日本食品安全協会会誌 第10巻 第1号 2015年 2.無添加安全論のナンセンスさを量から考える 長村 洋一 (鈴鹿医療科学大学) 無添加安全論は全て量の誤解から始まる らいの主婦の方数名に囲まれて次のようなご注意を受 天然、自然、無添加、無農薬は多くの食品の「売り」 けた。 として良く使用されている。それは、一般消費者が同 「先生の今日のお話は全般的には食品添加物はそん じ商品であれば、そのような表示の有る商品を購入す なに心配する必要がないというか、むしろ重要だとい るからである。その傾向は、近年食品の付加価値とし うようなお話でしたが、わたくしは全然納得していま ての意義を増しつつある。しかし、この風潮が行き過 せん。例えば、古米を新米のように見せることのでき ぎるとユッケによる死者が発生したような事件が再び るグリシンには添加量の上限が決められてないですよ 繰り返される可能性がある。小生は、今までの活動を ね、したがって業者は使いたい放題になっているので 通して次のようなことを確信している。 すよ。厚生労働省のこんなことを許している日本の食 無添加、無農薬、天然を安全であるかのように販売 品添加物を何で安全などと言えますか。実際、業者は されている商品は非常にたくさんあるが、その製造業 何やっているかはわからないのですよ。安部司先生は 者のタイプは2つに分けられる。 ご自身が務めておられた会社でのひどさを振り返っ タイプA:「本当は、無添加、天然が良い、などと て、会社をお辞めになって講演をしておられます。安 言うことは、あほらしくて口にしたくもない、しかし、 部先生は、業者も行政も誰も消費者のことなど考えて 買い手がそれを求める以上作らざるを得ない」と言っ いませんよ、とこの間お聞きした講演で言っておられ て製造している業者 ました。安部先生のように本当のことをお話しいただ この類の食品製造業者は、食品添加物の安全性や化 ける先生のお話は信用できますが、先生は、何もご存 学物質の使用法について量を含めてそれなりの心得が じないようですね。」と厳しいご意見を頂いた。 あるので、天然や無添加を標榜しながらも、その危険 安部司氏の最近のご様子はわからないが、当時はご 性を知っているから、裏で安全対策を講じている。 自身を食品添加物の神様と自称しておられたので、そ タイプB: 「無添加、無農薬、天然」を心底お客様 の信者の集団の方々であると推測しながらその批判を のためと信じ込んで製造している業者 聞かさせて頂いた。彼女の後ろにいた数人も彼女の話 この人たちは、合成された化学物質は「危険物質」 に頷くように首を振りながら、どうです、返す言葉が であるが、天然自然から抽出したものは「安全で体に ないでしょう、というような顔をして小生を凝視して 優しい」と信じている。安全か、安全でないかは「天 おられた。 然か合成か」で決まるのではなく、化学構造によって 他の方からも、MSGは神経をダメにするのですよ、 決まるものであることを知らない。従って無添加、無 そんな化学調味料が安全なものですか、とグルタミン 農薬などにすることに徹して、自然が有する危険性に 酸ナトリウム(MSG)を攻撃してこられた。さらに、 対して無防備なので非常に危険な食品を作る可能性が 人工着色料は発がん物質いっぱいのタールからできて ある。 いるのですよ、コチニール色素は虫から抽出した色素 消費者に天然・自然、無添加安全主義が蔓延するこ ですよ、等々と次々に食品添加物の名前を挙げて攻撃 とは、大きな健康障害を引き起こしかねない重要な問 をされた。最後に、安全性は大丈夫、などと言うのは、 題を孕んでいる。そこで、今回は改めて量の概念の欠 行政と業者と御用学者だけで、安部先生のような方の 如により発生している無添加の問題を取り上げてみ 真実の声を先生も勉強してください、と小生を取り囲 る。 んだ方々から忠告を受けた。 しかし、話を聞いていると非常に奇妙なことに気付 真面目に語られる「おにぎりの中に入っているグリシ いた、それは、彼女たちはグリシンや、MSGなる略 ンを食べて成長障害が起こる」 号で言っているグルタミン酸ナトリウムをあたかもダ 少し古い話になるが、ある都市の消費生活センター イオキシンなどのように並列させて怖い化合物のよう が主催された食品添加物の講演会の終了後に、40代く に言っておられることであった。 24 日本食品安全協会会誌 第10巻 第1号 2015年 そこで、「皆さんが攻撃されるグリシンも、グルタ た食品が出回って回収騒ぎになることが時にある。こ ミン酸も皆我々の体の中にもともとある物質ですから うした事件では、報道された時、すでにその食品を食 量の問題だけで、少量添加されているかどうかはそん べてしまった人がいることがしばしばある。そんな時 なに問題ではないと思うのですけれど・・・・」と話 に良く行政等のコメントは「食べられた方に健康被害 したところ一部の方が非常に驚かれて、 「本当にそん が発生する心配はありません」である。 な怖い物が私たちの体に入っているのですか」と逆に これは、本当だろうか、行政が単にその場をしのぐ 聞かれた。ここで彼女たちの食品添加物に対する恐怖 ための言い逃れ的なコメントではないだろうかと疑っ の源が分かった気がした。すなわち、食品添加物=天 ておられる方も少なくない。そこで、基準値がどのよ 然自然に存在しない化学合成された物質=危険物質、 うに決められ、実際にどのような使用の現状にあるか、 という方程式が頭の中に構成されていることである。 この問題を解いてみることにする。まず、次の図1を そこで、グリシンもグルタミン酸も我々の筋肉など ご覧いただきたい。 を構成しているタンパク質の構成成分であって、もと もと我々の体にあり、人間の脳の中では一時間に700g も合成され分解されている神経系にとっても非常に重 要なアミノ酸であることを説明した。さらに色々と話 しているうちに、最初の攻撃的な姿勢はかなり和らい だが、それでも納得はされなかったようであった。 その時に彼女らが問題にしていたグルタミン酸につ いては、講演の中でも歴史的な発見の経過等について は話をしたが、それが我々の体にもともとあることま では触れていなかった。それは、当然それくらいのこ とはご存知だと考えて話したためであった。したがっ 図1 食品添加物の基準値の決め方 て一事が万事こうだとすると、その日の小生の講演は 真実どこまで理解がされたか大きな疑問になると同時 化学物質はその濃度に応じて様々な作用をし、どん にこうした方々に化学物質の話をするときにおける重 な化学物質でも量をたくさん摂取すれば致死量となり 要な注意点が理解できた。 死んでしまう。しかし、致死量ほど摂取しないと中毒 そうして、彼女たちのグリシン問題の情報源が週刊 量といって胃腸、肝臓、腎臓などに障害を与えて人間 誌の女性自身に掲載されていた「ラーメン+餃子でが に健康障害を引き起こす。その量が少なければ障害は んに、おにぎりで成長障害に」という大変怖い表題の あまり出ない低毒性量となる。そして、量があまりに 記事であることが分かった。この記事の中に確かに、 も少ないと、全く作用が認められなくなる。どんな猛 「グリシンには使用上限量が決められていない、業者 毒の化学物質にもこの毒性が全く認められない無作用 はどれだけ使用しているかわからない、しかし、グリ 量が存在する。無作用と低毒性が出始める境界線のと シンによる成長障害を指摘する学者がいる」といった ころの量を最大無作用量として定める。 記事があった。グリシンで成長障害を起こすことはで この最大無作用量はマウスなどを使用した動物実験 きるが、そのためには体重50Kgの人の場合、毎日 で求められる。この動物実験ではマウスに一生に近い 150g位の量を3か月位摂取しなければならない。し 期間毎日飲ませて、発がん性、胃腸、肝臓、腎臓、脳、 たがって、もしこの記事に書いてあることをおにぎり 筋肉等の体のあらゆる組織に対する毒性を現代医学検 で起こそうとするならば何トンというおにぎりを毎日 査でわかるあらゆる手段を駆使して調べる。さらには、 3か月以上摂取しないと発症しない。量を考えたら全 妊婦が食べても良いかどうかの仔胎毒性といった特殊 くナンセンスな話である。この話を怖く感じている彼 な試験も必ず行われて、すべてが陰性になる量として 女たちの恐怖の原因は、量の概念がないことによるも 無作用量が決められる。 のである。 しかし、これはあくまでも動物実験であるから人間 と動物の化学物質に対する感度の差がある。そして、 基準値を少し超えた食品の危険性はどれくらい 食品は大人も子供も、男性も女性も食べるのでその差 食品添加物の中には厚生労働大臣が使用量を指定し を考慮して最大無作用量の100分の1の値を安全係数 ている物質がいくつかあるが、その基準値を少し超え として乗じた量を一日摂取許容量(ADI(Acceptable 25 日本食品安全協会会誌 第10巻 第1号 2015年 Daily Intake) )として定めている。このADIの量は人 に使う人達は「この添加物には使用上限量が設定され 間が毎日その量を一生食べ続けても何も起こらない量 ていないので業者はどれだけ使用するか分かったもの とみなされている。この考え方は世界中の科学者が納 でない」と無茶苦茶な使用がまかり通っているような 得をする安全量に対する考え方の一つである。 言い方をされる。 このようにして決められたADIの値が基準値かと言 うとそうではない。食品はその種類によって食べる量 が大きく異なっている。そこで、たくさん食べる食品 にはたくさん食べてもADIを超えないようにというよ うにしなければならない。そこで、食品ごとに日常的 に摂取する量を想定して添加物の使用量の上限値、す なわち基準値が決められる。従ってどの食品添加物も 使用許可量はADIよりかなり低いところに設定してあ る。 もう一つ注意していただきたい重要なことは、化学 図2 ADIが設定されていない添加物の使用量の決定 物質の無作用量は人間と微生物ではその量が大幅に違 っていることである。すなわち、無作用量という言葉 しかし、少し考えて見れば、グルタミン酸ナトリウ を単純に解釈すれば何の作用もしない量だから、そん ムをもし無茶苦茶入れたらその食品の味はとても食べ な量では保存料などはその効果がないのではと考える られないような味になるのは明らかである。だから、 かもしれない。しかしそうではなくて、人間に無作用 中毒量に達するほど無茶苦茶な量を入れるということ 量であっても微生物には致死量になるような量とな は販売しようとする食品においてはありえないことで る。保存料などは、この差を上手に利用しているので ある。したがって使用上限値が決めてなくても添加物 ある。 としての使用量はそんな毒性が出るほどの量にはなら 人間は人工保存料ソルビン酸を無毒な炭酸ガスと水 ないように自然にブレーキがかかっている。 に分解する酵素が備わっているので、少々ソルビン酸 グルタミン酸のような調味料についてはこの説明で を摂取しても毒性は全くない、ところが大腸菌などの 分かったが、アルギン酸などのような増粘多糖類は大 菌はソルビン酸を分解する経路が不十分なので少量で 丈夫ですか、という質問も良く受けるから触れておく も毒性がでる。従って、人間に全く害がない状態で微 ことにする。まず、アルギン酸は人工イクラの素材と 生物の生育を抑えることが簡単にできるのである。微 して使われ、添加物でこんなイクラまがいのものがで 生物の生育を抑制できるということの利益を考えたら きる、という消費者を驚かすデモンストレーションに ソルビン酸の不使用は愚かなことである。 用いられる。それを見た人はこうして作られたいくら をまるで怖い化学薬品でできた食品のように錯覚され うま味調味料、アルギン酸などADIが設定されていな ている。 い添加物の使用量 しかし、アルギン酸とは昆布などの海藻のネバネバ 食品添加物には非常にたくさんADIが設定されてい の成分で、ある程度食べたときは、血糖値上昇やコレ ない化合物がある。MSGの名称で忌み嫌われている ステロール値の上昇抑制などの効果を示すようにな うま味調味料(化学調味料)のグルタミン酸ナトリウ る。実際このアルギン酸は血糖値、コレステロール値 ム、アルギン酸などの増粘多糖類といった食品添加物 を上昇させないトクホの素材として用いられている。 はADIが設定されていないが、そういう食品添加物の ところが、実際に食品添加物の増粘多糖類として作用 使用量については次の図に要約できる。 を発揮させるのには、こうしたトクホとして用いられ 例えばグルタミン酸ナトリウム、グリシンなどは、 るほどの量は必要ない。言い換えれば、万が一業者が 調味料として用いられるので明らかに人間に対して美 相当多量のアルギン酸を使用していたとしても健康障 味しいと感じさせる作用量がある。しかし、非常に大 害ではなく、血糖値やコレステロール値が上昇しない 量になると中華料理店症候群とか成長障害などが起こ のでメタボ対策になると考える方が良い。しかし、脅 るのは、化学物質としては当たり前のことである。と す人達は中毒量摂取した時の話をされているから、そ ころで、このようにADIの設定されていない食品添加 んな方には量の問題を質問してみると良い。 物は、使用基準量が設定されていない。この点を脅し 26 日本食品安全協会会誌 第10巻 第1号 2015年 人工保存料ソルビン酸は我々の体にとっては全く無害 は量を考えたら意味がないことはお分かり頂けたこと ここで、最も多くの人から無添加にする方が良いと と思う。しかし、食品添加物排斥の考え方を支えてい 考えられている人工保存料ソルビン酸について説明さ るもう一つの大きい要素として食文化論的問題がある せていただく。人工保存料と呼ばれているソルビン酸 が、この問題については別の機会に取り上げさせて頂 をまるで人間が化学合成的に作り出した殺菌兵器の化 く予定である。 合物のように考えている人がいるが、大きな間違いで ある。 この物質は、ナナカマドと言う植物に含まれている 天然にも存在している化合物である。アメリカではこ の化合物はGRAS(Generally Recognized As Safe) (安 全な物質として一般的に認められるという化合物)と して認めている。化学構造は図に示すような構造であ るが、化学式が苦手な方でも似ていることだけはお判 りいただきたいと考えて併せてカプロン酸の構造を示 してある。 図3 ソルビン酸とカプロン酸の化学構造 カプロン酸は乳製品に含まれている脂肪酸と総称さ れる化合物で、乳酸菌飲料などにも含まれている体に 良い脂肪酸である。体に良い理由の一つが腸内の悪玉 菌などの生育を邪魔して胃腸の調子を良くする作用が あるからである。面白いことにカプロン酸はソルビン 酸に構造が似ているだけではなく、食品添加物として ソルビン酸と同じ保存料として認められている。そし て、カプロン酸と同じようにβ-酸化経路で炭酸ガス と水に分解されるので、食品添加物として使用される 量では、人間にとって全く無害と言い切れる。 それなのに、巷では「お客様の安全を考えて、人工 保存料は無添加です」と記載されている。そして、 「人 工保存料が加えてありませんからお早目にお召し上が りください」などと言う表記も良く見かける。かびが 生えたり、糞便系大腸菌が食品の中で増殖したりする ことを抑制することができるこんな安全な保存料を無 添加にする必要性は全くない。 以上のように、世間でよく言われる無添加なる事象 27
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