丹羽 宇一郎氏

「中国経済と日中関係の今後」
元中国大使
丹羽
宇一郎氏
【略歴】
1962 年伊藤忠商事入社、1998 年同社社長、2004 年会長に就任、2005 年 7 月~2010 年 6 月認定
NPO 法人国連 WFP 協会会長、2006 年 10 月~2008 年 10 月経済財政諮問会議民間議員、2007 年 4
月~2010 年 3 月地方分権改革推進委員会委員長。2010 年 6 月~2012 年 11 月中華人民共和国駐
箚特命全権大使。主な著書は、「人は仕事で磨かれる」、「汗出せ、知恵出せ、もっと働け!」な
ど多数。
●はじめに
皆 さ ん 、 こ ん に ち は 。 大 変 大 き な テ ー マ を 40 分 で お 話 を す る と い う の は 、 一 冊 の 本
を 40 分 で お 話 し す る と い う の は 、 か な り 至 難 の 業 で あ り ま す し 、 言 葉 足 ら ず の 点 が 出
て来るのではないかと思いますが、ご容赦をいただきたいと思います。テーマは中国経
済というのが先でありますが、やっぱり日中関係からお話をするほうがよろしいんじゃ
な い か と い う こ と で 、日 中 関 係 に つ き ま し て 約 20 分 、中 国 経 済 に つ き ま し て 約 20 分 と 、
公平にいきませんとどちらも舌足らずになってしまいますので、そのようにお話をさせ
ていただきたいと思います。
●日中関係
~日中関係の歴史と時代背景~
日中関係につきましては、もう様々なところで色んなことが言われておりまして、皆
様 方 も 普 通 の 事 象 に つ き ま し て は 、 十 分 ご 存 じ だ と 思 い ま す の で 、 か つ ま た 20 分 と い
うことでございますから、全部網羅することはとても出来ないと思います。簡単にトピ
ックス的なことを少し舞台裏も含めてお話しをしたいと思います。
日中関係を考える上において、一番大事なことは「何故こうなったんだ」というふう
なご質問が大変多いわけであります。それじゃあやっぱり歴史を見てみる必要がある。
第 二 次 大 戦 後 、1949 年 、中 国 共 産 党 政 権 が で き ま し て か ら 、ど の よ う な 形 で 日 本 と 中 国 、
「やはり仲良くしていこうや」と、あるいは貿易を拡大していくというような話になっ
てきたかということから始めたいと思うわけであります。私は基本的には外交もそうで
ありますし、人間の思想とか哲学というのは、やはり時代の背景、環境というものの影
響から脱却することは出来ないだろう。その一番良い例が、人間というのは、かなりう
ぬぼれの強いものでございまして、自分がやった、あるいは自分の力を過信するところ
が あ る わ け で あ り ま す 。そ れ は も ち ろ ん そ れ な り の 影 響 が あ る わ け で あ り ま す け れ ど も 、
やはり時代の流れ、時勢、あるいはそのときの世界の環境、あるいはその潮流というも
のに大きな影響を受けるものだと思います。例えば一番ご存じの例で言えば、マルクス
思想というものは、恐らく今の時代に日本やアメリカでは生まれなかったであろう。そ
れ は や は り 19 世 紀 の 前 半 か ら 後 半 に か け て の 資 本 論 と い う の が 出 て き た 。 と い う の は
第一次産業革命のイギリスの動きが大陸に波及して、資本と労働の対決というものが鮮
明になってきた中で、ああいう理論というのが生まれてきた、ということが言えるだろ
うと思います。
あ る い は ケ イ ン ズ の 経 済 理 論 に し て も 、 20 世 紀 の 1930 年 の 世 界 大 恐 慌 前 後 の 経 済 情
勢の中から、ああいう理論が生まれたろうというふうに考えるほうが妥当ではないか。
ということになりますと、やはり日中関係につきましても、そういう時代の背景、時勢
の流れというものの影響から脱却することはできなかったろう。従って、周恩来が偉い
とか、あるいは毛沢東、あるいは一番最初に動き始めたのは、私は日本では石橋湛山、
元首相だと思っているわけでありますが、それもそういう日本を取り巻く世界の環境、
あるいは日中、朝鮮、アジアの環境の影響から脱却ができなかったろう。毛沢東も周恩
来も同じであろう。これは偉人と言いますか、カリスマ的な人間がこの日中関係という
ものの端緒を開いたということではないだろう。大部分、やはり時勢の影響を受けてい
るのではないかというふうに思っております。
そういう目で、それじゃあ具体的にということで見てみますと、当時の中国の環境は
ど う で あ っ た か 、 と い う こ と で あ り ま す が 、 1956 年 に 第 20 回 の ソ 連 党 大 会 で 、 当 時 の
ソ連の首相のフルシチョフが、スターリン批判を展開致しました。ソ連共産党の社会主
義国家というのは、その世界では初めてのものでございます。そういう中でスターリン
というのがトロツキーとの戦いもありましたがレーニン、スターリン体制というのを毛
沢東も大変に尊敬をし、支援も受けていたわけでございます。そういうときにイデオロ
ギ ー 闘 争 が 始 ま っ た の で す 。そ の 後 、57、58 年 で 両 国 の 首 脳 の 訪 問 が あ り ま し た が 、や
は り コ ミ ュ ニ ケ が 発 表 で き な い よ う な 中 ソ 険 悪 な 関 係 と い う の が 出 て き ま し て 、59 年 に
ソ 連 は 原 子 爆 弾 の 技 術 供 与 と い う の を 破 棄 致 し ま し た 。 そ し て ソ 連 の 技 術 者 は 1960 年
に 総 引 き 揚 げ し て い る 。そ し て 中 国 と イ ン ド の 国 境 紛 争 が 発 生 し て い る 。64 年 に は 、中
国は原子爆弾の実験に成功している。当時はじゃあ日本はどうだったか。日本はもはや
戦 後 で は な い と い う 経 済 白 書 、 1956 年 。 経 済 躍 進 の 時 代 を む か え て い た 。
石 橋 湛 山 が 1959 年 に 周 恩 来 と 実 は 会 談 を し て お り ま す 。 そ の 2 、 3 年 前 に 彼 は 日 本
の 首 相 を や っ て 、体 調 不 良 で 辞 め ま し て 、そ の 後 1 、2 年 後 に 周 恩 来 と 会 談 す る ん で す 。
石 橋 コ ミ ュ ニ ケ 石 橋 三 原 則 、 こ れ は 巷 で 言 わ れ る 1972 年 第 1 回 の 日 中 共 同 声 明 、 周 恩
来、田中角栄の礎になっております。基本的な考え方は、石橋三原則をほとんど反映し
たものになっているわけであります。そしてその当時のアメリカと中国の関係は、かな
り険悪なものでございます。そういう中で中印紛争というのが発生致しました。あるい
はまた中ソの領土紛争というのは、新疆ウイグルを巡って一触即発の関係にある。中国
を取り巻く外的環境の中で、中国は日本の経済的な躍進という神武景気、岩戸景気とい
う の が 、ち ょ う ど 1955 年 か ら 61 年 位 の 間 に あ り ま す 。そ の 後 い ざ な ぎ 景 気 に 入 っ て 行
くわけでありますが、日本の輸出の力はロンドンのエコノミスト誌が「ミラクルジャパ
ン」と言うほど大変強いものがありました。そういう日本との経済関係の強化というも
のも彼らの頭にあり、あるいは中ソ、中印の紛争という、あるいは中国とアメリカ、キ
ッシンジャーの訪中というのもございました。そういう経済環境の中で国民の必ずしも
多数の賛成が得られたかどうか別として、かなりの反対がありました。これを押し切っ
て 周 恩 来 、田 中 、両 国 の ト ッ プ が 会 談 し 、日 中 共 同 声 明 に な っ た と い う こ と で あ り ま す 。
そ し て そ の 過 程 の 62 年 に LT 貿 易 、高 崎 達 之 助 の 貿 易 交 渉 の 合 意 に な っ た わ け で あ り ま
す。
それをここで私が申し上げたのはなぜかと申しますと、今後の日中関係を考える上に
おいて、こうした時代背景の影響は将来もありうる。つまり日中関係がどうなるかは、
ただ単に習近平と安倍総理の話ではない。やはり北朝鮮との間がどうなるんだろう、あ
るいは日本の経済はどうなるか、中国の経済はどうなるか、そういった世界の政治経済
の環境というものの影響から脱却することはできないだろう。従って、われわれが日中
関係、あるいは中国の経済を考えるだけではなくて、中国とソ連、中国とベトナム、フ
ィリピン、アジア、あるいは日本、アメリカというニュース、あるいは動きに絶えず注
意 を 払 っ て 、 判 断 を し な い と い け ま せ ん 。 あ る い は 10 年 後 、 20 年 後 、 こ れ ら の 世 界 の
動きはどうなんだということに注意を払わないで、日中関係はこうすべきだ、ああすべ
きだということでは必ずしも将来の日本国民の幸福を考える上において十分ではないと
思うからです。従いまして、これから私もそうですが、皆さんも是非世界のニュースに
目を配って、とりわけ中国を取り巻く、日本を取り巻く環境というものに目を配って、
この日中関係を考えていく必要があるだろうということで申し上げているわけでありま
す。
~棚上げ論について~
さて、あと5分しか日中関係の話の時間がないわけでありますが、日中関係で今一番
問題になっておりますのは、例の「棚上げ論」でございます。これも簡単にお話しする
しかないわけであります。
「 棚 上 げ 論 」と い い ま す の は 、田 中 角 栄 、周 恩 来 の 間 に あ っ た
と 言 わ れ て お り ま す 。私 は 中 国 の ト ッ プ の 方 、何 人 も お 会 い し ま し た 。
「われわれには証
拠 が あ る 、棚 上 げ 論 」
「 見 せ て く れ 」。全 然 見 せ て く れ ま せ ん 。
「日本は棚上げ論の合意を
破 っ た 」。 そ ん な こ と は あ り ま せ ん 。 私 の 答 え は い つ も 1 つ で あ り ま し て 、「 公 式 の 記 録
に お い て は 、『 棚 上 げ 』 と い う 文 言 は ど こ に も な い 」。 そ の ど こ に も な い 外 務 省 の 公 式 記
録を「あった」ということは、どの政府だろうと、大使であろうと、言うことはできま
せ ん 。「 あ っ た 」 か 「 な い 」 か は 、 公 式 の 記 録 以 外 に な い ん だ 。「 い や 、 そ う い う 話 が あ
った」と。話があったのは、いちいち総理に口で全部政権交代のときに伝えているか。
そ ん な こ と は 出 来 ま せ ん 。 約 40 人 の 総 理 が 石 橋 湛 山 以 来 今 日 ま で 変 わ っ て お り ま す 。
40 人 に 口 で 「 棚 上 げ 」 あ っ た ぞ 、 あ っ た ぞ 、 と そ ん な こ と は あ り え な い 。 だ か ら 「 棚 上
げ論」は公式にはない。これは明確であります。
ところが最近色々なことが出てまいりました。当時の橋本中国課長が、実は田中角栄
が周恩来に対して無言でいて中国側が勝手に棚上げと言っただけだという説が有力であ
り ま し た が 、実 は 当 時 の 中 国 課 長 は「 田 中 角 栄 が 周 恩 来 の そ れ に 対 し て 、
『それはそうで
すね、そうしましょう』と言った。だけど公式記録から削除した。彼の一存で」だと思
いますが、載っていない。それを栗山大使が「そういうものがあった」とまた認めた。
しかしながら、彼らが嘘をついているかどうかも分からない、それは。つまり本人達以
外誰も証明できない。本人がそう言っても、ひょっとしたらそれは本当じゃないかもし
れ な い 。つ ま り 公 式 な 記 録 に な い も の は 、今 の 政 府 と し て は 、
「 な い 」と い わ ざ る を 得 な
いんだというふうに私は言ってきています。中国は何故それじゃあ証拠を見せないか。
中国の公式記録には多分「田中角栄がそう言った」と書いてあるんでしょう。そうすれ
ば 日 中 の 合 意 が あ っ た じ ゃ な い か と 。「 見 せ な さ い 」 と 、 見 せ た ら そ れ が 本 当 か ど う か 、
これは中国が勝手に書いたんじゃないかという説も出て来るかもしれない。従って、最
近のレーザー照射と一緒で、要するに証拠を見せれば、その証拠に対して完璧な反対の
理屈を付けるのは官僚の最も得意なところです。理屈の天才と言うんです。従ってそん
なものを見せたところで、それが本当かどうかというのは全く分からないんだというこ
と で 、き っ と 中 国 も 最 後 ま で 余 程 の こ と が な い 限 り 出 さ な い だ ろ う 、と い う こ と で す が 、
そ の 後 の 1978 年 の 園 田 外 相 、 あ る い は 鄧 小 平 さ ん の 話 か ら す る と 、 あ る い は 橋 本 ひ ろ
し さ ん 、最 近 は 横 浜 市 立 大 学 の 矢 吹 名 誉 教 授 の 話 な ど を 勘 案 す る と 、
「どうも煙が立って
い る な 」。本 当 に 火 が 付 い て い た か ど う か は 分 か り ま せ ん が 、
「 ど う も 煙 の 匂 い が す る な 」。
つまり「棚上げ論」は煙の中にあるということであります。
それから国有化で何故これだけの問題が起きたか。もちろん当時の某知事が、そのよ
うな発言を国際的に表明された。その後、昨年の七夕の日に、領土の国有化という言葉
を 総 理 は 使 っ て い な い ん で す 。「 尖 閣 島 の 取 得 」 と い う 、「 取 得 」 と 言 っ た ら 国 有 化 と 言
われてもしょうがないわけでありますが、そういう発言後、様々な交渉の過程で、日本
の国有化について一切認めることはできない。それは一切「棚上げ」ということなんだ
から、触らないということのはずだと言っております。そういうんであれば、それじゃ
あ 日 本 側 と し て 申 し 上 げ た い の は 、1992 年 に 中 国 が 領 海 隣 接 区 域 法 と い う の を 作 り ま し
た 。こ の 領 海 隣 接 区 域 法 の 中 で 尖 閣 諸 島 は 中 国 の 領 土 で あ る と い う の を 明 文 化 し ま し た 。
「 君 た ち が 最 初 に そ の 棚 上 げ を 破 っ た じ ゃ な い か 」と い う こ と に な る わ け で あ り ま す が 、
こ れ が ま た 理 屈 っ ぽ い 人 間 か ら 言 う と 、「 領 土 と い う も の は 両 国 固 有 の も の で あ る 」。 固
有というのはどの程度かしれませんが、そういうような議論が当然前からあるわけです
が、歴史的な認識からいって、尖閣は日本のものだというんであれば、中国側は六百数
十年前の明の時代の鄭和の頃から、これは明の時代から中国のものだ。そんなことを言
うなら琉球だって、昔は琉球と言った。この琉球は中国の明の時代からの朝貢関係にあ
ったじゃないか。古けりゃあいいのか。誰かあの海を船で通って「ああ、あの島が見え
た か ら 俺 の も の だ と 」。そ れ は な い で し ょ う と い う よ う な 議 論 が 延 々 と 両 国 穴 ぼ こ だ ら け
の領土主権の主張のし合いは本当に非建設的な議論であります。
そんなものいくら続いても解決するわけがない。それじゃあこれからどうするか。ち
ょ っ と 20 分 過 ぎ ま し た が 、 こ れ か ら ど う す る か と い う こ と で あ り ま す け れ ど も 、 私 は
周恩来が言うように、両国は歴史的に見ても、争ったらいいことは1つもない。平和に
進めれば、両国にとってプラスだ、この数カ月見てみればお分かりの通りであります。
何が起きたか。貿易は停滞をし、両国の間の行き来する人間は大幅に減少した。両国に
とってプラスのことは1つもない。意地の張り合いだけです。意地の張り合いで誰が得
したんですか。誰も得しない。長い目で見て、やはり船の往航にしてもあるいは貿易に
しても、1つもいいことはないじゃないかということをまず認識しなきゃいけない。じ
ゃあ何故こうなっているか。意地の張り合い。まさに夫婦喧嘩で意地の張り合いでどっ
ちが頭を下げる。下げないですね、お互い。そんなものは目をつぶって下げたらいいじ
ゃないか、と言って私も夫婦間でもやりませんけれど。そういうことは両国の間で、国
と国の間ではもっと難しいということですね。
それで私が言いたいのは、日本と中国の間に領土問題について争っているんだという
ことぐらいは日本が認めないといけないんではないか。争っているということを認めた
からといって「この領土を君にあげる」という話じゃない。絶対にあげちゃいけない。
領 土 を 話 し 合 い で 譲 っ た 例 は 歴 史 上 皆 無 に 近 い 。ど の 国 も そ ん な こ と は や ら な い ん で す 。
領土の解決には3つしかないと。司法に訴えるか、法律に訴えるのか、話し合いで解決
するか、武力で戦争をやるか。どれもできません。司法に訴えるって、自分の領土をわ
ざわざ裁判所に訴えるなんて1人もいない。相手も受けない、それから話し合いで解決
するのもさっき申し上げたように皆無です。そんなことはやれない。じゃあ、武力か。
戦 争 は し ち ゃ い け な い だ ろ う 。3 つ と も な い じ ゃ な い か 。だ か ら 係 争 が あ る ん で あ れ ば 、
3つともないけれど、第4の道があるだろう。
4 番 目 の 道 は 何 か 。「 頭 を 冷 や せ 」、 お 休 み タ イ ム 。 寝 ち ゃ い け な い で す よ 。 お 休 み タ
イムを作って、お休みを忙しいお休みタイムにしなきゃいけないわけ。頭を冷やして、
少し冷静に考え、話し合いをしようや。何の話し合い。武力を使わないでいきましょう
ね。それから漁業の協定を結ばなきゃいけないならしましょう。資源の開発を一緒にや
る な ら や り ま し ょ う 。話 し 合 わ な き ゃ ま と ま り ま せ ん 。話 し 合 い で 解 決 は し ま せ ん 、100
年間も。だから解決しないんです。しなくてもいいから両国が話し合っているというこ
と。武器は絶対にとらないということ。この2つだけはっきりしておけばいいんです。
あ と は 解 決 し な い ま ま 100 年 位 過 ぎ て も い い ん で す 。わ れ わ れ は い ま せ ん け ど も み ん な 、
それでいいんですよ。領土問題というのはそういうふうにジワジワジワジワ行ったり来
た り し な が ら や っ て い く し か な い ん で す 。そ れ で 戦 争 を 避 け る 。戦 争 な ん て い う も の は 、
両国民にとって決して幸せな結果を生まない。
そして「血を流しても領土は絶対に守るんだ」というおじさんがたくさんおります、
最近の日本には。でもその人たちは絶対に血を流さないですね。戦争にも行けない年で
すから。行くのはみんな若者なんです。そんな若者に血を流させて自分は机に座って、
「やれやれ」という、それはフェアじゃない。絶対に無駄な戦争しちゃいけない。とい
うことで、私は、この日中韓の両首脳が少なくともどちらが頭を下げるということもな
くできる唯一のチャンスが今あるんです。
それは何か。日中韓の三首脳が集まるのが毎年春なんです。この春に日中韓の三首脳
が会うんですよ、毎年一回。いよいよこれが近づいてきた。そのときに日本と中国の両
者が、あの狭いソウルで顔を合わせたときに顔をそむけるという事態になったら、永遠
に解決は難しくなる。私はその前に日本政府が、先般山口公明党代表がお行きになった
よ う に 、今 度 は 与 党 の 特 使 が 中 国 に 行 っ て 、
「 今 度 会 っ た と き は 顔 を 背 け な い で 、た だ 1
つ色々厳しいことを言うけれど、これは国内向けだ。国内向けに言っているんだから、
本 音 は 仲 良 く し た い ん で す 」と 、そ の 一 言 だ け 両 国 の 首 脳 が 合 意 す る 、
「細かいことは部
下に任せて話をしましょう」ということを確認して欲しい。そうすればヒラメのような
部 下 は 、 み ん な 上 の 顔 色 を 窺 っ て 、「 ど う や ら 両 国 首 脳 は 仲 良 く し よ う と し て い る な 」、
これでいいんです。そして「武器は絶対使わないようにしましょうね」と。これをやる
の は 韓 国 で 行 な わ れ る 首 脳 会 談 。日 本 で や っ ち ゃ い け ま せ ん 、中 国 で や っ て も い け な い 。
韓国でやるからいいんです。それが唯一のチャンス。それはいつか。桜が咲く頃だ。そ
の桜は韓国の桜が咲く頃だ。日本じゃない。韓国の桜が咲く頃、5月か6月か知りませ
ん が 、そ の 頃 に そ う い う 形 で 両 国 の 首 脳 が 会 っ て 、や あ や あ 、と 。1 つ だ け 確 認 し よ う 、
武器は使わないでおこうね。本当は仲良くしたいけど、国内に色々問題はあるから、日
本は参議院選があるし、習近平もまだなったばっかりで基盤がはっきりしていないし、
ということで合意をする。これが第4の道であります。ちょっと5分をオーバーしまし
た。
●中国経済
~中国経済の中の日本の位置~
今度は中国経済をどう見るかと
いうことですが、今の中国の経済
の中で、日本はどういう位置にあ
る か 。 日 本 の 会 社 は 22,000 社 あ
るんです、今、中国に。日本の会
社 ― 事 務 所 の 総 数 は 、大 体 500 万
社 弱 で す 。400 万 台 に な り ま し た 。
中国がどれぐらいの会社があるか
ということですが、登録するベー
ス に お い て は 、 大 体 1,400 万 社 位
あ る 。 中 国 は 人 口 が 10 倍 で す か
ら 、日 本 が 500 万 社 な ら 5,000 万 社 あ っ て も 不 思 議 な い 。で も 個 人 経 営 と か 個 人 事 業 の
よ う な 7 ~ 8 人 以 下 の 会 社 を 入 れ る と 恐 ら く 4,000 万 社 位 あ る ん じ ゃ な い か と 言 わ れ て
お り ま す 。 そ う い う 中 で 2 万 2,000 社 あ る 。 で も 世 界 の 中 で 中 国 以 外 の 国 の 中 で は 日 本
が ナ ン バ ー ワ ン で す 。 ア メ リ カ を 抜 い て 2012 年 に 日 本 が ナ ン バ ー ワ ン の 企 業 を 中 国 の
中 で 持 っ て お り ま す 。 12、 3 万 人 の 日 本 人 の 家 族 、 あ る い は 滞 在 者 が お り ま す 。 そ し て
そ の 中 に お い て 、 日 本 と 中 国 の 貿 易 額 は 過 去 40 年 間 で 340 倍 に な り ま し た 。 日 本 と 中
国 の 人 々 の 往 来 は 540 倍 に な り ま し た 。 40 年 間 、「 棚 上 げ 」 か ど う か は 別 に し て も 仲 良
くなってきた成果であります。それが止まっている。減少に転じている。何も良いこと
はありません。意地の張り合いだけが良い事といえば良い事かもしれません。
~中国、第一資本主義から第二資本主義へ~
という中で、それでは中国経済をどう見るか、この表をせっかく私が作ったので見て
いただきたいんですが、これは中国経済で、もう1つ日本のものを映していただけます
か 。 こ れ を 見 て 下 さ い 。 私 が こ こ で 言 い た い の は 、 1955 年 か ら 73 年 は ま さ に そ う い う
さ っ き の 神 武 、 岩 戸 、 い ざ な ぎ の こ と で す が 、 こ の 17、 8 年 間 で 日 本 の 実 質 経 済 成 長 率
9 % で す 。そ し て 名 目 は 15.7% 。今 の 経 済 成 長 は 何 % で す か ? 先 般 も マ イ ナ ス が 出 て い
ましたが、雇用から輸出から見ていただいたら分かるように、とんでもない成長をして
お り ま す 。 僅 か 40 年 ち ょ っ と 前 で す ね 。 そ う い う 経 済 成 長 を し て 、 そ の 後 で す 。 こ こ
か ら が ポ イ ン ト で す が 、半 分 以 下 に 落 ち て い る 。第 一 次 資 本 主 義 。第 二 次 資 本 主 義 が 1973
年 か ら 90 年 で す 。 資 本 主 義 と い う の は 、 こ う や っ て 発 展 を し 、 こ う や っ て 急 成 長 し て
中 期 成 長 期 に 入 る 。 次 の 画 面 で す 。 中 国 の を 見 て 下 さ い 。 中 国 は さ っ き の 1955 年 ― 73
年 の 日 本 と そ っ く り な の が 、 78 年 か ら 2010 年 。 こ の 30 数 年 の 期 間 で す 。
私が申し上げたいのは、中国の第一資本主義はそろそろ終わりに近いぞ。中国は奥が
深 い か ら 、 日 本 が 17、 8 年 の 高 度 成 長 期 間 が 30 年 位 続 い た 。 で も こ れ か ら 第 二 次 資 本
主義に入る。私が予言しています。そしてそれがどれぐらいか。多分この半分位いくだ
ろう。つまり実質5%位に落ちるだろう。それは何故かと。今まではインフラと輸出で
高度成長を達成した。日本も同じような動きでした。インフラはゼロになりません。で
もこれからは内需を中心とした経済成長に入って行くだろう。内需を中心にしたという
こ と は 、多 分 で す よ 、中 国 の 労 働 者 の 給 料 が ど ん ど ん 上 が っ て い く だ ろ う 。日 本 も 1955
年 と い う よ り も 、 む し ろ 60 年 の 真 ん 中 位 か ら 、 1974 年 位 ま で の 間 、 毎 年 の よ う に 労 働
争議をやりました。ご出席の方々は大部分ご経験があると思いますが、中小、大企業を
含 め て 、 大 体 1,500 か ら 2,000 件 、 毎 年 で す 。 1973~ 4 年 は 、 5,000 件 位 1 年 に 労 働 争
議。労働争議というのは、半日ストライキと全日ストライキです。日本でです。その期
間 日 本 は 、 労 働 者 の 給 料 は 中 小 企 業 も 大 企 業 も 含 め て 15% か ら 20% 、 74 年 は 何 と 30
数%1年で給料が上がっています。中国の今、こういった第一次の高度成長期、ちょう
ど日本もそうでした。さっきもお示しした通り、9%位の成長を遂げてきた。その間、
そういう労働争議があるものの、給料は毎年のように上がる、そして内需主導の経済に
移 っ て い っ た 。給 料 を 上 げ な い で 内 需 主 導 な ん か で き ま せ ん 。そ う す る と 中 国 も 4 、5 %
になるでしょうけども、多分内需主導に移っていく。つまり元が高くなるというような
ことで輸出の伸びが止まるでしょう、あるいはスローダウンしていくでしょう。インフ
ラは全部無くなりません。インフラはまだまだですね、中国は大変なインフラをこれか
ら や る こ と に な る と 思 う ん で す 。例 え ば 高 速 道 路 は 8 万 5 千 キ ロ あ る ん で す よ 、中 国 は 。
日 本 は 9,078 キ ロ で す 。こ れ を 10 万 8 千 キ ロ ま で 増 や し ま す 。そ れ か ら 高 速 鉄 道 は 7,334
キ ロ 、 こ れ を 1 万 6 千 キ ロ に す る 。 日 本 は 2,330 キ ロ で す 。 つ ま り イ ン フ ラ は 2015 年
までにこれだけ増やすんだと言っているわけです。インフラも増えるでしょう。しかし
そ れ 以 上 に 内 需 を 増 や さ な き ゃ い け な い 。と い う こ と で 給 料 は 毎 年 の よ う に 今 15% 位 上
がっているんです。各都市で。従ってそれは確実にインフラも増やしていくということ
なんです。それ以上に内需を増やしていくということなんです。
しかしそれは第一次資本主義時代の無から有を生ずるようなインフラの整備ほどのス
ピードはもうない。つまり何故中国があれだけ経済成長をしたか。国有化されている全
部の土地、賃貸で出していた農村の土地をタダ同然で取り上げマンションを造り工場を
造 っ て 、2,000 万 円 、2,500 万 円 で 売 る わ け で す か ら 、そ り ゃ あ GDP も 増 え る で し ょ う 。
経済成長もするでしょう。本当に誰が住んでいるか分かりませんし、作った後、電気は
ところどころに点いているだけということは買っただけで誰も住んでないかもしれない。
投 機 用 に 買 っ て い る 部 分 も 結 構 あ る 。私 は ハ ル ピ ン に も 2 回 位 行 き ま し た 。
「これは誰が
住んでいるんだ」と。一緒に乗っていた中国ハルピン市の職員に「あなた方これを買っ
て い る ん だ 」、「 い や 、 私 の 給 料 じ ゃ 買 え ま せ ん 」、「 公 務 員 が 買 え な い よ う も の を 造 っ て
誰 が 買 っ て い る ん で す か 」と 言 っ た ら「 周 り の 金 持 ち だ 」と 、
「 あ る い は 華 僑 だ 」と 。
「誰
か住んでいるの?」
「 い や 、分 か ら な い 」例 え ば ハ ル ピ ン の 例 で あ り ま す 。他 が 全 部 そ う
だとは言いません。でもそういうところが多いかな。要するに極めてバブルっぽい、本
当に暴落したら争って売ると思うんですね。ということが十分ありうる。
しかしながら給料が上がってきていますから、徐々に買えるようになってくるかもし
れない。そういうことでインフラの整備はもちろん進むでしょうけど、かつてのほどに
はもういかないだろう。従ってそれに変わって内需を中心とした動きが出るだろう。さ
て 、そ れ で は こ れ か ら の 中 国 の 経 済 は ど の よ う な 方 針 を 持 っ て い る か 、と い う の が 第 12
次 五 ヵ 年 計 画 で す 。 第 12 次 五 ヵ 年 計 画 と い う の は 、 4 つ 発 表 し て い ま す 。 1 つ は 国 有
企業改革をやります。2つ目は私有経済を発展させます。3つ目、税財政改革をやりま
す。4つ目、金融制度改革をやります。この中で注目すべきは、国有企業改革でありま
す 。 国 有 企 業 改 革 と は 、 現 在 国 有 企 業 は 11 万 社 あ る と 言 わ れ て い ま す 。 11 万 社 、 さ っ
き 申 し 上 げ た よ う に 大 き な 企 業 は 、 さ っ き 申 し 上 げ た せ い ぜ い 1,400 万 社 。 そ の う ち 僅
か 11 万 社 は 国 有 企 業 で す 。 と こ ろ が こ の 国 有 企 業 の う ち 117 社 と い う の が 、 中 核 の 企
業 、 僅 か 117 社 、 国 有 企 業 の 大 き な と こ ろ で す ね 。 こ の 大 き な と こ ろ と い う の は 、 83
か ら 100% の 資 本 が 国 家 中 央 政 府 。そ し て 収 入 の 55% 、利 益 の 57、税 金 を 納 め る 63% 、
こ れ は 117 社 で そ れ ぐ ら い の ウ エ イ ト を 占 め て い る 。つ ま り 国 有 企 業 117 社 が 、い か に
大きなウエイトを持っているかということであります。
これを改革してできるだけ民営化をしていく、何故か。国家資本主義というのは、稼
いだお金はみんな公務員が―公務員みたいなものです―投資先を選んでいく。こんな資
本主義は長持ちしない。最近の某国の某政権も税金で色々お金の配分を経済界に替わっ
てやろうというような動きがありますが、これは決して好ましいことじゃないですね。
競争原理というものが働かない。損しても、それは国の税金です。こんなことじゃあ資
本主義は競争原理も市場改革も進みません。これはやはり資本主義社会、競争原理を働
かせて民営化しなくちゃいけないということになって、今そういう動きを彼らがしよう
としているということです。
ついでにアベノミクスを申し上げれば、やはり世界の資本主義社会の中で、こういう
財政状態において、緊縮財政と労働市場改革をしなくして、経済の発展というのは今の
ような世界的な状況の中で、日本だけが逆方向を向いているんじゃないのか。財政の崖
とかアメリカにおいても、それは減税を止めるというような動きがあるわけですよ。何
千億ドルという。やはり痛みを感じて、そして緊縮財政をとりながら労働市場改革をや
っていく。労働市場改革は何かということをちょっと申し上げます。要するに正規社員
と非正規社員、この二重格差を改めなきゃいけない。私が今一番憂えているのは、さっ
き申し上げたように、このまま非正規社員でブルーカラーの労働者を安い給料でどんど
ん 使 う 。今 は い い で し ょ う 。20 年 後 教 育 さ れ な い 非 正 規 社 員 が い っ ぱ い 出 て き て 、そ れ
が中核的な労働者になったときに日本の経済はどうなりますか。日本経済が本当に強い
のはブランド力であり、日本のサービスであり、日本の労働者のクオリティです。だか
ら安心、安全で世界が買ってくれるんです。
中国にいて私がつくづく思ったのは、中国人は日本の製品を安心して買う。中国のお
医者が来て、日本で日本の製薬会社の薬品をドーンと買って帰るんです。中国の医者が
中国の医薬品を信用していない。私も全く信用しません。中国の新聞を見ていれば、し
ょっちゅうそういう事件が出て来るんです。カプセルだってあれ何で作ったカプセルか
訳が分からない。中に入っている薬だって何が入っているか分からない。カプセルは実
を言うと大問題が起きて中国の新聞に大々的に出ました。とんでもないものを使ってカ
プセルを作っている。人体にものすごい悪い影響がある。そうしたら一斉に大製薬会社
でさえそれを使っている。きれいな色を塗って、まことしやか、本物みたいに見える。
中国の例えばサラダオイルだってどこか廃液でどれだけボトルとか何かきれいにして、
売っているか分からない。何もかも信用できないことが多い。
日本は何故そういうことが行なわれないか。そんなことを金だけのためにやる人はい
ないんです。それは労働者のクオリティですよ。労働者の質がいい。それは誰が教育し
た ん だ 。50 年 前 の 時 代 の ミ ラ ク ル ジ ャ パ ン で 教 育 さ れ た 人 た ち が ― ま あ 皆 さ ん 方 で す よ
ね―自分の力でこうなったと思っておられたら大間違いで、やっぱり国を挙げて教育に
熱を出したんです。ところが最近は教育もいい加減だけれども、非正規社員と正規社員
に し て 、 非 正 規 社 員 の 安 い 給 料 の 人 ば か り 遣 っ て い ま す け ど 、 10 年 後 、 20 年 後 を 考 え
たら、本当に恐いですね。この日本の国は。せっかくの世界的な信用というようなもの
が全部雲散霧消するでしょう。信用されなくなっちゃう。だから今一刻も早くやらなき
ゃいけないことは、とにかく労働者を教育をすること。非正規社員ブルーカラーこそ減
らす。非正規を正規にしなきゃいけない。ホワイトカラーは非正規社員でも、インター
ネットもありまあいいんです。ホワイトカラーの非正規社員を増やして、ブルーカラー
の正規社員を増やす。それから高齢者は非正規社員にして、も良いのではないか。だか
らその分も正規社員はブルーカラーに持ってこないと駄目。本当の現場はそういう人の
力なんです。
20 年 後 を 考 え た ら 、間 違 い な く 、私 は そ の 頃 死 ん で い ま す け れ ど 、私 の 予 言 通 り に な
ると思う。そういうことを日本はやらなきゃいけない。そして中国経済はどうなるか。
今 、 申 し 上 げ た よ う に ス ロ ー ダ ウ ン す る で し ょ う 。 そ し て 日 本 に 追 い つ く の は 2、 30 年
かかりますよ。何故か。労働者の教育が違う。簡単に中国製品が世界的な信頼を得て、
サ ー ビ ス 製 品 が 日 本 に 勝 る よ う に な る 、 出 来 ま せ ん 。 教 育 と い う の は 20 年 以 上 か か り
ます。日本は自信持つべきだ。日本が中国に追い抜かれることは簡単ではありません。
私 の 生 き て い る 間 で は 20 年 を と っ て も 追 い つ か れ な い と 思 い ま す 。 中 国 が 教 育 に 余 程
力を入れない限り。しかもブルーカラーの教育に力を入れない限り駄目です。それは農
民工と都市という戸籍の問題を解決しない限り、正規社員と非正規社員と同じように農
民と都市の格差が存続する限り、恐らく戸籍の差が存在する限り、日本の正規と非正規
と同じように格差が広がる一方です。ということから考えまして、私は、中国経済はス
ローダウンする。しかしまだまだ4、5%の成長を続けるだろう。世界のリーダーとし
てやっていくだろう。しかし教育をしない限り、日本に勝つことは無理だろうというこ
とで、ちょっと5分位オーバーしてしまって、すみません。伊丹先生。伊丹先生もまた
5 分 位 オ ー バ ー し て も お 許 し 下 さ い 。ど う も 失 礼 を 致 し ま し た 。あ り が と う ご ざ い ま す 。