リレーコラム19 キャリアの積み方-私の場合 卒後15年目の小児腫瘍内科医の場合 京都府立医科大学小児科 柳生茂希 テキサス州にて 【柳生茂希】 京都府立医科大学大学院 医学研究科 小児発達医学 助教 平成12年 京都府立医科大学卒業 小児科研修、診療後、 2005年より京都府立医科大 学大学院に進学し、小児が ん研究と臨床に従事。 2011年より京都府立医科大 学小児科助教、2013年より 米国テキサス州 ベイラー医 科大学、Center for Cell and Gene Therapyで細胞遺伝子治 療について学ぶ。2015年8月 より現職。 いつまでたっても頭が上が らない看護師の妻と、英会 話はすっかり私を追い抜い てしまった10歳の息子との3 人家族。最近、趣味を見つ けようと料理教室に通い始 めました。 hg 小児科医としての将来像、キ ャリアプランを考えるとき、「どん な小児科医になりたいか?」につい て考える時期が来ると思います。私 は医学部を卒業してから、大学病院 で小児科医として研修医時代を過ご しましたが、その頃を振り返ってみ ますと、当時自分の将来像について はっきりとしたビジョンを持ってい たわけではありませんでした。10年 後、20年後に自分がどのような仕事 をしているか?そんなことを考える 余地もなく、患者さんに懸命に対応 することで精一杯だったと思いま す。現在は小児腫瘍内科医として、大 学病院で若い小児科医たちと一緒に 勤務していますが、そこに至るまで にはいくつか遠回りをしたようにも 思います。自分の進む道は小児腫瘍 内科だ、と決めたのが卒後5年目でし たが、このまま病院勤務を続けてた く さ ん の 患 者 さ ん と 関 わ って い く か、あるいは大学院に進学するかど うかを迷った時に、ようやく「小児 科医として自分は何をすべきか」に つ いて 考 え 始 め る よ う に な り ま し た。 当時、私は長い間主治医 をしていた小児がん患者さんを失っ たばかりでした。彼を最期に見とっ たあと、ご両親から「将来このよう な病気が治せるような方法を、是非 見つけてください。それが私たちか らの願いです」とお話をいただきま した。その時に、「たくさんの研修 を積んで、今ある最新の治療を患者 さんに提供するのは医師としてあた りまえのことであるが、これから解 明していかなければいけない新しい 治療法を追求することも小児科医の 仕事だ」と考えるようになり、大学 院に進学することにしました。 その後、私は縁あって米国 に留学する機会を得ましたが、研究 室には私のように博士研究員として 働いている留学生がたくさんいまし た。また、たくさんのレジデント、 小児科フェローが臨床業務の合間に 研究に従事していました。彼らは自 分たちのことをpediatricianだと言い ますが、同時にscientistだとも言っ ていました。そして、scientistとして の自負と将来像を持って、physician としての業務の傍ら、いかにscientist として情報が発信できるかを考えて 臨 床 研 修 を 行 って い ま し た 。 こ れ は、私が目の前の業務に追われるま まに過ごしていた研修医、修練医時 代には決して抱いていなかった感覚 でしたが、彼らのように、若いうち からphysician scientistとしての自負 と10年後、20年後の将来像を持って 研修を行っていれば、自分の将来も 少し変わっていたかもしれないと感 じました。 小児科医としてのキャリア には沢山の選択肢があると思います し、出会い、進学・留学、家族、な ど 様 々 な 要 素 が 関 わ って き ま す の で、正解も失敗もないはずです。私 も 、 妻 や 両 親 の サ ポ ー ト、 患 者 さ ん、理解のあるメンターとの出会い がなければ、進学、留学はおろか、 我が子の子育てもままならかったで しょう。これからも、10年後の自分 が何をしているか、何がしたいか、 まだまだよく考えないといけません が、人生の岐路にたった時に、「患 者さんのためになる情報が発信でき る小児科医になるためになにをすべ きか?」と自問することで、自分が 進むべき道を選びたいと思います し、これからも若い先生たちと一緒 に、physician scientistとしてどのよ うに研鑽していくかを考えていきた いと思っています。 留学中の上司 Dr.Brenner と
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