時の話題第11号

時 の 話 題 ~平成27年度 第11号(H28.2.29調査情報課)~
障害者スポーツ
の振興
1
2020 年パラリンピック東京大会は、1964 年以来 56
年ぶり、世界で初めて同一都市で2度目に開かれる
大会となる。障害者スポーツは、障害者のみならず
子供や高齢者等、誰もが取り組むことのできるスポ
ーツとしての側面を持つことから、スポーツ全体の
振興を推し進め、共生社会の実現にも貢献するもの
として期待されている。障害者スポーツの概要や現
状、国や都の取組についてまとめる。
障害者スポーツの概要
(1)定義と意義
障害者スポーツとは、障害があってもスポーツ活動ができるよう、障害に
応じて競技規則や実施方法を変更したり、用具等を用いて障害を補ったりす
る工夫・適合・開発がされたスポーツのことを指す。そのため、アダプテッ
ド・スポーツとも言われる。当初は医学的なリハビリテーションを目的とし
て発達した側面もあるが、現在では、障害のある人のみならず、障害のない
人も参加する場面がみられる。
障害のある人にとって障害者スポーツは心身の健康の保持・増進、体力向
上、楽しみや余暇活動、リハビリテーションや医療・治療、社会参加の機会
の増大といった意義がある。また障害のない人にとっても、実施する人に合
わせて用具やルールの工夫がなされるという特性から、子供から高齢者、運
動が得意でない人等、誰もが取り組むことのできるスポーツとしての側面を
持ち、ライフステージに応じたスポーツ活動の促進によって、健康寿命の延
伸や寝たきり予防等の効果が期待されている。さらに社会全体にとって、ス
ポーツ全体の振興を推し進め、共生社会の実現にも貢献することができるな
ど、障害者スポーツ振興の意義は極めて大きい。
図1 車椅子バスケットボール(下)
、車椅子マラソン(右)
出典:平成 27 年 12 月 東京都「2020 年に向けた東京都の取組-大会後のレガシーを見据えて-」
- 1 -
(2)歴史と主な競技大会
① 歴史
障害者スポーツは障害のある人の治療の一環として行われていたが、障害
者自身が組織をつくり自発的にスポーツ活動を始めたのは 19 世紀以降と言わ
れている。障害者スポーツのこれまでの流れは、次のようになる(図2)
。
図2 障害者スポーツのこれまでの流れ(主なもの)
年
1888
主な出来事
明治21 ドイツで聴覚障害者のためのスポーツクラブ創設
(第一次世界大戦(1914~1917))
1922
大正11 イギリスで身体障害者自転車クラブ創立
1924
大正13
第1回デフリンピック夏季競技大会(フランス・パリ) ※P3参照
日本は1967年の第6回大会から参加。
(第二次世界大戦(1939~1945))
1948
昭和23
英国ストーク・マンデビル病院スポーツフェスティバル開催
16名の車椅子患者によるアーチェリー大会。
1952
昭和27
1960
昭和35
第1回国際ストーク・マンデビル大会(イギリス・エイルズベリー)
オランダが参加、130名で開催。日本は1962年の第11回大会から参加。
1964
第1回パラリンピック夏季競技大会(イタリア・ローマ)
参加資格は脊髄損傷のみ。
第2回パラリンピック夏季競技大会(日本・東京)
昭和39 2部構成で開催。第1部はローマ大会に続く国際ストーク・マンデビル大会、第2部は全ての身体障害者と西ドイツの招
待選手による国内大会。
1968
第1回スペシャルオリンピックス夏季世界大会(アメリカ・シカゴ) ※P4参照
昭和43 ケネディ財団により創設、知的障害のある人にスポーツトレーニングの場と成果の発表の場となる競技会を、年間を
通じて提供する。夏季と冬季それぞれ4年に1度世界大会を開催。
1975
第1回フェスピック競技大会(日本・大分)
昭和50 極東・南太平洋地域の身体障害者スポーツ大会として日本の呼びかけで開催。基本4年に1回夏季パラリンピックの中
間年に開催。2010年以降、アジアパラ競技大会に統合される。
1976
昭和51
第5回パラリンピック夏季競技大会(カナダ・トロント)
脊髄損傷者に加え、視覚障害者等の選手も出場。
第1回パラリンピック冬季競技大会(スウェーデン・エンシェルツヴィーク)
日本は1984年第3回大会から参加。
第8回パラリンピック夏季競技大会(韓国・ソウル)
1988
昭和63
1989
オリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを初めて連動させる。会場も、オリンピック会場を使用。
昭和64 国際パラリンピック委員会(IPC)設立
1998
平成10 第7回パラリンピック冬季競技大会(日本・長野)
2000
第11回パラリンピック夏季競技大会(オーストラリア・シドニー)
平成12 IOC・IPC間の協力関係強化に関する合意成立「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリン
ピックを開催しなければならない」。
出典:平成 27 年2月 公益社団法人日本障がい者スポーツ協会「障がい者スポーツの歴史と現状」より作成
② 主な国際競技大会
ア)パラリンピック競技大会
パラリンピック競技大会の原点は 1948 年、ロンドン郊外のストーク・マン
デビル病院内で行われたスポーツ大会である。当初は車いす使用者だけで行
われていたが、その他の身体障害者の参加が進み、現在ではオリンピック終
了後に同じ開催地で開催される障害者スポーツの最高峰の大会(聴覚障害者、
知的障害者を除く※)として発展を続けている。
- 2 -
※知的障害者のパラリンピック参加
1996 年のアトランタ大会で知的障害者の参加が認められたが、2000 年シドニー大会で行われた知
的障害者のバスケットボールにおいて健常者が知的障害者と偽って出場したことから、知的障害者のパ
ラリンピックへの参加は凍結されていた。2012 年ロンドン大会で一部復活が認められている。
〈参考:パラリンピックの正式競技とシンボルマーク〉
アーチェリー、陸上競技、ボッチャ、自転車、馬術、視覚障害者5人制サッカー、
夏季(20競技) 脳性麻痺者7人制サッカー、ゴールボール、柔道、パワーリフティング、ボート、
(2012年ロンドン大会)
セーリング、射撃、水泳、卓球、シッティングバレーボール、車椅子バスケットボール、
車いすフェンシング、ウィルチェアーラグビー、車いすテニス
冬季(5競技)
アルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリー、アイススレッジホッケー、
車いすカーリング
〈パラリンピックのシンボルマーク〉
「スリー・アギトス(私は動く)」と呼ばれ、青・赤・緑
の世界の国旗で最も多く使用されている三色で構成される。
三色の曲線は「動き」を象徴しており、世界中から選手を集
わせるというパラリンピックムーブメントの役割を強調し
たものとなっている。また、パラリンピアンの強靭な意思を
表したパラリンピックのモットー「スピリット・イン・モー
ション」や、パラリンピック選手が常に世界をインスパイア
し感動させていること、常に前進しあきらめないことも表現
している。
出典:日本パラリンピック委員会ホームページ
イ)デフリンピック競技大会
デフリンピック(Deaflympics)競技大会とは、
〈デフリンピックのロゴマーク〉
聴覚障害者のオリンピックというべき最高峰の大
会。歴史はパラリンピックより古く、第 1 回大会は
1924 年にフランス・パリで開催された。コミュニケ
ーションが全て国際手話により行われ、競技はスタ
ートの音や審判の声による合図を視覚的に工夫す
る以外、オリンピックと同じルールで運営される。
正式競技は、夏季は陸上、水泳、卓球、テニスなど
19 競技、冬季はアルペンスキー、スノーボードなど
5競技。4年ごとに夏季競技大会と冬季競技大会が
手の形が「OK」
「GOOD」
「GREAT」を意味するサインが
重ねられ、
「結束」を表現してい
る。
出典:全日本ろうあ連盟ホーム
ページデフリンピック啓発ウェ
ブサイト
開催される。直近では 2013 年第 22 回夏季デフリンピックがブルガリア・ソ
フィアで、2015 年冬季デフリンピックがロシア・ハンティマンシークスで開
催されている。2013 年夏季大会には 75 か国から約 5,000 人が参加し、日本か
らも 149 名の選手が参加した。次回は 2017 年夏季大会が、トルコ・アンカラ
で開催予定である。
- 3 -
ウ)スペシャルオリンピックス
スペシャルオリンピックスとは、知的発達障害のあ
〈スペシャルオリンピ
ックスのロゴマーク〉
る人たちに、オリンピック種目に準じた様々な競技の
継続的なスポーツトレーニングとその成果の発表の場
である競技会を提供し、知的発達障害のある人の社会
参加を応援する国際的な活動である。1962 年に故ケネ
ディ大統領の妹が自宅の庭を開放して開いたデイ・キ
ャンプが始まり。4年に1度ナショナルゲーム(全国
大会)の開催と世界大会への選手団派遣が行われてい
る。直近では 2015 年夏季世界大会がアメリカ・ロサン
ゼルスで開かれ、164 か国から 8,500 名以上の選手団
〈参考〉
Q:
「スペシャルオリンピ
ックス」の名称はなぜ複
数形?
A:この名称が大会に限ら
ず、日常的なスポーツト
レーニングから世界大会
まで、様々な活動が年間
を通じて世界中で行われ
ていることを意味してい
ます。
出典:スペシャルオリンピック
ス日本ホームページ
が参加した。日本からも選手団 118 名が派遣されている。
③ 日本の障害者スポーツ大会
日本において障害者スポーツが広まった契機は、1964 年のパラリンピック
東京大会であった。翌 1965 年からは、「全国身体障害者スポーツ大会」が国
民体育大会の開催地で開かれるようになり、身体
〈参考:スポーツ祭東京 2013〉
障害者スポーツの全国的普及のきっかけを作り、
地方の振興・活性化や障害者への理解の促進に多
大な貢献を果たしてきた。また、知的障害者を対
象とした全国規模の大会として 1993 年に「第 1
回全国精神薄弱者スポーツ大会」(ゆうあいピッ
ク)が開催され、2000 年まで8回開催された。
2001 年には「全国身体障害者スポーツ大会」と
「ゆうあいピック」を統合し、新たに「全国障害
者スポーツ大会」として開催することとなった。
この大会は 2009 年から精神障害者と一部の内部
障害者を参加者に加え、身体、知的、精神の3障
害者が集う国内最大の総合スポーツ大会となっ
た。
- 4 -
2013 年に東京で行われた「スポー
ツ祭東京 2013」は、初めて国民体育
大会と全国障害者スポーツ大会を「一
つの祭典」として行い、障害のある人
とない人が理解を深め合い、共に支え
合う大会となることを目指した。
2
障害者スポーツを取り巻く現状
(1)障害者のスポーツ実施率
2014 年3月に発表された世論調査(文部科学省委託調査)によると、成人
の障害者が過去1年間にスポーツ・レクリエーションを行った日数は、
「週に
3日以上」と「週に1~2日」を合わせた週1日以上の実施者が2割に満た
ず、
「行っていない」がおよそ6割を占めた。内閣府が全国の成人を対象に実
施した世論調査では、週1日以上の実施者は約4割となっており、成人一般
に比べて障害者のスポーツ実施頻度は低くなっている(図3)。
図3 過去 1 年間にスポーツ・レクリエーションを行った日数(20 歳以上)
0%
障害者
(成人)
成人一般
(参考)
東京都
成人一般
20%
8.5
9.7
8.9
週1日以上
18.2%
19.6
40%
60%
4.1 5.0
80%
100%
58.2
5.5
行っていない
20.8
21.1
6.3
22.7
0.4
3 か月に 1~2 日
(年 4 から 11 日)
週1日以上
40.4%
28.1
週に 3 日以上
(年 151 日以上)
9.1
32.3
7.0 3.8
15.6
週に 1~2 日
(年 51~150 日)
月に 1~3 日
(年 12~50 日)
1.3
11.9
年に
1~3 日
わから
ない
出典:平成 26 年 3 月 笹川スポーツ財団「文部科学省委託調査『健常者と障害者のスポーツ・レクリエーショ
ン活動連携推進事業報告書』
」
、平成 27 年 8 月 内閣府「東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査」
、
平成 27 年 2 月 生活文化局「都民のスポーツ活動に関する世論調査」より作成
(2)障害者スポーツの認知度
図4 障害者スポーツの認知度
2015 年2月に「知っている、
又は聞いたことがある障害者
スポーツ用語」を尋ねた「都
民のスポーツ活動に関する世
論調査」では、パラリンピッ
クは約 87%と高く認知されて
いる。その他の用語では、車
0 % 20 % 40 % 60 % 80 % 100 %
パラリンピック
車いすテニス
70.7
ブラインドサッカー
30.5
車いすダンス
ゴールボール
シッティングバレー…
サウンドテーブルテニス
スペシャルオリンピッ…
27.1
9.4
4.7
3.8
3.0
ボッチャ
2.4
デフリンピック
2.1
その他
0.7
特にない
認知度 1 割以下
3.6
ウィルチェアーラグビー
などで知っていると答えた人
の割合が高くなっている一方、
73.5
車椅子バスケットボール
いすテニス(73.5%)
、車椅子
バスケットボール(70.7%)
87.3
3.5
出典:平成 27 年 2 月 生活文化局「都民のスポーツ活動に関する
世論調査」より作成
ゴールボール等、上位5項目以外については1割を切る認知度となっている。
- 5 -
(3)障害者スポーツへの関心
2015 年の都による世論調査では、パラリンピックを観戦したい人は7割を
超えるなど、高い関心が寄せられている(図5)
。一方、障害者スポーツへの
関心については「ない」とした人が「ある」人を上回っており、その理由と
して「身近に障害者スポーツに関わっている人がいない(41.7%)
」
、
「どんな
競技があるか知らない(34.3%)
」、
「障害者スポーツを身近な場所でやってい
ない(31.1%)」等が挙げられている(図6)。
図5 パラリンピックを観戦したい
人の割合
図6 障害者スポーツへの関心度と関心のない理由
図5,6出典:平成 27 年 11 月 生活文化局「都民生活に関する世論調査」より作成
また、障害者スポーツへの関心が高まると思う取組について聞いたところ、
「テレビで大会が中継されること」が 47%でトップとなり、障害者スポーツ
大会を観戦してみようと思う取組や工夫について聞いたところ「一般の人に
も入りやすい雰囲気があれば」が 38%でトップであった(図7)。
図7 障害者スポーツへの関心が高まると思う取組と
障害者スポーツ大会を観戦してみようと思う取組や工夫
出典:平成 27 年 11 月 生活文化局「都民生活に関する世論調査」より作成
- 6 -
3
国の取組
(1)スポーツ基本法の制定と障害者スポーツ関連事業の移管
日本におけるスポーツ振興の基本となる法であるスポーツ振興法(1961 年
制定)を 50 年ぶりに全面改正し、2011 年8月に施行された「スポーツ基本法」
において、
「スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことが
できるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなけれ
ばならない」と明記された。これを受けて国は 2014 年3月にスポーツ基本計
画を策定し、
「年齢や性別、障害等を問わず、広く人々が、関心、適性等に応
じてスポーツに参画することができる環境を整備すること」を基本的な政策
課題として掲げた。
また、2014 年度より、全国障害者スポーツ大会などのスポーツ振興の観点
が強い障害者スポーツに関する事業を厚生労働省から文部科学省に移管し、
スポーツ政策として一体的に推進している※(図8)
。
※障害のある人のリハビリテーションの一環として行う事業については、引き続き厚生労働省が所管している。
図8 障害者スポーツに関する事業の移管
(※)
※JSC:日本スポーツ振興センター(JAPAN SPORT COUNCIL)
出典:平成 27 年6月 文部科学省「地域における障害者スポーツの普及促進に関する文部科学省の取組」
(2)オリンピックとパラリンピックの一体的な拠点構築
オリンピック競技とパラリンピック競技の強化・研究活動拠点の機能強化
等について検討するため設置された有識者会議において、2015 年1月に最終
報告がとりまとめられた。この中で、トップレベル競技者が同一の活動拠点
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で集中的・継続的にトレーニング・強化活動を行う際の拠点であるナショナ
ルトレーニングセンター(NTC)や国立スポーツ科学センターの、オリンピッ
ク競技とパラリンピック競技の共同利用化、及び NTC の拡充整備等が提言さ
れた。これを受け、国はオリンピック競技とパラリンピック競技の一体的な
拠点構築を進めている。
「第2トレーニングセンター」五輪とパラ共用へ
トップアスリートの強化拠点となっている味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC、東京都北区)
について、政府が計画している隣接地への拡充整備の概要が 31 日、分かった。五輪競技とパラリンピッ
ク競技が共同利用するのが特徴。既存施設もパラリンピック使用への改修が進められており、2020 年東
京大会では五輪・パラ双方でのメダル量産を狙う。
拡充予定のいわゆる「第 2 トレセン」は 18 年秋の完成を目指し、16 年度政府予算案に実施設計費など
として約 2 億円が計上された。
(中略)
五輪向けに設置された現 NTC と隣接の国立スポーツ科学センター(JISS)は、障害のある選手の利用
は当初想定されていなかった。テニスや競泳などで一部パラ系選手が利用しているが、ほとんどは五輪
系選手による利用だ。
だが、14 年度に障害者スポーツが厚生労働省から文科省に移管されたこともあり、障害者も NTC、JISS
を利用できるよう改良が始まった。14 年度補正予算で、JISS の低酸素宿泊室のバリアフリー化を実現。
15 年度は障害者団体対象の施設見学会なども開いた。スポーツ庁は「障害者スポーツが競技力を向上さ
せるには、組織としての土台としっかりした強化戦略プランが必要」として、施設の充実に伴い、競技
団体側の体制強化も求めている。
(平成 28 年 1 月 1 日付 読売新聞より)
4
都の取組
(1)東京都障害者スポーツ振興計画
2010 年7月、都はスポーツ振興局を設立し、国に先駆けて一般スポーツと
障害者スポーツの所管を一元化した。2012 年3月には、国及び全国の都道府
県で初の取組となる「東京都障害者スポーツ振興計画」を策定し、障害者ス
ポーツをスポーツ行政として一体的に推進するための指針となる中長期の計
画を示した。
(2)2020 年に向けた東京都の取組-大会後のレガシーを見据えて-
2015 年 12 月、都はオリンピック・パラリンピックの東京開催とその先を見
据え、価値あるレガシーを残すための取組について取りまとめた「2020 年に
向けた東京都の取組-大会後のレガシーを見据えて-」を発表した。この中
で、取組の方向性の一つとして「パラリンピックの成功に向けて、障害者ス
ポーツの認知度を飛躍的に向上させ、障害者スポーツに親しむための環境整
備を加速させる」ことを掲げ、パラリンピックの機運醸成と、障害者スポー
ツの普及啓発や場の確保、人材育成を進めるとともに競技団体の強化を図り、
障害者スポーツの環境整備を強力に推進するとしている(図9)。
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図9 2020 年に向けた取組の概要
○障害者スポーツの普及啓発とパラリンピック・ムーブメントの創出
◆障害者スポーツの支援に取り組む企業等と障害者スポーツ団体とをつなぐ取組を推進
◆障害者スポーツを支援する企業等の優れた取組を表彰
◆パラリンピック競技の面白さ等をメディアで積極的に発信
◆パラリンピアンの協力を得て行う障害者スポーツとパラリンピックのPR など
○障害者スポーツの場の整備と人材育成
◆都立障害者スポーツセンター改修による機能・利便性向上
◆都立特別支援学校の施設の活用を推進
◆「障がい者スポーツ指導員」の養成と活用
◆障害者スポーツ等に理解の深いボランティア育成のため、障害者スポーツ団体と連携
など
○障害者スポーツ競技団体の強化
◆選手の発掘・育成に向けた競技団体との連携強化、東京ゆかりの選手の競技力向上に向けた支援
◆強化練習会や合宿を実施する競技団体を支援
◆都内でのIPC(国際パラリンピック委員会)公認大会の増加
◆東京都障害者スポーツ協会の執行体制を強化、日本財団パラリンピックサポートセンターと連携、競技団体
等のニーズに応じた支援を実施 など
○障害者スポーツの着実な推進
◆パラリンピックを通じて、障害者スポーツの取組を計画的に推進し、大会後のレガシーにつなげていくた
め、安定的・継続的な事業運営を行っていく方策について検討する。
出典:平成 27 年 12 月 東京都「2020 年に向けた東京都の取組-大会後のレガシーを見据えて-」より作成
(3)今後の取組
都は 2016 年度予算案においても障害者スポーツの振興を重点事項の一つと
して位置付けており、パラリンピアンを TV 番組等で継続的に取り上げる等の
普及啓発や、障害者スポーツ振興基金(仮称)
(200 億円)の創設などにより、
障害者スポーツの振興を加速度的に進めることとしている。
5
今後に向けて
障害者スポーツは近年競技性を高めてきており、パラリンピックの知名度
も高くなっている。一方で、障害者スポーツそのものへの関心や理解度の向
上は、未だ道半ばである。また、障害者が身近な地域でスポーツを行うため
の場や支える人材の不足など、ハード、ソフト両面における環境整備が障害
者スポーツ振興のための今後の課題となっている。
2020 年の東京都におけるパラリンピック競技大会の開催は、障害者スポー
ツへの理解を進める絶好の機会である。パラリンピック開催を契機として、
障害者だけでなく子供や高齢者等、誰もがスポーツを楽しむことができる、
共生社会の実現を目指した取組を、今後も加速していく必要がある。
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