日本音楽史研究所 月例通信 No.15

おおよその目安をつけた後は、その頃に同じ曲目が演奏された記録はないかを調べます。
その際に重要なヒントとなるのが、図版のうち曲名列挙の後に記された3行の文章です。
日本音楽史研究所
月例通信
No.15
平成 27(2015)年度 6 月
今月は、本研究所所蔵の史料とその背景の一端についてご紹介したいと思います。
史料紹介〔舞目録・楽人〕
大意を記せば――秘曲《荒序》部分も上演する意向であったが、その配役が決着せず、勅
許も下りないため《荒序》は取りやめとする。代わりに秘曲《採桑老》を演奏するように
という命である――となります。
上記の内容にぴたりと符合する記録が、中院通冬という公卿の日記に見つかりました。
康永元年(1342)8月5日に以下の点が記されます。――①八坂塔供養の舞楽では秘曲《荒
序》を予定するが、笙の演奏権を巡って楽人「惟秋」と「龍秋」が争っており、②光厳上
皇からは、秘曲を継承している者が騒ぎを起こしてはならぬという仰せも出された。③本
日、将軍家からは《荒序》を省くので代わりの曲をお決め戴きたいという点が光厳上皇に
伝えられ、④結果、
《採桑老》がよいという上皇の仰せがあった――
演奏者が定まらず《荒序》から《採桑老》へ変更された点、上皇(その意をうけた天皇ヵ)
の命によって《採桑老》に落着するという点が合致することから、本史料〔舞目録・楽人〕
は康永元年8月8日に営まれた八坂塔供養における散状であると考えられるのです。
八坂塔供養
足利尊氏・直義は、室町幕府成立までの戦乱による死者を弔うた
めに国々に一寺一塔を設けることを計画し、それらは光厳上皇によって安国寺・利生塔と
名付けられました。山城国(京都)については法観寺(ほうかんじ)五重塔を修理してこれ
にあてており、康永元年の八坂塔供養はまさに利生塔披露の大供養であったのです。
この塔供養は鎮魂と平和祈願という目的と共に、室町幕府の威信を示す重要な機会にも
なりました。そのため、将軍家・上皇・天皇らが曲目選定に関わったのであり、楽人らも
本史料は、ある行事に際して演奏される舞楽 14 曲の目録とその配役を記したものです。
演奏の機会を得るため争ったという様子を理解することができるでしょう。
関係者が事前に回覧し、情報を共有するために作られた「散状(さんじょう)」という類い
この塔は永享8(1436)年に焼失しましたが4年後
の中世文書になりますが、差出人・日付など、固有の名称を付けるための手がかりは記さ
に再建され、今日も「八坂の塔」として人々に親しま
れていません。何時、どのような機会での文書でしょうか?
成立年不明の文書においては、まず登場人物の生没年を調べます。図版2行目の「左」・
「右」は左舞・右舞を指しますが、「右」の下に記された配役の筆頭「久春」については
1344 年没と判り、その孫「久邦」が「楽人」のうち「征(鉦)鼓」の配役にみえます。
「久邦」は 1327 年の誕生なので、成長するまでの十数年を加算します。つまり、両名で演
奏が可能となる期間はかなり限られ、候補は 1344 年を下限とする数年間となるでしょう。
れています。今年の夏期休暇、京都を訪れる方は、是
非「八坂の塔」を訪れてみて下さい。
法観寺:京都市東山区に所在。
(文責:研究員 三島暁子)
日本音楽史研究所月例通信 No15
2015 年 6 月 30 日発行
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〈6月の動向〉 「声明史料調査」が始動: 主任研究員新井弘順、特別研究員新井弘賢
を中心として、本所架蔵の声明史料の体系的な調査が始まりました(6/24)
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田中康寛氏、沼尻憲尚氏、戸部憲海氏らがこれから書誌情報の採取にご助力下さいます。