メキシコ新生にみるマリンチェの重要性

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<発表要旨>
メキシコ新生にみるマワンチェの重要性
一チョルーラにおける裏切りの有無~
東京農業大学熊谷明子
コルテスのメキシコ遠征に通訳として同行させられたマリンチェは、コルテス
にも劣らぬ偉大な歴史上の功績をつみ、インディオ同胞たちへ多大な貢献を寄せ
てメキシコ新生の原動力となった。それにもかかわらず、コルテスがチョルーラ
で行ったインディオ大虐殺は、マリンチェの誘引によるものとして、500年後の
今日、いまだに“トライドーラ,,の汚名を着せられたままになっている。マリン
チェをインディオ同胞の裏切り者としてそしるもととなるチョルーラの大虐殺は、
どのような事態のもとに発生したのか、はたしてそこにはマリンチニの裏切りと
なる行為があったのか、限られた資料からではあるが、これはチョルーラにおけ
るマリンチェの立場を考察したものである。
1.チョルーラ虐殺に至る周辺
チョルーラでコルテスはつとめて情報の収集をはかり、策をつくして入手した
対チョルーラと対モクテスマ軍に関する情報のなかに、スペイン人から20人の生
け贄を捕らえて犠牲に供する話があることを知り、自分たちが生け贄にされる危
険を恐れる部下たちの動揺を目にしていた。そこでコルテス隊は武装を整え、チ
ョルーラとモクテスマの双方の連合軍が夜襲をかけてくることを信じて疑わず、
厳重な警戒態勢を敷き、チョルーラ側には明日の出発と伝えて油断をさせ、コル
テス隊が不意討ちの先手攻撃に出る手はずを整えていたことを、ベルナール・デ
ィアス・デル・カスティーリョは記述している。
こうした緊迫した事態のときに、チョルーラのあるカシケの妻で、仕組まれた
密謀の子細を知る老婆がマリンチェの所へ忍び込み、「コルテスらを-人残らず
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皆殺しにするか、捕らえてメキシコ市へ引き立てていく手はずになっているから、
マリンチェをかわいそうに思い知らせにきた。私の息子でここについてきたこの
子の兄にあたる子の嫁にしてあげるから、身の回りのものだけをまとめて一緒に
私の家においで」と誘いにきたので、マリンチェはまつすぐにコルテスの所へ行
き、カシケの妻から聞いたことを話した、とベルナール・ディアスは述べている。
マリンチェから、チョルーラ側に密謀があるという情報を受けたコルテスが、先
制の攻撃に出たことでチョルーラの大虐殺が起こり、したがってマリンチェがイ
ンディオ同胞を裏切ったとする根拠はここに由来する。
Ⅱ、カシケの妻の話の信ぴょう性
コルテスは、自己のメキシコ遠征を正当化するために、カルロス5世に現地か
ら子細な報告を送っているが、チョルーラの事態については、コルテス第2報告
書簡の中で次のように記述している。「私の通訳であるインディオ娘に、この市
の娘がモクテスマの兵士が大勢集結し、市の住民は市外へ婦女子を連れ出し、我
々を襲撃して皆殺しにしようとしている、だからもし助かりたければ自分と一緒
に来るようにすればかくまってやる、ということをあのヘロニモ・デ・アギラー
ルに話しました。彼が私にこれを知らせてくれました。」
ここで留意したいのは、ベルナール・ディアスは、マリンチェは老婆から聞い
た話をまつすぐにコルテスの所へ知らせに走ったと記し、一方、コルテスの書簡
では、マリンチェは市の娘から聞いた話を、ヘロニモ・デ・アギラールに最初に
注進しており、両者の記述に相違が見られることである。マリンチェがコルテス
に直接告げたか、アギラールの口を通じての話がコルテスに入ったか、情報がコ
ルテスに達するまでのこの相違は、虐殺に対するマリンチェからの情報伝達の経
緯と立場を変え、解釈の上にも大きな変化を生じてくる。
コルテスは、アギラールから情報を得たと記すことにより、チョルーラの虐殺
へとつながる動きは、マリンチェからの情報により初めて発生したことを示し、
マリンチェがカシケの妻の言葉を漏らさなければ、コルテスによる大虐殺は発生
しなかったとする解釈も成り立ち、コルテスの書簡には、自己を正当化する、多
分に意図的な記述がその側面に介在していることがうかがえてくる。
マリンチェはコルテスの通訳として、常にコルテスの傍らに存在させられた。
モクテスマとチョルーラの両軍が目前で多様な動きを見せ、コルテスがマリンチ
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ェを必要とした緊張した空気の中へ、息子を同伴した見慣れぬカシケの妻が、厳
重な警戒態勢を蚊き、監視の目を光らせているスペイン側陣地へ、怪しまれるこ
ともなく、マリンチェを上の息子の嫁にする話のために、難なく紛れ込むことが
可能であったのかという、大きな疑問が生じてくる。
チョルーラの婦人が、マリンチニの所持する財産の富裕さ加減を推測し、それ
らを我が家の富として獲得することを考え、マリンチェの富を横懇する口実とし
て、マリンチェを息子の嫁にする申し出をしに訪れた、という思考もなしうる。
だがしかし、仮にマリンチェの誘拐に成功したとしても、スペイン側の報復があ
ることを考えもしなかった、口実のわりには浅慮な婦人の甘言、となる。
当時の結婚に関してソリタは、固有の法と禁制があったことを述べている。た
またまマリンチェを遠くから傍見して、その様子に見せられ-目で気に入ったか
らと、チョルーラのカシケの一人として主要な地位をしめる夫に相談することも
なく、妻が独断でマリンチェを嫁に決めて訪れたということは、考えがたいもの
がある。こうした非常時に、将来カシケを継ぐ可能性がある息子の嫁の座を口実
にして、自己の危険をも顧みず、嫁にする誘い出しに訪れていることは、当時の
社会にあった固有の習慣や価値観からみても、多分に不自然な作為が読み取れ、
マリンチェがこの話しを得々としてアギラールに告げたとは考え難い。
ベルナール・ディアスの記述によれば、マリンチェは嫁になるために逃亡した
く、それには荷物の取りまとめに時間を要するから、と二人をその場に待機させ、
この間にコルテスヘ、直接に危急の事態を告げに走っている、大変機転が利き、
機知に富む女性であることを述べている。チョルーラの虐殺は、マリンチェが他
部族のカシケの妻の言葉を、これほど重大な、部族の存亡に関わる密謀を安易に
漏らす初対面の女性の言葉を、そしてマリンチェを息子の嫁にするという不自然
な甘言を、マリンチェが甘受することを前提にして柵成され、コルテスに都合よ
く展開しているところに、疑念は倍加してくる。
Ⅲ、コルテスの篭諜説
この点が意識の根底にあるのか、ベルナール・デイアスが、コルテスはマリン
チェから直接に聞いた情報として、のちに子細に記述している事態を、コルテス
の第2報告書簡によれば、信ぴょう性を付加させる形のアギラールを通して、間
接的に受けた情報であることを記している。コルテスはこの情報によって、先手
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をとって虐殺を行ったことを正当化し、コルテスが謀った策話としての非難を受
けぬよう、自己防衛のためにアギラールをウィヅトネスに擁立して、コルテス側
の虐殺を正当化させている、意図的とみなしうる記述の相違がある。
コルテスは先手をとった奇襲戦に出て、手際よく3000名以上を短時間で死亡さ
せたと、国王宛て書簡に、多分に自己の知謀と正当性を粉飾して記述しているが、
コルテスの部下の証言によれば、コルテスはチョルーラのカシケたちを召集して、
荷担ぎ用のインディオが必要だとして神殿の中庭に住民たちを集結させてから虐
殺し、市内でも攻撃を行ったので、だまされて殺されるか捕虜になった数は2万
人を越えたといわれており、その動機も行為も、住民を含む虐殺の数についても、
コルテスの報告書簡の記述とは、大きな相違がある。
チョルーラの虐殺については、インディオ側にコルテスがいう密謀はなかった
といわれている。マリンチェが交わしたとされるカシケの妻との会話や、マリン
チェが直接コルテスに報告したか、アギラールを介してコルテスに告げられたと
される内容の記述については、マリンチェの立場からの、マリンチェの手による、
真実で正当な記述は残念ながらなされてはいない。
マリンチェは、誰を裏切ったというのだろうか。マリンチェは、スペイン文化
とインディオ文化との間で、自己のもつ言葉を仲介として戦乱の回避につとめ、
両者間に発生する摩擦の減少につとめた形が遠征の過程でうかがえる。コルテス
の「言葉」として戦場にも同行させられ、あるじの求めに応じて義務をつとめる
ことによって異文化の媒体となり、摩擦の減少に貢献したのがマリンチェである。
チョルーラの虐殺裏面では、生け贄のように活字のなかに放り出されているマリ
ンチェこそ、コルテスによって裏切られたといえるのである。
【参考資料】
1.サアグン、コルテス、へレス、カルパハル、小池佑二他訳、『征服者と新世
界』大航海時代叢書(第Ⅱ期)12、岩波書店、1980年
2.ベルナール・ディーアス・デル・カスティーリョ、小林一宏訳、『メキシコ
征服記I』大航海時代叢書エクストラ・シリーズ3、岩波書店、1986年
3.ソリタ、小池佑二、増田義郎訳、『ヌエパ・エスパニャ報告書』大航海時代
叢書(第Ⅱ期)13、岩波書店、1982年
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4.モーリス
5.Mariano
・コリス、金森誠也訳、『コルテス征略誌』、大陸書房、昭和51年
G・Somonte,“DoiYaMarina._LaMalinche,,Monterrey,M6xico,
l971
6.CarlosiPereyra,
``HERNANCORTES,,
EditorialPorrdaS.A・MEXICO,,.
F,1970
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