会報No.1175

静岡北ロータリークラブ
会 長
鈴木 勉
副会長
SHIZUOKA NORTH
ROTARY CLUB
津田 薫
山
幹 事
副幹事
2014 −15年度 RI会長 ゲイリー C.K. ホァン / Light Up Rotary
今月の
ガーデニング
例会日:毎週火曜日 12:30∼13:30 例会場:ホテルアソシア静岡 TEL.054-254-4141
事務所:〒420-0853 静岡市葵区追手町2-12 静岡安藤ハザマビル5F TEL.054-254-5611 FAX.054-221-0515
http://www.wbs.ne.jp/bt/nrc/ E-mail : [email protected]
2015年2月24日[火] 第1175回例会 天候:
山
司会進行
俊昌幹事
開会点鐘
鈴木 勉会長
ロータリーソング
小野田 貴会員
「手に手つないで」 今月の歌「富士山」
ビジター紹介
石川たか子会員
ゲスト卓話 郷土歴史研究家
黒澤 脩様
出席報告
石川たか子会員
月 日
会員数
出席数
欠席数 メークアップ 改正出席率
2/10
30
(30) 23名
7名
3名
86.67%
2/16
30
(30) 24名
6名
−
−
2/24
30
(29) 26名
3名
−
−
本日の例会案内
(第1176回例会)
3月3日
(火)
「駅弁の歴史と東海軒」
東海軒 社長 平尾 清様
会長挨拶
次回のプログラム
3月10日
(火)
「最近の交通情勢」
南警察署 地域交通課 鈴木様
※「役員理事会」開催
鈴木 勉会長
(1)本日は、郷土歴史家の黒澤脩様に、大変お忙しい中を
貴重な時間を作っていただきました。静岡の特に大御所
徳川家康時代の卓話を僅か30分という短時間であり
ますが、聞くことが出来ますことを、大変楽しみにしてお
ります。
どうぞよろしくお願い致したいと思います。
(2)今年は、徳川家康公顕彰400年ということで、地元
新聞、放送で関係の特集記事を良く目にする事が多く、
地元の事は意外と知らないことが多く、大変勉強になり
ます。昔から、不思議に思っているのですが、静岡の由
来ともなっている賤機山。
賤機山の「シズ」
という言葉には、
「 木の繊維」や「麻の
織物」などの意味が含まれており、
「ハタ」は「機織り」や
「織物」の意味だから、
「シズハタ」
とは、
「 木の繊維を使
った織物」
を指しているといえる。
との記述を読みました。
「静岡市町名の由来」によれば、
かつて、賤機山の麓に
「シズリ」
( 草木の繊維で織った布)
をおる
「シズリベ」
と
呼ばれる人々が太古の昔から木の繊維で機を織り、生
活を営んでいる集団がいたようです。
シズリベという名称
には「倭文布部」
という文字があてられていた。
では、何故「シズ」に「賤」
という漢字があてられたかとい
えば、
それは海外から絹、木綿がもたれされたことにある
らしい。絹、木綿が日本に持ちこまれたことによって木の
繊維の布はその価値を低下させられた。
そのため、
それ
まで、
日常的に使われていた布は低い価値のもの、つま
り、
「賤しい」
ものとされ、
「賤」の文字が用いられるように
なったというわけである。前史時代の大陸との活発な
交流の歴史が、賤機山の名の由来には隠されているよ
うです。身近な事でも、歴史的に深い意味があることが
数多く有りますね。
幹事報告
山
趣味同好会委員会 杉山 直委員
・4月25∼26日は京都旅行。
俊昌
会 長 鈴木 勉 森 崎 和 敏
しずおかオープンガーデンHPより
委員会報告
俊昌幹事
・3月1日
「インターシティ
ミーティング」が開催します。
・3月3日例会終了後、臨時総会開催されます。
・3月17日
「識字率向上に因んで」
・3月24日
「戸 博隆会員 会員卓話」
↑プログラム変更、17日と24日は入替える。
SHIZUOKA NORTH ROTARY CLUB WEEKLY BULLETIN
山
おめでとう
誕生日/2月25日
2月26日
2月26日
俊昌幹事
神谷とき江会員
鈴木隆一郎会員
豊吉 保詩会員
北條由美子会員
スマイル
■岸 好子会員
春の到来、嬉しいですね。
そして本日は黒澤さんの卓話、楽しみに拝聴致します。
■山田喜久子会員
黒澤様のお話を楽しみに、今日はお伺い致しました。
又、川根へ遊びにお伺い致します。
■豊吉 保詩会員
誕生日のお祝い、
ありがとうございます。
美味しいかな?
■杉山 義郎会員
ニューオリンズの孫の所へ2週間行ってきました。
ハリケーン災害の復興景気、
街に賑やかさを感じました。
■前野 克己会員
先々週、旅行好きの家内にシンガポールから奥日光へと
連れ回されました。
プールから雪見露天風呂へと、愛妻家の私の試練は
続きます。
■吉田 空玄会員
先週の日銀 服部支店長の講演、静岡自転車ツーリン
グ興味深く聞いておりました。
イタリア DE ROSA製ロードバイクは、120万円の高級
車です。実は支店長、
これを自慢したかったのですね。
ボクもDE ROSAに乗りたいです。
くやしいです…。
徳川家康公の
「駿府大御所時代」を
理解するために
郷土歴史研究家
黒澤 脩様
■江戸時代(駿府大御所時代)
駿府つまり静岡市は、
日本の史上いくつかのクライマックスの時
期がありました。
中でも駿府最大の歴史上のクライマックス、
それは
徳川家康の「駿府大御所時代」です。駿府大御所時代とは、
戦
国時代を終息させた家康公が慶長10年
〔1605〕
に将軍職を引退
し息子秀忠に将軍職を譲ると、
自らは大御所として日本の将来を
安定させるために駿府城に滞在し、
亡くなる元和二年
〔1616〕
まで
の十年間余を駿府から全国をコントロールしていた時代です。
家康公の駿府大御所時代を、世間で隠居と呼ぶ向きもあり
ますが、隠居していたのは家康ではなくむしろ息子の秀忠と理
解すべきです。家康は駿府で、将軍秀忠に代わって江戸幕府
の軍事・外交・経済をここで全て掌握していたのです。
以下、駿府大御所徳川家康の駿府での業績と、駿府城下
町の実態を紹介します。
■大御所家康公の業績
①ヨーロッパ・メキシコ・東南アジア諸地域の外交と貿易振興に
尽力
②家康の船、
アカプルコに到達
(大御所派墨使節)
〔これは大御所家康が、駿府から派遣した使節です〕
③日本最初の全国通貨は駿府慶長小判
④駿府城天守に日本最初の金属瓦を使用
⑤江戸時代最初の城下町が駿府に誕生
⑥日本最初の銅活字で出版はじまる
⑦駿府城下町は全国第四位で人口12万人
⑧駿府型町割〔都市計画〕
が全国に広がる
⑨ロンドン消防隊より早く駿府の火消制度誕生
⑩世界に先駆けた土木技術安倍川に完成「雁行性堰堤」
⑪日本最初の花火が駿府城で打ち上げられる
⑫西洋外交発祥の地・駿府
⑬家康の通訳が駿府城で国際外交を展開
ウイリアム・アダムズ ジョアン・ロドリゲス ルイス・ソテロ
アロンソ・ムーニヨらが通訳として活躍していた。
⑭天守閣は前例のない「天守丸構造」
⑮天守の美学は、家康の権威の象徴として巧みに見せる仕掛
けがあった
があった
⑯駿府城本丸御殿の紅葉山庭園には噴水〔サイホン式〕
■駿府城下町の技と技術
①日本でいち早く完成した江戸時代初期の駿府城下町は、
大御所のステータスシンボルであった。
「セリ、会所」がブロック
ごとに設けられ、防火と住民の利用に供した
②富士山を借景とし、見事な都市設計で風水の原理から街造
りが行われていた
③96ヶ町からなる町、職人、町人、武家、社寺が中心
(町人と職人町は基盤目状)
④人口12万を数え、
日本国内では四番目の大きな街
⑤用水が街中を流れ、用水の堰を閉開して自動的に道路を
湿らせ埃をたてない工夫
⑥紺屋・鍛冶屋などは町外れに設置し、騒音・火災・公害に
配慮
(公害対策)
⑦清水湊から小船が天守真下に着岸できる用水路があった
⑧悪水(下水)処理に特別の配慮が払われ、町中は綺麗な水
が流れていた
⑨慶安事件後、街中に町奉行同心が住み着き、今日の交番の
役目を担った先駆けの街
⑩駿府用水で、街中の美化につとめ火災時には現場に優先
的に給水できる施設があった
⑪浅間神社は日光に先駆けた、見事な社殿として完成
(現在の社殿は幕末に再建された)
⑫二代目将軍秀忠生母の菩提寺〔宝台院〕
は、江戸初期の寺
院建築の傑作、昭和15年焼失(寺は国宝であったが、昭和
15年の静岡大火で寺町とともに全焼)
⑬駿府城下町の銀座は、慶長17年に江戸に移転した、駿府の
銀座が東京の銀座のルーツ
⑭町民が徒歩で行き来できる手ごろな面積にまとめられた城下町
⑮市街地を通過する東海道は、
クランク型に設置され、
どの
方角からも天守が美しく聳え、街道を行く通行人を圧倒させる
美を演出していた
閉会点鐘
鈴木 勉会長
[担当:山田]
SHIZUOKA NORTH ROTARY CLUB WEEKLY BULLETIN