1 音楽療法の技法を取り入れたコミュニケーション支援

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音楽療法の技法を取り入れたコミュニケーション支援
県立しろがね学園
荒木
るり子
1.はじめに
しろがね学園は、知的障害を持つ子どもたちのための福祉型障害児入所施設であり、
家庭や地域で生活する上での困難やつまずきを解決するために、専門的な療育の知識と
技法を活かした支援を実施している。内容として、音楽療法・感覚統合法・コミュニケ
ーション支援・SST(ソーシャルスキルトレーニング)・動作法の5つの専門療育班
において研究と実践を実施しており、障害があっても、家庭や地域でその人らしい自立
した生活が送れるよう、医療・教育・福祉の各分野と連携した支援を提供し、子どもた
ちの調和のとれた発達を目指している。
2.対象児童プロフィール
・Aさん
平成25年3月当園入所。現在、特別支援学校高等部3年生
・知的障害
療育手帳A2(重度)、自閉的傾向
簡単な指示理解あり。言語表出は少ない。
・行動特性
急なパニック、大声、疾走、号泣等。障害特性からの感覚過敏および
緊張が強く、身体に触られることを拒む。
3.行動の分析
生活場面で本児の様子を観察すると、自ら支援者の近くに寄ってくるという行動が見
られるが、対人緊張が強く話しかけても反応しない、興奮が高まる、パーソナルスペー
スが広く支援者から近づこうとすると逃げる等、コミュニケーションを図るのが難しい
特性を抱えている。しかし、余暇場面等で支援者がキーボードやウクレレを弾いている
と嬉しそうに側に座ってリズムをとったり、演奏後の支援者を追って弾くことを要求す
るといった自発的な行動が見られた。「音楽は、音声言語を媒介としないコミュニケー
ションの手段である」(遠山,1995,※別記引用・参考文献参照)と述べているように、
本児の場合も音声言語を媒介としない音楽療法を取り入れたアプローチが、コミュニケ
ーション力をより向上させるのではないかと考え、本児に音楽療法実践を導入した。
4.音楽療法について
音楽療法とは、「音楽の持つ、生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の
回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計
画的に使用すること」と、日本音楽療法学会により定義され、その対象年齢は、乳幼児
から高齢者まで幅広く、また、疾病や様々な障害、問題に対して広範なアプローチがで
き、治療法になり得る。大切なことは、音楽ができるようになることが狙いではなく、
音楽という素材を介して、本人に掲げた目標の達成に如何に近づくかということである。
つまり、音楽療法でいうところの音楽は、「目標」ではなく「手段」として利用するこ
とである。
5.支援の実際
5.1
支援方法
セッションの形態・流れは、以下のとおりである。
【形態】
・セラピストと1対1または2対1(メインセラピスト・コワーカー)での実施。
・特設場面での実施、場所は音楽室(図1)。
・1回のセッションは30~40分前後、1ヶ月に2回程度の頻度で実施。
・音楽療法士によるスーパーバイズを受け、実施内容を修正。
【流れ】
①導入
「聴く」ことがメイン。安心感を持ち、落ち着いた気持ちで活動に
入る。CDが流れている中で入室したり、本生が着席してから支援
者が1曲ピアノ演奏を行い、セッションに気持を傾けることができ
るよう誘導する。
②あいさつ
「お名前よびます」の歌の中で呼名・返事を促す。また、支援者の
名前を呼名し支援者自身が返事をする。
③楽器
曲に合わせて触れる、奏でる。できたことで褒められる経験を積む。
④歌唱
本児の好きな歌を見つけ、歌うことで発散する。
⑤身体活動
ピアノの音に合わせて身体を動かす。身体の使い方を知る。発散。
⑥鑑賞
気持ちの切り替え。リラックスした気持ちで活動を終了する。
図1
特設場面(音楽室)
ピアノやその他楽器
類、ユニジャンプ等
の遊具が揃っている。
5.2
本児へのアプローチ
H25年度から開始。経過は以下のとおりである。
5.3
1年目の変容(H25年度)
年間目標「本人の好きな音楽活動をする中で、人とのやりとりの楽しさを知る」
○アセスメント
支援者2名(メインセラピストとコワーカー)での観察セッションを2回実施。参加
に対し戸惑いが見られたが、活動には参加できた。戸惑いの原因が、見通しが持てない
ことや環境の変化からくる不安であると考えられたため、セッションの提示を事前(1
時間前)に行うことにした。このことにより、不安の解消が図れ、会場へのスムーズな
移動が観察できた。
○楽器活動
音楽の楽しさを知ってもらうため、叩くという簡単な操作で音が出るボンゴやコンガ
等の打楽器類(図2)を中心とした活動を行った。打楽器は、自分自身の操作によって
音が出た事を皮膚感覚で強く感じることができるため、感覚過敏の改善を図る上で効果
を期待するとともに、周囲との距離を縮めるきっかけになるのでは?と考えた。
そこでまず、支援者が持つボンゴを叩かせることから始めてみた。パーソナルスペー
スの広い本児は、支援者と接近しての活動には抵抗を示すことが予想されたが、至近距
離できちんと向かい合い、時折、支援者の表情を覗き込むように、アイコンタクトを取
って実施することができた。
さらに、「こん/にち/は」や「こ/ん/に/ち/は」など、言葉の区切りを意識し
ながら、ボンゴを交互に、また、両手で叩き変化を付けたモデリングを実施したところ、
正確に叩き返すことができた。これは、楽器を媒介としたコミュニケーションの成立と
と考えられる。
また、「お名前は?」と叩きながら質問すると、「○○です」と叩きながら返答がで
きた。普段、自発的な発語が少ない本児であるが、楽器を媒介として、模倣とは違った
やりとりを楽しむこともできた。また「○○さん」と支援者の名前を呼んでもらい、支
援者が返事をすると、表情が和ぐ場面も多く観察された。
受動的なやりとりだけでなく、支援者への自発的な働きかけを引き出すことで、自分
も役割を持つという意識が芽生えた様子が窺えた。
○身体活動
言葉数や自発的な動きが少ない本児には、歌や身体活動を多く取り入れた。また、セ
ッションにメリハリを付ける目的として、図3のように、ミュージックパッドを音階順
に踏んでいき、最後にユニジャンプをピアノ演奏に合わせて跳ぶという課題を取り入れ
てみた。戸惑いは見られたが、モデリングの提示のみでも最初から進んで行くことがで
きた。この課題は、その後も継続して本児が一番興味を示すものとなった。ミュージッ
クパッドはきちんと真ん中を踏まないときれいな音が出ないが、回数を重ねる度に上達
を示したため、「上手だね、すごいね!」と、多いに褒めると得意気な表情を浮かべた。
図2
打楽器類
図3
ミュージックパッド
とユニジャンプ
5.4
2年目の変容(H26年度)
年間目標「好きな音楽活動を通じた人とのやりとりの中で、達成感を味わう」
○楽器操作
簡単な操作の楽器から、モデリングがなくとも自らリズムに合わせて操作する場面が
多く見られるようになった。このため、ステップアップとして、使用できる楽器の種類
を増やしたり、また、2種類のパーツを使用して演奏するタイプの楽器を取り入れてみ
た。本児の好きな楽器が見つかり、演奏への意欲を更に引き出せると考えたからである。
トライアングルやギロ(図4)など、2種類以上のパーツを使用する楽器(図5)は、
操作がより高度になるため、本児が戸惑うことが予想された。また、操作が難しい楽器
は、モチベーションの低下を来すため、慎重に本児の様子を観察したところ、新しい楽
器にも抵抗無く挑戦し、そこから様々な音を楽しむことができた。トライアングルもギ
ロも、本児は正確な弾き方を理解しており、どの楽器でもモデリングなしでピアノ演奏
に合わせて弾くことができた。また、その他にも色々な楽器類(図5)を使用すること
で、更に活動の幅も広げることができた。今までとは異なる音と音で、支援者との演奏
を非常に楽しむことができ、演奏をすることで一体感を感じている様子が窺えた。
○身体活動
全身運動では、引き続きミュージックパッドとユニジャンプを使用した。
課題が終わるのが嫌で、「まだやります」という意思表示が強く見られた。このため、
始めに「3回で終わり」を提示し、1回毎に「あと○回だよ」と提示することで本児が
納得して終わることができた。このことは、支援者と本児の間で一定のでルールに関す
る共通の理解が芽生え始めたいうことであり、お互いを意識する力が備わったのではな
いかと考えられる。
身体活動→リラックス(音楽鑑賞)→終わりの挨拶という流れを実施してきたが、時々
鑑賞中に落ち着かず、大声をあげて走り回る、途中で退室する、寮(本児が日常生活を
送っている生活寮。以下、「寮」という)に戻れない等の不適切行動が出現することが
あった。これは、本児が終わりを意識し過ぎてしまうことが原因であると考えられた。
このため、ピアノ鑑賞後に支援者がボンゴを演奏し、歌いながら本児を寮の入口まで誘
導し、ボンゴのリズムに合わせて「挨拶をおねがいします」と声を掛け、本児も叩き返
しながら挨拶し、落ち着いてセッションを終了することができるようになった。
5.5
生活上の変化
音楽療法実践対応力の伸長とは裏腹に、10月頃から不穏な兆候が見られ始めた。ち
ょうどこの頃、運動会の練習が加わったことなど、非日常な毎日の連続が要因ではない
かと想定された。セッション場面でも、大声をあげる・走り回るなどの不適切行動が出
現したり、中断してしまうことが頻繁に観察された。
12月に音楽療法士による定期的なスーパーバイズを受けたところ、動画の様子から
これまでの音楽療法実践に対するアドバイスは、(表1)のとおりであった。
(表1)スーパーバイズの内容
指摘された点
留意点
①楽器活動や手遊び活動の際のピアノ伴奏 ・メロディやハーモニーを意識したプログ
が、リズムを強調し過ぎている。
ラムや活動、また、曲に合わせたハーモ
ニーを意識する。
②リラックス場面では本人が心地良いと思 ・美しい旋律の曲を提供。「♪浜辺の歌」
えるような曲を提供するように、
「♪見上げてごらん空の星を」「♪少年
時代」など
③Aさんは身体の中に音楽が備わっており ・本児の知らない音で情緒や感情に働きか
歌も良く知っているため、高い能力を生
ける。
かした課題を提供すると良い。
④Aさんの探索行動が全く見られない。依 ・本人の選択・探索活動が入ってくると良
存的で指示されたことしか出来ない可能
い。本人に考えてもらう場面を設定する。
性がある。
⑤不穏な日でもセッションの誘いは行う。 ・音楽鑑賞、絵本など、受動的に提供する。
図4
5.6
ギロとトライアングル
図5
その他の使用楽器例
3年目の変容(H27年度)
年間目標「様々な楽器に振れ、支援者と一緒に演奏する楽しみを味わう 」
○楽器操作
スーパーバイズを受け、旋律的な楽器を用
いて、個々の出音ハーモニーを傾聴し、楽し
むことを目的にトーンチャイムの使用を試み
た。この楽器は、簡単に美しい音色が出るた
め、本児はとても気に入った様子であった。
支援者2名体制、計3人でセッションを実施
する日もあり、次第により多くの音色で和音
を奏でることが可能となった。本児は異なる
コードのトーンチャイムを両手に持ち、「支
援者の合図があった時に鳴らす」という手法
図6
トーンチャイム
で実施したが、合図がない間は支援者の演奏
をよく見ながら傾聴し、楽しんでいる様子が観察できた。このことは同じ空間にいる人
を意識していることであり、人と関わることが楽しいと感じている証でもある。
支援者と一緒に行う楽器演奏は、自分一人で音を出す時より笑顔が多く、身体でリズ
ムをとって正確に鳴らすことができる等、本児自身にかなり自信が付いた様子が窺えた。
楽器選択の失敗例については、ツリーチャイム(図7)が挙げられる。指先で金属部
分をなぞって音を出す楽器であるが、力強く握ってしまい、上手に音を出すことが出来
なかった。そこで、「握る」という点に着目し、握って音が出るハンドバーチャイム(図
7)に切り替えて実施した。
また、音のハーモニーを楽しめるよう変化を示しているため、ステップアップとして
今後、メロディやハーモニーを更に感じられるオムニコード(図8)の導入を考えてい
る。オムニコードは、一つの楽器を支援者と並んで演奏し、より自分で演奏していると
いう感覚が意識できる楽器でもある。
○身体活動
2年目の不穏状態から、本児の一番気に入っている「ミュージックパッド→ユニジャ
ンプ」の課題が実施できない日が続いたが、このことが、本児のセッションのモチベー
ションを低下させる大きな原因ではないかと考えた。前述(2年目:身体活動)のとお
り、これまでは身体活動の直前に本児と支援者で準備するスタイルだったが、セッショ
ン前に予め支援者が準備を整え、本児を招き入れるスタイルに変更した。すると、導入
場面で突然走り寄りユニジャンプを跳び、ひととおり跳ぶと自らミュージックパッドの
スタート地点に立って、支援者のスタートの合図を待つ素振りを見せた。言葉は発さな
かったが、期待を込めた視線で支援者を見つめ、自発的な行動が垣間見えた瞬間であっ
た。
また、ピアノで音階を弾き始めると正確にミュージックパッドを踏んでいき、笑
いながら元気に跳び始めた。
これにより、本児にとっては課題の順番よりも、「今○○がしたい」という本児の自
発性を尊重し、課題の内容を臨機応変に切り替えていくことが重要であることを理解で
きた。
図7
ツリーチャイムと
図8
オムニコード
ハンドバーチャイム
6.考察
セッションの開始当初は、比較的スムースに活動に乗ることができたが、H26から
移動拒否や中断が見られ始めた。参加ができない要因を検討し、環境設定や課題の変更
等を試行錯誤の中で実施した。これにより、本児のコミュニケーション能力の潜在性が
窺え、本児には、音楽の基礎的な部分が備わっていることがわかった。このことから、
今後、課題の幅や種類の拡大が期待できた。
「動きのある活動と静かな活動を組み合わせることが大切」(下川,2009※別記引用・
参考文献参照)と述べているように、メリハリのあるセッションの流れを作って、本児
の積極性を上手く引き出し、円滑なコミュニケーション支援を臨機応変に進めていくこ
とが今後の重要な課題であると考える。
今回、コミュニケーション支援をとおして、本児の意外な一面を色々発見することが
でき、自分自身も一緒に楽しむことができた。今回は音楽療法の技法を取り入れた支援
を実施したが、ほかにも様々な専門的なアプローチが存在している。より視野を広げ、
一人ひとりに寄り添った専門性ある支援を今後も提供していきたい。
※引用・参考文献
・遠山文吉(1995)「音楽的交流~音・音楽を通してのコミュニケーション~」,
日本臨床心理研究所
・加藤博之(2005)「子どもの豊かな世界と音楽療法~障害時の遊び&コミュニケーシ
ョ
ン」,明治図書
・下川英子(2009)「音楽療法・音遊び~統合保育・教育現場に応用する」,音楽之友
社
・篠田知璋(2001)「新しい音楽療法~実践現場よりの提言」,音楽之友社