「ジャパニーズ・ドリーム」を持てる社会へ

セッション 2:今、何が問題なのか−日本社会への問題提起
「ジャパニーズ・ドリーム」を持てる社会へ
森 絵里咲
難民を助ける会
日本在住のベトナム人コミュニティは大きく分けて二つの流れがあります。一つは、いわゆる難
民として 1978 年以後日本に来て定住した人たちで、難民事業本部のデータによると 11,319 人いま
す。もう一つは、現在のベトナム社会主義共和国から日本に来ている留学生、技能実習生、日本人
の配偶者などの人たちで、2013 年 12 月の法務省のデータでは、その外国人登録者数は 72,238 人に
達しています。
ここでは、前者の元ベトナム難民について述べます。彼らは日本に住んで 20 年 30 年になる在日
外国人、もしくは日本に帰化した人たちで、見た目は日本人と変わらず、実質的にも、日本人と同
じように生活し、ゆくゆくはこの国で骨を埋める人たちです。本報告では、自分の経験や、この人
たちから見た日本の多文化共生の推移や現状について述べさせていただきたいと思います。
まず、私自身のことからで恐縮ですが、私は 1982 年に日本に来ました。1980 年代前半の日本は、
まだまだ外国人に慣れていませんでした。当時、外国人というと白人のイメージでした。一つのエ
ピソードとして、1984 年頃、私は神奈川県の、ある中学校に転校しましたが、「ガイジン」の生徒
が転校してくるという噂が学校中に広まって生徒たちが楽しみにしていたようで、私が初めて登校
した日には大勢の生徒が競って私を見に来ました。しかし、私を見て「な~んだ。同じじゃないか」
とがっかりして帰っていきました。みんなと同じで期待に応えられず「申し訳ない」と思いました。
13 歳の時、大和にある難民定住センターで日本語を 3 か月勉強してから、すぐに日本の学校に転
入しました。もちろん日本語はほとんどできませんでしたが、日本の生徒と全く同じように「卑弥
呼」「弥生時代」「竪穴住居」などを勉強し、テストも受けました。もちろん 0 点でした。当時、
日本語ができないことに対する補習といったフォローがなく、自分でがんばってくださいというも
のでした。先生方は私に構うことによってひいきと見られてはいけないと思っているようで完全な
・ ・ ・ ・
平等主義を貫いていました。最近の、日本語ができない、もしくは、何らかの事情を持つ生徒に専
用の先生がつくという時代と全く違っていました。
いわゆる公的なフォローを受けなかったものの、個々の日本人にたくさん助けられました。日本
語を教えてくれたり、俳句を作ってくる、といった学校の宿題を助けてくれたり、おかげさまで、
外国人の受け入れに社会としてまだ慣れていない日本の生活をなんとか乗り切りました。その一方
で、乗り切れず、厳しい現実につらい思いをしている人も少なくないと思います。
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と申しますのは、私は 2004 年に日本財団の中の東京財団で、「日本の難民の受け入れ-過去・現
在・未来」の研究プロジェクトに参加し、その際、日本在住 185 人のベトナム人にアンケート調査
を行いました。その中で、「日本で定住させてくれてありがたく思っている。けれど、日本社会の
中には多くの差別がある」というコメントが多かったことに私自身も驚きました。
そのとき、この報告書をまとめる上で、私は日本政府や日本社会に対し、三つの提言をしました。
①「難民がジャパニーズ・ドリームを持てる国に」 ②「難民への“最低限の支援”から難民の“人
材の育成・活用”へと転換しよう」 ③「難民や移民の自国の文化や言語の継承を支援し、多言語
多文化共生社会を目指そう」という三点でした。
今回、日本の「「多文化共生」の現在を問う」シンポジウムに呼んでいただき、この機会に、そ
うした提言をまとめてからちょうど 10 年後の 2014 年に、「ジャパニーズ・ドリームを持てる国」
の一点にしぼって、日本社会の現状を考えたいと思います。
1.「ジャパニーズ・ドリーム」を持てる社会へ
まず、一つのデータがあります。先月 9 月 6、7 日の二日間に、日本在住 20 年以上の元ベトナム
難民とその家族、52 名を箱根の温泉に招待するという企画がありました。社会福祉法人サポート 21
が主催し、私も同行させていただきました。そのとき、参加者に簡単なアンケートを実施しました。
回答数 36 人のうち、「日本での定住生活はどうでしたか」という質問に対し、満足が 32、普通 3、
空欄 1、でした。一概には言えませんが、満足の数字が高いです。
でも、よくよく聞いてみると、日本への帰化がまだできていないために、日本生まれの日本人と
変わらない子供であっても無国籍の状態のため日本のパスポートを持てずに外国に行く時は大変と
いった帰化手続きの問題、国民年金生活の不安といった問題などがあり、全体として、その結果が
示すのは現状維持の生活をありがたく思うというレベルの満足度であって、「ジャパニーズ・ドリ
ーム」にはほど遠いと思いました。
これより先の今年 8 月 6 日、アメリカで「元ベトナム難民の少年がアメリカ陸軍、初のジェネラ
ル階級、准将に昇格」というニュースがありました。1975 年に 10 歳からアメリカで定住し、39 年
目の快挙です。これ以外にも国政の場や州・市議会の場などで活躍している元ベトナム難民の例は
珍しくありません。
一方、日本ではそうした快挙がなく、広く、目に入る限りの在日外国人や日本国籍取得者の状況
を見渡しても、一流企業、準公的機関の独立行政法人や、公的機関の役所、官庁、警察といったと
ころで、正職員として採用されたり、そこから管理職に昇進したりする例が、全体としてあまりな
いのではないかと思います。(ここでは、言葉や技術といった特定の能力で入る専門職やごく少数
の例を除きます。)
そこから、全体として、日本の会社・組織というものはまだ、圧倒的に日本人のため(特に男性
のための)社会作りになっているのではないかと思います。語弊がある言い方かもしれませんが、
言い方を変えると、日本人のための島国である、的な風土のままだと言えるのではないかと思いま
す。
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もちろん、アメリカという国の生い立ち、移民受け入れの歴史、国の制度、ベトナム難民の人数
も日本とは桁が違うため、
一概にこのように並べて申し上げるのは適切ではないと承知しています。
また、データに基づかずに印象に頼って言っていることもお許しください。
とはいえ、30 年 35 年日本に住んでいても、ジャパニーズ・ドリームは依然、遠いところにあっ
て、見えて来ず、なかなかたどり着けないという日本の現実には、ベトナム人自身の才能、運、人
柄といった個人の問題以外に、社会背景として次のような難しさもあるのではないかと考えられま
す。
まず、一つは、日本語の表現の難しさです。日本語はただでさえ難しい言葉です。その上、仕事
上のコミュニケーションが円滑に進み、物事や人間関係が順調にいくためには、普段の日本語を上
回る「表現力」が求められます。
例えば、仕事上のメールを書くときに、相手や中身によって「~です」「~だと思います」の断
定調でいくのか、それとも「~と思われます」「~のではないかと思います」のやんわり調がいい
のか、さらには「~と存じます」「~のではないかと存じます」の敬語調を使うのがよいか、細心
の配慮をして使い分けます。間違えると相手の心証を悪くすることがあり、支障を来します。日本
人の神経は繊細でそういうところに敏感に反応しやすい。外国人だから大目に見てあげよう、とい
う寛容さや理解があるのなら、日本社会はとうに「多文化共生」できているのだが、現場はそうは
いきません。官庁のメールともなれば、独特の日本語で独特の受け答えが使われ、外国出身者には
ハードルが非常に高い。
ただいま、メールを書く場合の書き言葉の例を挙げましたが、話し言葉となればそれはそれで違
う難しさがあります。ヘンリー・キッシンジャー元米大統領補佐官のようになまった英語でも政権
の中枢にいるというわけにはいかないのです。
もう一つは、言葉だけでなく、日本的な思考・感覚も必要で、非常にわかりやすい例を使うなら
「空気をヨム」といった神経の細やかさが求められます。
集団の中で、はっきり言っている/言われているわけではないけれど、みんななんとなくわかっ
てそれとなく動いて成り立つ、という独特の空気があって、自分もそれに馴染んで考えて物事を運
んでいかないと、浮いてしまいます。正しいから合理的だからはっきりと、ストレートに主張して
よいということと違う、「なんとなく」「それとなく」「あいまい」「あうんの呼吸」の中に存在
する空気を読み取って行動した方が集団の中で過ごしやすいのです。これらはほんの一例に過ぎま
せん。
こうして書き出してみると、これらは事実上、ほとんど日本人にしかできないことで、実際、外
国で生まれ育った外国出身者には難しく、「外国出身者の躍進」の壁になっている要因ではないか
と思います。採用されたものの、そうした雰囲気の中で踏ん張ってがんばるより、違う生き方を選
んでその組織から退散したり、もしくは、初めからその難しさを知って、自ら外野の自由な場で身
を置くことを選択したりします。やはり、幼いときから日本に住んでいるとか、日本に生まれ育っ
て初めてその感覚・感触が身に着くものではないかと思います。私の子供が小学校低学年のとき、
学校で行った遠足で、遠足のねらいと書かれたところに「協調性を身につけるため」とありました。
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日本人は小さい時からこういう訓練をされてきているんだと思いました。
もちろん、「郷に入れば郷に従え」なので、日本人が幼い時から鍛えられてきた協調性を基調と
した集団・組織の中で、外国出身者は一層がんばらなければなりません。そして I am a dreamer
かもしれませんが、できれば新しい風を吹き込みながら。
その一方で、「多文化共生社会」を築く上で、自分と違うところを認める理解や寛容さが必要だ
と思います。言い換えれば、様々な個性があることを知り、共生することをやはり小学年低学年か
ら教えていくことも大事だと思います。大人に関しても、例えば職場などで、外国出身者がたまた
ま誤った日本語の表現をして、気分を害されそうになっても最後は大目に見てあげる、あるいは、
空気をよめずに意見をストレートに言ってきたり、自分たちと違う立ち振る舞いをしても、それが
その人の個性だと思ってあげることから共生が始まるのではないでしょうか。
さらに、そうした個々の努力と同時に、全体の底上げができるように、国からも「平成の門戸開
放」をすすめ、日本のシティズンシップを持ち日本に帰化した「外国出身の日本人」の採用、登用、
活用を推進していただき、I Have a Dream いつか「ジャパニーズ・ドリームを持てる国」になれれ
ばと願っています。
傍らで、国際交流基金助成の青山学院大学国際交流共同研究センター主催の今回のシンポジウム
のように、今年 3 回目と聞いておりますが、毎年シンポジウムを開いて、日本の多文化共生を問い
続けることが、きっと 10 年 20 年 30 年後の日本の変化につながっていくと思います。
大きい問題を限られた時間の中で述べさせていただき、細かい議論を端折ってしまい、お聞き苦
しい点も多々あったことと思います。どうかご容赦くださいませ。
ご清聴、ありがとうございました。
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