湖北蚕糸業の盛衰と邦楽器糸製造 に ついての地域社会史論

滋 賀 大 教 育 学 部 紀 要 人 文 ・社 会 ・教 育 科 学,
No.36 p。p.11-30, 11
1986
湖北蚕糸業 の盛 衰 と邦楽 器糸製造業 に
つ いて の地域 社 会 史 論
野間 晴雄
Social Manufacture History on the of Japanese Vicissitudes Musical of Sericultural Instruments Haruo 1.湖(う
み)の 琴一
序 に か えて
水 上 勉 の 長 編 小 説 『湖 の 琴』(1968)に
Industry in the North and Part the Strings
of Shiga Pref.
NOMA
来 あ わせ を しよ うて 、 三 の 糸 をぴ っ と ひつ
、京
ぱ た途 端 に 、 あ んた 、 縁 起 で もな い 、 ぶつ
都 の 長 唄 師 匠 で あ る相星 紋左 衛 門が 、 北 野 上 七
ん と切 れ ま して な … … そ れ を見 て は っ た、
軒 の芸 妓 勝 喜 代 に語 るつ ぎの よ うな一 節 が あ る。
糸 善 の番 頭 さん が 、 西 山 の糸 も弱 うな っ た
「あ ん だ らば、 湖 北 の 糸 と り村 を見 た こ と
… … と、 い わ は っ た の を耳 に した の が 、
が お へ ん や ろ、 そ れ は 、 美 しい村 です ね ん 。
きっ か け どす ね や … …西 山 て どこ に あ りま
賎 ヶ岳 の ふ もと に、 大音 と西 山 とい う二 つ
す と い うて た ず ね ます と、近 江 や と い や は
の 部 落 が 、昔 か ら田 圃 と畑 をは さんで 向 き
ります 。 そ れで 、 わ た しは 、会 が す ん で 、
合 うて い て、 山蔭 に ひ っそ り と眠 っ て ます
み ん なが 、 行 楽 して み た い い うん で 、一 行
ね ん。 こ の村 は、 むか しか ら、桑 を植 え、
をつ れて 北 近 江 へ い った ん どす ね やが 、 こ
蚕 を飼 っ て、 家 々で 繭 を と って 、糸 と り し
の 話 はそ の 時 の こ とで す ね や… … 渡 岸 寺 の
ます …… こ の糸 が 、 な ん と、 よそ で とれ る
観 音 さ ん をみ た あ とで 、西 山へ ゆ き、村 の
糸 とち こ うて 、色 つ や も よろ し、 セ リシ ン
人 らの もて な しで 、 源 八 ち ゅ う宿 に泊 めて
もちが い ます 。 三 味 線 や 琴 糸 に 、 もっ て こ
もら い ま した … … そ の夜 、 お給 仕 に きた娘
いの … … シ ンの 強 い 糸 にな ります ね や。 西
オ が さ く どす ね ん … … 」(1968年 、 角 川 文
山 は 、琴 糸 の産 地 ど した ん や な 。 わ し らは 、
庫 版 PP.259-260)
た だ 、 も う、 わ け も知 らず に 、 三 味線 の糸
前 後 脈 絡 な く引 用 した 上 の 会話 に は、 若 干 の
を、 糸善 さん か ら買 うて 、 消 耗 品 の よ うに
注 釈 が 必 要 で あ ろ う。 さ くとは 、主 人 公 の 薄 倖
使 うてお りま した け ど、 い った い 、 糸 が 、
の 少 女 で 、 若 狭 の 寒 村 出 身 で あ るが 、滋 賀 県 の
どこ で とれ て 、 ど んな 風 に つ く られ る もん
湖 北 地 方 の む らで あ る西 山(伊 香 郡 木 之 本 町)
や か 、 し ら し まへ ん ど した … … そ れ が な 、
に琴 ・三 味 線 用 生 糸 の 糸 と り(座 繰 製 糸)の 季
ふ っ と… …思 いつ いた よ う に、 わ た しが西
節 労 働 者 と して 来 て い た 。 そ れが 、京 都 の長 唄
山へ い っ てみ とう な った ん は… … 去年 の秋
の 大 御 所 的 存 在 で あ る紋 左 衛 門 に 見初 め られて 、
の あ かね 会 ど したか い な… … 南 座 の 楽屋 で
女 中 兼 内 弟 子 と して 京 都 の 彼 の 自宅 に ひ き とら
1986年9刀24日
受理
滋 賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 業 績298号
野 間 晴 雄
12
2,
れ て い る。 糸 善 と は京 都 の 大和 大 路 に あ る楽 器
之 本 町の 座 繰 特 殊 生 糸 製 糸 と東 浅 井 郡 の そ れ
糸 屋 で あ り、セ リ シ ン とは 繭 に 含 まれ る膠 質 の
こ とで あ る。
の み が残 った。 滋 賀 県 は今 なお 農 業 と して の養
(1}対 象地 域 に つ い て お と お
て い た工 業 と して の一 般 製 糸 業 が み られ ない 、
蚕 は行 わ れ て い るが 、 それ と不 可 分 に結 びつ い
ロ
お
滋 賀 県 伊 香 郡 木 之 本 町 大 音 ・西 山 は、 琴 や
い びつ な産 業構 成 に な って しま っ た ので あ る 。
三 味線 な どの邦 楽 器 の弦 に用 い る特 殊 な 生 糸 を
(2)研 究 視 角 に つ い て
と る 「糸 と りの 里 」 で あ る(図1)。
そ の知 名
こ の小 稿 の 目的 は、 この邦 楽 器 糸 用 の特 殊 生
度 は今 なお ロー カ ル な域 に とど ま って い るが 、
糸 をめ ぐる湖 北 農 村 社 会 の動 向 を、 そ の加 工 工
冒 頭 に掲 げ た 水 上勉 の小 説 や その 映 画 化 に よ っ
業 部 門 と して の邦 楽 器 糸 製 造業 の 立 地 変動 や 、
て 一 躍 巷 間 に知 られ た とい っ て も過 言 で ない 。
滋 賀 県 蚕 糸業 の盛 衰 と絡 み あ わ せ な が ら考 察 す
そ れ ゆ え に この 小 説 の 舞 台 とな っ た大 正 の 終 わ
る、 一 種 の地 域 史論 で あ る。 紀 要 と い う性格 か
りか ら昭和 の初 め にか けて の 糸 と りの最 盛 期 の
ら 、 また こ の よ うな特 殊 な対 象 ゆ え に ま と ま っ
イ メ ー ジが われ われ の 脳 裏 をかす め る が 、二 重
の 意味 に お いて 、 そ れ は もは や 終 焉 に 限 りな く
た 文 献 が 皆 無 で あ る こ と、 そ して い まや 衰 退 の
一 途 で あ る この 手 仕事 の記 録 も して お きたい と
近 い とい うのが 現 実 で あ ろ う。
い う個 人的 興 味 か ら、 か な り雑 多 で 細 か い事 項
した の
や個 人名 も一 部 掲 載 させ て い た だ い た こ とを ご
は 両 集 落 あ わせ て わず か5軒 で あ り、 そ れ は邦
寛 恕願 い たい 。 しか し地 理 学 に 基盤 を もつ 筆 者
楽 器 糸 の 需 要 の お よそ1∼2割
と して は 、特 殊 に過 ぎ る き らい が あ る この対 象
第 一 に、 昭和61年 に糸 と り(繰 糸)を
を満 た す に す ぎ
ない 。 か つ て この 集 落 を中心 に湖 北 地 方 だ けで
を、 出 来得 る か ぎ りよ りマ ク ロな 地 域 論 か ら検
全 国 の邦 楽 器 糸 の9割 以上 を まか な って い た の
討 して み る試 み も模 索 した こ と を ご理 解 い た だ
と比 べ る とま さ に隔 世 の 感 で あ る。 第二 に、 滋
け れば 有 難 い。
賀 県 の 蚕糸 業 自体 の 完 全 な 凋 落で あ る。 昭 和46
とこ ろで 近 年 、民 俗 学 的 な 関心 か ら技 術 伝 承
を 克明 に記 録 す る こ とが 最近 の市 町村 史(誌)
が 廃 止 され て 、器 械 製 糸 は全 く滋 賀 県下 か ら姿
の 史料 編 で は ひ とつ の ス タイ ル とな って い る。
を消 して し まっ た。 そ して 本 稿 で対 象 とす る木
そ れ らの隆 盛 に もか か わ らず これ らに 欠 け てい
r一'
下余呉
川並
坂
余 迦
路
一水
呉
湖
一132一
口
(365)
)
、Y木
之本町
浄儲 翻
木之本一
柵ぴ 盈
螺騨 鯉
図1 地域概念 図 疹
▲ 器械 製糸場跡
A浅 井町 Y余 呉 町 1福 井県今庄町
保延寺 輔麟欝
目京 都
轡
無識
年 を もっ て八 日市 に あ った 県 下唯 一 の 製糸 工 場
持寺
1km
る もの は 、対 象 に対 す る地域 の全 体 的 な構 造 へ
の 位 置付 け と、技 術 ・伝 承 を生 み 出 した個 人 や
集 団へ の 関心 で あ ろ う。
両 者 は相 対 立 す る視 点 で は な く、従 来 の 産業
中 心 の 地域 研 究 を止 揚 して 、地 域 の経 済 や 社 会
と の 関 わ りの な か で そ こ に生 活 す る 人 々 の コ
ミュ ニ テ ィーに 注 目 した 「産業 地 域 社 会」 の 概
念 に収 斂 して い くこ とが 可能 と筆 者 は 考 え てい
る 。 最近 、松 井 久美 枝 が 吉 野 製箸 業 の 立地 を、
先 行 産 業 と して の 紙 漉 業 に よ って 過 去200年 間
の 問 に 築 き上 げ られて きた地 域 社 会 の 存 在 か ら
れ
説 明 し よ う と して い るが 、 か か る ア プ ロー チ
は 農 村 に 存 立 の 基 盤 を持 つ 工 業 の 場 合 、 伝 統
的 ・近 代 的 工業 とい う現 在 の 範疇 に か か わ りな
の
く、 と りわけ 有 効 で あ る と思 わ れ る 。
(3)本 稿 で 用 い る蚕 糸 関係 の用 語 に つ い て
こ の小 稿 に はか な りの 頻 度 で や や 特 殊 な 蚕糸
業 の用 語 が 出 て くるた め 、 こ こで 簡 単 に整 理 し
て お きた い(図2)。
蚕 糸 業 とは そ もそ も養 蚕
湖北 蚕 糸業 の 盛 衰 と邦楽 器糸 製 造 業 に つ い て の地 域 社 会 史論
13
う工 業 は、 産 業分 類 で は雑撚 糸工 業 と して 一 括
〈製 品 に よ る分 類 〉
され る。
蚕種 一
繭 一
蚕種 製造業
義 蚕 業
篇ミ緩 く難
2.湖
北 蚕 糸 業 の地 域 的 展 開
(1)明
治 以 前 の 湖 北 蚕糸 業
近 江 の 国 は 、 伊 勢 ・三 河 ・美 濃 ・但 馬 ・備 前
な ど の 近 畿 ・東 海 ・中 国 地 方 の11か 国 と 並 ん で
〈
乾 燥 歩 合 に よ る分 類 〉
『延 喜 式 』(908年)に
用 糸 網 糸
漁 合
物 器 距縫
糸
生
殊
特
楽 秒 朔
造 林
織 邦 人手
糸
生
通
普
か し貞 享2(1685)の
よる上 糸 国 で あ っ た
。 し
白 糸 輸 入 制 限 を契 機 と し
て 、 国 内 各 地 に養 蚕 産 地が 勃 興 す る と、 養 蚕 業
の 中 心 は 東 山 ・関 東 ・東 北 地 方 に 移 っ て 、 東 高
西 低 の パ タ ー ン を と る 。 近 江 、 と りわ け 湖 北 地
方 は、 産 繭 量 で は す で に これ らの 諸 国 との 格 差
図2 蚕糸業の用語
が あ った よ うで あ るが 、西 陣 織 原 料 と して 、 京
への
業 と製 糸 業 とい う本 来 は農 業 と工 業 に分 類 され
「登 せ 糸 」 と し て は 最 も近 距 離 の 産 地 で あ
る と い う 有 利 性 か ら 、 「江 州 浜 糸 」 と し て 名 声
るべ き業 種 をい っ し ょ に表 現 す るた め の 用 語 で
を誇 って い た 。京 都 との取 引 に関 す る文 献 上 の
あ る。 しか し工 業 とい え ど も生 物 を相 手 に した
初 見 は 寛 永 年 間(1624-36)と
もので あ るた め 、 カ イ コが繭 を作 る過 程 の どれ
を材 料 に す る か で用 語 がみ な異 な って くる。 カ
(1715)に
さ れ 、 正 徳5年
は す で に 京 都 和 糸 問 屋 の 取 引 の46%
バ を 占 め て い る 。 当 時 は産 繭 の 移動 は ほ とん ど
イ コの 原 種 を紙 の上 で 産卵 させ た もの が 蚕種 で 、
考 え られ ない か ら、 こ の地 域 が 養 蚕 ・生 糸 産 地
これ か ら繭 を とる まで が 狭 義 の 養 蚕 業 で あ る。
と して も なお 一定 の地 位 にあ った こ とは 確 か な
繭 か ら生 糸 を とる のが 製 糸 業 で 、 これ は上 繭 を
よ うで あ る。
製 糸 す る 器械 製 糸 ・座 繰 製 糸 と、 カ イコが2頭
しか し京 都 へ の 従 属性 ゆ え に機 業 地 と して の
以 上 で 繭 を作 った玉 繭 を製 糸 す る玉 繭製 糸 に分
出発 は遅 れ 、 宝 暦2年(1752)に
か れ る 。器 械 製 糸 と座 繰 製 糸 の 違 い は 、本 来 は
びわ 町)の 中 村 林助 ・乾庄 九 郎 が 丹 後 縮 緬 の 技
製 糸 に 人 力以 外 の エ ネ ルギ ー を利 用 す る か否 か
術 を伝 えて 浜 縮緬 を始 め た こ とが 嚆 矢 と され る。
で あ った 。 しか し戦 後 動 力 を用 いた 器 械 座繰 も
地 方 機 業 と して は 後 発 の部 類 に入 る。 しか し彦
出現 した た め 、両 者 の 区別 は発 生 の経 緯 が異 な
る だ け で 、 あ い まい に な って きて い る。 国用 製
糸 とい う用 語 は昭 和23年 に法 的 認 可 を うけ た 、
国 内 の織 物 用 生 糸 を生 産 す る50釜 以 下 の事 業 所
を さ し、器 械 座 繰 か ら変 更 され た もの が 多 い。
し
り
こ の ほ か に、 屑 物(副
難 波 村(現
、
根 藩 の 国 産 奨 励 の 意 味 もあ って 、 そ の 後 は順 調
ア
な発 展 を示 して 明 治 維 新 を むか え る 。
当 時 の 養 蚕 ・製 糸技 術 に 関 して は、 長 浜 近 郊
す まい
の 相 撲 村(現 、 長 浜 市)出 身 の 成 田 重 兵 衛 に
こが いきぬぶ るい
.よって 著 わ され た 『蚕 飼絹 篩 大 成 』 と 『蚕 飼 絹
蚕 糸)と 呼 ば れ る 真
篩』 が この 地 方 の 状 況 を詳 し く伝 え る。 と りわ
綿 ・玉 糸 ・生 皮苧 ・熨 斗 糸 な どが あ り、 こ れ ら
け前 者 は、 蚕 糸経 営 を農桑 複 合 経 営 の 立 場 か ら
き
び そ の し
を材 料 と した もの が 絹 紡 績 業 で あ る。
い っぽ う、 生 繭 の乾 燥 歩 合 に よる 分類 が普 通
わが 国 で 最 初 に合 理 的 ・本 格 的 に論 じた もの と
して 注 目 を集 め て い るが
の
、 こ こで はの ち に言
生 糸 と特 殊 生 糸 で あ り、前 者 は乾 繭 の重 量 比 で
及 す る糸 繰 り作 業 につ い て の み検 討 して お こ う。
約50%(器
重 兵 衛 の 考 え る 「養 蚕諸 色」 とは 、桑 摘 み か
械 製 糸 、織 物 用)で あ る の に対 し、
特 殊 生 糸 は70∼80%の
重 量 比 まで しか乾 燥 させ
ら機 織 り まで の 現 在 の 用 語 で い う と こ ろ の 養
な い もの で あ る。 その 用 途 と して は 、邦 楽 器 糸
蚕 ・製 糸 ・絹 織 りまで を一連 の もの と して家 族
アリ
の ほ か 、 人 造 テ グ ス 、 漁 網 、手 術 用 縫 合 糸 、
経 営 で 行 な う こ と を想 定 した もので あ る。 そ の
装 束 糸 な どで あ る。 この特 殊生 糸 の撚 糸 を行 な
なか で 糸 繰 りは 、 「桑 摘 み 二 年 、 養 蚕 一 代 、 糸
野 間 晴 雄
14
轍
躍製
図3 「
蚕飼 絹 篩 大成 』 に み る糸 繰 の 図
取 り三 日 」 と記 さ れ る よ う に 、 容 易 な 作 業 と し
に 求 め た 。 県 全 体 で 繭918,765斤(=551㌧)、
て 位 置 づ け ら れ て い る 。 し か も 「近 江 近 国 ハ 、
生 糸89,240斤(=53.5㌧)を
産 す る 。最 盛 期 と
成 た け 生 ま ゆ 二て 糸 二 とる 也」 と乾 繭 の状 態
い わ れ る 昭 和4年(1929)と
比 較 す れ ば 、繭 で
にせ ず に、 生 繭 の状 態 の ま まで 製 糸 を行 な う こ
17.7%、
と を記 して い る 。 図3に み る よ う に、 この作 業
い っぽ う 『
農 業 累 年 基 礎 統 計 』 よ り算 出 した 全
ヒロ
は 専 ら女性 の手 作 業 で行 わ れ 、男 性 は繭 の準 備
(図 中 の 後方)や
糸繰 りの後 の 揚 返(小 粋 に巻
と った生 糸 を大 枠 に 巻 直す 作 業 工 程)な
生 糸(屑
国 の こ の2期
9.4%、
物 を 含 む)で6.0%に
間 の 比 率 は 、 繭(収
生 糸 で3.2%で
あたる。
繭 量)で
あ る。換 言 す れ ば 、 滋 賀
ど を担
県 は 明 治前 期 の 蚕 糸 業 が 全 国 水 準 か らみ て か な
当 す る が 、 あ く まで も補 助 にす ぎな い 。熱 湯 で
り高 い 位 置 に あ り、 そ の 後 の 伸 び は 相 対 的 に 少
繭 を煮 なが ら同 時 に 小 枠 に右 手 で 巻 と って い く
な か っ た とい え よ う。 そ の こ と は桑 園 面 積 に つ
様 子 が 描 か れ て い る。 明治 期 に普 及 した座 繰 機
の よ う に よ り掛 け装 置 は な く、 きわ め て単 純 な
もの で あ る が 、手 挽 の三 丹 流 と呼 ば れ る もので
い て もい え る こ と で あ り 、 大 迫 輝 道 の い う衰 退
型
ロぐド
に該 当 す る 。
ある 。
郡 別 にみ る と阪 田 ・浅井 ・伊 香 の 湖北 三 郡 へ
の局 地 的 集 中 が顕 著 で 、繭 ・生 糸 の 構成 比 と も
(2)明 治 期 に お け る蚕 糸 業 の 地 域分 化
に9割 を超 え る。 と りわ け浅 井 郡 は繭 ・生 糸 と
ロレ
幕 末 の 開港 に よ っ て大 量 の 輸 出 用生 糸 の需 要
もに5割 以上 を占 め 、核 心 地 域 とな って い る。
が生 まれ 、 日本 各地 の養 蚕 地 域 が に わ か に活 気
伊 香 郡 は 県全 体 に対 して 、繭18%、
ず くの が 明 治前 期 で あ る。 郡 別 に 繭 ・生 糸 の生
割 合 で 、 と もに県 下3位 で あ る。
産 統 計 が 得 ら れ る 明 治9年(1886)∼12年
図4は 蚕 糸業 の 集 中 の 著 しい 湖 北3郡(こ
(1889)に
つ い て滋 賀 県 の な か で の地 域 分 化 を
生 糸14%の
の
時期 は浅井 郡が 東 西 に分 か れ た た め に、 実 際 は
検 討 し よ う(表1)。
4郡 で あ る)の 明 治13年(1880)頃
の状 況 を当
用 い た資 料 は勧 農 局(明 治12年 は農 務 局)の
ロロ
『
全 国 農 産 表』 で あ る 。 当 時 の 統 計 は相 当 の
時 の 村 ご とに検 討 す るた め に、 『滋 賀 県 物産 誌』
誤 植 が あ るの が 普 通 で あ るた め 、 明 らか な数 字
あ る。 繭 と生 糸 は大 部 分 が 販 売 に供 され る性 格
の誤 り を訂 正 した う えで 、4年 間 の平 均 を郡 別
の もので あ るか ら、 この 両 者 の 統 一 的 な比 較 を
の繭 ・生 糸 ・真 綿 ・縮 緬 の 分 布 を示 した もの で
湖北蚕糸業の盛衰 と邦楽器糸製造業につ いての地域社会史論
15
表1 滋 賀県 の 明 治 前 期 部 別 繭 ・生 糸 の生 産 量 と比 率
郡 名
繭 (斤)
滋 賀
栗 太
甲 賀
野 洲
蒲 生
神 崎
愛 知
犬 上
阪 田
浅 井
伊 香
高 島
合 計
繭 構 成 比(%)
生 糸 構 成比(%)
0.1
67
0.1
360
0.0
54
0.1
3,077
0.3
301
0.3
1,284
0.1
123
0.1
8,772
1.0
267
0.3
15,711
1.7
140
0.2
4,833
0.5
85
0.1
9,537
1.0
1,557
213,279
23.2
18,256
20.5
475,393
51.7
55,070
61.7
165,000
18.0
12,676
14.2
20,937
2.3
918,765
可 能 に す る た め 、生 産量(貫
1.7
646
100.0
(資料)「 全 国 農 産 表」 明 治9∼12年
重 量 で 表示)で
生 糸 (斤)
582
0.7
89,240
100.0
の 平均
・匁 を単 位 と した
は な く、総 価 格(円)の
多寡 で
位 置 づ け られ よ うls)。
図 中 に村 名 が 書 か れ て あ るの は合 計 金 額 が1
類 型 化 を試 み た。
万 円 以 上 の 最 も上 の ラ ンク の村 と、 そ の 次 の ラ
そ の 算 出方 法 は 、① 各 村 ご との 繭 ・生 糸 の農
ンク(5千
家1戸 あ た りの価 格 を求 め 、② 繭 と生 糸 の価 格
川 下 流 域 に と りわ け この よ うな村 が 多 く分 布 し、
円 ∼1万 円)に 属 す る村 で あ る。 姉
比 を1.2、0.8を 境 界 点 と して 三段 階 に 区分 した。
タイ プ と して はBかCで
つ ま り、1.2以 上 な らば 繭 生 産 が 卓 越 した 養 蚕
ら れ な い。 現 在 の 滋 賀 県 の養 蚕 残 存 地 域 は 、姉
中心 型(A)で
川 の 堤 外 地 や 氾 濫 原 の桑 園 を利 用 した び わ町 ・
あ り、0.8∼1.2な らば繭 ・生 糸
の 均 衡 型(B)、0.8以
製 糸 中心 型(C)と
下 な ら ば生 糸 が卓 越 す る
判 定 す る。③ さ らに繭 と生
あ り、Aは ほ と ん どみ
湖 北 町 域 以 外 にみ るべ き ものが ない 状 態 で あ る
が
ロ 、 明 治 前 期 の核 心 地 が そ の ま ま消 滅 寸 前 の
糸 の 合計 金 額 か ら4つ の ラ ンク に区 分 した。 し
現 在 まで 抵 抗 性 をみせ て い る こ と は興 味 深 い。
た が っ て都 合 、12の 類 型 が 可 能 とな る。 た だ し、
また これ らの 核心 地 は浜 縮 緬 を織 る村 で もあ
農 家1戸 あ た りの販 売 金 額 が10円 以 下 の村 は蚕
り、 そ の中 心 が 長 浜 で あ る。 浮 田典 良 が 『
滋賀
糸 業 が ほ とん ど意 味 を もた ない と考 え て 除外 し
県 物 産 誌 』 を県 下全 町村 に わ た って 集 計 した結
た 。 こ れ を 図 中 で は ×で 示 して あ る。④ 縮 緬 、
果 に よ る と、 繭 の 販売 先 で長 浜 を指 向 す る村 が
真 綿 は少 しで もそ れ を産 す る村 まで と りあ げ た。
81あ り、そ の 販 売 額 は47,679円 、14.4%に
まず この 図 を み て まず 気 づ くこ とは 、平 野 部
び、2位
を中心 に蚕 糸 業 が分 布 す る こ とで あ り、 阪 田郡
22,121円(22村)を
南 部 の鈴 鹿 山地 や 、伊 香 郡 北 部 の 旧 北 国 街 道 お
の 大音29,006円(19村)、3位
およ
の彦根
大 き く引 き離 して い る こ と
ロコ
が 判 明 す る 。 生 糸 に お い て は この 傾 向 は い っ
よび高 時 川 に沿 っ た 山 あ い の村 、 あ るい は孤 立
そ う顕 著 に な り、坂 田 郡75、 東 浅 井 郡90、 伊 香
した位 置 に あ る西 浅 井 郡 の村 々 は繭 ・生 糸 の 産
郡14、 西 浅 井 郡4の 村 々 で販 売 先 と して 長 浜 を
額 と もに多 くな い。 巨 視 的 にみ れ ば蚕 糸業 は 中
指 向 す る。 と りわ け前2郡 で は郡 内町 村 数 のそ
央 日本 の 山間 地 に分 布 す るが 、 よ り微 視 的 に検
れ ぞ れ51、73%を
討 す る と、 滋 賀 県 の場 合 、湖 北 平 野 に そ の 中心
先 は京 都 が 最 大 で あ る。 以 上 の こ とか ら、長 浜
占 め る。 い っ ぽ う長 浜 の 販 売
が あ る とみ な して よ い。 その なか で の や や例 外
は よ くい わ れ る よ うに浜 縮 緬 の生 産 地 ・集 散 地
に属 す るの は、 姉 川 の 支 流 で あ る草 野 川 の 谷 あ
の み な らず 、生 糸 の集 散 地 で もあ っ た こ とが 推
い に位 置 す る高 山 ・鍛 治 屋 を 中心 と した 旧 上草
定 され る。 生 糸 が縮 緬 の材 料 で あ るか ら当然 の
野 村 で あ り、 生 糸 卓 越 型 の 飛 地 的 な 産 地 と して
結 果 か も しれ な い が 、 こ こ に生 糸 商 人 や問 屋 の
野 間 晴・雄
16
繭/生産総 価格比 率 と生 産合計 金額に よ る類型
㌔
' メ
・
、
ランク
聖
、
、
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図4 「滋 賀 県物 産誌 」 に よ る繭 ・生 糸 生 産 の 村 別 類 型
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繭+生 糸
の 合計金 額(円)
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湖北 蚕糸業 の盛衰 と邦楽器糸製造業 につ いての地域社会史論
活 躍 の場 が あ っ た と いえ よ う。
しか しこ こで よ り注 目 した い の は、 そ の ほ か
の ロ ー カ ル な繭 集 散 地 と生 糸 卓 越 型(C)の
村
17
生 糸 の 生 産 量 で は、 木之 本 の ず ば ぬ け た高 さ
が 目 を ひ くが 、 こ れ は 明治29年(1896)に
伊香
郡 最 初 の器 械 製 糸場 が 設 置 され た た めで あ り191、
の 重 な りで あ る。 東 浅井 郡 の 山本 、 音 名 、速 水 、
座 繰 製 糸 だ け をみ る と大 音 が 第 一 位で 、 西 山 が
伊 香 郡 の 小 山、 大 音 、 田居 、 西 山 、 木 之 本 な ど
これ に次 ぐ。 『
物 産 誌』 当 時 に比 較 しで 大 音 一
は 農 家 一戸 あ た りの繭 ・生 糸 産 額 が 大 きい ばか
3%、
西 山+47%と
、 西 山 の増 加 が 著 し い 。
りで な く、 必 ず 近 隣 の村 か ら の 繭 の売 り先 と
こ れ まで 村(大 字)別 史料 を用 いて 、 明 治期 、
な っ て お り、在 村 の生 糸 商 人 の 存在 を推 測 させ
湖 北 地 方 の 蚕 糸 業 の 地域 分化 をか な り詳 細 に分
る。 こ れ らの集 落 はほ ぼ例 外 な く商 業 を専 業 的 、
析 して きた 。 次 章 で 対 象 とす る木 之 本 町 は 、湖
あ る い は農 業 との兼 業 で 営 む 家 が い く らか は存
北 蚕 糸 業 地 帯 の 核心 か らは やや はず れ た 周 縁 部
在 して お り、人 口規 模 も相 対 的 に大 き い。
にあ り、 越 前 ・美 濃 国境 の 山間 の む ら との 漸 移
この よ う な集 落 の な か で 、 と りわ け賎 ヶ岳 の
東 の山 裾 に位 置 す る大 音 の特 異 性 は注 目 され る。
地 帯 と位 置 付 け られ よ う。 この 周 縁性 は 、1)大
音 ・西 山 をは じめ 多 くの む らが 近 世 に は 彦 根 藩
この 集 落 の 繭 の 集 荷 圏 は こ の図 中で も西 浅井 郡
に属 して い な が ら、 国産 奨 励 と して の性 格 も持
や 以 北 の 余 呉 方 面 な どに お よ び 、購 入 額 の 多 さ
つ 浜 縮 緬 の 生 産 は全 くこ こ まで は普 及 しな い で 、
(合 計 で は 長 浜 に 次 ぐ)や 、生 糸302貫400匁 、
養 蚕 ・生 糸生 産地 帯 に とど ま った こ と、2)よ り
13,003円 とい う郡 内 最大 の 販 売 量 と と もに きわ
養 蚕 の 普 及 が遅 れ 、滋 賀 県 と して は例 外 的 な 夏
め て 傑 出 した位 置 に あ る こ とが わ か る。 さ らに
繭 が 卓 越 す る 山 間 の集 落 を北 部 に もっ こ と、3)
生 糸 を大 音 に 販売 す る村 も近 隣 に5村 あ り、 自
明 治 末 期 に い た って も木 之 本 以外 に器 械 製 糸工
家 繭 に よ らな い で 、購 入 繭 に よ って 製 糸 を専 門
場 が立 地 をみず に 、 なお 座 繰 製 糸 が 中心 で あ る
的 に行 な う農 家 や 、仲 買 的 性 格 を も った農 家 の
こ とか ら首 肯 さ れ よ う。4)さ らにつ け加 え る と、
存 在 を推 定 さ せ る。 しか も隣 村 の 西 山 、 田 居
(明 治7年 西 山 か らの分 村)、 黒 田 の集 落 も高
・
い ラ ンク のCタ イ プで あ り
、 こ れ ら をあ わせ て
ひ とつ の 生 糸 産 地 で あ った と判 断 して よい 。 大
こ の付 近 の桑 園 は、 立 通 しと よば れ る喬 木 の状
よト
態 の ま まの粗 放 的 な もの が 多 い 。
3.邦
楽 器 糸 製 造 業 の移 植 と その 発 展
音 よ り以 北 に は この よ うな 集荷 規 模 を もつ 村 は
前 章 で 検 討 して きた よ うな歴 史的 ・地 域 的状
な く、 養 蚕 中心 のAの
況 の もとで 、 明 治 末 に大 阪 の奉 公 先 か ら帰 村 し
レ
タイ プが 点 在 す る にす ぎ
ない の で あ る 。
た 人た ち に よ って 農 村 に 移植 さ れ たの が 、琴 ・
つ ぎ に明 治 末 期 にお け る大 音 ・木 之 本 を中心
と した 伊 香 郡 の 蚕 糸 業 を別 の資 料 か ら検 討 し よ
三 味 線 ・琵 琶 な どの 邦 楽器 糸(弦)を
作 る家 内
工 業 で あ る。伊 香 郡 に移 植 さ れ た この 特 殊 な撚
う。 図5は 江 北 図 書館(木 之 本 町)所 蔵 の 旧 伊
糸 業 につ い て 考 察 す る前 に 、邦 楽 器 糸 製 造 業 の
香 郡 役所 文書 か ら、 明 治43年(1910)の
特 質 や 移 植 以前 の事 情 につ いて 触 れ て お き たい 。
大字 別
の 繭 ・生 糸 の 生 産 量 の絶 対 値 を図 示 した もの で
(1)都 市 部 に お け る邦 楽 器 糸 製 造 業
あ る 。 こ の文 書 は 明 治21年 の町 村 制 以 後 の 旧村
が 郡 役所 に物 産 の量 を報 告 す る ため に提 出 した
一 般 に邦 楽 器 の弦 は い ず れ も楽 器 本 体 と は別
に生 産 され る。 邦 楽 器小 売 店 で 楽 器 を購 入 す る
手 稿 と思 わ れ る もので 、春 蚕 ・夏 蚕 ・秋 蚕 ご と
時 も原 則 と して両 者 は別 扱 い で あ る。 消 費 者 に
の 数量 ・飼 育 戸 数 や 、座 繰 ・器 械 の 種 別 ご との
と って は邦 楽 器 糸 は完 全 な消 耗 品 で あ り、 弦 が
生 糸 生 産 量 ・戸 数 な どが 記 載 され て い る。
傷 ん だ り切 れ た りす る た び に、 小 売 店 で 調 弦 し
産 繭 につ い てみ る と 、木 之 本 以北 の 旧余 呉 村
域 で 、柳 ヶ瀬 断 層 の 構 造 谷 の 沖 積地 に位 置 す る
楽 器 糸 の よ うな特 殊 な製 品 は数 量 の把 握 が き
て も ら うの が普 通 で あ る。
諸 集 落 の 絶 対 量 が 多 く、 しか も夏 繭 が 全 体 の
わ め て 困難 で あ るが 、産 地 につ い て は 断 片 的 な
50%を 超 え る こ とが 注 目 され る 。 い っぽ う、 木
文 献 か らの推 定 が あ る程 度 可 能 で あ る。 江 戸 時
之 本 以 南 の 集 落 は春 蘭 比率 が50%以 上 の 春 蘭 卓
代 か らの変 遷 につ い て も検 討 を した が っ た が 、
越 地 帯 とみ な して 差 し支 え な い だ ろ う。
筆 者 の力 不 足 の た め 適 切 な史 料 を見 出せ な か っ
野 間 晴
18
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100(石)
図5 明 治 末 の 木 之 本周 辺 の産 繭 ・生 糸 の 生 産 と邦 楽 器系 撚 糸業 の 分 布
(資料) 江 北 図 書 館 蔵 の 「旧伊 香 郡 役 所 文 書 」 と聴 き と り等 に よ る。
た ので 、 明治 期 以 降 につ い て み て い ぎだ い。
十 丁 目、東 京 府 下 安 立 郡 金 杉 村 、 栃 木 県 足 利 郡
明 治 期 の政 府 や 地 方 自治体 は 、殖 産 興 業 の 目
足 利 町 、 山形 県 置 賜 郡 花 沢 上 ノ町 、紀 伊 国 名 草
的で 種 々 の勧 業 博 覧 会 を開 催 し、近 代 化 を推 進
秘 画 釘 貫 町で あ る。 また 、 第 三 回 内 国 勧 業 博 覧
す る。 明治10年(1877)の
会 で は 雑 撚 糸 類(結
内 国 勧 業博 覧会 に邦
楽 器 糸 を 出品 した5業 者 の住 所 は 、東 京 府 麹 町
束 糸 、 数 珠 糸 、 織 糸 を含
む)の 出品 数 は48で 、 内 訳 は大 阪20、 京 都15、
湖北蚕糸業の盛衰 と邦楽器糸製造業につ いての地域社会史論
19
群 馬5、
東 京3、
長 野4、
石 川1で
あ る
邦 楽 器 糸 撚 糸 を創 始 した(表2の
。 こ
④)。 京 都 博
覧 会 を は じめ 種 々の催 しに製 品 を出 品 し 、明 治
れ らの 史料 か らは業 者 数 は判 明 しない が 、 そ の
さきがけ
前 期 の市 内 の 有 名 商店 を記 した 『
都 の 魁 』 に '
中 心 が 京 都 ・大 阪 に あ っ た こ と は 確 か な よ うで 、
こ の ほ か 生 糸 産 地 の 群 馬 ・長 野 ・山 形 県 な ど に
も 「諸 国向 鳴 物 糸 製造 所 」 と して紹 介 さ れて い
分 布 す る こ と も注 目 さ れ る 。
る。 こ こで の 聴 き と りに よ る と、 明 治期 に はす
の三味
で に 大音 ・西 山産 の生 糸 を専 ら用 い て い た の で
線 ・琴 糸 の 専 業 的 製 造 業 者 が 存 在 した 響。 そ の
あ り、 そ の買 い付 けの た め 、春 繭 の 糸繰 りの終
京 都 市 内 に は 明 治31年(1898)で27軒
まり
分 布 につ い て は不 明 で あ るが 、室 町筋 を中 心 と
了 した7・8月
した 全 国 各地 の各 種 織 物 を扱 う問屋 街 に隣接 し
現 地 の生 糸 仲 買 、 そ れ に生 糸 生 産 者 の代 表 を交
に木 之 本 を訪 れ 、他 の 同 業 者 や
て 、 上京 区 に生 糸 を扱 う糸 屋 町 が形 成 され て い
もまり
え て購 入価 格 を決 め た とい っ 。
た が 、 こ の付 近 に当 初 はか な り立 地 して い た よ
あ とひ とつ の 中心 で あ った大 阪 に つ い て は 、
うで あ る。 そ の一 角 とい って よい とこ ろ に今 も
現 在 すべ て の業 者 が 廃 業 して し まった た め詳 細
操 業 して い る鳥 羽 屋 は、 明 暦 年 間 に伏 見 下 鳥 羽
は不 明 で あ るが 、 大正3年(1914)の
の 地 で 初代 が 染色 業 を営 ん で い た のが 、嘉 永2
組 合 会 社 銀行 市 場 工場 実 業 団体 一 覧 』 に よる と、
年(1849)に
当時 、大 阪市 内 に4つ の工 場 が あ り、 そ の うち
上 京 区西 洞 院 下 立売 下 ルの 地 に て
『大 阪 府
表2 現存 の邦楽器糸製造業者の経営概要事例
立 地 タ イプ
都 市 型
巌 地 近 接 型
①
②
③
工 場の所 在 地
伊香 郡木之本
町木 之本
伊香郡木之本
町木之本
伊香郡余呉町
国安
京都市上京 区 彦 根 市 京 町1
油小路下立売 丁 目
下ル
創 業 年
明 治41(1908)
大 正 元(1912)
嘉 永2(1849)
創 業者 の前 歴
大正末期
農家の三男
農家の二男
農 家 の三 男
創 業者の出身地
余呉町下余呉 浅井町寺師
余呉町国安
創 業者の技術の
習 得 先
大阪市内の撚
糸業者
大阪市内の撚
糸業者
木之本町西山
の伯 父,
④
⑤
整 理 番号
明 治40(1907>
琴糸、
三味繰糸
各種邦楽器糸
琴糸
三味線糸
三味線糸
各種邦楽器糸
装飾糸
京都市伏見区
下鳥羽
浅井町上草野
東京都
不 明
彦根市内の撚
糸業者
東京都内 の撚
糸業者
(従業 員 が事
業 を引継)
三味線糸
琴糸
琴糸
三味線糸
各種邦楽 器糸
琴糸
三味線 糸
10(4)
原糸 の購 入先
大 音 、西 山 、
野 瀬 、鍛 治 屋
野瀬、太田、
大音 、 西 山 、
野 瀬 、太 田 、
岐阜県
(大音 、西 山)
鍛治屋
岐阜県
鍛治屋
ナ イ ロン糸の
使 用
(注)内
卸売兼業
製造のみ
○
○
容 はす べ て昭 和61年7∼9月
2(1)
10(3)
従業員()は 男子
営 業 形 態
2(1)
製造のみ
×
大 正 期'
農 家の 三 男
各種邦楽器糸
装飾 糸
武具糸
埼玉 県志 木市
本町
染色業
(撚糸 業 経 営)
主要 生 産 品
⑥
11(3)
農 家
20(4)
(西 山 、 大 音)
卸売兼業、
一 部 直売
卸売兼業
卸売兼業
○
○
○
時 点 で の聴 きと り、照 会 に よ る。*は 現 在 の 業 者 が事 業 を引 継 い だ時 期
で あ り、 先 代 の 創 業 は江 戸 時 代 に 遡 る と思 わ れ る。 原 糸 の 購 入 先 は生 糸 の 場 合 の み を示 し、( )は 生 産
者 か らの直 接 購 入 で は な く、 木 之 本 在 住 の 仲 買 業者 か らの 仕 入れ で あ る。
野 間 晴 雄
20
3つ は東 区 内 の 旧 三郷 地 域 に分 布 して い る。 職
要 は変 らな い 。 また技 術 面 で も機 械 利 用 の 差 が
工 の 数 は、8∼26で
で るの は、④ の撚 糸工 程 と糸 張 り(⑦)で
あ り、 家 内工 業 とい う規 模
電動
よ りは大 きい 。 しか しそ の創 業 は いず れ も明 治
式 を用 い て い る か否 か の違 い ぐ らいで 、手 作 業
中期以降であ る 。
的 な工 程 が 大 部 分 を占 め る。
東 京 都 内 に も若 干 の 業 者 が あ った よ うで 、表
材 料 の生 挽 生 糸 を大 枠 か ら小 粋 に巻 き と った
2⑥ の埼 玉 県 の業 者 は 、 もと、 都 内 四 ッ谷 で操
あ と(①)、 作 る楽 器 糸 の 種 類 に 合 わせ て 寸 法
業 して い た工 場 に奉 公 に来 て 、 事 業 を引 き継 い
取 を した の ち10本 ず つ 合 糸 し(②)、 糸 の 種 類
エ
リ
だ もの で 、志 木市 へ の移 転 は戦 災 に よ る もの で
に よ って 定 ま って い る 目方 を掛 け あ わせ る 目方
あ る 。 生 糸 は現 在 、'木之 本 在 住 の 生 糸 仲 買(大
合 せ をす る(③)。
音 出 身)を 通 じて購 入 す るが 、大 正 期 に は群 馬
程 で あ り(④)、 糸 の 種 類 や太 さ に よっ て撚 る
県 か ら も仕 入 れ て い た とい う。
の 回数 や 向 きが異 な る。 次 に三 味 練 糸 な どの 場
以 上 、 断片 的 な 史料 な どか ら推定 で きる こ と
合 は鬱 金(う
は 、 ほ ん らい邦 楽 器 糸 製 造 業 は京都 ・大 阪 ・東
そ の あ と餅 を乾燥 させ て固 くな っ た もの をか ん
そ の 次 が 中心 と な る撚 糸 工
こん)粉 で 黄 色 に染 色 す る(⑤)。
京 な どの 都市 部 の 、 そ れ も旧市 街 の 中 心 に近 い
なで 削 り、 そ れ を煮 て糊 状 に して 、染 色 した生
と こ ろ に立 地 した 都市 型 の工 業 で あ る点 だろ う。
一 部 に は足 利 の よ う に生 糸 産地 に も立 地 した が 、
糸 もい っ しょ に煮 込 む(⑥)。
この 場 合 も近 在 の 中心 地 で あ る都 市 とい う性 格
乾 燥 を行 ない 、切 断 して 、竹 筒 に巻 と り紙 で 止
は変 わ らない 。 原 料 と な る生糸 は比 較 的 軽 量 で 、
め る(⑦ 以 下 の工 程)。 こ こ で は ⑩ で 再 び 薄 く
邦 楽 器 糸 に加 工 した場 合 も重 量 減損 が な い た め、
餅 糊 をつ けて い る が 、 こ れ は他 の 業 者 で は行 な
あ とはこの糸 を
再 び張 って 乾燥 させ 、糸 の節 を取 った の ち 自然
わ な い こ と もあ る。 図7は 材 料 の 特 殊 生 糸 と三
輸 送 費 は安 価 で あ る。 ウ ェ ーバ ー流 の立 地 論 か
らは 消 費 地 ・原料 産地 の ど ち ら に立 地 して も よ
味 線 糸 の完 成 品 を示 した もので あ る。
い こ と にな る 。 しか し現 実 に は、 当 初 の 立地 は
目方 合 せ か ら切 断 まで は工 場 で の一 連 の作 業
ほ とん どす べ て が 都市 部 で あ り、 典 型 的 な 消 費
と して行 われ 、 所 要 約 一週 間で あ る。 作 業 に は
地 立 地 型 で あ った 。 お もな需 要 が 琴 ・三 味線 な
男 女 と も関 わ るが 、女 子 は男 の補 助 的 な役 割 が
どの 師 匠 とそ の 弟 子 で あ り、花 柳 界 との つ な が
多 く、 と りわ けカ と熟練 を要 す る③ ・④ ・⑨ ・
り も深 い25,とい う特 殊 事 情 も考 慮 す る必 要 が あ
⑩ の工 程 に その 傾 向 が 強 い。 また 昭和35年 頃 ま
ろ う。
で は京 都 で は、 住 み 込 み の職 人 も多 く、徒 弟 制
(2)邦
的性 格 を有 して い た 。 しか し どの 工場 も分 業 や
楽 器 糸 の 製 造 工程
次 に生 糸 か ら邦 楽 器 糸 を作 り出す 工 程 につ い
下 請 け体 制 は と らず 、 一 貫 製造 が 行 わ れ て い た
て述 べ よ う。 図6に 示 した もの は木 之 本 の業 者
が 現 在 行 っ て い る あ ら ま しで あ る。 細 部 に わ
こ とを特 色 とす る。 一 般 に、特 殊 な伝 統工 芸 は
一 子 相 伝 的 な要 素 が 強 い の に対 して 、 邦 楽 器 糸
た っ て は そ れ ぞ れ の業 者 に よ って 異 な る が 、大
の 製造 は 品 質の 差 はあ って も、 た と えば 琴 の 三
生挽生糸 の購入
¢
2
1
、
、
繰
糸
』
寸
法
取
●
目
吏
q
→
合糸
せ
@
撚
丞
上
撚
6
5
◆
7
、
、
、
染
色
糊
煮
込
糸
張
→
亀
嬢
唖
自
選
然乾
摩
糊
引
→ 燥 → 節 や
取
÷
馨
図6 邦楽器糸の製造工程
太字 は主 として男子 の作業工程
1要
1尾
1ミ
自
定
寸
法
切
断
糸
然
乾
→ 燥
拳
→
紙 →
付
出
荷
湖北蚕糸業 の盛衰 と邦楽器糸製造業 についての地域 社会史論
ド
ぬ
い
21
も農 家 出 身 で あ る こ とが 共 通 す る。 こ れ らの 先
へ
駆 者 の 家 に 職工 と して働 き技 術 を習 得 した の ち、
独 立 して 自分 の 出身 村 で 新 た に事 業 を興 した の
万・
が 追随 者 とい って よい 一 団 の 人 々で あ る。 これ
.
らの うちで 判 明 す る もの の み の伝 播 関 係 を 前揺
/
の 図5に 示 して お い た 。 こ の なか に は親 戚 関係
随
に あ る者 か らの 習 得 とい うケ ー ス もま まあ った
一鵡:論
よ うで あ る(例 えば 、表2の ② は西 山 の 伯 父 か
図7 特殊生糸 と三味線糸(国 安)
ら学 ん だ)。
かか る プ ロセ ス を経 て 、 こ の特 殊 な撚 糸 工 業
の 糸 な らば 幾 らの重 量(匁 で 換 算)と 決 まって
が この 地 域 に定 着 す る の で あ るが 、 事 業 所 数 、
い る規 格 品 で 、 しか も消 耗 品 とい う性 格 を もっ
生 産 額 等 は 断片 的 に しか わ か らな い 。 『滋 賀 県
た もの で あ る た め 、そ の技 術 の 習 得 に著 し く時
産 業 要 覧』 に よ る と、大 正3年(1914)の
間 を要 す る こ とは ない 。 そ の た め 、農 家 出 身 者
戸 数 は5戸
で あ って も、技 術 の移 植 は比 較 的容 易 で あ った
と考 え られ る 。
(3)伊
の 産 額 が あ る
(=47kg)、884円
香郡 への 邦 楽 器 糸 製造 業 の移 植
最 初 に滋 賀 県 で 邦 楽 器 糸 製造 業 を始 め た の は 、
伊 香 郡 余 呉 町 下 余 呉 出 身 の橋 本 参 之 祐 氏 で あ る
(表2①)。
4,496円
明 治17年 生 まれ の 彼 は、 も と庄 屋
製造
、数 量 は60貫 余 り(=228kg)で
、
ユ
アリ
。 大 正 元 年 が12.6貫
で あ る か ら、 この 時 期 が 草 創
期 と言 え よ う。 全盛 は昭 和 初 期 とい わ れ るが 、
同11年(1936)に
は 県 下 で20戸 、 職 工 数57入 、
産 額 に して145,112円
を数 え る が 、 そ の 大 部 分
ヨ
の
は この 地 域 の 業者 と考 え て よ い 。
の 家 柄 なが ら幼 少 の 時 に両 親 と死 別 した 。長 兄
京 都 ・大 阪 とい う大 都 市 に立 地 した この 手 工
は彦 根 へ 瓦 職 に、 次 兄 は大 津 へ 下 駄 職 に奉 公 に
業 が 、 なぜ この 地 に移 植 され たの で あ ろ うか 。
出 た 。 彼 は大 阪市 内西 成 区天 下 茶 屋 にあ った邦
前 に も指 摘 した よ うに 、重 量 の 比 較 的 軽 い 原 料
楽 器 糸 製 造 工 場 へ 見習 い奉 公 に行 き、 明 治41年
の た め 、技 術 条 件 さえ整 え ば その 立 地 は 不 定 で
(1908)、24歳 の と き帰 郷 した 。 そ して資 金100
あ る。 に もか か わ らず 、 この 工 業 が ほ か の 地 域
円 を借 りて 下 余 呉 で事 業 を 開始 した の が嚆 矢 で
に はあ ま り移植 されず 、都 市 型 産 地 との 共 存 、
あ る。氏 は昭 和7年(1932)に
あ るい は最盛 期 に は そ の地 位 の逆 転 とい う現 象
木 之 本 の現 在地
に移 転 す る。
大 正 元 年(1912)に
さ えみ られ た の で あ り、 この 地 の 有 利性 を挙 げ
は余 呉 町 束 野 出 身 の 大岩
な い わ けに は い か な い。 最 大 の 理 由 は や は り大
元 吉 氏 が 大 阪 へ 見習 い奉 公 に行 って技 術 を学 び 、
音 ・西 山 とい う邦 楽 器 糸 用 の 生 挽 の 特 殊 生 糸 の
結 婚 して村 内 に 家 を借 り、 そ こで 妻 と2人 で事
産 地 に隣接 して い た こ とに求 め られ るで あ ろ う。
業 を始 め た の が2番
さ らに また 、 こ の チ ャネ ル を通 じて の 京 都 ・大
目で あ る。 後 に は妻 の 出 身
村 で あ る 国安 に移 り、バ イ オ リン糸 な ど も手 掛
阪 の 邦 楽 器 糸 製造 業 に 関す る情 報 量 の 豊 富 さが 、
け現 在3代
新 規 の 事 業 に対 して も比 較 的 ス ム ーズ に 入 って
い け た とい え る だ ろ う。 こ れ は ウ ェー バ ーの い
目の妻 が こ の仕 事 を引 き継 い で い る。
上 の2人 に は や や遅 れ るが 、 西 山 で は布 施 正
一氏 が 明 治35年(1902)14歳
で 大 阪 北 浜3丁 目
の 楽 器 店 に 見 習 い 店 員 と して 入 り、 大 正4年
(1915)帰
う局 地 因子Regionalfaktorと 通 常 は み な され る
もの で あ る。 しか し筆 者 は そ う単 純 な 図 式 で 片
村 して邦 楽 器 糸 製 造 業 を創 始 して い
ず くと は思 え な い。 次 章 で は邦 楽 器 糸 用 生 糸 を
る 。 彼 に よっ て 大 音 ・西 山 とい う本 来 は生 糸
産 す る 大音 ・西 山側 の戦 前 か ら現 在 まで の 状 況
産地 にす ぎな か っ た所 に邦 楽 器 糸 製 造 業 が移 植
や 製 糸工 程 を記 述 して い きなが ら、 この 問 題 に
され 、以 後 、村 内 で も彼 の と ころ で 見 習 い を し
ア プ ロー チ して い きたい 。
ご て 、独 立 す る者 が で て きた 。
こ の先 駆 者 と もい うべ き3人 はそ れ ぞ れ全 く
個 々 に大 阪 に修 業 に行 った の で あ る が 、 いず れ
4.大
音 ・西 山の 座 繰 製 糸 と特 殊 生 糸 生産
(1》 座 繰 製 糸 法 の 変 遷
野 間 晴 雄
22
近 世 期 の 製 糸 法 が2章 の(1)でみ た よ う な幼 稚
含 み て きた よ うに、 近 世 の 手 挽 きの 段 階 か ら
な段 階 か ら、一 応 の 器械 仕掛 ら しき もの に転 換
明 治 前期 の手 廻 しの 座 繰 の 段 階 、 中期 の 足 踏式
した ゐ は 明 治前 期 で あ り、 開 国以 後 、 上 州 で 発
座 繰 を経 て 、モ ー ター を用 い て い るの が 現 在 の
りほ
明 さ れ た座 繰 製 糸 法 が 普 及 して い く 。 そ の過
段 階 で あ る。 い っぽ う、 戦 後 の 大 規 模 工 場 で の
程 で と りわ け改 良 が 進 ん だ の が 巻取 り方 法 で あ
る。 座 繰 法 で は繭 を煮 る釜 を前 に して 坐 って 糸
器 械 製 糸 は 多条 繰 糸 の段 階 を経 て 、 自動 繰 糸 機
の 段 階 に完 全 に達 して い るの で あ り、 両 者 の 技
繰 り をす るが 、後 方 に あ る伝 導 装 置 で 小枠 に巻
術 や 生 産性 の格 差 はす で に如 何 と も しが たい 。
とっ て い く とこ ろ に特 色 が あ る。 こ れ に よっ て
つ ぎ に製 糸方 法 を簡単 にみ てお こ う。 詳 し く
繰 糸 能率 は2倍 以 上 に な っ た とい わ れ る 。
現 在用 い られ て い る の は、 江 州 ケ ンネ ル ニ緒
ま えだ る ま
は 、 『織 物 の 里 構 想 基 本 調 査 報 告 書 』 に7工 程
ヨ
リ
に分 けて 記 載 され て い る の で参 照 され た い 。
前 達 磨 式 座 繰 器 と よば れ る 、モ ー タ ー を廻 して
1)殺
枠 車 を 回 転 させ 、 糸 を巻 取 る座 繰 装 置 で あ る
を送 って 蝋 を殺 す 。 夏 秋 繭 は 糸 が 切 れ やす
(図8参
照)。 人 間 が 腰 をか け た 前 に大 きな 繭
蠕 ・乾 繭;調 達 した 原料 の 春 蘭 に熱 風
い ため 、 邦 楽 器 糸 用 には 用 い ない 。
を煮 る釜 が あ り、 燃 料 は プ ロパ ンガ ス を用 い て
2)貯
い る。 か つ て は薪 や 無 煙 炭 を燃 料 に して い た 。
に収 納 す る。 ク ー ラ ーで 温 度 ・湿 度 調 節 を
この 写 真 の 器 械 は集 緒 器 が2つ あ る タイ プで あ
す る。
るが 、 こ れが1つ の もの も戦前 に は あ っ た。 こ
3)選
繭;不 良 繭 の 除去 。
れ らは いず れ も通 称 「達 磨 」 とい わ れ る もの で 、
4)煮
繭 ・繰 糸;80∼90℃
動 力 を用 い る点 か らは狭 義 の座 繰で は な く、器
の 中 に 繭 を浮 か し、稲 わ らで 作 っ た ほ う き
械 座 繰 とい わ れ る種 類 の もの で あ る 。 しか しこ
で 糸 口 を探 りだ し(索 緒)、 手 で 引 き出 し
れ よ り古 い タイ プ の座 繰 器 は足 踏 み式 で 、明 治
て 、 集 結器 を通 して繰 糸 す る 。
も じ
20年 代 頃 か ら これ が 用 い だ され た とい っ 。
5)揚
繭;糸 繰 り まで か び な い よ う に貯 繭棚
の熱湯 を入れた釜
かせ
返;再 繰 と もい い 、束 装 に便 利 な紹 に
す るた め 、 大枠(揚 枠)に 巻 か え す作 業 。
6)仕
野マ
上 げ;束 装 の こ とで 、大 音 で は滋 賀 県
に一 般 的 な島 田 捻 り、 西 山 で は左 三 つ捻 り
であ る。
器 械製 糸 で は4)の
工 程 が2つ
に分 か れ る 。
煮 繭 鍋 と繰 糸 鍋 が 分 離 して い て 、 繰 糸 鍋 の 湯 の
塁7「 朽
、
,鍵 麟 、
難
温 度 は40℃ 程 度 と低 い と こ ろに 特 徴 が あ る。
上 にあ げ た6工 程 の う ち、 普 通 の 座 繰 製 糸 と
異 な るの は1)の
工 程 だ けで あ る。 す な わ ち、
邦 楽 器 糸 用 の 生 糸 の必 須 条 件 は 、 は りの あ る音
を出 す た め に 、 セ リシ ンが 多 く糸 に残 存 して い
る こ とで あ る 。 しか し、高 温 の煮 釜 の な かで は
セ リシ ンが 脱 落 して し ま う。 こ れ を防止 す る の
輪 ヂ … 。迎巧ζ ∴
が 生 挽 とい わ れ る不完 全 な 乾繭 法 で あ る 。通 常
の乾 繭 が 重 量 比 で50%(器
鮒:撫
薦
繍
編、
械 製 糸 、 織 物 用)で
あ る の に対 し、坐 視 で は70∼80%の
重 量 比 まで
しか 乾燥 させ ず に 、セ リシ ンの 残 存 率 を高 め る
のである。
(2)最 盛 期 の状 況
大 音 ・西 山 と もに明 治 以 前 か ら養 蚕 ・製糸 が
行 な われ 、 そ の一 部が 京 都 な どの邦 楽 器 糸 製造
コ レ
図8 モ ー ター で まわ る座 繰 器(大 音)
者 に送 られ て い た こ と も まず 間違 い な い 。 し
湖北 蚕糸業 の盛衰 と邦楽器糸製造業 についての地域 社会史論
表3 作業の場所
場 所
事 例 数(%)
母 屋
小 屋
隠 居 部 屋
工 場
そ の 他
不 明
39 21 (23.6)
が39(45%)で
7 (7.9)
は、有 効 回 答89の うち 、 母屋
最 も多 く、 つ い で 小屋(納
の21、 隠 居 部 屋13が 続 く(表3)。
屋)
母屋 と回 答
した もの の 大 部 分 は その 軒 先 が実 際 の製 糸 作 業
の 場 所 で あ る。 隠居 部 屋 とい うの は母 屋 と同 じ
敷 地 内 、 あ る い は近 接 した所 に設 け られ た 別 棟
89 (100,0)
音)は 撚 糸 工 場
家屋 の こ とで あ り、 こ こで も軒 先 が 主 な作 業場
所 に な る。 湖 北 一 帯 、 と りわ け 、湖 北 町 ・び わ
人 の 家 、不 定 な ど
***1世
実 施)で
2 (2.2)
零 事事
*う ち2(大
**他
60年7月
7率(7.9)
零奪
計
座 繰 製 糸 を行 った 場所 は 、両 集 落 各 世 帯 に対
して実 施 した面 接 方 式 の ア ンケ ー ト調 査(昭 和
(44.8)
13 (14.6)
23
帯 で2か 所 の作 業 場 所 を もつ事 例2つ
は 重 複 して計 上 して あ る
町 あ た りか ら伊 香 郡 にか け て は、 長 男 が 結 婚 し
て所 帯 を もつ と、 両 親 は母 屋 を若 夫 婦 に明 け渡
して、 自 らは隠 居 部屋 に移 りす む慣 習 が 根 強 く
今 も残 って い る。 食事 は母 屋 で 一 緒 に す る こ と
か し当 時 か ら今 の よ う な特 殊 生 糸 専 門 に特 化 し
が 多 い が 、 そ の 他 は この 隠居 部 屋 で 過 ご す こ と
て い た とい う証 拠 は何 もない 。 第2章 の(1)で指
が 多 くな る。 この よ うな付 随 的 な ス ペ ー ス で あ
摘 した よ うに 、 近江 国で は生 繭 の 状態 で繰 糸 す
る軒 先 が製 糸 場 にあ て られ る こ とは注 目 して よ
る こ とが一 般 的 で あ るな ら、特 殊 生 糸 は特 殊 で
い。 工 場 とい うの は、 実 際 に は別 棟 の納 屋 の よ
な く、普 遍 的 な生 糸 にす ぎな い。 したが って 、
うな繰 糸専 門 の場 所 を さ して い る場 合 の よ うで 、
邦 楽 器 糸 にす る生 糸 は、 品 質 の よ さに負 うて い
本 格 的 な村 内の 工 場 は 、聴 き と りで は、 昭 和5
る とみ な して よ い。
年 ご ろ まで 数 年 間 存 在 した 大音 の7人 の 共 同経
従 来 、 この2集 落 の 立 地 の要 因 と して 、 製 糸
に適 した水 とい う こ とが常 に い わ れて きた 。事
営 で あ る有 限 会 社 大 丸 製 糸場 だ けで あ る。 こ こ
実 、現 在 で も賎 ヶ岳 の 麓 か ら湧 きで る水 を集 落
器 糸 の 用 途 の ほか 、 テ ニ ス ガ ッ ト、 人造 テ グ ス
の なか を環 流 させ な が ら、 糸 と り場 まで 引 水 し
で は器 械 製 糸 に よ って 特 殊 生糸 を生 産 し、邦 楽
な どの 材 料 に な った
ひ
。 お しな べ て い う と 、繰
て い る。 また 両 集 落 と もそ の 製糸 の起 源 の古 さ
糸 場 所 は座 繰 器 が 置 ける ス ペ ー スが あれ ば どこ
と水 の良 質性 を誇 示 す る か の よ うな伝 説 ・言 い
で もよ いの で あ る。 繰 糸期 間 が過 ぎれ ば器 械 を
おニ
伝 えが 語 り継 が れ て い る 。
解 体 して 、納 屋 に収 納 して お くこ とが 多 か っ た
しか し私 は 明 治40年 代 に初 めて 邦 楽 器 糸 製造
の で あ り、決 して 年 間 を通 じて の 、家 族 全 員 を
業 が 伊 香 郡 に 立 地 す る まで は 、両 集 落 が 生 糸 の
巻 込 ん だ作 業 で はな か った とい え よ う。 そ の点
有 力 な生 産 地 ・集散 地 で は あ っ た もの の 、現 在
か ら も副 業 の位 置 に と ど ま った ので あ る。
の よ うな特 殊 生 糸 だ け の 著 しい特 化 はみ られ な
しか しこの 繰 糸 作 業 は春 蘭 が収 納 され る と迅
か った と推 定 した い。 つ ま り、大 阪 か らの邦 楽
器 糸 製 造業 の移 植 に よ り、専 らか か る特 殊 糸 中
速 に行 わ な けれ ばな らな い 。生 挽 の繭 で あ る と
い う性 質か ら もこの タイ ミング は と りわ け重 要
心 の 生 産体 制 が 形成 され て い っ た と考 え られ る
で 、 通 常 は6月
中旬 頃 か ら7月 下 旬 まで の 約
の で あ る。 当時 これ らの む らで どの 程 度 の邦 楽
1か 月 余 りで あ る。 この 時 期 は 、最 盛 期 に は朝
器 糸 用 生糸 の生 産が 行 わ れ た かの 信 頼 に足 る資
4時 頃 か ら夜7持 す ぎ まで ほ とん ど休 む ま もな
料 はな いが 、大 音 で は大 正 年 間か ら昭 和10年 ご
く行 わ れ たの で あ り、 多 くの 家 で は 家族 労 働 だ
ろ まで の生 産 が 年 間3000∼4000貫(=11,250∼
けで は不 足 す るた め 、 村 外 に女 性 の労 働 力 を求
15,000㎏)程
め た。 水 上 勉 の 小 説 の 主 人 公 もそ う した季 節 的
度 とさ れ 、西 山 は製 糸 戸 数(昭 和
8年 で大 音60軒 、西 山49軒)や
大 規 模工 場 の有
出 稼 ぎ の ひ と りで あ る。 そ の 送 出地 は ア ンケ ー
無 な どの数 か らみ て 、 そ の 約4割 と推 定 さ れ る。
こ の 数字 は 『物 産 誌 』 当 時 の 約10倍 とみ て よ い
答 の あ った なか で28%を
トに よ る と高 月 町 域 の 村 々 が 具体 的 な地 名 の 回
占 め 、 い ち ば ん 多 く、
数 字 で あ る。
こ れ に余 呉 町 域 が23%で
続 く(な か で も川並 は
野 間 晴 雄
24
7で 大 字 別 で は 最 多)。 ま た木 之 本 町 内 で は 大
ず か5戸 が 細 々 と繰 糸 してい た に過 ぎな い。
音 ・西 山 の な か で調 達 す る者 もい た が 、千 田 ・
次 の 衰 退 の ピー ク は昭 和30年 代 で あ り、 邦 楽
黒 田 な ど近 隣 集 落 に お よ び 、 さ ら に は金居 原 の
よ うな か な り遠方 の 山 間 の む ら もあ った 。
しか しと りわ け 注 目すべ きは、 福 井 県 か らの
器 自体 の 需要 の伸 び 悩み に加 えて 、 ナ イ ロ ンが
の
琴 糸 を中 心 に使 わ れ だ し 、 生 糸 の 需 要 が 減 っ
た こ とが ひ とつ の契 機 に な って い る。 しか し聴
労 働 力 移 動 で あ り、 回 答 の2割 にお よぶ 。 そ の
き と りで は 、繰 糸 を やめ た 理 由 で 最 も多 か った
多 くは今 立 郡 で あ り、今 庄 ・宅 良 ・大 谷 な どの
の が 人手 不 足 で あ り、 女 子 の 高 学 歴 化 に よ って 、
北 国 街 道(現 在 の 国 道365線)沿
安 価 な若 年 労 働 力 が 得 られ な く な った こ と、村
いあ るいはそ
の近 くの む らが 多 い 。 移動 距 離 に して20-40km
内 で も若 い 人 た ちが この よ うな仕 事 を敬 遠 しだ
で あ る。 どの 家 もほ ぼ毎 年 決 ま った む らか らの
した こ とに求 め られ よ う。 そ の 後 の 減 少 は 加速
女 子 労 働 者 を調達 した事 例 が 多 か った 。彼 女 ら
度 的 で あ り(図9参
は母屋 で寝 泊 り し、 あ る者 は春 蘭 の シー ズ ンの
み で あ る が 、 一部 の者 は夏 繭 の 繰 糸 が お わ っ て
て わず か5戸 で あ り、繰 糸者 の年 齢 もすべ て50
∼60歳 代 で あ る。
か ら帰 郷 した 。福 井 県 か らの場 合 は 未婚 の女 性
製 糸 業 は材 料 費 の 繭代 金が8割
が 多 か った が 、近 隣村 か らの場 合 は そ の 限 りで
ほ か の繊 維 産 業 の 賃 金 水準 よ り も低 い とい われ
ない。
る。 しか し大 音 ・西 山 の特 殊 生 糸 は単 価 が 一般
照)、 現 在 は 両 集 落 あ わせ
を超 え る ため 、
(3)衰
退の プ ロ セ ス
の生 糸 よ りか な り高 水準 で あ る こ とは 、古 くか
表4は
ア ンケ ー トに よ って繰 糸作 業 を 中止 し
ら変 わ りない 。 昭和61年 の場 合 、横 浜 の春 蘭 生
た年 を尋 ね た もの を、10年 ご とに集 計 した もの
糸 の 相 場 は1.2万 円 前 後 で あ るが 、 同 年 の 西 山
で あ る。 最 初 の ピ ー クが 昭 和11年 以 降の10年 間
糸 は3万
円、 大 音 の 太 物 で2.8万 円 で あ っ た。
に あ る こ とが こ の表 か ら読 み取 れ る。 器 械 製 糸
しか し、 この 価 格 水準 で も、座 繰 とい う技 術 に
が昭 和4年(1929)の
固 執 す るか ぎ り生 産能 率 の向 上 は お のず と限 界
アメ リカ生 糸 相 場 の 大 暴
落 に よっ て徹 底 的 な打 撃 を受 け た こ とは よ く知
られて い るが 、国 内 需 要 が専 らで あ った 特 殊 生
糸が 被 っ た打 撃 は相 対 的 に 少 な い。 む しろ第 二
次 世 界 大 戦 へ の 突 入 に よっ て、 食糧 増 産 の た め
が あ る。
5.滋
賀 県 蚕糸 業 の 跛 行 性 か ら み た
特 殊 生糸 製糸 の残 存 要 因
の養 蚕 の 転 換 、ぜ い た く品 と しての 生 糸 の 生 産
ひ とつ の 国 家 や地 域 社 会 を ア プ リオ リに2つ
制 限 が 大 き く作 用 して い る と思 わ れ る。 戦 時 中
の セ ク ター に 分 け て 、両 者 の 独 立 的性 格 と相 互
も全 国 で ただ 一 ヵ所上 繭 の収 繭 を認 め られ た両
依 存 的性 格 の弁 証 法 と して 、 全 体 像 の 把 握 をす
集 落 で はあ るが 、 生 産 の停 滞 は覆 い が た く、 わ
る手 法 が よ く と られ る。 第 三 世 界 を例 に と る と、
フ ァー ニ バ ル や ブ ー ケ に よ って 考 察 され た オ ラ
表4 座繰 製糸の中止年
中 止 年
∼1935
大音
西 山 計(比 率%)
的 土 着 民経 済 の セ ク ター と植 民 地 的 論 理 が 貫 徹
11(12.6)
15(17.2)
16(18.4)
24(27.6)
9(10.3)
5(5.8)
5(5.8)
2(2.3)
す る経 済 セ ク ターか らな って い て 、 そ れ ぞ れ が
5
6
1936∼1945
8
7
1946∼1955
11
5
1956-1965
21
3
1966∼1975
4
5
1976∼1985
4
1
現在 も継続
不 明
2
3
0
2
. 冒 匿 . . . 曹 一 一 . 匿 匿o , . . . . . . 一 一 ・ . , . . 璽 響 , 璽
小 計
甲 幽 ・ . . . ・ , . . ・ ・ 曹 匿 ■ . ■ . 匿 匿 曹
曹 響 . ■ 一 ■ 曹 . , 響
. ・ o 冒 . . ■
55
幽 ・
■ ■ ・
冒 ■
ン ド領東 イ ン ド(現 在 の イ ン ドネ シ ア)が 伝 統
・ 匿 ■
. 一
. , ,
32
曹 冒
曹 曹 冒
冒 o
■ . ■ 匿 . . . 一 〇 〇 . . , , . , ■
87(100.0)
響 冒
, , , 9 ■ 9 匿 ■
. . 冒
冒
曹 匿
匿 層
製糸を行なわなかった世帯
15
16
31
ア ンケ ー ト総 数
70
48
118
独 自の メ カ ニ ズ ムで 動 い て い た とす る論 理 で あ
おほ
る 。 こ こ で は この よ う な説 明 の 手 法 を借 りて 、
特 殊生 糸産 地 存 続 の 基 盤 を探 って み よ う。
これ まで の記 述 で は、 先 行 条 件 と して の 明 治
期 まで の湖 北 蚕 糸 業 の特 色 を と りあ げ(2章)、
そ の歴 史的 な土 壌 の うえ に半 ば偶 然 的 、 独 立 的
に移 植 され た邦 楽 器 糸 製 造 業 に よ って 、特 殊生
糸 生 産 が 需 要 の 増 大 で 自己増 殖 しなが ら、 産 地
形 成 して い く過 程 をみ て きた(3・4章)。
私 が 強 調 した い の は、次 の 点 で あ る。 す な わ
湖北蚕糸業 の盛衰 と邦楽器糸製造業 についての地域社会史論
25
●
︿ 驚歎
膨
師55S50S45&40S35
S30
S25S
9
γ
。
聖﹀
生糸の 輸入国への 転落
︿ 滋 賀 県の 器 械 製 糸の 消 滅﹀
︿ 東 邦レ ー ヨ ン 河 瀬工 場の
製糸中
止﹀
九パ ー セ ン ト
生 糸の輸入量が輸出量を 凌駕
一
自動繰糸機の比 率
︿ 琴 糸の ナ イロ ン 化 が す す む﹀
殊生糸協同 組合の発足﹀
︿大音
塒
0
,。 器械製糸・ 国用製糸の 設備処理
桑園整理
業
事
㎜
= = = 一
・糸組合の分離
東浅
殊生
郡
伊
井
︿
特
香
﹀
自 動繰糸 機のわが国初の 導入
の認可制にする
を
器械座繰
知事
賀 県 農林 部 農 産普 及 課 『
滋 賀 県 の 蚕 糸業 』 各 年次 、2)東 浅 井 特 殊 生 糸協 同組 合 『
東浅
S.22-S.29は
資 料2)3)の
賀 県統 計協 会伊 香 支 部 『
伊 香 郡 大 観 』1955。
合 計 を 図 示 した 。S.35以 降 の デ ニ タ との 連 続 性 は 若 干 の 疑 問 の 点
もあ る が 、 ほ ぼ 可能 と考 え ら れ る。
なお 、 主 要 事 項 中 、 〈 〉 が あ る の は滋 賀 県 の 事項 で あ る 。 た て軸 は対 数 目盛 り。
ち 、邦 楽 器 糸 用 生 糸 と して の技 術 的 特 殊 性 は生
論 で あ る。
挽 とい わ れ る繭 の 状 態 だ け な の で あ って 、 む し
ろ この 特 殊 な産 業 が ほ とん ど他 の地 域 へ 拡 散 せ
信 濃 ・上 野 ・甲斐 な どの諸 国 で は明 治10年 ご
ろ まで に小 規 模 なが ら水 力 ・蒸 気 に 依存 した器
ず に、 大 音 ・西 山 や 野 瀬 ・鍛 治屋 とい う局 地 的
械 製 糸 が急 速 に広 が る。 明 治5年U872)10月
な 地 域 に残 存 して い る 理 由 は 通説 と して いわ れ
群 馬 県 に 当時 と して は桁 はず れ に規 模 も大 きい
る よ う に、 当 地 の 技 術 的優 位性 や 自然 条 件 を:重
フ ラ ンス式 の近 代 器 械 を導 入 した 官 営 富 岡 製 糸
視 しな い ほ うが よ り妥 当 で あ る と考 え られ る。
一 言 で い え ば 、 残 存要 因 を、座 繰 とい う きわ め
工 場 が 創 業 を 開 始 す る。 こ こへ 技 術 を 習 得 に
て 前 近 代 的 な 製 糸 方 法 と、生 糸 の必 要 量 が 普 通
数)が
の織 物用 と桁 違 い に 少 な い 邦楽 器糸 製 造 業 との
彼 女 らの 多 くは士 族授 産 の 目的 を兼 ね た彦 根 藩
〈弾 力 的 な結 合 〉 に 求 め た い。 以下 は、 そ の 試
の 武 士 の 子 女 た ち で あ り、 帰 郷 後 は 明 治11年
や って きた伝 習工 女 の延 べ 人数(1884年
0 0
一
・
㎜
第2次 大戦後の滋賀県座繰生 糸生産の年次別推移
井 特 殊 生 糸今 昔」1984、3)滋
㎜
(資 料)1)滋
温 照 澗 ㎜ ㎜
) 0
9 0
佳
㎝
5
図9
まで の
最 大 なの が 滋 賀 県 で 、737人 を数 え る。.
野 間 晴 雄
26
(1878)6月
に犬 上 郡 平 田村(現 、 彦 根 市)に
設 立 され た 県営 の彦 根 製 糸 場 で の 技 術 指 導 に あ
ヨ
アレ
たる 。
三 味線 の一 番 太 い 一 の 糸 で42d程
度 で あ り、一
番 細 い三 の 糸 で も21dと 、 か な り太 物 の 糸 で あ
る こ とに は変 わ りな い。 換 言 す れ ば 、 座 繰 とい
しか しこ こで注 目 した いの は、 県 は同 年10月
に こ こ に座 繰 伝 習所 を併 設 して い る こ とで あ る。
う技 術 を継承 す る か ぎ.り、 ア メ リ カ向 けの 婦 人
ド
用 靴 下 の原 料 とな る 極細 の 最 高 級 生 糸 は到 底
明 治12年 の 『県 治要 覧』 に よる と、 彦 根 の 他 に、
不 可 能 な ので あ り、 こ の弱 点 を逆 に生 か す 方 途
長 浜 、小 浜(福 井 県)、 浅 井 郡 川 道 村 、 同 旨 根
を別 に探 し求 め る しか 生 き残 る道 は なか った と
村 、阪 田 郡 清 滝 村 、 伊香 郡川 合 村 に もこの よ う
い え よ う。 こ こ に かか る前 近 代 的 な状 態 の ま ま
な施 設 を開 設 して い る。 上條 宏 之 が 推 定 して い
で 、 きわ めて 限 られ た範 囲 で 、 細 々 とな が ら も
る よ う に、 この 座繰 技 術 の指 導 に富 岡 か らの 帰
特 殊 生 糸 の製 糸 技 術 が 伝 承 され て きた鍵 が あ る
ぬぼ
郷 子 女 が 関 与 した可 能性 は か な り大 きい 。 つ
よ うに思 え る。
ま り当時 の滋 賀 県 は なお 座繰 の勃 興期 で あ っ た
製 品 の 共 同 出荷 や製 品 の 自主 的 検 査 、 優 秀 な
わ け で 、器 械 製 糸 の 普 及 は明 治20年 代 を待 た ね
婦 人 の 繰 糸技 術 の養 成 な どのた め 、 大 音 は大 正
ば な らなか っ たの で あ る。富 岡 の超 近 代 的 な技
1年(1912)、
術 をそ の ま ま ス トレ ー トに受 け入 れ る素 地 も資
生 糸 の 製 造業 組 合 が 結 成 され る。 ま さ に、 この
西 山 は 明 治45年(1912)に
特殊
本 蓄 積 も、 当時 の 滋 賀 県 に は存 在 しなか っ た と
時 期 は この地 に邦 楽 器 糸 製 造 業 が 定 着 しよ う と
い え よ う。
して い た 時期 に重 な りあ うの で あ る。 しか し繭
器 械 製 糸 の 普 及 は犬 上 郡 を 中 心 と して 、 甲
の 共 同購 入 は 昭和11年(1936)の
賀 ・高 島郡 な どの これ まで 極 め て蚕 糸 業 が 低 調
法 に よ って 、 従 来 の仲 買 人 や農 家 との直 接 取 引
産繭処理統制
だ っ た とこ ろ に も拡 散 して い くが 、座 繰 製 糸 の
か ら、特 約 取 引 ・組 合 名 義 に よ る 共 同 購 入 に
本 場 で あ る湖 北3郡 、 と りわ け東 浅 井 郡 と伊 香
な って 以 降 で あ る。 つ ま りブ ラ ン ドと して 、 そ
郡 へ の普 及 は遅 れ 、 伊 香 郡 の 最初 が 水 之 本 製 糸
れ ぞ れ の 集落 名 を冠 した特 殊 生 糸 はす で に明 治
会 社 の明 治29年(1896)で
、資 本 金5万 円 、 釜
末 期 に は 存在 して い た ので あ り、 邦 楽 器 糸 製 造
敷 は50で あ った 。 東 浅 井 郡 に い た っ て は、 明 治
業 者 の ほ う も個 人 の品 質の 優 劣 を問 題 にす るの
36年(1903)の
で は な く、 「西 山 糸」 と か 「大 音 糸 」 とい う製
湖 陽 館 製 糸場(大 郷 村)で あ り、
しか も釜 敷12と い う き わ め て 小 規 模 な もの で
品 を購 入 した の で あ る 。繰 糸 本 数 の違 いで 西 山
あ っ た。
が 細 物(三 味 線 の 三 の 糸)で 、 大 音 が 太 物(三
とこ ろで 器 械 製 糸 と座 繰 製 糸 とい っ て も小 枠
へ の巻 取 りに動 力 を用 い るか ど うか の違 い で あ
味 線 の 一 ・二 の糸 や琴 糸)と い う差 は あ った 。
しか し、 そ れ ぞ れ の家 に支 払 わ れ る代 金 は製 糸
り、作 業 自体 は繰 糸 を行 な う女 性 の技 術 の 巧 拙
量 に よ り組 合 か ら分 配 さ れ るの で あ り、個 と し
にか か って い る とい って よい 。 しか し器 械 製 糸
て の 製 糸 農 家 と邦 楽 器 糸 製 造 業 者 との取 引 は こ
で とっ た生 糸 が 輸 出 用 、 国 内 の高 級 織 物 用 に用
の 時 期 に す で に存 在 しな い。
い ら れ 、座 繰 製 糸 の 生 糸 が専 ら中級 以 下 の国 内
図10は 、 こ の地 域 で 春 蘭 が生 糸 と な り、 そ れ
用 に用 い られた 最 大 の 技 術 的 差違 は 、均 質 で よ
が 邦 楽器 糸 と して 消 費 者 にわ た る まで の ル ー ト
り細 い 糸 が取 れ る か ど うか に か か って い る と
を模 式 的 に示 した もの で あ る。 旧 来 は県 下 の 繭
い って よ い。
を個 人 的 な ル ー トで もって 、 生 糸 仲 買 人 か ら買
明 治43年(1910)の
『滋 賀 県之 農工 業 』 で は、
ヨ
の
県 下 の 器 械 製 糸 の 太 さ を13.4デ
ニ ー ル (以 下
dと 略 記)を
標 準 と し、 国 内 用 羽 二 重(北
け)が16d、
浜 縮 緬 用 が24.5d一
うの が 中心 で あ っ た。 その ほか 若 干 の養 蚕 農 家
との 直 接 取 引 もあ っ た(図 中 の二 重 線)。 む ら
陸向
の 男 た ち は 、 この 繭 の 買 い付 け と 、繰 糸 以 外 の
一50dと 記 して
製 糸 の工 程(仕 上 げ 、揚 返 な ど)を 受 け もっ た
い る 。 と り わ け 浜 縮 緬 用 は 、 太 糸 ・特 太 糸 の 範
の で あ る。 明 治末 年 の1戸 あ た りの 水 田面 積 、
一 人 あ た りの 水 田面 積 が 大 音 が56a 、13 a、 西
ゆ 疇 に 入 る もので あ る 。
そ れで は特 殊 生 糸 は どの 程 度 の太 さな ので あ
ろ うか 。 出来 上 が る弦 の 種 類 に よ って異 な るが 、
山 が79a、18aと
るわ
零 細 で あ り 、 裏 作 が 不 可 能
な 風 土 で もあ る た め 、在 村 男 性 の 多 くが 何 ら か
湖北蚕糸業の盛 衰 と邦楽器糸製造業につ いての地域社会史論
27
岐 阜 ・群 馬
繭
/刷'一
一.一
〇一`一'、
繭 繭
●
l
i
器械製糸
〇"'一
.
塾
l
l
滋鮮
仲 買 人
∼
商 社
・一
仲 買 人
●一
蚕種
繭
座繰製糸農 家
養蚕農家
、、 生 糸
、
生糸!
1
特殊生糸組合
大 音 ・西 山 ・東 浅 井)●
!
識"4…
、
j
1
撚
し ρ
, '
直 売,'
' ㌔,。
'
'
'
'
1
._.一
, 一 一 一 一 ・
湖北
そのほか
生 糸 ・
撚 糸 、、
、
\
の
、
、
、
邦楽器製造工場
し
、
、
。'
仲買人
糸
一 一 一 畠 一
.
'
・
一
生糸
邦楽器問屋
\
、
、
、
、隔 →
、
陶
鴫
D
'
ノ
!
邦 楽器小売庫
!
, '
!
'
'
' '
消費者
一 '
一 一 一
図10 邦 楽 器 糸 の 生 産 ・流 通 ル ー ト
太 線 は流 通 の 主 要 な もの を示 し、破 線 は例 外 的 な流 れ を示 す 。
の か た ち で こ の仕 事 に関 わ って い た とい って よ
現 在 の よ うに繭 地 盤 さ えな い 滋賀 県 の 蚕 糸業
い 。 なお 自家 製 の 繭 を用 い る家 もあ った が 、 そ
で は 、安 定 した繭 供 給 さえ覚 つ か な い の が現 実
の 数 は少 な く、前 に も検 討 した よ う にか な り製
で あ る。 あ る邦 楽 器 糸 製 造業 者 は独 自 に生 挽 繭
糸 業 に傾 いた 構成 に な って い た。
を用 い た生 糸 を岐 阜 県 の 器械 製 糸業 者 に依 頼 し
大 正2年(1913)、
て不 足 を補 っ てい る状 態 で あ る 。 品 質 に 関 して
信 州 諏 訪 の大 手 製 糸 業 資
本 で あ る山 十 製 糸 が 、 突如 と して 自社 の9番
目
は まだ課 題 もあ ろ うが 、 これ まで の座 繰 技 術 に
の 輸 出 用 生 糸 を生 産 す る器 械 製 糸工 場 と して 木
よる 「大 音 糸」 「西 山 糸」 な どの ブ ラ ン ド一 括
之 本(最 大 時496釜)に
る
ヨ 進 出 して きた 。 こ の
立 地 に よ って 、 従 来 の 浄信 寺(木 之 本地 蔵)の
少量 生 産 が絶 対 的 な もの で は な く、 そ の 結 合 が
ま さに 器 械 製 糸 に置 換 され よ う とす る前 兆 か も
門 前 町 的 機 能 と 、伊 香 郡 の 中心 地 と して の機 能
しれ な い 。
に加 え て、 木 之 本 が 、 「女 工 さ んの 町 」 とな り、
(付記)
商 店 もに わか に活 況 を呈 す る よ うに な る。 しか
本 稿 は 滋賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 第31回 研 究 発 表
しこ こ の工 女 の 大 多 数 は、 福 井 ・富 山 ・新 潟 な
会(1986年1月18日)に
どの北 陸諸 県 や 飛 騨 方 面 か ら仰 い で お り、地 元
橋 誠 一 との 共 同研 究 と して は報 告 した もの に、
の採 用 は少 な か っ た。 つ ま り座 繰 と器械 、伝 統
野 間 が 加 筆 修 正 した もの で あ る。 調 査 費 の一 部
的 な技 術 と近 代 的 な技 術 の 相 克 が 行 わ れ る こ と
と して 文 部 省 科 学 研 究 費(一 般 研 究A・ 課 題 番
な く併 存 したの で あ り、 昭 和6年(1931)の
号59410016 代 表 者 ・小 林 健 太 郎)を 使 用 した。
器
∼8月1日
お いて 小 林 健 太 郎 ・高
械 製 糸 工 場 の 閉 鎖 以 後 も、 長 く座繰 が 命脈 を保
1985年7月29日
の本 調 査 とそ の前 後
ち得 た の は 、特 殊 生 糸 との 〈ゆ るや か な 、弾 力
の 予 備 ・補 充 調 査 で 多 大 の ご協 力 を い た だ い た
的 な結 びつ き〉 とい え る もの で あ った 。
木 之 本 町 ・高 月 町 ・余 呉 町役 場 、江 北 図 書 館 、
野 間 晴 雄
28
大 音 ・西 山 の 方 々 、 橋 本圭 祐 、小 篠 洋 之 ・敏 之 、
の は 魚 網 や 人造 テ グ ス で あ り、 邦 楽 器 糸 に関 し
ほか 邦 楽 器 糸 製 造 業者 、滋 賀県 農林 部 農 産 普 及
て は 大 音 ・西 山 に 及 ば な か っ た よ うで あ る。 量
課 の諸 氏 に厚 く御 礼 申 し上 げ ます。 資 料 の所 在
的 に は従 事 して い た戸 数 が 多 か っ た た め(昭 和
等 に つ い て は、 小 林 博(大
阪 経 済 法 科 大 学)、
10年 で1620釜)、 ま た東 浅井 郡 が 県 下 で は 有 数 の
青 木 伸 好(京 都 大 学)両 先 生 の ご教 示 を得 ま し
養 蚕 地 と い う こ と もあ っ て 、 伊 香 郡 の そ れ よ り
た。 また 、酷 暑 の なか 、 フ ィー ル ド調 査 に従 事
も規 模 が 大 きか っ た。 昭 和26年 に 各 大 字 の 組 合
して くれ た滋 賀 大 学 地 理 学 研 究 室 の卒 業 生 ・在
が 統 合 して東 浅 井 郡 特 殊 生 糸 組 合 を結 成 し、現
学 生 諸 君 に感 謝 します 。 な お 、 本調 査 参 加 者 は
在 に 至 って い る。 昭和61年9月
下 記 の44名 。 卒 業 生 … 北 川 浩志 ・藤 田守 ・山本
は 太 田2、 野 瀬1、 鍛 治 屋1で 、 能 衣 装 、 医療
修 嗣 ・鎌 田英 夫 ・松 田一 彦 ・村 川喜 洋 ・日名 子
一 雄 ・井 上 嘉 之 ・小 森 秀 章 ・長 谷川 純 子 。 在 校
糸 、 邦 楽 器 糸 、 ネ ク タ イ用 の 糸 と して 用 い ら れ
る。
生 …宗 宮 学 ・松 矢 佳 世 ・木 村 英 幸 ・児玉 伸 一 ・
3)『 昭 和59年 農林 水 産省 統 計 表 」 に よ る と、 座 繰 製
武 田定 樹 ・宮 崎 充 司 ・山 口 昌伸 ・川 崎 優 子 ・板
糸 は 生 糸 全 体 の 生 産 量 の0.01%を
東 恵 美 子 ・伏 木 敏 治 ・鈴 木 章一 ・谷 博:之 ・橋 本
な い が 、 座 繰 糸 の 県 別 の生 産 量 で は 、 滋 賀 県 が
重 之 ・木 下 麻 子 ・高 山 昌子 ・外 村涼 子 ・伏 木 順
905kgで 第 一 位 、二 位 が 群 馬 県 の773kgで あ る。
子 ・玉 井 正 ・山本 毅 ・河 内 宏 之 ・田 中孝 男 ・南
こ の2県 で 全 国 の99%に
現 在の組合 員数
占 め る にす ぎ
なる。な お滋賀県 にお
田聡 ・渡 辺 信 之 ・清 水 孝 子 ・富 岡 奈緒 美 ・森 田
い て は 、現 在 は、 座 繰=特
順 子 ・田 濃 良 和 ・西 村 成 美 ・下 村 文 宏 ・林 田
い0
聡 ・酒 井 ひ ろ み ・中川 まゆ み ・藤橋 恭 子 ・萬 木
4)松
昌代 。
県 吉 野 町 の 製 箸 業 の 事 例研 究 一 」、 「人 文 地 理」
36-4、 1984、 PP.1-19
注
井 久美枝 「
製 品 転 換 と 産地 の 形 成 過 程一 奈 良
5)三
1)昭
和59年10月1日
現 在 の 戸 数 ・人 口 は大 音101
殊 生 糸 とみ な して よ
澤 勝 衛 「諏 訪 製 糸 業 発 達 の 地 理 学 的 意 義 」、
「
地 理 学 評 論」2-10・11、1926(「 三 澤 勝 衛 著 作
戸 ・395人 、西 山68戸 ・254人 で あ る。 昭 和55年
の 第 二 種 兼 業 農 家 率 は大 音78.7%、
「諏 訪 製 糸 業 の 展 開 と民 間慣 行 」(「民 俗 と地 域
で 、 そ の8割
は 高 月 町 ・木 之 本 町 ・長 浜 市 な ど
形 成 』 風 間 書 房 、1966、PP.217-259)で
へ の 恒 常 的 通 勤 者 で あ る 。 藩 政 時 代 は と も に彦
が 近 代 産 業 資 本 の 先 駆 け とな った 諏 訪 の 器 械 製
根 藩 領 で 、 明 治22年(1889)の
町村制で は伊香
糸 工 業 を農 村 的 ・後進 的 性 格 か ら考 察 して い る
具 村 に 所 属 して い た。 当 時 の 役 場 所 在 地 は 西 山
のは興味深い。
で あ った 。 大 音 に あ る伊 香 具 神 社 は 郡 内 唯 一 の
6)真
式 内 社 名 神 大 で 、 村 内 に は 伊 香 郡 の統 一 的 条 里
もの 。 生 皮 苧 は は 繭 の 糸 口 を 求 め る 時(索 緒)
地 割 の 一 部 が み ら れ る。 付 近 に は古 墳 も多 い。
に で る 質 の 悪 い糸 、 熨 斗 糸 は生 皮 苧 の う ちで 比
較 的 長 くつ づ い た もの を水 洗 して 引 きの ば した
もの で あ る。
『
滋 賀 県物 産誌 』(1880)で
西 山80,4%
は大 音93戸 ・364人、
集1」
未 来 社 、1979、PP.165-203)や
千 葉徳爾
、両氏
綿 は 繰 糸 不 可 能 な屑 繭 を練 って 引 きの ば した
西 山106戸 ・260人 と な っ て い る。 西 山 に は 生 糸
商23戸 を 数 え 、 大 音 も村 内 に は生 糸 商 の 記 述 は
7)テ
な い も の の 、 西 山 か ら分 村 し た 田居 地 区 に は20
正 式 の 名 称 はテ グ スサ ン。 釣 糸 、 医療 用 縫 合 糸 、
戸 を数 え る。
漁 糸 と して は最 高 級 の ものが で き る が 、 数 が 少
2)旧
グス と は天 蚕 と書 き、 ヤ マ マ ユ ガ科 の幼 虫 で 、
上 草 野 村 の 野 瀬 ・鍛 治 屋 ・太 田 な ど を中 心 に
な い た め 、生 糸 を撚 りあ わせ て ゼ ラ チ ンで 合 糸
した 特 殊 生 糸 の 産 地 。 伝 承 で は1183年 、 後 鳥羽
した 人 造 テ グ スが 代 用 品 と して 利 用 さ れ た。
天 皇 が 長 浜 に 滞 在 され て い た と き、草 野 鍛 治 に
8)矢
命 じて 刀 剣 を製 作 させ た 時 、 地 頭 が鍛 治屋 糸 で
御 衣 を奉 呈 した こ とに 始 ま る とい う。 起 源 と し
9)江
て は 特 殊 生 糸 とい っ て も装 束 糸 に あ る 。 最:盛期
『日本 産 業 史 大 系6」
の 昭 和10年 前 後 に製 品 と して 最 も中 心 と な っ た
守一彦 「
幕 藩 社 会 の 地 域 構 造 』 大 明 堂 、1970、
P.289
頭 恒 治 「浜 ち りめ ん」(地 方 史研 究 協 議 会 編
PP.58。69)
東 京 大 学 出 版 会 、1960、
湖北蚕糸業の盛衰 と邦楽器糸製造業についての地域 社会 史論
10)発 行 は 文 化11∼12年(1813-14)。
なお 引用 は
29
所 百年史編 集委員会 『
京都経 済の百年資 料編」
『日本 農 書 全 集35』 農III漁村 文 化 協 会 、1971)
'1982所 収)
に よ る。 な お 研 究 書 と して は 、 荒 木 幹 雄 「近 世
23)現 在 は業 界 大 手 で あ る 表2の ① ④ と、 仲 買 、 生
の 養 蚕 技 術一 成 田 重 兵 衛 著 『
蚕 飼 絹 篩 大 成』 を
産 者 代 表(組 合 長)に
とお して み た一 」(岡 光 夫 ・三 好 正 喜 編 『
近世の
の 購 買 価 格 が 決 定 され 、 ほ か の 邦 楽 器 糸 製 造 業
日本 農 業」 農 山 漁 村 文 化 協 会 、1981、PP.207-
者 は こ の 値 段 で 仲 買 か ら購 入 す る こ と に な る。
238)が
な お 、現 在 邦 楽 器 糸 製 造 組 合 に属 す る の は 全 国
あ る。
よっ て キ ロ グ ラ ム あ た り
11)『 日本 農 書 全 集35』 農 山 漁 村 文 化 協 会 、1971、
で わ ず か9事 業所 にす ぎ ない 。
PP.360-361
24)『 大 阪 府 組 合 会 社銀 行 市 場 工 場 実 業 団 体 一 覧 』、
12>矢 木 明 夫 「製 糸 業 」(地 方 史研 究 協 議 会編 『日本
1918
産 業 史 大 系1』 東 京 大学 出 版 会 、1961、pp.236-
25)大 手 の 歴 史 の古 い メー カー で は、 師 匠 が 直 接 購
237。 当 時 、丹 波 ・丹 後 ・但 馬 の三 丹 地 方 は 旧 来
入 す る こ と もあ る が 、数 は量 的 に 少 な い 。
の 蚕 糸 業 地 と して 、 な お 一 定 の 技 術 水 準 を 有 し
26)「 現 代 展 望 郷 土 誌 』 帝 国 通 信 社 、1935、PP.
て い た。
207-305
13)明 治文 献 資 料刊 行 会 『明 治前 期 産 業 発 達 史資 料』
27)滋
f;IJf}1-4,196465
302-305
14)大 迫輝 道 『
桑 と繭 」 古 今 書 院 、1975、PP.19-22
28)伊 香 郡 以 外 で は 、 彦 根 ・長 浜 に もあ った ら しい
15)浅 井 町 高 山 相 場 と して 、 この 地 方 の 繭 の 値 を立
が 、詳 しい こ とは 不 明。
て た とこ ろ知 られ る(『 角 川 地 名 辞典 』)。
29)奥 村 生 二 『
小 判 ・生 糸 ・和 鉄」 岩 波 書 店 、1973、
賀 県 内 務 部 『滋 賀 県 産 業 要 覧』1916、PP,
16)昭 和59年 度 市 町村 別 養 蚕 状 況 に よる と、 この2
PP.91-110
町 で 飼 育 実 戸 数59、 総 収 繭 量13,037kg、
30)滋
12,260aで
桑園
、 県 の そ れ ぞ れ69%、86%、73%を
賀総 合 研 究所 「
織 物 の 里 構 想 基 本 調 査 報 告 書 』、
1980、 p.60
占める。
31)同 上 、PP.56-64
17)浮
32)「 西 山 沿 革 誌 」 に よ る と、 元 文5年(1740)、
田典良 「
明 治前 期 滋 賀 県 に お け る農 業 と 農 産
京
物流 通一 「
滋 賀 県 物 産 誌 』 町 村 別 検 討 一 」、 『人
都 に 西 山 糸 の み を扱 う吉 野 屋 忠 左 エ 門 、 糸 屋 弥
文 地 理 」37-4、1985、p.303
右 エ 門 とい う業 者 が い た と い う。 こ れ は撚 糸 業
18)Aタ
イ プが 多 い な か で 、坂 口 、 束 野(と
余 呉 町)はBタ
もに現 、
イ プ を示 し、 若 干 の 集 荷 機 能 を
者 で は な く、 生 糸 問 屋 の 可 能 性 が 高 い が 、 い ず
れ に して も、 京 都 で 名 声 を博 して い た 証 左 に な
もっ た 有 力 な 集 落で あ る。
ろ う。
19)『 近 江 伊香 郡志 』 中 巻 、1953、p,435
33)大
音 で は 伊 香 具 神 社境 内 に あ る弘 法 太 子 ゆ か り
どつ ニ
20)江 北 図 書 館 蔵 の 伊 香 郡 役 所 文 書 の 「
桑 園種類別
の 独 鈷 水 、 西 山 で は七 清 水 と よ ば れ て い る もの
調 査 表 綴 」(1916)の
で 、 どち ら も湧 水 であ 観
資 料 に基 ず く大 音 ・
・西 山の
喬 木 桑 園率 は 、48%、54%と
ほぼ半数 を占めて
34)東
京 浅 草 で 営 業 して い た 九 二 テ グ ス が 大 正2年
お り、 つ ぎ に 多 い の は根 刈 の 形 態 で あ る(調 査
(1913)木
之 本 に移 転 して き て、 昭 和9年
株式
年 は1910)。 一 般 に は桑 園 は 、 立通 しの形 態 か ら、
会 社 組 織 に して900坪 の 工 場 を建 設 す るが 、 こ こ
田畑 の 畦 畔 な どへ の 混 作 を経 て 、根 刈 り に よ る
へ の特 殊 生 糸 の 販 売 も大 き い割 合 を 占 め た と思
専 用 桑 畑 の 成 立 と い うプ ロセ ス を とる とい われ
わ れ る。 この 企 業 の 場 合 は 、春 蘭 に限 らず 、 夏
る。
秋 繭 も用 い た 。
21)「 明 治 十 年 内 国 勧 業 博 覧 会 出 品 解 説 」(明 治 文 献
35)昭 和29年 に は じめ て 実 用化 が され るが 、 そ れ ぞ
資 料刊行 会 『
明 治 前 期 産 業 発 達 史 資 料 』 第7集
れ の 業 者 が 独 自に これ に改 良 を加 え て邦 楽 器 糸
(2)、1966)。 「第3回 内 国 勧 業博 覧 会 審 査 報告 明
に 用 い た 。 現 在 で は 琴 糸 の95%以
治24年 」(明 治 文 献 資 料 刊 行 会 『
明 治 前期 産 業 発
そ の ほ か の化 学 繊 維 で あ るた め 、 生 糸 の 需 要 は
達 史資 料 』 勧 業 博 覧 会資 料114、1974)
専 ら三 味 線 糸 とい って よ い 。 三 味 線 糸 は 近 年 の
22)「 京 都 商工 会 議 所 月 報 」86、1898(京
都商工会議
上 はナ イロ ン
民 謡 ブ ー ムで 需 要 が 伸 び て い る た め 、 原 料 が 不
野 間 晴 雄
30
足 の状 態 で あ る。
36)Boeke,」. (い わ ゆ る 「
優 良糸 」)を 扱 う 製 糸 企 業 家 の重 要
K., Economics and Economic Policy of
Dual Societies as Exemplified by Indonesia(永
浩一訳
易
Plural Economy,1939(南
India:AStudy 太平研究会訳
of
『蘭 印 綬
條宏之
約20年 間 一
る一
中心 に は さむ前 後
ま さに 産 業 資 本 確 立 過 程 に 照 応 す
に お け る 日本 製 糸 業 は 、 主 と して 緯 糸 用
の 「
普 通 糸」 を生 産 しな が ら急 激 な拡 大 を続 け
済 史 』、 実 業 之 日 本 社 、1942)
37)上
東 京 大 学 出版 会 、1972、 を参 照 の こ と。 氏 に よ
る と、 「1900年(明 治33年)を
『二 重 経 済 論 』 秋 薫 書 房 、1979)
Furnivall,」. S., Netherlands 性 に つ い て は、 石 井 寛 治 「日本 蚕 糸 業 史 分 析 」
『絹 ひ と す じ の 青 春 一
「富 岡 日 記 」 に
た 」(同 書p.40)の
で あ り、 後 述 の信 州 の製 糸 家 、
み る 日 本 の 近 代 』 日 本 放 送 出 版 協 会 、1978、p.
山 十 製 糸 は こ の 「普 通 糸 」 の み を生 産 した 当 時
67
の 多数 派 の 類 型 に 属 す る。 な お 、 国用 生 糸 は こ
38)同
39)1デ
上 、PP.195-197
の 「
普 通 糸」 の さ ら に 下 の 格 付 け を さ れ た の で
ニ ー ル は 、 長 さ450mの
糸 が0.5gの
重 さを
あ り、 湖 北 地 方 の座 繰 生 糸 はす べ て こ の 範疇 に
もっ と きをい う。
含 まれ る。
40)滋
42)江 北 図書 館 所 蔵 の伊 香 郡 役 所 資 料 に よ る。
賀 県 内 務 部
『滋 賀 県 之 農 工 業 」1910、PP.
127-128
43)江
41)北
毎 日新 聞 出版 部 、1937、PP.1107-1110
米 で 絹 織 物 の 経 糸 と な る エ キ ス ト ラ格 生 糸
口善 次 ・日高 八 十 七 編 「
信 濃 蚕 糸 業 史」 信 濃