第一回 1. 工作機械の名門 未来戦略ワークショップ 資料 株式会社池貝の変遷 1882 年(明治 15 年) 創⽴者の池⾙庄太郎、横浜の⻄村鉄⼯所(⻄村機械製造所)の徒弟 となる。 1886 年(明治 19 年) 田中久重(からくり儀右衛門)工場(東芝の前身)の旋盤工となる。 1889 年(明治 22 年) 弟の喜四郎とともに芝で池貝鉄工所(現・株式会社池貝)を興す。 英国製旋盤を複製し、英式 9 フィート旋盤 2 台を製造する。 1905 年(明治 38 年) 米国人技師 W・C・A・フランシスの導により、 「池貝式標準旋盤」 を開発する。従来のように一品一品調整することなく、規格通りに 部品を仕上げ、検査する方式を導入し、初めて大量生産を可能にし た。 1926 年(大正 15 年) 景気により受注の変動の大きい旋盤を補う為、ディーゼルエンジン などの多角化に取り組む。この年日本最初の無気噴油ディーゼルエ ンジンを完成。国産第一号機となる高速度新聞輪転機を製作。 1937 年(昭和 12 年) 陸軍向け車両製造の子会社、池貝自動車 製造㈱を設立。(戦後の 1952 年、小松製作 所に吸収)。94 式 6 輪自動貨車、97 式軽 装甲車のディーゼルエンジンを製造。 1949 年(昭和 24 年) 戦後の財閥解体により、 「池貝鉄工株式会社」として再出発 1950 年(昭和 25 年) プラスチック加工用押出機、ビニール電線被覆機を開発。日本初の 多色刷高速度新聞輪転機を朝日新聞社に納入。 1 1960 年(昭和 35 年) メインバンク 日本興業銀行(興銀)より役員派遣。1969 年〜1984 年興銀出⾝者が社⻑を務める 1965 年(昭和 40 年) ベストセラー機 A20 旋盤が「日本機械学会賞」を受賞。旋盤や大 型の中ぐり盤などは「技術の池貝」と高い評価を受ける。 1966 年(昭和 41 年) 第 3 回日本工作機械見本市にマシニングセンタなど 3 種類の数値制 御工作機械を発表。 1975 年(昭和 50 年) 非円形断面加工旋盤を開発。「昭和50年10大新製品賞」受賞。 1977 年(昭和 52 年) 小型 NC 旋盤 FX20N にオートローダ装置をつけ、 「限定無人化機械」 を開発。 1980 年 社⻑に就任した興銀出⾝の⾈橋邦夫は,①溝ノ⼝⼯場の売却,②⼈員 削減,③赤字受注の廃止という方針を打ち出したが、完全に実行されなか った。 1984 年(昭和 59 年) ツガミを再建した⼤⼭梅雄が社⻑就任 ①溝ノ口工場を飛島建設に売却し,ツクバ工場(茨城県玉造町)を建設,②労組を 説得し従業員 300 名削減,③販売会社・池貝機販を設立し適正価格の受注増加を目 指した。 1990 年(平成 2 年) 大山梅雄が逝去し、ツガミ出身の専務の稲川昭司がトップに。 ①池貝北京事務所を開設,②1994 年に太陽工機,難波鉄工所,清和鉄工,日本精機 研究所,そして 1996 年には住友ワドーと⻑岡技研などを M&A で傘下に収めた。 2001 年(平成 13 年) 東京地⽅裁判所へ⺠事再⽣を申請。資本⾦ 100%減資。新資本金 1,000 万円 2004 年(平成 16 年) ⺠事再⽣⼿続終結。上海電気(集団)総公司が資本参加。 新資本 金 4 億 9 千万円 上海電気集団股份有限公司は,発送電設備,工業機材や環境機器などの製造・販 売を行う総合電機メーカーで、傘下に昇降機メーカーの上海機電,ディーゼルエン ジンの上海紫油機や送配電設備の上海輸配電などを有している。上海電気は「日本 でトップレベルの技術を持つ会社がこのまま沈んでいくのは惜しい。上海電気集団 として,先進国でも途上国でも需要が見込める製品をそろえることができ,世界展 開する重電メーカーとしてメリットは大きい」とM&Aに踏み切った。 2 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 1 経営数値と外部環境 単位 億円 350 300 250 200 150 100 売上高 50 当期純利益 0 -50 -100 図1 売上高と純利益 図 2 ⻑期借⼊⾦と短期借⼊⾦の合計 図 3 自己資本比率 3 2 倒産に至る要因 名門の弊害 昭和 39 年、最高性能の普通旋盤 A20 形が日本機械学会賞を受けた頃から不吉な兆候がみ られた。 試作機に不具合が出ると周囲の人間は「それみたことか」とばかりに悪口を言いたてた。 社内にうん蓄だけ一流の“批評家”社員ができていた。 技術開発も最先端を追求し、高性能だが価格が高いため、大隈鉄工所の低価格旋盤に押 され気味だった。 工場では経験豊富な熟練工が製品の高精度を支え、他社に差をつける強みだったが、こ の職人気質は生産技術の革新が始まると、進歩を妨げる要因になった。 今まで軍や大企業を相手にしてきたため、売掛金の回収の意識が弱く、信用面に問題の あるディーラーと取引し回収不可能になることがあった。 銀⾏出⾝の社⻑が管理強化を打ち出したことで、社内を向いた姿勢が一段と強まり、社 員が「資料編集やデータいじり」に精を出し始めた。 社員から一番多く聞かれたのは「そんな話をしても無駄ですよ。通りっこない」という諦め と諫めの言葉だった。 (参考 日経ビジネス) ①まず,池貝が大型機を得意としていたところ,産業界の需要が小型機に移ったこと,②つ ぎに,採算を度外視した安値受注体質から結局抜け出せなかったこと,③さらに,リストラ に怠慢で稲川時代は 504 名をわずか 4 名減らしたにすぎなかったこと,④決定的だったの は,稲川が金融に行き詰まり不良の融資話に手を染めたことである。 毎日新聞社(2004 年)『エコノミスト』 池貝鉄工は,今日ではMCのヤマザキマックや森精機製作所,小型旋盤のシチズンマシナ リーやツガミ,NC装置の三菱電機に⼤きく⽔を空けられている。したがって⾼度経済成⻑ 期後,中国国有企業によって買収を受けるまでの池貝の経営不振は,工作機械という業種の 難しさにあるだけではなく,メインバンクの機能不全と安定株主の下での経営者のモラル ハザードにあったといえる。(富山大学 3 富大経済論文集) 外部環境の変化 池貝の不振の原因を外部環境の変化から考察する。 戦後からの産業構造の変化 戦後の⾼度成⻑期には、社会資本の充実やエネルギー使用量の増加に伴い、発電所、プラ ントや造船など重工業が発展した。 ⼀⽅⾼度成⻑期の終焉に伴い、電気や⾃動⾞などが発展し、それに伴い⼯作機械も⼩型、 高能率の機械の比重が高くなった。 4 図 4 製造業の名目GDP貢献額指数推移 (1970−2005 年) オイルショック以降の造船不況 造船業界は、オイルショックで大幅に市場が縮小した。また 1986 年の円高不況では輸出 比率の高い造船業界は、大きな影響を被った。その後世界的な市場の増加に伴い、日本の受 注も増加しているが、韓国、中国が台頭し、価格競争が激化している。 図 5 世界の新造船建造量の推移 5 好況と不況を繰り返す工作機械業界 工作機械のような設備業界は、不況の影響を一番早く受け、景気回復の恩恵が最も遅いと いう特徴を持つ。その結果、好況と不況で市場規模が2倍くらい変わる。一方生産には高い 技能が必要なため、人員削減が容易ではない。 そのため、工作機械業界の企業の多くは自己資本比率が 40〜50%と高く、不況時には内 部留保を取り崩し、雇用を確保する傾向がある。 一方、不況時は少ない引き合いを多くのメーカーで奪い合う為、価格競争が激化する。し かし一度下がった価格は、次に好景気が来ても値戻しが容易ではない。 図 6 工作機械受注高の推移 出所:日本工作機械工業会 競合のオークマの売上高と純利益を見ても売上高の変動が激しく、受注が落ち込んだ年 は赤字となっている。 単位 億円 2500 2000 1500 1000 売上高 当期純利益 500 0 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 -500 図 7 オークマの売上高と純利益 6 ⼯作機械、産業機械メーカーとして⻑い歴史を持ち、多くの技術の蓄積がある同社は、非常 に多くの製品ラインナップがあった。 工作機械 産業機械 CNC 大型旋盤 単軸押出機 CNC 立型旋盤 CNC 複合旋盤 2 軸押出機 CNC 横中グリフライス盤 T ダイ・流動解析ソフト 5 軸マシニングセンタ 制御機器 マシニングセンタ パイプ・チューブ・異形成形装置 ホーニングセンタ シート・フィルム成形装置 U センタ 専用機 CNC 旋盤チャッカータイプ CNC 旋盤ユニバーサルタイプ CNC 旋盤ミルターン コンパウンド・造粒装置 チャッカータイプ 周辺機器・オプション CNC 旋盤ミルターン ユニバーサルタイプ 普通旋盤 一方工作機械業界は、オークマ、マザック、森精機 などの大手は、全ての機械をラインナップするが、 特定の機械に特化して大手に対抗するメーカーも 多い。例 小型旋盤のツガミ、シチズン、スター精 密、ドリルやタップ加工に特化したファナックやブ ラザーなど。 シチズンの小型旋盤 ブラザーのタッピングセンター ファナックのロボドリル 7 4 この事例から学んだこと 結果からみれば、ここに至る多くの要因が考えられるが、環境の変化という側面から考え るとこの事例から多くの教訓を学ぶことができる。 大きな環境の変化として、以下の 2 点の流れが見られた。 日本社会全体が社会資本の整備を重点に置いた重工業中心から、電気、自動車を中心と した軽工業中心への転換。これにより工作機械の需要も大型機から小型機へ移った。 様々な製品を幅広く揃える総合メーカーから、専業メーカーへの転換が進行した。 このような環境の変化に対して、高い技術は競争優位の一部ではあるが全てではなく、変 化に対応できないと技術的な優位はなくなってしまう。 一方環境の変化は徐々に起きるため、売上の変化や顧客の業界の変化を見ても短期的に は発見が容易ではない。従って⻑期的な産業や社会的な変化と共に、技術の変化など定性的 な変化を捕まえる必要もある。 一方で大きな組織になればなるほど、変化に対する抵抗が大きくなる。その中で変化に対 応するためには、強いリーダーシップが必要である。ボトムアップで変革を成功するのは、 容易ではない。 株式会社池貝では、組織の壁ができていた。この壁を取り払い風通しの良い組織をつくる のも、リーダーでなければできない。残念ながら管理を重視する銀行出身の経営者の経営は、 これとは逆の方向だったと思われる。 この考察結果を参考に、中小企業において取引先の経営をよく見ることが必要である。本 事例のような衰退しつつある企業のみと取引している場合、新たな取引先の開拓は急務で ある。 8
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