社 会 系 教 科 教 育 学 会 『社 会 系 教 科 教 育 学 研 究 』 第24 号 2012 (pp.61-70) 歴史事象の因果関係を 匚 説明」する中学校社会科歴史授業の開発 一単元匚 武士の台頭と武家政権の成立」における 『説明モデル』の作成を通 して− Developing Lesson Plans for Social School Studies to Explain in Junior Historic High Using an Explanatory Model “Rise to Teach of the Unit Samurai on and Forma Samurai Administration ” 船 田 次 郎 (鳥取県米子市立後藤ヶ丘中学校) 。それに I 問題の所在及び研究の目的 描 写 や 確 認 に と ど ま る 程 度 の も の で あ る ,社会科における匚 説明」とは,匚 社会事 」とは,社会事象の 社 会 科 に お け る 「  ̄ 言 語 活 動 対 し て ・意義を解釈したり,事象間の関連を説明し 因果関係から捉えること」と定義す 意味,自分の考えを論述 したりすることである。 象を客観的な 。すなわち, 「 ̄ 説明」とは,ただ, る こ と が で き る たり ,中核となるのが 「 ̄ 説明」する活動である。 ことを述べるのではなく,それが 中でも,ただ説明させるだけの匚 活動主義」に陥 何かあるという ,ある出来 ど う し て あ る の か を 述 べ る こ と で あ り ただし 。つまり,活動をと 因子を指摘するものである。 らないよう注意が必要である ,その知 事の決定的,匚 説明」とは,他者の存在を前提に, おしてど」 のよ う な 知 識 を 習 得 さ せ る の か そ も そ も が大切となる。そこで,本研究では, ノ1 ) こ 識の匚 質 動 で あ る ,とりわけ,歴史の授業における匚 説明す 誰かが誰かに行う間主観的な活 匚 説明」によって, 社会科 のような間主観的活動としての , る力」を育成する授業構成論と授業モデルを開発 個々人がもっている主観的知識が間主観化され へと成長する。森分孝治は,社会科 することを目的とする。 間 主 観 的 知 識 」とは,社会事象を原因と結果の関係 」と間主観的知識との関係 授業における匚 説明 「 ̄ 説明 ,歴史を解釈 の について次のように述べている。 (因果関係) ,で 時と 代ら 解え 釈る )こ すと るで うあ えり で必要なことと 個 々の 子 どもは授 業の間 主観 的過程 に参 加 し,そ こで (事象解 釈 。 このような匚 説明」する力を育成するた な され る説 明 を理解 し,提 示され る 知識 を習得す る こと に よ っ て 内 な る 知 識 を 成 長 さ せ る 。 す な わ ち , 社 会 科の 考える , 『説明モデル』を組み込んだ授業開発を行 授 業 は , 主 観 的 知 識 を よ り よ く 成 長 さ せ る 客 観 的 知 識 めに : 船 田 ) の 成 長 過 程 , よ り 正 し い う。研究仮説は次のとおりである。 (間 主 観 的 知 識 と 同 義 理解 を 導 く よ り 確 か な説明の過 程 と して構成 され 組織 さ 子どもたち 自身が ,歴 史事象の因果関係 を独 立変数 ・従属変数で明示 した 『説明モデル』 を 作 成 し , し い 展 開 する こと , 社 会吟 事味 象検 間討 の 関て 連 をく 因授 果業 的を に と ら え る 力 を で 。また, 『説明モデル』 習 得 す る こ と が で き る を作成する こ社 と が で き れ ば , 匚 説 」 の シ ステ , 会 事 象 を 見 て い く明 際 の 概 念的 支 ム化と し, て歴 史事象の本質的な因果関係 を把握 柱 と な り す る こ とができるであろう。 H社会科歴史授 業における厂 説明」のためのス トラテジー 」とは (1 ) 社 会 科 教 育 に お け る 「説 明 世間一般で使 用され ている匚 説明」は ,事実の - れ る (2 。) ,社会事象を解釈し,社会事象の存在を つまり ,それは,個々人の主観的な理 認識したとしても。社会科では,このような主観 解にしかすぎ ,な 間い 主観的過程をとおしてより正しい 的な理解を 理。 解 (科 高め とを匚 が必要 間主学 観的 的認 過識 程) とに は, 社て 会い 科く のこ 授業 説と 明な 」 る 。森分は,匚 説 の 過 程 と し て 構 成 す る こ と で あ る 明」 (厂 科学的説明白とは,客観的に根拠づけら ,すなわち科学的認識のための授業を構 れた授業 成て す, るう の方 法原 理で る」 と述 べい てい し こえ ので よう な厂 科学 的あ 説明 につ てる ,O 次そ の 61− ように述べている。 幕 府が キ リス ト教の禁止を徹底 し ある事象か 起 こった ことの ,ある いは ,法則か 成立 す 〈 た問 のい は〉 な江 ぜ戸 だろ う か O 。 ,キ リシタンが幕府政治に る こ と の 原 因 あ る い は 理 由 を 明 ら か に す る こ と で あ り そ の よ う な 科 学 的 説 明 を 求 め る 問 い は 『 な ぜ 』 と い う 問 〈 説 明 〉 江 戸 幕 府 は ,キ リ いであ る。 m 抵 抗 す る 勢 力 に な る こ と を お そ れ た た め ス ト教の禁止を徹底するよ うになった。 ,ただ,何かあるというの [科学的説明]と, はそれがどうしてあるのかを 」の場合 ,匚 キ リス ト教の禁止を徹 を述べるのではな, くある出来事の決定的因子を指 この」 匚 説 明 という事象 (E)を推論する他の命題 述べることであり, した ,匚 江 戸幕府は ,キ リシタンが幕府政 「∼だから∼である」という 底 摘するものなので 。つまり,それは,匚 L)は なぜ」 (Cと 」と 言明のかたちをとる 治に 抵 抗れ す る 勢 力 に な る こ と を お そ れ て い たとっ 。 こ は , 厂 民 衆 が 団 結 す る と ,支 配 者に と に 対 す る 解 答 を 推 論 に よ っ て象 導 き出す な る 」という法則 (L)が明示さ こい とう で問 あい る 。 す な わ ち , 原 因 と な る 事 (C: て大, き説 な明 脅の 威に な るなる命題 根 拠 と (Cと L)が分離 し Cause) と結果と な る事象 (E :の組 Effect), れず 」であ り,匚 説明的ス ケッ L : Law) の三者 みそ 合し わて せ て い な い 不 完 全 な 匚 説 明 何らか, の既 法 則 ( 知の二要素から未知の一要素を探り求 」にあた るもの である。歴史の授 業では,教科 のうち チ , 授 業 で 習 得 さ れている説明 。社会科における めるこ と を 意 味 す る も の で社 あ会 る科学における方法 書の 記述はもちろん ,このよ うな匚 説明的 」 と は , こ の よ う な 「説明 的知識もほ の場合 」と にん よど って厂 説が 明」され たものである。 原理としての 「説明」と同様な 「科学的説明」を ス ケ ッ チ , 歴 史 の 授 業 に お い て , 法則 を明示 した 意味するものである。 すなわち 2歴史における 「説明」とは 匚 説明」とは,何らかの法則 社 会 科 に お け る )を用いて,社会事象間の原因 (C)と結果 (L E)の関係を探り求める匚 科学的説明」のこと ( 。しか し,歴史には人間の心理的なものや である ,法則を明 社 会 的 な も の が 多 く 含 ま れ て い る た め 示することが難しく,説明される命題もあいまい 。このような歴史における なものになりやすい ,神山四郎は, 匚 説明」 ( 「 ̄ 科学的説明コについて 次のように述べている。 ,すべ ての Eは Cと Lか ら導 き出 され ると いうこ , と歴 は 史的説 明と 科学 的な , 説 明 それ の 基よ に 本 的て っ なな 方 さ 式 で れ あ。 る る し か ら か し,歴 史の場 合 い, うで の も き ごとか 非常に複雑 なの で, Cと Lをきれ いに 分 は 。だ 離 し, てこ 示の す こ 方 とに 式 が で よ きて っ ない 科 と 学 い 的 う に 不明 説 利 さ な条 れ る 件 と か あ は い る え , か ら 」程 度の もの で しか ない (4 。) 歴史の 説 明は 匚 ス ケ ッ チは,歴史に関わる歴史学を , 歴史 の 授 業 つまり はじめと, する 関連 科学 にも 構を 成さ れし て 授業 に諸 おけ る匚 説と 明づ 」い はて 法則 明示 いるので」とはならず,匚 説明的スケッチ( 」) 5 た匚 説明 。 にとどまることがほとんどとなる 例えば,次のとおりである。 - 推論による匚 説明」 (匚 科学的説明 コは困難なこ ととなる 。 3歴史における 「説明」のための手だて ,歴史における匚 説明] 「匚 科学的説 本研究 で は 可能にするために,このような法則を明 明 山を 示した匚 説明」ではなく,高根正昭が論じている 匚 因果法則を用いた説明」を用いることとした。 ,高根は,次のように述べている。 これにについて , 「結果」と 匚 説明」は 「なぜ , 」 そ と の い [原 う疑 因 問 ] を と 発 な し る て 現象とを,論 して扱われる現 象 ととするものである せよ う (6 。) 理的に関係さ ,少しでも確かな推論を行お 科 学 が 因 果 関記 係 にで 対 し て う す る 限 り , 述 はな く,説明を行わなければなら なと い。 m ,事象についての原因と結果の論理的な つまり ことが科学的説明であり,そ 関係を 明 ら か に す る (ある変数の変化が,もう一つの変 れは因果関係 」関係)を実証すること, 数の変化を 「 ̄ 引 き お こ す ,因果関係に対する推論をとおして行わ すなわち 。さらに,高根は 「 ̄ 因果法則」に れるものである ついて,次のように述べている。 ,その関係 を構成するモデルの 因果 , 「 関係 変 を 数 考 」 え と る と と ら き えた方が,この関係を正確に表 要素は 。それ では 「変数」とは何か。 (中略 : 現 で き る の で あ る 船田)社会科学では 「変数」とは,厂 数値value 」を持つ 62− ,説 た概念の こと を言 う (8 。) これを歴史の [ ̄ 説明]にあてはめるならば ,独立 変数の 一定の値 が ,従属 変数 「因 果 法 則 」 と は 合い, 多 との 一定の 値 と関係 して いる状態 と,定義す ることか で 明対象となる歴史事象が複雑な要因が絡み きる/9 ) くの要 因 に よ っ て れ て い る こ と 」 を 設 定 す る条 こ件 と付 でけ ,ら 厂 理 論 」 が 強 調 すを る観 ,事象の因果関係を匚 説明」するとき, 匚 理 論 。さらに, 「概念 すなわち 」によってとらえる匚 因果法則」 点から焦 点 化 す る こ と が で き る その関係をF ̄ 変数 」を作成することで,焦点化された事象を ,原因と結果の関係を正確に表現 モデル を用いることで 。しかし,社 従属 係で 示する がで 。変 こ数 のと よう に変 ,数 問の い関 に対 す明 る 「説 明こ 」と をシ スき テ することがで, き自 る然 とい もお のけ であ る験的方法とは 独立 科う 学に る実 る , 歴 史 に お け る匚 説 明 ( 」 「  ̄ 科 会科, 学容 の場 易合 に因果法則を用いた匚 説明」を行うこ ム 化 し て い く こ と で 違い コも可能となるO 。とりわけ歴史の匚 説明」において, 学的説明 とはできない ,複雑な要因が絡み合 説, 明多 対く 象と な因 るに 歴よ 史っ 事て 象条 は件付けられているもの 4歴史授 の要 業における 「説明」のための学習方略 い 。つまり,厂 『説 ) 明モデル』とは 説明」されるべきものに対す (1 である ここでは,社会科歴史授業における匚 説明」 ,独立変数,従属変数,媒介変 る多様な諸条件を ,匚 」 )のための学習方略として, 『説明 説明」に必要となる条件 ( 「  ̄ 科 学 的 説 明 。 『説 明 数に区別し組織化し 。これについ モ デ ル 』 を 次 頁 の 図 1 の と お り 提 示 す る ,問いに対して独立変数と従属変数 を, 明岩 確化 が必 るる。 田し 一て 彦い はく 次こ のと よう に要 述と べな てい モ デ ル 』 と は ,構造的に示したものである。作成にあ て ,従属 変数 と しての結 果 とを を明示 し ,まず,授業での中核となる問い (なぜ 独 立 変 数 と し て の 原 因 と 厳 し く 限 定 し た 社 会 事 象 の 切 り と り が 最 も 重 視 さ れ ね ば っては ,匚 : 船 田 ) 一 定 の 問 いに 対 し て, 科 学 は 原 た 説明」のための変数を取り出 な らない (中略 (中略 。 :船 田)同 疑問)に対 し て 因の , シ社 ス会 テ 科 ム 化授 の を しに 業 て お 解 け を る 得 問 て い い に る 対 しても ,シス テム 」を設定する。そして, す 観 点 を 強 調 す る 「  ̄ 理 論 様 に (10 。) 匚 理論」にもとづいて選ばれた変数を,整合的に 化 され た解か 与 え ら れ る 必 要 が あ る , 独 立 変 数 ・ 従属変数を明示し, 」のた システム化とは していくことで 『説明モデル。 ( 』 「 説 明,原因 。これについて,田村 統合 つ ̄ まり その構, 造を であ を 作 成 し て い く 問示 題す のこ 現と 象を 見るための匚 理論」と,そ めの変数関連図) 匚 変 数 」 に よ っ てとらえる匚 因果 正紀は と 結 果 の 関 係 を 匚 概念モ 」にもとづいて 『説明モデル』を作成し,そ れに よ り 焦 点 化 さ れ た 諸 変 数 を 統 合 し た 法 則 ル」を作成することで,匚 説明」のシステム化 2つの変数間の原因と結 デ 律 ( 。(11) 田村のいう匚 理論」 こに明示された因果一 つずつ積み重ねていくこと か可, 能と の関 係) の検 を ̄ 問な 題る のと 現し 象て をい 見る る観点を強調するものであ 果, 問い に対 す証 る 「 説明」 「匚 科学的説明」 )を可 と, はその強調点に基づいて,研究対象のどのよう で 。そして,このように図示さ り 能とするものである ,一般命題の形に整理した れた 『説明モデル』を な側面のどのような関。 連つ に焦 点 を 合 わ せ る べ き か まり,研究対象のどう も の が説明的知識となる。 を決定するものである ,焦点化される , 『説明モデル』は,変数X (原因)と変 いった面に光をあてるかによって 。例えば,同 ま た 果)との一連の因果関係を匚 Y (結 説明」する 変数や変数間の関係が決まってくる , 数 ,変数 Zを媒介変数と して示すことが多い。 じブラン ドを巡る消費者行動を 対 象 と し て い て も ,Yに直接的には影響しないとし 匚 理 論 」 と , 心 理 学 ために ,Xは 経済学からの観点を強調 し た 結Z 果を媒介変数とすることで,間接的な影響 , 匚 理論」とでは,対象を その からの 観 点 を 強 調 し た ,XとY 」 す る た め の 変 数や変数間の関連が全く異 ても 「 ̄ 説明 に与 のと し て示 。田村は,このような 「 ̄ 理論」に をY一 連え のる 因も 果関 係 を厂 説す 明こ 」と すが るで こき とが可能と なるものとなる と の 。さらに, 『説明モデル』では,各変数の表 匚 ,概 よって焦点 化 さ れ た 変 数 や 変 数 間 の 関 連 を な る 」として,整合的に統合することで匚 説 。このような抽象 念モデル 記 は 抽 象 的 な 言 葉 で 表 記 さ れ る 明」のシステム化か可能になるとしている。 的な変数間の因果関係を匚 説明」するためには, - 63− 」を設け,標識 各変数 を具体的にあ わす 「  ̄ 標識 ,ら 変数 間 の 相 関 として匚 説明」 間の相関 をもって ,いわば抽象的な変数 す こ が で O 標識 のる 匚 反と 射器 」き でる あ り, 抽は 象 的な変数の 変化は,そ 。 したがって,標識 X れ 自身の標 識の変 化変 で数 あ るとZの間の相関 , X として と Z の 間 の 相 関 を 匚 説明」 してい くことになる O 【説明モデル ( 「説明」のための変数関連図) 】 《原因》 , ● 一一一 一一 一一 一一 一一 一--一 一● 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 む 1 1 づ 1 −1111 匸 〕 [コ説 明 変 数 (独 立 変 数 ) 《結 果 》 | | | 。−。− S−。肖 。−S −。−S −, | l l l t Z 一 一 一 一 口]従 属 ・数 説明変数 (媒介変数) | 1._。_ つ 各 変 数 を あ らわ す標 識 、口 顫 1 の 原因である。 ) → 2 変 数 間 の 因 果 の 方 向 を 示 す ( [ 二 二 卜 一 一 ql i な ら ば -→ 変数の標識 である ことを示す |. - .- j 図 1 「説明」のための手だて ( 『説明モデル』の フレーム ) (2 『 )説明モデル』 と知, 識問 のい 構に 造対 して独立 変数や 『説明モデル』 と は ,構造的に 示 したもの である。 従属変数 を, 明示 し それ は本時の授 業で習得すべ き説明 したがって 。次頁の図2は 『説 的知識を図示 したもの となる 明。 モ ル 』 と 知 識 の 構 造 の 関 係 を 示 し も の で 「デ 説 明 変 数 を 取 り 出 す た め に 強 調た する 理 論あ 」 る ,複数の観 点を重ね ることで匚 理 の設 定 に あ た り 」の幅が広が り,いくつかの匚 説明」が可能 と 論 なっている。つま り,異なる観点か ら変数 を取 り - 」を重ね ることで,それ だ していくつかの匚 説明 。また ,各 ぞれ 下位の説明的知識を構成 している 変数を象」 徴す るよ 具 体 し し は , 事う 象な の 匚 説的 明な 」事 に象 不と 可 欠て な表 分記 析 的 た匚 標識 。そ して,これ ら 知識や記述的知識 を示 している ,本時 いくつかの下位の説明的知 識こ が合 わ さ 。 のよ うっ にて ,異なる の授 業の説明的知識となる , 『説明モデル』 側 面か ら取 り出さ れ た 変 数 に よ り , いくつかの 因果律が 重 な り合 っ を作成する ことで た匚 説明」が可能となる。 64− 説明的知識 図2 『説明モデル』 と知識の構造 との関係 いと知識の構造 Ⅲ 『説明モデル』 を組み込んだ中学校社会科歴 ②問 史的分野の授業 単元における問いと知識の構造は,以下の とお りである 。 (1 ) 単元の流れ と授 業モデル ①単元の構成 ,単 『説明モデル』を組み込んだ授 業 モ デ ル を 」に おいて提示 元匚 武 と武家 権 の 成立 。士 本の 単台 元頭 は , 士政 の お こ り か ら,武家政権と 【単元を貫く問い】なぜ,鎌倉幕府は崩壊したのだろうか する ,そ して鎌倉幕府の 滅亡に ,御恩と奉公の主従関係にも しての鎌倉幕府の 成立」を中心に扱 う。鎌倉幕府 【説明的知識】鎌倉幕府は ,武力を背景とする武家政 至るま の 「  ̄ 鎌 倉 時 代 とづく御。 家御 人家 制人 度を 土乏 台 し ,で 御 恩 と 奉 公 に もとづく主従関係からなる の窮 や元寇によ り,御恩と奉公の 権 で あ る とは 」を,強固に維持 関係が成 り立たなくなった り,御家人の権利や, 利益 を していくことで成 御 家 匚 御家人制度 。鎌倉時代は,この ような政権 無 視 す る 北 条 得 宗 家 の 専 制 政 治 か 行 わ れ た の で 人の不満が高まり,倒幕運動へとつながり幕府か崩壊 立する政権である した。 によ。 る政 治で が, 展開 さ れ た こ と を特永 色仁 との す る政 時令 代 で そこ 匚 承 久 の 乱 」 や厂 徳 」 【分析 的知識】武 士は 武士団 を結 成 し,侍 と 【第 1時】 ある 」を な っ た り , 国 司 か ら 受 領 に 任 命 さ れ た り し て 武 士 は ど など鎌 倉そ 時代 の歴 史 対 し て 匚 な因 ぜ 疑探 問究 , れ ぞ れ の事象に が 生 起 す る 原 を し 力 をふ る う者が いた 。また,地方での 大 き のように権 設定 し 反乱 を しずめた源氏 と平氏が 武士の棟 梁と して権力な 。その際,厂 時代の特色」 な っ て い っ た 。 中 央 で は , 院 政 へ の 移 行 に よ を も つ よ ていく授業を展開する」を枠組み と して匚 説明 」 うになっり, 武 士 の 進 出 が 目 立 つ よ う に な っ た 。 そ し ,保 元 ・平治の 乱 を勝 利に導いた 平清盛が をあらわす 「御家 人 制 度 , 歴 史 事象の因果関係 を解明す る たのだろて うかO 太 政大 臣にま で任 じられ 権 力を握 った 。 していく, こ時 と代 での特色を匚 理解」させていく学習 とともに が可能になると考える。 −65− とづ く主 従 関 係 ) を 基 盤 と す る 鎌 倉 幕 府 に よ る武 【 第2時】 【 説 明的 知 識 】 鎌 倉幕 府 は, 御 家 人 制 度 を 基 な ぜ, 承 盤 とす る 武 家 政 権 とし て 成 立 し た。 幕 府 か ら 久 の乱 に 与 え ら れる 御 恩 に対 し て , 御 家 人 は, 奉 公 と お い て幕 して 務 め を 果 た し た。 承久 の乱 が 起 き た 時 も 府軍 は勝 こ のよ う な 御 恩 と奉 公 か らな る 御 家 人 制 度 は 利 す るこ 健 在 で あ り, 幕 府 と 御家 人 の結 束 は 固 く, 幕 とか でき 府 軍 の勝 利 とな った 。 乱 の後, 幕 府 は, 武 力 たの だろ を 背 景に し た全 国支 配を 広 げ てい っ た。 う か。 | し 家 政 治 が 展 開 さ れ た と い う 匚時 代 の 特 色 」 を と ら え る こ とを ね ら い と す るO 永 仁 の 徳 政 令 は, 政 治 的・ 経済的 政策 として, 御家人 と いう特定 の身分 を もつ 者 だ け の救 済 を 意 図 し た も の で あ る。 経 済 原則 を無 視し たこの ような政策 は,一 時的 な効果 は 得 ら れ た と し て も, 恒 久 的 な 効 果 は 得 ら れな い こ とは明 らかで あっ たはずで ある。 そ れに もかか 【第3 時】 【 説 明 明 的知 識】 御家 人 の生 活 は, 分 割 相続 な ぜ, 幕 によ る 所 領 の 細 分化 や貨 幣 経 済 の浸 透 に より 府 は 永仁 窮 乏 化 し て い た。 さ ら に, 元 寇 で の 恩賞 問題 の徳政 令 や元 寇 後 の 御 家人 役 の負 担 増 大 が, 御家 人 の を 出し た 生 活 を 一 層 苦 し くさ せ , 所 領 を 手 放 す 者 も多 のだ ろう くな っ た。 そ の た め, 幕 府 は, 御 家 人を 保護 か。 し 御 家 人 制 度を 維 持す るた めに 永 仁 の 徳政 令 を 発令 し た。 わ ら ず, こ の よ う な 法 令 が 発 せ ら れ た 原 因 に つ い て 考 え さ せ る こ と で , 匚時 代 の 特 色 」 を 匚理 解 」 さ せ て い く。 第 3 時 で は, 匚説 明 変 数 を 取 り 出 す た め に強 調 す る 理 論 」 及 び 『 説 明 モ デ ル 』, 生 徒 に 習 得 さ せ る説 明 的 知 識 を 以 下 の と お り 設 定 し た。 生 徒 は, 次 頁 で 示 し た 学 習 過 程 を と お し て 『 説 明 【第4 時】 【 説 明 的 知 識 】 分 割相 続 や 貨 幣 経 済 の浸 透 に な ぜ, 鎌 よ り 御家 人 の生 活 は窮 乏 化し て い た。 さ らに, 倉 幕 府 は 元 寇 にお け る 戦 役・ 役 負 担 の増 大 や 恩賞 問題 崩 壊 した は, 御恩 と奉 公 に も とづ く幕 府 と 御 家人 と の のだ ろう 主 従 関係 を動 揺 さ せ る もの とな っ た。一 方 で, か。 北 条 得 宗 家 と そ の 御内 人 が 幕 府 の 実 権を 掌 握 し , 専 制 政 治 が強 化 さ れ, 御 家 人 の 不 満 も増 大 し て い っ た。 ま た, 悪 党 によ る 幕 府 体 制 へ の反 抗 や , 後 醍 醐 天皇 によ る 倒 幕 計 画を 機 に 幕 府 に不 満を もつ 御家 人 が 離 反 し, 倒幕 の挙 兵 を 行っ た ため 鎌倉 幕 府 か崩壊 し た。 モ デ ル 』 を 作 成 し て い く こ とで , 説 明 的 知 識 を 習 得 し て い く こ と に な る。 【 中核 の問い】 な ぜ, 幕府 は 永仁 の徳 政令 を 出 し た のだ ろ う か。 【 説 明変 数を 取 り出 す た めに強 調 する 理論 】 分 割 相 続 や貨 幣経 済 の浸 透 , 元 寇 で の恩 賞 問 題 や 役 負 担 に よ り窮 乏 化 し て い た 御 家人 を 救 済 す る た め で はな く, 御家 人 制 度 そ の も の の 崩 壊 を 防 ぐ た め に 永仁 の徳 政 令 を 出 し た ので は ない か。 【説明モデ ル ( 「説明」 のた めの変数 関連図 】 口 ¬ 独 立変数 匸 二丿媒介変数 [C二コ 従 属変 数 ③「説 明」 のた めの手 だて 本 単 元 で は ,「 な ぜ 疑 問 」 を 設 定 し た 各 時 間 に . サ 恆 i.-.-.- 一 一一一.-. 衢 ご鬥 顋 躓 、.、 匪 石 釘琵、 ア ドト/ ;゛t' 陽 凖  ̄下ミi "  ̄'  ̄ ̄ 'T  ̄' [玉 おいて, 教師が指導計画で作 成した「説明 モデル」 を , 生 徒 た ち が 問 い に対 す る探 究 を と お し て 自 ら の力 で 作 成 し て い く こ と を ね ら い と し て い る 。 し 亙 卜、 ¬ 1 元寇 た が っ て , 授 業 は,「 な ぜ 疑 問 」 に 対 し て 仮 説 と ` ゜ ̄ ゜題! ゜ ̄l 回 ̄ 贍 問 1.-。-。-。-1 匹 ] ⊇ 1 家人の 足 の御 して の『説 明 モデル』を 作成 し, 検証を 経て事象 ’ の 因 果 関 係 を 「 説 明 」 す る 展 開 と な る 。『 説 明 モ I ’ デ ル 』 は,「 な ぜ 疑 問 」 に対 す る 予 想 か ら い くつ かの説明変 数を 取り 出し, これを 原因 と結果 の関 靆珊 国警 係 で つ な い で 作 成 す る。 そ の 際 , い くつ か の側 面 【 説明 的知 識 】 御家 人 の生 活 は, 分割 相 続に よ る所 領 の細 分化 や貨 幣 経 済 の浸 透 によ り窮 乏化 し て いた。 さら に, 元寇 で の恩 賞 問 題 や元 寇後 の御家 人 役 の負 担増 大 か, 御家 人 の生 活を 一 層 苦 し くさせ , 所領 を手 放 す 者 も多 くな った 。 そ のた め, 幕 府 は, 御家 人 を保 護 し, 御家 人 制 度を 保持 す るた め に永 仁 の徳政 令を 発 令し た。 から説明変 数を 取り 出して 仮説を設 定す こ とによ り, 多 面 的 な 考 察 が行 え る よ う に す る。 仮 説 の 検 証 で は, 資 料 を 活 用 し な が ら, 因 果 関 係 の 証 明 を 行 い『説 明 モデル』を 完成 させて, 説明 的知識 を 習 得 し て い く。 こ こで は , 単 元 第 3時 を 例 に論 じ て い く 。 第 3 時 は , 永 仁 の徳 政 令 が 出 さ れ た 原 因 につ い て 考 え - る こ とを と お し て , 御 家 人 制 度 ( 御 恩 と 奉 公 に も 66 − 過 程 導 入 学 習 活動 問題意識を も ○ 主 な発 問 ・ 予 想 さ れ る 子 ど も の反 応 e 子 どもか習得する知識 * 指 導 上 の 留 意 点 ・ 手 だて O 「 元 寇 と そ の影 響 」 に つ い て 確 認 し て み よ う。 * 小 学 校 で の 学 習 を 想 起さ せ る。 ・ 執 権 北 条 時 宗 の とき に, 元 が 2 度 に わ た り 襲 来 す る 。 つ ・元軍 の集 団戦法 や火器 に苦戦 する ものの, 暴風雨 にあ って 元軍は退却した。 ・ 武 士 の多 く は 恩 賞 が も ら え な く て 幕 府 へ の 不 満 か 高 ま っ た。 問 歴史事 象の結 ○ 匚永 仁 の徳 政 令 」 と は ど の よ う な 法 令 だ ろ う ・ 御 家 人 の借 金 な どを 帳 消 し に で き る 法 令 で は な い か 。 い の 設 定 果を確 認する か。 * 永 仁 の 徳 政 令 が 一 時 的 な 効 果 し か も だ な い こ と につ い て , @ 匚永 仁 の徳 政 令 」 は 一 時 的 な 効 果 し か 得 ら れ 生 徒 自 身 の 経 験 知 も と に 考 え さ せ, 法 令 へ の 疑 問 や 矛 盾 を 生 ず, 幕 府 へ の不 満 を 高 め る結 果 と な っ た。 じさせる。 幕 府 は, な ぜ, 永 仁 の 徳 政 令 を 出し た の だ ろ う か。 予 想 予想 ・ 仮 説 を 立て る | ○ 予 想 ・ 仮 説 を たて ,「 説 明 モ デ ル」 で あ ら わ し て みよ う 。 * 前 時 に 習 得 し た「 幕 府 は 強 固 な 御 家 人 制 度 を 保 持 す るこ とで 承久 の 乱 に 勝 利 で き た 」 と い う 知 識 か ら「 御家 人 制 度 の 保 持 」 と い う 変 数 を 取 り 出し , 活用 さ せ る。 仮 説 の 設 定 ≒刀 卻 胱 ヶ 只聆 ` `の 浸 4 豕 j ) 役 旦の k 検 検証する ○検証しよう。 ● 御 家 人 の 所 領 は 分 割 相 続 に よ っ て 細 分 化 さ れ, ・ 新 し く 所 領 を 与 え ら れ な い 限 り , 世 代 を 重 ね る 毎 に 御 家 人 証 御 家 人 の生 活 は窮 乏 し て い た。 の所 領 は 減少 し て生 活 も 窮 乏 化 し て い く ので はな い か。 e 自給自足を 原則 とする土 地生産 を基本 として ・ 御 家 人 は, 新 し い 経 済 のし く み に つ い て い く こ と か で き な い た 御 家 人 の生 活 は, 貨 幣 経 済 の 浸 透 に よ り , か っ た ので は な い か。 窮 乏 化 し た。 ・ 御 家 人 の生 活 も ぜ い た く に な っ て い た ので はな い か。 @ 元 寇 で の 戦 役 や 元 寇 後 の役 負 担 の 増 大 によ り , ・ 恩 賞 は も ら え な い の に , 戦 費 や 異 国 警 固 番 役 な ど の 役 負 担 御 家 人 の生 活 は苦 し く な っ て い た。 は大 き く, 御恩 と 奉 公 の 関 係 か 保 て な い ので は な い か。 e 御 家 人 の生 活 が 窮 乏 し , 所 領 を 売 却 ・ 入 質 す ま と め 習得した知識 をまとめる る 者 が 多 くな り , 御 家 人 役 を 果 た せ な い 者 が 増 * 無 足 の 御 家 人 の 増 加 を く い 止 め, 御 家 人 を 保 護 し て 御 家 人 え たため, 幕府 の御家人 制度か崩 壊しつつ あ っ 制 度を保 持す るた めに永仁 の徳政令 を発し たこ とに気づ かせ た。 る。 ○ 本 時 の課 題 に 対 し て ,「 説 明 モ デ ル 」 を 使 って 「 説 明 」 し て み よ う。 (2)授業実践の実際と分析 予想できた生徒がいれば,匚理論」 にせまる変数 ① 仮説としての『説明モデル』の作成段階 を使って,『説明モデル』を作成することができ 一主観的理解から間主観的理解ヘー る。次頁の図3は各グループが作成した『説明モ 幕府にとっては,単に御家人の救済だけがねら デル』である。どのグループも因果関係を示すこ いではない。御家人 の窮乏化かすすみ,御家人制 とのできる 匚変数」として適切なものを予想から 度が維持できなくなると幕府の基盤が崩壊してし ≪表1≫問いに対する予想の分類 まうため,御家人制度を守るために徳政令を出し 予 想 のレ ベ ル 人 内容(人数) A 厂 御 家 人 制 度を 維 持 6 幕 府 に と っ て 奉 公 す る 者 か い な くな ている。 したがって, 生徒がたて る予想 にも, 匚窮乏した生活から御家人を救済する」 ことの他 に,匚御家人制度そのものを維持することが幕府 す る必 要 が あ っ た」 る と 困 る(4) に まで ふ れ て い る 御家 人 が 反 乱 を お こ し て は 困 る(2) B 厂 御 家 人 を 救済 す る 15 御家 人 の 負担 を 軽 く して や り た い(4) た め」 に と ど ま る にとって必要である」といったことにつながる変 恩 賞 の か わ り と し て(3) 一 時 的 で も御 家 人 を救 って あ げ る(7) 数を取り出せるような予想(レベルA)が必要と 御家 人 の 不 満 を 解 消(1) なる。表1のとおり,レベルAの予想をした生徒 C 「 御 家 人 窮 乏化 の 原 8 元 寇 が お こ っ た か ら(1) はわずかであった。ただし,『説明モデル』は, グループで作成するため,メンバーにレベルAを 67 因 」 だけ を あ げて い 恩 賞 が も らえ な か っ た(2) る 御 家 人 の 負 担 か 大 き か っ た(5) 。また , 「御家人の不満」や 「御 取 り出 している 」の ような 「理論」にせまる変数 家人制 度 の 保 持 。 し か し ,この 段階 では ,どの グルー プも , もある ,多面的 変数間の関係に不適切なものがあった り なとらえ」 方が か っ た り 十こ 分 な 「説 にで とき どて まい っな てい る。 そと こ不 で , れ を, 明モデル ,分析 意見交流をとお し て 間 主 観 的 活 動の に さ らし , 『 説 明 モ デ ル 』 質 を 高めるこ を 深 め る こ と で とが できる。≪授 業記録 ≫には ,変数間の関係が ,厂 御家人制度そのものを維持する こと 修正され 」という厂 理論 」 が 幕府に とって必要 であったか ら にせま るま 因た 果 関教 係師 がの 提 示い さか れ てに いく 過さ 程れ がな 示さ れ 。 , 問 け 促が が ら て, い因 る果関係 を多面的 ・多角 的にとらえようと し も 。つま り,仮説 と しての 『説 ていることもわかる ,主観的な理解か ら間 主観 的 明モデル』の作成が 過 程 を し て よ り し い (科 的認 識) へ と導 くと 手お だ てと し て正 有 効 な理 も解 の であ学 る と 言え る。 ≪グルー プD≫ 図3 「各グルー プの 『説明モデル』 」 ≪授 業記録 ≫ T :グルー プ Dの図 をも と に 一 つ に ま と め て い き ま し ょ う 。 グ ル ー プ D の 図 に 対 し て ↓修 正 や 追 加 は り , 御 家 人 の 負 担 が 大 き か っ た り す る と , 奉 公 を す る 者 が い な く なる の で , 匚 御あ 家 人ま のせ 生ん 活か が苦 S1 : 恩 賞 が な か っ た り しい 」 の 前 に 「 奉 公 す る 人 が 減 る 」 を 入 れ て は ど う か 。 : 奉 公 す る 人 が 減 る 」 を 加 え る こ と は 賛 成 だ け ど , 匚 奉 公する人が減る」は 「御 家人の 生活が苦 しい」の後にくる S2 。御家人の 生活が苦 しくなったの で奉公をする人が減 って いくの ではないか 。 の で は な S3: そ れ をい 和か らげるために徳政令が 出され たの ではな い 。 。か 本 当に御家人の 生活が苦 しかったといえるのか 。 S4: そ も そ も 匚 御 家 人 の 生 活 が 苦 し い 」 は 必 要 な の か S5:恩 賞がもらえなかった り,警備 などの負担が続 けば生活は苦 しくなるのではないか 。 S1:御家人 の 生 活 が苦 し くな る か ら奉 公 をい す るは 御 家 人 が 減 っ て いき御 家人制度 を保持する必要が出てくるの かな。そ , やは り 匚 御 家 人の 生 活 が苦 し 」 必要 だ と 思 う 。 れ な ら ば T : 元 寇 後の 負担増や恩賞が なかったことの他に ,御 家人の生活が苦 しくなっていった原因 と して,他にも考えられ ないだ ろうか 。 S6:御家人の 生活が苦 し な っ 原 し て 「分 割 相貧 続 」く も 考 え ら れ る か 。 ,く 御 家 人た の 土因 地と が 小 さ くな り , し な っ てい っの たで のは でな はい は な いか。 S4: 分 割 相 続 に よ っ て T :見 方を変えると,別の原因が考えられ るよ う な こ と ない だ う 。 , 奉 公 す る 人が が他 減に るも か ら だ けろ で はか 足 りないの では ないか。 S7:御家人制度 を保持 しようとし ,御 た 原人 家 因制 は度が 崩れ ると,幕府の 味方をする御 家人が減 り,不満 をもつ御家人が 反乱 S1 御 :家人の 生活が苦 し。 くだ な り か ら,御家人制度が くずれ ないよ うに しなけれ ばならないの ではな いか 。 をお こ す も し な い S7: だ か らか 匚 御 家れ 人 制 度の保持」の前に ,匚 奉公す る人が減 る」と合わ せて匚 御 家人の 不満」を加 えてもいいの では ないか 。 - 68− ② 説明 的知識 の習得 段階 ど ま る ) の 生 徒 全 員 が, 説 明 的 知 識 習 得 の 段 階 で 探究 過程を とおし て完成 させ た『説 明モデ ル』 は,「 ̄ 御家 人 を救 済 す るだ けで はな く, 御家 人 制 を 図 4 に示 し た。 こ れ を 命 題 化 す る こ と で , 説 明 度 そ の も の を 維 持 す る 必 要 が あ っ た か ら」 と 認 識 的 知 識 の 習 得 を 図 っ た 。 表 2 は,『 説 明 モ デ ル 』 を 変 化 さ せ て い る の が わ か る 。 ま た, レ ベ ル C の 作 成 を と お し て 生 徒 が習 得 し た 知 識 の 分 類 を 示 (匚御 家 人 の 窮 乏 化 ) だ け を 原 因 と し て 予 想 ) の 生 し た も の で あ る。 ま た , 表 3 に は, 問 い に対 す る 徒 に も, 下 位 の 説 明 的 知 識 を 習 得 す る な ど 認 識 の 予 想 の段 階 か ら の 生 徒 の認 識 の変 容 を 示 し た。 こ 変 容 が 見 ら れ る。 こ の う ち, レ ベ ル B だ っ た あ る こ で は ,『 説 明 モ デ ル 』 の 作 成 を と お し て , 表 1 生 徒 は 次 の よ う な 匚説 明 」 を す る こ と が で き た。 で示 し た予想 段階で のレベ ル がBまた はC だった 御家 人 の 救 済 だ け を 原 因 と考 え て い る生 徒 ) に つ 貨 幣経 済 の浸 透と 分割 相 続 によ って 御家 人 の生 活 は苦 し か っ た。 また, 元 寇 に よる 御家 人 の負 担 と恩賞 が 少 なか っ た こ とで, 御 家人 の生活 は苦 し か った。 だか ら, 奉公 す る 人 が減 っ たり, 御家 人 が不満 を もつ ので 御家人 制 度を 保 持 し な けれ ばな ら なく て, 永 仁徳 政令 が 出 され た。 い て , 表 2 の説 明 的 知 識 の 習 得 レ ベ ル が ① な い し これらのことから,子どもたち自身で『説明モデ ②( 幕 府 に と って 御 家 人 制 度 を 維持 す る必 要 があ っ た こ とを 原 因 と 考 え る 生 徒) に な っ て い る こ と が ル』を作成していくことが,子どもたちの認識を より正しい認識(科学的認識)へと変容させ,説 望 ま れ る。 表 3を 見 る と, 問 い に 対 す る 予 想 の 段 明的知識(下位の説明的知識を含む) の習得に有 階 で , レ ベ ル B 「匚御 家 人 を 救 済 す る た め」 に と 効なものとなったことを示すものと言える。 生 徒 の認 識 が変 容 し て い る こ と が望 ま れ る 。 つ ま り, 予 想 段 階 で レ ベ ル B ・ C の生 徒 ( 窮 乏 化 し た 貨幣経 済の浸透 一 一 − 一 一 一 一 一 一 - − 単 程 三石 ] 七 三 三 回 歩___._._. 図 4「 ク ラ ス で 完 成 さ せ た 『 説 明 モ デ ル 』」 ≪表2≫習得した知識の分類表 ≪表3≫ 生徒の認識の変容 説 明 的 知 識 の習 得 レ ベ ル 人 説 明 的知 識 と し て ① 原 因 を 重 ね 合 わ せ , 厂理 論 」 を 踏 ま え た 本質 的 因 果 10 習得で きている 要 因 につ い て 多 面 的 に 厂説 明」 し て い る。 ) 下 位 の 説明 的知 識 ② 「 理 論 」 は踏 まえ て い て も, 多 面 的 な と らえ 方 が不 13 の習 得 に と ど ま っ 十 分 な た め, 本 質 的 因果 関 係 の 把 握 と ま で は 至 って てい る い な い。( 御家 人 制 度 を 維 持 す る 必 要 か あ っ た こ と は「 説 明」 で き て いて も, 御 家人 の生 活 か苦 し く な っ た 要 因 につ い て のて 説明 」 が 不十 分 で あ る。 ) ③ 「 理 論 」 を 踏 まえ た 「 説 明」 に至 っ て い な い。( 御 4 家 人 を 救 済 す るこ と だ けを 原 因 と し て 「 説 明 」 し て い る。 ) の説明的知識を含 説明 的知 識習得レベル ① ② ③ ④ A「 御家人制度を 維持する必要か あったにまでふ れている( 6) 6 0 0 0 B「 御家人を 救済 4 するため」 にと どまる(15) C「 御家人窮 乏化 0 の原 因」 だけを あげている( 8) n 0 0 2 4 2 関 係 を 「 説 明 」 し て い る 。( 御家 人 制 度 を 維 持 す る 必 要 か あ っ た こ と や, 御 家 人 の 生 活 が 苦 し くな っ た 説明的知識(下位 予想段階のレベル ( 人数) ④ 原 因 と 結果 の 関 係 で 「 説 明 」 で き て い な い 。( 因 果 関 係 と し て 不 適 切 で あ る) む)の習 得には至 っ - ていない 69 − 2 ③ 「時代の特色」の把握 ,鎌倉時代における匚 時代の特色」 本 単 匚 御元 恩で とは 奉公の主従関係にもとづく御家人制度 を を基盤とした鎌 倉 幕 府 に よ る 武つ 家ま 政 治 が鎌 展倉 開さ れ 。 」 と 規 定 し た 。 り , 時代 た時代である 」 は匚 御, 家こ 人制 度 を ̄ 保明 持」 すの るこ で枠 成り つし 時た 代。 れを 「 説 たと めの 組立 みと であり ,第3時では匚 徳政令を出さなければ したがって ,幕府を維持でき 御家人制度を保持できなくなり 。 」という 「 ̄ 説明」 なくなるので徳政令を出し。 た 表 1の予想レベルA ができる, こ一 と時 が的 必な 要効 とな るか生まない永仁の徳政 果し の生徒は ,徳政令を出してまで御家 令に矛盾や疑問を感じ 人を救済 しようとした。 その 後に るし もて のに まで ま背 た, 仮あ 説と の 『説 予想をめぐらしていた ,図3で示したよう 明モデル』を作成する際には こ くつか グル が皿 → 汞 ̄ 石石 ̄ 晉政 ̄ 齎と変数を並べ,永仁の徳政令の直 「 接の原因 と し 匚 御 家 人 制 度 を 保 持 す る 必て 要の があ 」 と して てい る 。 間 主 観 的 活 動 と し 意っ 見 たから ,≪授業記録≫のの匚 御家人の生S1 活 交流では , か苦しくなるから奉公をする御家人が減 っ て い き 」といった 御家人制度を 保 持 す る 必 要 が 出 て く る 。これらのことは,匚 御家人制度を保 意見がある」を枠組みとして匚 説明」しようとし 持すること 。つまり,匚 時代の特色」を ている も の と 言 え る 」に反映させようとしているものである。 匚 説明,検証を終え最終的に完成させた 『説明モ 授業で ,匚 理論」に基づき教師が作成した匚 本 デル』は 」とほぼ一致す 時に作成させた。 い 『説 明 モ デ ル 』 生徒た ち が 作 成 した 『説明モデ るもので あ っ た ,匚 御家人制度を保持すること」を枠組み ル』は ,匚 時代の特色」を反 として作成して」 いに く基 こづ と で く 『説明モデル』となっ 映させた 「  ̄ 理 論 。 こ れ は,生徒たちが,匚 時代の特色」を ていた ,歴史 反映した説明的知識を習得したことになり 事象の因果関係をとらえた匚 説明」 (科学的説明) を可能にするものと言える。 IV成 果 と課 題 。 本 研 究 の 成 果 と し て 次 の 3 点 が あ げ ら れ る明 ① 歴 史 事 象 の 因 果 関 係 を 変 数 で と ら え る 『説 ,歴 史的分野の匚 説明」 モデル』 を作成する ことで 。 (科学 的説明)による学習 を行うことができ た , 間主 ② 『説明モデル』 を作成」 す る過 程 にお を 行 う こ とい でて ,主観的 観的活動と しての厂 説明 な理解か らより正 しい理解 (科学的認識)へ と高 めることが できた 。 」を枠組み と して 『説明モデル』 ③匚 時代, の特 色 説 明的知識を習得 していくことで, を作成 し 」を理解 させる ことが できた。 厂 時 代 の 特 色 一方,課題 としては次の 2点があげられ る。 ,問いに対す ① 『説明モ デル』の作成をとお し て明的知識の ,説 習 る因果関係 を 理 解 で き て い て も , 『 説 明 モ デ ル 』 で 示 した因果関係を 得段階では」する ことができない生徒が見 られ 正 しく匚 説明 た 。説明的知識の習得段階における手だての改善 が必要である。 , 『説明モ ②授 業モデルで提示 した時代の他にも ,実践 デル』 を組み 込んだ授業の単元開, 発 を 行 い 『 説 明 モデル』 を積み 重ね ていくことをとお して の有効性を明 らかに していく。 【註及び引用 ・参考文献】 剛森分孝治 『現代社会科授業理論』明治図書,1984, p.50 同上書,pp.54-57 , (2) (3) 森分孝治 『社会科授 業構成の理論と方法』明治図書 1978, p.100 (4) 神山四郎 『歴史入門』講談社現代新書,1965, pp.185-191 (5) 前掲書(1), pp.92-96 ,科学的 森分は,C.G. ヘンペルの論を用いながら 説明を匚 推説 論明 に的 よス るケ 説 明」 て 三つ初 の期 種条 類件) に分と 類 。 ッ チとし は, c( している L(法則)が分離 していない不完全な統計的説明の ことである。 (6) 高根正昭 『創造の方法学』講談社現代新書,1979, p.40 (7) 同上書, p.41 ,p.78 (8〉 同 同上 上書 書,p.81 (9) 一彦匚 社会事象 と問いと内容」 『教育科学社会科 ⑩ 岩田 教 育No.228 』, pp.116-124, 明 治 図 書, p.117 ーチ ・デザ イ ン ー 経営1982, 知識創 造の基 圓田 村 正 紀 『 リ サ 本技術』白桃書房,2006, pp ユ4-20 −70−
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