曲目解説 - 兵庫芸術文化センター管弦楽団

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第78回定期演奏会プログラム/これさえ見ればわかる!今回の聴きどころ
第78回定期演奏会
これさえ
見れば
ウェーバー(編曲:ベルリオーズ)
:舞踏への勧誘 op.65 (約9分)
Carl Maria von Weber / H.Berlioz : Invitation to the Dance, op. 65
ショパン:ピアノ協奏曲
第2番
ヘ短調 op.21(約31分)★
Frédéric Chopin : Piano Concerto No. 2 in F minor, op. 21
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ Allegro vivace
ニ長調 op.73 (約39分)
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
Allegro non troppo
第2楽章 アダージォ・ノン・トロッポ
Adagio non troppo
第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ(クワジ・アンダンティーノ)− プレスト・マ・ノン・アッサイ
Allegretto grazioso (quasi andantino) – Presto ma non assai
第4楽章 アレグロ・コン・スピリート
Allegro con spirito
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裕
Yutaka Sado, Conductor & Artistic Director
ピ
ア
ノ:エフゲニ・ボジャノフ Evgeni Bozhanov, Piano(★演奏曲)
管
弦
楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団 Hyogo Performing Arts Center Orchestra
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2015
4/10(金)・11(土)・12(日)3:00PM開演
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主催:兵庫県、兵庫県立芸術文化センター
※演奏時間は目安となります。前後する可能性がありますので予めご了承ください。
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そういう光景が描かれているなと思わせてしまうところが、
ロマン派音楽の強みである。同様
に、
ショパンの
「ピアノ協奏曲第2番」
も、第2楽章には後述のようなドラマを感じさせるところ
の特徴のひとつなのだ。
これに対しブラームスは、
ワーグナーのような、
当時で言う
「新ロマン
Johannes Brahms : Symphony No. 2 in D major, op. 73
指揮・芸術監督:佐渡
ドイツ・ロマン主義の名作2曲と、ポーランドのロマン的な名作1曲を組合わせた今日の
プログラム。
が充分にある。作曲者のロマンティックな情感をいっぱいに表現する手法も、
ロマン派音楽
休 憩(20分)ー Intermission
第2番
19世紀ロマン派の名作を3曲
と思えるような物語性をつけたところが、いかにもロマン派時代の作曲家らしい。たしかに
第2楽章 ラルゲット Larghetto
ブラームス:交響曲
東条 碩夫
(音楽評論家)
ウェーバーの
「舞踏への勧誘」
は、音楽だけ見ればふつうのワルツだが、
これに、
なるほど
第1楽章 マエストーソ Maestoso
ー
わかる!
定期演奏会
PROGRAM
主義」
には与せず、
むしろ古典主義志向を持っていた作曲家だが、それでもその音楽には
ー三者三様のロマンの世界が、
ここにある。
紛れもないロマン的な音色が満ちている。
「必 聴ポイント」
ライター
おすすめ
ウェーバー(編曲:ベルリオーズ)
:舞踏への勧誘
op.65
拍手はちょっと待ちましょう! まだ先があります!
ワルツが豪壮華麗に終るので、拍手をしたくなるのが人情ですが・・・・実はそのあとに静かな
終結部がつくのです! もし拍手した方がいたら、この解説を読んでいなかった証拠?
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番
ヘ短調 op.21
20歳のショパンが恋人への想いを込めた曲
若きショパンの瑞々しい叙情と哀愁が全曲にあふれる。その中でも第2楽章は、彼が秘かに
愛を寄せていた女子学生への憧憬と情熱とを描いて、こよなくロマン的で美しい。
ブラームス:交響曲 第2番
ニ長調 op.73
ブラームス唯一の明るい交響曲
マジメ人間的なイメージのブラームスが垣間見せた、くつろいだ明るい顔。
しかし、やはり
ブラームスはブラームス。その明るさの中にある味と深遠さが、なんともいえない魅力。
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第78回定期演奏会 PROGRAM NOTE
第 78 回定期演奏会
曲目解説ー演奏をより深く楽しむために 東条 碩夫(音楽評論家)
Carl
Maria von
Weber
カール・マリア・フォン・ウェーバー (1786∼1826)
ドイツ・ロマン派の先駆者として、
音楽史上に大きな存在を占め
定期演奏会
Prof ile
る。超自然的な物語を持ったオペラ
「魔弾の射手」
(1821年初演)
ウェーバー(編曲:ベルリオーズ)
:舞踏への勧誘
は、
その後のドイツ・オペラー特にワーグナーに圧倒的な影響を
op.65
初演:不明(ピアノ版)、
(管弦楽版)
1841年 パリ
最も広く親しまれているベルリオーズの管弦楽編曲版
卓越したピアニストとして定評のあったウェーバーだが、
ピアノのための作品は、他の
ジャンルと比較すると、思ったほど多くはない。その中で最も有名なのは、やはりこの
「舞踏への勧誘」であろう。
これは1819年7月28日に、妻カロリーネのために作曲され
与え、彼の最高傑作ともなった。
ドレスデンのザクセン宮廷歌劇場
(いわゆるドレスデン歌劇場)の楽長(音楽監督)
としても活躍。
ロ
ンドンへの演奏旅行中にわずか40歳の若さで客死したことは、
ド
イツ音楽にとり大きな損失といわれる。
ショパン:ピアノ協奏曲
第2番
ヘ短調 op.21
初演:1830年3月17日 ワルシャワ
た。彼のピアノ原曲をオーケストラ用に編曲したのは、
フランス・ロマン派の大作曲家
ベルリオーズである。1841年にウェーバーの「魔弾の射手」がパリで上演された際、
ベルリオーズは
(オペラ座の要望に応えて)
セリフ部分をレチタティーヴォ
(語るように歌
「第1番」
より先に作曲されながら
「第2番」
となった曲
う手法)
に編曲、併せて(これも要望に応じて)
この「舞踏への勧誘」
をバレエ音楽として
「もう半年もたつのに、
その人と一度も話したことがないのだが・・・・僕は彼女に忠誠を
挿入するために、管弦楽に編曲したのであった。
捧げ、彼女を夢見る。
その想いが、僕に協奏曲のアダージォを書かせたのだ・・・・」
ある舞踏会で紳士が淑女にダンスを申し込む
曲には、
ストーリーがあるー序奏では、
ショパンが、親友ティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた有名な手紙の中で触れている
(上昇するチェロ)。女性は初めのうち静かに辞退する
(下行する木管)。
2人は礼儀正し
「協奏曲」
こそ、今日ここに聴く
「ヘ短調のピアノ協奏曲」
である。そして「彼女」
とは、
ショ
く会話をはじめ、やがて意気投合してワルツを踊る。長いワルツが華やかに終ると、序奏
パンが
「理想の女性」
として憧れていたワルシャワ音楽院の学生コンスタンツヤ・グワトコ
の音楽が再現し、男性は丁寧に礼を述べ、女性も静かにそれに応えて挨拶し、
2人は舞
フスカ
(コンスタンチア・グラドコフスカ)のことであった。第2楽章のアダージォは、今日
踏会場から去っていく。
出版されている楽譜では
「ラルゲット」のテンポに変更されているが、
ロマン的な甘美な
楽器編成
フルート、
ピッコロ、オーボエ2、
クラリネット2、バスーン4、ホルン4、
コルネット2、
トランペット2、
トロンボーン2、バス・トロンボーン、ティンパニ、ハープ2、弦楽5部
主題のあと、中間部で音楽が突然激情に打ち震え、
やがてそれが白昼夢のように突然消
えていくという個所がある。
このあたり、
ショパンのやるせない、苦しい情熱を描いている
のだろう。
ショパンはあまりに内気で、音楽院随一の才媛ソプラノ歌手と評判の高かった
彼女には、
なかなか近づけなかったのである。
彼女への思いを込めたこの「ピアノ協奏曲ヘ短調」
は、
3月17日に国立劇場で満席の
聴衆を前に、彼みずからソリストをつとめて初演されたが、好評に応えて22日にもすぐ
再演された。
これもあらゆる方面から絶賛を浴びた。
ショパンは、ポーランドを代表する
作曲家・ピアニストとしての評価と人気を、早くも確立したのであった。
ちなみに、その年の秋、10月11日には、第3回の演奏会が開かれ、そこでショパンは、
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第78回定期演奏会 PROGRAM NOTE
「ピアノ協奏曲第2番」や「ヴァイオリン協奏曲」、あるいは「ヴァイオリン・ソナタ第1番
出版されたので、
そちらが
「第1番」
となり、先に作曲されたこの
「ヘ短調」
の方が
「第2番」
《雨の歌》」
などが一気に手がけられるのである。
ブラームスの創作力は、
この時期、一気
と呼ばれるようになったのである。
その時には、問題の恋人コンスタンツヤも友情出演し、
に大ブレイクしはじめたのであった。
ーだが、
ショパンには、新天地を求めて故国を離れる時
オペラのアリアを歌ってくれた。
「交響曲第2番」
は、いかめしく力み返った
「第1番」
に比べると、肩の力を抜いた大らか
が迫っていた。11月2日、彼は駅馬車で故郷を発ち、
ウィーンを経てパリに向かっていく。
さと、明朗さと、安息感にあふれた交響曲といっていいかもしれない。だがそこは謹厳な
彼がこの世で故国ポーランドの光景を見る、
それが最後の日になるのである。
ブラームス、たとえ第4楽章のように明るく歓呼するところでさえ、音楽は確固とした
造型感を保ち、
その節度を失うことはないのである。
第1楽章冒頭にチェロとコントラバス
楽器編成
独奏ピアノ、
フルート2、
オーボエ2、
クラリネット2、バスーン2、ホルン2、
トランペット2、バス・トロン
ボーン、
ティンパニ、
弦楽5部
Prof ile
で出る3つの音符からなるモットーは、その後、
この交響曲の随所に形を変えつつ現わ
れ、基本概念ともいうべき役割を果たして全曲の統一感をはかる。
このあたりにも、
ドイ
ツの作曲家ブラームスらしい用意周到さが感じられるだろう。なおこの交響曲を、
「ブ
ラームスの田園交響曲」
と称したドイツの伝記者がいたが、それはもちろんベートーヴェ
Frédéric
Chopin
フレデリック・ショパン(1810∼1849)
ンの交響曲との比喩で表現したまでで、われわれはそれに敢えてこだわる必要はない。
この曲には、嵐や小川や人々の集いといったような描写的な要素は、全くないのである。
ポーランドが生んだ最大の作曲家。
ワルシャワで作曲や演奏活
この「第2交響曲」の初演はハンス・リヒターの指揮で行なわれたが、
ブラームス自身
動を行なったのち、1830年(20歳)祖国を去ってパリに向かい、
もその後ライプツィヒや故郷ハンブルクで指揮して演奏していった。特にハンブルクで
生涯そこを本拠地として音楽活動をつづけた。39歳の短い生涯
は、熱狂的な拍手を浴びた。その時の客席には、夫ロベルト・シューマンを喪って22年に
の間に生み出したピアノの美しい作品は数知れず、それらはすべ
て洗練された気品と深みのある情感にあふれている。
ピアニスト
としても優れた才能を示し、
詩的な演奏で人気を博した。
女性作家
ジョルジュ・サンド
(筆名)
との愛の関係は有名。
ブラームス:交響曲
定期演奏会
新しく作曲したホ短調のピアノ協奏曲を初演した。実はその新しい協奏曲の方が先に
第2番
ニ長調 op.73
初演:1877年 12月30日 ウィーン
「第1番」
の重圧から解放された、
のびやかな作風
何事にも慎重な性格で、常に完璧さを求めたブラームスは、作曲家のステイタスとも
いうべき
「交響曲」
のジャンルにはとりわけ慎重になり、
推敲に推敲を重ね、
実に20年以上
うしな
なるクララもいた。
楽器編成
フルート2、オーボエ2、
クラリネット2、バスーン2、ホルン4、
トランペット2、
トロンボーン2、バス・
トロンボーン、
テューバ、
ティンパニ、
弦楽5部
Prof ile
Johannes
Brahms
ヨハネス・ブラームス(1833∼1897)
ハンブルク生まれ、
ドイツ・ロマン派を代表する大作曲家のひと
さん
り。
音楽史上に燦たる多数の名作を世に送ったが、
オペラには手を
出さず、
ワーグナーとは対照的な姿勢を堅持した。
1862年以降は
ウィーンに本拠を置く一方、
指揮者・ピアニストとして、
独墺国内を
はじめハンガリー、
イタリアなど各地に足を延ばし、精力的な演奏
の歳月を費やし、やっと43歳(1876年)
になって「第1番」
を完成するという状態であっ
活動を展開。
自由な生活を求めた彼は生涯を独身で通したが、
ク
た。だが、いったんその大仕事をやり遂げてしまうと、気持が楽になったらしく、早くもそ
ララ・シューマンへの秘かな愛も知られている。
の翌年には、夏から秋にかけて「第2交響曲」
を書き上げてしまう。
「第1番」
に比べると、
信じられぬほどの速筆ぶりである。それだけではない。その翌年(1878年)には大作
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