はじめに 日本郵政グループとは、親会社(持ち株会社)である日本郵政の下に、日本郵便・ゆう ちょ銀行・かんぽ生命の三社がぶら下がるという構成です(四社体制)。このうち郵便事業 に携わるのが日本郵便であって、2007 年に民営化がスタートしたときは郵便事業会社と郵 便局会社とに分かれていました。2012 年に現在の郵政民営化法等改正法が施行されたとき 統合されて一社になっています。今回の株式上場では、この日本郵便は埒外。その株式は 日本郵政が 100%持ち続けることになっています。ゆうちょとかんぽを金融二社と呼びます が、この二社と親会社である日本郵政が上場を申請、東京証券取引所は今月 10 日にこれを 承認しました。10 月の中下旬にかけて、まずゆうちょとかんぽ、続いて日本郵政の順に売 り出し価格を決める運びとのこと。こうした「親子同時上場」は、後に述べますけれど、 いくつか問題点があり、最近では異例らしい。上場日は 11 月 4 日が予定されています。巨 額なだけに売却は何度かに分けて段階的に行われ、 初回は三社で 1 兆 4000 億円ほどの規模。 法律は施行され形の上ではスタートを切りながらも様々な理由から足踏みしてきた郵政民 営化は、いよいよ現実のものとなるわけです。 郵政株式が今秋上場と言われ出した去年あたりから、マスメディアやネット空間で色々 な論評が行われてきました。しかし、それらはこの株が「買い」かどうかという投資家視 点からのものがほとんどで、郵政の労働現場で働く者にとって、また株の売買などとは無 縁に日々汗をかいている人々にとって、この上場がどういう意味を持つかという考察はな されていません。本日の講座では、まずこの点を考えてみたい。それから、郵便貯金や簡 易保険は零細な貯蓄ですから、そこに集まった金というのは、まさに勤労者の汗の賜物。 ところが、それはまた政府金融の財源とされて日本の資本主義経済を「まわして」いく上 で重要な役割を果たしてきました。だから、郵政民営化がなぜ断行されたか(同時に、に もかかわらずこの 10 年というもの何故もたついてきたのか)を分析することを通じて、日 本の資本主義とはどういうものか、その姿がおぼろげであれ見えてくるように思います。 闘う相手の正体を知るということです。 その上で、では、どう闘うかというところまで議論ができれば、本日の講座は意義のあ るものになるかと思います。 民営化法成立(2005)から東証一部上場(2015)まで 2005 年 10 月 郵政民営化関連 6 法案成立 2007 年 10 月 郵政民営化スタート 2009 年 9 月 民主党中心政権への政権交代 2012 年 4 月 郵政民営化法等改正法成立 2012 年 12 月 自民党(+公明党)政権復帰 2015 年 11 月 日本郵政・ゆうちょ銀行・かんぽ生命、東証一部上場(予定) 2005 年の夏、郵政民営化関連 6 法案つまり民営化法を当時の小泉純一郎総理が強烈なイ ニシァティブを発揮して成立させたことは、もう 10 年前とはいえまだ記憶に鮮明でしょう から詳しくは触れません。衆院を通過したものの参院では否決されたので、国会解散→総 選挙に打って出て大勝したのでした(自民党は解散前 249 議席だったのが 296 議席に) 。そ の衆議院選挙の結果を見せつけられて、法案を否決したときと同じ議席であった参院も、 もう抵抗できませんでした。こうして、2005 年 10 月、民営化法が成立。法の施行は 2007 年 10 月からとなりました。それまでの郵政公社は廃止され株式会社・日本郵政グループが 発足します。親会社たる日本郵政の下に、ゆうちょ・かんぽ・郵便局・郵便事業の四社が ぶらさがる五社体制です。 ところが 2009 年夏、民主党中心政権(民主・社民・国民新)への政権交代が実現します。 その背景には小泉流の強引な「改革」手法に対する反発があったわけだから、その「改革」 の象徴だった郵政民営化の「見直し」が当然ながら新政権の課題として浮上しました。と りあえず同年 12 月「日本郵政株式会社、郵便貯金銀行及び郵便保険会社の株式の処分の停 止等に関する法律」というのが成立して株式売却は凍結されます。見直しの中心になった のは、当時国民新党を率いていた亀井静香氏でした。しかし、政権内の多数であった民主 党議員の多くは、小泉改革への反発を背に当選したといっても実は彼らの志向するのも小 泉氏とそう変わらぬ新自由主義路線です。新自由主義とは距離を置く亀井氏などは、まず 政権内での調整に苦労しなくてはならなかった(亀井氏の立場を私は「土建ケインズ主義」 とかつて呼んだことがあります。後述します)。なんとかまとめた郵政改革 3 法案は、政権 内の足並みの乱れを見透かした野党・自民党の焦らしもあって結局、審議未了・廃案に。 そうしたすったもんだの挙句に成立したのが郵政民営化法等改正法でした。2012 年 4 月 のことです。郵政事業はもう何年も身動きがつかない状態が続いているし、前年には 3.11 東日本大震災が起きたから、その復興財源としても郵政株売却益が見込まれた。民営化を 再スタートさせなければ、ということでしょう。だから、その方向は小泉民営化とそう変 わらない。 ●親会社・日本郵政の株式は三分の一は政府保有に残し三分の二は処分 ●日本郵便の株は売却せず日本郵政が全株保有 ●金融二社の株式は全て処分 ・・・・これらの基本線は小泉民営化と変わっていません。変わった点といえば、 第一に、初めに述べたように郵便局会社と郵便事業会社が小泉民営化では別々だったの が統合されて日本郵便一社になったことです(グループは五社→四社へ) 。 第二に、郵便のみならず金融にもユニバーサルサービスが義務づけられた。 第三に、金融二社の全株処分に「10 年以内」と期限がつけられていたのが、その期限が 外された。 細かな変更は他にもあるのですが、さして重要ではないのでここでは略します。 第二と第三の修正が施されたことで、方向は小泉民営化と変わらないといっても、すす むスピードにかなりブレーキがかかる可能性が出てきた。手紙や葉書を全国どこへでも同 一料金で配達するという郵便のユニバーサルサービスは以前から課せられていました。第 二の修正にある金融のユニバーサルサービスとは何かというと、貯金・保険の基本的サー ビスも郵便局において一体的に提供する責務のことです。注意しなければならないのは、 この責務が課せられているのは日本郵政と日本郵便であって、ゆうちょ・かんぽの金融二 社ではないことです。金融二社は株式売却が進んで親会社・日本郵政のコントロールから 離れた暁、その気になれば郵便局の窓口での業務から撤退することができます。ことに収 益の上がらない過疎地ではそうしたいのではないか。日本郵便に払う業務委託料が結構な 額(詳しくは後述)だし、意外なことに金融二社は別に直営店も持っているのです(ゆう ちょは支店数 233、かんぽは 81。みずほ銀行の支店数が 381、明治安田生命のそれが 92 で すから、そこそこの数です)。すると、日本郵政としては金融ユニバーサルサービスを維持 するためには金融二社に替わる銀行と保険会社を捜してくるか金融二社の株式を完全売却 はせず、ある程度コントロールが効くだけの株式を持ち続けなくてはならないということ になる。金融二社の完全処分から期限を外した第三の修正がここに繋がってきます。実際、 新規業務の認可制が届出制に変わる 50%株式処分までは株を売るだろうけれど、その先は 停滞させるのではないか、という嫌疑を民営化推進派は抱いているようです。このあたり 亀井氏の老獪な仕掛けであったように思いますが、今後、金融ユニバーサルサービスを撤 廃させようとする圧力が強まっていくのではないか。ちなみに、小泉さんの目論見では、 2007 年の民営化スタート後、3 年以内に株式上場、それから 5 年以内くらいで金融二社の 全株処分を考えていたらしい。すると、ちょうど今年あたり完全民営化が遂行されていた ことになります。 この上場の何が問題か 3 月 6 日付「日本経済新聞」に「郵政株七・九兆円、主幹事証券試算、純資産の六割ど まり ゆうちょ銀、収益力に課題」という記事が載りました。野村証券・三菱 UFJ・ゴー ルドマンサックス・JP モルガンの四社の試算として、日本郵政グループ三社の親子同時上 場で総額 7 兆 9000 億円と弾き出されたというのです。直近では今月 10 日の上場承認に際 して日本郵政 6.1 兆円、ゆうちょ 5.2 兆円、かんぽ 1.3 兆円という計算が出ました。前述し たように金融二社の株式は 50%処分までは間違いなくともその先がわからない。そこで二 社の株の半分はまだ当面日本郵政に残るとして 2.6+0.65 で 3.25 兆円。日本郵政には 2.5 兆円の不動産があるから足して 5.75 兆円。赤字体質の日本郵便の企業価値はせいぜい 0.35 兆円ということで日本郵政 6.1 兆円に落ち着いたのではないでしょうか。 この数字をどう見るか。 財務省の資料によれば、政府保有の日本郵政の株式の総額は 12 兆 4481 億円です。これ は、日本郵政公社を日本郵政株式会社に改組したとき(2007 年)日本郵政の株式の会計上 の価値として政府が国有財産の目録に記帳した金額ですからいわゆる簿価。それから 2012 年、現在の郵政民営化法等改正法が成立したときの国会での質疑で、株式の売却見込額に ついて当時の自見庄三郎・郵政改革担当大臣から「日本郵政株式会社の連結純資産額をベ ースに 3 分の 2 を売却するとして機械的に算出すると 6.8 兆円の売却益になる」との試算 が示されています。すると、この時点では日本郵政の全株式は 10 兆 2000 億円と試算され ていたわけです。この質疑では、株式売却凍結法(前出)で売却のタイミングを逸したこ とが郵政の資産価値をおおいに減じたとの指摘がありました。2011 年 12 月成立の「東日 本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法」 は 2022 年までの時限立法であり、その年までの日本郵政の株式売却益は復興財源に充てる として、その額を 4 兆円と見込んでいます。日本郵政の株式処分は三分の二までであって、 また株売却はいちどきにではなく段階的に行われるので 2022 年までに完了するとは限りま せん。それでも三分の二で総額 6 兆 8000 億円になるなら 2022 年までに 4 兆円くらいは捻 り出せるだろうと皮算用されたわけです。三分の一は政府が持ち続けるとしたのは、それ だけあれば株主総会における特別決議(定款変更、事業譲渡、合併等の組織・再編行為等 の会社の基礎の変更、株式の併合等の株主の地位に関する事項、特定の株主からの自己株 式取得等の株主の利害に関する事項等)を阻止することができる、つまり会社の基本的な 形は守れるからです。 また「一般財団法人 ゆうちょ銀行」 (名称からして郵政グループの身内組織のようです) というところの HP には、こんな計算が出ています。 新規上場の場合の株式時価総額は、日本郵政だけでも、三大メガバンクの株価純資産倍 率(PBR)平均 0.72(2014 年 12 月 30 日現在)を適用すると、2013 年度決算の純資産が 13.39 兆円であることから、株式の時価総額は 9.6 兆円となる。同様の PBR をゆうちょ銀行にも 当てはめると、時価総額は 8.3 兆円となる。かんぽ生命は第一生命の PBR0.8(2014 年 12 月 30 日現在)を適用すると 1.2 兆円となり、親子三社の株式時価総額は 19 兆円程度と見込 まれる。 最後の「親子三社の株式時価総額は 19 兆円程度」という計算はちょっと甘いように思い ます。現時点では金融二社の株式はまだ全て日本郵政が持っているわけですから、こんな ふうに単純に三社を足し算してはダブってしまうのではないでしょうか。とはいえ、これ らの数字(簿価やこのあいだまでの推計時価)と比べると直近の推計 7~8 兆円さらには 6.1 兆円というのは随分安売りではないでしょうか。 国有財産が民営化されるときは安く売られてしまうのです。イギリスのサッチャー政権 のときもそうでした。国営だった水道・電気・ガス・通信・鉄道・航空などを次々と民営 化していきましたが、急ぐあまり安く売却し、国民の財産の叩き売りと批判されています。 ニュージーランドの郵政民営化のときも株の安売りだと問題になりました。 「かんぽの宿」売却の場合は なぜか。2009 年春、民主党中心政権への交代のちょっと前に大きな騒ぎになった「かん ぽの宿」のオリックスへの売却が、極端なだけにわかりやすい例です。このとき、パルク セール(一括売り。全国 60 数か所の宿と首都圏の社宅 9 件を合わせて日本郵政算出の純資 産総額:約 93 億円をオリックス不動産に約 109 億円で売却するはずだった。なお簿価の総 額は 2400 億円)だったこともあって、そのうちのたとえば鳥取県の岩井簡易保険保養セン ターは僅か一万円で落札されました。それが数か月後には六千万円で転売されたのです。 詐欺みたいな話ですが、売った西川義文氏(当時の日本郵政社長)も入手したオリックス の宮内義彦氏も現在でも疾しいとは思っていないようです。企業の売買の世界ではそれで 通るのだという。つまり時価は、その施設がどれだけ運用益を出しているかで換算されま す。 「かんぽの宿」は、黒字施設が 11 施設のみで財務会計上は事業全体で毎年年間 40 億の 赤字を計上しているとされていました。 しかし公共施設である「かんぽの宿」は利益を増やすために経営されているのではあり ません。利益が出れば利用料を低く抑えるなど利用者に還元すべきものです。その利益還 元がどこまでスムーズに行われていたかという点で問題があったにしても、それはまた別 の話。基本的な構造として「かんぽの宿」は利益の出ないことになっている。けれども先 ほど述べたように時価はその利益から弾き出されます。それが資産価値計測の国際会計基 準でもあります。その値で売り、また買って何が悪いのかーこれが西川氏や宮内氏の考え なのでしょう。この価格で一括してオリックスが買い、利潤があがるように経営の方向を 変えるなら資産価値は上がります。これが民営化によって儲けようとする者らの狙いです。 民営化によるボロ儲けは制度上可能なのです。世界でこうした投資家たちの中心にいる のはアメリカの投資銀行。 [ワシントン・コンセンサス]は途上国の累積債務問題に対する 取り組みにおける合意ということになっていますが、10 項目のうち第 8 項は「国営企業の 民営化」で、民営化された企業を買い取り、営利主義経営を行い、売却することによって 巨額の利益を上げています。発展途上の国が対象になるだけでなく、イギリスの国鉄民営 化の中心だったレールトラックは 1994 年に売却、株価の上昇局面で売り逃げされ(99 年 時点で売却時よりも最高 4.6 倍の値がついたそうです) 、2001 年に経営破綻しました。政府 の出資を仰いだというから、民営化は失敗して、また国有企業的な性格に戻ったというこ となのでしょう。 なお「かんぽの宿」のその後。小泉時代の民営化法の下では「2012 年 9 月までに廃止ま たは譲渡」とされ、これに乗じてオリックスが手を出した。さすがに批判を浴びて売却は 途中で止まり、現在の民営化法等改正法では「当分のあいだ管理または運営可能」となっ ています。最近、道後や白浜など 9 か所が今年 8 月いっぱいで営業を中止したと報道され ているのは、上場に向け小泉路線にまた戻ってきたということでしょうか。 今回の上場でも「かんぽの宿」叩き売りと同じ構造が浮かび上がっているのではないで しょうか。ゆうちょ銀行はこれまでのところ公的金融として貯金の安全・安定を第一にし てきましたからリスクを避け国債中心で運用されてきました。また累積債務 1000 兆円を超 す日本経済からの要請としてもゆうちょやかんぽが国債を引き受けてくれなくては困りま す。2010 年の数字で、国債の保有者割合ではゆうちょが全体の 23.8%、かんぽは 10.2%。 この二社で全体の三分の一を占めていました。国債は利率が低い(現在 1 年物で 0.004%、 10 年物で 0.36%)から金融二社の収益性は薄い。貯蓄残高がいくら膨大(ゆうちょ銀行の 残高は 2013 年末で 176.6 兆円、かんぽ生命は 2015 年 3 月で 83.5 兆円)であろうと利益率 からすれば金融二社の企業価値は安く見積もられてしまいます。 もっとも直近の動きとしては、15 年 3 月末の国債の保有残高は、ゆうちょ銀行が 14 年 3 月末と比べて約 30 兆円、かんぽ生命は約 4 兆円それぞれ減少しました。一方で外国債券や 国内株式などリスク資産への投資が増えています。運用残高に占める国債の割合はゆうち ょが 15 年 3 月末で 51.8%と 14 年同期の 63.0%から、 かんぽは同じ時期に 60.3%から 56.6% へとそれぞれ低下。運用戦略を見直すという郵政「中期経営計画」に沿った動きでしょう。 郵貯マネーで株価を維持したいアベノミクスの意向も働いたように思います。 ただ、これがまた問題を含んでいます。国債での運用を減らした分、将来は民営金融会 社として、ゆうちょなら企業への融資に参入したいところです。貸出金(融資)の利回り は低下が続いているとはいえ 2014 年度で平均 1.29%ありましたが、国債・株式など有価証 券の利回り平均は 0.86%にとどまっています。ところが、これまで国債中心でやってきた から企業融資のノウハウを郵政は持っていません。また今日の“金余り”状況でそんな素 人に融資を仰ぐ企業があるとも思われません。あるとすれば民間銀行が融資を躊躇う「危 ない」企業ということになってしまう。失敗してゆうちょが経営破綻する可能性だってあ ります。預入限度額 1000 万円の郵便貯金を利用するのは資産家ではないでしょう。勤労者 が日々の労働から僅かずつを蓄える場所です。そんな性格を持つゆうちょが民間金融会社 として生き残るためにリスキーな運用に手を出したら、利用者にとっては低利であっても 安全な貯蓄の場が失われてしまいます。 財政投融資をめぐって ここで今日の局面から少し離れて、郵便貯金や簡易保険が集めた金がこれまで日本経済 においてどういう役割を果たしてきたかを見てみたいと思います。それが郵政民営化がな ぜ断行されたかを歪んだ形ながら説明するからです。資料として本多勝一さんが 1975 年に 書いた『だれが三里塚でもうけたか』といルポルタージュを用意しました。成田空港の建 設がいかにおかしなものであるかを明らかにしたもので、非常に優れた作品ですが、今日 の講座との関連で重要なのは 173 ページからです。そこまでの記述で本多記者は空港建設 にどれほど巨費が注ぎ込まれてきたか・それで誰が儲けてきたかを明らかにした(171~2 ページ)上で、それを可能にした財政投融資の問題に踏み込みます。 ここに出てきた財政投融資とは、郵便貯金や簡易保険、国民年金といった資金源からま わされたカネである。私たちが郵便局に貯金するとき、そのカネは決して局の金庫に眠っ ているのではない。このように集められて、多くは独占資本の肥大に貢献することになる。 そして空港公団は、この財政投融資によって予算の七割近くをまかなっている。要するに 庶民の汗が集められて、成田空港にまつわる独占資本に注ぎこまれたのである。 庶民の汗としての財政投融資は、どうして本当に庶民のためになるもの、たとえば福祉 予算にもっとまわされないのだろうか。その答えは、やはりベトナム戦争と同じだ。バタ ーやパンを作っていても利潤はうすい。大砲や飛行機のほうが、べらぼうにもうかる。同 じ飛行機でも、旅客機より軍用機の方が早く消耗して一層もうかる(そんなにもうかるも のだから、その売り込みにはいつも汚職や黒い霧がある) 。同様に、同じ予算を老人や身体 障害者のために使っても、たとえば「老人ホーム」といった建物を作るときに土建業が少 しもうかる程度で、生産性のないところにいくら投資しても、労働の搾取ができない。ま た医療を完全に無料化してしまったら、保険という名の「財投の財源」がなくなるだけで なく、生産をしない老人からは搾取することさえできぬ。そんなことをしたら資本主義の 自滅につながる。ところが空港や鉄道や鉄橋なら、それ自体が武器と同じように独占資本 をもうけさせてくれるだけでなく、さらにさまざまな拡大再生産へとつながってゆく。だ から財投は、オコボレかツクロイていどしか福祉にはまわさない。 日本の資本主義がどのようにまわってきたかについてのまことに鋭い分析だと思います。 (基本的には税収に基づく)一般会計予算を補完する機能を持った政府金融が財政投融資 です。その規模が最大だった 1995 年度、財投計画の総額は 40 兆 2401 億円で、この年度 の一般会計予算 70 兆 9871 億円からみて 56.1%という巨額です。 「第二の政府予算」と言わ れた所以。日本の政府公共部門のサイズは先進国の中では「小さい」ほうで、国民負担率 (租税負担率と社会保障負担率)は日本は 2005 年時点で 35.9%。スウェーデン 71.0%、フ ランス 63.7%、ドイツ 53.7%です。人口 1000 人あたりの公務員数ではフランス 96.3 人、 アメリカ 80.6 人、イギリス 73.0 人に対して日本は 35.1 人です。そんな「小さな政府」 (?) を補完し、政府公共部門を拡大してきた動因が財政投融資でした。税金だけではまかなえ なかった金を注ぎ込んで全国で土木工事をやることができた。農業が衰退していく中で、 それまで農業に従事していた人口を土建業が吸収することで失業率を抑えたし、一方その 土建業が独占大資本・金融資本を確実に儲けさせてきたのは本多記者のルポにある通り。 それが形成されてきた歴史過程は三つの時期に区分できると言われます。 第一期 明治初期から第二次大戦の敗戦まで 第二期 1951 年の大蔵省資金運用部の設置から 2000 年度まで 第三期 2001 年の「財投改革」から今日まで 1878 年(明治 11 年)に大蔵省国債局が郵便貯金の受け入れと運用を開始、1885 年に大 蔵省内に預金局が設置され、郵便貯金などの運用を所管することになります。国家規模で の原資調達システムが形成される端緒はこのあたりです。その中核はイギリスをモデルに 作られた郵便貯金でした。戦前まで、その運用形態は ① 国債の引き受け ② 公共事業による社会基盤整備 ③ 地方債引き受け ④ 産業振興 ⑤ 海外における権益確保のための投資 に分類できるとのことです(『財政投融資』新藤宗幸 東京大学出版会) 。 ⑤の海外における権益とは朝鮮半島や満州での鉄道敷設のための資金融資などですから 日本帝国主義の発展と結びついています。侵略戦争・帝国主義戦争に突入したときはもち ろん戦費を支えた。 そうして第二次大戦では戦時色を濃くした預金部資産は当然ながらかなりの損失を生じ ました。しかし、1948 年から郵便貯金は増え始め、また 50 年からの朝鮮戦争による特需 は日本経済を活気づけます。企業の設備投資に充てる民間資金は充分ではありませんでし たから、政府金融に改めて注目が集まりました。1951 年、大蔵省資金運用部が発足、財政 投融資の第二期がスタートします。本多記者のルポが書かれた 1975 年は、その絶頂期では なかったでしょうか。日本の資本主義は高度成長が行き着くところまで行き、また法人税 も所得税も今日よりずっと高かった(法人税は 1984 年に 43.3%だったのが今年 2015 年は 23.9%)から、一般会計予算から財政出動しても、それで潤った企業や富裕層からそこそこ 税収として戻ってくる。財政赤字はまだ深刻ではありませんでした。しかしルポが暴いた ような金遣いを繰り返していけば、日本の政府債務はいずれ積み上がっていきます。財投 を原資に行われる大規模プロジェクトは景気対策であり、大資本に儲けをくれてやるもの ですから、採算などとれない。その赤字分は結局一般予算から補填されるのだから、政府 債務が累積していくにつれ、この前まで財投大盤振る舞いのおかげでいい思いをしてきた 体制内部からも「なんとかしなくては国がもたない」という声が上がりだす。こうして 2001 年、 「財投改革」が行われます。 郵政民営化論の実と虚 この「財投改革」の要点は ① 財政投融資制度の中核をなしてきた大蔵省資金運用部の廃止 ② 資金運用部資金の原資の大半だった郵貯と厚生・国民年金の強制預託の廃止 ③ 資金運用部資金に代わる資金は財政投融資債で調達 ④ 財政投融資債の原資は財政融資資金・産業投資特別会計・政府保証債から構成 ・・・といったあたりです。 郵政との関連で重要なのは②の「強制預託制度」が廃止されたこと。それまで郵便貯金 に集まった金は、当座の引き出し等に備えたもの以外は全額が財投に預けることを義務づ けられていたのがなくなり、「自主運用」となった(かんぽは当初から「自主運用」 ) 。この 「自主運用」となったとき旧郵政省の幹部は喜んだそうです。これで永年の大蔵省(当時) 支配から脱せられると。しかし、ここに落とし穴があった。というのは、それまで「強制 預託」と引き換えに財投から郵貯へは相対的に高い金利が支払われていたのです。10 年物 国債の金利に 0.2%プラスされていた。そういう高い金利を払うのが可能だったのは財投か ら特殊法人に貸し付けるのに高い金利をとったから。では特殊法人がなぜ高い金利を払え たかというと一般予算から特殊法人に補助金が出ていたからです。そこで郵政民営化論者 からは「特殊法人への補助金が回りまわって郵貯に流れている。これも見えない国民負担 だ」と指摘されてきました。財投改革(強制預託廃止)によって、この金利上乗せが無く なったから、それ以降の郵貯はたしかに苦しい。私も先ほどからゆうちょは収益が薄いと 述べている所以です。現在は全般に低金利だからどうにかもっている(現在の郵貯の定額 貯金の金利は 0.035%、国債 10 年物の金利は 0.36%)けれども金利が急上昇したら国債運 用によって入る金利より郵便貯金の貯蓄者に払う金利のほうが高い「逆ざや」になってし まう。金利は短期で変動するのにゆうちょが買っている国債は長期保有なのですぐには買 い換えができないからです。そうなればゆうちょの経営は成り立ちません。 なお「資金運用部資金の原資の大半」ということの中身を紹介しておくと、1985 年度の 時点で資金運用部預託金残高 166 兆 9574 億円のうち郵便貯金が 101 兆 3243 億円、厚生年 金 50 兆 3044 億円でした。 直近では 2015 年度の財政投融資予算は 14 兆 6215 億円です。最も多かった 95 年の 40 兆円強からは随分減ってはいます。しかし、郵貯などは財投への預託義務がなくなった分 は国債の購入にまわっています(③にある財政投融資債ですね) 。財政赤字が生まれる構造 自体がなくならない(アベノミクスはむしろそれを増やしています)のだから、そうなら ざるをえません。誰かが国債を引き受けなければならないわけですから。小泉氏が掲げた 「郵政民営化」の大義の一つは無駄な公共事業を止めさせるというものでした。郵貯に金 が集まってしまうから無駄な工事が行われる→だから財政赤字が膨らむ、このパイプを断 てば金は官から民に向かう、と。けれども、無駄であれ何であれ人為的に需要を作ってい かなくては資本主義経済はもたない。独占資本も音を上げてしまう。だから「無駄」が繰 り返され、財政赤字が膨らんでいく。 資金供給(郵貯・簡保の存在)があるから需要(財政赤字)が生まれているという側面 よりも、資金需要(財政赤字)の存在が供給を促しているという側面の方が、圧倒的に主 たる因果関係である。財政再建(歳出削減と増税)の実現なしに、官が資金を集める構造 が変わることはあり得ない。この冷厳な事実を見ないふりをして、郵政改革をすれば資金 の流れを官から民に変えられるかのように主張するのは、虚言に近い。 上記した池尾和人・慶應義塾大学教授の言は郵政民営化論に対する批判として当たって います。付け加えるならば、資本の利潤追求の性と、その性に寄り添っての資本主義延命 策とが財政赤字を膨らませてきたのであって、資本主義というシステムを変革しないこと には問題は解決しないのではないか。 土建ケインズ主義 ここで言葉の定義をしておけば、公共事業とは、国、自治体、公社、公団などが予算や 財政投融資または自己調達資金を使って行う事業のこと。新幹線や大規模ダムが典型です。 朝日新聞の出身者からの引用が続きますけれども、こちらは政治部の石川真澄記者(故人) が雑誌『世界』1983 年 8 月号に発表した『 「土建国家」ニッポン』という論考を紹介しま す。1980 年度の日本の行政投資の総額は 27 兆 8765 億円で、これはその年の国民総生産 239 兆 1548 億円の約 11.7%を占めました。 GNP の 10%以上も公共事業につぎこんでいる国は、少なくとも主要先進国にはないだろ うと思われる。日本の 2.5 倍、世界最大の GNP を持つアメリカの公共投資はほぼ 3%と推 定されているので、かなり多めに見積もっても実額で 1000 億ドルを超えない。ところが日 本の公共投資はドルに換算すると 1200 億ドル以上になる(いずれも 1980 年)。この数字は 日本が世界最大の公共投資国であることを意味しているはずである。・・・日本が世界最大 の公共投資国であるということは、とりもなおさず日本は『土建国家』と呼べることを意 味している。 この数字(公共投資の比率の高さ)に示される構造が、同時にこれまで自民党の集票を 支えてきました。公共事業を「とってくる」ことで自民党の政治家は土建業を中心とする 関連企業から汚い金も含めて選挙資金を調達し、それら関連企業の社員たちを選挙の運動 員とすることもできました。ここまで何度も名前が出てきた亀井静香氏も、こうして自分 の地盤を固めてきた保守政治家です。 これが世の中を歪めてきたことは言うまでもありません。金は、公共投資よりももっと 福祉にまわすべきではなかったか。結果、どういうことが起きたか。日本の福祉は、こう して潤った大企業を通じて、正規雇用労働者にだけ企業内的にだけ行われるようになりま した。年功賃金制度によって年々昇給していくから、家を持つことも子どもの養育・教育 もそれでまかなうようになった(だから毎年昇給しても生活苦がついてまわる) 。そうして 労働組合は「会社が発展してこそ労働者の生活も向上する」という考えに誘われていきま した。けれども正規雇用が「普通」だった高度成長期にもそこに入っていけない人々はい ました(たとえばシングルマザー) 。福祉をあまねく行きわたらせるためには住宅費や教育 費・養育費は社会化して国の支出で行うべきものでしたし、労働組合こそ産業別の統一闘 争によってそれを闘い取らなければならなかったのです。 しかし、「土建国家」については次のような見方もまた可能です。日本より公共投資の比 率がはるかに低いアメリカは、では国家予算を何に食われていたかといえば、膨大な額が 軍事費に投じられてきました。2014 年のそれは 6100 億ドルで GNP の 3.5%です(日本は GNP の 1%) 。土建であれ軍事であれ、無駄であろうとなかろうと人為的に需要を創り出し て拡大再生産に走り、そうやって資本主義経済をもたせてきたという構造に変わりはあり ません。土建国家ということは、軍事国家ではなかったことの証しでもあります。戦後日 本は憲法 9 条が後者への道を封じてきたのです。先ほどの本多勝一さんのルポでもうひと つ優れている点は、ベトナム戦争との類似性を示すことで、氏はこういう言葉を使ってい ないけれども、アメリカの軍事ケインズ主義と戦後日本の土建ケインズ主義とを鮮やかに 対比していることです。そして最近の戦争法案を巡る安倍政権の動きは土建ケインズ主義 から軍事ケインズ主義へとにじり寄ろうとするものでしょう。それはケインズ主義という より新自由主義のほうにずっと近いのですが。 「親子同時上場」の問題点 上場のことに話を戻します。日本生命保険が三井生命保険を買収する動きだと報じる朝 日新聞記事(8 月 27 日付)は、かんぽ生命のことにも触れています。かんぽが新商品を出 して、それが好調だというのです。 「国の信用」が背後にあるうちは民間との公平な競争に ならないからという理由で、これまでかんぽは新商品を出しづらかった。政府それに郵政 民営化委員会が許可しなかったのです。それが上場へ向けた動きの中で認可が緩まる方向 のようです。親会社(日本郵政)と子会社(金融二社)の異例の親子同時上場となった動 因はこのあたりでしょう。 どういうことか。金融二社は株価を上げる(企業価値を高める)ためには成長戦略を描 いてみせなければなりません。ところが新規業務・新商品が認可されなければ、その戦略 を描きようがない。たとえばゆうちょは現在も個人や企業に貸し出しをすること(融資) ができません。運用は有価証券(国債や株式)を買うことなどに限られる。しかし上場す れば民営化は軌道に乗ったと判断されて政府も民営化委員会も新規業務・新商品の認可に 前向きになります。つまり経営の自由度が高まる。そして株式を 50%以上処分すれば認可 制は届出制に替わります。いよいよ経営の自由度は高まり、様々な成長戦略を描くことが できる→金融二社の企業価値は上がる→そうなれば現在この二社を持っている日本郵政の 企業価値だって同時に上がる。 これだけなら日本郵政にとってもありがたい話です。が、逆に作用する面もある。金融 二社の株が売れていくということは親会社・日本郵政の傘下からそれが離れていくという ことでもあります。日本郵政の企業価値を構成しているのは「稼げる」金融二社なのです から(2013 年度のグループ連結決算上の純利益 4,790 億円のうち 87.3%はこの 2 社で稼ぎ 出しています) 、この孝行息子たちが離れて行けば行くほど日本郵政の企業価値は低下する というか空洞化していきます。 問題は、この相反するどちらの側面に市場が重きを置くか。前者を重視するなら金融二 社の上場に伴って日本郵政の株価も上がるだろうし、後者を重要とみるなら逆です。 おそらく日本郵政の経営陣だって引き裂かれるような思いでいるのではないでしょうか。 イチかバチで打った奇策が「親子同時上場」ということになったようにも思います。 ところで、相反するといえばもうひとつこういう問題もあります。金融二社から日本郵 便に支払われる業務委託料をめぐってです。2013 年度のそれは、ゆうちょ銀行からの郵便 窓口業務等手数料が 6073 億円、かんぽ生命からの生命保険代理業務手数料が 3671 億円で した。ところが、この委託料の金額がどうやって決まったかというと必ずしも明朗ではな い。これくらいの収入があれば日本郵便(民営化スタート時では郵便局会社)の赤字体質 がカバーできるだろうということで親会社・日本郵政が決めたのではないでしょうか。日 本郵便のうち、かつての郵便局会社にあたる部門の収益は年間 1.2~1.3 兆円ですから金融 二社からの 1 兆円近くは収益の柱。しかし、金融二社の株式処分が始まれば、この二社に は日本郵政以外の株主が出現します。この人たちにとっては日本郵便が赤字だろうと関係 ありません。おそらく委託料が決まる根拠を明確にせよと要求し、さらにはその金額を下 げることを求めるでしょう。委託料が下がれば、そのぶん金融二社の収益が増えるからで す。株主としては当然であります。親会社・日本郵政が子会社すべての株を持っている間 はグループ連結決算で相殺されるから問題にならなかったことですが。 株式処分は段階的に進むので、当初は日本郵政以外の株主は日本郵政に比して少数株主 です。多数株主たる日本郵政は、この少数株主の要求に耳を傾けるでしょうか? 金融二 社はいずれ自分から離れていくのに日本郵便はずっと残るのです。委託料は高いほうが日 本郵政にとってメリットです。 親子上場について東証が、少数株主の利益が阻害されるなどのデメリットを重視し、今 日では抑制的なのは、こうした事情があるからです。2007 年には、子会社上場について、 以下のような場合には慎重に判断する旨公表しています。 ① 事業の目的、内容、エリアなどの事業ドメインが酷似 ② 親会社グループのビジネスモデルにおける役割が極めて重大 ③ 親会社グループの収益、経営資源の概ね半分を超越 今回の郵政親子同時上場は②と③に明らかに抵触していると思うのですが。 では、どう闘うか 今年 3 月、都内で開催された<日本郵政の株式上場を問う>というシンポジウムは郵産 労ユニオンなどが中心になってのもの。そこでの報告者の一人、牛久保秀樹弁護士(郵政 事業研究会代表)は、上場は日本郵政だけとすることを提言しました。いま私が述べたよ うな資本主義経済の価値基準に照らしてさえ不明朗な「親子同時上場」に的を絞っての上 場反対論です。内心ではそもそも民営化に反対なのでしょうが、日本郵政の売却益は震災 復興財源にまわるということもあって「全て反対」とは今日なかなか言いにくい。せめて これだけは・・・というところでしょう。戦争法案をめぐって、本当は個別的自衛権だっ て反対だけど今は集団的自衛権反対で足並みを揃えようという論理(心理?)にちょっと 似ているような気もする。もちろん「労資一体で上場成功を」という JP 労組本部よりはず っとマトモです。ただ、牛久保弁護士の『提言』には労働現場への目配りが弱いように思 う。東証一部上場は企業にとっては襟を正すときですから、多くが非正規雇用の低待遇に 起因する裁判闘争(労働契約法 20 条裁判、65 歳雇止め裁判など郵産労ユニオンは現在全国 で 20 以上の争議を抱えています) を解決する上での好機と前向きに捉えるのは大事な視点。 JP 労組がこうした取り組みを全くしていないことには同労組の組合員である私は恥ずかし い思いがある。その上で言いたいのは、上場そのもの、民営化そのものが労働現場に何を もたらすかをもっと強く打ち出すべきではないか、ということです。 2012 年の春、当時の斉藤次郎・日本郵政社長が、郵便労働者の賃金は同業他社のそれと 比べて二割がた高いと言ったことがあります。同業といったって郵便については日本郵便 がほぼ独占しているのですから斉藤氏は物流他社(ヤマトとか佐川とか日通)を念頭にそ う言ったのでしょう。調べてみました。二割というのはふっかけ過ぎです。でも、たしか に一割くらい日本郵便のほうがよかった。旧郵政ユニオンの調査によれば 2008 年時点で日 通の 40.4 歳、勤続 17.2 年の社員の年収は 597 万円。郵政の 42.1 歳、勤続 20.2 年は 650 万円です。その後 2010 年のゆうパック統合失敗による大赤字で一時金の削減(年間 4.4 ヵ 月→3.0 ヵ月→3.8 ヵ月)が行われたから、げんざい差はもっと縮まっているかな。 でも、この比較は正規雇用に限っての話です。郵便の非正規雇用は地域の最低賃金を 10 円単位で切り上げた上に 20 円加算したのが下限。 ことし東京の最賃は 907 円になったから、 東京の郵便局では 910 円に切り上げた上で 20 円足して 930 円が下限ということになります。 そのあと半年ごとの「スキル評価」で少しは上がっていく。しかし私のいる局で内務の場 合 110 円台で頭打ちになってそれ以上には行かない。正規雇用と同じ勤務日数で 1 日 8 時 間働いたとして推計年収 219 万円という数字が出ていますが、実際には非正規は週 30 時間 や 35 時間に抑えられているから年収は 200 万円に行かない人が多い。 さて日本郵政が上場したら株価を上げていくための成長戦略は何になっていくのでしょ うか。日本郵政に残るのはいずれ日本郵便だけになってしまう(筈)のですから、日本郵 便の成長戦略ということです。意外に稼げそうなのは不動産業らしい。日本郵政グループ の保有資産は全国で約 2.5 兆円(土地 1.4 兆円、建物 1.1 兆円) 、そのうち日本郵便は 2.1 兆円を保有しているとのこと。すこし前まで中央郵便局は駅前の一等地にありました。今 は輸送手段が鉄道から自動車に替わってきたから新しく立つ拠点局は駅前から離れて高速 道の出入り口近くです。使わなくなった昔の中央郵便局を活用できるのです(例えば東京 中郵→JP タワー、KITTE) 。 「中期経営計画」では、不動産の活用により年間 200 億円規模 の営業収益を目指すとしています。しかし不動産業はやはり本業ではなく、本業のいわば 「生命維持装置」という役割でしょう。 本業では郵便から物流業に力点を移していくことです。今年、オーストラリアの物流大 手トール社を 6200 億円かけて買収したのも、物流に力を入れるという成長戦略をアピール するためでした。金融二社の株式売却益は日本郵政の懐に入るので、これを原資に内外の 物流企業の M&A(合併・買収)は今後も試みられるでしょう。さて、はたいた金額ほどの 見返りがあるかどうか。 信書は減っていく(2013 年度の 185 億 7.100 万通というのはピーク時の 2001 年度 267 億 2.500 万通より 29.4%も減)のだから、物流重視の方向は動かない。郵便は減っても物 流が増えているので、私たち現場の労働者が扱う総物数は 3 割も減っているわけではあり ません。どころか、2015 年 3 月期中間決算で、ゆうパック 2 億 3.000 万個(半年間)とい うのは前中間期と比べて 14.4%も増えている。 ゆうメールも 15 億 9.100 個で 5.7%増です。 郵便と物流の違いは何かというと、信書を運ぶのが郵便なのに対して物流は荷物を扱う。 だから、ゆうパックは前は郵便小包と呼んでいたから紛らわしいのだけれども郵便ではな く物流です。紛らわしいといえば、ゆうメールは見た目は定型外郵便物と見分けのつかな いものが多い。が、これも荷物=物流に区分されます(だから中に手紙を入れることはで きません) 。ゆうメールが登場する前、手紙ではなく印刷物を送るときでも定型外郵便を使 っていた。すると定型外郵便は 150gまで 205 円のところ、ゆうメールなら 180 円で引き 受けます。重量が増すほどこの差は開き、2 ㎏以内の定型外郵便 870 円に対し、同重量のゆ うメールは 460 円です。去年 6 月から始まったゆうパケットは法人向けに 1 ㎏以下の荷物 を扱いますが、運賃は「お客様ごとに個別に設定」つまり定価がありません。郵便から物 流へとシフトしていくこと自体がダンピングなのです。物流業は、たしかに郵便とは違っ て需要がまだ伸びている成長分野。2015 年 3 月期の宅配便個数は 36 億個強、メール便は 54 億個強。2010 年~2014 年の 5 年間の成長率は 4.0%でした。同時に激しいダンピング競 争が行われている世界でもあります。ヤマト運輸では 2000 年代初頭には 1 個あたり 750 円近かった運賃単価が、底となる 14 年春には 500 円台後半まで、佐川急便では 2000 年代 初頭に 1000 円近かったのが、底になる 13 年春には 500 円を切るところまで下がっていま す。これは結局、働く者の労働条件にしわ寄せされます。さすがに下げ過ぎたと「運賃適 正化」に動きかけたところに日本郵便が採算度外視で攻勢をかけて物数を増やしているの が直近の状況なのです。 「中期経営計画」では 14 年の 4 億 8.000 万個を 17 年には 6 億 8000 万個にする目標を立てています。しかし現在宅配業界ではシェア 11.9%の日本郵便が 46.3% のクロネコヤマト、33.9%の佐川に追い付き追い抜くには結局どれだけコストを下げるか、 つまり人減らしと賃金切り下げ、個々の労働者の労働強化しかありません。すでに 2014 年 度、労災としての過労死が全業界中いちばん多かったのは運輸・郵便業で 92 件でした。ア ベノミクスの成長戦略が結局は労働法制を改悪して働く者をもっと搾り取るだけなのと同 じ構図です。 では、どうやって賃金を削るか。去年の 9 月、この HOWS 講座で「限定正社員」問題を 取り上げたとき紹介した数字を引用します。日本郵便における、ここ数年の労働者数です。 2009 年 正規 208.357 人 非正規 196.200 人 2010 年 正規 205.363 人 非正規 192.600 人 2011 年 正規 213.165 人 非正規 198.300 人 2012 年 正規 210.800 人 非正規 110.500 人(?) 2013 年 正規 200.601 人 非正規 180.200 人 正規雇用が案外減っていないでしょう。2007 年の民営化スタート以前から非正規化がか なり進んでいて、もう行くところまで行っているのです。郵政グループ全体では 2003 年の 郵政公社発足直前が正規 28 万人、非正規も合せて 40 万人と言われた。2005 年の民営化法 成立時に正規 26 万人、現在は正規 22 万人・非正規 19 万 3 千人です。12 年の間で約 40 万 という「大枠」はそう変わらず、その中で正規が 6 万減ってそのぶん非正規が増えた。し かし「生首を飛ばす」ような形では正規雇用を減らせないのも事実で、定年による自然減 を待つか、居づらくして「本人意思」による早期退職に追い込むか。後者のケースになる とかなりシビアですが、最近ちらほら増えつつあります。ともあれ、正規雇用を一気に削 るのは会社にとってもなかなか難題なのです。 そこで出てきた奇手が郵政版限定正社員と言うべき<一般職>の導入でした。正規雇用 の中に新たに低賃金の層を創り出したのです。日本郵便の約 20 万の正規雇用のうち約 10 万は郵便事業、もう 10 万が郵便局の窓口ですが、郵便事業では 2013 年における会社が考 える「あるべき姿」では従来の正規雇用(地域基幹職と呼ばれるようになりました)58.300 人;一般職 41.100 人ということです。そういう構成が会社にとってベストであって、はや くそうしたいというのです。いっぽう郵便事業における非正規雇用は約 14 万人いたのに 「あ るべき姿」では 75.700 人に絞り込まれています。こんなに少ないのは、数万人はいる短時 間パートを計算に入れていないからでもありますが、雇用保障の弱い非正規のほうが削り やすいということだ。つまり非正規雇用は「生首を飛ばし」 、正規雇用は中身の半分を低賃 金化する。付け加えれば、残った半分の正規には<エグゼンプション>を適用したいので しょう。相対的高賃金と引き換えに労働時間規制なんか無い働き方をさせたい。ことし埼 玉県和光市に開局した北部新局は郵便とともに物流拠点として設計されています。8 月にこ こに異動した友人(地域基幹職)は、泊り勤務のときは 22 時から翌朝 5 時まで全く休息を とれないそうです。 <郵便事業コース 2013 年物調に基づく新「あるべき姿」> 地域基幹職(管理者と再雇用を含む) 58.300 人 新一般職 41.100 人 非正規雇用(時給制) 75.700 人 地域基幹職なら、生涯で賃金が一番高くなる 54 歳時点で 750 万円くらいの年収になりま す。一般職はその年齢で 482 万円と試算されています。10;7 の比率にもなりません。か つて斉藤社長(当時)は郵便のほうが同業他社より賃金が 2 割高いと不平を鳴らした。こ の数字を額面通り受け取ったとしても、一般職が導入されたことで郵便・物流事業に携わ る正規労働者の半数近くはいずれ同業他社の労働者より 1 割がた安い賃金になってしまう わけです。ただし、一般職への入れ替えは、これまでのやり方ではそう急には進まない。 上の「あるべき姿」の数字は、あくまで会社がはやくそう持って行きたいという数字であ って、現時点では一般職はまだ数千人です。先ほど述べたように動きの悪い地域基幹職を 名指して「あんた、来年から一般職になれ」とハッキリ言うほど露骨なことはまだできま せん。というか、従来の正規雇用に直接は手をつけないことで正規雇用中心の JP 労組から 一般職導入の支持をとりつけたのです。しかし、上場=投資家の視線に晒されれば、これ までのような悠長なことは言っていられなくなる。いま郵政株式上場について喋々する巷 の雑誌やネットによれば日本郵便のネックは人件費の占める比率の高さだとか。日本郵便 と一蓮托生の日本郵政の株価を上げたければ人件費を削れと大合唱だ。このさき地域基幹 職から一般職への置き換えもスピードを上げていくことは明らかです。 産業別の闘いの可能性は そうした流れにどう抗していくか。それはまさに同業他社の労働者と、企業の枠を超え て産業別の統一闘争を作ること以外にないのではないでしょうか。会社はシーソーみたい なリストラ競争をやろうとしている。 「我が社が大事」では、そのシーソーに乗ってしまう。 郵政一般職はこれまでの正規雇用と比べてどこを削られるかというと生活給の部分です。 これまでは年功賃金でしたから、子どもが生まれる→学校に進むにつれて、あるいは自分 の家を持ちたくなる年齢に応じて、賃金も上がっていった。前に述べたように養育費や教 育費、住居費は社会的に支出されるべきものなのに、戦後の日本では大企業が自社の労働 者に限ってそれをやった。それが労組の労資協調主義・企業内主義を育てもした。一般職 の賃金体系は昇給が全くないわけではないけれどもものすごく圧縮される。労資協調主義 や企業内主義を育む原資となってきた生活給の部分が剥ぎとられるのです。ということは 労資協調主義に誘われる動因がこれまでより乏しくなるということだ。 去年の講座の最後のほうで、メンバーシップ型とジョブ型の対比ということを出しまし た。従来の正規雇用をメンバーシップ型とすれば、限定正社員はジョブ型の性格が与えら れる。このことを盛んに強調してジョブ型=限定正社員を是とするのは濱口桂一郎氏です。 たしかにジョブ型のほうが「会社あっての・・」という意識に囚われにくく、企業を超え た産業別の運動を作るにはこっちのほうがいい。ただ、ジョブ型が拡がっていくには、そ れと並行して、あるいはその前提として、これまで企業内的に行われてきた福祉が社会化 されていなければなりません。これが欠けては正規雇用まで(こんにち多くの非正規雇用 がそうであるように)ワーキングプアになってしまう。濱口氏はこの点を軽視しています。 ジョブ型の性格は企業やブルジョア権力によって与えられるのではなく、私たちが産業別 の闘いを通じて自ら身につけるものでなくてはならない。 しかし、メンバーシップにしがみつく従来の正規雇用よりも、メンバーシップ性を削ぎ 落とされた郵政版限定正社員=一般職のほうが、元々メンバーシップから排除されている 非正規雇用労働者と連帯・共闘する基盤を持っています。これは池田実さんなども指摘し てきたことですが、このあいだまで公務員であったがゆえの妙な優越意識が郵便屋にはな かったわけではない。信書を配達できるのは公務員だけだ、みたいな。そんな意識が他企 業の労働者とも本当に連帯することを妨げていた。おそらく、かつては国鉄の労働者にだ ってそういう問題はあったのではないか。民営化や物流へのシフトや一般職の導入はそん な優越意識を過去のものにします。闘いを創っていこうという上ではいいことです。 もちろん逆のベクトルも働く。日本郵便の経営は悪化を続けるだろうから企業防衛意識 はかきたてられるだろうし、一般職の登用は選別的であること・地域基幹職との甚だしい 格差が「オレは仕事ができる」と自負する一般職に「その上」を目指させる動因となるこ とが競争を煽りもする。メンバーシップ性の多くを剥ぎとっておきながら、虚偽意識とし てそれを持たせ続けようとするのが、非正規雇用とは異なる一般職を導入した狙いでもあ りました。 だから産別の闘いを創ろうとする力と企業内に引っぱりこもうとする力との綱引きにな ります。どういう運動をやればこの綱引きに勝てるかは、このあと討論で一緒に考えてい きたいと思います。
© Copyright 2024 ExpyDoc