て ??? - 洋野町立大野小学校

平成27年度 洋野町立大野小学校
《発行日 : 平成27年 5月14日》
校報
№ 16
運動会で踊る
を盛り上げよう!
て ???
今年の運動会でも全校で踊る「ナニャドヤラ」は、『北奥羽ナニャドヤラ・街頭流し踊り』
にも参加する事もあり、練習時における子ども達の本気度も一層高いように感じられます。
さて、この「ナニャドヤラ」は、ここ大野地区だけでなく、旧種市町は勿論、久慈市や葛巻
町、八戸市、二戸市、青森県田子町などでも踊られています。本校の久慈や葛巻、八戸、二戸、
田子の出身の本校職員も、お盆には「ナニャドヤラ」を踊ったそうです。
昨年度の街頭流し踊りをみて、その踊りの違いから「大野地区」の踊り方と「八戸・階上
地区」の踊り方、それに「二戸・田子地区の踊り方」と、3つの踊り(流派)に分類できると、
勝手に思いながら観ていました。今年は、学校創立140年と
いう節目の年です。例年以上に多くの皆さんからの参加を
期待しています。太鼓や唄についても今年度も子ども達に
挑戦させたいものです。
12 日の3.4年生の練習風
景。地域の先生にはいつも
…釈迦に説法ですが…
助けていただいています。
ここ大野は「ナニャドヤラ」の北奥羽大会まで開催する程の盛んな地でありますので、『釈迦
に説法』となりますが、今年もにわか勉強ですが「ナニャドヤラ」の由来について紹介します。
1.「ナニャドヤラ」の由来について
この踊りの由来については、諸説あり決定的なものはありませんが、次の説が有名です。
①「ヘブライ語」説 ⇒ 青森県旧戸来村(現青森県新郷村)にキリストの墓があると
いう伝説との関連が大きい説です。
②「農民の衰歌」説 ⇒ 柳田国男博士が大正十年頃に旧種市町の小子内にあった旅館
「清光舘」に宿泊した時に、そこから見た哀愁を帯びた盆踊り
に魅了され、その時の様子を大正十五年に発刊した「清光館
哀史」の中で、農民の衰歌ではないかと紹介しています。
③「仏の供養」説 ⇒ お盆に踊られるために言われている説です。
その他に「三戸説」や「恋愛歌説」、「大和民族の進軍歌説」、「凶作に
対する嘆声説」など多数の説があります。起源ははっきりしませんが、
日本最古の盆踊りである事はまちがいないようです。
説が多い程謎に満ちており、興味がどんどん湧いてくる踊りである事には間違いないですね。
昨年度の学習発表会で披露した4年生(現 5 年生)のナニャドヤラ解釈も楽しかったですね。
2.「ナニャドヤラ」の歌詞について
この踊りは、旧南部藩のうち、旧八戸藩やその影響が強かった糠部地方(五戸や三戸など)と
そこに隣接する旧八戸藩以外の地域(岩泉町の門地区などが該当します)を中心とした踊りで
あったことが、伝承されている歌詞からも容易に想像ができます。
私の前任校である岩泉町立国見小学校は、旧盛岡藩に属していた
土地ですが、「ナニャドヤラ」(あの辺りでは『十二足』という名で
呼ばれています。
)が踊られています。隣接する葛巻町馬淵地区
(旧八戸藩)の影響が大きかったと想像されます。
ちなみに、岩泉町では国見地区だけが「ナニャドヤラ」(『十二足』)
を踊っており、他の地区では旧盛岡藩の代表的な踊りである
岩泉町・門地区の『十二足』の様子
「さんさ踊り」が主流となっています。
【あちこちに伝承されている、ナニャドヤラと十二足の歌詞の比較】
◇ 十二足の歌詞の例① ⇒〈提供者:岩泉町国境地区の中村ヤスさん〉
「踊り踊るなら前より後ろ
後ろ姿は誰も見る」
「お月様さえ夜遊びなさる
まして若い衆 むりがない」
「お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで」…
等など、全部で25番まで歌詞がありました。
◇ 十二足の歌詞の例② ⇒〈提供者:岩泉町議会・副議長の遠藤さん〉
国見地区学区民大運動
「踊りゃ出てくるお庭が狭い
お庭広げろ(アリャ) 音頭様」
会で歌う中村ヤスさん
「踊りおどらば姿態よく踊れ
姿態のよい娘を(アリャ)嫁にとる」
(平成 24 年 5 月)
「お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の(アリャ)生えるまで」…
等など、全部で18番まで歌詞がありました。
◇ ナニャドヤラの歌詞の例③ ⇒〈提供者:元軽米町立長倉小学校長の工藤 享さん〉
「甚句踊りの始まる時は
へらも杓子も出て踊れ」
「江刈葛巻ァ粟飯稗飯
喉にからまる乾菜汁」
北奥羽ナニャドヤラ大会
「夜明けカラスは夜に惚れてなく 私は貴男に惚れてなく」
の審査員も務めています。
「お前百までわしゃ九十九まで
共に白髪の生えるまで」…
等など、全部で200を超える歌詞がありました。
大野地区には、それぞれの地区に特有のナニャドヤラが今でも残されています。
大事にしたい文化・民俗ですね。このような踊りを子ども達に伝えて行くのも、私たち大人の
責務だと感じています。『ナニャドヤラ』は、秋田の西馬音内盆踊り、富山県のおわら風の
盆踊りに並ぶ、誇るべき踊りであると考えています。地域・保護者の皆さん、23日の運動会
では仮装などをしながら全員で踊り、大野小学校の 140 周年を一緒にお祝いしましょう!
…
余談…
当時の八戸藩と盛岡藩の藩境であった葛巻町馬淵と岩泉町国境には
本来あるべきはずの藩境を示す『柵』がなかったそうです。
馬淵と国境以外の藩境には、柵や土塁があったそうです。
(県立博物館・佐々木主任専門学芸員さんの証言)
八戸市図書館に現存している「南部藩領古地図」をみても、確かにその場所の明確な境は
描かれていません。その事からも、当時の住民たちは、かなり自由に八戸藩と盛岡藩を行き
来していた事が容易に想像されますし、この踊りを通して当時の人々の交流の広さや深さが
わかる出来事ですね。
なお、この踊りのルーツ候補地の1つでもある、青森県旧戸来村(現新郷村)で踊られて
いるナニャドヤラは、ゆったりとした踊りで、太鼓による伴奏リズムもつかないそうです。