有終之美 第5号 東京都立一橋高等学校(定時制・通信制) 学校長 小宮山 英明 (校 長 通 信) 平成27年11月17日に本校の定時制通信制の両課程 の開課程10周年と一橋高校創立65周年を記念した式 典を実施しました。二部構成の式典の二部のトップ 場バッターとして、通信制の卒業生である岡本君に 自身の体験を講演してもらいました。その原稿の抜 粋を許可をいただいて掲載いたします。自分との共 通点が見つかるかもしれません。これからの自分の すべきことを見つけられるかもしれません。ご一読 ください。 なお、今回は誌面の構成上ルビは少な目です。 難しい漢字は漢和辞典を引いてください。 〒101-0031 千代田区東神田1-12-13 TEL03-3862-6061 FAX03-5687-1862 中退→引き籠り→通信発見 私は一橋高校に入学する以前、地元の足立区にある 高校に通っていました。大雪の中、受験会場に向か い、無事試験を終えて入学した高校を、1年間で退学し ました。原因は今でもはっきりしませんが、勉強や進 路について完全さを求める両親に少なからず疑問を持 ち始めたことや、当の自分自身の気持ちも定まってい なかったことなど、様々な要因が重なったのだと思い ます。高校を中退した私は、一年間を自宅に閉じこも って鬱々とした気持ちで生活していました。社会から かくぜつ 記念講演(抜粋) 初めまして、ご紹介にあずかりました岡本勇太と 申します。本日はこの貴重な場にご招待いただき、 誠にありがとう御座います。私が卒業してから既に2 年以上が経ちますが、校舎や雰囲気などは特に変わ りなく、当時のことが思い出されます。 さて、本日は卒業生の講演会ということで、私が 一橋高校に入学する経緯から大学へ合格するまでの きせき 隔絶されて、このときほど苦しいと思ったことはあり ませんでした。不安から逃れるために見つけたのはイ ンターネットでした。両親に頼み込んでパソコンを購 入してもらい、インターネットの織り成す世界にとっ ぷりと浸っていました。ときには1日10時間以上パソコ ンの前に座っていることもあり、両親にも申し訳な しょうそう か く、自分自身も 焦 燥 感に駆られ、何かをしなければと 考えていました。そのような気持ちを抱えつつ、ある じゅんかい 日いつものようにインターネットを 巡 回 していると、 通信制高校の広告が目に止まりました。週に1回の登校 で、普段は自分でレポートを仕上げる、そのようなス こころひ 軌跡とそこから学んだことをお話ししたいと思いま す。私は通信制の卒業生ですが、定時制の皆さんに も十分伝わる内容となっていますので、お時間頂け ればと思います。 私は現在早稲田大学に通っています。大学では主 に政治学を専攻しています。課題のレポートで夜を きゅうきゅう 明かすこともあり 汲 々 としつつも、期末試験を無 事乗り越えています。ただ、勉強のみということで はなく、気の合う友人と朝まで就職や恋愛のことな どを語ることもあれば、先輩に食事へ誘われて種々 様々なお話を伺うこともあります。講義のない時間 には友人と映画館や美術館に足を運ぶ日もあれば、 都内を当て所もなく散策する日もあり、つつがなく 学生生活を送っています。このように順風に大学生 活を過ごしている私ですが、現在のように落ち着い た生活を送るには多少の困難がありました。 タイルに心惹かれました。早速検索してみると、ほと いったん んどの通信制高校は私立で、高額の学費ゆえに一旦は つい 希望が潰えたように思いました。しかし、自宅に閉じ こもってインターネットをしていた私は、知らない間 に身に付けた検索能力で、東京都が運営している通信 制定時制併設の高校があることを知りました。皆さん も既にお察しの通り、現在の一橋高校です。通学時間 おさ もそれほどではなく、学費も抑えられており、魅力的 な環境だと思いました。こうして、私は一橋高校通信 制への入学を決意しました。 入学→出会い→決意 入学した当初は、一年間の空白期間があったことか いささ 閑話 休題 一橋高校には神輿があります。 全日制高校だった時代に、神輿同好会 の生徒が手作りしたものですが立派な ものです。文化祭で担ぎます。 ら学校生活に 些 か不安があったため、相談室を利用 しました。ご存知の方もいらっしゃるかと思います が、一橋高校の相談室は同窓会である柏葉会の方々に より、他の都立高校よりも相談員の方が3倍程多くい らっしゃいます。そのため、両親との関係や将来のこ となどに耳を傾けていただける機会を充分に持つこと ができ、学校生活の励みとなりました。 入学から半年が過ぎ去り、ある朝登校してみると、 昇降口に並べられたプリントの、とある記事に目が止 まりました。記事には進路講演会の5文字が並んでお り、中学と高校を中退しながらも独学で早稲田大学に 合格した人が講演なさるという催しでした。正直なと ころを申し上げれば、内気な私が進路講演会に参加す るには少しばかりの勇気が必要でしたが、当時の私は 2年生に編入だったので、進路を考える時期に差し掛 かっており、意を決して参加しました。 その進路講演会は一つの衝撃でした。講師の方は大 変なバイタリティに溢れているだけでなく、受験で支 えてもらった周囲の人をいつまでも大事に気遣ってお まと り、人に対する基本的な信頼感をその身に纏っていま した。何かをしても感謝の言葉が返ってくることはな なじ く、物事の暗い面ばかりに注目し人の弱みを詰る、そ のような世界に馴染んできた私にとって、その方は心 の奥底から尊敬できる初めての方でした。 以前の私は生まれ育った環境にあまり良い心情を持 っていませんでした。それは、両親が仕事で忙しく普 段の学校生活での悩みを聞いてもらえる環境になかっ たということから、経済的に余裕がないことや親族の 中で大学を卒業した人がいないということまで、今振 り返れば他愛のないことですが、当時は実に悔しい気 持ちでした。しかし、そのような心で臨んだ講演会 は、今まで私の世界に存在しなかったような人との出 会いで、大きな転機となりました。 講演会後には、何年も使わず物置のようになってい た机に必死で向かっている自分がいました。そのよう に申しましても、私は一年間浪人をしています。机に 座り始めましたが、3年生の頃はあえなく不合格という 結果となりました。しかし、講演会の熱気が冷めやら ぬなか、両親に頭を下げて一年間の浪人生活を送らせ てもらうことになりました。 受験勉強→合格 初めは1日1時間程の勉強時間だったのですが、どう しても進路講演会で出会った尊敬できる人のいる場所に 辿り着きたく、勉強方法をインターネットで検索しなが ら毎日少しずつ机に向かう時間を増やしました。毎日の かす ように触れていた参考書は表紙が掠れて白くなってお り、取れかかったページをテープで止めているものもあ りました。それでもなお、小学校から当たり前のように 積み重ねをしてきた他の受験生と試験で渡り合うことを 考えれば、一つでも多くの英単語を覚えて、一本でも多 くの文章を読まなければ、対等に戦うことはかなわない と絶え間なく不安が襲ってきました。この頃には、1週 間に1度はベッドの上で泣いていました。それだけ孤独 で不安でした。しかし、自宅に閉じこもっていた頃の苦 かす しさに比べれば、霞んでしまうほどのものでした。 新年を迎え、センター試験のニュースも過ぎ去った 頃、遂に入試の期間になりました。顔も名前も知らない 無数の受験生に揉まれながらも会場に辿り着き、開始の 合図と共に解答用紙にこれまでの積み重ねをひたすら書 き込んで行きました。初めて心から敬うことのできた人 が通っていた大学に通いたい、その思いに突き動かされ た私は無事入試を終えることができました。 入試結果が公表される当日、合否が電話で確認でき るようになっていましたので、携帯のボタンを確かめ るように押して、自分の受験番号を恐る恐る入力しま した。携帯から流れてくる音声に、最初は反応できま せんでした。「おめでとうございます、合格です。」 にわか という言葉が 俄 に信じられませんでした。塾や予備 校に通わずに参考書だけで勉強してきたので、周りの いぶか 人々は多くの場合このことを知ると 訝 しんでいまし た。実際、私もそれほど自信はありませんでした。そ れが、憧れの人と出会うことができたお蔭で、自分の 生活に少しばかりの変化を起こすことができました。 翌日に速達で送られてきた合格証明書と入学手続書類 の重みを両手に感じながら、これから訪れる大学生活 のことを夢中で考えていました。 踏み出す勇気 夢を形に 自分の暮らしている世界の常識を疑い始めたとき、 その疑問に向き合うには大きな勇気が必要です。とき にはこれまでに仲良くしていた友人や知り合い、家族 までもが、今まで暮らしてきた世界に引き留めようと するかも知れません。お前にはできない、あんたには 無理だ、これらの言葉に引き裂かれて、しまいには今 いる世界から踏み出せなくなるかも知れません。確か に、生まれる環境に選択の余地はありません。何かに 気付いたとき、それが既に過ぎ去っていることは往々 にしてあります。 それでもなお、変えられるものはあります。両親に 日頃の悩みを相談できないとき、学校には相談室があ ります。進学したくてもお金がないとき、奨学金があ ある ります。友達と喧嘩したり、或いはいじめられたりし ているとき、本やインターネットには解決の糸口が、 しんし その人の真摯な言葉で書かれています。そして、何よ りも尊敬できる人を見つけたとき、あなたは自分の世 界から大きく一歩を踏み出しています。 これまで馴染み親しんできた世界から歩みを進めて 新しい地平を開くことは、恐らくこれまでに経験して すく きたどのようなことよりも足が竦んでしまうことだと 思います。それでも、変えられるものはあります。何 かを変えようとする自分がそこに居るならば、それは 何かが変わる前触れです。 ドストエフスキーは述べています。「人間には幸福 のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必 かんなん し ん く 要である」。艱難辛苦を乗り越えてきた今、正に歩み を進めるときです。 一橋に通う皆さんが一歩を踏み出すことを願って、 この講演会を終えさせていただければと思います。 ありがとうございました。 生徒諸君、一橋高校は、 君たちが一歩を踏み出せるように 応援していきます。
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