コラム42:戦後歌謡 その2 (2015.6.1)

コラム42:戦後歌謡 その2 (2015.6.1)
私が花市場に勤務していたこともあり、この歌はカラオケのレパートリーの一つになっています。
若い頃に、県北の懇親会で歌ったら、年配のオバサンたちにヤンヤノ喝采を頂き(?)、それ以来
の愛唱歌です。その時は、花を作っている年配の女性が相手なのでこれを選曲したのでしょう。
「東京の花売娘」 戦後まもなくの流行歌(はやりうた)には、東京を舞台にして、都会への憧れや、
街の華やかさを歌ったものが数多くみられます。これらの「都会調歌謡曲」は、その後も昭和 30 年
代まで続き、現在の「東京一極集中」の政治と文化の流れの基盤を形成していったように思います。
「東京の屋根の下」「夢淡き東京」「東京キッド」「銀座カンカン娘」等々…そして、この歌もその中に
含まれるヒット歌謡の一つなのです。
♪~青い芽を吹く 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を
どこか寂しい 愁いを含む 瞳いじらし あの笑くぼ
ああ東京の 花売娘~♪
◎ 「一億人の昭和史5 占領から講和へ」(毎日新聞社刊)
「いち早く接収されて占領軍の PX(売店)となった銀座 4 丁
目角の服部時計店(22 年 9 月)」とある。米兵の姿が目立ち、
右側の上に街路樹の柳の葉が見える。
これは昭和 21 年 6 月に世に出されており、「リンゴの歌」のすぐ後、「星の流れに」より少し早く世
に出たということになります。まだ東京に焼け跡が多く残っていて復興にはまだ程遠く、銀座などの
中心部には、進駐軍である米兵が街にあふれていた「占領下の時代」です。にもかかわらず、この
歌の歌詞もメロディーも実に明るく、岡春夫の歌唱も高いトーンで、軽くのびやかです。今回、歌
詞を改めて読み返してみると、いろいろと気になることも出てきました。
まず気になったのは、この「花売り娘」が何処に立っているか、ということです。一番の歌詞を見る
と、「柳の辻」とありますから、銀座の街路樹の植えてある柳の辺りらしいことがわかります。二番歌
詞では、そこに「花篭抱いて」、通りすがりの紳士に「花を召しませ」と売り歩いている、ということに
なります。そして、三番歌詞には、その近くには「ジャズが流れるホール」があり、「粋なジャンパー
のアメリカ兵」がタムロしている、という光景が見えてきます。この「ジャズ」と「アメリカ兵」が、「進駐
軍キャンプまわり」という形で、戦後の日本の歌謡曲の新しい源流となっていくのは、少し後の話に
なります。
この歌を聞いた時に感じたさらなる疑問は、街角で路上販売している「東京の花売娘」は本当に
いたのだろうか、ということでした。歌詞にはいかにもそれらしい風景が描かれているものの、当時
の映画や記録フィルムでも、一度もそんな映像を見たことはなかったからです。終戦直後に東京
にいた父に聞けばわかったのかもしれませんが、鬼籍に入った今となってはそれはかないません。
このコラムを書くにあたって、わたしの所蔵する沢山の写真資料を見返してみたら、一枚の小さな
写真を見つけました。
◎「毎日グラフ別冊 にっぽん女性 100 年」(毎日新聞社 1966 年発行)
「花売り娘は銀座のバーあたりにみられる夜行性のものばかりでなく、昭和 10
年ごろは東京駅でも送迎客に、<お花はいかが>とやって好評」とあります。
ということは、戦前の東京にはこのような姿の「花篭を抱いた花売り娘」がいた
ということであり、戦後の東京の銀座に再登場していたのでしょう。
空襲で焼野が原となった東京の街、そこに生きる「笑くぼ」の似合うカワイイ女性、「どこか寂しい
愁い」を見せつつ懸命に生きている、という戦後間もない頃の「東京の花売り娘」の姿が浮かんで
きます。「星の流れに」の中の女性のように、激しい怒りや苦しみとは違うけれど、じっと静かに辛さ
に耐えて、日常生活を送っているという、当時の平均的な「日本女性像」がここに描かれているよう
に思うのです。
私の好きな映画の一つに挙げられるのですが、チャップリンの戦前の作品に「街の灯」(注1)とい
う映画があります。私が「花売り娘」と聞いて、最初に頭に浮かぶのは、この映画の中の「盲目の花
売り娘」です。いつもの燕尾服を着た放浪者のチャップリンが、なぜか盲目の花売り娘に恋をして、
彼女の目の手術の費用を稼ぐために悪戦苦闘。そこにアル中の金持ち紳士がからんできて…
こんな感じの喜劇ですが、やがて悲しいラブストーリーです。この映画の中のような花売り風景は、
1930 年代の米国や日本で見られたことであって、現今の日本で見る事はありません。しかし、「商
品を売る」ということの日本の原点の形を辿ってみると、以外にも「路上対面販売」であったのです。
今から 6 年前、東京の「太田美術館」(注2)という所で「江戸園芸花尽し」という展示があり、定年
退職の直後の身軽さもあって、私はわざわざ見に行きました。浮世絵を通して、江戸時代の庶民
たちの生活に根付いていた、園芸文化の豊かさを探り出そうとする展覧会です。あの時代の日常
生活に、意外なほど豊かな花の文化が存在していたことは意外でしたが、同時に販売の形式にも
驚いたのです。
◎「江戸園芸花尽し」(太田記念美術館刊 2009 年)
鳥居清長 風俗東之錦 植木売り
「竹で台輪と呼ばれる荷台に、鉢植えを載せて売り歩く、若い男前の
植木売り。客となるのは、初詣にやってきたと思しき良家の母娘。
正月らしい福寿草や梅の鉢植えを買おうとしている」とある。
私はこの浮世絵を見た時、「江戸の花売り娘」を見つけたと思いまし
たが、当時のイケメンの売り子だったようです。
江戸時代の生活用品の多くは、天秤棒で商品を担ぎ、商品の名をふれながら売り歩く、「棒手
振り」(ぼてふり)によって販売されていたのです。魚、野菜、豆腐、といった食料のみならず、「虫
売り」や「シャボン玉売り」などという、今では考えられないような物まで、ありとあらゆる行商が家の
前を行き来していたというのですから、実におもしろい社会ですね。そしてその中に、切り花や植
木を扱う「棒手振り」もいたというわけです。
私は 10 年ほど前に一度だけ、東京で路上販売をして
いる若い女性を見かけたことがあります。季節は真冬、
場所は池袋駅西口の飲み屋街、広島の「流川」のような
所です。彼女は軽トラを飲み屋街の入り口の隅において、
酔客相手の商売をしていました。私も花束を頼んでみま
した。その夜に泊めてもらう友人宅の奥さんのためです。
「このユリを入れて、3000 円位で作ってくれる?」彼女は
うなづいて 手早く素敵な花束を作ってくれました。
私は写真をこっそり撮りましたが、言葉は交わしませんで
した。厳寒の季節でもあり、そんな雰囲気ではなかったのです。現代の「東京の花売り娘」さんは、
暗く寂しそうに見えましたね。考えてみると、あのようなやり方の販売は、もしかしたら違法になるの
かもしれません。
江戸の「棒手振り」の時代から、花篭を持った「花売り娘」へ、そしてスーパーなど量販店の小束
の花販売、さらにはネット販売や通販、そして自販機による販売まで、実に多様な変貌を遂げてい
ます。便利にはなってきたものの、人と人が言葉を交わし触れ合う機会が、確実に少なくなってき
ているのです。時代を過去に辿ってゆくほど、物質的には貧しい生活であっても「心豊かな時代」
ではなかったか、世の中はだんだんと住みにくくなっているのではないか、などと考えてしまうので
す。
「なんもかも昔がエカッタ言う気はないが、だんだんと世の中味気のうなっとるよのう。ほいじゃが、
街角で花を売り歩くいうのも、シンドイ仕事じゃろうて」
(注1)街の灯 City Light 1931 年 アメリカ映画
「チャップリン 制作監督主演。アメリカ映画がトーキー化されても、チャップリンはサイレント
によりこの作品を完成した」 「キネマ旬報 世界映画作品大辞典 1970 年発行」より (注2)太田美術館
東京・原宿にある国内有数の浮世絵専門の私設美術館。収蔵品は 1 万 4 千点。
テーマを替えて企画展を開催しています。
JR 山手線原宿駅表参道側下車徒歩 5 分。