女 性 活 躍 推 進 法 が 施 行 さ れ ま す

第593号
昭和女子大学
(三四一一)五一一八
東京都世田谷区太子堂
〒154-8533
03
今月の昭和学報は
日本青年中国派遣団の一員として中国へ …………(2)
国際井上 舞さん
管理的職業従事者
就業者
47.3
47.6
11.0
11.3
36.4
34.7
28.6
33.8
39.2
34.2
32.2
46.1
46.3
47.0
43.7
39.4
21.5
(%)
50
45
40
35
30
25
20
15
10
5
0
43.0
47.6
35.5
45.7
44.2
41.7
47.6
出典)内閣府男女共同参画局『平成27年版男女共同参画白書』
就業者及び管理的職業従事者に占める女性割合
水泳部 水上真衣さん・森下友紀さん
2015ジャパン パラ 水 泳 競 技 大 会で優 勝
11
12
12
女 性 活 躍 推 進 法 が 施 行 されます
職員に聞く!キャリア支援センター編 ……………(3)
九月五・六日、東京辰 全国から二六〇名を超え で、来年開催のパラリン
編集発行人 山崎洋史
ENVOワークキャンプ ……………………(4)
巳国際水泳場で「IPC る選手が参加する国内有 ピック出場への道も拓け
国 際 パ ラ リ ン ピ ッ ク 委 数の競技大会であり、I る重要な大会である。
(
ジャパン P C 公 認 大 会 と な る た 本学水泳部にも所属す
的地位に女性が占める割 を選んだ人が四五・七% 員会 公)認
二 〇一六 年 四 月一日 か ら
2015
パラ水泳競技大会」が開 め、リオパラリンピック る福祉社会学科の水上真
合を三〇%にする」とい でした。
う 目 標 ( 「202030」
の目標 )
」 長期勤続を雇用慣行と 催された。この大会は、 標準記録を突破すること 衣さんと森下友紀さんが
出場し、それぞれ好
を定めましたが、目標年 する日本の企業社会では、
キャリア支援部長 森
ます美
成績を収めた。
ま
で
余
す
と
こ
ろ
五
年
余
り
中
断
再
就
職
後
の
女
性
の
多
水上さんは、五〇
去る八月二八日に「女 析する。◆その結果を踏 障・人口問題研究所の調 となった現在でも、例え くが非正規のパート就労
mフリーで優勝。森
性の職業生活における活 まえて、女性の活躍に向 査によれば、第一子出産 ば、民間企業の管理職に を余儀なくされているの
下さんは百mバタフ
躍 の 推 進 に 関 す る 法 律 けた「行動計画」の策定 後に六割余りの女性が仕 占める女性比率は一一・ は周知のところです。こ
数値目標 や
ライで優勝、二百m
( 女 性 活 躍 推 進 法 ) 」が
(「
」 取
「 組 内 容 」 等 事を辞めており、この割 三 % ( 二 〇 一 四 年 )に と ど の現状を直視するならば、
個人メドレーで二位
制定されましたが、学生 を 盛 り 込 む 、) 都 道 府 県 労 合は一九八五~二〇〇九 まり、諸外国と比較して 女性が職業能力を伸ばし、
となり、二人が同じ
の皆さんはご存知でしょ 働局への届出、雇用者へ 年まで変化が見られませ その低さは際立っていま 職場の正規メンバーとし
チームで出場した四
うか。
の周知、外部への公表と、ん。
す (図参照)。
て活躍するためには出
百mフリーリレーで
この法律は、女性の職 ◆自社の女性活躍に関す また日本政府は、遡る ところで女子学生の皆 産・子育て期を通した就
も優勝を飾った。二
業生活における活躍を推 る 情 報 ( ① ~ ④ 及 び 任 意 項 こと二〇〇三年に、「二 さんにとって、「女性が 業の継続が求められます。
人の今後の活躍に期
進するために、事業主等 目 )の 公 表 が 求 め ら れ ま 〇二〇年までに社会のあ 職業生活で活躍する」と さらに、女性が活躍で
メダルを授与される森下さん
待したい。
らゆる分野において指導 いうのはどんなイメージ きる働きやすい職場環境 歓声に応える水上さん
の 責 務 並び に 支 援 措 置 等 す 。
について定めることによ 企業による女性の活躍
でしょうか。 をつくるためには、企業
り、男女の人権が尊重さ 状 況 の「 情 報 公 開 」と「 行
本学女性文 の 中 で 相 当 数 の 女 性 が
光
葉
博
物
館
秋
の
特
別
展
マレーシア
/7(土)〜 / (土)
れ 、 社 会 経 済 情 勢 の 変 化 動 計 画 」 の 公 表は 画 期 的
化 研 究 所が 二 「 指 導 的 地 位 = 管 理 職 」
「くらしを支えてきた漆」
に対応できる豊かで活力 なことです。しかし、見
〇一五年二月 に就いて経営の意思決定
フィリピン
ある社会を実現すること 方を変えれば、法によっ
に、本学三年 に参画することが重要と 日本で生活の中に漆が 漆は、ウルシの木から採 いの漆器を収集してきた。
韓国
を目的としています。
て強制されなければ変化
生を対象に行 なります。しかし、前述 取り入れられたのは、縄 取される樹液である。目 本展では、掻き採りか
法 の 目 玉は 、 来 年 四 月 しな い 日 本 社 会 の 現 状 の
った調査によ の 調 査 に よ れ ば 、 将 来 文時代早期とされている。止剤、接着剤、防錆剤、 ら製品作りまでを概観し、
シンガポール
塗料等として、広 近年まで使われていた身
の施行と同時に、雇用者 反映とも言えます。
れば、将来の 「管理職に就き、組織を
く活用されてきた。近な漆器を中心に展示す
数三〇一人以上の企業と、 二〇一五年の経済協力
ライフコース 動かしたい (」そう思う八・
オーストラリア
現代生活において、る。また、本学の「漆」
雇用主としての国や自治 開 発 機 構 (
)の 報 告
と し て 、 結 三 % )と い う キ ャ リ ア デ
OECD
ドイツ
最も身近な漆は味 に対する取り組みとして、
体に、女性の活躍推進に によれば、日本の二五~
婚
・
出
産
後
も
ザ
イ
ン
を
描
く
人
は
少
数
で
噌汁椀であるが、 管理栄養学科から日常の
向け た 「 行 動 計 画 」 の 公 五 四 歳 の 女 性 の 就 業 率 は
仕事を継続す した。この背景には、男
イギリス
その椀も合成樹脂 食事に漆器を活かす食文
表が義務付けられること 七一・八%で加盟三四ヵ
る「両立コー 性管理職にまつわる長時
で作られた品が多 化を、環境デザイン学科
です (三〇〇人以下の事業主 国の中で二四位と低く、
ス」を選択し 間労働やハードワークへ
ア
メ
リ
カ
くな り 、 漆 工 品 に か ら 漆 工 品 の 現 代 生 活 へ
は努力義務)。
トップのスウェーデン
た人が四三・ の拒否感があるのでしょ
ノルウェー
出会うことは稀な の活用法の研究も併せて
具体的には、事業主は、( 八 二 ・ 八 % )と の 差 は 一
二%、結婚・ う。こうした状況を変革
状況になっている。紹介する。日本文化の基
◆自社の①採用者に占め 一ポイントにのぼってい
出産を機にい し、将来、皆さん自身が、
スウェーデン
当館では、浄法 層を担う「漆文化」につ
る女性比率、②勤続年数 ます。この要因は、日本
ったん退職し、「女性活躍」の担い手と
フランス
寺漆掻きや輪島漆 いて再認識し、日常生活
の 男 女 差 、 ③ 男 女 の労 働 の 女 性が 二 〇 ~ 三 〇 歳 代
子 育 て 後 に な る た め には 、 女 性 活 躍
器の関連要具を中 の中で「漆を愉しむ」き
時間の状況、④管理職に で出産を機に退職するこ
「フルタイム 推進法を目一杯活用して、
日本
心に、日本の漆文 っかけとなれば幸いであ
占める女性比率について とが多いためと指摘され
ま たは パー ト ま ず は 「 活 躍 で き る 企
化にまつわる技術 る。
必ず把握し、女性社員の ています。
タイムでの再 業」を選択しましょう!
(光葉博物館 )
的な道具や日常使
沈金鯛形盛器
置かれた状況の課題を分 実 際 に 、 国 立 社 会 保
就 職コ ー ス 」
も(り ますみ ) 輪島塗 (昭和女子大学発行)
報
学
和
昭
平成27年11月1日
(1)
学友会執行部による献花
回が初めてのインターン
シップ受入れだった。イ
ベント運営にとても興味
があったこと、ボストン
の留学経験で得た語学力
を活かせるサービス業を
体験してみたかったこと
が応募の理由だ。
実際に携
わったのは
東日本旅客
鉄道株式会
社が主催す
る 「 第九 回
U I C世 界
高速鉄道会
議」という
国際会議。
会場として
使われた東
小野 茂先生
元 英米文学専攻 教授
清水 薫先生
元 生活美学科 教授
瀧澤 正彦先生
元 英米文学専攻 教授
高橋 良雄先生
名誉教授、
元 国文学科長
慕の念とともに、学園創
先哲の慰霊祭
立当初を思い、学園発展
一〇月五日、先哲之碑 の精進を誓い合った。
の 前 に 代 表学 生 ・ 生 徒 ・ 本 年 新 た に 先 哲 之 碑 に
児童・園児と教職員が参 お祀り申し上げた先生方
列し、慰霊祭が行われた。は以下の通りである。
逝去された先生方のご紹
介、理 事長講和、献花等 ◆平 成二六年七月一日か
に続き黙祷が捧げられた。ら翌二七年六月三〇日に
亡くなられた恩師への追 逝去された教員、または
未合祀の教員(非常勤・
退職者を含む)
英語で誘導する信澤さん
私が お 世 話 にな っ た 企
業は、コンベンションや
展示会、観光文化施設の
運 営 な ど を 手 掛 けて い る
株式会社コングレで、今
◆株式会社コングレ
(2)
(昭和女子大学発行)
報
学
和
昭
平成27年11月1日
第593号
京 国 際 フ ォ ーラ ム の よ う
な収容人数の多い場所
や、VIP対応が必要と
なる国際会議では、誘導
が非常に重要となる。そ
の た め 、 開 催 期 間 中は 毎
朝 、 会 場 ・ 動 線 ・ シ フト
の 確 認 から 仕 事が 始 ま っ
た。初日は緊張のあま
り、英語での誘導指示を
上手く出すことができな
かったが、次第に落ち着
いてできるようになり、
会話も楽しむことができ
る よう にな っ た 。 ただ 、
目上の方への英語での話
し 方 には 、 まだ まだ 不 十
分だと 感じ た 。 五 日 間 の
インターンシップを通じ
て 学 ん だこ と を 今 後 に し
っかりと活かしていきた
い。
英(コミ 信澤亜澄
国際 井上 舞さん
材が使われていることが
分かってくると興味がわ
き、商品知識や業界理解
を深めることができた。
働く方々との出会いを通
じ、自己の成長を実感し
で、浙江省杭州へと向
か っ た 。 アリ バ バ グ ル ー
プや浙江衛星放送テレビ
局 の 視 察 ・ 浙 江 工 業 大学
との交流などを行った。
本事業を通して、個人
で は 訪 問が 難 し い 場 所 に
行くことができ、会えな
い人に会い貴重なお話を
聞き、多くを学ぶことが
できた。中国の方との交
流では、初めは互いの相
違点を探していた。しか
し互いの友愛を深めるに
は、互いの共通点を探す
こ と が 重 要だと 気 付 か さ
れた。この事業で得た多
くの気付き・繋がりを大
切 に 、 今 後 の学 生 生 活 ・
人生にまい進していきた
い。
国(際 井上 舞
)
ア サヒ ビー ル の 茨 城 工 場
を見学し、集めた情報を
もとに、他のビールメー
カーの製品と比較する試
飲や、広告キャラクター
の福山雅治さんとのコラ
ボ等を企画に盛り込ん
だ。今回のインターンシ
ップで学んだことを今後
に活かしていきたい。
ビ
( ジネス 反中千仁 )
ている。お忙しい中この プレゼンをする反中さん(左)
ような貴重な体験をさせ
て い た だき 、 社 員 の 皆 さ
まに心から感謝を申し上
げたい。
福
(祉 熊谷美咲 )
いての講義を受けた。広
告制作には実に様々な部
門の方が関わっているこ
とを知り、広告業界につ
いて理解を深めることが
できた。最終日には「若
い人に、ビール工場にき
てもらって、ビールを好
きになってもらうに
は?」というテーマで、
会社の幹部の方々の前で
プレ ゼン テー シ ョンを 行
った。ビール工場の現状
を把握するため、事前に
◆株式会社中央アド新社
六〇年以上の歴史があ
り、アサヒビールなどの
広告制作にも携わる中央
アド新社で五日間のイン
ターンシップを経験し
た。同社は博報堂グルー
プに属し、本学現代ビジ
ネス研究所の特別研究員
で ある古田土俊男会長の
紹介で実現したもの。私
を 含 め 本学 か ら 三 名 が 参
加し、初めに社員の方か
ら 広「告とは何か に」つい
てや、制作プロセスにつ
行が規制され、すっきり
とした青空が私たちを迎
えてくれた。北京では、
北京市 内視察・在中国日
本国大使館や商務部表敬
訪問・KAB青年就職企
業センター視察・座談交
流など 幅 広 い 内 容 の 活 動
を 行った。その後高速鉄
道で、山西省太原に向
かった。太原では、太原
市 電 子 ビ ジ ネ ス 産 業 パー
ク 視 察 ・ ホー ム ス テ イな
ど を 行 っ た 。 ホー ム ス テ
イでは、中国流の厚いお
もてなしを受け、短い時
間であったが、親密な交
流ができた。都市にはな
い人の温かみを感じる場
面が多く、現地の方と温
かな交流を結べたことが
心に残る。その後飛行機
日 から 、 二 日 間 の 出 発 前
研修を行い、翌二二日に
中国へ出発。北京・山西
省太原・浙江省杭州を視
中国で有名な友情の歌を中国語で披露した 察し、九月二日に
帰国した。その後
二日間の事後研修
を行った。
事前研修では、
日本青年の代表と
しての心構えや、
中国文化を学ぶな
ど、多岐にわたっ
て準備を進めた。
自主研修期間に
は、担当する係の
準備をした。私は
日本文化紹介係を
担当し、様々な場
面で日本文化を紹
介できるよう準備
した。
初 め の 訪 問 先は 、 首 都
北京である。世界陸上大
会や軍事パレードに伴
い、工場の稼働や車両通
う人口大理石を取
◆株式会社エービーシー商会
り扱う部署で総合
事務を経験した。
建築資材やファッショ 同社のインターンシップ
ン イ ン テ リ ア 資 材 の 卸 は 「 実 務 実 践 」 が モ ット
売 、 輸 出 入 お よび 建 築 工 ー 。 電 話 対 応 、 商 品 サ ン
事を行っている株式会社 プル手配、発注作業、デ
エー ビー シ ー 商 会 の イン ー タ 入 力 な ど 、 社 員 の 方
ターンシップに参加し、 が実際に行う業務を体験
デュポンコーリアンとい した。
電話対応では、当
初、何度も聞き直して
しまったり、取り次ぎ
や伝言が上手くできな
かったりしたが、社員
の方々の助けを借り、
徐々に対応にも慣れ
て、きちんとできるよ
うになった。また、建
築業界はこれまで馴染
みがなかったが、私た
ちが良く知る身近なお
店などで同社の取扱資
) 電話対応をする熊谷さん(手前)
日本青年中国派遣団の一員として中国へ
この夏、内閣府が主催 中国派遣団の一員として
する、日本・中国青年親 参加した。
善 交 流 事 業 に 、 日 本 青 年 本 事 業は 、 一 九 七 八 年
に締結された日中平和友
好条約締結を記念して始
まり、本年度で三七回目
と な る。日中青年の相互
理解と友好を深めること
を目的としている。派遣
団は 、 団 長 一 名 ・ 副 団 長
二名・渉外二名・団員二
五名で構成される。五月
末から団員選考として小
論 文 ・ 筆 記 試 験 ・ 面 接が
行われ、七月には最終選
考を兼ねた一週間の事前
研修が行われた。団員決
定 後 、 約 一ヵ 月 の 自 主 研
修期間を経て、八月二〇
歴文
「地理台湾エクスカーション」研修に参加して
湾 原 住 民 博 物 館など 台 湾
の歴史文化に触れる場所
や 、 朝 市 、 夜 市 、 スー パ
ー、コンビニにも足を運
び、生活の一端にも触れ
ることができた。
台 湾 は 、 そ の 地 理 的な
近 さも あ り 、 日 本 人 に 人
気の観光地の一つであ
る。日本語を話せる人も
多 く 、 日 本 語 表 記も 充 実
するなど、親日の空気を
強く感じた。折々「こん
ありがとう 」「
す
にちは 」「
みません」などの挨拶を
耳にし、海外で聞く日本
語に、ほっとすることも
多 か っ た 。 日 本 人 には 日
本語で、これも「おもて
な し 」 の 心 に 相 違な い 。
就活の頼もしい味方キャリア支援センターの皆さん
先生の研究室訪問
横 塚 昌 子 先 生
管理栄養学科教授
食べることは生きること
)
個別面談用の部屋
飯田次長は「社会人と
は、人のために働き、対
価を受け、自立していく
ことだ」と話す。自分の
将来のイメージを明確に
描くのは難しいかもしれ
な い 。 社 会 人メ ン タ ー 制
度や仕事を知るシリーズ
などのキャリア支援の
様々なプログラムに参加
したり、センターに何度
も足を運ぶなど、積極的
に活用し、多くの情報を
得ることが「働く」イメ
ージをはっきりと描くき
っ かけ と な る は ず だ 。 繰
り返しになってしまう
が 、 まず は キ ャ リ ア 支 援
センターに行ってみてほ
しい。
学(報委員 泉夏歩・
打越有香
今回の研究室訪問では、ーモアが光る。一般教養
管理栄養学科の教授であ 科目では食に関する基礎
る横塚昌子先生をお訪ね 知識を学ぶことができる
した。先生は、本学のご 「栄養科学」を担当され
出身で、私たちの先輩で ているが、健康デザイン
学 科 、 管 理 栄養 学 科 以 外
もある。
日ごろから明るく、フ の学生との交流は少ない
レンドリーな横塚先生。 そうだ。この研究室訪問
授業では、学生を飽きさ で、横塚先生の魅力を多
せない巧みな話術と、ユ くの学生に知ってもらい
たいと思う。
教えることに興味があ
っ た 先 生 は 、 本学 の 家 政
学 部 生 活 科学 科 食 物学 専
攻で教職を取得され、卒
業後は助手として学園に
留まり、現在に至る。
ご専門は栄養学で メ
「
私たちも「ニーハオ」
「謝謝」など、訪れた地
の挨拶や感謝の言葉を声
に出して相手に伝えてい
きたいと思う。
ま た 、 日 本 の 存 在が 強
く感じられたことも驚き
で あ っ た 。 特 にコ ン ビ ニ
で は 、 商 品 の 多 くが 日 本
からの輸入品という店も
あった。以前、ハワイで
日 本 の 外 食 チ ェー ン が 、
大人気というニュースを
見 た 。 世 界 的な 日 本 食 ブ
ームが後押ししているこ
と も あ るだ ろ う が 、 製 品
に対する信頼度の高さも
人々の心を掴んでいるの
かもしれない。海外で、
日本の誇るべき点を多く
見つけられたことが嬉し
かった。
歴(文 野沢春佳
就活が始まっていない学
生も 、 まず は 気 軽 に 相 談
し、わからないことや不
安感を放置しないことが
大事だ。
就 活 生が 特 に 気 にな る
面 接 練 習は 、 申 込 時 に 志
望企業名を伝えると、そ
の企業にあった模擬面接
を実施してもらえる。セ
ン タ ー 内 には 面 接 用 ブー
スがあり、周囲を気にせ
ずじっくりと練習に取り
組める環境が整ってい
る。
タボ や
」 痩
「せ と
」 い わ れ に刻んでおきたい言葉だ に与えられた時間を見知
る人たちに、食育による と思う。
らぬ誰かに売っていると
食事改善を行い、それが 研究以外についてもお いうこと。あまり実感は
健康な身体にどのように 聞きしたいと思い、趣味 な い か も し れ な い け れ
つながるのかを研究され を お 尋 ね す る と 、 趣
「 味 ど 、 自 由な 時 間が 沢 山 あ
ている。食において大切 と呼べるものはないけれ るのは学生の内だけ。時
なのは、バランスと量な ど、何にでも興味を持つ 間と体力のある間に、で
のだそうだ。これを上手 ことと、歩くことが好き。きること、やりたいこと
く保っていれば、特別な 大学生時代には友人と富 を 見 つ け る と 良 い と 思
ことをする必要はないそ 士山に登ったこともある。う。勉強も遊びも後悔の
うだ。そうはいっても、 学生だから時間と体力は ないように過ごして欲し
この二つをきちんと保つ あったし、富士山にも興 い。
ことは難しい。食事の量 味があった」とのお答え 今回のインタビューで、
が多い人はどうしたら減 だった。
健 康な 食 生 活 は 、 自 分 次
らしてくれるのか、ある
そして、私たちにアド 第であることを改めて感
いは量が少ない人はどう バイスをお願いした。す じた。一般教養として履
したら食べてくれるのか、ると先生は次のように話 修できるので、ぜひ学ん
食育の指導で意識に変化 して下さった。
で ほ し い 。 ま た 、学 生 の
があるかどうかを調査さ 学生の内にしかできな 内にできることを考え、
れている。先生の授業で いことを積極的にした方 後悔のないように日々を
も 、 食 べ る こ と は 生 き が良い。アルバイトも大 過ごしていきたい。
「
ること と
学(報委員 大和田依里
」 いう言葉をよ 切 な こ と か も し れ な い
く耳にする。きちんと心 が、アルバイトは、自分
関野麻友 )
セ ー ジも あ り 、 昭 和 ボ ス
トンが現地で歓迎されて
いる様子も伝わってくる。
私たちは後期から昭和
ボストンで留学生活をス
タ ー ト さ せ る 。学 報 記 事
を改めて読み返し、約三
〇 年 も 前 から グ ロ ー バ ル
な視点を持つことが期待
されていたことが分かり、
ボストンで学ぶことがよ
り 楽 し み にな っ た 。 二 七
年の時の重みを感じると
と も に 、 期 待 に 応え ら れ
るよう努力したい。
最後に、人見楠郎先生
のメッセージ モ
「 ス・ヒ
ル宣言」を再掲する。
・ (学報委員 内山佳奈
松下千夏)
学報アーカイブ
昭和六三年四月の昭和
学 報 の 一 面 に 『 モ ス ・ヒ
ルという希望の丘 ボス
ト ン 昭 和 女 子 大学 の 開 幕
』というタイトルで当
時学長であった人見楠郎
先生が書かれた記事が掲
載されている。
間
「 もなく創立七十周
年を迎えるという昭和六
十三年四月に、全学園の
期待を担った英文系研修
団 百 二 十 六 名が 東 京キ ャ
ンパスを飛び立ち、早く
も 三 日 から ボ スト ン ・ キ
ャンパスの生活を開始す
ることになった」という
書き出しの記事には、ボ
ストン市長レイモンド
)L・フリン氏からのメッ
Standing on this rise, Moss Hill,
モス・ヒルという名のこの丘に
we have a view of the wide world.
立って、広い世界を見渡し、こ
On this hill,
の丘でアメリカを学び、この丘
we will learn about this land, America.
で日本の未来を探り、この丘で
On this hill,
東洋と西洋、日本と世界の新し
we will strive for the future of Japan.
い融合点を発見するような人材
On this hill,
となり、進んで人類の向上発展
we will use our human potential
に貢献する女性となりなさい。
to join East and West, Japan and the world.
1988年4月3日 Become women who dedicate yourselves gladly
ボストン昭和女子大学長
to the progress of mankind.
人見楠郎
九 月 二 日 から 三 泊 四 日
で 、 歴 史 文 化学 科 の 台 湾
研 修 旅 行 に 参 加 し た 。学
生一七名と引率教員二名
が 、 ま さ に 歴 文 の モ ット
ーのように「手で考え、
足で見る」を実践する研
修となった。見学先は台
湾観光で有名な九份や龍
山寺、故宮博物館をはじ
め、蘭陽博物館、順益台
職 員に聞 く!
キャリア支 援 セ ンタ ー 編
し 敷 居 が 高 い よ う に 見え
るが、もちろん利用可能
だ。履歴書の添削や面接
練 習 な ど 実 践 的な 内 容 は
もちろん、「就活に向け
て何をしたらいいのかわ
からない」という漠然と
し た 相 談 も 受 け 付 けて お
り、親身になって対応し
てくれるのが魅力だ。
急な相談やちょっとし
た質問は、その場でセン
ターを訪ねて解決するこ
ともできるが、じっくり
話 し た い 方 には 事 前 予 約
がおすすめだ。予約は大
学 サ イト 内 の 「 求 人 N A
VI」から一回五〇分で
受け付けており、職員や
キャリアカウンセラーの
方と個別相談ができる。
相 談 用 の ブー スも あ り 、
|
衛兵交代で有名な忠烈祠にて大谷津先生と
「知 ら な い こ と を そ の
ままにせず、まずはキャ
リア支援センターに足を
運び相談して欲しい!」
お話をお聞きしたキャリ
ア支援センターの飯田浩
久次長は力強く話す。
大学 一 号 館学 生 ・ 教 育
支援センター前の階段を
あが っ た 円 形 ホー ル の 二
階にキャリア支援センタ
ーは ある。利用者の多く
は、就職活動を控えた三
年生の後半から四年生で
あ り 、 一 ・ 二 年 生 には 少
お話をお聞きした飯田次長
|
第593号
(昭和女子大学発行)
報
学
和
昭
平成27年11月1日
(3)
歴文菊池ゼミ
発 表 、 三 大学 の 教 員 が コ
メントをする。今年で二
回目の開催であり、九月
一 〇 日 に 約 四 〇 名が 参 加
しハノイで実施された。
私は、アジアに伝播す
る媽祖信仰の日本でのあ
り方について発表した。
英語での発表に不安もあ
国際三大学セミナーに参加して
紙ランタン作り
砂浜清掃
地域イベントでの協力
最終報告会
2016年
DREAM手帳は
4月に配布します!
!!
11月 4日(水)【女教】漆 紫穂子氏「28歳の私、48歳の私、そして」(15:30)
11月 7日(土) 第39回メンターカフェ「公務員として働く!(自治体・教育)(13:30)
11月 8日(日) 指定校制・公募制・光葉同窓会推薦入学試験
11月 9日(月) 墓前祭(11:00)
11月11日(水)【女教】竹下佳江氏「短所を武器に~夢をかなえるヒント~」(15:30)
11月13日(金) 秋桜祭準備(一日休講)
11月14日(土) 秋桜祭
11月15日(日) 秋桜祭
11月16日(月) 秋桜祭片付け(一日休講)
11月17日(火)【文研】松山バレエ団「くるみ割り人形」(18:15)
11月18日(水)【女教】肥塚見春氏「リーダーとして活躍するために
~キャリアの軌跡と学んだ術の生かし方~」(15:30)
11月19日(木) 第56回メンターフェア(11:45)
学内合同企業説明会(平成28年3月卒業予定者対象)(12:30)
11月24日(火)【文研】ロシオ・モリーナ舞踊団(18:15)
11月25日(水)【女教】岸 博幸氏「日本経済の本当の問題点
~若い世代はどのように自己防衛すべきか~」(15:30)
11月27日(金) 第57回メンターフェア(11:45)
11月28日(土) インターンシップ報告会(13:00)
「君、ベトナムで卒業
論文の内容を発表しない
か。英語で!」と、卒論
指 導 の 菊 池 先 生 から お 話
があった際、驚きつつも
私は二つ返事で頷いた。
セミナーでは、ハノイ国
家 大学 と 台 湾 大学 、 本学
菊 池 ゼ ミ の 院 生 ・学 生 が
作をしてもらい、夏休み
ったため、国際交流セン
輝け☆健康「美」プロジェクト
もうすぐ秋桜 祭
中に話し合いと試作を繰
タ ー の ア シ ュリ ー 先 生 に
パ
ン
チ
ー
ム
が
世
田
谷
パ
ン
祭
り
に
参
加
り返し完成品とした。シ
ご 指 導 い ただ い た 。 ま た
坂東眞理子学長から「何 管理栄養学科、健康デ 回 は、三 軒 茶 屋 の「ブ ー マパンさんの奥様は、本 第二三回秋桜祭が、一 体の準備も着々と進んで
度 も 読 み こ む こ と が 大 ザ イ ン 学 科 で 展 開 中 の ラ ン ジ ュ リ シ マ」さ ん 学の卒業生。思わぬとこ 一月一四・一五日(土・ おり、学園祭を支える一
「おにぎり ろで先輩、後輩の絆が深 日)に開催される。今年 二七名の秋桜祭実行委員
切」というご助言をいた 〝輝 け☆健 康「美」プ ロ とのコラボで、
「ペッパー香るきの まった。パン生地の食塩 は、例年よりも一週間遅 も開催に向け、活動に奔
だき、繰り返し練習した。ジェクト〟のパン開発チ パン」
「まるで焼き芋パ 量によって具材の味の感 い開催となるが、参加団 走している。
当日は、ベトナムの民 ー ム は、一〇月 三 日、四 こパン」
族衣装に身を包み、緊張 日に開催された「世田谷 ン」の 三 種 を 販 売 し た。 じ方が変わってしまうな
多くの学生が
しながらも無事発表でき パ ン 祭 り」に 出 店 し た。 パンチームの学生が考え ど、実際に体験しないと
秋桜祭に参加す
た。ハノイ国家大学のラ 今年で四年目になる。今 たコンセプトをもとに試 分からないことをたくさ
ることで、今年
ん教えていただいた。
ン先生からベトナムでの
のテーマである
会場では世田谷区長か
媽 祖 信 仰 の あ り 方が 発 表
昭和らしい「彩
ら励ましの言葉をいただ
され、ベトナムにおける
(いろどり)」が
い た り、「美 味 し か っ た
媽祖信仰の実態がわかり、
完成すると思う。
から」と再来店してくだ
日本のそれと比較するう
ぜひ、友人やご
さるお客様もいて、学生
えで大きな収穫となった。
家族と誘い合わ
たちの疲れも吹き飛んだ。
質疑応答では、英語、ベ
せ、一人でも多
二日目の日曜日は、二時
トナ ム 語 、 中 国 語 、 日 本
く の 方に 秋 桜 祭
に 商 品 が 完 売 す る な ど、
語 が 飛 び 交 う に ぎや か な
にお越しいただ
好評だった。ご協力いた
セミナーとなり、大きな
きたいと思う。
だいた皆様に感謝する。
刺激を受けた。
秋
(桜祭実行委員長
(健康 教授 秋山久美子 ) 第二三回秋桜祭実行委員会幹部
(歴文 大川千夏)
井田夏実 )
活動を行うことが、現地 ベントを企画している。
の固定的なイメ
E N V Oワ ー ク キャン プ
への支援になっているこ これからも女川町と繋が
ージを払拭し、
◆ 東日本大震災被災地の人びとに学ぶ女川ワークキャンプ
と
も
感
じ
ら
れ
た
。
り
を
も
っ
て
活
動
を
続
け
て
未来の可能性を
九月一三~一七日の五 との交流、図書館見学な 現在、学内で被災地支 いきたい。
広げることがで
日間、宮城県女川町を訪 どを行った。今回町民の 援のための紙ランタンイ E(NVO 井戸川春美 )
きた。この素敵
れ た 。 女 川 町 は 、 「 復 方との交流活動が多く、
な出会いを大切
◆ 伊那の谷・風の学校ボランティアワークキャンプ
幸 」 に 向 け て 町 全 体 で 参加学生も楽しく活動す
にして、今後も
様々な活動に取り組んで ることができた。制作し 伊那ワークキャンプで 視点で伊那の魅力を学ん
繋がりを深めて
いる。今年で五回目とな た紙ランタンを灯すイベ は、「伊那と世田谷をつ だ。地元の人とのふれあ 様々な人が多様な生き いきたい。
るワークキャンプでは、 ントでは、美しくランタ なぐ」を目標に、九月二 いや街歩き、食・農・文 方をしている伊那の人々 E(NVO
鳴り砂浜の清掃や、紙ラ ンが輝く光景に感動を覚 四~二八日の五日間、一 化のテーマごとにフィー と接し、私たちは将来へ
加藤千尋 )
ンタン作り、子どもたち えると共に、達成感も得 七名の参加者が、各々の ルドワーク・ホームステ
イを通して伊那の魅力を
ることができた。私たち
体感し、そこで得た気づ
若い世代が被災地を訪れ、
きや学びを、KJ法を用
いたプロデュース会議で
まとめた。五日目には最
終報告会を行い、伊那の
魅力を伝えるためにでき
ることを、ディスカッ
ションを通して企画・提
案した。
行 事 予 定
(4)
(昭和女子大学発行)
報
学
和
昭
平成27年11月1日
第593号