentives.
Reference
African Union (AU) 2009 Africa Mining Vision.
Bryceson, D. F. and Fisher E. 2013. “Artisanal Mining’s Democratizing Directions and Deviations. ” D.F.
Bryceson, E. Fisher, J. B. Jonsson, and R. Mwaipopo (eds.) Mining and Social Transformation in
Africa: Mineralizing and Democratizing Trends in Artisanal Production . London and New York:
Routledge. pp 179-206.
Bryceson, D. F. and J. B. Jønsson 2013. “Mineralizing Africa and Artisanal Mining’s Democratizing Influence.”
D.F. Bryceson, E. Fisher, J. B. Jonsson, and R. Mwaipopo (eds.) Mining and Social Transformation in
Africa: Mineralizing and Democratizing Trends in Artisanal Production . London and New York:
Routledge. pp 1-22.
Bryceson, D. F., J. B. Jønsson, C. Kinabo and M. Shand 2012. “Unearthing Treasure and Trouble: Mining as an
Impetus to Urbanisation in Tanzania.” Journal of Contemporary African Studies. Vol. 30. No. 4. pp
631-649.
Bourgouin, F. 2013 “The Politics of Mining.” D.F. Bryceson, E. Fisher, J. B. Jonsson, and R. Mwaipopo (eds.)
Mining and Social Transformation in Africa: Mineralizing a nd Democratizing Trends in Artisanal
Production. London and New York: Routledge. pp 148-160.
Communities and Small-scale Mining (CASM) and The World Bank/International Finance Corporation Oil, Gas,
and Mining Sustainable Community Development Fund (CommDev ) 2009 Mining together:
Large-scale Mining meets Artisanal Mining.
Emel, J., M. T. Huber, and M. H. Makene 2011. “Extracting Sovereignty: Capital, Territory, and Gold mining in
Tanzania.” Political Geography. Vol. 30. pp 70-79.
Fisher, E. 2008. “Artisanal Gold Mining at the Margins of Mineral Resource Governance: Case from Tanzania.”
Development Southern Africa. Vol. 25. No. 2. pp 199-213.
Fisher, E., R. Mwaipopo, W. Mutagwaba, D. Nyange, and G. Yaron 2009. “’The Ladder that Sends Us to Wealth’:
Artisanal Mining and Poverty Reduction in Tanzania.” Resource Policy. Vol. 34. pp 32-38.
Imparato, N. 2010. “Artisanal Gold and Transformational Exchange: Toward a Public -Private Partnership in
Tanzania.” Journal of Cleaner Production. Vol. 18. pp 462-470.
Jønson, B. J. and N. Fold 2013. “Dealing with Ambiguity: Policy and Practice among Artisanal Gold Miners.” D.
F. Bryceson, E. Fisher, J. B. Jonsson, and R. Mwaipopo (eds.) Mining and Social Transformation in
Africa: Mineralizing and Democratizing Trends in Artisanal Production . London and New York:
Routledge. pp 113-129.
Masanja P. September 25, 2013 ASM Activities and Management in Tanzania. A presentation material of former
Chief Executive Officer of Tanzania Minerals Audit Agency.
United Nations Economic Commission for Africa (UNECA) 2011 Mineral and Africa’s Development: The
International Study Group Report on Africa’s Miniral Regimes.
United Nations Environmental Programme (UNEP) 2012 Analysis of formalization approaches in the artisanal
and small-scale gold mining sector based on experiences in Ecuador, Mongolia, Peru, Tanzania and
Uganda: Tanzania Case Study.
United Republic of Tanzania (URT) 2010. Mining Act 2010.
United Republic of Tanzania (URT) 2010. Mining (Mineral Rights) Regulations 2010.
United Republic of Tanzania (URT) 2010. National Strategy for Growth and Reduction of Poverty II (NSGRP II).
United Republic of Tanzania (URT) 2009. The Mineral Policy of Tanzania.
Factors Influencing the Continuity and Development of Payment for Environmental Services
Program in Citarum Basin, Indonesia: Farmers’ Vulnerability and Risk Management
1
O Patricia San Miguel and Hiroaki Shirakawa
1
2
Graduate School of International Development, Nagoya University, Japan
2
Graduate School of Environmental Studies, Nagoya University, Japan
Abstract
This paper examines the socio-economic factors influencing the continuity of Payment for Environmental
Services (PES) program and how farmers cope with risk and vulnerability towards the program development.
While literature focuses on factors affecting PES adoption, a valuable element to further scale up these programs,
accessibility to PES is not the sole element guiding the development of these schemes. Uncertainty characterizes
poor rural scenarios where things do not go smooth for farmers, and where it is not sporadic to see farmers
abandoning the program before the contract ends (e.g. Cidanau and Citarum scheme). Thus, for program’s
sustainability is imperative to concern how poverty and its risk affect farmers’ livelihood and the way they
develop and continue PES. It is seen that, although social networks play an important role in PES adoption, its
role diminishes when regarding the continuity of the program. On the other hand, income constitutes an essential
factor influencing the continuity of the program. More vulnerable farmers to poverty tend to not join the program
and even if they do, there is high probability they withdraw in the mid of the contract period if their household
income drop. Another important element regards the price fluctuation of the main crop to be adopted, in this case
coffee. In order to manage the effects of the latter, it is imperative to count with the intermediary agency support
in implementing PES through supplementary trainings to add value to farmers’ products and gain access to the
market through different strategies like cooperatives creations and marketing tools consolidation.
Key words: PES, continuity, farmers’ income, vulnerability, risk management
I. Introduction
Understanding factors that influence PES adoption constitute an important element to further scale up and develop
these programs. However, accessibility to PES is not the sole element guiding the development of the program as
uncertainty and risk commonly characterize poor rural scenarios where things do not go smooth for farmers. For
program’s continuity and sustainability is imperative to concern how poverty and its risks affects farmers’
livelihood and the way they develop and continue PES. It is not sporadic to see farmers abandoning the program
before the contract ends, (for example one of the scheme in Cidanau case, Indonesia, and the current case study in
Citarum) whether because of the effects of socioeconomic factors like the market and price fluctuations and or
biophysical circumstances, jeopardizing the progress made toward ES and the future development of PES.
As income from agriculture is highly variable from one year to another or even from month to month, such
instability may deep and widespread poverty (Ravallion, 1988). “For the poor, and for people just above poverty
line, vulnerability is a graver concern because any drop income can push them into destitution. As a result, poor
people are highly risk averse and reluctant to engage in the high-risk, high-return activities that could lift them out
of poverty. One slip could send them deeper into poverty” (World Bank, 2000, 138). In some cases when the most
vulnerable falls into poverty, it aggravates the vicious cycle of poverty intensification and environmental
degradation. These are part of some dynamics that challenges the ecosystem services frameworks’ credibility,
replicability, and sustainability (Daily, Polasky, Goldstein, Kareiva, Mooney, Pejchar, Ricketts, Salzman, &
Shallenberger, 2009).
Concerning about the continuity and development of PES in the pro-poor context, this study aims to elucidate the
vulnerability to poverty farmers face to continue PES and how those challenges affect the development of the
program. The structure of this paper first conveys a literature review that contains central concepts like
vulnerability, its development in the field of poverty reduction, measurements and cases that prove application
and current shortcomings. Subsequently the understanding of poverty is transferred to the context of rural
scenarios of Java in Indonesia to finally encounter Suntenjaya village, the research site. The methodology session
explains details of procedures and data collection that guide to the findings session to finally conclude with main
remarks and recommendations.
II. Literature Review on Vulnerability to Poverty
According to the World Development Report (WDR) 2008 (World Bank) nearly half of the population of the
developing world lives in rural areas and more than 80% of them depend on agriculture. The poor is mostly in this
rural world where land and others are critical resources that affect people’s livelihood (Rigg, 2006). As many
reports note, life in the rural areas of developing countries is characterized by poverty and risk (Klasen & Povel,
2013). “Households with vulnerable livelihood systems have neither enough assets, nor the capabilities to create
or access them” (325). These households are often burdened with obligations that prevent them to provide basic
needs for their family members and cope with critical situations (Niehof, 2004). Such vulnerability may affect
households in various aspects of their lives and development, as well as their role in society.
In the case of West Java, population growth as a pressing matter is a common characteristic of the rural areas.
Specifically in the Citarum region, population was 17.8 million, with 4.1 million households, 30% - 40% derived
livelihood from agriculture, 25% from industry, and about 45% from services, in 2003. Increase in population has
lead to increase in settlement areas; in the upper Citarum region settlement areas were 25,000 ha in 1992 reaching
46,000 ha in 2001. (ADB, 2007). Poverty is a related problem of overpopulation and lack of mechanisms to
control the expansion and right infrastructure of settlements. Many unsuccessful projects are due to the
insufficient incorporation of measures to tackle the poor, like educative programs to raise awareness about
villagers’ important role in environmental conservation. Poverty headcount represents 2.8 million (9.7% of the
basin population), an important figure with poverty levels of the total populations ranging from 1.5% to 4.8% in
the municipalities (urban) and 2.9% to 26.4% in the districts. ADB, 2007).
Vulnerability from different approaches
Much of the research on poverty dynamics and research on risks and management strategies line together to
develop part of the literature of vulnerability (to poverty) (Klasen & Povel, 2013). The concept of vulnerability is
contentious, tackled by different measurements and despite it offers an advanced discussion, it is open for
enhancement when linking the concept and its empirical implementation (Klasen & Povel, 2013). Gaps in the
usage of the term vulnerability not only ranges from field to field, like climate change, natural management,
poverty reduction and development, but even in each field the definition may depend on the context and policy
action (Tiani, Besa, Devisscher, Pavageau, Butterfield, Bharwani, & Bele, 2015; Alwang, Siegel, & Jorgensen,
2001; Klasen & Povel, 2013). Therefore various frameworks could help enrich understanding of this area and
foster multidisciplinary cooperation as Alwang et al (2001) highlight, although a fit-all application to measure
vulnerability to poverty would not be viable.
The WDR 2000 focus on empowerment, security, opportunity and poverty brings the concept of risk and risk
management and its relationship between poverty and vulnerability at the policy table, the latter a concept very
much proliferated (Alwang, Siegel, & Jorgensen, 2001). In the WDR 2014 about risk and opportunity, it
recurrently uses the terms vulnerability and risks and the way to overcome them and pursue opportunities (World
Bank, 2014). As Klasen and Povel (2013) remark, the term vulnerability has been extensively used since the new
millennium; in this sense, it is explicitly recognized the importance of this topic in the development of the rural
context. Although risk and vulnerability are related they are not synonyms as “risk refers to uncertain events that
can damage well-being” (World Bank, 2000, 139). Vulnerability, according to Klasen and Povel (2013), “refers to
the concept of poverty combined with risk and the efforts and capacities to manage risk. Also, it is an approach of
thinking dynamically about poverty and switching from an ex-post to an ex-ante perspective” (22) as part of
common elements of different literatures. “A household’s vulnerability to poverty is measured as a risk or
probability that the household will be poor in the near future, implying that households have greater or lesser
degrees of vulnerability” (Suryahadi & Sumarto, 2010, 37). Vulnerability to poverty could affects anyone and can
could be caused by different events as for example bad or no harvest, a lost job, an unexpected expense, an illness,
and the many other risks (Suryahadi & Sumarto, 2010).
In the economic and poverty related literature, the term vulnerability is at times implicit, but focuses on risk such
as price and weather variability. Economic measurement include metric methods that use income and expenditure
as common variables, and other alternatives indicators of well-being, like landholding size, household headship,
and distance from markets. (Alwang, Siegel, & Jorgensen, 2001). The impacts of many of these indicators have
been researched and resulted in many clear-cut concepts in this literature (Klasen & Povel, 2013). Many studies
have recognized the complexity of poverty and vulnerability and the need for additional non-monetary indicators
and approaches to capture the many facets of this subject of study (Alwang, Siegel, & Jorgensen, 2001). It is also
important to note the limitations of collecting empirical data. While most of literature suggest that frequencies and
longitudinal data is suitable and enough, other disciplines criticize it (Alayande & Alayande, 2004).
The asset-based approach to poverty refers to poverty as caused by inappropriate access to assets, both tangible
and intangible ones and the ability of households to manage risk. “Risk management is achieved by allocating
assets before and after a negative event” (9). Households with more income and investment in assets are to be less
vulnerable to risk events, either by utilizing assets to prevent or mitigate risk or though investment over time that
could increase income. Nevertheless, the details and specificity of assets in reducing vulnerability has not been
empirically established, often offering too general and implicit outcomes; for instance, investments in social
capital may contribute to idiosyncratic risk, but may not assist to effective manage of covariate risk. (Alwang,
Siegel, & Jorgensen, 2001).
The sustainable livelihoods literature closely influenced by Amartya Sen’s work refers to the concept of
vulnerability as the probability that livelihood stress will occur in a forward looking and an ongoing state. The
concept considers the external risks and the internal ones that refer to the lack of means to cope with stress.
However, there is no much practical discussion about measuring vulnerability with respect to this literature. This
literature focuses on structural vulnerability, related to stochastic or chronic poverty in the economic field, as
those households that present characteristics, such as age, and headship, that make them vulnerable. It is important
to recognize that conditions for vulnerability are changeable, part of a process. Thus, changes can affect the
classification of risk management strategies, for instance activities identified as post coping could become ante
mitigation ones and being adopted as norms. The focus on adaptation as a risk response is important as well as the
description of livelihood vulnerability, nonetheless much of the empirical assessments have been site-specific,
making it difficult to be applied or compared across populations. Although cases studies have been discussed, part
of the literature limitation is the lack of proposal for indicators. (Alwang, Siegel, & Jorgensen, 2001).
Other schools of thoughts that also refer to the livelihood literature are sociologists and part of environmentalist.
Many sociologists adopt the term vulnerability as a dimension of poverty in relation to socials aspects rather than
using the money measurement. They also include aspects of the livelihood security, attempting to look for
indicators based on the asset approach that could facilitate the understanding of the term. Yet, relationship among
risks and response outcomes are difficult to determine in measurable metrics. Recently, part of the environmental
literature has strongly used the livelihood-based work, describing vulnerability as an exposure of people to
livelihood pressure as consequence of different environmental changes. (Alwang, Siegel, & Jorgensen, 2001).
III. Methodology
There is a wide range of approaches to measure vulnerability but all methods agree on the difficulty to quantify a
phenomenon that cannot directly observed (Tiani et al, 2015). Due to limitations on data, for instance lack of time
series data, economic methods with the rigor of its literature cannot be applied in this study. Nonetheless, as
previously stated, this study’s main concern refers to the elucidation of how vulnerability to poverty affect
farmers’ livelihood that at the same time affects the continuity and development of PES. Therefore, the use of
socio-economic variables closely related to the livelihood approach will be adopted.
Data collection
In order to empirically understand factors influencing continuity or development of PES and farmers main
characteristics, this research’ analysis is based on primary data obtained throughout different methods that
comprise the followings, (i) household questionnaire survey about their agricultural activities, process and
participation in PES and livelihood aspects; the survey was conducted on December 2014. Survey included 42
PES participants (both those who continue, 33 and those who quitted the program, 9 during the contract), out of a
total of 45 farmers originally engaged in the program. (ii) Semi-structured and in-depth interviews to key
informants such as the leader of farmer association, the NGO coordinator in charge of the PES scheme
implementation, and PES farmers from Suntenjaya village.
Quantitative examination
As a first step, this study uses a multiple regression analysis that serves to enhance understating about statistically
significant variables influencing continuity of the program. The main objective of this analysis is to provide
insights and strengthen the qualitative analysis of this study. The model run in the study is a probit model that
estimates probabilities for a binary response, in this case, farmers continuing in PES (represented by the
dependent variable Y=1) or abandoning the program (Y=0). The dependent variable Y (continuity) is a function of
independent variables that include: numerical variables like land size, income; and binary variables (1 yes/ 0 no)
like having other jobs, and livestock.
Qualitative examination
The qualitative approach comprises the analysis of data obtained from survey, interviews to all different
stakeholders, and even informal talks along with observations and corresponding notes during the stay in the
village. The discussion section presents a descriptive analysis based on the categorization of farmers’
characteristics according to different socio-economic indicators, and it also explains possible factors influencing
the continuity of the program.
Research site and PES Program
With the intention of improving water quality and watershed service for downstream users, the project identified
as its main objective the reduction of erosion caused by agricultural farming in hilly areas. In terms of
environmental conservation, shifting the land use to forests would be the most efficient way to reduce erosion.
However, this is not a viable option due to the area’s high population density and the role of agriculture as the
inhabitants’ main occupation; instead, the intercropping (agroforestry) of annual crops with trees and shrubs was
chosen. Suntenjaya village with an area of 4.55Km2, within the Lembang sub-district of the Bandung regency was
deemed appropriate to address sedimentation and erosion problems and was selected for PES scheme
development. The PES project was initiated through the support of an Indonesian NGO (LP3ES) known as the
Institute for Social and Economic Research, Education and Information (In Indonesian: Lembaga Penelitian,
Pendidikan dan Penerangan Ekonomi Sosial) initiated in 2009. The following illustration represents the PES
scheme in Suntenjaya village.
Figure 1: PES scheme in Suntenjaya village
Source: LPMEquator, 2012, p.15
IV. Findings and discussion
Basic features of interviewed households and their farms
This section aims to elucidate basic features among all PES participants including those who continue the
program and those who abandoned it.
Education of respondents
90.9% of those who continue the program reach the elementary school level and the rest (9%) reach above the
elementary, that includes 6% of them reaching junior high and 3% of them achieving high school. Among those
who abandoned or quitted the PES program, a total of 9 farmers, 88% reach elementary school while 11% (in this
case one farmer) reach junior high school. Majority of farmers’ education level reach elementary school, which is
a common characteristic in rural areas.
Sex of respondents
It is important to clarify that man takes the decision making to enroll land in programs like PES or similar ones,
however implementation of the program can be managed by woman depending on household cases. In this sense
it is found that 66% of those who continue the program are males, while the rest are females (all of them wives
helping their husband to manage the land). Among those who quitted the program, it is found the same
proportion: 66% males and 33% females who used to manage the PES program in their land.
Marital status of respondents
Most farmers of both groups are married. Among farmers who continue the program, 79% are married, 3% single,
and 18% windowed. Farmers who abandoned the programs are all married.
Age of respondents
The vast majority of respondents from both groups range between the 41 to 60 years old. From the group who
continue the program , it is also seen a small group of farmers from 71 years old and above to be engaged in the
program, which is not present among those who abandoned the PES.
Location of respondents
The distance from their hamlets does not exceed an approximate of 5km among all farmers interviewed. In overall
there is a relative proximity among them. Among those who continue, 70% of them belong to Cibodas subvillage, while the rest to nearby areas. Those who abandoned the program all live in Cibodas sib-village. Whether
their farms are located in areas prone to floods or landslides was hard to precise by households due to different
reasons like changes in weather; thus about 12% of respondents did not answer the question. From the group who
continue the program, about 14% of them stated to be in areas prone to floods while 28% stated to be in areas
prone to landslides. PES implementers talked about the risk of exposure in areas prone to floods and landslides as
part of the reasoning to promote the participation to the program, which could mitigate such problems. On the
other hand, among farmers who quitted the program, 20% of them stated to be at risk of floods and landslides.
Tools of respondents
In general basic tools used by both groups are hoe, sickle and cleaver, fertilizers pumps and sprayers. Irrigation
pumps could be the most expensive to acquire, in this sense it is found that 79% of farmers who continue the
program posses those tools while 67% of farmers who quitted the program posses those tools, making no so big
difference among them.
Social networks of respondents
While social networks played an important role in participation in the program, it is seem that the role diminish in
terms of continuity or sustainability of the program. 93% of farmer who continue the program belongs to farmers
associations while 88% who quitted the program belongs to farmers association. Results indicate no important
difference between the two groups.
In overall the above social characteristics describe the two groups in a somehow one homogenous group where
there is no notorious differentiation between those who continue the program and those who quit. Nevertheless,
economic indicators or what it could be groups as financial assets seems to mark the difference in this analysis.
Part of financial assets that could be quantified in the study regards the size of land, the average monthly income,
whether they have livestock and other jobs besides farming. Although savings and remittance (Rigg, 2006) also
constitute important variable part of the financial assets, due to the sensitivity of the questions, they could not be
quantified with enough respondents.
As for livestock it is seem that the two groups have the same proportion of having or not livestock, 67%. While
the rest have no livestock at all. Nonetheless the difference is in the type of the livestock they have. Generally
farmers in Suntenjaya village possess daily and beef cattle, goat and sheep, chickens and rabbits. Those who
continue the PES program tend to have more cattle than those who quitted. Cattle usually can be used not only as
a source of dairy products but also as a source of savings or ways to access to credits. Regarding having other jobs
different than their own farming, the proportion among groups seems to be similar again, however 30% of
respondents cold not answer precisely as their side jobs are not permanent ones. The difference between the
average of income between the two groups is more than double, PES farmers have an average income of
approximately 2.627.161 Rp while those who quitted 976,250 Rp. In this aspect it is seen a notorious difference
between the groups. The average of land among who continue is about 4,604 square mt, while those who quitted
is about 1,051 square mt. Other aspects as 1st quartile, 3rd quartile and media that point the difference between the
two groups can be observed in the graphs (1 and 2) below.
Graph 1: income
Graph 2: land size
Source: Authors survey, Dec 2014
Regression analysis: probit model
Regression analysis is also run in order to see what variables are statistically significant regarding the continuation
of the program. According to the probit model, reproduced in table 1, the most statistically significant variables
influencing the continuity of farmers are income, land size, livestock and other jobs.
The more jobs different than their own farming, the more likely farmers continue PES. The more livestock they
may have, the more likely farmers continue the program. According to the contextual background and
understanding gained in the field, it seems that these two variables are related to diversification of farmers’
livelihood. The more diversified they are and less dependent in one asset, the better they might manage their
livelihood activities and others like PES. Getting an extra income form other jobs or livestock and or having
livestock as savings could easy farmers’ sole dependence on PES crops that mainly include coffee. These findings
consistently match part of risk management and diversification literature, as Dadzie & De-Graft Acquah (2012)
note that farmers attitude toward risk is an important and continuous result of their behavior and coping strategies
to lessen the effects of risk they continuously face. Many scholars as Niehof (2004) also agree that diversification,
whether by increasing their assets or activities, is part of the significant strategy to mitigate rural households’
vulnerability.
The more the average income households have the more likely to continue in PES program. This is closely related
to the ability to manage poverty, in other words if farmers have abilities, assets and foremost the income to
manage the risk that PES could bring, as for instance lost of production and lower income, the longer they could
join the program. It is commonly described how crop income shocks combined with households lack of access to
assets or credits relates such uncertainty with poverty. (Kochar, 1995) As Rigg (2006) reflects that income is part
of a key determine well-being and households’ role “to the achievement of economic growth, poverty reduction,
and social development in rural areas” (195). Hardjono, Akhmadi, and Sumarto (2010) recount that despite the
past four decades’ economic growth and development of absolute poverty, absolute poverty still remains as a
major national problem in Indonesia. Poverty certainly limits the development of activities like PES, as the ADB
(2007) concretely describe the case of Citarum area, where poverty has been a threat for many projects before.
Finally another important influencing indicator regards to the size of land. The larger the size land the more likely
farmers continue the program. In the particular case of Suntenjaya farmers who quitted the programs reported that
their limited land size did not allowed them to keep the diversification of their crops, and focusing on coffee
production could be too risky for them. Coffee cultivations take more space than other stipulated trees, while their
(coffee plants) shade also affect the quality of vegetables grown in the coffee plant proximity. On the other hand,
the bigger the farmer’ area, the more flexibility farmers have to adjust to the new agroforestry system (of
incorporating coffee and tress). As opposed to this case, Latin America factors for successful outcomes of PES
lied partly on the fact that wealthy landholders owned land that ranged from 35 to 100 ha (Zbinden & Lee, 2005).
Table 1: Probit Model
Income
(1)
(2)
(3)
8.01e-07*
5.14 e-07
0.000141*
(0.080)
(0.299)
(0.089)
0.0008614*
0.0033168*
(0.068)
(0.054)
Land size
Livestock
17.3699*
(0.089)
Other jobs
7.400827*
(0.080)
Constant
Observations
-.3427349
-1.463314
-37.87789
(0.552)
(0.109)
(0.077)*
39
34
29
Notes: Signif. codes: <0.01 *** <0.05 ** <0.1 * Z value in parenthesis
Other influencing factors
This study shows that farmers’ financial assets clearly influence the continuity of programs like PES in rural areas
like the case of Suntenjaya village in Indonesia. Other factors related to financial indicators, especially farmers
income concern with price fluctuations of coffee. During the 2000’s when coffee price dropped down some
farmers quitted the program, explicitly because they could not take the risk of low prices. The following graph (3)
reflects international coffee prices from 1984 to 2003. The PES project started in 2009 and it is suppose to be
finish in 2016. Farmers in Suntenjaya only have the ability to grow coffee beans, dry them under the sun and pay
a small amount of money to the leader of the PES group to use a rudimentary machine that peels the first layer of
the bean, subsequently farmers sell them to the intermediary who then process the beans adding value. This means
that when prices drop, farmers who cannot add value to coffee beans like proper pealing and roasting, obtain the
less money from coffee. In this case it is imperative to count with a more active presence of PES implementers to
help farmers how to act in such cases where prices drop or when plants get viruses. In pro-poor PES like the one
intended to be developed in Suntenjaya village requires continuous presence for supervision and training that
helps the poor, to add value to farmers’ products and gain access to the market through different strategies like
cooperatives creations and marketing tools consolidation; and in consequence helps the continuity of the program.
Graph 4: international coffee prices: average yearly for Arabica beans
Source: Bacon, 2005 (Taken from international Coffee Organization)
V. Concluding remarks
For program’s sustainability is imperative to concern how poverty and its risk affects farmers’ livelihood and the
way they develop and continue PES, an issue not much discussed in the literature. Concerning factors influencing
the continuity of PES, important aspects are found on financial assets that encompass income, land size, other side
jobs and livestock. The poorest with less access to previously stated assets seem to be more vulnerable and more
likely to abandon the program in case of crisis. Income and land size mark the biggest different between those
who continue and those who quit the program, constituting essential factor influencing the continuity and
development of PES, even with pro-poor characteristics.
In terms of other social variables their importance is not neglected, however at this stage they seem not to be
statically influential. In the case of social networks, this played an important role in PES adoption, where
leadership and trust were important elements to attract the participation of farmers, however this seems to
diminished it role when regarding the continuity of the program. This might be limited to the development of new
program like PES that needs more realization and understanding from villagers of the area. This does not mean
that social network don not play a fundamental role in other areas as aid during natural disaster and so on.
Other important element influencing the continuity of the program regards the price fluctuation of the main crop
to be adopted, in this case coffee. In order to manage the effects of the latter, it is imperative to count with the
intermediary agency support in implementing PES through supplementary trainings to add value to farmers’
products and gain access to the market through different strategies like cooperatives creations and marketing tools
consolidation, so that farmers can have skills to manage the crisis and not quit right away.
The study intends to offer a view from the livelihood and assets approach, but there are limitations in terms of the
quantification of a wider range of variables. As an ongoing research, the strengthening of this part of the literature
of vulnerability and risk management and the development and matching of qualitative data is still to be achieved.
References
ADB -Asian Development Bank (2007). Indonesia: Integrated Citarum Water Resources Management Project.
Project Number: 37049, Author.
Alayande, B., and Alayande, O. (2004) A quantitative and qualitative assessment of vulnerability
to poverty in Nigeria. Paper submitted for presentation of CSAE Conference on Poverty reduction, Growth
and Human Development in Africa, March, 2004.
Alwang, J., Siegel, P. and Jorgensen, S. (2001). Vulnerability: a view from different disciplines. Social Protection
Discussion Paper Series. World Bank.
Bacon, C. (2005). Confronting the Coffee Crisis: Can Fair Trade, Organic, and Specialty Coffees Reduce SmallScale Farmer Vulnerability in Northern Nicaragua?. World Development Vol. 33, No. 3, pp. 497–511.
Dadzie, N, and De-Graft Acquah, H.(2012) Attitudes Toward Risk and Coping Responses: The Case of Food
Crop Farmers at Agona Duakwa in Agona East District of Ghana. International Journal of Agriculture and
Forestry 2(2): 29-37.
Daily G, Polasky S, Goldstein J, Kareiva P, Mooney H, Pejchar L, Ricketts T, Salzman J, and Shallenberger R.
(2009). Ecosystem services in decision making: time to deliver. The Ecological Society of America 7(1):
21–28.
Hardjono J, Akhmadi N, and Sumarto S. (2010). Poverty and Social Protection in Indonesia. Institute of Southesat
Asian Studies, Singapore and The SMERU Research Institute, Jakarta, Indonesia.
Klasen, S., and Povel, F. (2013).in Klassen, S. and Waibel, H.(ed) Vulnerability to Poverty: Theory, Measuremnt
and Determinants, with Case Studies from Thailand and Vietnam. Palgrave Macmillan, pp 17-49.
Kochar A.(1995) Explaining Household Vulnerability to Idiosyncratic Income Shocks.
The American Economic Review, Vol. 85, No. 2, Papers and Proceedings of the Hundredth and Seventh
Annual Meeting of the American Economic Association Washington, DC, January 6-8, 1995 (May, 1995),
pp. 159-164 Published by: American Economic Association.
LPM Equator (2012). Report on PES Feasibility/Readiness. Contract No. 104.INDO.1MFS.4-1/132/096. Author.
Niehof, A. (2004).The significance of diversification for rural livelihood systems. Food Policy 29: 321–338.
Ravallion M. (1988). Expected Poverty Under Risk-Induced Welfare Variability. The Economic Journal, Vol. 98,
No. 393: 1171-1182.
Rigg, J.(2006) Land, Farming, Livelihoods, and Poverty: Rethinking the Links in the Rural South. World
Development Vol. 34, No. 1, pp. 180–202.
Suryahadi A. and Sumarto S. (2010) Poverty and Vulnerability in Indonesia before and after the economic crisis,
in Hardjono, J., Akhmadi, N., and Sumarto, S. (ed) Poverty and Social Protection in Indonesia. Institute of
Southeast Asian Studies and the SMERU Research Institute, pp36-62.
Tiani A, Besa M, Devisscher T, Pavageau C, Butterfield R, Bharwani S and Bele M. (2015). Assessing current
social vulnerability to climate change: A participatory methodology. Working Paper 169. Bogor, Indonesia:
CIFOR.
World Bank (2000). World Development Report 2000/2001: Attacking Poverty. Oxford University Press, New
York.
World Bank (2008).World Development Report 2008: Agriculture for Development. Washington DC.: The
author.
World Bank (2014).World Development Report 2014: Risk and Opportunity—Managing Risk for Development.
Washington DC.: The author.
Zbinden S and Lee D (2005). Paying for Environmental Services: An Analysis Of Participation in Costa Rica’s
PSA Program. World Development Vol. 33, No. 2, pp. 255–272.
A case study of changing farming-grazing relationship under climate change
○Aitong LI
Maiko SAKAMOTO
The University of Tokyo
The University of Tokyo
E-mail: [email protected]
Keywords: Climate change, state intervention, local adaptation, farming -grazing dynamics
1. Introduction
Some studies indicate increasing impacts of climate change in Inner Mongolia and other arid
regions, arguing that social changes might occur in these places (Dong et al. 2013). Against this
background of regional climate change, we carry out our research in Inner Mongolia, trying to
understand the combined effects of climate change and government intervention on the livelihoods
of local communities as well as various strategies they take to enhance their resilience and
adaptive capacity.
2. Study Sites
2.1 Background
Two villages in Ongniud Banner, a banner of Eastern Inner Mongolia, are selected for case study.
The two villages are about 30 km away from each other. Though located near one another, they are
engaged in different productive activities—one concentrates on farming while the other practices
both farming and grazing. Besides differences in economic activities, the two villages also have
different ethnic compositions. The population of the former village is mainly composed of Han
Chinese, while residents of the latter are mostly Mongolians.
2.2 Climate change and government intervention
In order to understanding climatic situation in this region, we use drought index (SPEI) derived
from SPEIbase, the Global SPEI database that provides information on drought conditions at the
global scale, with a 0.5 degrees spatial resolution and a monthly time resolution, and so far it
covers the period between January 1901 and March 2015. The SPEI is a recently developed
drought index and its calculation is similar to that of
the SPI; it was recommended as an alternative index
to the SPI (Ziese et al. 2014). SPEI value between 0
and -1 indicates a drier-than-normal condition and
SPEI value below -1 suggests the occurrence of
drought. In the Figure 1 of 12-month SPEI, we could
tell that in the past fifteen years, the region was
constantly in a drier condition and has experienced
Figure 1
12-month SPEI
several severe drought events.
Besides the challenges introduced by climate change, harsh regulations over farming and grazing
activities were implemented around the 2000s. Instead of leaving the initiative at the hand of local
communities, the government decided to step ahead and lead the effort of sustainable development.
This marked the beginning of a large-scale, top-down political intervention, including
eco-migration as well as seasonal or total banning of grazing in certain conservation areas.
Unfortunately, those official programs later not only have been proved to exert limited effects on
grassland conservation but also have greatly jeopardized economic foundation of local
communities (Zhang 2008). Among those policies, the grazing ban has greatly affected the
villages being studied, which is also the focus of this research.
3. Data and methodology
In order to understand local adaptation to the new environment induced by both climate change
and state intervention, we adopt both qualitative and quantitative analyses. The quantitative
analysis is mainly based on remote sensing data. Modis data (MOD13Q1) from the year 2000 to
2014 are collected to analyze 15-year vegetation changes on the ground. The Global MOD13Q1
data are provided every 16 days by NASA with 250-meter spatial resolution. The qualitative data
are obtained from semi-structure interviews carried out in two villages in the summer of 2013.
Questions cover basic information of individual household, perceptions of climate changes and
attitudes towards conservation.
For the quantitative analysis, in order to distinguish different vegetation covers and land uses,
phenology analysis is conducted for visualizing and quantifying land-use changes over time. The
basic assumption of phenology analysis is that because “different crops have different rates of
phonological development during the season”, it is possible to separate different vegetation types
by combining spectral information with multitemporal data (Jones and Vaughan 2010, p285). After
phenology analysis, we are able to identify six different types of vegetation, which are then
regrouped into five land-use categories—(1) irrigated farmland, (2) dry farmland, (3)grassland
type I, (4)grassland type II and (5) dessert. The data of grassland type I are derived from
combining two types of vegetation covers and statistically grassland type I has higher NDVI value
than grassland type II. The area of each type of vegetation cover within each village is calculated
across years. We use pixel counts to represent the size, with each pixel equal to 62,500 square
meters on the ground.
4. Results
With the help of remote sensing analysis, we could discern some trends in the two villages. First,
as shown in the Figure 2 and 3 the area of irrigated farmlands has significantly increased in the
farming village while decreased in the semi-grazing village. This might be due to different efforts
the two villages have devoted to manage their irrigated farmlands. The farming village started to
concentrate solely on farming when the national government banned farmers from grazing almost
a decade ago, which is implemented as part of a large -scale grassland conservation project.
Villagers have made more investment in digging deeper wells and paid more efforts in organizing
communal irrigation activities. For the semi-grazing village where villagers practice both farming
and grazing, residents there do not devote all their effort into farmlands. Due to the lack of
investments and social engagement, the area of irrigated farmlands in the semi-grazing village
declines continuously.
We also notice in Figure 2 and 3 changes in grasslands. In terms of areas, grassland type I and type
II show different changing patterns: there is a decrease in the total areas of grassland type I in both
villages; the area of grassland type II does not show a clear changing trend in the farming village,
but it has largely increased in the semi-grazing village. The total areas of different grasslands may
not give us a complete picture. In order to give a detailed understanding of local grassland changes,
we also calculate NDVI peak values (MODIS value) and peak times over years, as shown in the
Figure 4 and 5 We use original vegetation classifications obtained from phenology analysis, in
which grassland type I is presented as two individual grassland types (Class III and Class IV). We
find out that though the NDVI peak value of one grassland type (original Class IV) has shown
signs of declining, the NDVI peak values of the other two (Class II and Class III) have gradually
increased over years. This might illustrate on-going structural transformation of local grasslands,
with
high-NDVI,
low-drought-resistant
communities
replaced
by
low-NDVI,
high-drought-resistant communities. Moreover, the NDVI peak times of all the grasslands are
moving towards early summer season (around June and July), which indicates early maturation of
plant communities as well as their early decline. These changes—shifting to low-NDVI grassland
communities and early decline of grasslands within a one -year cycle—may influence grazing
activities in the semi-grazing village.
Figure 2 Changes in land use in farming village
Figure 4 Changes in NDVI peak values
Figure 3 Changes in land use in semi-grazing village
Figure 5 Changes in NDVI peak times
5. Discussion
The replacement of high NDVI, low-drought-resistant plant communities by low NDVI,
high-drought-resistance plant communities in fact reduce the amount of grass available for
livestock raising in the semi-grazing village. The early decline of plant communities within a
one-year cycle further limit the amount of grass villagers could collect during the middle or late
August as part of traditional winter preparation. In addition to difficulties introduced by climate
change, government intervention—seasonal ban of grazing—prolongs the time of keep livestock
indoors and therefore generates the extra need for fodders. It is against these environmental and
political changes villagers in the semi-grazing village have increasingly felt the pressure of fodder
shortage. In fact, according to interviews in the two villages, people in the semi-grazing village
started to purchase fodder from the nearby farming village almost fifteen years ago, which
consequently increases the interaction between the two villages. The fodders being exchanged are
mainly crop residues after harvesting. The farming-grazing imbalance in the semi-grazing village
is readjusted by the input from the farming village, and therefore it subsequently transformed local
inter-village relationship and resource balance at the inter-village level.
However, the exchanges between the two villages could be based on a vicious cycle, which leads
to the possible depletion of underground water. The agriculture in the farming village is by far
sustained by intensive use of underground-water. Over the past decades, there has been a constant
need of digging new, deeper wells. Without continuous investment made by local entrepreneurship
and regional governments, the farming village cannot maintain the high productivity of its
irrigated farmlands. Increasing costs of well-digging will eventually render irrigated farmlands
unprofitable. If this scenario happens, the decline of agricultural productivity in the farming
village might lead to a sudden ending of the fodder trade and potential socio-economic crisis in
both societies.
Acknowledgement
We want to thank Professor Masao Moriyama from Nagasaki University for his assistance in
remote sensing analysis.
References.
1. Dong, J., Liu, J., Zhang, G., Basara, J. B., Greene, S., & Xiao, X. (2013). Climate change
affecting temperature and aridity zones: a case study in Eastern Inner Mongolia, China from
1960–2008. Theoretical and applied climatology, 113(3-4), 561-572.
2. Jones, H. G., and Vaughan, R.A. (2010). Remote sensing of vegetation: principles, techniques,
and applications. Oxford university press.
3. Ziese, M., Schneider, U., Meyer-Christoffer, A., Schamm, K., Vido, J., Finger, P., Bissolli, P.,
Pietzsch, S., Becker, A. (2014). The GPCC Drought Index – a new, combined and gridded
global drought index. Earth System Science Data 6(2): 285-295.
4. Zhang, W., (2008). One environmental-anthropology study on the problem of grassland
desertification. Society 4(28): 187-205(in Chinese).