宮沢賢治について

宮沢賢治について
私は、先に「野生の思考」とは「宮沢賢治の思考のようなもの」と述べた。多くの方は、
宮沢賢治といえば、どういう人であるかをイメージできるし、「宮沢賢治の思考のような
もの」といえば、どのような思考かをイメージでできる。それが私の狙いであり、哲学者
でない限りそれ以上のことは望まないが、ただ哲学を志す人には、宮沢賢治のリズム性を
ご理解いただきたいと思う。宮沢賢治のリズム性、それはニーチェのリムム性との繋がり
である。
ニーチェも宮沢賢治も、「宇宙のリズム」を感じることができた。そのことを以下におい
て説明したい。
1、「宇宙のリズム」という言葉について
中路正恒の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)の「永遠回帰の思
想」の「第三の考察:結論」というところで、「肯定はどのように学ばれるか」という
テーマで「宇宙のリズム」に関して次のように述べている。すなわち、
『 肯定は、しかし〈ひらめき〉として与えられるように見える。それはやはり変わらず
に、循環の激しい物質的な流動である。しかし、その激し い物質の流れにおいて、ひと
は時として循環する宇宙の〈生命〉と言うべきものの動きを、感得しうるのである。激し
い〈ひらめき〉の数々が構成する、時と強 さと色彩の区切りに、人は時として、循環す
る宇宙の生命そのもの、つまり「宇宙のリズム」を、聴きとることができるのである。』
『 宇宙の生命としてのそのリズムが聴きとられる瞬間が訪れてくる、ということは、確
かに「不思議」としか言いようがなく、言わば、ただ瞬間 の〈贈与〉によって、われわ
れはそれを聴きとりうるようになるのである。この聴きとる能力を何によって与えられた
か、ということも、われわれは言うことが できない。ただある時、その〈時〉の贈与に
よって、われわれは宇宙の生命の動きを聴きとることができるようになるのである。』
『 宇宙の生命、そして「宇宙のリズム」。微小においては、それは原子のリズムであ
り、クォークのリズムである。そして細胞のリズムや天体のリズ ム、等々・・・カールハ
インツ・シュトックハウゼンがそれを聴きとり、名付け、そしてその音楽が表現している
ような、さまざまな次元の、さまざまな リズムである。そしてそのリズムのすべてにおい
て、鋭角的な〈ひらめき〉が、音の生命でもあり宇宙の生命でもあるものとして、瞬間的
に輝き、またひしめく のである。』
『 そしてそれらの「宇宙のリズム」に、われわれはみずからを合わせ、みずからそれに
参与することができるのである。われわれは〈ひらめき〉のリズムを構成しつつ、みずか
らを生きた宇宙の循環の中に組み込むのである。』
『 そして、このように「宇宙のリズム」に参与し、そこにみずからを組み込むことは、
循環する宇宙とのあいだに、祝福を交わしあうことであり、循 環を肯定することなので
ある。このように、肯定にかかわる一切は、本質的に音楽的な出来事であり、また音楽の
本質は、本来このように肯定を表すことである のである。』・・・と。
この「宇宙のリズム」というのは、中路正恒の名付けた言葉であるが、ニーチェのいう
「啓示というリズム」のことである。それでは以下において、 ニーチェのいう「啓示とい
うリズム」について詳しく説明したいと思う。
2、 ニーチェのいう「啓示というリズム」
私は、私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」でニーチェのことをいろいろ書いた
が、「宇宙のリズム」に関連した部分で重要な見落としをしていたので、この際、以下に
おいて、その点を補充しておきたい。
まず、ニーチェの著作についてであるが、晩年最後の「この人を見よ」という誠に重要な
著作がある。
電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」で書いたように、 1886年にニーチェは『善悪の
彼岸』を自費出版した。この本と、1886年から1887年にかけて再刊したそれまでの著作
(『悲劇の誕生』『人間的な、あまりに人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』)の第2版
が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。事実、
ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたもの
ではあったが)高まりはじめていた。
ニーチェは1888年に「ヴァーグナーの場合」、「ニーチェ対ヴァーグナー」、「偶像
の黄昏」、「アンチクリスト」、「この人を見よ」という5冊の著作を書き上げた。
これらはいずれも、長らく計画中の大作『力への意志』のための膨大な草稿をもとにした
ものである。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。この年の秋
ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、
自分の著書(なかんずく『ヴァーグナーの場合』)に対する世評について増加の一途をた
どっていると過大評価するようにまでなった。
『偶像の黄昏』と『アンチクリスト』を脱稿して間もない44歳の誕生日に、自伝『この人
を見よ』の執筆を開始。これは最後の著作となる。『力への意志』も精力的に加筆や推敲
を重ねたが、結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告
げる。
この際、この点について補足説明をしておこう。 ニーチェは『力への意志』を著すために
多くの草稿を残したが、本人の手による完成には至らなかった。ニーチェの死後、これら
の草稿が妹のエリーザベトによって編纂され、同名の著書として出版された。だから「力
への意志」という書物の中身については、ニーチェの考えの完成したものではないという
ことだ。「力への意志」という書物自体は未熟なのである。ただし、力への意志という言
葉は『ツァラトゥストラはこう語った』や『人間的な、あまりにも人間的な』の中でも登
場し、その概念をうかがい知ることができ る。このことは、「力への意志」という主題
がニーチェにとって著作としてまとまったものになるほど成長することはついになかった
ということであり、言って みれば、ニーチェは哲学者として責任感旺盛できわめて慎重な
性格だったということである。まじめすぎるほどまじめだったのである。そのまじめな彼
が、その自信を持って本音を書いたのが、晩年最後の著書「この人を見よ」である。した
がって、ニーチェの哲学の心髄を理解するためには、 晩年最後の著書「この人を見よ」が
きわめて重要である。私はその内容を電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」で書いたの
だが、実は、最重要な部分「啓示というリズム」、これは中路正恒のいう「宇宙のリズ
ム」ということだが、その部分をうかつにも見落としていた。それをこの際、補充してお
きたい。
『 ニーチェは『この人を見よ』の中で、自分のインスピレーションの経験を記してい
る。』
『 インスピレーションとは(昔の人のいう)啓示(Offenbarung)である。』
『 啓示という事態は、リズム的な諸関係を(リズム的に)把握する直観(本能)
(Instinkt)である。』
以上述べたように、ニーチェには啓示の体験があった。しかし、ニーチェとしては、「神
の啓示」とは言えないので、何とか啓示の説明を科学的しようと当時の科学的知見をフル
稼働して宇宙の波動というものを考え出した。そして、その「宇宙の波動」の働きによっ
て、苦に満ちた現実の世俗の世界を肯定することができるとした。神に助けを求める必要
はない、キリスト教に助けを求める必要はない、あの世に行って安らぎを得るなどと妄想
する必要はない。現実の世俗の世界をイキイキと生きる道を歩いて行くべきだ。それが
ニーチェの基本的な思想である。そのことをニーチェをして悟らしめたのが、「啓示と言
うリズム」なのである。つまり、それが中路正恒のいう「宇宙のリズム」なのである。
中路正恒は、宮沢賢治はその「宇宙のリズム」を感じることのでき希有な人であるとい
う。次にその点につき中路正恒の結論部分のみここに紹介しておきたい。中路正恒の詳し
い説明については、彼の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)をご
覧いただきたい。現在、その内容をネットでも読むことができる。
3、宮沢賢治と「宇宙のリズム」
中路正恒は、その著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)で次のよう
に述べている。すなわち、
『 詩「原体剣舞 連」において最後に語られている願望は「雹雲と風とをまつれ」、であ
る。 それは先に引用した「鬼神をまねき」につづいて、次のような3行として語 られ
る。
樹液(じゆえき)もふるふこの夜(よ)さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲(ひよううん)と風とをまつれ 』
『 鬼神たちがやってきている。おののくべき、きびしい夜である。樹液すらふ るえて
いる。そこを一夜中、舞を舞い続け、鬼神たちを楽しませる。赤いひた たれのひるがえ
り。赤をひるがえして舞い続けることが、雹雲と風とをまつる ことになるように、その
ように舞い続けること。赤い色が翻る。地には赤を翻 させる舞が続き、その赤の翻り
が、天上の雹雲と、風のリズムに呼応する。地 と天の間、地の赤と天の黒雲との間に一
つのリズムの呼応が生じるとき、鬼神 もまた怨恨の念を失い、亡霊たちの思念は、こと
ごとく、風のごとくに消失す る。そうしたリズムを生み出すまつり、舞い、としての
〈気圏の戦士〉たちの 、鎮魂、慰霊の剣舞踊り。四方から呼び寄せられた亡霊、鬼神た
ちは、この天 地を結ぶリズムの動きの中に、慰められ、充足し、そして清らかに消え去
るの だ、と賢治は語ろうとしているのではないだろうか。怨霊を鎮めうる〈験(げ
ん)〉の力とは、こうして天地を遍くわたらしめるひとつのリズムを打ち立て る力に尽
きるのだ、と賢治は言おうとしているのではないだろうか。恐らくこ ういう解釈だけ
が、「雹雲と風とをまつれ」という願望を、究極的な、充分な 願望として、打ち出すこと
の意味を説明するであろう。天地を呼応させるリズ ムの生産装置としての「原体剣舞」、
こういうものを賢治は、〈気圏の戦士〉 としての舞手たちの舞いに読み取り、また期待
したのであろう。』
『 そうであるとすれば、「打つも果てるもひとつのいのち」という、詩行の末尾 に語
られる思想は、生命というものは根源においては一つであるが、それが現 実の生におい
ては必然的に異なった別々の形を取り、異なった立場を取り、あ い対立せざるをえない
のだ、という思想、根源の一性にこの世の葛藤や対立か らの救済を見出そうとする思
想、とは、はっきりと異なった思想を語っている ことになるであろう。つまり賢治にお
いては、より実践的、実行的なことが問 題なのであり、現実に月が銀の矢並みを射そそ
ぐリズムを見出し、生み出すこ とが重要なのであり、獅子座に火の雨を散らせるリズム
を見出し、生み出すこ とが重要なのである。しかも、多くのいかさま師たちがやるよう
に、そう見せ かけるのではなく、本当にそれを見出し、生み出すことが問題なのであ
る。従 って、「打つも果てるもひとつのいのち」という思想は、単に前景であって、 本
当の思想は、或るひとつの〈宇宙のリズム〉を把握することの内にあるので ある。そし
て、この捉えられた或るひとつの〈宇宙のリズム〉の中で、本質的 に多数であるいのち
たちが、同じ時の流れを経験するのである。それが喜びで あり、歓喜であり、そして救
済である、と賢治はわたしたちに語っているので ある。賢治が語っていることは、イデ
オロギーでもなく、またいかさまでもな い。』
『 そして、ここにおいて、つまり生の本質的な多数性の、現実に把握され、生み 出さ
れ、享受される喜びにもとづく、承認と肯定において、宮沢賢治の思想は 、ニーチェの
思想と非常によく似た場所にあるのである。ニーチェもまた、生の本質的な多数性の、こ
の承認と肯定によって、意志は根源において一つであ る、というまやかし的な思想を語
る哲学者と対決したのである。』
『 ニーチェの思想との比較は、また後の機会にゆだねたいが、「ひとつのいのち 」と
いう賢治の思想は、私の苦において誰かの快を肯定し、また私の快におい て誰かの苦を
肯定する、相互性の交流、乃至は立場の相互的な交換、の〈場〉 を明示するが、それは
決して、根源における自他の差異の解消、他者と自己の 根源における消滅、のようなこ
とを語ろうとしているわけではない。これにつ いて例えば、「なめとこ山の熊」や「注
文の多い料理店」などの作品において 追究される、立場の相互的交換の問題を思い浮か
べていただきたい。前作にお いては相互的交流は美しく成立し、後者においては成立し
ないのであるが、こ のいずれの場合にも、根源的な一への自他の解消が問題なのではな
く、常に多 数的である生の、交流をもつ再生産が問題なのである。そしてこの交流を可
能 にする〈場〉がどこにあるかが問題であろう。そして私は、その最も厳密な思 索にお
いて、賢治は、その〈場〉を、天と地を結ぶリズムが生成するところに 認めていた、と
考えるのである。原体剣舞連は、宮沢賢治によって、相互的交 流の〈場〉を形成する
〈宇宙のリズム〉の生成装置として、把握され、そして 詩として定着された、と私は考え
るのである。』・・・と。
以上述べてきたように、「宇宙のリズム」というのは、ニーチェのいう「啓示というリズ
ム」であり、冒頭に述べたように、中路正恒の考えでは、 それは原子のリズムであり、
クォークのリズムである。そして細胞のリズムや天体のリズ ムなのである。