特別演習”Philosophy of Economics”輪読 中丸研吉立担当分 2015/05

特別演習”Philosophy of Economics”輪読
中丸研吉立担当分 2015/05/21
特別演習「Philosophy of Economics 輪読」
中丸研究室 M1 吉立開途・担当分
2.1 The pedagogy of economics versus better philosophy of economics
「経済学の教育対より良い経済学の哲学」
※ 原文の斜体には訳文で下線を付した。
※ 原文のクォーテーションマークで括られた箇所にはカギ括弧を付した。
※特に馴染みがないと思われる用語に関しては、脚注を吉立が付した。
※かなりの部分を意訳しているので、必ずしも原文とは厳密に対応していない。
【学問の分業には合理的理由があるのか?】
現代の人間行動に関する諸科学領域―心理学、経済学、言語学、人類学、社
会学、そして政治科学―は科学革命期(イギリスの歴史家、H. バターフィール
ドが提唱した、17 世紀における近代科学的な世界観の形成を指す―—吉立)と 19
世紀の終わりの間に、徐々に生まれた。さて、科学的実在論[1]対社会構築主義[2]
の論争で決まる知的進化に関する、哲学者にとっての自然な疑問はこうだ。ど
の程度まで、制度化された(学的)労働の分割は比較的に深くまた安定な人間社会
の構造に潜むパターンを反映しているだろうか? また、どの程度までそれ(人
間行動科学)は欧米大学の進化における経路依存[3]的なアクシデントの結果なの
か?というものである。著者はこの章でこの問題に対する、単一の支配的な解
答はないことを、前もって議論する。また、主に実在論側の立場の経済学と心
理学との差異についても述べ、構築主義的な立場からの経済学と社会学との断
絶についても述べる。
【アダム・スミスとその功績】
一般的な経済学史のナラティブ[4]によれば最初の「真正な」経済学者、即ちこ
の学問に最も基礎的な洞察の表現を与えた者こそ、アダム・スミス(Adam Smith
1723-1790)である。スミスに帰せられるべきブレークスルー(ただし、時として
より体系的でない形で他の者が同意していたことはあった、例えばマンデヴィ
ル[5](Mandeville,1723 and 1728))は、個人による利己的かつ調整されていない
物資の追求は、もしそれが私有財産に関する法的な保護で規制されまたそのよ
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うな資産の形態で投資に利子が付くことを許されるならば、商品やサービスを
提供する際の要因の希少性を反映した価格に収斂する傾向がある、というもの
である。これは実は利己的な Agents が意図せずして生産効率を上げようとする
その事自体で、社会的な富を増進させることを導出している。彼ら(利己的なエ
ージェントたち:吉立)はこれ(全体的な効率性の達成)をライバルたちより効率
的に製造しようとすることで為す。また結果として、効率性の達成は彼らをし
て更なる新製品の発明や、入出力比の改善へと駆り立てる。このプレッシャー
はまた彼らをして彼らの収益の主な部分を、消費したり個人的な支持者に分配
したりするよりは、そういったイノベーティブな努力に投資するよう要請する。
【スミスの経済学は、心理学ではない】
この理想化された競争の描写は様々なやり方で修正されるが、我々が後で見
るように、これは実は世界の社会的、学問的歴史で最も強力かつ重要な洞察を
与えるものである。人類の富の増大は、主に自発的かつ組織的な人間の能力の
相互補完的分業によってきた。要点としては、スミスの分析の主題は、社会構
造と組織化であって、心理学ではなかったことである。スミスの分析は、個々
人のモチベーションに関する仮定を総合したものであるが、疑問となっている
仮定は陳腐なもので、それは人々が制御可能な以上にまで資源を蓄えようとす
る傾向がある、というものである。(次の文章は、anodyne 鎮痛剤を比喩的な意
味で用いているものと思われるが、私には解釈できなかった―—吉立)我々は次章
と更に後の章で、この問題をより詳しく見る。
【経済学を教えるにあたってクルーソーの例を用いることの不適切性】
Economics students generally do not rigorously study the generalization of
Smith’s that they are told is fundamental unless they pursue the subject for
a second or third year. 代わりに、彼ら(経済学部の学生)は典型的には想像上の
一人の個人を、フライデー[6]がやってくる前の島に一人きりであったロビンソ
ン・クルーソーのような人物を、彼がどのように資源(エネルギーや時間)を食事
や衣類や余暇のために配分するかを考察する。例として、海岸では十分な魚が
取れるものとしよう。クルーソーはたぶん明らかに銛をココナッツから作るた
め時間を割くだろう。もっと時間が経てば、十分な食糧を蓄えた後にボートを
作るかもしれない。この教訓の基本的な動機として、これは機会費用(つまり、
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資源、この場合は労働時間、をめぐって対立する選択肢がある場合に、相対的
に失われる相対値)であり、これは経済学の問題とする基礎的な部分である。こ
れは実はスミスの洞察と重要な形で結びついたものである。なぜならこれは彼
の相対的希少性を洗練させるもので、また実はこのアイディアは競争の効率性
効果の理解に重要だからである。しかしながら。ほとんどの初歩的な教科書は
これらの関連性を明示していない。経済学の研究のためにロビンソン・クルー
ソーから始めることが主に示しているように見えるのは、経済学の取り扱うと
ころはまず第一に「合理的」な個人の意思決定であるということである。この
メッセージはフライデーが来て労働の分業が始まると増大するが、これは「純
粋」経済学分析の複雑化として表される。対照的に、スミスによって形成され
た経済学はフライデーが現れてから(即ち、分業があってから―—吉立)のみ始ま
る。
【経済学を心理学から分かつものとしてのマーケット】
数十年間にわたり経済学が個人の意思決定を基礎として教えられたが、経済
学者の経済学の哲学を反映している。しかしながらこの本では個人主義的哲学
は究極的には経済学に関する思考を混乱させる、と論ずる。それは真に経済学
にとって中心的な事柄は市場中の情報の差であるという事実をぼやけさせる。
市場が(物品等を)交換できる関係になれることを人々にとって価値あるものと
するのだ。人々は互いに交易するが、それは最も基礎的な面においては、誰し
もが彼ら自身の欲求の小さな部分部分しか知ることができないからである。し
かし、クルーソーはフライデーがくるまでは交易すべき相手を持たなかった。
ロビンソン・クルーソーから(経済学の授業を)始めることは、市場の経済学に
おける問題をぼやけさせるのみならず、経済学と心理学の基礎的な違いをも曖
昧にしてしまう。これは内輪もめに狼狽する学者たち以外の人間にとっても問
題になるのか、疑問に思う読者もいるかもしれない。実は原則としては我々が
学問の統合に抵抗すべき理由はない。著者は実際に、後記で経済学と社会学の
統合について好意を持って議論する。しかしながら、同時に経済学が心理学に
縮減されることが許された暁には、我々は経済学者らが光をあてようと長くま
た厳しい仕事を為してきた、実在する世界内の重要なパターンをも失うだろう
と議論する。
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【より良い経済学の哲学】
経済学の基礎的なオントロジーが個人よりむしろマーケットに関して組織化
されているという宣言において、私は真実(今の経済学の在り方)に言及している
のではない。私は、経済学者の活動や先行性を解釈する方法を提案しているの
だ。このことが、本書を科学の社会学や科学史よりむしろ、科学哲学にしてい
るのである。しかしながら私が第一章で主張したように、有益な哲学というも
のは事実の制約から離れて導かれるものではない。私の提言は経済学が何であ
る「べき」かについての第一原則から、というよりは、むしろ経済学の主要な
概念の歴史から読み取れる教訓から、守られる必要があり、更には経済史、経
済政策史からも守られる必要がある。哲学者は、頻繁にかつ正当にも、概念を
非歴史的に扱うとして批判される。その他の哲学者たち、特にイアン・ハッキ
ング[7]やマーク・ウィルソン[8]は科学者が理論を特徴付ける概念を理解する際の
科学の理論的な構造と幽玄さは歴史と実際の応用により明確化されてきた、と
いうことを強調している。哲学は、概念を抽象的に分析するのみで行われるべ
きではなく、研究上で概念を示すことでなされるべきである。この章は、また
この本全体も、いくつかの経済学的思考の歴史から選んだテーマの上の哲学的
な反省として構成されている。
まとめ:
・ 経済学は、主に実在論的な側面から、マーケットの有無を通じて心理学とは
区別される。
・ 哲学といえども、現実から全く離れた思弁で成り立つわけではない(著者の立
場)。なので、この本も哲学の本ではあるが、実際の歴史等に立脚している。
・ (この節ではあまり扱われていないが)どうも社会学と経済学の立場の違いは
構築主義的なもので、社会学は心理学より経済学に対し親和性があるようだ。
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[1]科学的実在論 realism
科学で議論される、波動関数や原子といった存在は実際にそのような形で存在
するという科学哲学上の立場、scientific realism
[2]社会構築主義 constructionism
全ては人間の主観が生み出しているとする、科学哲学上の立場。この立場によ
れば、いかなる議論もその人間の社会的な立ち位置を離れては存在し得ないと
される。英語では constructivism とも呼ばれる。構成主義
[3]経路依存 path-dependency
経済学の用語で、ある事象が最終的にどのような均衡に至るかはその均衡に至
るまでの経路に依存する、ということ。換言すれば、歴史が物事を決めてしま
う状態とも言える。”History matters”
[4]ナラティブ narrative
主に歴史学や文学理論の用語で、本来は「語り」といったように訳される用語
である。ただ、ナラティブには単なる物語や「語ること」を超えた含意がある。
具体的には、ストーリー(story)との対比で考えると分かりやすい。ストーリー
は物語の内容だが、ナラティブはその形式である。
[5]バーナード・デ・マンデヴィル Bernard de Mandeville 1670-1733
オランダ生まれ、イギリスで活躍した 17 世紀の思想家
[6]フライデー Friday
『ロビンソン・クルーソー』に登場する、ロビンソン・クルーソーの召使いに
なった近隣の島の原住民。
[7]イアン・ハッキング Ian Hacking 1936カナダ出身の科学哲学者。統計学史を纏めた『偶然を飼いならす』などの著作
で高名。邦訳の著書多数。
[8]マーク・ウィルソン Mark Wilson
科学哲学者。
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