はまかぜ 第70号(PDF) - 社団法人・横浜港湾福利厚生協会

平成27年1月1日
一般社団法人
第70号
横浜港湾福利厚生協会
横浜市中区山下町279 ―1
☎045(681)6751
http://www.y‒port‒kousei.or.jp
発行責任者 倉 林 恒 人
編集責任者 豊 田 均
印 刷 所 神 奈 川 新 聞 社
(一社)横浜港湾福利厚生協会
シンボルマーク
(昭和52年11月制定)
福 利 厚 生(wel fare)
の頭
文字Wをデザインしました
〈本紙は再生紙を利用しています〉
迎 春
会 長
謹んで新年のご挨拶を申し上げ
ます。
旧年中は当協会の事業運営につ
きまして、
会員の皆さまをはじめ、
関係官公庁、各団体、業界のひと
かたならぬご支援とご協力を賜
り、
誠にありがとうございました。
今日の横浜港の発展は、ミナト
で働く皆様と、先輩方の並々なら
ぬご尽力の賜物と思っております。
本年も引き続き住宅事業・給食
事業・文化事業等、より一層努め
てまいりますので、変わらぬご支
援ご指導を賜りますよう、お願い
申し上げます。
最後になりましたが、会員の皆
さまや横浜港で働く方々並びに関
係者のますますのご発展とご健勝
を祈念いたしまして新年のご挨拶
とさせていただきます。
写真提供:横浜市港湾局
横 浜 港 運 協 会 横 浜 検 数 検 定 部 会 横浜港湾労働組合連合会
横 浜 エ ゼ ン ト 会 横 浜 港 運 関 連 事 業 協 会 全日本港湾労働組合関東地方横浜支部
横 浜 回 漕 協 会 全日本ワッチマン業協会関東支部 横浜港沿岸労働組合連合会
横 浜 港 湾 荷 役 協 会 神 奈 川 倉 庫 協 会 日本検定労働組合横浜地方連合
京濱海運貨物取扱同業会 横
浜
船
主
会 横浜検数労働組合連合会
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第
回
横浜港関係者
合同慰霊祭
備 が さ れ、「 横 浜 港 関 係 物 故 者
の第一回合同慰霊祭」としてス
タートしたもので、毎年秋に執
り行っております。
今日、横浜港が世界有数の国
際貿易港として繁栄しているの
は、数多くの港湾関係者の尽力
化があることや交渉戦略、裏話
など大変興味深いお話をして頂
き、参加者は、重村先生の講演
を熱心に聞き入っていました。
全横浜港湾大運動会
寄付
付あ
あり
りが
がと
とう
うご
ござ
ざい
いま
まし
した
た
寄
横浜港湾荷役協会、前常務理
事蛭田米一様のご遺族でありま
す蛭田洋子様から当協会にご寄
付を頂きました。ありがとうご
ざいました。
ト。子供たちの徒競争から最後
の職種別対抗リレーまで、会場
場の大黒ふ頭グラウンドには約
千人のみなとの仲間が集まりま
した。
みなと独自の「港湾体操」に
よる準備体操の後、競技スター
目下の致死率 パーセントの
脅威の感染症である。
者が一万人を突破し、死者が五
千人弱に達したと発表しました。
世界保健機構は、十月二十五
日時点で、エボラウィルス感染
前日の雨から一転、運動会日
和の好天となった一一月二日
(日)、今回で第二十三回となる
横浜港大運動会が開催され、会
は終始熱気に包まれ、仲間や家
族との親睦を深めた一日となり
平成二十六年十月二十三日
( 木 ) 午 後 二 時 か ら、 横 浜 市 西
区元久保町にある「久保山霊堂」
にて、横浜港関係者合同慰霊祭
を執り行いました。
平成二十六年十一月二十六日
( 水 ) 午 後 三 時 か ら、 ロ イ ヤ ル
ホールヨコハマ4Fエリゼの間
ました。
回講演会開催
第五十一回となる今年度は、
十四柱を合祀し、第一回からの
にて講演会を開催いたしました。
演いただき、横浜市や港湾関係
者ら約二〇〇名の方が参加され
ました。
講師に迎え「最近の北朝鮮・韓
国と日本の関係」をテーマに講
講師 重村 智計氏
第
合祀者数は二千八百七十六柱に
さいました。
なりました。
近年は、関係者の方々の絶え
間ない努力により、重大労働災
害の減少や個人の健康に対する
認識の高さによって、合祀され
る方々が減ってきております。
この合同慰霊祭は、昭和三十
九年に先輩有志の方々から、「ミ
ナトで働き亡くなられた方々の
御霊を慰め、尊い犠牲に報いる
ために慰霊祭の開催を」との提
言が有り、関東運輸局・神奈川
講演では、米国、日本、中国、
韓国の約三〇年間のGDPの推
移と中国、韓国の日本との外交
交渉の変化から、経済成長が外
交力に大きく影響してくると語
られました。
症状は嘔吐、高熱、下痢、下
血、全身の筋肉の痛みなどがあ
り、特に嘔吐と下痢は、大量の
水分を補給しなければ脱水症状
を起こして死んでしまうほどの
激しさです。
歴 史 面 白 話 其 の 二 十 三
間違いだらけの日本史
(その五)
さの訓練をし、三間半(約六メー
トル)の槍を使わせたと記す。
田楽狭間一本道の両側は足抜き
誘い込み、殲滅する作戦を立て
て軍事調練に明け暮れた事実に
気づく人は皆無と思われる。
一級資料とされる『信長公記』
は、信長が十七、八歳のときか
ら軍師をつけて城下の川でいく
桶狭間合戦を知らない人は少
ないと思う。しかし、信長が十
年以上も前から桶狭間山手前の
田楽狭間の一本道に敵の大軍を
ゆうに十年を超す長期待ち伏せ戦
寺砦が築かれ、大高城を牽制す
の猛反対を押し切って中島砦に
入っている。この中島砦を鳴海
城から守るために丹下砦、善照
ろう。ところが、鳴海城の山口
父子が今川に寝返ったため新た
な囮として中島砦が築かれた。
ここに信長が入ればこれ以上の
囮はないわけである。そして、
桶狭間合戦のとき、信長は側近
道一号)を意識したものと思わ
れるが、大高城は前からあるの
だから、田楽狭間の一本道へ誘
い込むための囮と考えるべきだ
古くからある今川系の大高城
と田楽狭間の一本道(現在の国
文 ・祖 父 江 一 郎
の悪い深田だったから、一本道
べく鷲津、丸根両砦が築かれ、
よく知られるように複雑な攻撃
守備体制になってしまったわけ
り、今川の兵ではない。
もしも、漆山に敵兵が見えた
ことを桶狭間山とする根拠とす
るなら、それは丸根砦を落とし
てきた松平(徳川)氏の兵であ
地ではなかったから、しっかり
山に見えたにちがいない。
桶狭間山は、行政が解説板を
もうける義元本陣跡背後の山と
はいえない丘である。昔は住宅
の異論も間違うというダブルミ
スである。
る。陸軍軍部の迂回奇襲説と同
じ過ちで、それに対抗するため
漆山こそ、桶狭間山」などと、
とんでもないことをいう者がい
それなのに、NHKのテレビ
に出て、「
(中島砦と川を隔てた)
これで何一つとして矛盾はな
くなった。
である。
の両側に展開して、長槍で攻撃
する作戦だった。
ところが、
一寸
先も見えないゲリラ豪雨がきた。
水泳の訓練もやり、信長自身
も熱田辺で土地の者に雨が降り
そうかと尋ねた記録があるか
ら、雨中を突破して田楽坪の松
林に本陣を置く義元に接近でき
た。
ベルでした。今回はすでに五千
人を超える規模になっているこ
信長十六歳とほとんど同じ頃
に鳴海城が築かれている。
発症前の患者と接触しても
ウィルスがうつることはありま
せん。
潜伏期間は二日から三週間、
ウィルス保有者から他人に感染
することはなく、空気感染をす
ることもない。
今年も、港で働く人達の交流を
深めることを目的として、全横
浜港湾関係労働組合協議会が主
とから、ウィルスに何らかの変
異、強毒化が起きている可能性
も否定できません。
行しましたが、死者も数百人レ
催して、二月一日(日)にボウリ
ング大会が開催される予定です。
問題なのは発症患者の血液や
嘔吐物、糞便に混ざったウィル
スが傷口や粘膜から侵入して感
ない、免疫力を高める、流行の
兆しが日本でもみられたら、人
対処法としては、エボラ熱が
確認されている地域には渡航し
染する事態です。
要するに重症化した患者と接
する機会がなければ感染するこ
とはないので、日本ではまず考
参加希望の方は、四名一組で
お電話にて申込下さい。
皆様のご参加をお待ちしてお
ります。
申込・問合せ先
全横浜港湾関係労働組合協議会
☎〇四五(二一二)一六六二
込みをさけて、公衆トイレは使
わないなどの注意が必要です。
ボウリング大会のお知らせ
エボラ熱は、1975年、ア
フリカのスーダンで初めて確認
された。
と犠牲によって築かれたもの
で、改めて、港に命を捧げた数
多くの方々に心から敬意と感謝
をいたし、謹んで、ご冥福をお
祈りします。
本橋 郁子先生
本牧港湾診療所
今回は、韓国・北朝鮮問題の
第一人者である重村智計先生を
第61回
50
えられない状況です。
以前にもエボラ熱は何度か流
うなぎ掴み競走
20
また、北朝鮮と日本が交渉を
行う背景には大国との関係に変
講演をする重村先生
当日は、開式直前まで故人を
偲ぶような秋時雨の中、関東運
輸局をはじめ関係官庁、関係団
体、
労働組合等のご協力を得て、
港湾関係者・ご遺族の方をはじ
め、数多くの方々がご参列くだ
「エボラ熱に
ついて」
51
労働局・神奈川県・横浜市・港
湾業界の協力を得て当協会の合
同慰霊祭特別委員会によって準
挨拶をする藤木会長
第70号 (2)
厚生ニュース はまかぜ
平成27年1月1日