沿革編 撤去されるため、川を渡るには舟運に頼るか 5㎞ほど離れた橋 は使用されるケースが少ない高張力鋼板(SM58Q)が箱柱の まで迂回せねばならず、常設の橋がかねてから切望されていた。 スキンプレートに使われることとなったが、鉄骨の工場製作や 常総大橋は 3 径間連続箱桁(2 連)で橋長は 518.2m(支間 86m) 現場施工で日常的に高張力鋼板を溶接した実績がなかったため、 あり、県内では長大橋の走りとなった。 溶接に伴う靱性変化などについて事前に実験を行って良好な結 部材の高さが最大で 5m もあるため陸上輸送は不可能で、利 常総大橋(茨城県稲敷郡河内町∼千葉県成田市高岡) また 1978(昭和 53)年にはホテルセンチュリー第一生命ビ ながら大型橋梁を製作し、海上輸送を経験する。このため ルの鉄骨製作を請負った。ホテル(現・ハイアットリージェン 1976(昭和 51)年 10 月に江本建設と業務提携を締結。当社の シー東京)とオフィスビル(現・小田急第一生命ビルディング) 防府工場として、新たに 50 t クレーンを設置し、翌年 3 月から が地下で一体となったツインビルで、地上 26 階建て・高さ 常総大橋の製作に着手した。本橋は当初計画よりも工期が短縮 114m である。当社が担当したのはオフィスビルであり、鉄骨 される中、防府工場において製作から仮組立までを行ったのち、 総鋼重 1 万 2,000 t の内の当社分は 2,450 t であった。当時は、新 銚子への海上輸送を実施。更に、台船に積み替えて河口堰から 宿副都心に超高層ビルが建ち並び始めた頃であった。 これによって当社は、本四架橋に向けての体制と備えを整え ることができたのである。 3 オイルショックの余波を乗り越えて 皇居周辺の官庁街でも受注が相次いだ。特に、この時代の代 受注した警視庁本部庁舎である。1931(昭和 6)年竣工の旧庁 舎を解体した跡地を利用して計画されたもので、地形を有効に 活用するために平面で V 字型の特異な配置となったほか、首都 の治安を守るべく最新の設備や機能が盛り込まれ,屋上にはヘ リポートが設けられた。総鋼重 1 万 2,700 t に及ぶ鉄骨工事は、 当社が 3 社ファブリケーターの中で幹事会社を務め、それぞれ 四架橋延期に局所的に出たが、民需に頼る部分も多い建築用鉄 縦割り分割の区分を受け持って現場施工を行った(当社分 骨では全般的な低調傾向として表れ、鉄骨専業メーカーの中に 4,800 t)。 られた。 旧庁舎の解体後、速やかに新庁舎を構える必要から工期が非 当社としては初めての経験だった。他社分の施工も横並びで進 は、1960 年代から始まった超高層ビル建築の機運が再燃し、 んでいくため、水平方向の建入れ精度の管理に努め、特に溶接 当社は 1975(昭和 50)年にサンシャイン 60 の鉄骨製作を受注 による収縮変位量の調整には慎重を期した。着工から鉄骨建方 することができた。池袋副都心再開発事業の一環で計画された 完了まで約 2 年を要したが、工場製作や現場施工での問題点に 同ビルは、地上 60 階建て・高さ 240m で、完成当時は東洋一の ついて検討を重ね、実物大の試作品を製作してデータ収集に努 超高層ビルとなり、その後 10 年間は日本一の座を守り通した。 めるなど事前に綿密な計画を行ったことが功を奏し、工期面で 当社の受け持ち分は総鋼重 2 万 4,000 t の内の 5,278 t であった。 も技術面でも順調に進展することができた。 当社が主体的な役割を担った超高層ビルとしては、1977(昭 同じく皇居周辺の官庁工事では、1975(昭和 50)年に建設省 和 52)年に受注した富国生命保険相互会社本社ビルが印象深 の九段合同庁舎(当社分 2,580 t)を受注した。この庁舎は九段 い仕事となった。同ビルは、地上 29 階建て・高さ 120m の超大 下と竹橋の中間辺りに位置しており、工事としてはボックス柱 型高層ビルであり、総鋼重 1 万 2,000 t の鉄骨製作を 4 社で手分 の現場溶接に、当社では初めてナローギャップ溶接(狭開先溶 けして受け持ち(当社分 3,940 t)、当社は幹事会社を務めた。 接)を採用した点が特徴である。この工事が佳境を迎える 製作精度の向上を率先すべく、特に現場での溶接工は選抜制と 1976 年には住友商事竹橋ビル(当社分 1,500 t)を受注し、ここ し、5 回にわたる技量付加試験に合格した優秀技能者だけを選 でも幹事会社を務めた。総鋼重 6,700 t に及ぶ鉄骨製作は当社を 出するとともに、事前に現場を想定した試験体を用いて訓練を 含む 6 社で分担したが、現場での建方や溶接は全量を当社が担 行った上で現場に送り込んだ。 当した。建物の両翼に耐震用鉄板壁を設け、各階とも中央はボッ 層ビルで、地上 32 階建て・高さ 140m であり、鉄骨総重量 2 万 2,000 t のうちの当社分は 4,320 t であった。ここでは、建築物で 警視庁本部庁舎(建設中) (東京都千代田区霞が関) 常に短かったことに加え、縦割り分割で工区を受け持つ手法は オイルショック直後の混乱も落ち着いた 1970 年代半ば以降 同年に受注した第一勧業銀行(現・みずほ銀行)本店も超高 106 首都・東京の中心部で確かな実績 当社にとって第 1 次オイルショックの影響は、橋梁事業の本 は過当競争による収支悪化もあって倒産に至るケースも見受け 第一勧業銀行本店(建設中) (東京都千代田区内幸町) ホテルセンチュリー第一生命ビル(建設中) (東京都新宿区西新宿) 表的な鉄骨実績として挙げられるのが、1977(昭和 52)年に サンシャイン 60 など超高層ビルを手掛ける サンシャイン 60(建設中) (東京都豊島区東池袋) 果が得られることを確認した上で工事に取り組んだ。 根川沿いに船で運ぶしか方法はなかった。江本建設の協力を得 現場まで運んだのち、現地架設を無事に完了させた。 ◉ 第 6 章 成長基盤の確立に向けて ナローギャップ溶接 クス柱・側まわりは H 形鋼で構成され、極めて高い施工精度が 求められる工事となった。 九段合同庁舎(東京都千代田区九段南) 107
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