折り紙の魅力 趣味として世界でも注目されています ! 折り紙の現代事情 象 折り紙は現在、教育的効果が見直され、また芸術作品としての創作も盛 んになり(*)、子ども・大人の趣味として世界に広まっています。欧米では、 幼稚園や小学校で Origami と言う単語で日本文化として教えられるそうで す。さらに、平面をいかに効率的に収納・展開するかという空間数学とし て、宇宙パネルやロボット、車のエアバックやタブレット端末のカバー、医 療技術にまで広く応用されているそうです。 *2014 年にはニューヨークで世界折り紙アート展が開催されました 折り紙の歴史 折り紙が折られるようになった時代ははっきりしませんが、だ いたい平安時代とされています。庶民の間に広まったのは江戸 時代に入ってからで、ちょうど紙(和紙)が大量生産され始めて 比較的安価に入手できるようになった時期と重なります(*)。元 禄年間(17 世紀終わりから 18 世紀初め)の頃に、鶴や舟の折り 紙が衣装の模様として登場し、浮世絵にも描かれるようになり ますので、この頃に折り紙が急速に普及したことが分かります。 *当時日本は紙の生産量世界一だったようです 慣用句「折り紙付き」の由来 江戸時代、刀の鑑定書として二つ折りに ほ うし ょ した奉書 紙が使われ「折り紙」と呼ばれ、 鑑定書(折り紙)が付いている刀は本物 の証でした。そこから絶対に保証できるこ とを「折り紙付き」と言うようになりました。 用例:「あの人の技量は折り紙付きだ」 それから約百年後には折り紙の教本も出版され、多彩な折り 紙文化が花開きました。当時の折り紙は子どもだけでなく大人の楽しみでもあり、折り方が高度なものも多く ありました。そして、西洋文明が流入した近代以降、折り紙文化は後退しつつも今日まで伝承されてきました。 折り紙の魅力 だまし舟 ○シンプルさ…1 枚の平面な紙を切らず貼らず、折りだけで形にする ※「不切・正方形・一枚折り」が折り紙の本道とされます ○手軽さ…紙さえあればいつでもどこでもできます。たとえば電車を待つ間 に広告紙を折ったり、レストランで注文が来るまでにナプキンを折ったり。 ○感性を育む…子どもでも色々な形に折ることができ、豊かな想像力を育て ます。何かの形になるよう計算しながら折っていくので、先を読む力や計画性 も身に付き、数学的才能を養います ○国際交流に…日本文化の象徴とされる折り紙は、外国人へのプレゼントに ちょっと添えるだけでも大変喜ばれ、コミュニケーションのきっかけにもなります 戦闘機 折りの極意 ※折り紙名人の心得(インターネットより要約) 「折るときにはリズムが大切です。」 「紙には厚みがあります。きちんと折ることは大切ですが、ある程 度の遊びが必要です。」 「折り紙とは、紙の中に隠されていた紙の本質を、折ることによっ て引き出すものです。全ての形は予め紙の中に用意されていま す。紙がどのような形になりたがっているかを考えなければなり ません。」 「折り紙は、あなたと紙との共同作業です。紙と仲良くなれば紙も あなたのいうことをきいてくれるでしょう。」 松蔭は思想主義者などではなく、「社会に役立たないものは学問 ではない」と、地理、歴史、算術など実学を尊重した人で、登山や 水泳なども行なった。特に「世間の事はそろばん珠を外れたものは 全くない」と言って算術を重んじた。 「君」「僕」の呼び方の創始者 自分のことを「学問のしもべ」という意味で「僕」と呼び、相手 を「わが師」と尊重して「君」と呼んだ。門人達も互いに「僕」「君」 と呼ぶようになり、後にこれが全国に広まった。 松陰直筆の書 「至誠にして動かざ 門人たちには対等な立場で自由な討論を許し、皆の中に溶け込ん る者は未だこれ有らざるなり」 ※松陰が『孟子』から引用したもの でいたので、訪問客にはどこに松蔭がいるか分からなかった。 松陰は一人一人の個性を見抜く眼とそれを伸ばす力がすばらしかった。たとえば、塾生の双璧と された久坂玄瑞(くさかげんずい)と高杉晋作。当初、学問で久坂が先んじて高杉はどうしても追い越 せなかったが、高杉の負けず嫌いの性格を見抜いた松陰は、高杉の 前でわざと久坂を褒めた。すると高杉は勉学に励み大きく進歩し た。また、前原一誠(いっせい)などは家が貧乏なため、結局十日間 ほどしか塾に通えなかったが、松陰は彼を「才能は久坂に及ばず、 学識は高杉に及ばないが、その人物の完全なところはこの両名も及 ばない」と評した。 ■わが平戸藩との密接な縁 21 歳の時に九州に遊学し、なかでもわが藩の城下町平戸には 53 日間と最も長く滞在した(1850 年 9 月 14 日~11 月 6 日)。そこでア ヘン戦争や軍事に関する様々な書物を読破し、山鹿流兵学の宗家山 鹿万介の教えも受けた。さらに葉山高行(*)に王陽明の『伝習録』を 借り受け、初めて陽明学を学んだ。松陰の日記には『伝習録』に感 銘を受けたことが記されており、彼は以後「陽明学者」を自称する。 当地は、その後の松陰の思想・知識・人間形成に甚大な影響を与 上-松陰に陽明学を教えた葉山高 えたのである。そしてその弟子達も平戸の田助港で倒幕の密議を重 行の私塾「積徳堂」跡 ねた。当藩も明治維新に大きく貢献しているのである。 下-松陰が平戸滞在中に宿泊した *葉山高行(はやま-たかゆき 通称は佐内。号は鎧軒(がいけん))。 1796-1864 肥前平戸藩藩士。江戸で佐藤一斎に学び、帰藩後は藩主の守役を務め,勘定 奉行,大坂藩邸詰などをへて家老格となる。 「武士道研究」定例会のご案内 宿屋「紙屋」跡 (いずれも昨秋の「武 士道研究会」主催の第1 回平戸巡りで訪問) ※市民向けのつどい(主に学習会)です とき-第 2・4 木曜 1 9 時半~21 時半 ※原則として ところ-SASEBO 市民文化ネットワーク事務所(させぼ市民活動交流プラザ 3 03 室)な ど 主催-武士道研究会(*)、SASEBO 市民文化ネットワーク ※学習テーマはその都度設定(例:禅宗、竹中半兵衛、西郷隆盛、平戸城、零戦、インド独立と藤原機関、日本文化など) 武士自体は消滅しましたが、人として踏みおこなうべき道として の『武士道』は、世界で高く評価され、今も日本人の精神の骨格とし て大きな意義を持ち続けています。 また、佐世保市は戦国時代、全国でも指折りの数の山城があり、 武将が群雄割拠した地です。 そんな武士道や歴史を学んだり、刀・甲冑などのレプリカを製作したり、市内外の城跡・史跡 を巡ったりしています。興味をお持ちのかたは一度定例会にご参加下さい。 問い合わせ: 080・○○・○○(武士道研究会 かけはし 梯) 080・○○・○○(当会 米村) *「武士道研究会」…当会の支援のもと 1 年半前に発足した趣味サークル。学習会、史跡巡り、鎧・兜製作 などに取り組む(現在会員約 8 名)。メンバー募集中。
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