飯田市の災害特性 ~火災・浸水害・土砂災害からの復興と地震への備え~ 04 昭和22年4月20日 飯田大火 ◆戦後日本三大大火のひとつ 市区町村単位で比較すると建物焼失面積は戦後最大 ◆焼失面積:226万坪(73ha) ◆罹災人口:17,800人(当時の市の人口:33,760人) ◆焼失家屋:3,577戸 ◆損害額 当時の金額で15億円(推定)【参考】当時の配給米の価格35銭/kg ◆罹災世帯数4,010世帯(店舗:2,664 住宅、寄宿舎、農家:1,165 飲食店、旅館:141 映画館、劇場、集会所:24 工場:16) 新たな想定震源域 飯田大火 三六災害 南海トラフの巨大地震モデル検討会資料から 05 昭和36年6月27日 三六災害 ◆天竜川の外水はん濫、天竜川支流の土石流、大西山(大鹿村)の深層崩壊 →急峻な地形ともろい地質により被害が拡大 ◆降雨量:6月23日~7月1日までの計579mm、6月27日(日計)325mm ◆死者101人、行方不明29人、重傷112人、軽傷1,043人 計1,285人 06 昭和53年6月 地震防災対策強化地域に指定 07 平成23年12月 東海・東南海・南海地震 想定震源域内に包含 5 © Takeshi Goto Iidacity 2015 飯田市の災害特性② ~火災・浸水害・土砂災害からの復興と地震への備え~ 08 自然災害におけるリスク ★伊那谷断層帯地震(M8.0)が最大の被害想定 →想定震度7 想定死者140人、想定避難者22,740人 ★「土砂災害警戒情報」がほぼ毎年発表 (19年2回、21年2回、22年2回、23年3回、25年2回) →平成22年には集中豪雨災害が発生、2,200人が孤立 【発生リスク】 ①土砂災害 ②浸水害 ③海溝型地震 ★土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン) 1,645箇所、1,201世帯、3,292人が居住 ④直下型地震 H27.04.01現在 「風化 花崗岩」地盤・・・花崗岩に雨が浸透し、根が張ることによって風化が進む。 最大で年8mm・50年で40cmの風化が進み、崩れやすい。 「マイロナイト」地盤・・・中央構造線の西側に多く存在。断層岩で非常に堅く緻密。 割れ目に沿って崩れやすい。 © Takeshi Goto Iidacity 2015 6 飯田大火からの復興 ~自治(まちづくり)の原点~ <<平成25年で60周年>> 09 りんご並木の誕生 ~そしてりんご並木がもたらしたもの~ ◆大火後、地元飯田東中学校生徒たちは、「自分たちの手で美しい街をつくろう」という夢を抱き、 りんご並木を構想、1953年(昭和28年)飯田東中学校の生徒たちが37本のりんごの木を植える (以来、すべての管理工程を生徒が行っている)。 ◆「ぼくらは、赤い美しい実をみのらせることによって、まちを美しくするばかりでなく、まちの人々 の心をも美しくしてゆきたいのだ。そうした社会的精神が、町じゅうに行きわたる時、はじめて、こ の飯田市の復興も達成されるのだと思う。」と生徒は語った。 ◆「防災意識」の啓発 ◆「地域に対する誇り」の醸成 ◆「自らのまちを自らで守る」という「自治の精神」の育成 ◆「公」の場を自らの手で維持管理、 「まちづくりの基本精神」の構築 ◆「文化的土壌」の再生 7 © Takeshi Goto Iidacity 2015 安全・安心で持続可能なまちづくり ~危機管理・防災体制の再編~ 10 組織の見直し ◆「防災政策・施策」を飯田市の重点施策として位置づける(平成16年) ◆これまでの震災等を教訓とした危機管理体制(組織編成)の構築に着手(平成17年~) ◆市長直轄の垂直的な意志決定組織整備、危機管理室の創設(平成21年~) 平成16年度危機管理体制図 市 平成18年度危機管理体制図 長 助 役 総 務 部 市 長 助 役 危機管理部 ○長野県警よ り人材を招聘 ○実質的な体 制整備に着手 平成27年度危機管理体制図 市 副市長 危機管理室 防災交通課 室長(部長級)1名 次長(課長級)1名 平成17年設置 交通防災課 消 防 室 長 危機管理係 危機管理係 防災係 防災係 兼係長1名 臨時1名 正規3名 臨時2名 交通安全係 庶務係 交通安全係 交通安全係 正規2名 内県警1名 防災係 消防団係 消防団係 消防団係 正規3名 内消防1名 職員6名体制 職員3名体制 職員11名体制 職員13名、兼務21名体制 長野県飯田市危機管理室防災係〔平成27年版〕 Copyright Iidacity. All rights reserved 8
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