聴覚障害児に ITPA を適用する際の手話を含めた伝達手段に関する研究

聴覚障害児に ITPA を適用する際の手話を含めた伝達手段に関する研究
古川
Ⅰ 問題
千帆美
1 目的
日本では、聴覚障害児の言語力を評価する標準
音声言語使用になっている言語検査を聾学校で
化された検査方法や評価方法が確立されていない。
実施する際、手話や指文字など音声言語以外のも
そのため、聴覚障害児の言語発達や評価に関する
のが用いられているか、音声言語以外のものが使
研究は、聴児の言語力や言語発達を評価するため
用されているときどのような留意点やルールを設
に開発された検査を聴覚障害児の言語評価に適用
けているかの 2 点を明らかにする。また、検査本
し、聴児からの遅れのパターンや程度を検討する
来の方法とは別に、聾学校や各学部で独自に設け
方法がとられることが多い。また、日本語の読み
ている実施方法、留意点やルールを ITPA の実施
書きや日本語音声を用いた理解と表出での評価が
の際、参考とさせていただくことを目的とする。
中心となって行われている。
2 対象・手続き
聴覚特別支援学校(以下、聾学校と記す)で使用
されている言語検査やその際の言語モード・留意
全国の聾学校(高等部のみの聾学校は除く)105
校に郵送による質問紙調査を行った。
点などを対象とした研究は、尐ない。小田・原田・
調査期間は平成20年12月中旬~12月下旬で、
牧野(2008)は聾学校で使用している言語検査には
調査項目は普段の伝達手段、使用している言語検
PVT や ITPA、読書力診断検査などがあるとして
査の種類、
検査実施時の伝達手段や留意点である。
いるが、検査を聴覚障害児に実施する際の方法や
3 回収率
留意点などは明らかでない。
検査問題の呈示方法については、音声言語のと
きと文字言語のときでは結果に差が出ることが、
105 校中 81 校から回答が得られ、回収率は
77.1%であった。
4 結果
臨床現場や研究から指摘されている(我妻・田
各学部で使用頻度の高かった言語検査は以下の
中,1984;能登谷・中村・廣田・森・鷲尾・内山・
検査である。幼稚部では PVT を 36 校、ITPA を
白坂,1998)。聴覚障害児の言語力を正当に評価す
16 校、小学部では読書力診断検査を 58 校、PVT
るために、音声言語にこだわらず聴覚障害児が日
を 24 校、ITPA を 18 校、中学部では読書力診断
常的に用いている言語モードを使用することが必
検査を 50 校が用いていた。
要だと考える。そこで本研究では、聴覚障害児の
検査実施の際に用いているコミュニケーション
言語力を評価する際の伝達手段について検討する。
手段については、各聾学校の対象となる児童生徒
Ⅱ 目的
の実態に合わせ、口話と併用して手話・キューサ
聾学校で比較的使用頻度の高い ITPA 言語学習
インなど(口話+手話)を用いている学校が多くあ
能力診断検査を聾学校児童に実施し、音声言語で
った(表 1)。音声言語使用の検査に手話や指文字な
実施した場合と、音声に手話・指文字などを併せ
どを用いるときの留意点やルールには、コミュニ
て実施した場合の結果から、言語力を評価する検
ケーション手段や検査項目の精選、記録や結果の
査を聴覚障害児に行う際の手話を含めた伝達手段
扱い方など多岐にわたった。これらは、学校・学
の選択について検討することを目的とする。
部・担当教員の独自の判断で行われており、学部
Ⅲ 研究 1・聾学校における言語検査の
間、聾学校間に共通するものはなかった。
実施状況に関する研究
表 1 検査実施時のコミュニケーション手段
検査
学部
問題
呈示
ITPA
幼稚部(n=15)
小学部(n=14)
中学部(n= 2)
幼稚部(n=15)
回答
小学部(n=12)
中学部(n=2)
幼稚部(n=36)
PVT
小学部(n=24)
中学部(n=2)
幼稚部(n=2)
読書力
診断検査
小学部(n=27)
中学部(n=11)
偏りが出ないよう配慮した(表 2)。
口話
口話+
手話等
のみ
手話等
のみ
2
3
0
0
2
0
11
0
0
1
2
2
13
11
2
15
10
2
20
17
1
1
16
4
0
0
0
0
0
0
5
7
1
0
9
5
(単位:学校数)
表 2 検査実施の順序・被検児数
2 被検児・調査期間・用いた下位検査
4 県 5 校の聾学校に在籍する児童のうち聴覚以
外に障害がない 7 歳から 9 歳までの児童 31 人(男
児 20 人、女児 11 人)で、対象聾学校は、聴覚を
活用しながら手話などを用いているところとした。
被検児 31 人中、補聴器装用 21 人、人工内耳装用
10 人であり、平均聴力レベルは良聴耳 102.2 ㏈で
あった。平成 21 年 3 月から 10 月の期間で、ITPA
の聴覚―音声回路の 5 つの下位検査を実施した。
被検児の 1 回目の平均年齢は 8 歳 3 ケ月、2 回目
は 8 歳 6 ケ月であった。
3 検査問題の呈示方法
1)音声呈示条件
1 回目
2 回目
人数
グループ 1
音声呈示条件
手話等併用呈示条件
16
「文の構成」以外の下位検査は、ITPA の本来
グループ 2
手話等併用呈示条件
音声呈示条件
15
の方法で行った。
「文の構成」は、検査用テープの
代わりに、検査者の肉声を用い、歪んでいる部分
は口元を隠して行った。
表 3 呈示条件の違いによる比較
5 つの下位検査
ことばの理解
ことばの類推
数の記憶
ことばの表現
文の構成
音声
呈示条件
手話等併用
呈示条件
21.0
7.49
18.9
9.37
10.1
8.58
20.8
4.82
28.5
5.18
26.1
16.11
26.2
6.76
23.3
9.59
18.5
10.26
24.8
4.06
34.5
5.45
30.1
13.35
相関係数
r=0.82
2)手話等併用呈示条件
検査者からの問題呈示は、音声に併せて手話、
指文字などを用いた。主に「ことばの理解」は指
r=0.69
文字、
「ことばの類推」は指文字と手話、
「数の記
r=0.83
憶」は手話の数詞、
「ことばの表現」は手話、
「文
r=0.69
の構成」は手話と指文字を使用した。手話による
表現が、正答を促すような場合には指文字を使用
r=0.44
した。被検児は、最も使い慣れているコミュニケ
r=0.57
ーション手段を用いて回答した。
注)上段:評価点、下段:標準偏差
4 結果
聴覚―音声回路の下位検査での平均評価点は、
Ⅳ 研究 2・ITPA の実施
音声呈示条件は 21.0、手話等併用呈示条件は 26.2
1 実施方法
で、手話等併用呈示条件の評価点が音声呈示条件
同一の聴覚障害児に 2~3 ヶ月の間を置いて、検
の評価点より 5.2 高く、差があるということが明
査を 2 回実施した。1 回は音声による本来の方法
らかとなった(表 3)。下位検査ごとの呈示条件によ
で検査を実施(以下、音声呈示条件と記す)、もう 1
る評価点の差は、手話等併用呈示条件のとき「こ
回は音声に併せて手話・指文字などを用いて検査
とばの類推」で 8.4、
「ことばの表現」で 6.0 高い
を実施(以下、手話等併用呈示条件と記す)した。1
値となった。
回目が音声呈示条件で 2 回目が手話等併用呈示条
呈示条件の違いによる下位検査内の標準偏差に
件のグループと、1 回目が手話等併用呈示条件で
大きな差はみられなかったが、下位検査間で「数
2 回目が音声呈示条件の 2 グループを設けた。こ
の記憶」と「文の構成」に標準偏差の表れ方に大
のとき、年齢、平均聴力、普段の伝達手段などに
きな違いがみられた。
音声呈示条件と手話等併用呈示条件の間では、
Ⅵ 本研究の結論
5 つの下位検査の平均評価点及びことばの類推で
研究 1 の結果からは、聾学校では PVT、ITPA、
強い相関がみられた。ことばの理解、数の記憶、
読書力診断検査が多く使われていること、検査を
ことばの表現、文の構成は、中程度の相関があっ
実施するときは音声だけではなく音声に併せて手
た。これらのことから、下位検査や呈示条件によ
話などを用いている聾学校が多くあることが明ら
って成績の表れ方が異なることが分かった。
かとなった。
音声に併せて手話などを用いることで、評価点
研究 2 の結果からは、聴覚障害児に ITPA を実
平均値 36± 6 の範囲の成績を示す被検児が
施する際、音声呈示条件よりも手話等併用呈示条
19.4%から 32.3%に増加した。呈示条件の違いに
件のほうが、評価点が高くなることが分かった。
よらず他の被検児は評価点 30 未満であった。
そして、音声呈示条件では聞き取りや読話などの
下位検査ごとに誤答反応の傾向をみたところ呈
示条件や下位検査によって誤答の傾向が異なるこ
受容上及び表出上の問題が検査結果に影響するこ
とが分かった。
とが示された。ことばの理解では「はもの」を「く
以上のことから、聴覚障害児に ITPA を適用す
だもの」
、
「だんらん」を「わんわん」のように読
る際、音声に併せて手話などの聴覚障害児が普段
話の間違いから誤答していると予測できるものが
用いている伝達手段を使用したほうがより正当に
あった。ことばの類推では、検査目的の「提示さ
言語力を評価できるのではないかと考えられた。
れた概念を、意味をなすように関連付けて」の誤
Ⅶ 今後の課題
答ではなく、検査問題で使われていることばを手
ITPA は、聴児のために作成された検査である
がかりにしていると思われる誤答が多かった。数
ため、音声に併せて手話などの手段を用いるとき
の記憶では、音声呈示条件のとき「1↔2」
「4↔6」
の呈示方法と表現方法に検討が必要である。下位
「4↔5」「6↔5」
「8↔3」
「9↔10」の組合せで口形が類
検査問題文によって手話や指文字の使い分けが異
似していることからくる受容上の誤りが起こって
なり、
その判断が検査者の主観になりがちである。
いると考えられた。ことばの表現では、手話表現
そのため、手話などの手段を用いる際の検査の具
を音声表現に置き換えることができない被検児が
体的な方法を検討する必要があると考える。
みられた。文の構成の音声呈示条件では、検査問
題を正確に受容することが難しいとみられる誤答
文献
があった。
我妻敏博・田中順子(1984)障害児へのテスト利用
これらのことから、音声呈示条件は、読話の誤
りや検査問題を正確に受容できないなどによる誤
答が避けられないと考えられる。
Ⅴ 考察
聴覚障害児への ITPA 適用の試み 障害児の診
断と指導,3(2),18-23.
能登谷晶子・中村公枝・廣田栄子・森寿子・鷲尾
純一・内山勉・白坂康俊(1998)聴覚障害児の言
ITPA を聴覚障害児に実施する際、手話などの
語評価―各種検査法の適用とその問題点―.音
手段を用いることで、評価点が高くなることが示
声言語医学 日本音声言語医学会言語委員会聴
された。しかし、下位検査によって検査目的や方
覚障害小委員会,39(4),477-482.
法などが異なるため、手話などの手段の用い方に
小田侯朗・原田公人・牧野泰美(2008)聾学校にお
検討が必要である。また、聴覚障害児に ITPA の
ける言語とコミュニケーションに関する調査.
聴覚―音声回路の下位検査を実施したとき、呈示
独立行政法人国立特別支援教育総合研究所,
条件の違いによらず口形や手の動きなど視覚的な
B-222,91-114.
情報を最大限に受容・活用していることから、検
査結果の活用には留意が必要である。