歴史事象の因果関係を 「説明」 する中学校社会科歴史授業の開発

社
会
系
教
科
教
育
学
会
『社
会
系
教
科
教
育
学
研
究
』
第24
号 2012
(pp.61-70)
歴史事象の因果関係を 匚
説明」する中学校社会科歴史授業の開発
一単元匚
武士の台頭と武家政権の成立」における
『説明モデル』の作成を通
して−
Developing Lesson Plans for Social
School
Studies
to Explain
in Junior
Historic
High
Using an Explanatory Model “Rise
to Teach
of the Unit
Samurai
on and Forma
Samurai Administration
”
船 田 次 郎
(鳥取県米子市立後藤ヶ丘中学校)
。それに
I 問題の所在及び研究の目的
描
写
や
確
認
に
と
ど
ま
る
程
度
の
も
の
で
あ
る
,社会科における匚
説明」とは,匚
社会事
」とは,社会事象の
社
会
科
に
お
け
る
「
 ̄
言
語
活
動
対
し
て
・意義を解釈したり,事象間の関連を説明し
因果関係から捉えること」と定義す
意味,自分の考えを論述
したりすることである。 象を客観的な 。すなわち,
「 ̄
説明」とは,ただ,
る
こ
と
が
で
き
る
たり ,中核となるのが
「 ̄
説明」する活動である。
ことを述べるのではなく,それが
中でも,ただ説明させるだけの匚
活動主義」に陥 何かあるという
,ある出来
ど
う
し
て
あ
る
の
か
を
述
べ
る
こ
と
で
あ
り
ただし
。つまり,活動をと
因子を指摘するものである。
らないよう注意が必要である
,その知 事の決定的,匚
説明」とは,他者の存在を前提に,
おしてど」
のよ
う
な
知
識
を
習
得
さ
せ
る
の
か
そ
も
そ
も
が大切となる。そこで,本研究では,
ノ1
)
こ
識の匚
質
動
で
あ
る
,とりわけ,歴史の授業における匚
説明す 誰かが誰かに行う間主観的な活
匚
説明」によって,
社会科
のような間主観的活動としての
,
る力」を育成する授業構成論と授業モデルを開発 個々人がもっている主観的知識が間主観化され
へと成長する。森分孝治は,社会科
することを目的とする。
間
主
観
的
知
識
」とは,社会事象を原因と結果の関係
」と間主観的知識との関係
授業における匚
説明
「 ̄
説明
,歴史を解釈 の
について次のように述べている。
(因果関係)
,で
時と
代ら
解え
釈る
)こ
すと
るで
うあ
えり
で必要なことと
個
々の
子
どもは授
業の間
主観
的過程
に参
加
し,そ
こで
(事象解
釈
。
このような匚
説明」する力を育成するた
な
され
る説
明
を理解
し,提
示され
る
知識
を習得す
る
こと
に
よ
っ
て
内
な
る
知
識
を
成
長
さ
せ
る
。
す
な
わ
ち
,
社
会
科の
考える
,
『説明モデル』を組み込んだ授業開発を行
授
業
は
,
主
観
的
知
識
を
よ
り
よ
く
成
長
さ
せ
る
客
観
的
知
識
めに
:
船
田
)
の
成
長
過
程
,
よ
り
正
し
い
う。研究仮説は次のとおりである。
(間
主
観
的
知
識
と
同
義
理解
を
導
く
よ
り
確
か
な説明の過
程
と
して構成
され
組織
さ
子どもたち
自身が
,歴
史事象の因果関係
を独
立変数
・従属変数で明示
した
『説明モデル』
を
作
成
し
,
し
い
展
開
する
こと
,
社
会吟
事味
象検
間討
の
関て
連
をく
因授
果業
的を
に
と
ら
え
る
力
を
で
。また,
『説明モデル』
習
得
す
る
こ
と
が
で
き
る
を作成する
こ社
と
が
で
き
れ
ば
,
匚
説
」
の
シ
ステ
,
会
事
象
を
見
て
い
く明
際
の
概
念的
支
ム化と
し,
て歴
史事象の本質的な因果関係
を把握
柱
と
な
り
す
る
こ
とができるであろう。
H社会科歴史授
業における厂
説明」のためのス
トラテジー
」とは
(1
)
社
会
科
教
育
に
お
け
る
「説
明
世間一般で使
用され
ている匚
説明」は
,事実の
-
れ
る
(2
。)
,社会事象を解釈し,社会事象の存在を
つまり
,それは,個々人の主観的な理
認識したとしても。社会科では,このような主観
解にしかすぎ
,な
間い
主観的過程をとおしてより正しい
的な理解を
理。
解
(科
高め
とを匚
が必要
間主学
観的
的認
過識
程)
とに
は,
社て
会い
科く
のこ
授業
説と
明な
」
る
。森分は,匚
説
の
過
程
と
し
て
構
成
す
る
こ
と
で
あ
る
明」
(厂
科学的説明白とは,客観的に根拠づけら
,すなわち科学的認識のための授業を構
れた授業
成て
す,
るう
の方
法原
理で
る」
と述
べい
てい
し
こえ
ので
よう
な厂
科学
的あ
説明
につ
てる
,O
次そ
の
61−
ように述べている。
幕
府が
キ
リス
ト教の禁止を徹底
し
ある事象か
起
こった
ことの
,ある
いは
,法則か
成立
す 〈
た問
のい
は〉
な江
ぜ戸
だろ
う
か
O
。
,キ
リシタンが幕府政治に
る
こ
と
の
原
因
あ
る
い
は
理
由
を
明
ら
か
に
す
る
こ
と
で
あ
り
そ
の
よ
う
な
科
学
的
説
明
を
求
め
る
問
い
は
『
な
ぜ
』
と
い
う
問
〈
説
明
〉
江
戸
幕
府
は
,キ
リ
いであ
る。
m
抵
抗
す
る
勢
力
に
な
る
こ
と
を
お
そ
れ
た
た
め
ス
ト教の禁止を徹底するよ
うになった。
,ただ,何かあるというの
[科学的説明]と,
はそれがどうしてあるのかを
」の場合
,匚
キ
リス
ト教の禁止を徹
を述べるのではな,
くある出来事の決定的因子を指
この」
匚
説
明
という事象
(E)を推論する他の命題
述べることであり,
した ,匚
江
戸幕府は
,キ
リシタンが幕府政
「∼だから∼である」という 底
摘するものなので 。つまり,それは,匚
L)は
なぜ」 (Cと
」と
言明のかたちをとる
治に
抵
抗れ
す
る
勢
力
に
な
る
こ
と
を
お
そ
れ
て
い
たとっ
。
こ
は
,
厂
民
衆
が
団
結
す
る
と
,支
配
者に
と
に
対
す
る
解
答
を
推
論
に
よ
っ
て象
導
き出す な
る
」という法則
(L)が明示さ
こい
とう
で問
あい
る
。
す
な
わ
ち
,
原
因
と
な
る
事
(C:
て大,
き説
な明
脅の
威に
な
るなる命題
根
拠
と
(Cと
L)が分離
し
Cause)
と結果と
な
る事象
(E
:の組
Effect),
れず
」であ
り,匚
説明的ス
ケッ
L
:
Law)
の三者
みそ
合し
わて
せ て
い
な
い
不
完
全
な
匚
説
明
何らか,
の既
法
則
(
知の二要素から未知の一要素を探り求
」にあた
るもの
である。歴史の授
業では,教科
のうち
チ
,
授
業
で
習
得
さ
れている説明
。社会科における
めるこ
と
を
意
味
す
る
も
の
で社
あ会
る科学における方法 書の
記述はもちろん ,このよ
うな匚
説明的
」
と
は
,
こ
の
よ
う
な
「説明
的知識もほ
の場合
」と
にん
よど
って厂
説が
明」され
たものである。
原理としての
「説明」と同様な
「科学的説明」を
ス
ケ
ッ
チ
,
歴
史
の
授
業
に
お
い
て
,
法則
を明示
した
意味するものである。
すなわち
2歴史における
「説明」とは
匚
説明」とは,何らかの法則
社
会
科
に
お
け
る
)を用いて,社会事象間の原因
(C)と結果
(L
E)の関係を探り求める匚
科学的説明」のこと
( 。しか
し,歴史には人間の心理的なものや
である
,法則を明
社
会
的
な
も
の
が
多
く
含
ま
れ
て
い
る
た
め
示することが難しく,説明される命題もあいまい
。このような歴史における
なものになりやすい
,神山四郎は,
匚
説明」
(
「 ̄
科学的説明コについて
次のように述べている。
,すべ
ての
Eは
Cと
Lか
ら導
き出
され
ると
いうこ
,
と歴
は
史的説
明と
科学
的な
,
説
明
それ
の
基よ
に
本
的て
っ
なな
方
さ
式
で
れ
あ。
る
る
し
か
ら
か
し,歴
史の場
合
い,
うで
の
も
き
ごとか
非常に複雑
なの
で,
Cと
Lをきれ
いに
分
は
。だ
離
し,
てこ
示の
す
こ
方
とに
式
が
で
よ
きて
っ
ない
科
と
学
い
的
う
に
不明
説
利
さ
な条
れ
る
件
と
か
あ
は
い
る
え
,
か
ら
」程
度の
もの
で
しか
ない
(4
。)
歴史の
説
明は
匚
ス
ケ
ッ
チは,歴史に関わる歴史学を
,
歴史
の
授
業
つまり
はじめと,
する
関連
科学
にも
構を
成さ
れし
て
授業
に諸
おけ
る匚
説と
明づ
」い
はて
法則
明示
いるので」とはならず,匚
説明的スケッチ(
」)
5
た匚
説明
。
にとどまることがほとんどとなる
例えば,次のとおりである。
-
推論による匚
説明」
(匚
科学的説明
コは困難なこ
ととなる
。
3歴史における
「説明」のための手だて
,歴史における匚
説明]
「匚
科学的説
本研究
で
は
可能にするために,このような法則を明
明
山を
示した匚
説明」ではなく,高根正昭が論じている
匚
因果法則を用いた説明」を用いることとした。
,高根は,次のように述べている。
これにについて
,
「結果」と
匚
説明」は
「なぜ
,
」
そ
と
の
い
[原
う疑
因
問
]
を
と
発
な
し
る
て
現象とを,論
して扱われる現
象
ととするものである
せよ
う
(6
。)
理的に関係さ
,少しでも確かな推論を行お
科
学
が
因
果
関記
係
にで
対
し
て
う
す
る
限
り
,
述
はな
く,説明を行わなければなら
なと
い。
m
,事象についての原因と結果の論理的な
つまり
ことが科学的説明であり,そ
関係を
明
ら
か
に
す
る
(ある変数の変化が,もう一つの変
れは因果関係
」関係)を実証すること,
数の変化を
「 ̄
引
き
お
こ
す
,因果関係に対する推論をとおして行わ
すなわち
。さらに,高根は
「 ̄
因果法則」に
れるものである
ついて,次のように述べている。
,その関係
を構成するモデルの
因果
,
「
関係
変
を
数
考
」
え
と
る
と
と
ら
き
えた方が,この関係を正確に表
要素は
。それ
では
「変数」とは何か。
(中略
:
現
で
き
る
の
で
あ
る
船田)社会科学では
「変数」とは,厂
数値value
」を持つ
62−
,説
た概念の
こと
を言
う
(8
。)
これを歴史の
[ ̄
説明]にあてはめるならば
,独立
変数の
一定の値
が
,従属
変数
「因
果
法
則
」
と
は
合い,
多
との
一定の
値
と関係
して
いる状態
と,定義す
ることか
で 明対象となる歴史事象が複雑な要因が絡み
きる/9
)
くの要
因
に
よ
っ
て
れ
て
い
る
こ
と
」
を
設
定
す
る条
こ件
と付
でけ
,ら
厂
理
論
」
が
強
調
すを
る観
,事象の因果関係を匚
説明」するとき, 匚
理
論
。さらに,
「概念
すなわち 」によってとらえる匚
因果法則」 点から焦
点
化
す
る
こ
と
が
で
き
る
その関係をF ̄
変数
」を作成することで,焦点化された事象を
,原因と結果の関係を正確に表現 モデル
を用いることで
。しかし,社
従属
係で
示する
がで
。変
こ数
のと
よう
に変
,数
問の
い関
に対
す明
る
「説
明こ
」と
をシ
スき
テ
することがで,
き自
る然
とい
もお
のけ
であ
る験的方法とは 独立
科う
学に
る実
る
,
歴
史
に
お
け
る匚
説
明
(
」
「
 ̄
科
会科,
学容
の場
易合
に因果法則を用いた匚
説明」を行うこ
ム
化
し
て
い
く
こ
と
で
違い
コも可能となるO
。とりわけ歴史の匚
説明」において, 学的説明
とはできない
,複雑な要因が絡み合
説,
明多
対く
象と
な因
るに
歴よ
史っ
事て
象条
は件付けられているもの 4歴史授
の要
業における
「説明」のための学習方略
い 。つまり,厂
『説
) 明モデル』とは
説明」されるべきものに対す (1
である
ここでは,社会科歴史授業における匚
説明」
,独立変数,従属変数,媒介変
る多様な諸条件を ,匚
」
)のための学習方略として,
『説明
説明」に必要となる条件 (
「
 ̄
科
学
的
説
明
。
『説
明
数に区別し組織化し
。これについ
モ
デ
ル
』
を
次
頁
の
図
1
の
と
お
り
提
示
す
る
,問いに対して独立変数と従属変数
を,
明岩
確化
が必
るる。
田し
一て
彦い
はく
次こ
のと
よう
に要
述と
べな
てい
モ
デ
ル
』
と
は
,構造的に示したものである。作成にあ
て
,従属
変数
と
しての結
果
とを を明示
し
,まず,授業での中核となる問い
(なぜ
独
立
変
数
と
し
て
の
原
因
と
厳
し
く
限
定
し
た
社
会
事
象
の
切
り
と
り
が
最
も
重
視
さ
れ
ね
ば
っては ,匚
:
船
田
)
一
定
の
問
いに
対
し
て,
科
学
は
原 た
説明」のための変数を取り出
な
らない
(中略
(中略
。
:船
田)同 疑問)に対
し
て
因の
,
シ社
ス会
テ
科
ム
化授
の
を
しに
業
て
お
解
け
を
る
得
問
て
い
い
に
る
対
しても
,シス
テム
」を設定する。そして,
す
観
点
を
強
調
す
る
「
 ̄
理
論
様
に
(10
。)
匚
理論」にもとづいて選ばれた変数を,整合的に
化
され
た解か
与
え
ら
れ
る
必
要
が
あ
る
,
独
立
変
数
・
従属変数を明示し,
」のた
システム化とは
していくことで
『説明モデル。
(
』
「
説
明,原因
。これについて,田村 統合
つ ̄
まり
その構,
造を
であ
を
作
成
し
て
い
く
問示
題す
のこ
現と
象を
見るための匚
理論」と,そ めの変数関連図)
匚
変
数
」
に
よ
っ
てとらえる匚
因果
正紀は
と
結
果
の
関
係
を
匚
概念モ
」にもとづいて
『説明モデル』を作成し,そ
れに
よ
り
焦
点
化
さ
れ
た
諸
変
数
を
統
合
し
た
法
則
ル」を作成することで,匚
説明」のシステム化
2つの変数間の原因と結
デ
律
(
。(11) 田村のいう匚
理論」 こに明示された因果一
つずつ積み重ねていくこと
か可,
能と
の関
係)
の検
を ̄
問な
題る
のと
現し
象て
をい
見る
る観点を強調するものであ 果,
問い
に対
す証
る
「
説明」
「匚
科学的説明」
)を可
と,
はその強調点に基づいて,研究対象のどのよう で
。そして,このように図示さ
り
能とするものである ,一般命題の形に整理した
れた
『説明モデル』を
な側面のどのような関。
連つ
に焦
点
を
合
わ
せ
る
べ
き
か
まり,研究対象のどう も
の
が説明的知識となる。
を決定するものである
,焦点化される
,
『説明モデル』は,変数X
(原因)と変
いった面に光をあてるかによって 。例えば,同
ま
た 果)との一連の因果関係を匚
Y
(結
説明」する
変数や変数間の関係が決まってくる
, 数 ,変数
Zを媒介変数と
して示すことが多い。
じブラン
ドを巡る消費者行動を
対
象
と
し
て
い
て
も
,Yに直接的には影響しないとし
匚
理
論
」
と
,
心
理
学 ために ,Xは
経済学からの観点を強調
し
た
結Z
果を媒介変数とすることで,間接的な影響
,
匚
理論」とでは,対象を その
からの
観
点
を
強
調
し
た
,XとY
」
す
る
た
め
の
変
数や変数間の関連が全く異 ても
「 ̄
説明
に与
のと
し
て示
。田村は,このような
「 ̄
理論」に をY一
連え
のる
因も
果関
係
を厂
説す
明こ
」と
すが
るで
こき
とが可能と
なるものとなる
と
の
。さらに,
『説明モデル』では,各変数の表
匚
,概
よって焦点
化
さ
れ
た
変
数
や
変
数
間
の
関
連
を
な
る
」として,整合的に統合することで匚
説
。このような抽象
念モデル
記
は
抽
象
的
な
言
葉
で
表
記
さ
れ
る
明」のシステム化か可能になるとしている。
的な変数間の因果関係を匚
説明」するためには,
-
63−
」を設け,標識
各変数
を具体的にあ
わす
「
 ̄
標識
,ら
変数
間
の
相
関
として匚
説明」
間の相関
をもって
,いわば抽象的な変数
す
こ
が
で
O
標識
のる
匚
反と
射器
」き
でる
あ
り,
抽は
象
的な変数の
変化は,そ
。
したがって,標識
X
れ
自身の標
識の変
化変
で数
あ
るとZの間の相関
,
X
として
と
Z
の
間
の
相
関
を
匚
説明」
してい
くことになる
O
【説明モデル
(
「説明」のための変数関連図)
】
《原因》
, ●
一一一
一一
一一
一一
一一
一--一
一● 1
1 1 1
1 1 1
1 1 1
1 1 1
1 1 1
む 1 1 づ
1
−1111
匸
〕
[コ説
明
変
数
(独
立
変
数
)
《結 果 》
|
|
|
。−。− S−。肖 。−S
−。−S
−, |
l l l
t Z 一
一
一
一
口]従
属
・数
説明変数
(媒介変数)
|
1._。_
つ 各
変
数
を
あ
らわ
す標
識
、口 顫 1
の
原因である。
)
→ 2
変
数
間
の
因
果
の
方
向
を
示
す
(
[
二
二
卜
一
一
ql i
な
ら
ば
-→ 変数の標識
である
ことを示す
|. -
.- j
図
1 「説明」のための手だて
(
『説明モデル』の
フレーム
)
(2
『
)説明モデル』
と知,
識問
のい
構に
造対
して独立
変数や
『説明モデル』
と
は
,構造的に
示
したもの
である。
従属変数
を,
明示
し
それ
は本時の授
業で習得すべ
き説明
したがって
。次頁の図2は
『説
的知識を図示
したもの
となる
明。
モ
ル
』
と
知
識
の
構
造
の
関
係
を
示
し
も
の
で
「デ
説
明
変
数
を
取
り
出
す
た
め
に
強
調た
する
理
論あ
」
る
,複数の観
点を重ね
ることで匚
理
の設
定
に
あ
た
り
」の幅が広が
り,いくつかの匚
説明」が可能
と
論
なっている。つま
り,異なる観点か
ら変数
を取
り
-
」を重ね
ることで,それ
だ
していくつかの匚
説明
。また
,各
ぞれ
下位の説明的知識を構成
している
変数を象」
徴す
るよ
具
体
し
し
は
,
事う
象な
の
匚
説的
明な
」事
に象
不と
可
欠て
な表
分記
析
的
た匚
標識
。そ
して,これ
ら
知識や記述的知識
を示
している
,本時
いくつかの下位の説明的知
識こ
が合
わ
さ
。
のよ
うっ
にて
,異なる
の授
業の説明的知識となる ,
『説明モデル』
側
面か
ら取
り出さ
れ
た
変
数
に
よ
り
,
いくつかの
因果律が
重
な
り合
っ
を作成する
ことで
た匚
説明」が可能となる。
64−
説明的知識
図2
『説明モデル』
と知識の構造
との関係
いと知識の構造
Ⅲ 『説明モデル』
を組み込んだ中学校社会科歴 ②問
史的分野の授業
単元における問いと知識の構造は,以下の
とお
りである
。
(1
)
単元の流れ
と授
業モデル
①単元の構成
,単
『説明モデル』を組み込んだ授
業
モ
デ
ル
を
」に
おいて提示
元匚
武
と武家
権
の
成立
。士
本の
単台
元頭
は
,
士政
の
お
こ
り
か
ら,武家政権と 【単元を貫く問い】なぜ,鎌倉幕府は崩壊したのだろうか
する
,そ
して鎌倉幕府の
滅亡に
,御恩と奉公の主従関係にも
しての鎌倉幕府の
成立」を中心に扱
う。鎌倉幕府 【説明的知識】鎌倉幕府は ,武力を背景とする武家政
至るま
の
「
 ̄
鎌
倉
時
代
とづく御。
家御
人家
制人
度を
土乏
台
し
,で
御
恩
と
奉
公
に
もとづく主従関係からなる
の窮
や元寇によ
り,御恩と奉公の
権
で
あ
る
とは 」を,強固に維持
関係が成
り立たなくなった
り,御家人の権利や,
利益
を
していくことで成
御
家
匚
御家人制度 。鎌倉時代は,この
ような政権
無
視
す
る
北
条
得
宗
家
の
専
制
政
治
か
行
わ
れ
た
の
で
人の不満が高まり,倒幕運動へとつながり幕府か崩壊
立する政権である
した。
によ。
る政
治で
が,
展開
さ
れ
た
こ
と
を特永
色仁
との
す
る政
時令
代
で
そこ
匚
承
久
の
乱
」
や厂
徳
」
【分析
的知識】武
士は
武士団
を結
成
し,侍
と
【第
1時】
ある
」を
な
っ
た
り
,
国
司
か
ら
受
領
に
任
命
さ
れ
た
り
し
て
武
士
は
ど
など鎌
倉そ
時代
の歴
史
対
し
て
匚
な因
ぜ
疑探
問究
,
れ
ぞ
れ
の事象に
が
生
起
す
る
原
を
し
力
をふ
る
う者が
いた
。また,地方での
大
き
のように権
設定
し
反乱
を
しずめた源氏
と平氏が
武士の棟
梁と
して権力な
。その際,厂
時代の特色」
な
っ
て
い
っ
た
。
中
央
で
は
,
院
政
へ
の
移
行
に
よ
を
も
つ
よ
ていく授業を展開する」を枠組み
と
して匚
説明
」 うになっり,
武
士
の
進
出
が
目
立
つ
よ
う
に
な
っ
た
。
そ
し
,保
元
・平治の
乱
を勝
利に導いた
平清盛が
をあらわす
「御家
人
制
度
,
歴
史
事象の因果関係
を解明す
る
たのだろて
うかO 太
政大
臣にま
で任
じられ
権
力を握
った
。
していく,
こ時
と代
での特色を匚
理解」させていく学習
とともに
が可能になると考える。
−65−
とづ く主 従 関 係 ) を 基 盤 と す る 鎌 倉 幕 府 に よ る武
【 第2時】 【 説 明的 知 識 】 鎌 倉幕 府 は, 御 家 人 制 度 を 基
な ぜ, 承 盤 とす る 武 家 政 権 とし て 成 立 し た。 幕 府 か ら
久 の乱 に 与 え ら れる 御 恩 に対 し て , 御 家 人 は, 奉 公 と
お い て幕 して 務 め を 果 た し た。 承久 の乱 が 起 き た 時 も
府軍 は勝 こ のよ う な 御 恩 と奉 公 か らな る 御 家 人 制 度 は
利 す るこ 健 在 で あ り, 幕 府 と 御家 人 の結 束 は 固 く, 幕
とか でき 府 軍 の勝 利 とな った 。 乱 の後, 幕 府 は, 武 力
たの だろ を 背 景に し た全 国支 配を 広 げ てい っ た。
う か。
|
し
家 政 治 が 展 開 さ れ た と い う 匚時 代 の 特 色 」 を と ら
え る こ とを ね ら い と す るO 永 仁 の 徳 政 令 は, 政 治
的・ 経済的 政策 として, 御家人 と いう特定 の身分
を もつ 者 だ け の救 済 を 意 図 し た も の で あ る。 経 済
原則 を無 視し たこの ような政策 は,一 時的 な効果
は 得 ら れ た と し て も, 恒 久 的 な 効 果 は 得 ら れな い
こ とは明 らかで あっ たはずで ある。 そ れに もかか
【第3 時】 【 説 明 明 的知 識】 御家 人 の生 活 は, 分 割 相続
な ぜ, 幕 によ る 所 領 の 細 分化 や貨 幣 経 済 の浸 透 に より
府 は 永仁 窮 乏 化 し て い た。 さ ら に, 元 寇 で の 恩賞 問題
の徳政 令 や元 寇 後 の 御 家人 役 の負 担 増 大 が, 御家 人 の
を 出し た 生 活 を 一 層 苦 し くさ せ , 所 領 を 手 放 す 者 も多
のだ ろう くな っ た。 そ の た め, 幕 府 は, 御 家 人を 保護
か。
し 御 家 人 制 度を 維 持す るた めに 永 仁 の 徳政 令
を 発令 し た。
わ ら ず, こ の よ う な 法 令 が 発 せ ら れ た 原 因 に つ い
て 考 え さ せ る こ と で , 匚時 代 の 特 色 」 を 匚理 解 」
さ せ て い く。 第 3 時 で は, 匚説 明 変 数 を 取 り 出 す
た め に強 調 す る 理 論 」 及 び 『 説 明 モ デ ル 』, 生 徒
に 習 得 さ せ る説 明 的 知 識 を 以 下 の と お り 設 定 し た。
生 徒 は, 次 頁 で 示 し た 学 習 過 程 を と お し て 『 説 明
【第4 時】 【 説 明 的 知 識 】 分 割相 続 や 貨 幣 経 済 の浸 透 に
な ぜ, 鎌 よ り 御家 人 の生 活 は窮 乏 化し て い た。 さ らに,
倉 幕 府 は 元 寇 にお け る 戦 役・ 役 負 担 の増 大 や 恩賞 問題
崩 壊 した は, 御恩 と奉 公 に も とづ く幕 府 と 御 家人 と の
のだ ろう 主 従 関係 を動 揺 さ せ る もの とな っ た。一 方 で,
か。
北 条 得 宗 家 と そ の 御内 人 が 幕 府 の 実 権を 掌 握
し , 専 制 政 治 が強 化 さ れ, 御 家 人 の 不 満 も増
大 し て い っ た。 ま た, 悪 党 によ る 幕 府 体 制 へ
の反 抗 や , 後 醍 醐 天皇 によ る 倒 幕 計 画を 機 に
幕 府 に不 満を もつ 御家 人 が 離 反 し, 倒幕 の挙
兵 を 行っ た ため 鎌倉 幕 府 か崩壊 し た。
モ デ ル 』 を 作 成 し て い く こ とで , 説 明 的 知 識 を 習
得 し て い く こ と に な る。
【 中核 の問い】
な ぜ, 幕府
は 永仁 の徳
政令 を 出 し
た のだ ろ う
か。
【 説 明変 数を 取 り出 す た めに強 調 する 理論 】
分 割 相 続 や貨 幣経 済 の浸 透 , 元 寇 で の恩 賞 問
題 や 役 負 担 に よ り窮 乏 化 し て い た 御 家人 を 救
済 す る た め で はな く, 御家 人 制 度 そ の も の の
崩 壊 を 防 ぐ た め に 永仁 の徳 政 令 を 出 し た ので
は ない か。
【説明モデ ル (
「説明」 のた めの変数 関連図 】
口 ¬ 独 立変数 匸 二丿媒介変数 [C二コ 従 属変 数
③「説 明」 のた めの手 だて
本 単 元 で は ,「 な ぜ 疑 問 」 を 設 定 し た 各 時 間 に
.
サ 恆
i.-.-.- 一
一一一.-.
衢
ご鬥 顋 躓
、.、
匪 石
釘琵、 ア
ドト/ ;゛t'
陽
凖  ̄下ミi "  ̄'
 ̄ ̄
'T  ̄' [玉
おいて, 教師が指導計画で作 成した「説明 モデル」
を , 生 徒 た ち が 問 い に対 す る探 究 を と お し て 自 ら
の力 で 作 成 し て い く こ と を ね ら い と し て い る 。 し
亙 卜、
¬ 1
元寇
た が っ て , 授 業 は,「 な ぜ 疑 問 」 に 対 し て 仮 説 と
`
゜ ̄
゜題!
゜ ̄l
回 ̄
贍
問
1.-。-。-。-1
匹 ]
⊇
1
家人の
足 の御
して の『説 明 モデル』を 作成 し, 検証を 経て事象
’
の 因 果 関 係 を 「 説 明 」 す る 展 開 と な る 。『 説 明 モ
I
’
デ ル 』 は,「 な ぜ 疑 問 」 に対 す る 予 想 か ら い くつ
かの説明変 数を 取り 出し, これを 原因 と結果 の関
靆珊
国警
係 で つ な い で 作 成 す る。 そ の 際 , い くつ か の側 面
【 説明 的知 識 】
御家 人 の生 活 は, 分割 相 続に よ る所 領 の細 分化 や貨 幣 経
済 の浸 透 によ り窮 乏化 し て いた。 さら に, 元寇 で の恩 賞 問
題 や元 寇後 の御家 人 役 の負 担増 大 か, 御家 人 の生 活を 一 層
苦 し くさせ , 所領 を手 放 す 者 も多 くな った 。 そ のた め, 幕
府 は, 御家 人 を保 護 し, 御家 人 制 度を 保持 す るた め に永 仁
の徳政 令を 発 令し た。
から説明変 数を 取り 出して 仮説を設 定す こ とによ
り, 多 面 的 な 考 察 が行 え る よ う に す る。 仮 説 の 検
証 で は, 資 料 を 活 用 し な が ら, 因 果 関 係 の 証 明 を
行 い『説 明 モデル』を 完成 させて, 説明 的知識 を
習 得 し て い く。
こ こで は , 単 元 第 3時 を 例 に論 じ て い く 。 第 3
時 は , 永 仁 の徳 政 令 が 出 さ れ た 原 因 につ い て 考 え
-
る こ とを と お し て , 御 家 人 制 度 ( 御 恩 と 奉 公 に も
66 −
過
程
導
入
学 習 活動
問題意識を も
○ 主 な発 問
・ 予 想 さ れ る 子 ど も の反 応
e 子 どもか習得する知識
* 指 導 上 の 留 意 点 ・ 手 だて
O 「 元 寇 と そ の影 響 」 に つ い て 確 認 し て み よ う。 * 小 学 校 で の 学 習 を 想 起さ せ る。
・ 執 権 北 条 時 宗 の とき に, 元 が 2 度 に わ た り 襲 来 す る 。
つ
・元軍 の集 団戦法 や火器 に苦戦 する ものの, 暴風雨 にあ って
元軍は退却した。
・ 武 士 の多 く は 恩 賞 が も ら え な く て 幕 府 へ の 不 満 か 高 ま っ た。
問
歴史事 象の結
○ 匚永 仁 の徳 政 令 」 と は ど の よ う な 法 令 だ ろ う
・ 御 家 人 の借 金 な どを 帳 消 し に で き る 法 令 で は な い か 。
い
の
設
定
果を確 認する
か。
* 永 仁 の 徳 政 令 が 一 時 的 な 効 果 し か も だ な い こ と につ い て ,
@ 匚永 仁 の徳 政 令 」 は 一 時 的 な 効 果 し か 得 ら れ
生 徒 自 身 の 経 験 知 も と に 考 え さ せ, 法 令 へ の 疑 問 や 矛 盾 を 生
ず, 幕 府 へ の不 満 を 高 め る結 果 と な っ た。
じさせる。
幕 府 は, な ぜ, 永 仁 の 徳 政 令 を 出し た の だ ろ う か。
予
想
予想 ・ 仮 説 を
立て る
|
○ 予 想 ・ 仮 説 を たて ,「 説 明 モ デ ル」 で あ ら わ し て みよ う 。
* 前 時 に 習 得 し た「 幕 府 は 強 固 な 御 家 人 制 度 を 保 持 す るこ とで 承久 の 乱 に 勝 利 で き た 」
と い う 知 識 か ら「 御家 人 制 度 の 保 持 」 と い う 変 数 を 取 り 出し , 活用 さ せ る。
仮
説
の
設
定
≒刀 卻 胱
ヶ
只聆 `
`の 浸 4 豕 j )
役 旦の k
検
検証する
○検証しよう。
● 御 家 人 の 所 領 は 分 割 相 続 に よ っ て 細 分 化 さ れ, ・ 新 し く 所 領 を 与 え ら れ な い 限 り , 世 代 を 重 ね る 毎 に 御 家 人
証
御 家 人 の生 活 は窮 乏 し て い た。
の所 領 は 減少 し て生 活 も 窮 乏 化 し て い く ので はな い か。
e 自給自足を 原則 とする土 地生産 を基本 として
・ 御 家 人 は, 新 し い 経 済 のし く み に つ い て い く こ と か で き な
い た 御 家 人 の生 活 は, 貨 幣 経 済 の 浸 透 に よ り ,
か っ た ので は な い か。
窮 乏 化 し た。
・ 御 家 人 の生 活 も ぜ い た く に な っ て い た ので はな い か。
@ 元 寇 で の 戦 役 や 元 寇 後 の役 負 担 の 増 大 によ り , ・ 恩 賞 は も ら え な い の に , 戦 費 や 異 国 警 固 番 役 な ど の 役 負 担
御 家 人 の生 活 は苦 し く な っ て い た。
は大 き く, 御恩 と 奉 公 の 関 係 か 保 て な い ので は な い か。
e 御 家 人 の生 活 が 窮 乏 し , 所 領 を 売 却 ・ 入 質 す
ま
と
め
習得した知識
をまとめる
る 者 が 多 くな り , 御 家 人 役 を 果 た せ な い 者 が 増
* 無 足 の 御 家 人 の 増 加 を く い 止 め, 御 家 人 を 保 護 し て 御 家 人
え たため, 幕府 の御家人 制度か崩 壊しつつ あ っ
制 度を保 持す るた めに永仁 の徳政令 を発し たこ とに気づ かせ
た。
る。
○ 本 時 の課 題 に 対 し て ,「 説 明 モ デ ル 」 を 使 って
「 説 明 」 し て み よ う。
(2)授業実践の実際と分析
予想できた生徒がいれば,匚理論」 にせまる変数
① 仮説としての『説明モデル』の作成段階
を使って,『説明モデル』を作成することができ
一主観的理解から間主観的理解ヘー
る。次頁の図3は各グループが作成した『説明モ
幕府にとっては,単に御家人の救済だけがねら
デル』である。どのグループも因果関係を示すこ
いではない。御家人 の窮乏化かすすみ,御家人制
とのできる 匚変数」として適切なものを予想から
度が維持できなくなると幕府の基盤が崩壊してし
≪表1≫問いに対する予想の分類
まうため,御家人制度を守るために徳政令を出し
予 想 のレ ベ ル
人
内容(人数)
A 厂
御 家 人 制 度を 維 持 6 幕 府 に と っ て 奉 公 す る 者 か い な くな
ている。 したがって, 生徒がたて る予想 にも,
匚窮乏した生活から御家人を救済する」 ことの他
に,匚御家人制度そのものを維持することが幕府
す る必 要 が あ っ た」
る と 困 る(4)
に まで ふ れ て い る
御家 人 が 反 乱 を お こ し て は 困 る(2)
B 厂
御 家 人 を 救済 す る 15 御家 人 の 負担 を 軽 く して や り た い(4)
た め」 に と ど ま る
にとって必要である」といったことにつながる変
恩 賞 の か わ り と し て(3)
一 時 的 で も御 家 人 を救 って あ げ る(7)
数を取り出せるような予想(レベルA)が必要と
御家 人 の 不 満 を 解 消(1)
なる。表1のとおり,レベルAの予想をした生徒
C 「 御 家 人 窮 乏化 の 原 8 元 寇 が お こ っ た か ら(1)
はわずかであった。ただし,『説明モデル』は,
グループで作成するため,メンバーにレベルAを
67
因 」 だけ を あ げて い
恩 賞 が も らえ な か っ た(2)
る
御 家 人 の 負 担 か 大 き か っ た(5)
。また
,
「御家人の不満」や
「御
取
り出
している
」の
ような
「理論」にせまる変数
家人制
度
の
保
持
。
し
か
し
,この
段階
では
,どの
グルー
プも
,
もある
,多面的
変数間の関係に不適切なものがあった
り
なとらえ」
方が
か
っ
た
り
十こ
分
な
「説
にで
とき
どて
まい
っな
てい
る。
そと
こ不
で
,
れ
を,
明モデル
,分析
意見交流をとお
し
て
間
主
観
的
活
動の
に
さ
らし
,
『
説
明
モ
デ
ル
』
質
を
高めるこ
を
深
め
る
こ
と
で
とが
できる。≪授
業記録
≫には
,変数間の関係が
,厂
御家人制度そのものを維持する
こと
修正され
」という厂
理論
」
が
幕府に
とって必要
であったか
ら
にせま
るま
因た
果
関教
係師
がの
提
示い
さか
れ
てに
いく
過さ
程れ
がな
示さ
れ
。
,
問
け
促が
が
ら
て,
い因
る果関係
を多面的
・多角
的にとらえようと
し
も
。つま
り,仮説
と
しての
『説
ていることもわかる
,主観的な理解か
ら間
主観
的
明モデル』の作成が
過
程
を
し
て
よ
り
し
い
(科
的認
識)
へ
と導
くと
手お
だ
てと
し
て正
有
効
な理
も解
の
であ学
る
と
言え
る。
≪グルー
プD≫
図3
「各グルー
プの
『説明モデル』
」
≪授
業記録
≫
T
:グルー
プ
Dの図
をも
と
に
一
つ
に
ま
と
め
て
い
き
ま
し
ょ
う
。
グ
ル
ー
プ
D
の
図
に
対
し
て
↓修
正
や
追
加
は
り
,
御
家
人
の
負
担
が
大
き
か
っ
た
り
す
る
と
,
奉
公
を
す
る
者
が
い
な
く
なる
の
で
,
匚
御あ
家
人ま
のせ
生ん
活か
が苦
S1
:
恩
賞
が
な
か
っ
た
り
しい
」
の
前
に
「
奉
公
す
る
人
が
減
る
」
を
入
れ
て
は
ど
う
か
。
:
奉
公
す
る
人
が
減
る
」
を
加
え
る
こ
と
は
賛
成
だ
け
ど
,
匚
奉
公する人が減る」は
「御
家人の
生活が苦
しい」の後にくる
S2
。御家人の
生活が苦
しくなったの
で奉公をする人が減
って
いくの
ではないか
。
の
で
は
な
S3:
そ
れ
をい
和か
らげるために徳政令が
出され
たの
ではな
い
。
。か
本
当に御家人の
生活が苦
しかったといえるのか
。
S4:
そ
も
そ
も
匚
御
家
人
の
生
活
が
苦
し
い
」
は
必
要
な
の
か
S5:恩
賞がもらえなかった
り,警備
などの負担が続
けば生活は苦
しくなるのではないか
。
S1:御家人
の
生
活
が苦
し
くな
る
か
ら奉
公
をい
す
るは
御
家
人
が
減
っ
て
いき御
家人制度
を保持する必要が出てくるの
かな。そ
,
やは
り
匚
御
家
人の
生
活
が苦
し
」
必要
だ
と
思
う
。
れ
な
ら
ば
T
:
元
寇
後の
負担増や恩賞が
なかったことの他に
,御
家人の生活が苦
しくなっていった原因
と
して,他にも考えられ
ないだ
ろうか
。
S6:御家人の
生活が苦
し
な
っ
原
し
て
「分
割
相貧
続
」く
も
考
え
ら
れ
る
か
。
,く
御
家
人た
の
土因
地と
が
小
さ
くな
り
,
し
な
っ
てい
っの
たで
のは
でな
はい
は
な
いか。
S4:
分
割
相
続
に
よ
っ
て
T
:見
方を変えると,別の原因が考えられ
るよ
う
な
こ
と
ない
だ
う
。
,
奉
公
す
る
人が
が他
減に
るも
か
ら
だ
けろ
で
はか
足
りないの
では
ないか。
S7:御家人制度
を保持
しようとし
,御
た
原人
家
因制
は度が
崩れ
ると,幕府の
味方をする御
家人が減
り,不満
をもつ御家人が
反乱
S1 御
:家人の
生活が苦
し。
くだ
な
り
か
ら,御家人制度が
くずれ
ないよ
うに
しなけれ
ばならないの
ではな
いか
。
をお
こ
す
も
し
な
い
S7:
だ
か
らか
匚
御
家れ
人
制
度の保持」の前に
,匚
奉公す
る人が減
る」と合わ
せて匚
御
家人の
不満」を加
えてもいいの
では
ないか
。
-
68−
② 説明 的知識 の習得 段階
ど ま る ) の 生 徒 全 員 が, 説 明 的 知 識 習 得 の 段 階 で
探究 過程を とおし て完成 させ た『説 明モデ ル』
は,「 ̄
御家 人 を救 済 す るだ けで はな く, 御家 人 制
を 図 4 に示 し た。 こ れ を 命 題 化 す る こ と で , 説 明
度 そ の も の を 維 持 す る 必 要 が あ っ た か ら」 と 認 識
的 知 識 の 習 得 を 図 っ た 。 表 2 は,『 説 明 モ デ ル 』
を 変 化 さ せ て い る の が わ か る 。 ま た, レ ベ ル C
の 作 成 を と お し て 生 徒 が習 得 し た 知 識 の 分 類 を 示
(匚御 家 人 の 窮 乏 化 ) だ け を 原 因 と し て 予 想 ) の 生
し た も の で あ る。 ま た , 表 3 に は, 問 い に対 す る
徒 に も, 下 位 の 説 明 的 知 識 を 習 得 す る な ど 認 識 の
予 想 の段 階 か ら の 生 徒 の認 識 の変 容 を 示 し た。 こ
変 容 が 見 ら れ る。 こ の う ち, レ ベ ル B だ っ た あ る
こ で は ,『 説 明 モ デ ル 』 の 作 成 を と お し て , 表 1
生 徒 は 次 の よ う な 匚説 明 」 を す る こ と が で き た。
で示 し た予想 段階で のレベ ル がBまた はC だった
御家 人 の 救 済 だ け を 原 因 と考 え て い る生 徒 ) に つ
貨 幣経 済 の浸 透と 分割 相 続 によ って 御家 人 の生 活 は苦 し
か っ た。 また, 元 寇 に よる 御家 人 の負 担 と恩賞 が 少 なか っ
た こ とで, 御 家人 の生活 は苦 し か った。 だか ら, 奉公 す る
人 が減 っ たり, 御家 人 が不満 を もつ ので 御家人 制 度を 保 持
し な けれ ばな ら なく て, 永 仁徳 政令 が 出 され た。
い て , 表 2 の説 明 的 知 識 の 習 得 レ ベ ル が ① な い し
これらのことから,子どもたち自身で『説明モデ
②( 幕 府 に と って 御 家 人 制 度 を 維持 す る必 要 があ っ
た こ とを 原 因 と 考 え る 生 徒) に な っ て い る こ と が
ル』を作成していくことが,子どもたちの認識を
より正しい認識(科学的認識)へと変容させ,説
望 ま れ る。 表 3を 見 る と, 問 い に 対 す る 予 想 の 段
明的知識(下位の説明的知識を含む) の習得に有
階 で , レ ベ ル B 「匚御 家 人 を 救 済 す る た め」 に と
効なものとなったことを示すものと言える。
生 徒 の認 識 が変 容 し て い る こ と が望 ま れ る 。 つ ま
り, 予 想 段 階 で レ ベ ル B ・ C の生 徒 ( 窮 乏 化 し た
貨幣経 済の浸透
一
一
−
一
一
一
一
一
一
-
−
単 程 三石 ]
七
三
三 回 歩___._._.
図 4「 ク ラ ス で 完 成 さ せ た 『 説 明 モ デ ル 』」
≪表2≫習得した知識の分類表
≪表3≫ 生徒の認識の変容
説 明 的 知 識 の習 得 レ ベ ル
人
説 明 的知 識 と し て ① 原 因 を 重 ね 合 わ せ , 厂理 論 」 を 踏 ま え た 本質 的 因 果
10
習得で きている
要 因 につ い て 多 面 的 に 厂説 明」 し て い る。 )
下 位 の 説明 的知 識 ② 「 理 論 」 は踏 まえ て い て も, 多 面 的 な と らえ 方 が不 13
の習 得 に と ど ま っ
十 分 な た め, 本 質 的 因果 関 係 の 把 握 と ま で は 至 って
てい る
い な い。( 御家 人 制 度 を 維 持 す る 必 要 か あ っ た こ と
は「 説 明」 で き て いて も, 御 家人 の生 活 か苦 し く な っ
た 要 因 につ い て のて 説明 」 が 不十 分 で あ る。 )
③ 「 理 論 」 を 踏 まえ た 「 説 明」 に至 っ て い な い。( 御
4
家 人 を 救 済 す るこ と だ けを 原 因 と し て 「 説 明 」 し て
い る。 )
の説明的知識を含
説明 的知 識習得レベル
①
②
③
④
A「 御家人制度を
維持する必要か
あったにまでふ
れている( 6)
6
0
0
0
B「 御家人を 救済 4
するため」 にと
どまる(15)
C「 御家人窮 乏化 0
の原 因」 だけを
あげている( 8)
n
0
0
2
4
2
関 係 を 「 説 明 」 し て い る 。( 御家 人 制 度 を 維 持 す る
必 要 か あ っ た こ と や, 御 家 人 の 生 活 が 苦 し くな っ た
説明的知識(下位
予想段階のレベル
( 人数)
④ 原 因 と 結果 の 関 係 で 「 説 明 」 で き て い な い 。( 因 果
関 係 と し て 不 適 切 で あ る)
む)の習 得には至 っ
-
ていない
69 −
2
③
「時代の特色」の把握
,鎌倉時代における匚
時代の特色」
本
単
匚
御元
恩で
とは
奉公の主従関係にもとづく御家人制度
を
を基盤とした鎌
倉
幕
府
に
よ
る
武つ
家ま
政
治
が鎌
展倉
開さ
れ
。
」
と
規
定
し
た
。
り
,
時代
た時代である
」
は匚
御,
家こ
人制
度
を ̄
保明
持」
すの
るこ
で枠
成り
つし
時た
代。
れを
「
説
たと
めの
組立
みと
であり ,第3時では匚
徳政令を出さなければ
したがって
,幕府を維持でき
御家人制度を保持できなくなり
。
」という
「 ̄
説明」
なくなるので徳政令を出し。
た
表
1の予想レベルA
ができる,
こ一
と時
が的
必な
要効
とな
るか生まない永仁の徳政
果し
の生徒は
,徳政令を出してまで御家
令に矛盾や疑問を感じ
人を救済
しようとした。
その
後に
るし
もて
のに
まで
ま背
た,
仮あ
説と
の
『説
予想をめぐらしていた ,図3で示したよう
明モデル』を作成する際には
こ くつか グル が皿
→
汞 ̄
石石 ̄
晉政 ̄
齎と変数を並べ,永仁の徳政令の直
「
接の原因
と
し
匚
御
家
人
制
度
を
保
持
す
る
必て
要の
があ
」
と
して
てい
る
。
間
主
観
的
活
動
と
し
意っ
見
たから ,≪授業記録≫のの匚
御家人の生S1
活
交流では
,
か苦しくなるから奉公をする御家人が減
っ
て
い
き
」といった
御家人制度を
保
持
す
る
必
要
が
出
て
く
る
。これらのことは,匚
御家人制度を保
意見がある」を枠組みとして匚
説明」しようとし
持すること
。つまり,匚
時代の特色」を
ている
も
の
と
言
え
る
」に反映させようとしているものである。
匚
説明,検証を終え最終的に完成させた
『説明モ
授業で ,匚
理論」に基づき教師が作成した匚
本
デル』は
」とほぼ一致す
時に作成させた。
い
『説
明
モ
デ
ル
』
生徒た
ち
が
作
成
した
『説明モデ
るもので
あ
っ
た
,匚
御家人制度を保持すること」を枠組み
ル』は
,匚
時代の特色」を反
として作成して」
いに
く基
こづ
と
で
く
『説明モデル』となっ
映させた
「
 ̄
理
論
。
こ
れ
は,生徒たちが,匚
時代の特色」を
ていた
,歴史
反映した説明的知識を習得したことになり
事象の因果関係をとらえた匚
説明」
(科学的説明)
を可能にするものと言える。
IV成
果
と課
題
。
本
研
究
の
成
果
と
し
て
次
の
3
点
が
あ
げ
ら
れ
る明
①
歴
史
事
象
の
因
果
関
係
を
変
数
で
と
ら
え
る
『説
,歴
史的分野の匚
説明」
モデル』
を作成する
ことで
。
(科学
的説明)による学習
を行うことができ
た
,
間主
②
『説明モデル』
を作成」
す
る過
程
にお
を
行
う
こ
とい
でて
,主観的
観的活動と
しての厂
説明
な理解か
らより正
しい理解
(科学的認識)へ
と高
めることが
できた
。
」を枠組み
と
して
『説明モデル』
③匚
時代,
の特
色
説
明的知識を習得
していくことで,
を作成
し 」を理解
させる
ことが
できた。
厂
時
代
の
特
色
一方,課題
としては次の
2点があげられ
る。
,問いに対す
①
『説明モ
デル』の作成をとお
し
て明的知識の
,説
習
る因果関係
を
理
解
で
き
て
い
て
も
,
『
説
明
モ
デ
ル
』
で
示
した因果関係を
得段階では」する
ことができない生徒が見
られ
正
しく匚
説明
た
。説明的知識の習得段階における手だての改善
が必要である。
,
『説明モ
②授
業モデルで提示
した時代の他にも ,実践
デル』
を組み
込んだ授業の単元開,
発
を
行
い
『
説
明
モデル』
を積み
重ね
ていくことをとお
して
の有効性を明
らかに
していく。
【註及び引用
・参考文献】
剛森分孝治
『現代社会科授業理論』明治図書,1984,
p.50
同上書,pp.54-57
,
(2)
(3)
森分孝治
『社会科授
業構成の理論と方法』明治図書
1978,
p.100
(4)
神山四郎
『歴史入門』講談社現代新書,1965,
pp.185-191
(5)
前掲書(1),
pp.92-96
,科学的
森分は,C.G.
ヘンペルの論を用いながら
説明を匚
推説
論明
に的
よス
るケ
説
明」
て
三つ初
の期
種条
類件)
に分と
類
。
ッ
チとし
は,
c(
している
L(法則)が分離
していない不完全な統計的説明の
ことである。
(6)
高根正昭
『創造の方法学』講談社現代新書,1979,
p.40
(7)
同上書,
p.41
,p.78
(8〉
同
同上
上書
書,p.81
(9) 一彦匚
社会事象
と問いと内容」
『教育科学社会科
⑩
岩田
教
育No.228
』,
pp.116-124,
明
治
図
書,
p.117
ーチ
・デザ
イ
ン
ー
経営1982,
知識創
造の基
圓田
村
正
紀
『
リ
サ
本技術』白桃書房,2006,
pp
ユ4-20
−70−