8月18日(土)・19日(日) 暑い夏が続いておりますが、みなさんはどのようにお過ごしでしょうか。 ぶらぶらプロジェクトも今回で6回目となりました。今回は、江戸の夏をテーマ に、涼しげな衣装を身にまとった町人たちが、軽やかに常設展示室内を歩き 回ります! 暑い日差しが照り付ける両国広小路に、夏の商売の代表「水売り」の「ひゃっこい、ひゃっ こい」という売り声が響きます。 もちろん、冷蔵庫も製氷機もない時代、ほんとうに冷たい水ではないけれど、幟に「瀧水」と 書いて涼をそそっています。中に砂糖と塩が入っているため、現代のスポーツドリンクのよ うな効果があって、汗をかいた身体にはありがたい飲み物です。 江戸の水売り/Street water seller 通常の吉原通いの客以外にも、夏になると隅田川の納涼や花火見物の客がくるので、船待 ちの客や、宿で酒盛りをする客の相手で大忙しです。 髪型は「勝山」という、既婚者や粋筋の中年女性が多くしていた髷。着物は「御端折(おはしょ お)り」をせず、わざと裾を引いた「引着」にして、帯も前帯で女将の貫禄です。化粧も既婚者 で子持ちということなので、眉を剃り、歯はお歯黒です。 船宿女将/A hostess of boathouse 両国に遊びに来るのは江戸っ子ばかりではありません。参勤交代の大名に従って 江戸屋敷に詰める地方出身の勤番(きんばん)武士も、勤めの間には積極的に江戸 見物をしていました。神社仏閣以外にも地方にはない盛り場などが人気のスポット でした。 髪型は「野郎(やろう)髷(まげ)」と呼ばれる、下級武士が一般にしていた髷。武士が 外出するときは原則、羽織・袴で二本差し。勤番武士は、羽織の裏地に浅葱(あさ ぎ)木綿を使っていたため、羽織の裏地におしゃれをしていた江戸っ子から「浅葱(あ さぎ)裏(うら)」と呼ばれ、無粋な象徴とされていました。 勤番武士 大田原/A low-class warrior Mr.OOTAWARA 日本橋芸者の竹奴、船宿女将、茶屋の娘 お駒がつけている紅は、文政8年創業の老舗・伊勢半本店から ご協賛いただきました「本紅」を使用しております。江戸時代と同じ紅の美しさをご覧下さい。 大川端(隅田川)に日が落ちる頃になると、そろそろ夕涼みをしようという人たちが、通 りに出てきます。通人(つうじん)気取りの大店の若旦那もこれから吉原へ遊びに行こう としてか、目いっぱいのおしゃれをしています。 髪型は「病(やまい)本多(ほんだ)」という、吉原などに出入りした男性に流行った髪形 で、病気でもないのに不健康そうに見せる方がもてたのです。 着物は呂(ろ)という透ける生地なので、長襦袢(ながじゅばん)の模様が微妙に見える のがおしゃれです。羽織は白地の麻の紗(しゃ)。これも下の着物の色が透けて見える ことを意識した重ね着です。 通人の若旦那/Playboy, the young master of a mercantile house 両国広小路には見世物小屋や食べ物の屋台もたくさんありました。その中に 「水茶屋」と呼ばれる喫茶専門の茶屋もあり、美しい看板娘でお客を誘ってい たのです。 髪型は「島田髷」という独身女性が一般にしていた髷。着物は夏らしく大柄の 花柄で、「だらり結び」の帯も短めに結んで、軽快にしています。 化粧は当時流行していた口紅を何層も塗り重ねて深緑に見せる「笹紅」をして います。 茶屋の娘 お駒/A tea-house girl Miss OKOMA 両国周辺には料理茶屋が多くあり、夏の宵は花火見物を兼ねた客で賑わい ました。そのため、芸者さんは引っ張りだこ。これからどこかのお座敷に呼ば れていくところでしょうか。 髪型は文化文政期に流行った「燈篭(とうろう)鬢(びん)」という耳の上部の髪 を大きく張った島田髷です。化粧はきりっと細く引いた眉に、口元を江戸時代 美人の条件だった小さな口に見せるために紅は小さく塗っています。 芸者・竹奴/Geisha ぶらぶら町人を特別解説! 11:20~11:50 / 13:20~13:50 / 14:20~14:40 / 15:20~15:50 / 16:30~16:50 時代考証家・山田順子氏による、江戸風俗の解説を開催! ぶらぶら町人たちの服装、髪型などなどを詳しく解説していただきます。 中村座前にお集りください!
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