集団疎開が 始 ま る

写真で見る戦争の記憶
第
特集 3 ❖ 戦時下の学童・生徒
1
部
戦時下の子供たちは、どのような暮らしをしていたのでしょうか。
現存する数少ない写真を見ると、そこには食料に乏しくても、遊び道具はなくても、
たくましく育ち、学び、生き抜いている姿がありました。
上里町
行田市
神田小 238人
千代田区域からの
学童集団疎開先
本庄市
本庄市
神田小 67人
錦華小 299人
芳林小 191人
小川小 74人
羽生市
深谷市
美里町
長瀞町
行田市
熊谷市
寄居町
小川町 嵐山町
東秩父村
小鹿野町
鳩山町
川島町
入間市
南アルプス市
淡路小 106人
吉川市
吉川市
越谷市
さいたま市
ふじみ野市
富士見市
川口市
志木市
三芳町
蕨市
朝霞市 戸田市
所沢市
淡路小
107人
草加市
三郷市
越谷市
八潮市
佐久間小
218人
和光市
八潮市
さいたま市岩槻区
佐久間小 100人
練成小 262人
神龍小 237人
大月町
麹町小 104人
東郷小 78人
埼玉県
甲州市
甲府市
上野原市
大月市
昭和町
中央市
富士川町
松伏町
松伏町
北杜市
甲斐市
小川小 155人
春日部市
上尾市
新座市
韮崎市
春日部市
宮代町
伊奈町 蓮田市
川越市
狭山市
小菅村
今川小 78人
杉戸町
白岡市
日高市
飯能市
丹波山村
白岡市
幸手市
鶴ヶ島市
毛呂山町
秩父市
北本市
桶川市
坂戸市
越生町
横瀬町
小川小 43人
久喜市
吉見町
東松山市
ときがわ町
杉戸町
加須市
鴻巣市
滑川町
皆野町
山梨市
幸手市
神川町
錦華小 170人
山梨県
今川小 273人
芳林小 183人
千桜小 492人
西神田小
西神田小 80人
275人
上里町
神川町
久喜市
加須市
羽生市
橋本小 236人
東郷小 89人
上野原市
笛吹市
市川三郷町
西桂町
都留市
麹町小 216人
都留市
富士河口湖町
道志村
早川町
忍野村
鳴沢村
身延町
富士吉田市
山中湖村
富士見小 181人
山中湖村
富士吉田市
番町小 121人
富士見小 246人
富士河口湖町
永田小 297人
南部町
(千代田区教育委員会『学童疎開からみる子どもたちの生活』および
『千代田区教育百年史』に記載されている表をもとに作成)
そ かい じっ し よう こう
18
け
12
集団疎開が始まる
し
戦況の悪化で日本本土への空襲が懸
ね ん
念される中、昭和 (1943)年
と
月に都市の住民や建物を分散させる
「都市疎開実施要綱」が決定されまし
えん こ
た。これによって、老人や幼児・学童
を地方の親類などに預ける縁故疎開が
進められましたが、実害がなかった時
期ということもあり、あまり実践され
月、いよ
3
ませんでした。しかし戦況が悪化して
きた昭和 (1944)年
いっ ぱん そ かい そく しん よう こう
いよ本格的に児童を都市から疎開させ
年生から 年生にあ
6
る「 一 般 疎 開 促 進 要 綱 」 が 定 め ら れ、
東京都では小学
たる児童を対象に、集団疎開させるこ
ととなりました。
千代田区の前身である麹町区と神田
区のうち、麹町区は山梨県東部に、神
田区は埼玉県東部に疎開先として割
が く りょう
り 与 え ら れ ま し た。 各 学 校 は、 地 元
と 直 接 交 渉 し て、 学 寮 と な る 寺 院 や
がく と きんろう
きんろうほう
旅館などの施設を決めていきました。
じゅう じ
一方、中学生以上の生徒は学徒勤労
ど う い ん か
ぐ ん じ ゅ こ う じょう
動員に駆り出され、軍需工 場 や食料生
し
産の現場で働く労働力として、勤労奉
仕に 従 事しました。
3
19
未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
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第1部
写真で見る戦争の記憶
疎開地へ出発前の壮行会
(芳林国民学校=昭和館提供)
疎開学寮にて登校準備
(芳林国民学校=昭和館提供)
防空頭巾をかぶっての授業
(麹町国民学校=千代田区教育委員会所蔵)
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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
親元を離れて
写真で見る戦争の記憶
特集 3 ❖ 戦時下の学童・生徒
厳しい環境の中でもたくましく
聖福寺の本堂での食事
(芳林国民学校=昭和館提供)
権現堂碑の前で遊ぶ
(芳林国民学校=昭
和館提供)
疎開学寮の聖福寺にて相撲を取る 6 年生
(芳林国民学校=昭和館提供)
家族間の手紙(麹町国民学校=千代田区教育委員会所蔵)
愛知県で勤労奉仕している兄から、
疎 開 先 の 妹たちへ 送ったはがき。
いろいろと心配は尽きない。
疎開先の妹から、愛知県で勤労奉仕
に出掛けている兄への手紙。毎朝
乾布摩擦していることや、近所の神
社での遊びについて書かれている。
父親から疎開先の娘宛の書簡。疎開か
ら少したった頃の手紙で、面会のこと、
冬物を送ったことが書かれている。
未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
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第1部
写真で見る戦争の記憶
疎開先である幸手国民学校での授業風景
(芳林国民学校=昭和館提供)
栗橋町の松ノ湯前での集合写真
(芳林国民学校=昭和館提供)
終戦を迎え、
郷里へ
帰京のため、疎開先を引き揚げる児童たち
(芳林国民学校=昭和館提供)
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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
聖福寺の本堂で勉強をする 3 年生
(芳林国民学校=昭和館提供)
写真で見る戦争の記憶
特集 3 ❖ 戦時下の学童・生徒
戦争に翻弄された学生たち
ほん
ろう
〈男子学生編〉
いそ
太平洋戦争末期には、兵役につく年齢が 18 歳に引き下げられました。学業に勤しむは
ずだった時間は戦争のために充てられ、学ぶ機会を取り上げられた男子学生たちは次々
に戦場へと送られていきました。
武装して行う実践的な「軍事教練」は大学の必修科目だった
(明治大学史資料センター所蔵)
陸軍の「教育召集」前に、小川町 3 丁目の
旧昇龍館本店前で
(神田公園地区連合町会ホームページ「大好き神田」所蔵)
昭和 19 年頃には、中学生でさえ軍需工場の
深夜労働を強いられた
(毎日新聞社)
昭和 18 年 10 月、神宮外苑での「出陣
学徒壮行式」で行進をする大学生たち
(毎日新聞社)
未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
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〈女子学生編〉
第1部
授業のひとつとしてなぎなたや救護・看護訓練が行われていました。昭和 19 年には「学
徒勤労動員」が閣議決定され、12 歳以上のすべての生徒が工場で働くこととなり、女
子も軍需工場での兵器製造や力仕事にあたりました。
写真で見る戦争の記憶
担架を使った女子学生による救護訓練の様子
(明治大学史資料センター所蔵)
昭和 14 年、運動会でのなぎなた演技
(麹町小学校所蔵)
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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集
新宿駅で貨物整理に励む女子挺身隊
(毎日新聞社)
山川製薬において、勤労奉仕に励む女学生たち
(共立女子学園所蔵)