大気圧プラズマジェットによる金型や摺動部材の 表面硬化法

特
集
革新的製造技術の新展開
大気圧プラズマジェットによる金型や摺動部材の
表面硬化法
市
來
龍 大*1・永 松 寛 和*2・井 上 貴 史*2・山 本 宏
吉 田 昌 史*3・赤 峰 修 一*4・金 澤 誠 司*5
文*2
Ryta Ichiki・Hirokazu Nagamatsu・Takashi Inoue・Hirofumi Yamamoto・Masashi Yoshida・Shuichi Akamine・Seiji Kanazawa
■ *1 大分大学工学部
助教 博士(理学) *2 大分大学大学院工学研究科 博士前期課程 *3 静岡理工科大学 准教授 博士(工学)
*4 大分大学工学部 技術職員 *5 大分大学工学部 准教授 学術博士■
1.は じ め に
鉄鋼の表面硬化技術のひとつに,窒素(N)
原子を鉄に固溶させ硬化させる窒化処理法が
ある1~4).窒化処理では鉄鋼の最表面に窒化
鉄からなる「化合物層」が 1 m オーダーの
厚さで形成され,その下部には深さ 100 m
程度まで鉄の結晶に N 原子が固溶して硬化
した「拡散層」が形成される.拡散層は耐摩
耗性・疲労強度を向上させ,化合物層は耐食
性・耐焼付性を改善する.窒化処理は各種金
型,機械の摺動部に適用されており,今日で
は特に自動車産業で欠かせない技術である.
窒化処理には幾つか手法があるが,低圧下で
の DC(もしくはパルス DC)放電を用いたプ
ラズマ窒化(イオン窒化)法が広く普及してい
る1~4).プラズマが利用される理由は,気相
中での化学反応により窒化処理に必要な活性
種が多く生成されるためである5~7).しかし
イオン窒化では大規模な真空装置を必要とす
るため設備が高価であり,またバッチ処理の
作業時間および作業工程が増える.プラズマ
を用いた窒化技術が大気圧下で可能になれば,
より簡便な処理,設備投資の低減,安価な部
品製造ラインへの導入の実現につながると期
待される.
これを実現すべくわれわれは,大気圧下で
生 成 さ れ る パ ル ス ア ー ク 型 (PA) プ ラ ズ マ
ジェットによる窒化処理の研究を推進してき
た.数多くの種類が存在する大気圧プラズマ
から PA プラズマジェットを選択した理由は
以下のとおりである.第一に,窒化処理に必
要な N 原子等が生成されることが報告され
て い る 8 ~ 10) . 第 二 に , パ ル ス 励 起 に よ り
ジェットプルームの温度が制御できるため,
DC アークとは異なり金属表面の溶融により
表面粗さを上げることがないと考えられる.
一方,プラズマジェットという特性上,大面
積処理に不向きという短所があるが,「局所
的硬化処理」という新規シーズの提供に工業
的価値があると考えている.これに関しても
PA ジェットは利点を有しており,窒素雰囲
気中ではプルームが 200 mm 程度まで伸長す
ることが分かっているため8),比較的広い範
囲,もしくは高アスペクト比の穴やスリット
の内壁が硬化できる可能性がある.
われわれは初期の調査において,窒素
(N2)ガス置換された大気圧処理雰囲気にお
いてもわずかな残留酸素(O2)により鉄鋼試
料の表面が酸化し,窒化が阻害されることを
つきとめた.そこで,残留酸素を還元し酸化
を防ぐために水素(H2)ガスを雰囲気中に導
入することで,窒化処理による鉄鋼の表面硬
化が原理的に可能であることを実証した11, 12).
校 正 用
2013 年 11 月号
〔〕1
ここでは,H2 導入量が窒化層の形成に与え
る影響について説明し,処理結果をふまえプ
ラズマジェット窒化のメカニズムについて議
論を行う.さらに,H2 添加法を変更するこ
とにより,窒化処理に必要な H2 量を 1/20 程
度に大幅に低減した結果について報告する.
2.表面硬化法
2.1 パルスアーク型プラズマジェット
図1(a)に示されるステンレス製同軸円筒
型電極ノズル中に N2 ガスを 20 L/min で導入
し,高周波電源(plasmatreat 社 FG3001)によ
り印加電圧 4.5 kV,放電電流 1 A,周波数 21
kHz のパルスアーク放電を発生させる.典型
的な電圧電流特性を図1(b)に示す.生成し
たパルスアークプラズマのアフターグローを
ノズル先端のオリフィスから噴射することに
より,ジェットプルームを発生させる.
2.2 プラズマジェット窒化処理
本処理実験では,供試材として熱間工具鋼
SKD61(Cr 5 %,Mo 1 %,Si 1 %,C 0.4%)
を用いた.円盤形(直径 20 mm,厚さ 4 mm)
に加工した試料を 600 Hv 程度の硬さに熱処
理した.試料表面をアルミナ研磨剤(0.3 m)
で鏡面研磨し,アセトンによる超音波洗浄で
脱脂した.図2に示されるステンレス製密閉
容器(内径 153 mm,深さ 223 mm)の中にセ
ラミックヒーターを設置し,その上に試料を
配置した.プラズマジェットノズルは容器上
部から挿入した.容器下部には 3/8 インチ管
の排気口が 4 本付いており,ノズルから窒素
ガ ス を 導 入し 密 閉 容 器中 の 窒 素 置換 を 15
min 行った.窒素置換により雰囲気中の酸素
濃度を 1 %以下に下げるとプルーム長が 20
mm から 200 mm 程度に伸長することが知ら
れており8),われわれも同様の現象を確認し
た.窒素置換後にプラズマジェットを点火し,
ジェットを試料上面に照射し,ヒーターによ
り 処 理 温 度 を 530°C に 設 定 し て 2 h 処 理 を
行った.今回,ノズル-試料間距離は試料表
面の異常加熱が起こらないという理由から
15 mm に設定した.N2 流量は 20 L/min とし,
H2 添加量を変化させ窒化処理を行った.こ
こでは, 2 つの H2 添加法を紹介する.一方
校 正 用
図1 パルスアーク型プラズマジェット.(a) 電極ノズ
ル.(b) 典型的な印加電圧および放電電流波形
2〔〕
図2 実験装置の概略図
ケミカルエンジニヤリング
図3 処理中のプラズマジェットプルームの写真
図4 試料断面の金属組織写真
は H2 ガスを密閉容器のポートから処理雰囲
気中に導入する手法(雰囲気添加モード)であ
り 11),他方は H2 ガスをパルスアーク放電の
動作ガスに混合する手法(動作ガス添加モー
ド)である 12).図3は試料にジェットを照射
し処理を行っている写真である.
金属組織観察はナイタールエッチング後に
光学顕微鏡(ニコン MM-800/LMU)を用いて
行った.化合物層の相の評価には X 線回折
(XRD)装置(日本フィリップス x'pert,Cu-K
線)を用いた.試料中の窒素濃度分布は,電
子 線 マ イ ク ロ ア ナ ラ イ ザ ー (EPMA)( 島 津
EPMA-1720)を用いて測定した.硬さの評価
はマイクロ Vickers硬さ試験器(Akashi HM102)により行った.ジェットプルーム中の励
起種の観測には,発光分光計測(Andor SR500i-B1)を用いた.
校 正 用
3.処理層の特性
図5 窒素濃度の深さ方向分布
る.さらに深い場所でも有限の窒素濃度が観
測されており,これは拡散層がN原子の拡散
により硬化していることを示している.これ
らの結果より,われわれは鉄鋼試料は確かに
窒化処理により硬化していると結論した.
3.1 窒化層の基礎特性
図4は典型的な窒化層断面の金属組織写真
である.最表面の白い層が化合物層であり,
XRD 分析の結果,主に -Fe2-3N 相からなる
ことが分かった.化合物層の下部に広がる黒
色の層が拡散層に対応している.拡散層の硬
さ分布は後に示す(図6,7).得られた金属
3.2 水素添加法・添加量の影響
図6は「雰囲気添加モード」で窒化処理し
た後の試料表面付近の硬さ分布であり,横軸
が円盤試料の径方向( 0 mm は照射中心),縦
軸が表面からの深さである.Vickers 硬さは
色の濃淡で表している.ここでは水素添加量
を変化させ,硬さ分布がどう変化するかを示
組織は従来の窒化処理法により得られるもの
と同様のものであった13).
図5は,EPMAにより得られた窒化試料断
面の窒素濃度の深さ分布である.最表面付近
数mまでのピークは化合物層に対応してい
している.図より,H2 流量が 4 L/min の場合
が最も深く硬化していることが分かる.すな
わち,H2 流量には窒化処理に最適な値があ
り,H2 流量が多すぎても少なすぎても硬化
層の厚さが減少することが分かった.一方,
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〔〕3
図6 雰囲気添加モードで窒化処理された試料断面の硬さ分布
図7 動作ガス添加モードで窒化処理された試料断面の硬さ分布.
図7は「動作ガス添加モード」で窒化処理し
た後の試料の硬さ分布である.このモードに
おいても H2 流量には最適値があることが明
らかとなった.
最適な H2 流量での硬化深さは両モードと
も 100 m 弱で同等であり,これは従来のイ
オン窒化法と同様の硬化深さである13).ここ
で重要なことは,動作ガス添加モードの場合,
最適な H2 流量が雰囲気添加モードの 1/20 で
ある.さらに,動作ガス添加モードの方が硬
化範囲が広いことが分かる.すなわち,動作
ガス添加モードを採用すれば,使用する H2
量の大幅な低減および硬化範囲の拡大が達成
されることが明らかとなった.
校 正 用
3.3 生成される活性種の調査
ジェットプルームの発光分光計測により,
H2 ガスを導入しない場合は N2 分子の第二正
帯が顕著であるが,両モードにおいて H2 の
導入に伴い,NH ラジカルからの発光(336.1
nm)が最も顕著となることが分かった12).図
8は NH ラジカル発光スペクトル強度の H2
流量依存性を示している.いずれの H2 添加
4〔〕
図8
NH ラジカル発光強度の H2 流量依存性
モードにおいても,H2 のわずかな導入で NH
ラジカルの発光強度は最大値を迎え,H2 流
量の増加とともに発光強度が減少していくこ
とが分かる.この現象の原因は調査中である.
ここで強調すべきは,横軸スケールに 40 倍
の違いがあるにもかかわらず,動作ガス添加
モードでも雰囲気添加モードとほぼ同じ NH
発光強度が得られていることである.
ケミカルエンジニヤリング
4.窒化メカニズムの提案
前章で紹介した調査結果を踏まえ,ここで
はプラズマジェット窒化処理において H2 流
量の最適値がある理由および動作ガス添加
モードで H2 流量を低減できる理由について
考察する.
まず発光分光計測の結果より,プラズマ
ジェット窒化処理では NH ラジカルが N 原
子を鉄鋼表面に輸送する役割を果たしている
と考えられる.アンモニア(NH3)ガスを用い
たガス窒化処理においては,鉄鋼表面におけ
る触媒作用により,NH3 が NH2,NH へと段
階的に解離し,最終的に N 原子の表面拡散
が達成されることが知られている1).すなわ
ち,NH ラジカルに鉄鋼の窒化処理を達成す
る能力があることは既知の事実であるため,
プラズマジェット窒化処理においても NH ラ
ジカルが重要であるという結論は自然なもの
である.これが事実であるという前提で話を
進めると,H2 流量が多すぎる場合の硬化層
深さの減少は,図8に示される NH ドーズ量
の減少に起因すると思われる.一方,H2 流
量が少なすぎる場合の硬化層深さの減少は,
H2 の還元力不足により残留 O2 が完全に排除
できず,鉄鋼表面の酸化が進みN原子拡散が
阻害されていることが考えられる.これは文
献 11 で報告したように,H2 を添加しなけれ
ば試料表面は酸化し窒化処理が全く達成され
ない事実とも矛盾せず,さらにわずかに窒化
が達成された場合でも(例えば図6の左端),
試 料 表 面 の XRD ス ペ ク ト ル に わ ず か な
Fe2O3 由来のピークが見られる事実も証拠と
なる12).従って,プラズマジェット窒化処理
に最適な H2 流量は,「NH ラジカルの生成」
と「雰囲気中の残留 O2 の還元」のバランス
によって決まると結論した.
続いて,動作ガス添加モードにおいて最適
な H2 流量が雰囲気添加モードの 1/20 に低減
される理由について考察する.図8の分光計
測結果から,動作ガス添加モードでの NH ラ
ジカル生成効率は雰囲気添加モードよりも高
いと推測される.これは,前者ではパルス
アーク放電部へ直接 H2 を供給するため,高
エネルギー電子を含めた活発な化学反応によ
り,H2 導入量が少なくても NH が高効率で
生成されるためと考えられる.これにより,
動作ガス添加モードにおいては H2 流量が少
なくても十分な NH ドーズ量が得られるので
はないかと推測している.これらをより明確
化するには,詳細な素過程の調査が必要であ
る.
5.お わ り に
大気圧窒素雰囲気中においてパルスアーク
型プラズマジェットを鉄鋼表面に照射するこ
とで,窒化処理による表面の硬化が可能であ
る.しかしこれには H2 ガスの導入が必須で
ある.今回得られた結果は以下の通りである.
1.窒化処理を達成するための H2 ガスの添
加量には最適値が存在する.
2.動作ガス添加モードを採用することによ
り,窒化処理に必要な H2 量を 1 桁以上低減
することができる.
3.以下の窒化メカニズムを提案した.プラ
ズマジェット窒化処理では NH ラジカルによ
り鉄鋼表面に N 原子が供給され,H2 流量の
最 適 値 は 「 NH 生 成 量 」 と 「 残 留 O2 の 還
元」のバランスにより決まる.
NH の生成量や残留 O2 量はもちろん使用す
る装置や環境によって異なるが,今回見られ
た「H2 流量に最適値が存在する」という定
性的な特徴はユニバーサルなものであると考
えられる.
本研究成果は,金型や摺動部材の局所的硬
化という新規技術の普及につながると期待さ
れる.また,これまでは困難であった高アス
ペクト比の穴もしくはスリット内壁の硬化処
理を達成する可能性についても検討を行って
いる.さらに,密閉容器を必要としない大気
下での窒化処理の可能性も追求していく考え
である.
校 正 用
2013 年 11 月号
〔〕5
8)Y. Takemura, Y. Kubota, N. Yamaguchi, T. Hara, IEEE Trans.
参考文献
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加強,小野
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6〔〕
ケミカルエンジニヤリング