1 発表者 謝 文 儀 物語構築に見られる話し手の視点 ―日本語母語話者

日本語教育学講座
2008 年度第一回
月例研究会
4 月 18 日(金)
発表者
しゃ
ぶん ぎ
謝 文儀
物語構築に見られる話し手の視点
―日本語母語話者、中国語母語話者、中国人日本語学習者の比較を通して―
0. はじめに
本研究は物語談話における話し手の視点について、日本語母語話者、中国語母語話者、中国人
日本語学習者を対象に調査したものである。
本研究では、日本語母語話者、中国語母語話者、中国人日本語学習者でグループ間比較を行い、
物語を構築する際の各グループの視点の特徴を明らかにした上で、中国人日本語学習者の第二言
語としての日本語の物語談話に見られる視点の問題点を探った。そして、母語の転移と学習環境
の影響の両方から中国人日本語学習者の視点に影響する要因について考察を試みた。
1. 先行研究
日本語における視点について、これまで異なるアプローチ――日本語学、認知心理学、対照言
語学――から数多くの研究が行われてきた(大江 1975、久野 1978、佐伯 1978、宮崎・上野 1985
など)。視点に対する定義や捉え方など先行研究によって異なるところもあるが、次の点に関して
はいずれの研究も共通して指摘している。
・
日本語は視点に敏感な言語であり、文ないし談話の形式は話し手の視点と密接に関連して
いる。
・
授受表現やヴォイス表現などに見られるように話し手の視点は様々な制約を受けている。
これらの視点制約の中で「視点の一貫性」、即ち一貫した視点からコトガラを描写すること
は日本語表現の最も重要な特徴の一つである。
一方、日本語の視点の習得に着目した JSLA(第二言語としての日本語習得研究)分野の研究(田
代 1995、渡邊 1996、田中 1996、1997、金 2001、栗原 2003 など)によって以下のことが明らかに
されている。
・ 日本語母語話者は統一した視点からコトガラを述べる傾向があるが、日本語学習者の日本
語表現においては視点が統一されていないことが見受けられる。
・ 日本語学習者の日本語表現が日本語母語話者にとって不自然、分かりにくいと感じられる
のは、その表現において視点の統一がなされていないことが大きく関係している。
・ 日本語学習者にとって視点の統一は習得されにくい項目の一つである。
しかし、視点の習得に関するこれまでの JSLA 分野の先行研究においては以下の二点がその主な
問題点として挙げられる。
・
調査対象が JFL 学習者1または JSL 学習者2のどちらかであるため、日本語学習者における、
視点の習得に関する全体的な特徴がどのようなものであるのかは明らかになっていない。
・ 日本語学習者の視点の習得に影響する要因についての検討が十分に行われていない。
1
JFL(Japanese as a Foreign Language)とは海外で外国語科目として日本語を習う学習者のことである。
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JSL(Japanese as a Second Language)とは日本に住んで生活の手段として日本語を習う学習者のことである。
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2. 研究目的
1)物語における日本語母語話者、中国語母語話者、中国人日本語学習者の視点にどのような特
徴があるかについて考察する。
2)第二言語の日本語で物語を構築する際に中国人日本語学習者の視点は母語からの転移を受
けるか、また学習環境によって影響されるかどうか考察を試みる。
3. キーワードの定義
物語:一つ以上の文(sentence)によって述べられた、まとまりのある(現実、あるいは虚構
の)出来事。
視点:視座と注視点によって構成される複合体。
視座:出来事を眺める話し手の位置。一)出来事の外、つまり出来事を傍観する位置、二)出
来事の内、つまり登場人物の誰か(一人または複数)と同じ位置または誰か寄りの位置に大別す
る。
注視点:話し手がその「視座」で眺めている、物語に登場するいずれかの人物。
視座を判断する手掛かり:話し手の視座を判断するのに手掛かりとする構文形式。主節で使用
され、アスペクトやモダリティー表現を伴わない授受表現、ヴォイス表現、感情表現、主観表現、
移動表現を指す3。
4. リサーチについて
調査方法:
同一漫画4を被験者に見せ、その内容を作文で記述させるストーリー構築法。
調査手順:
1) pilot 調査
pilot 調査の被験者は日中母語話者の大学生であり、それぞれ中国語或いは日本語を習った
ことがない(表 1)。
作文タスクでは、同一漫画について以下の二つのパターンを設けた。
パターン 1:漫画の内容を一つの物語となるように作文を書くこと(すなわち、被験者は視
座となる人物を漫画の中から自由に選べる。)
パターン 2:漫画の主人公である女性監視員になったつもりで、漫画の中の出来事を自分の
日記につけること(すなわち、被験者が作文するとき、その視座が女性監視員に
指定されている)。
3
本研究では日本語の場合は授受表現、ヴォイス表現、感情表現、主観表現、移動表現を、中国語の場合は主観
表現、移動表現、感情表現を視座を判断する手掛かりとしている。
4
漫画は五コマからなり、海辺で女性監視員が溺れた男の人を人工呼吸で助けたが、それを見た他の男たちが溺
れたふりをし、女性監視員に救助を求めようとしたことが描かれている。
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<表 1
pilot 調査の被験者>
pilot 調査の被験者
日本語母語話者(JNS)
中国語母語話者(CNS)
パターン 1
パターン 2
パターン 1
パターン 2
10 名
10 名
10 名
10 名
男:7 名
男:4 名
男:3 名
男:5 名
女:3 名
女:6 名
女:7 名
女:5 名
2) 本調査
本調査の被験者は(表 2)の示す通りである。日本語学習者を上級学習者5に限定するのはある
程度の文章を産出できるには比較的高いレベルの日本語能力を身に付けなければならないと考え
るからである。
<表 2 本調査の被験者>
グループ
日本語母語話者
中国語母語話者
上級 JSL
上級 JFL
人数
30
30
30
30
5. 結果と考察
5.1
pilot 調査
パターン 1 の結果
JNS は視座は固定し(単一に置く)、注視点は物語の主要登場人物に当て、その中で移動させ
る傾向を、CNS は視座は移動し(複数に置く)、注視点は物語に登場するすべての人物に当て、そ
の中で移動させる傾向を示している。
パターン 2 の結果
JNS と CNS はともに指定された視座――「女性監視員」――から物語を述べており、手掛り
の使用に類似した使用傾向を示している。
pilot 調査の結果の考察
パターン 1 とパターン 2 の調査結果、すなわち中国語母語話者が視座を統一しないというこ
とは、中国語の言語形式によるなんらかの規制によるものではなく、Slobin(1991)がいう、物
事の捉え方、つまり、コンセプトが談話形式に影響を及ぼす(Thinking for Speaking)という
ことの表れだということを示唆していると思われる。
pilot 調査の結果に基づき、本調査は作文タスクをパターン 1 に絞ることにした。
5.2
本調査
本調査の結果
・
日本語母語話者が構築した物語における視点は物語の登場人物のうち一人に視座を置き、
その人物に一貫して注視点を当てさせる傾向がある。
・ 中国語母語話者が構築した物語における視点は物語の登場人物のうち複数の人物に視座を
5
本研究では、国際交流基金が主催する日本語能力試験(1 級)に合格した学習者を上級学習者だと判断している。
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置き、注視点を出来事の主体である人物に当てさせる傾向がある。
・ 中国人日本語学習者(JSL と JFL)が第二言語の日本語で構築した物語談話における視点は
中国語母語話者の視点に類似している。日本語母語話者の視点に比べて、その問題点は主
として、一)視座も移動し、注視点も次々に変わり、日本語談話として視点的結束性が欠
けていることと、二)視点的に不適切な授受表現が過度に使用されていること、が挙げら
れる。これらの問題点は第二言語としての日本語談話の分かりにくさと不自然さに繋がる
ものだと考えられる。
本調査の結果についての考察
・ 物語における視座の置き方に見られた JNS と CNS の相違は、日本語の立場志向と中国語の
事実志向の違いの現れであり(水谷 1985)、両言語話者の物事に対するコンセプトの相違に
起因するものではないかと考えられる。
・ 中国人日本語学習者(JSL と JFL)は日本語で談話を構築するにも拘らず、中国語の談話に
おける視点の特徴を示していることは、話し手の思考・発想が談話形式に影響を及ぼすと
いう Slobin の指摘(Thinking for Speaking)をサポートしている。一方、学習環境より
も母語である中国語の談話における視点が中国人日本語学習者が日本語で物語を構築する
際の視点に強く影響を与えていることもこの結果から窺える。
・ 先行研究(田代 1995、渡邊 1996、金 2001)では、日本語学習者に比べ、日本語母語話者が
多く授受表現を用いる傾向があると報告しているが、それらの授受表現の使用について調
べたところ、物語の主人公が恩恵を被った場合であることが分かった。本研究では、物語
の主人公でない登場人物が恩恵を被った場合における授受表現の使用が日本語学習者には
見られたが、日本語母語話者には見られなかった。このことから、日本語母語話者はラン
ダムに授受表現を多用しているのではなく、主人公を中心にして物語を語るという談話構
築の一環として授受表現を使用するということが分かる。さらに、恩恵を被る場面でさえ
あれば、恩恵を被った人物が物語の主人公でなくても日本語学習者が授受表現を使用して
描写することから、学習者にとって授受表現の恩恵を表わす用法が習得されやすいが、視
点に関連する用法が習得されにくいことが明らかになった。
6.今後の課題
・ 視座を判断する手がかり
本研究では、受身表現と授受表現について、日本語の場合は視座を判断する手がかりと
しているが、中国語の場合は状態を表すと考えられ除外した。また、中国語母語話者が産
出した中国語の物語におけるこの二つの構文の使用については検討を加えていない。これ
によって、中国語の物語における視座の置き方の判断結果が影響されることが考えられる。
今後、研究結果の妥当性を高めるには視座を判断する手がかりに対してさらに考察する必
要がある。
・ 調査方法
視点というものは話し手の物事に対する捉え方を表しており、話し手の思考につながる
ものだと思われる。本研究では、談話における視点についてアンケートでのみ調査した。
しかし、この形式では談話を構築する際に話し手が行っていた思考活動について調べるの
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は難しい。話し手の思考がその視点に影響を及ぼすか、特に日本語学習者の場合はどうで
あるかを解明するため、今後フォローアップインタビューなどの調査方法も取り入れなけ
ればならない。
・ 被験者
本研究では、日本語母語話者(JNS)、中国語母語話者(CNS)、JSL と JFL それぞれ 30 名
を被験者としている。JSL の滞日期間は 3 年または 3 年未満である者は 23 名、3 年以上(平
均 6 年)である者は 7 名である。
JSL と JFL が産出した日本語の物語を比較して学習環境が視点の習得に影響を与えるかを
調べた。学習環境が視点の習得に影響しにくいという結果となったが、滞日 3 年以上であ
る 7 名の JSL のうち 5 名が視座を固定させて物語を述べていた。これは、JSL は滞日が長く
なると第二言語の日本語で物語を構築する際、視点が JNS に似てくることを示唆している
と思われる。しかし、このことを検証するには滞日が一定期間に達した、より多くの JSL
に対する調査を行わなければならない。
参考文献
Slobin,D.(1991)
rhetorical style.
Learning to think for speaking:Native language,cognition, and
Pragmatics,1,-25
大江三郎(1975)『日英語の比較研究―主観性をめぐって』
久野暲 (1978)『談話の文法』
南雲堂
大修館書店
佐伯胖(1978)『イメージ化による知識と学習』
宮崎清孝・上野直樹(1985)『視点』
東洋館出版社
東京大学出版会
田代ひとみ(1995)「中・上級日本語学習者の文章表現の問題点―不自然さ・分かりにくさ
の原因をさぐる―」『日本語教育』85 号
日本語教育学会
渡邊亜子(1996)『中・上級日本語学習者の談話展開』
くろしお出版
田中真理(1996)「視点・ヴォイスの習得―文生成テストにおける横断的及び縦断的研究―」
『日本語教育』88 号
日本語教育学会
(1997)
「視点・ヴォイス・複文の習得要因」『日本語教育』92 号
日本語教育学会
金慶珠(2001)「談話構成における母語話者と学習者の視点―日韓両言語における主語と動
詞の用い方を中心に―」 『日本語教育』109 号 日本語教育学会
水谷信子(1985) 『日英比較 話しことばの文法』 くろしお出版
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博士論文についての構想
Research Questions
①
日本語母語話者、中国語母語話者、中国人日本語学習者が同一題材について文または談
話を構築する際,それぞれの視点にどのような特徴があるか。
②
視点の習得に関与する要素にはどんなものがあるか(母語からの転移、学習環境のほか
に教授はどんな効果があるか)。
③
特定の言語形式(授受表現、ヴォイス表現など)の習得は視点の習得に関わりがあるか
どうか。
調査
(1)調査対象
グループ
人数
日本語母語話者
30 名程度
中国語母語話者
同上
上級中国人日本語学習者
統制群
実験群
JSL
同上
JFL
同上
JSL
同上
JFL
同上
(2)調査方法
アンケート(1 と 2)、フォローアップインタビュー
アンケート 1 では、文生成テスト6を実施し、一コマの漫画を被験者に見せ、その内容を文で
表現させる。
アンケート 2 では、ストーリー構築法を用い、数コマの漫画を被験者に見せ、文章で物語を
作らせる。
アンケート調査後、フォローアップインタビューをする。
(3)調査手順
ステップ 1
pilot 調査をする。本調査で使用する予定のアンケート(アンケート 1 とアンケート 2)の妥
当性と有効性を調べる。
ステップ 2
アンケート 1 とアンケート 2 を、実験群を除いた被験者を対象に実施する。
ステップ 3
実験群の JSL と JFL を対象に日本語の視点に関する指導を行う。
ステップ 4
アンケート 1 とアンケート 2 を実験群の被験者を対象に実施する。
ステップ 5
各グループに対してフォローアップインタビューをする。本調査で得られた結果を再確認し、
被験者が調査を受ける時、行っていた思考活動を調べる。
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田中(1996)は文生成テストを用い、文レベルで学習者の視点の習得について調査した。
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