コーパス言語学入門

コーパス言語学入門
翻訳は、ある言語で表現された文を他の言語に移し
変えて表すことであり、起点言語のみならず、目標言
語の語彙、文法及び表現法などにも制限されている。
訳者は目標言語の表現規範を守らなければならなず、
また作品の元の特徴をすべて抹殺するわけにも行かな
い。したがって、翻訳テキストにおける言葉遣いは常
にオリジナル作品と異なり、各次元でその特異性が観
察される。
以下、オリジナル小説と翻訳小説の語彙構成及び言
葉遣いを比較し、その違いを突き止め、翻訳テキスト
の特異性を観察したい。
中日対訳コーパスに収められた作品は次のとおりで
ある。本稿はその中の小説を研究の素材にする。
中国語素材
小説
原文
訳文
原文
訳文
合計
(万字)
287
224
244
422
1177
16
18
23
30
9
11
16
20
0.78
1
エッセー
伝記
105
詩歌
政論
日本語素材
132
法律
34
157
315
20
205
373
1.78
その他
5
36
45
7
93
小計
529
324.78
369
791
2013.78
形態素解析ソフトを使い、中日対訳コーパスに収め
られたオリジナル小説と翻訳小説の語彙構成を統計
し、表1を得た。
表1 オリジナル小説と翻訳小説の語彙構成
名詞 動詞 修飾語 MVR 代名詞 文長 自立語 助動詞
オリジナル 22.78 14.38 7.31 51.12 2.89 9.85 52.34 11.92
翻訳
23.38 14.42 7.17 49.88 3.24 8.25 53.24 10.76
60
40
20
0
名词比
动词比
修饰词比
MVR
原创小说
代词比
翻译小说
句长
自立词比
助动词比
毛(2012)は日本語母国語話者コーパスを利用し、
会話、小説と論説文の語彙構成を分析し、その特徴を
突き止めた(表2)。表1と照り合わせてわかるよう
に、翻訳テキストは、オリジナルテキストと比べ、よ
り要約的で文章語に近い特徴が見られる。
表1 オリジナル小説と翻訳小説の語彙構成
名詞 動詞 修飾語 MVR 代名詞 文長 自立語 助動詞
オリジナル 22.78 14.38 7.31 51.12 2.89 9.85 52.34 11.92
翻訳
23.38 14.42 7.17 49.88 3.24 8.25 53.24 10.76
表2 文体別テキストの語彙構成特徴
名詞%
動詞%
修飾語%
MVR
代名詞%
会話
小説
論説
低
中
高
中
高
低
高
中
低
高
低
中
高
中
低
文長
短
中
長
(1)来人一边回答,一边躲避着耀眼的车灯。(《轮椅上
的梦》张海迪)/その人は答えながら、ヘッドランプから顔
をそむけた。(『車椅子の上の夢』飯塚陽訳)
(2)山里受苦去的人们扛着老镢,扛着锄,扛着弯曲的木
犁,站在村头高高的土崖上远远地望着我。(《插队的故
事》史铁生)/山へ仕事に行く人々が鍬や鋤や曲がった木製
の鋤を肩に担ぎ、村外れの崖の上に立って遠くから私を見
ていた。(『遥かなる大地』山口守訳)
(3)这里鸟不躲人,因为人不伤害鸟。为什么我们那么不
注意保护鸟呢?(《活动变人形》王蒙)/ここの小鳥は人間
を恐れない。人間が傷つけないからである。中国人は鳥の
保護に無関心すぎる。(『応報』林芳訳)。
両言語における同義語の使用実態を把握するために、
研究者は往々して原文とその訳文を考察の素材にする。
しかし、訳文の言葉遣いはオリジナル作品と若干異な
るのが普通である。以下、小説における人称代名詞
“我”、“俺”、“咱”の使用状況を探ってみる。
表4 中国語自称代名詞の使用頻度
オリジナ
ル小説
翻訳小説
我
34256
(124.5)
32349
(152.2)
俺
331
(1.2)
1759
(8.3)
咱
1654
(6.0)
180
(0.8)
合計
36241
(131.7)
34288
(161.3)
表3からわかるように、翻訳テキストにおける人称
代名詞の使用頻度はオリジナルテキストより2割以上
も多い。翻訳の「明示化」はその大きな要因といえよ
う。『坊ちゃん』を例にして分析する。この作品は一
人称で書かれ、冒頭の一段落に人称代名詞は一つも使
われていない。しかし、三つの中国語訳において、い
ずれも人称代名詞が若干加えられた。それは典型的な
出場人物の明示化である。
別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、
同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降
りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
没有什么特别的因由,当我从新建的二层楼上向下探头探脑
的时候,同班一个学生开玩笑地喊着:“别那么飞扬跋扈,谅
你不敢从那儿跳下来。胆小鬼!”(《哥儿》叶谓渠译)
其实,也没啥了不起的理由。当时俺从新盖的二楼向外探头,
一个同班同学便逗弄俺说:“不管你怎样吹牛,总不敢从那儿
跳下来吧,你这个窝囊废!”(《哥儿》刘振瀛译)
我也说不上有什么特别的理由。只是我从新盖的二楼刚探出
头去,同班的一个同学就起哄说:“任你怎么逞能,也不敢从
那里跳下来,胆小鬼!”(《哥儿》胡毓文译)
また、翻訳小説において、“咱”は別として、
ほかの自称代名詞の使用頻度はすべてオリジナル
小説を上回っている事実が観察された。これは、
読者により簡単に理解してもらうために、必要不
可欠でない場合にしても、訳者が代名詞を加えよ
うとしている傾向があるためである。たとえば、
次の3つの訳文にはいずれも初頭に“我”が添加さ
れているばかりでなく、少し過剰ではあるが、二
つ目の文にも“我”が付け加えられている訳が二
つもある。
それを君に聞いてるんじゃないか。初めての土
地だから、誰がきれいだか分らんさ。(『雪国』
川端康成)
我不是在问你吗?我初来乍到的,哪里知道谁漂
亮。(《雪国》叶谓渠译)
我不是在问你吗?我人地两生,怎么知道谁漂亮?
(《雪国》高慧勤译)
我这不是向你打听吗?初次来到这地方,不知道
哪一个长得漂亮啊!(《雪国》侍桁译)。
表4を見る限りでは、翻訳テキストにおける“俺”
の使用頻度がものすごく高く、オリジナル小説の7倍
にもなっている。しかし、それは劉振瀛先生が『坊
ちゃん』を訳すとき、“俺”を1735個も使用したため
である。この作品を除けば、翻訳テキストにおける
“俺”の用例は24例しか検出されず、百万字あたりの
使用頻度は0.1であり、オリジナル小説の1.2よりはる
かに低い。従って、中国語自称代名詞の使用実態をよ
り正確に把握するために、使用度数のほかに、作家使
用率の統計も必要となる。
表5
中国語自称代名詞の作家使用率
我
オリジナル小説 23(100.0)
翻訳小説
27(100.0)
俺
咱
9(39.1)
17(73.9)
6(22.2)
18(66.7)
この統計結果から、「正規化」という傾向が見られる。
「正規化」とは、訳文に見られる目標言語の典型パタン
と用法を過剰に使用する傾向のことである。オリジナル
小説では“俺”は9部の小説(39.1%)に現れているの
に対し、翻訳小説では、6部の作品(22.2%)でしか使
われていない。翻訳小説における“咱”の使用頻度と作
家使用率もオリジナル小説より低い。
つまり、多数選択しうる類義語の中で、訳者は典型
的な自称表現である“我”をより多く使っている。
「正規化」現象の現われといえよう。これで、翻訳テ
キストの言葉遣いの特異性が観察された。
このように、翻訳小説は語彙構成、言葉遣いなどの
面でオリジナル小説と異なっている。また、両言語の
相違及び訳者の意図により、原作と訳文はその意味が
多少食い違っていることもしばしば観察され、中日対
照研究や翻訳研究を行う際、留意すべきである。
森田良行(1989)は「(「とても」は)心理的または
能力的に抵抗や無理があり、"したほうがよいと思うが、
どんなにしても不可能である"という気持ちを表す。(中
略)話し手側の主観で、それを認めることができないとい
う態度である」と述べた。つまり、「とても」は話者の主
観的要因により事柄の実現可能性を否定するマーカーであ
る。単純事象叙述文でも、それを加えると、話者の主観が
伺えるようになる(例1、2)。
1)しかしいずれにしてもかなり面倒な作業に違いない。
私にはできない。(作例)
2)しかしいずれにしてもかなり面倒な作業に違いない。
私にはとてもできない。(『世界の終わりとハードボ
イルド・ワンダーランド』村上春樹)
訳 語
検出数
訳 語
検出数
無し
根本
怎么也
实在
无论如何
很
36(28.6) 18(14.3) 18(14.3) 14(11.1) 9(7.1)
5(4.0)
决
真
(反问)
简直
万万
(その他)
5(4.0)
4(3.2)
2(1.6)
2(1.6)
2(1.6) 13(10.3)
3)だめ、だめ、とても、あんなところでは見られやしない。
(『あした来る人』井上靖)/不行不行,那种地方根本
看不见。(《情系明天》林少华译)
4)こう暑くっちゃ、シャツなんて、とても着ちゃいられな
い。(『砂の女』安部公房)/这么热的天,衬衫怎么也
穿不住哇。(《砂女》杨炳辰 张义素等译)
しかし、これをもって、「とても」と“根本”などは意
味機能が「等価」すると判断しては短絡的である。視点を
変え、中文日訳サブコーパスにおいて“根本”などの訳語
を観察し、本稿の考察対象との意味上の対応性を検討する
必要がある。もし、“根本”、“怎么也”、“实在”およ
び“无论如何”が本当に本稿の考察対象と類義関係にある
とすれば、中文日訳において、その訳語として、打消およ
び否定表現と共起する「とても」が多用されるはずである。
それを検証するために、筆者は中日対訳コーパスの中文日
訳サブコーパスより、上記四語の用例を全数抽出し、その
訳語を統計した。
訳 語
無し
全く
全然 まるで もと 根本 さえ てん
もと 的に
で
検出数
65
44
13
12
6
6
4
4
(30.8) (20.9) (6.2) (5.7) (2.8) (2.8) (1.9) (1.9)
5)我们根本不知道要出这本书。(《人啊,人》戴厚英)/
われわれはこの本が出ることを全く知らなかった。
(『ああ、人間よ』大石智良訳)
6)道静根本没听见他说的是什么。(《青春之歌》杨沫)/
道静は、そのことばをぜんぜん聞いていなかった。(『
青春の歌』島田政雄 三好一訳)
訳語 どうしても
検出数 23(40.4)
無し
20(35.1)
ても
6(10.5)
どうにも
3(5.3)
その他
5(8.8)
7)方七拿着火绒,哆哆嗦嗦地往引火绳上触,却怎么也点不
着。(《红高粱》莫言)/方七が火縄を手にふるえなが
ら導火線に触れるが、どうしても火はつかない。(『赤い
高粱』井口晃訳)
8)香港大户做参的买卖怎么也做不过汇丰银行。(《上海的
早晨》周而复)/香港の大手筋のやるにんじんの売り買
いでは、しゃっちょこ立ちしても、匯豊銀行にはかなわ
ん。(『上海の朝』岡本隆三 伊藤敬一訳)
訳語
無し
どうにも
本当に
実際
全く
どうしても
もう
とても
検出数
68
(40.2)
14
(8.3)
13
(7.7)
12
(7.1)
11
(6.5)
8
(4.7)
6
(3.6)
5
(3.0)
9)友清,你这个‘据说’实在欠妥了。(《金光大道》浩然)
/友清、君のその『ということでして』というのはどうに
もまずいな。(『輝ける道』神福勇夫ら訳)
10)祥林嫂,你实在不合算。(《彷徨》鲁迅)/祥林嫂、お前
さん、ほんとに損なめにあったね。(『彷徨』松枝茂夫
和田武司訳)
訳語
抽出数
ても
9
(20.5)
どうしても
8
(18.2)
無し
6
(13.6)
絶対
6
(13.6)
いずれにしても とにかく
2
2
(4.5)
(4.5)
11)党内无论如何不能形成小派、小圈子。(《邓小平文选 第
三卷》邓小平)/党内では、どんなことがあっても、分派
やフラクションをつくってはいけないことだ。(『鄧小平
文選3』中共中央編訳局訳)
12)可是他说他不想吃,无论如何也不想吃。(《人啊,人》戴
厚英)/しかし彼は、食べたくない、どうしてもその気にな
れないと言う。(『ああ、人間よ』大石智良訳)
訳語 (無し) (反問)
很
可
就
实在
都
検出数
73
14
9
8
6
5
5
(48.0)
(9.2)
(5.9) (5.3) (3.9) (3.3) (3.3)
敢
4
(2.6)
13)所以过了几天,掌柜又说我干不了这事。(《呐喊》鲁
迅)/そこで何日かたつと、主人はまたしても、私がと
てもこの仕事には向かないという判断をくだした。
(『吶喊』松枝茂夫 和田武司訳)
14)我不能用一句话回答你,为什么我们非走不可。(《人
到中年》谌容)/私たちが何故行かなくてはならない
か、ひと言ではとても答えられません。(『人、中年
に到るや』林芳訳)
以上の統計結果から分かるように、“根本”を訳すとき、
訳者は「全く」、「全然」、「まるで」など程度を強調す
る言葉を多用し、「とても」を使用した用例は2文しかな
い。“怎么也”と“无论如何”の訳語として、「どうして
も」「ても」のような逆接表現が多数検出されているが、
「とても」は1例も検出されなかった。また、“实在”の
訳語として「どうにも」、「本当に」、「実際」、「全く」
などが多く観察されたが、「とても」の用例は5例しか検
出されず、主な対応表現とはいえない。
また、中文日訳の訳文より、「とても」を含む用例を全
数抽出し、原文と照り合わせてみると、半分近くの原文に
は「とても」に対応する言葉が存在しないことが分かっ
た。実際、例13の訳文における「とても」は必要不可欠な
ものではなく、翻訳者は意図的にそれを訳文に加え、原文
に明示されていない「主人」の主観を明示しようとしたと
考えられる。
13)所以过了几天,掌柜又说我干不了这事。(《呐喊》鲁
迅)/そこで何日かたつと、主人はまたしても、私がと
てもこの仕事には向かないという判断をくだした。
(『吶喊』松枝茂夫 和田武司訳)