4 社会を中心とした教科横断型問題

県トレ・特色検査 問題編
4 社会を中心とした教科横断型問題
練習問題1
問1
右のグラフは、わが国の1次エネルギーの供給もとの比率の変化を
表したものである(資源エネルギー庁の資料から)
。このグラフを見て、
石炭によるエネルギー供給量の変化をかんたんに説明しなさい。ただし、
年号と比率(何倍や何パーセント)以外の数値を用いてはならない。
※「新エネルギー」とは、太陽光発電や地熱発電などの新しい供給源をさす。
問2
右のグラフは縦軸に気温を、横軸に降水量をとり、都市の 1 年間の気
候の変化を表すものである。気候グラフの一種で、ハイサーグラフとよ
ばれる。グラフ中のA、B、C、D の都市はそれぞれ、モスクワ(ロシ
ア)・プサン(韓国)
・シンガポール・カイロ(エジプト)のいずれかを
表している(『理科年表』から作成)。プサンを表すグラフの記号を答え
なさい。また、なぜそれをプサンと判断したのかをかんたんに説明しな
さい。
記号〔 〕
理由 問3
古代から現代までの日本の歴史を 1 年分のカレンダーにまとめたとする。元旦は、仏教が百済から伝えられた年とする。なお、この
西暦年号は 2 説あるが、ここでは 552 年説を採用する。カレンダーの 1 日は 4 年とする。このカレンダーの年をうるう年とすると、大
みそかは西暦 2012 年となる。たとえば、最初の遣隋使の派遣 ( 西暦 600 年 ) は、1 月 13 日のできごとである。このカレンダーの内容に
ついて、次の問いに答えなさい。
(1) 源頼朝が征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府が名実ともに開かれたとされる年は、このカレンダーの何月何日になるか答えなさい。
〔 月 日〕
(2) 次の建造物のうち、このカレンダーの夏休み期間(7/20 ∼ 8/31 とする)に造られたものはどれか、記号で答えなさい。なお、
ア∼ウは現存するものの造られた時代、エは最初に建造された時代を指す。
ア 東大寺南大門 イ 姫路城 ウ 法隆寺 エ 金閣
〔 〕
(3) このカレンダーにおける祝日で、田沼意次の政治が行われた時代およびアメリカ合衆国独立宣言に最も近いものを答えなさい。
〔 日〕
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県トレ・特色検査 問題編
6 計算・図形の発展的問題
練習問題2
問1
ハワイ島にある、世界最大の光学望遠鏡(2013 年現在)「すばる」の主鏡は、加工そのものの精度の高さと、アクチュエイターによ
る微調整によって、空前の高精度が達成されている。主鏡の直径 8.2m に対し、表面の歪み(でこぼこ)の許容範囲は 12nm(ナノメー
トル)である。では、
「すばる」の主鏡を関東平野(およそ直径 80km の円にあたる)の大きさに拡大すると、歪みの許容範囲はどのく
らいになるかを、1nm を 10 億分の 1m として数値を求め、次の説明文を完成させなさい。なお、空欄[ A ]にふさわしい素材の
名を後の語群から選んで書き、[ B ]にはふさわしい 1 けたの整数を答えなさい。
■説明文 すばるの主鏡を関東平野だとすると、表面の歪みの許容範囲は[ A ]およそ[ B ]枚分である。
[ A ]の素材 一円玉(1.5mm)・新聞紙 (0.1mm)・セロハンテープ(0.05mm)・金閣寺の金箔 (0.001mm)
〔A /B 枚分 〕
問2
円周率が3以上であることを証明しなさい(解答は下の空欄に書くこと・考える際に右の図を用いてもよい)。
問3
18 世紀、北東ヨーロッパの都市ケーニヒスベルク(現ロシア・カリーニン
グラード)で、次のような問題が話題となっていた。
「右上の図のような、川とその川に架かる a ∼ g の 7 本の橋がある。この 7
つの橋を全部、しかも 1 回だけ通って散歩ができるか。」
スイスの数学者レオンハルト・オイラー (1707 ∼ 1783) は、この問題を、陸
地(A ∼ D)を点に、橋(a ∼ g)を線分として、右下のような図に置き換え
て考えた。結果、この問題は「不可能である」ことが証明できた。
この問題は、一筆書き問題とも呼ばれ、下の図について、左側の図 1 は一
筆で書くことが可能である。中央の図 2 は、一筆で書くのは不可能で、右側の
図 3 は、A か B のどちらかからスタートさせたときのみ一筆で書くことがで
きる。これは、各点に集まる線分の数に着目すると判断が可能である。
以上を参考にして、a ∼ g の橋のうち、1 本だけを通行止めにして、すべて
の橋を回れるようにしたい。点 A を出発点とするとき、どの橋を通行止めに
すればよいか答えなさい。ただし、動ける範囲は図にある範囲のみとし、「船
で渡る」などといった方法は使えないものとする。
〔 〕
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県トレ・特色検査 問題編
8 推理・推論の問題
練習問題4
2013 年は「彗星の当たり年」とよばれていた。春にパンスターズ彗星が、
秋に ISON
(アイソン)彗星が太陽に接近し、夜空に現れる。なお、
パンスター
ズ彗星は、期待したほど明るく見えなかった。秋の ISON 彗星は「史上最
大級」といわれていたが、彗星の明るさや大きさはそのときにならないと
わからないもので、結局期待された大きさには見えなかった。
夜空に現れ、尾を引きながら移動してゆく(史上最大のものは、ほぼ空
をおおいつくしたらしい)姿は大変印象的だが、それだけに不吉なものと
してとらえられることが多かった。日本の歴史書や文学作品にも現れる彗
星は、あまりよいイメージで書かれることはなかった。現代の「星空の人
気者」のイメージとは大きな違いである。では、彗星について、問いに沿っ
て考え、問題を解決してみよう。
(1) ISON 彗星は、太陽に最も接近したあと、地球から約 6500 万 km の地点を通
過すると言われていた。その距離のとき、彗星が十分な明るさをもって観察で
きるとする。彗星の大きさを腕と定規で計測しよう。手に定規を持ち、目と同
じ高さにした手を伸ばして彗星の長さを定規で測る。彗星の長さは 2mm だっ
た。いっぱいに伸ばしたときの手の長さが 60cm ならば、このとき見える彗星
の実際の大きさはおよそどれくらいか。解答は四捨五入し、何万 km として答
えなさい。なお、伸ばした手と定規の作る角度は直角とする。
〔 万 km〕
(2) 次の英文の説明を読んで、あとの質問に答えなさい。
We often use *magnitude *as a *measure of the *brightness of the star. *For example, The *Antares in the *Scorpion
is the star which has the *first magnitude, and the *Pole star is the star which has the second magnitude. As this
measure is getting larger and larger, the star is getting darker and darker. The star of the first magnitude is about 2.51
times as *bright as the star of the second one, and about 6.3 times, which means 2.51 × 2.51, as bright as the star of the
third one.
* magnitude:( 星の ) 等級 as:として measure:値・単位 brightness:明るさ for example:例えば
Antares:アンタレス(星名)
Scorpion:さそり座 序数詞+ magnitude:∼等級 Pole star:北極星
bright:明るい
質問 ISON 彗星は、2013 年夏時点の観測では、満月と同じくらいの等級になる可能性があると期待されていた。つまり、昼間か
ら見えるのである。しかし、
残念なことにそこまで明るくならなかった。では、
ISON 彗星の見かけ上の明るさが、
−10 等級になっ
たとしたら、満月の明るさのおよそ何分の1になるか。満月の明るさの等級を−13 等級とし、解答の分母は四捨五入して整数
で答えなさい。
〔 分の1〕
(3) 史上最も有名な彗星は、ハレー彗星であろう。イギリスの天文学者、エドモンド・ハレー (1656 ∼ 1742) が観測・調査してその
周期を定めた。そして、ハレーの予言どおりに約 76 年の周期で、彼の死後に「再登場」したのである。以来、この名で呼ばれている。
この彗星は大型で、しかも周期が比較的安定しているため、記録にも多数登場する。最後に観測されたのは 1986 年である。では、
次に示す日本の歴史における彗星の記録のうち、ハレー彗星とは考えにくいものをすべて選んで記号で答えなさい。
ア 1577 年、大和国(奈良県)の大名、松永久秀が一度忠誠を誓った織田信長にそむき、根拠地の城にたてこもり、敗れ
て自害した。その少し後に大きな彗星が現れたため、人々は「弾正星」として不気味がった。
「弾正」とは久秀の通称だった。
イ 日蓮は法華経の教えに従わねば国が滅ぶと鎌倉幕府に警告した。1264 年に彗星が出現した数年後、日蓮は彗星が日本
の国難の予兆であると述べた。彼が「国難」と言ったのは、そのころ届いたモンゴルからの国書であった。数年後に文
永の役が起こった。
ウ 奈良時代後期の 769 年、聖武天皇の娘の称徳天皇は、未婚のため、特に気に入っていた最高位の僧、道鏡を次の天皇に
即位させようと考えた。だが、これは反対派によって封じられた。道鏡は追放され、天皇は健康を害して翌年亡くなっ
た。このとき、巨大彗星が現れたと記録にある。
エ 幕府の大老、井伊直弼による政治上の大弾圧「安政の大獄 (1858 年 )」のころ、巨大彗星が観測された。安政の大獄自体は、
武士階級以外にはそれほど大きな影響を与えなかったが、その直前に伝染病「コレラ」が大流行しており、開国による
社会不安と重ねられることで、彗星の不吉なイメージが広まった。
〔 〕
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