京都の寺院におけるパフォーマンス 遠藤保子

ク、 フ ォー クの 演奏 や ア ン グ ラ演 劇 を も りこん だ
京 都 の 寺 院 に お け る パ フ ォー マ ン ス
遠 藤 保 子
【は じめ に 】
近 年 京 都 の 寺 院 にお い て 、 さ ま ざ まな パ フ ォー
マ ン スが 行 わ れ 脚 光 を浴 びて い る。 筆 者 は 、 こ う
した 寺 院 を オ ル ター ナ テ ィブ ・ス ペ ー ス と と ら え
検 討 を行 って きた(遠 藤 保 子 95年 、96年 、98年)。
そ こで 本研 究 で は 、 まず どの 寺 院 で どの よ うな
パ フ ォー マ ンス が 行 わ れ て い る の か 、 次 になぜ 寺
院 で 行 わ れ て い る の か を考 察 す る 。
【寺 院 とパ フ ォー マ ンス 】
オ ル ター ナ テ ィブ ・スペ ー ス と して の 京 都 の 寺
院 に は、 法 然 院 、 紫 雲 山 永 蓮 院 、 西 山 深 草 派 道 澄
寺 、 浄 土 宗 西 山 深 草 派 日照 山 法 雲 寺 な どの他 に、
最 近 で は妙 蓮 寺 で もパ フ ォー マ ンス が行 わ れ る よ
う に な って い る 。 上 述 した 寺 院 の う ち、96年 の 舞
踊 学 会 で 発 表 して い た 法 然 院 と最 近 始 め た妙 蓮 寺
を除 く3つ の 寺 院 にお い て どの よ うな パ フ ォー マ
ン スが 行 わ れ て い る の か を報 告 す る 。
法 要 が 営 まれ た 。 また これ は 、 寺 の 活動 を さ さえ
る グル ー プ 「道 証 会」(住 職 、 音 楽 家 、 学 生 な ど)
に よ って 企 画 ・運 営 ・出 演 が な され た こ とは 注 目
すべ きで あ り、仏 教 に関心 の な い 人 々 を も巻 き込
ん だ取 り組 み とな った 。
(3)浄土 宗 西 山 深 草 派 日照 山 法 雲 寺
北 区 西 賀 茂 にあ る 法 雲 寺 で も1995年10月 、 西 山
国 師 遠 忌 お待 ち受 け 法 要 「問 法 問僧 」 とい う仏 教
パ フ ォー マ ンス が 行 わ れ た 。 この パ フ ォー マ ンス
は現 在 の 住 職小 島 雅 道 と前 述 の 鵜飼 住 職 が 共 同 で
企 画 運 営 し た も の で あ り、 小 島 住 職 の 寺 や パ
フ ォー マ ンス の考 え 方 は鵜 飼 住 職 と同 じで あ る。
【市 民 の 交 流 の場 と して新 しい役 割 を担 う寺 院 】
なぜ 人 々 は 寺 院 で パ フ ォー マ ンス をす る の だ ろ
うか 。 聖 徳 太子 の 時代 か ら仏 教 を広 め よ う と して
舞 踏 や音 楽 を用 い て い た とい う こ とや近 世 の寺 院
参詣 が観 劇 や舞 踊 とが不 可分 で あ っ た こ とを考 慮
す る な ら、 今 日の 寺 院 に お け る パ フ ォー マ ンス は 、
(1)紫雲 山 永 蓮 院
左 京 区 黒 谷 町 の 紫 雲 山 永 蓮 院 で は 、1994年 秋 か
ら 「ア ー トス ペ ー ス ・永 蓮 院」 が 開催 され て い る 。
これ は 、 「寺 と い うの は 日本 文 化 の 象徴 で あ り、
そ の 寺 の もつ 空 間性 が 新 しい 芸術 を生 む 。」とい う
土 肥 真 司 住 職 の 考 え に よ って 誕 生 した 。 永蓮 院 の
取 り立 て て新 しい こ と とは い え な い。 従 っ て 冒頭
で述 べ た脚 光 を浴 び た理 由 と して 、 レ トロ な もの
と して受 け 入 れ られ た か 、単 に物 理 的側 面 か らパ
フ ォー マ ンス を行 う場 が不 足 して い る た め とい う
見 方 も成 り立 ち うる 。
しか し、 これ まで み て きた寺 院 に共 通 してい え
る こ とは 、寺 が一 般 市 民 の交 流 の場 と して新 しい
役 割 を担 うべ きだ とい う思 想 的基 盤 が 読 み 取 れ る
こ とで あ る。 しか も、 た だ単 に スペ ー ス を貸 す と
い うだ け で は な く、寺 院 は芸 術 家 に寺 院 関係 者 の
本 務 に差 し障 りの な い 範 囲 で モ ダ ン ダ ンス 、 イ ン
ド舞 踊 、 イ ンス タ レー シ ョン、 コ ンサ ー ト、 気功
な ど さ ま ざ まな ジ ャ ンル の催 しが行 わ れ て い る 。
こ こ を利 用 した 芸術 家 に よる と、寺 院 の雰 囲気 を
取 り込 ん だ パ フ ォー マ ンス にな り劇場 で は味 わ え
な い 作 品 にな る とい う。 施 設 は 自由 に利 用 で き、
使 用 料 金 も決 ま って い な い 。 永蓮 院 の特 色 の1つ
は 、1992年9月 に設 立 され たパ フ ォー ミン グ ・ア ー
ツ ・ネ ッ トワー ク(PAN)の
事 務 局 が あ る こ とだ。
PANで は パ フ ォー マ ン スや バ レエ を 中心 に公 演
情 報 や 公演 評 な ど を紹 介 す る情 報 誌 「PAN通 信 」
を発 刊 し、 芸術 家 間 の ネ ッ トワー ク を進 め て い る 。
(2)西山 深 草 派 道澄 寺
伏 見 区 深草 に あ る 浄土 宗深 草 派 道澄 寺 は 、銅 板
ぶ き鉄 骨3階 建 て とい うユ ニ ー クな 寺 院 で あ る 。
鵜 飼 泉道 住 職 は 、「寺 は本 来地 域 の コ ミュ ニ テ ィー
セ ン ター で あ り、 人 々 に 開 か れ た場 で あ る 。僧 侶
は悩 み を持 っ て い る 人 々 と 日常 生 活 の レベ ル で密
広 い意 味 で の仏 教 的 な精 神 的 関与(ど の よ うに生
きるべ きか 、 どの よ うに環 境 と人 とが か か わ るの
か)が あ っ て こそ の文 化 の場 で あ り、 その 寺 の 醸
し出 す独 特 な空 間 に よっ て新 しい芸 術 が 誕 生 す る
場 と と らえ て い る こ とで あ る。 新 しい芸 術 の誕 生
に 関 して は 、寺 院 関係 者 だ け で は な く芸 術 家 自身
も新 しい表 現 が可 能 で あ る と言 及 して い る こ とか
ら両 者 に い え る こ とで あ ろ う。 また 、 こ こ で取 り
上 げ た寺 院 の殆 どが 浄土 宗 で あ る こ とか ら、浄 土
宗 の教 義 とパ フ ォー マ ンス との 関 わ りが 考 え られ
る が 、今 の と ころ不 明 で あ る。 が 、浄 土 宗 は そ の
他 の宗 派 に比 べ る と芸 術 を柔 軟 に受 け 入 れ る宗 教
的 基盤 は あ る と鵜飼 住 職 は指 摘 して い る 。
寺 院 にお け る パ フ ォー マ ンス は 、 人 と人 、 あ る
い は超 自然 との コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン を復 活 させ 、
環 境 との 共生 原理 を模 索 す る文 化 的 「装 置 」 と も
い え る の で は な い だ ろ うか 。
接 に 関 わ り を持 つべ きだ 。 そ の た め に は 閉鎖 的 な
寺 院 の イ メー ジ を変 え 、 説教 や仏 典 な ど を読 む だ
け で は な く、 パ フ ォー マ ンス とい う表現 方 法 を取
り入 れ る こ とに よっ て 、 寺 は現 代 の 人 々 にア ピー
ル す る こ とが で きる 。」と考 え て い る 。そ して、1988
【
参 考 文献 】
遠 藤保 子: 95年 パ フ ォー マ ンス オ ル ター ナ テ ィ
ブ ・ス ペ ー ス 立 命館 大 学 産 業 社 会論 集31巻3号
小 池 ー子: 92年 空 間 の ア ウ ラ 白水 社 小 林 進: 98
年 オ ル ター ナ テ ィブ ・ス ペ ー ス論 ダ ンス ワー ク40
年12月 本殿 の完 成 時 の 落 慶 法 要 には 、ジ ャ ズ 、ロ ッ
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