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目次
はじめに
第一章
日本の国際貢献の再検討の必要性
戦後日本の平和観
第一節
反省による平和
第二節
冷戦の崩壊と積極的平和
第三節
二つの平和観の齟齬
第二章
日本の果たす役割の提言
第一節
平和観の齟齬を埋めるために
第二節
近隣諸国との信頼構築のために
まとめ
参考文献
国際社会における日本の役割の提言
はじめに
日本の国際貢献の再検討の必要性
2010年12月に始まった「アラブの春」が、国際社会に歓迎されたことは記憶に新
しい。チュニジアという北アフリカの一国家で政府から不当な扱いを受けた貧困層の青年
が、焼身自殺をもって抗議するという衝撃的な事件は、アラブ諸国の若者を民主化を求め
る行動へと駆り立てた。しかしながら、不当な抑圧に対する反政府運動がシリアまで拡大
すると、アサド政権は反政府運動、反政府軍に弾圧を行い、アラブの春の動きは停滞する
ことになった。
そうした中でシリアを中心として新たな脅威が生まれた。2014年6月にイスラム教
スンニ派の過激派組織が、イスラム国という“国家”の樹立を宣言したのである。スンニ
派の信仰の強制のみならず、キリスト教圏を始めとする人々を拉致し、人質にとり、国家
への脅迫行為を行っている。この一連の流れに日本人も巻き込まれてしまったことからこ
うした過激派組織の動向が日本人の平和を脅かす存在となっている。しかし、このような
組織の行動は、従来の国際社会の主体によるものとは異なるようである。彼らの行動には、
国家、国境、宗教といった規範が見られない。このことは、今日の脅威が「国民国家」や
「国境」という概念のみで説明できないことを意味し、
「ボーダーレス」の世界で、日本の
平和を問い直さなければならないことを意味している。
以上の問題意識を念頭に、本論文は、戦後日本が追求してきた「平和」と、これから政
府が進めようとしている「積極的平和主義」の整合性をどのように取るべきかを考察しな
がら、国際社会における日本の役割を再定義することを試みるものである。
第一章
第一節
戦後日本の平和観
反省による平和
戦後の日本は、一貫して「平和」の追求を目的としてきた。これは、先の大戦において
国家権力が、国民を戦争の惨禍に巻き込んでしまったことに対する痛切な反省によるもの
であった。国家の権力を憲法で制限し、国家権力が誤った方向に進もうとするとき、国民
が自らの意思によって「平和」を追求できようにしたのである。
憲法による国家権力の制限は、戦後わが国民の総意として一定の成果を上げたように見
える。すなわち、戦後70年、日本人は平和憲法とともに歩んだのであり、その間、国民
間で、自由、民主主義、基本的人権の尊重という価値観が共有されるようになった。そし
て、何よりも直接に戦禍に巻き込まれることはなかったのである。さらに言えば、戦後日
本は高度な経済復興を成し遂げ、1990年代から約20年間、時にはマイナス成長を経
験しながらも、今もなおGDPは世界で第3位であり、 平和主義に基づく経済大国として
開発途上国からも高く評価されている。先の大戦からの「反省による平和」によって、経
済力を基礎として、国際社会においては開発援助の分野で大きな役割を果たした。
第二節
冷戦の崩壊と積極的平和
戦後70年の間に日本を取り巻く安全保障環境も変化してきた。最も大きな枠組みの変
化は冷戦の終結であった。日米安全保障条約は冷戦の終結後も堅持されてきたが、日米同
盟の意味づけには変化が加えられたのである。冷戦後の日米同盟のあり方を示したのが、
1996年の「日米安全保障共同宣言」であり、アジア太平洋地域の平和と安定が謳われ、
そのための環境づくりが国際社会における日本の役割となった。更には、2001年9月
の米同時多発テロ後には「対テロ戦争」という国際政治の枠組みにおける重大な変化が起
こった。
逆説的ではあるが、先の大戦の教訓から得た「反省による平和」が十分に成果を上げて
いたが故に、対テロ戦争という21世紀の新しい事態にも、平和について深く考えずにい
たのかもしれない。冷戦が終結し、イデオロギーによる対立から、民族紛争、宗教対立 に
シフトした時点で、これからの平和のあり方について、国を挙げて更に深い議論をする必
要があったのかもしれない。1990年代に入り、冷戦構造の終焉とともに、東アジア地
域においても情勢は大きく変化していた。中国の経済成長とともに、日米間で中国脅威論
が論議されるようになった。また、朝鮮半島でも1993年に北朝鮮で核危機が勃発した
ことで、東アジアで核不拡散問題が重要な論点として浮上したが、先の大戦への「反省に
よる平和」の状況は保たれていたのである。
第三節
二つの平和観の齟齬
日本政府の態度が積極的な平和主義に傾いた契機は、1992年のPKO協力法の成立
であった。カンボジア、モザンビーク、南スーダンなどに自衛隊を派遣するこ とで、紛争
地域に平和をもたらすために積極的に貢献しようという意識が高まった。日本の軍事力に
ついては、中韓が右傾化の懸念を示したとしても、自衛隊による 国際貢献は概ね国民の賛
同を得ていたように思われる。しかしながら、2015年9月現在において、日本の国際
貢献には賛同しながらも、集団的自衛権に関しては、反対の意思表示が国民の間に見られ
る。
この状況について、筆者は、国民の多くが認識する「反省による平和」と 、政府の唱え
る「積極的平和主義」の齟齬を見てとる。
「反省による平和」は、先の大戦の反省から生ま
れた「戦争に巻き込まれない」という意味での「平和」であり、教育機関の多くは平和教
育について、
「反省による平和」に比重が置かれていたように思われる。一方で、冷戦構造
崩壊後の国際社会の枠組みにおいて「平和」とは、
「平和のために国際社会に積極的に貢献
する」という意味での「平和」である。前者と後者の違いは、平和の達成のために武力を
行使できる可能性の有無であり、国内における論争は、
「反省による平和」と「積極的平和
主義」という平和観の齟齬から生まれたものであった。
第二章
第一節
日本の果たす役割の提言
平和観の齟齬を埋めるために
前章で明らかにされた現代日本の状況は、戦後日本が70年間かけて成果を上げてきた
「反省による平和」と、今日政府が進めようとしている「積極的平和主義」の間に 齟齬が
存在し、今日、「積極的平和主義」が優勢になりつつあるということであった 。
この点について、筆者は、「反省による平和」にも「積極的平和主義」にも、極端に偏
ることは危険であり、両者をバランスよく追求する姿勢を示すことが、今日の国際社会に
おける日本の役割として最適ではないか、と考えている。
確かに、今日の集団的自衛権の是非を論じれば、政府の対応は 合憲なのか違憲なのか、
憲法9条は改憲すべきなのか維持すべきなのか、という議論に結び付く。もちろん、そう
した議論の重要性は否定しない。しかし、まずは、戦後70年の間、日本という国が憲法
を尊重し、国家権力の横暴によって、国民が戦争の惨禍に苦しむことなく、安定的な経済
発展を達成したことを、一つの成功モデルとして認識して他国の規範になろうという姿勢
を示すことが大事なのではないか。何故というに、日本は戦後70年の間に医療を始めと
して、高度な専門技術、高い付加価値のサービスを提供できる基礎を築いた。平均寿命を
考えても、生命を大切にするという点において日本は誇り得るものだし、後進国の子ども
にも希望を与えることが出来る国家像を築いてきたと言える。平和的に経済発展した国家
モデルとして、日本は国際社会の規範となる役割があるであろう 。
一方で、「国際社会への貢献による平 和」も日本の重要な課題である。平和の追求の結
果、武力行使に至ることが多い現代の国際社会は、やはりアナーキーの様相を呈している
と言えよう。
「積極的平和主義」が国際社会の不安定要素を前提としていることも確かであ
る。すなわち、21世紀の国際社会における脅威のイメージには、大量破壊兵器、サイバ
ー攻撃がありこうした問題に、日本は国連や国際会議を通じて積極的に参加すべきである 。
第二節
近隣諸国との信頼構築のために
近隣諸国に関しても、中国や韓国とは対話と通じて信頼関係 を構築しなければならない。
中国は経済的に最も重要なパートナーであるが、日本の領土への侵犯行為、南シナ海での
ベトナム、フィリピンとの係争から考えて、地域の不安定要因でもある。日本は 国際ルー
ルの遵守を訴えかけていく立場を取るべきである。意見の相違がある場合に、率先して両
者の対話のテーブルを設けるような東アジア地域における紛争の可能性を減らす役割を日
本は担っている。
また、
「積極的な平和主義」を訴えるにしても、自国の伝統や文化に誇りを持つように 、
他国の伝統や文化にも寛容になる姿勢が求められよう。戦後日本が置かれた状況の特殊性
は、歴史の反省に立って関係改善を行う点にあった。韓国や中国は、経済、文化面におけ
る重要な国家でありながらも、歴史認識問題で齟齬を来しているため、かつてないほど経
済的にも文化的にも相互依存関係が進んでいるにもかかわらず、政治の世界で緊張をもた
らすことが度々あった。日本の戦争に対する姿勢への批判は止んでいないことは、交流の
機会を奪うことになるであろう。
これは、いずれの国家に問題があるというわけではなく、第1章で考察した通り、日本
の「反省による平和」と「積極的平和」という平和観において、
「反省による平和」を期待
しているからであり、国際貢献という意図があっても、
「積極的平和主義」に軍事力増強の
可能性を見てしまうのである。主権国家である以上、内政干渉は許されるべきではない。
しかし、日本が「積極的な平和」を推進しようとするならば、日本の本意を根気強く伝え
ていく姿勢は求められると考える。
まとめ
国際社会における日本の役割の提言
日本と世界はかつてない勢いで結び付きを強めている。 インターネットを介して、クリ
ックするだけで他国の商品を入手することも出来る。国家や人種、宗教を隔てることなく
コミュニケーションを取ることもますます容易になってきている。だが、技術革新がどれ
だけ進んでも、国際社会の平和には普遍的な価値観の共有が必要となる。日本は、先の大
戦から70年間、民主主義、自由、基本的人権といった価値観を広く浸透させてきた。さ
らに経済大国となる過程では公害対策を経験して、社会福祉制度などの整備にも努めてき
た。経済成長のモデルとしても、民主主義国家のモデルとしても、日本は開発途上国の規
範になる。今日の国際社会の平和には日本の戦後史を知ってもらうことが重要だ 。
今日、国際社会の価値観は混沌としており、内戦でも大量破壊兵器を使用するなど、生
命の危機に瀕する人も多数いる。日本は、
「反省による平和」を70年間積み重ねることで
「平和」という意識を内面化してきた。軍事力の強化よりも、この内面化された平和を他
国にどのようなかたちで提示できるかを真剣に考えるべきではないか。今日、シリアにお
いて、女性や子どもが無差別に殺されてしまう状況があり、内戦や過激派の動向 がどのよ
うなかたちで終息するのか明らかではない。しかしながら、ある段階において、 国家が再
び復興に向かうとき、女性や子どもたちに人権や経済的な豊かさという価値観を提供する
必要がある。そうした価値観を提供する役割を日本が担っているのではないか。そうした
人々の心情を理解し、救いの手を差し伸べることができる国家であるために、 他の人種や
宗教、文明に対する寛容さを持ったうえで、積極的な平和主義を行使することが、日本が
国際社会で果たすべき役割であると考える。
参考文献
芦部信善(2015)『憲法第六版』、岩波書店
小島朋之(1999)『中国現代史』、中央公論社
小林節(2014)、『白熱講義!集団的自衛権』、KKベストセラーズ
宮野展良編(2015)、『月刊新聞ダイジェスト
最新時事用語&問題
2015年3月
別冊号』、新聞ダイジェスト社
外務省、「平成25年版外交青書」、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/index.html、(2015/8/1閲覧)
外務省、「平成26年版外交青書」、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/index.html、(2015/8/1閲覧)
外務省、「平成27年版外交青書」、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/index.html、(2015/8/1閲覧)